気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

きのうの朝日歌壇と折々のうた

2007-01-16 18:37:34 | 朝日歌壇
あたたかき小銭を返すはじめてのおつかいに行った子は母の手に
(市川市 城戸真紀)

先生も子も免れぬ評価とう細かき網に親はかからず
(名古屋市 森由佳里)

捨てるなら捨ててごらんよと一束の黄ばみし手紙吾を凝視す
(東京都 松下ゑん)

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一首目。はじめてのおつかいという素材はテレビ番組にもなっていて、親も子もドキドキする。お釣りの小銭のあたたかさが、子どもの必死さを伝えている。
二首目。親になるのは簡単だが、優れた親でいることはむつかしい。親が立派すぎるとまた子どもは萎縮してしまうものだ。子どもがいくつになっても、親としてこれでいいんだろうかと悩むことは多い。うちの場合は、もういまは考えないことにしている。幸せに暮らしてほしい。
三首目。古い手紙を捨てるかどうか迷っている作者を、手紙の側から見た作りにしていて面白い。

新聞歌壇を読んでコメントをつけていて、歌の作り方より、内容への共感で選んでしまうことが多い。プロの歌人の歌集を読むと、難解でわからないが、ある種の言語感覚を刺激していて面白いと思わせるものがある。同じ短歌であるのに、フィールドによって、こんなに違うのかと思う。あれもこれも読みながら、自分らしいものが出来るようになれば・・と願っている。

今日の折々のうたでは、蒔田さくら子『サイネリア考』から一首が紹介されていた。
「ゆたゆたと有限(うげん)を無限につなぐ河灰となるべきひとの舟ゆく」
蒔田さんはますます円熟味を増して来られたように思う。次の日曜、新年歌会でお目にかかるのが楽しみだ。