ここ数年で落語を聞くようになったので、落語とは切っても切れない縁の吉原。郭町としての吉原関連の美術品や史料を集めて展示した企画展「大吉原展」に行ってきた。ジェンダーや人権の観点から開催前から批判もあった本展であるが、江戸時代の特殊な風俗空間における光と影への理解が深まり、勉強になった。無事開催されて何より。
菱川師宣、歌麿、北斎、広重らの絵画や錦絵、写真、油絵、工芸品、出版物などなど、様々な作品や史料が展示される。吉原の歴史、街並み、関係者、風俗が理解できる優れた文化展である。人権やジェンダー的に問題があった制度ということは認識した上で、日本の近世における社会風俗の一つのリアルとして非常に興味深かった。文化の発信地であり遊郭としての異世界。遊女たちの格付けや昇進、客と店のお作法や流儀、町を盛り上げる年中行事(これはディズニーランド世界にも通じると感じた)など、一つのシステムが成り立っていた。そんな世界の史料を保存し、分析して、残すことは、意味あることだと思った。
幕末期に日本を訪れた外国人が吉原の花魁たちを見て、「娼館の娼婦たちがこれほどまにリスペクトされている日本とはどんなところ!」と驚いたというエピソードが紹介されていた。花魁に昇格するには、文字の読み書きから、和文・漢文、短歌、俳句、唄、三味線、茶、舞・・・など様々な知識や実技に秀でていることが求められたというから、一流の教養人であったわけだ。ファッション、浮世絵、唄、出版など、文化の発信地でもあった。
一方で、多くの遊女たちが経済的にも身体的にも縛られた自由を奪われた、劣悪な生活をせざるを得なかったこと。性病を始めとしたさまざまな病気で健康を害していたこと。環境からの脱出を企てた放火が絶えなかったことなど、心痛む内容も多い。そういった中で、唯一のスマフォ撮影許可エリアで、吉原の妓楼のジオラマがあったのだが、その人形を作成した辻村寿三郎氏のコメントが掲示してあったのが胸を打った。(Xのフォロワー様が写真をアップしてくれていたので、そのコメントを下に書き起こした)
連休の谷間であったが、バックを預ける空きのコインロッカーを見つけるのに苦労したほど、混みあっていた。ぱっと見だが女性観覧者が8割近くで、通常の美術展以上に多いような気がした。今月19日までなので、少しでも興味のある方は是非。
(以下、「江戸風俗人形」ジオラマの解説パネルから引用)
吉原
華の吉原仲の町。
悲しい女たちの住む館ではあるのだけど、それを悲しく作るには、
あまりにも彼女達に惨い。
女達にその苦しみを忘れてもらいたくて、絢爛に楽しくしてやるのが、
彼女たちのはなむけになるだろう。
男達ではなく、女達だけに楽しんでもらいたい。
復元ではなく、江戸の女達の心意気である。
女の艶やかさの誇りなのだ。
後にも先にも、この狂乱な文化はないだろう。
人間は、悲しみや苦しみにも、華やかにその花を咲かせることが出来るのだから、
ひとの生命とは、尊いものである。
私は、置屋の料理屋で生まれ育ったので、こうした吉原の女達への思い入れが、
ひとより深いのかもしれない。
辛いこと、悲しいこと、苦しいこと、冷酷なようだけど、それらに耐えて活きてい
るひと達の、なんと美しいことだろう。
ひとの道に生まれてきて、貧しくも、裕福でいても、美しく活きる姿を見せてこそ、
生まれて来たことへの、感謝であり、また人間としてのあかしでもあるのです。
艶めいて、鎮魂の饗宴のさかもりは、先ず、吉原の女達から・・・・・・・・。
(『ジュサブロー展』図録 作品解説、1992年より)