今朝、出勤する際、ふと思ったことがある。
放送大学大学院って、空手道と似ているな~ってことだ。放送大学ではなく、放送大学大学院。試験もあるし、それなりの方々が合格し、入学しているはずなのだが・・・困ったことに、素人さんが紛れ込む。
学部入学が空手道の「白帯」だとすると、大学院入学は「黒帯」への挑戦ともいえる登竜門である。にもかかわらず、空手道で例えると「猫足やってみろ!」と言われて、わけもわからず立ち尽くす素人が紛れ込んでいるのと一緒である。「四股」がなんとかわかるレベルの初心者が、昇段の際の形である「慈恩」や「抜塞大」をやらされるのと同じ。
無論、そもそもセンスがあったり、努力の鬼だったり、大学院に入る前に学会や、大学でそれなりに練習を積んできたものなら2年間のうちに、昇段試験の形ともいえる「修士論文」を完成させることもできるだろう。しかし、通信制の大学院だと、とてもじゃないが白帯が十分な指導もなく黒帯相当の実力をつけることは非常に困難である。
そして、放送大学大学院と空手道の大きな違いは・・・空手道なら昇段できないようなレベルの演武でも、放送大学大学院なら「B」とか「C」とか評価を下げて通してしまうということだ。そこには通信制大学院の限界が垣間見える。500人もの定員を支えなければならない苦悩ともいえる。それでなくても、放送大学大学院は500人の定員を充足させることができていないのだ。たとえば、平成30年度の合格者について、臨床心理学を除けば、募集人員をクリアしているコースは存在しない。500人の定員に対し、946人も受験しているが合格者は371人しか出していないのだ。臨床心理学だけで404人受験しているのも理由の一因なのだが、これだけ定員割れをしているのであれば、それなりの合格者をだしていいはず・・・にもかかわらず、合格者を出せないのだ。
合格も出せないのに、入学させた学生に対して修了もさせないというわけにはいかない。結果、先ほど言った修士論文の作法や、ルールといったものを理解していなくても、学位を出していかないくなる。そうしないと、次の年の合格者、あるいは次の次の合格者にも影響するし。本来、学位の品質保証を大学院が担うというのであれば、決して合格させてはいけないレベルの成果物であったとしても、先入れ先出し法で修了させないといけないのだ・・・
そう考えていくと、昔の大学院修了者を「黒帯」だとすると、「緑帯」ぐらいで学位が取れるのが、今の大学院の現状。だからこそ、社会人といった二足の草鞋を履いていても、わずか2年で修了できるといえるのかもしれない。