今回は自分にとっては節目の記念レース。足かけ9年、11レース連続で達成できているサブ4を達成すべく、それなりの準備を重ねてきた。が、今回は残念な結果となってしまった。ようやく、振り返ることができるので備忘を兼ねて、当日の記録を残しておきたい。
前夜に早く寝すぎたためか、4時半過ぎに目が覚めて、前夜にコンビニで購入したおにぎり(2個)、ゆで卵、みそ汁、サラダを食す。(今考えると、ちょっとエネルギー補充が足りなかったかな?)今回は長野でのホテル探しの手間を省くために、宿泊付きプランを申し込んだので、ホテルから会場までバスの送迎サービス付き。これはとっても楽ちんでありがたい。6時半にホテル前を出発し、バス車内でおにぎりをもう1個食べて、20分ちょっとで会場に到着。レース開始1時間半前の到着という私としては異例の早い起動。
スタート会場の運動公園がかなり大掛かりな工事中で、前回まで着替え会場だった体育館は取り壊されていて、隣接の陸上競技場や野球場が着替え場所になっていた。私はホテルで着替え済なので、トイレを済ませると軽くストレッチ。曇り空だが、湿気はそれなりにあって、生暖かい感じである。太陽が出てないのはありがたい。
8時過ぎからランナーたちがスタートエリアに集まり始め、ゲストの高橋尚子さん(Qちゃん)のリードで軽い体操。8時過ぎで気温はすでに19℃とのこと。これで太陽が出ると、相当きついなあ。
8時半スタート。今回は、ランニング中の写真撮影は控えて、走りに専念するつもり。大勢のランナーたちに交じって、スタート台のQちゃんや沿道の多くの人からの「いってらっしゃい~」に手を振りながら走り始める。大会ならではのスタートの雰囲気がとっても好きだ。
まずはペースをしっかり作ることに専念。1キロでラップが5分40秒、まずまずの出だし。いつも沿道の距離表示とスマートウオッチGarminの距離表示がずれるのが気なるのだが、1キロ時点ではほぼ正確でほっとした。が、2キロ地点では早くも100m程度のギャップがあって、かなりがっかり。
2キロ地点で汗が出ているのがわかる。あまり汗かかない体質なので、今日の気温の高さがわかる。これは水分補給と体を冷やすことが大事になってくると思い、ポケットに入れていたタオルを取り出し首に巻いた。Garminの心拍数を見ると125~130レベル。最初にしては高い。ペースが早いのかな。確かに、2キロ以降のキロラップは5分20秒前後を刻み続けていた。目安は5分30~40秒なので確かに早い。ペース落としたいところだが、まあ気持ちよく走れてるから、このまま行っちゃえ。
沿道の応援は途切れることがない。地域の子供のダンスチーム、少年野球チームや高校野球部の一団、祭り太鼓隊、ブラスバンドなど様々な応援団も背中を押してくれる。とりわけ、善光寺の参道はいつも通りすごい声援だ。今回は正直、記録第一を意識しているので、あまり応援にキョロキョロすることなく足元や前を見ていたが、音だけでも一杯の力がもらえる。
20キロ地点で1時間47分台。ちょっと早いペースかと思っていたが、さほどでもない。後半のバテを想定すると、いつもながら最後の10キロ勝負であることは明らかだ。最後まで体力持つか、不安が頭をよぎる。
五輪大橋の緩やかな上りと下り、そして橋を渡ってからの緩やかで長い上りが結構堪える。ハーフ過ぎたエイドでエネルギーゼリーの配ってくれたのでありがたい。直ぐには摂取せず、30キロ地点で飲むつもり。
25キロ過ぎると、ペースが少しづつ落ちてきてキロ5分30秒を上回り40秒前後で推移し始めた。心拍数も140ゾーンに突入する。明確に疲れが出てくる。あと15キロ、どこまで持つか。時折太陽も出て、気温もさらに上がっている。汗が目に入る。
そして、今回の最大のアクシデントが29キロ地点で発生。ちょうど、農道の小さなアップダウンを走っている際に、下り部分で何かにつまずき、激しく転倒。ちょうど2月前の皇居ランで転んだパターンと全く同じだ、ひと月医者に通ってようやく新しい皮膚が組成された膝頭下部のランニングタイツが破れ血にまみれている。
沿道で声援を送ってくれていた人が、「大丈夫ですか」と倒れて動けなくなっていた私を起こしてくれる。私は何が起こったのかも分からないほど呆然としながら、「またやっちまったぜ」と後悔の念だけが湧き出る。転んだ際にウエストポーチからスマフォが飛び出して転がっていたのを、その方が拾っていただいた。ただ、ここで時間をつぶしている余裕はないので、傷の具合も確かめず、お礼だけ申し上げて、再び走り始めた。
だが、累積した疲労とともに、転倒で痛めた足と肩部分、そして気持ちの緊張の糸が途切れたのか走れない。転倒でのロスタイムは2,3分なので、前のペースを維持できればまだサブ4可能と自分に言い聞かせるが、体がいうことを聞かなかった。
30キロ地点でQちゃんがハイタッチでランナーを励ましてくれる。これで一瞬元気がでたが33キロ過ぎてからはペースも6分を超えるようになって、完全にサブ4の可能性は途絶えた。最後の5キロは、歩きも交じって7分台、8分台のペースまで落ちて、情けなくて涙目。土手に咲く菜の花や畑の桃の花の美しさだけが救いだった。
結局、4時間10分台でフィニッシュ。そのまま救急テントに駆け込み手当てを受けた。15年ぐらい前にアムステルダムマラソンでの転倒、負傷以来のテント手当である。「結構深く傷ついているので、明日でいいので医者に行ってください」とのアドバイスを受ける。完走メダルやタオルも受け取るが、達成感全くなく敗北感が残る無念のレースであった。
ただ、転倒がきっかけではあったが、転倒なければサブ4達成できたかというとかなり怪しい。前半はパーフェクトだったが、転倒直前の状況考えると、残り10キロをどう走れていたかは全くの未知数だ。
この日は落ち込みっぱなしだったが、翌朝からリベンジに向けてどうするのかを考え始めた。答えはまだない。
2025年4月25日 記