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その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

北ウエールズ旅行 (2/3) カナ-ヴォン城

2011-07-20 21:27:41 | 旅行 海外
 コンヴィ(コンウィ)からローカルバスでカナ-ヴォンへ向かいます。途中、バンガー(バンゴール)という北ウエールズでは一番大きな町を経由して、1時間ほどでカナ-ヴォンへ到着します。バスの車窓からの海が美しいです。



 カナーヴォンもコンヴィ同様に城壁に囲まれた町です。城壁そのものはコンヴィよりも更に短いので、端から端まで歩いても5分ぐらいなのですが、街自体は城壁の外側にも広がっているので、町の規模としてはコンヴィよりも大きいです。城壁内の旧市街は石畳の街並みにパブやレストランが並んでいて、中世と現代が混ざったような不思議な空間です。

(城門になります)
 



【カナーヴォン城】
 エドワード1世の建てた城の中では一番立派があるのが、このカナーヴォン城らしいです。世界遺産でもありますし、現チャールズ皇太子がPrince of Walesとして戴冠式(?)を挙げた[称号を受けた]のもこのお城です。城の規模もコンヴィ城よりも一回り大きい感じ。



 

 城内はコンヴィ城よりも展示が充実しています。エドワード1世の一生を解説したパネルやカナーヴォン城の古代ローマ人支配の時から今日に至るまでの歩みを映像化したミニシアターなどがあって楽しめます。

 幸い天気も良くなり、城の塔から眺める町の風景やメナイ海峡の眺めは、気持ちをゆったりさせるには最適でした。

(スノードニアの山々)
 

(城からメナイ海峡を臨む)


 城の隣にあるパブで一服して、B&Bにチェックインしました。初日としては上々の一日でした。

 2011.7.16

北ウエールズ旅行(1/3) コンヴィ城

2011-07-18 21:56:56 | 旅行 海外
 週末を利用して北ウエールズを旅行しました。過去にウエールズの首都カーディフには行ったことがあるのですが(その①→その②→)、職場のウエールズ人と話すと、皆「カーディフはウエールズじゃない」と言うので、「それなら」ということでウールズ人お薦めの北ウエールズに足を運ぶ事になった次第です。

 初日は、ウエールズを征服したエドワード1世(1239-1307)がウエールズに築城したアイアン・リングと呼ばれる8つの城のうち、世界遺産にもなっているコンヴィ城とカナーヴォン城を訪れました。

【コンヴィ城】
 行き方は、ロンドン・ユーストン駅からVirgin Trainに乗って、途中、Chesterでローカル線に乗り換えます。所要時間は乗り換えの待ち合わせ時間にもよりますが、合わせて3時間20分程。Virgin Trainはコンヴィには停まらないので、手前でローカル線に乗り換える必要があります。

(車窓から見るアイリッシュ海)


(コンヴィ駅到着)
 

 コンヴィは城壁に囲まれた小さな街です。全長1.2kmの城壁の中にすっぽり街がはまっている感じです。シーフード店とかパブ、小物を売るお店とかがまとまって並んでいて廻りやすく、ライ(こちら→)のような感じの良い街です。

(街の様子)
 

 城は駅から歩いて10分弱(真っすぐ歩けばきっと5分ぐらい)ぐらいのところにあります。ウインザー城、ロンドン塔、エジンバラ城、カーディフ城とかと比較すると、こじんまりした小さい城です。しかし、川べりに建った城は隣に並んだ吊り橋と組み合わされて美しい景観をつくっています。中に入って、塔に上っても、右手にコンヴィの街並み、左手に河口に浮かぶボートが見え、とても気持ちがいいです。私が、遺跡とか古城が好きなのは、その人の想像力次第で自由に楽しめるところにあります。この日は、晴れ間が出たと思ったら、あっという間に雨が降って来たりの典型的なイギリスの天候だったのですが、エドワード1世が築城した頃もこんな天気だったのだろうかとか、石を積み上げて出来た城内を歩いていると、当時のイングランド兵がふっと現れてくるような気になったりで面白いです。

