放送大学から望む独立行政法人大学評価・学位授与機構。
本日が平成24年度4月期申請の書類提出期限となっている、まだ4時間ほどあるので、未提出の方にはがんばって本日中に郵便局へ提出して欲しいと思っています。
私の持論として「生涯学習とは苦しいものだ」という観念があります。楽して成果を求めることは、どうも性分に合いません。「学問に王道なし」という言葉が大好きです(笑)。一度辛い目にあわないと、辛さというものがわからない。一度地獄を見てこないことには、地獄を語ることはできない。それと同じで、苦しみを感じることで、他者の苦しみが初めて理解できるのです。
学習が辛く、挫折する人も多いのですが、それを一方的にけなすことは私にはできません。私も何度となく挫折してきた部類の人間だから。辛い時は辛いと言っていいし、辛さに泣いてもかまわないのです。それで、辛さを乗り越えることができるのなら。あるいは、命が危険であったり、精神的に参ってしまうくらいなら、潔い撤収もありだと思っています。
しかし、大嫌いなのが「出来ないことを当然」と思ったり、「出来ないままでいい」と安住してしまうこと。あるいは、がんばって成果を挙げた人をけなしたり、努力の大小を比較したりすることは、本当に虫唾が走るくらい嫌悪してしまいます。
生涯学習はそれ自体、非常に正直なものです。がんばった分、あるいは苦しんだ分、もしくは悩んだ分だけ、自分自身を成長させてくれます。無論、資格や学位を取得することが目標であれば、取得しない限り、目標は常に未達であり、「がんばったんだから不合格でもいいのだ」という結論は言い訳でしかなく、成果はゼロとなります。それは、目標設定が「合格」だからです。目標に対する成果は「合格」しかありえないのですから。
だが、目標を「生涯学習のため」と考えるのなら、一歩でも前進すれば目標が一歩分達成されているのです。例え1ページの読書であったとしても、1ページ分前進しているのです。結果が「不合格」であったとしても、それはたまたま運がなかっただけ、あるいは、達成度が低かっただけに過ぎません。楽な方に行かなかった分、自分自身の成長は大きかったといえるでしょう。
私の生涯学習は、私自身に課した誓いの鎖であり、先達に対する畏敬と、人間に生まれた業により構成されています。故に、「易い道」と「難い道」があった場合、可能な限り「難い道」を選択するようにしています。
「艱難汝を玉にす」ということわざの通り。生涯学習は、できる限り、「艱難」な方を選んでいます。
振り返れば、機構のレポートも、10ページでよいところを10ページで終わったケースは皆無です。出来る限り、17ページギリギリまで書いて、そして、その結果を機構に奉納したい。とはいえ、書くのは一瞬。書くまでの課程が、それこそ数年かかっているのですが(笑)。
早ければ1日でレポートを書き上げているため「嘘つき」といわれてしまいそうですが、そのレポートのテーマを数年前から概ね決定し、そのためのキーワード科目(今年度からなくなりましたが・・・)になりそうな講座を履修し、単位を固めておかなければなりません。そして、関係する本を買い集めておきます。高くて、あるいは入手困難で買えない本は図書館で借りて、参考となりそうな部分をコピーしておきます。章立てはあらかじめ荒削りで作成しておき、自分自身を追い込むことで精神を研ぎ澄まし、モチベーションを高めきったところで、一気呵成に書き上げます。そう、書けるような精神状態になったときは、勝手に指が打鍵していくだけなのです。
ちょいと思い出話を語ってしまいました。今回、機構の学位を目指す方々が、無事、学位記を取得されることを祈念しております。
本日が平成24年度4月期申請の書類提出期限となっている、まだ4時間ほどあるので、未提出の方にはがんばって本日中に郵便局へ提出して欲しいと思っています。
私の持論として「生涯学習とは苦しいものだ」という観念があります。楽して成果を求めることは、どうも性分に合いません。「学問に王道なし」という言葉が大好きです(笑)。一度辛い目にあわないと、辛さというものがわからない。一度地獄を見てこないことには、地獄を語ることはできない。それと同じで、苦しみを感じることで、他者の苦しみが初めて理解できるのです。
学習が辛く、挫折する人も多いのですが、それを一方的にけなすことは私にはできません。私も何度となく挫折してきた部類の人間だから。辛い時は辛いと言っていいし、辛さに泣いてもかまわないのです。それで、辛さを乗り越えることができるのなら。あるいは、命が危険であったり、精神的に参ってしまうくらいなら、潔い撤収もありだと思っています。
しかし、大嫌いなのが「出来ないことを当然」と思ったり、「出来ないままでいい」と安住してしまうこと。あるいは、がんばって成果を挙げた人をけなしたり、努力の大小を比較したりすることは、本当に虫唾が走るくらい嫌悪してしまいます。
生涯学習はそれ自体、非常に正直なものです。がんばった分、あるいは苦しんだ分、もしくは悩んだ分だけ、自分自身を成長させてくれます。無論、資格や学位を取得することが目標であれば、取得しない限り、目標は常に未達であり、「がんばったんだから不合格でもいいのだ」という結論は言い訳でしかなく、成果はゼロとなります。それは、目標設定が「合格」だからです。目標に対する成果は「合格」しかありえないのですから。
だが、目標を「生涯学習のため」と考えるのなら、一歩でも前進すれば目標が一歩分達成されているのです。例え1ページの読書であったとしても、1ページ分前進しているのです。結果が「不合格」であったとしても、それはたまたま運がなかっただけ、あるいは、達成度が低かっただけに過ぎません。楽な方に行かなかった分、自分自身の成長は大きかったといえるでしょう。
私の生涯学習は、私自身に課した誓いの鎖であり、先達に対する畏敬と、人間に生まれた業により構成されています。故に、「易い道」と「難い道」があった場合、可能な限り「難い道」を選択するようにしています。
「艱難汝を玉にす」ということわざの通り。生涯学習は、できる限り、「艱難」な方を選んでいます。
振り返れば、機構のレポートも、10ページでよいところを10ページで終わったケースは皆無です。出来る限り、17ページギリギリまで書いて、そして、その結果を機構に奉納したい。とはいえ、書くのは一瞬。書くまでの課程が、それこそ数年かかっているのですが(笑)。
早ければ1日でレポートを書き上げているため「嘘つき」といわれてしまいそうですが、そのレポートのテーマを数年前から概ね決定し、そのためのキーワード科目(今年度からなくなりましたが・・・)になりそうな講座を履修し、単位を固めておかなければなりません。そして、関係する本を買い集めておきます。高くて、あるいは入手困難で買えない本は図書館で借りて、参考となりそうな部分をコピーしておきます。章立てはあらかじめ荒削りで作成しておき、自分自身を追い込むことで精神を研ぎ澄まし、モチベーションを高めきったところで、一気呵成に書き上げます。そう、書けるような精神状態になったときは、勝手に指が打鍵していくだけなのです。
ちょいと思い出話を語ってしまいました。今回、機構の学位を目指す方々が、無事、学位記を取得されることを祈念しております。