気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

虚空の振子  荒垣章子歌集 

2013-01-27 21:16:57 | つれづれ
朝顔の花にくちづけしたる時われにみどりごありしかなしみ

鱈一尾捌きてゐるなりこの息子混混沌沌鱈をぶち切る

その姉の持ち来し酒にて湿したりわれの産みにしうすきくちびる

幼らは紙ヒコーキを棺に入れわれは竜胆をぬらして入れぬ

文字盤なき時に入りゆきしわが子栄虚空(そら)の振子にしづかにゆれる

あはれなる白花つけゐる荒草をとつさに挘るにんげんの手は

茂吉を読む前に『茂吉を読む』を読む何かにしつかりつかまりたくて

みみず子のみづからをくるり結びてはほどきてはくるり五月の土に

水道の水が暖かききのふけふ時が癒すといふ残酷さ

古びたる赤い靴にて一歩一歩坂登りをり草の果こぼる

ジャンバルジャンが力いつぱい搾りたるグレープフルーツ朝朝に飲む

(荒垣章子 虚空の振子 六花書林)

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短歌人所属の荒垣章子の第五歌集『虚空の振子』を読む。
荒垣さんとはお会いしたことはないが、あとがきによると、森岡貞香の「石疊」で歌を学び、師なきあと短歌人に入られたと知った。
集題は「そらのふりこ」と読む。第一歌集に入れた歌「みどり児をのせて鞦韆はゆれながら文字盤のなき時に入りゆく」と深く関わっている。この息子さんは、三十三歳で亡くなられた。歌集の底に流れるのは、子どもを失った悲しみと、それを受け入れるしかない作者の思いである。一首目から五首目に引いた歌を読むとき、同情を禁じ得ないが、作者はそこに留まらない。七首目の『茂吉を読む』の歌、次のみみずの歌のユーモアにこちらが慰められる。さまざまな思いを心に秘めながら、十首目の「・・・赤い靴にて一歩一歩・・・」が作者の今の決意であるだろう。歌集の最後の、ジャンバルジャンの歌の力強さに、こちらが励まされる。