時には辟易し、時には呆れ、時に応援してしまう放送大学。
正直、パーフェクトな大学ではないと思っています。その証拠に、毎回のように単位認定試験の問題はミスをするし、今回のようにシステムが繋がらずやきもきしたり。制度改正を独断でやってしまったり、ちょっと問題になっただけで先生を解任したり。もう好き勝手!
といいながらも、放送大学って、東大とか、慶應とかが20歳の成人だとすると、まだ子供も子供、それっぽっちの歴史しかない大学なのです。そんな、歴史的に子供の大学に、完璧を求めるから「許せない」とか「裏切られた」と言って、放送大学から撤退してしまうわけでして。実に勿体ないというか、大人げないというか・・・
まだ、未熟な大学なのだから、その点割り引いてやらないと「失望」に押しつぶされてしまいます。ましてや、放送大学学園法は「文部科学省」と「総務省」が所管する、歪な法律であり、「大学」といっても、単純に文部科学省が所管しているものとは言い切れない面もある「特殊な大学」なのです。
そういう大学に、「どこまで」「何を」求めるというのでしょう。放送大学の試験を受けてみれば、誰でも「普通の大学とは違う」ということが理解できるはずです。あるいは「レポート」を出す段階で「普通の大学とは違う」ということを理解する学生さんもいるでしょう。ゆえに、「どこまで、自分の生涯学習に活用していくか」がポイントとなります。
「放送大学学園法」に準拠する面は多々ありますが、「放送大学」も「大学」です。無知な輩が何と言おうと、放送大学はディグリー・ミルでもなく、正規の大学なのです。海外にも「同種」というか「類似」の大学があります。
とはいえ、日本の人事採用は特殊性があり、大学の名前や、クラブ活動、ゼミの先輩後輩といった関係性、大学の入学難易度といったものが新卒採用で重視されます。放送大学の弱い面というか、ほとんど培ってこなかった面が就職活動でクローズアップされるわけで、その点で放送大学を活用しようとしても、期待した成果は得られません。
ですので、放送大学の使い方を誤ると、これまた「裏切られた」という結果となってしまいます。そんな使い方を目標として設立されたわけじゃないのだから。あくまでも、放送大学は「大学教育の機会に対する広範な国民の要請にこたえるとともに、大学教育のための放送の普及発達を図ることを目的とする」という放送大学学園法を実現するために、設置された教育機関なのですから。
ということで、私は、今日、多摩学習センターに行って「オープン フォーラム」の12号、13号を購入してきました。なんとなく、見たことのあるので、同じやつを既に購入しているかもしれません。小平にはないので、名古屋宅にあるかも。こういう使い方なら、放送大学も、生涯学習に役立つ、結構、強力な教育機関と思っています。
自分の生涯学習に放送大学を活用する。それが一番、放送大学として活用し甲斐がある有益な方法だと私は認識しており、特段、過度な期待もせず、いい距離感を保っていると感じています。