元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「それでもボクはやってない」

2007-02-03 08:07:36 | 映画の感想(さ行)

 上映が始まる直前にドヤドヤと入場してきたオバチャン連中が傍若無人に“こんなマイナーな映画に客が来るわけがないから、席は十分空いてるわよ!”などと喋っていたが、この無神経な物言いこそが本作の今の邦画界におけるポジションを表しているように思え、暗然とした気分になった。

 周防正行監督の久々の新作は、痴漢冤罪を通して日本の司法の問題に迫る野心作。いわゆる社会派映画だ。序盤の設定こそ無理があるが(満員電車でモゾモゾしていれば疑われるのが当たり前。それに面接に行くのに履歴書を忘れるとは、うっかりにも程がある)、あとは丁寧に作られており、身近に起こりうる題材を取り上げ、綿密なリサーチによる送り手の完璧なまでの理論武装と精緻なディテール、この監督ならではの語り口の見事さを堪能できる。

 147分という長めの上映時間を少しも飽きさせることのない緊張感を持ちながら、堅苦しさや高踏的なスタンスなどは微塵もなく、万人に受け入れられる平易な展開に終始。それでいて主題は実に奥深い。まさしくプロの仕事だと思う。

 しかし、こんなにも見応えがあって、かつて「Shall We ダンス?」で興行界を席巻した作家が満を持して放つシャシンでさえ、今は“マイナー”扱いなのだ。いわゆる“邦画バブル”の真っ只中にある現状では、観客のレヴェルも地に落ち、少しでも考えさせるものや重いものは敬遠される。御為ごかしのお涙頂戴劇で観客の紅涙を絞り出させればそれで満足ってわけだ。この状態が真摯な力作であるはずのこの映画にも微妙に影を落としている。

 それを感じるのが過剰なまでの説明的セリフだ。日本の裁判所はこんなにも問題がある、警察もこのような問題を抱えている、弁護士側の体制も改善すべき点が山ほどあるetc.それはその通りなのだ。だけどそれはいちいちセリフでフォローしなければならないことか? もちろん素人である観客には説明は必要。だが、少しは画面からの暗示で主題を観る側に察知させるような仕掛けがあってよかったのではないか?

 もとよりこの監督はウンチクを並べることが好きなタイプだが、それでも今回行き過ぎの感がある処置に踏み切ったのは、見やすいものしか見ない観客が多数派を占めてしまった現在、解説的シーンに手を抜くと見向きもされないからではないかと思ったりする。

 筋書きは十分及第点ながら、ネタの説明に手間取り、プラスアルファの思い切った仕掛けが提示されていない掻痒感は、その点にもあろう。しかしそれでも劇場にかけられれば“マイナー!”の一言で片付けられてしまうのだから勝手なものである。

 主人公の気弱そうなフリーターに扮する加瀬亮をはじめ、弁護士の役所広司と瀬戸朝香、息子のために健気に戦う母親役のもたいまさこ、友人に扮する山本耕司、元カノの鈴木蘭々などキャストは全員好演で、音楽も撮影も素晴らしいこの映画が、ある程度は客が入ってもしょせんは“ユニークな題材を持つマイナー作品”と見なされてしまう今の状況(←骨のある社会派の映画が他にほとんど無いこと)は、邦画界の大きな“問題”であると思う。
コメント (2)
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