気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

去年マリエンバードで 林和清 

2017-12-10 13:39:38 | つれづれ
虫襖(むしあを)といふ嫌な青さの色がある暗みより公家が見詰めるやうな

そこには何もないと知りつつ探しに行く類語あるいは冬のヒラタケ

個室居酒屋でずつと話を聞いてみたいお湯割りの梅を箸で突きつつ

足音に呼応して寄る鯉たちの水面にぶらさがるくちくち

歌人ていふ嫌なくくりだこんなにも君と俺とはちがふぢやないか

ひろすぎる座敷にふとんの流氷の上に一夜をただよふばかり

ゑのころが根ごと抜かれて死んでゐた人と人には悪意も絆

ちいさいひとがいくにんも座つてゐたといふジャングルジムの鉄の格子に

からうじて夜をささへてゐた白い燈(とも)しが消えて千年の闇

廃市より来たやうな男 配達の判子を請うて鷺の香はなつ

(林和清 去年マリエンバードで 書肆侃侃房)

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林和清の第四歌集『去年マリエンバードで』を読む。
林さんとは神楽岡歌会でお知り合いになった。玲瓏に所属の実力派歌人で、カルチャー教室の人気講師として活躍されている。古典、和歌、源氏物語に詳しい。

一首目。「嫌な」「公家」が林さんのキーワードかと感じる。物凄く観察眼の鋭い人で、詰まらないことを言っても絶対に相手に恥をかかせるようなことはない。気配りされる人なので、その分おそろしい。公家の目とはどんな目なのか、想像するしかないが、なぜか想像できてしまう。
二首目は、類語と冬のヒラタケの取り合わせが面白い。
三首目は「浩宮」という一連から。浩宮という呼び方からピンと来るのは、ある年齢以上だろう。おふたりの居酒屋での会話、襖の影で聞いてみたい気がするが、いつまでも本音は出ないだろう。そこに至るまでの駆け引きがすごいだろうな。こう書きながら自分の卑しさが恥ずかしくなる。
五首目。まさにその通り。短歌には人柄が表れやすい。こんなにちがう君とはだれか。すぐに多くの名前が思い浮かぶ。
六、七、八首目は、不穏な空気のある歌。作者の闇をはしばしに感じさせつつ。芯のところは絶対に言わない。闇はわたしの闇でもある。読みながら自らを思うとき、すこし痛快になった。「悪意も絆」は大好きなフレーズ。
九首目、十首目は、24時間 ~200X年のある一日~ と題された百首。時折挟まれる詞書に時刻が書かれて、作者の一日を記録する形で詠まれている。虚実綯い交ぜになっているのだろう。国鉄野(こくてつの)という言葉など、面白く読ませてもらった。

塚本邦雄はサル年だつたといふ話題 鯉の甘煮の骨吐きながら

死ぬ人の歌のはうが身に刺さるとうからとうから秋の実が落つ

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