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生涯学習の部屋

資格取得数243。6つの修士と20の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

62キロ台。

2017年03月11日 07時16分40秒 | 単身赴任

そういえば、昨日、体重計に乗ったところ、62.9キロだった。

帰宅して最初にすることが体重(+体脂肪率)の計測。土日を除き、毎日、エクセルシートに記録につけている。東京に帰った際は記録しないのだが、結局、その帰省期間に大きくリバウンドしてしまうのである。先般、東京から帰ってきた際には64.5キロとなっていた。まあ、鳥貴族で飲んだり、中華料理を食べたりしたので太るのも当然である。

といいながら、記録が漏れていないことが前提であるが、名古屋に赴任してから現在に至る398日間で、居酒屋に行って飲み会をしたのは17回である。特に、名古屋で職場の同僚との飲み会は10回のみ。その昔、職場に年間365日中360日アルコール漬けの上司がいたが、それと比べると、なんと健康で文化的な生活でしょう!原則、自宅ではアルコールを飲まないし、飲むと人格が変わるため、これぐらいがちょうどいい(笑)。

体重の増減を見て思うのが、やはり、食生活が変わったということ。その昔、食べ方を誤ると、66キロ、67キロと劇的に増加することがあったが、名古屋に来てからは61.9~65.8キロと誤差の範囲?に納まっている。台所が汚れる炒め物はほとんど食べない。だから、そろそろ名古屋に来てから400日経過しようとしているのに、130mlのごま油を2/3程度しか使いきれていない。

例えば、餃子も「焼く」のではなく「茹でる」。だから、油を使う機会が少なくなる。「揚げ物」が食べたいなら、自宅で作るより、外食するか、出来上がりのものを買ってくる。

なんだか、こんな生活をしていると、逆にもっと痩せそうなものなのだが、食生活における「悪癖」が減量を妨げている。今も打鍵しながら、ポリポリ食べてしまっている・・・「ながら食い」である。「レーズン」「バナナチップ」「甘栗」といったものから、朝食にもなりそうな「シリアル」「ミューズリー」なんかを鷲掴みにして食べてしまっている。現在は、パソコンラックの右にカルビーの「フルグラ」の「おいしさザクザク たっぷり800g」が控えている。これに、バナナチップやレーズンを混ぜて、牛乳もかけずに間食してしまうわけで・・・

バナナチップなんて、100gで542kcalだし、フルグラ自体も50gで221kcalと高カロリーである。この「おいしさザクザク たっぷり800g」が洗面台の下に2袋も格納されている。なんせ、このワンルームマンションは「籠城可能な要塞」であり、何も買わなくても1ヶ月は食べつないでいけるだけの食材がストックされているから。

「籠城可能」といえば聞こえがいいのだが、結局、単身赴任だから、買い物が一つのストレス発散の場になってしまい、食べる以上に買ってしまうだけなのだが(笑)。ありえないことだが、もし、明日転勤となってしまったら、冷凍庫にストックされている長期保存可能な食材が残念な結果となってしまう。冷蔵庫に入っている「もやし」「マイタケ」「エリンギ」「キャベツ」といった野菜類もダメだな・・・要冷蔵の「けんちゃん豆腐」や「ゼリー(ゼロカロリー)」もアウト。「開封していない緑茶2ℓやコカコーラゼロシュガー1.5ℓ×2本は大丈夫だけど、開封済みの飲料はアウトか・・・「缶詰」「インスタントラーメン」「レトルトカレー」は大丈夫。

油抜きの生活もそうだが、「運動らしきこと」もしていることが体重維持に貢献しているのかもしれない。平日は腹筋を150回しているし、毎日かかさず1万歩歩いている。休日も、外出した際は、歩くことを旨としている。

とはいえ、「糖質」を多大に摂取している生活は見直していかないと。。。


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震災から6年・・・

2017年03月11日 06時31分24秒 | ちょっと立ち止まって・・・
今日で震災から6年。

ニュースによると、未だに、12万人にも及ぶ人々が避難生活を送っているそうだ。これらの人々とっては、震災によって人生が滅茶苦茶にされたと言っても過言ではない。その悲愴感と比べれば、私の単身赴任生活なんぞ、悲劇の範疇には入らないだろう。

ニュースによれば復興は遅れているとされる。調べていないので、どれくらい遅れているのかはっきりしたことが言えないのだが、確かに阪神淡路大震災と比べ、東日本大震災の復興は遅々としている感じは否めない。やはり、地震だけでなく、津波が襲い掛かり、加えて、原発という人為的な災害が併発したからではないか。どう考えても、「原発」は余計だったと思えて仕方がない。

私の勝手な思い込みかもしれないが、武蔵野大学大学院で人間学(あるいは仏教学)を学習すると、必ず、「地球を破壊する人間の悪行をどうするか」というテーマを学ぶこととなる。必修科目である「人間学特講」などで、テキストに従って、真剣に課題図書をすべて読めば、必ず触れるテーマである。

そう、我々人間は、絶対にやってはいけない「等価交換」を、何の躊躇もせず行っている。それは「地球環境」を引き換えに「贅沢な生活」を得ているのだ。「自然を破壊することで、人間の住処を確保する」「他の生物を必要以上に殺すことで、食べきれず廃棄するくらいの食材を手に入れる」「地球の空気を汚し工業生産を行うことで、捨てきれないほどの生活財を得る」等々。皆さんの周りにも、地球を犠牲にして作り出した快適な生活環境があふれかえっているだろう。

そして、最も悪質な「おろかな人間の地球への破壊行為」が原発である。結果、チェルノブイリは「死の街」となってしまい、現在の福島も復活できない要因となっている。

「原発」にしろ、「開発」にしろ、すべては、今ある地球を汚すことで、一部の人々が富や贅を得るだけのことである。その一部の人が地球を食い物にすることで、我々の子孫が、いずれ何かしらの被害を被るのである。無論、その一部の人々の手からこぼれ落ちた富が、まわりまわって私自身の利便性に寄与しているかもしれない。しかし、それは未来にペナルティを受けることと比較すれば些少なおこぼれである。

未来に発生するはずだった「原発」にかかるペナルティが、一気に福島で具現化してしまった。「原発は安全です!」と叫んできた原発推進者は、その戯言を、再び、原発のために人生を滅茶苦茶にされた避難民に向かって言えるのか?言えるわけがない。そして、同じ事象が発生しないと約束できるのか?できるわけがない。

素人の私でも、再び原発が暴走するスキームはいくらでも考え付く。「地震」「津波」「隕石」「テロ」「誤操作」「飛行機墜落」「北の国からの人工衛星ともいわれることのあるミサイル」・・・こうやって考えると、原発は人質になってしまうと、人とは違って、救出ができない対象物となってしまう。なんせ、動かせないから。

つい100年ほど前は原発なんてなくても、人々は生活していたのだ。地球の未来と引き換えに、そんなに利便性を求めるのか?本当に必要なのか?と思ってしまうし、大学院でそのような学習もしてきている。

とはいえ、寒さのために暖房をつけ、帰省のために新幹線に乗っている私がこんなことを言う資格はないのかもしれない。だが、やはり、今の贅沢を減らしてでも、地球破壊にストップをかけなければならない時期にきているのではないだろうか?そして、悲劇ともいえる東日本大震災の大きな犠牲は、我々、利便性や快適な生活に溺れている愚民に対する、地球からの警鐘ではないだろうか。
コメント (3)
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