(コンヴィ城から街を見下ろす)
 

(城内の様子)
 

 

 城の中には、さほどの展示物もないので、見学には1時間もあれば十分です。城を出て、今度は街を取り囲む城壁の上を歩きました。壁づたいに街を周回できるようになっています(鉄道駅のところは一旦降りる必要あり)。これが、なかなか面白くて、小さなコンヴィの街を壁の上からいろんな角度で楽しむことができます。丁度、城と対角線上のところは丁度小高い丘になっていて、そこから望む城姿は、なかなかの眺めです。

 



 一通り歩くと、お腹も減るので食事に。メインストリートには、海辺の町だけあって、シーフードのお店が幾つかあります。同僚のウエールズ人は、「ウエールズに行ったらフィッシュ&チップス」と言うので、あえてフィッシュ&チップスのお店に入りました。これが、お世辞抜きで美味しかった。軽く揚げてあるのですが、衣がかさっとしていて、べたつきません。上等の天ぷらを頂いている感じです。衣の中のタラも身がしっかりしていて、凄く新鮮であることが食感でわかります。明らかに、ロンドンのパブでは食べたことのないフィッシュ&チップスで感動してしまいました。フィッシュ&チップス£6.8也。

 

 次は、バスに乗ってカナーヴォンへ向かいます。

 2011年7月16日


週末旅行 ボローニャ 2日目雑記

2011-07-03 21:56:30 | 旅行 海外

2日目

何もしない一日。
朝、ご飯食べて、スカイプで娘の英語サポート。少し外出して、ボローニャ大学の解剖し津なるところに行ったら日曜は休みだった。近くの考古学博物館に行く。帰りノバスであやうくスリにあう。

 



お昼は駅前のカフェでマルガリータ。昼寝して、オペラへ。


ボローニャ歌劇場はopera年間5本バレエ3本しかやってない。お金がない感じ。地元のおばさん、おばあさんが多く、開演前はうるさいぐらいおしゃべりに花が咲いている。

 

 

歌手ががらっと変わる。今日の方がAチーム。チェネントラは昨日よりスリムにはなったが、おばさんで声が昨日より乾いたキンキンシタ声で私は明らかに昨日のが好み。王子は逆で今日の方が潤いのある柔らかいテノールで素晴らしい。従者は昨日は東洋人だったが今日は見るからにラテン系。どっちもレベル高い。お父さんも違うが今日の勝ち。相変わらず演出は意図不明で、かなり最悪。

 

今まで見たチェルネントラはどれもお姉さん役が存在感があって良かったのだが、今回は若いのはいいが、歌はいまいちで存在感は今一つ。だが、うち一人は演技でかなりいい味を出していた。とっても美人なのだが、意地悪なお姉さんを表情豊かに作っていたし、あの下着姿は正直見とれてしまった。真っ白な肌で、ふくよかだが、腹に全く贅肉がついてない。ネットで検索してもあんまり出てこないので、これからの若手なのだろう。



出待ちをしたがそのお姉さんは現れず。チェルネントラ役はやっぱりおばさんだった。楽員は結構みんな自転車とかに乗ってくる。

帰りは道端のレストランでサラダとチーズをパスタで包んだものを食べた。旨い。
 


帰り道を散歩。夕陽に照らされるイタリアは、夕日と赤レンガがマッチして、本当に美しい。
 

 


博物館 4
昼 15
夜 25
オペラ 85
バス 10
ビール 3
ホテル 107
飛行機 66

翌日、朝一番の飛行機で、ロンドンに帰る。5:30飛行場行きのバスに乗るが、飛行場思いのほか混んでいて、7:10の飛行機に乗れるかあせった。


10 giugno 2011 - 21 giugno 2011
LA CENERENTOLA
Gioachino Rossini
Melodramma giocoso in due atti Libretto di Jacopo Ferretti

Interpreti

Don Ramiro

Michael Spyres (10,14,16,19,21 giugno)


Enea Scala (12,15,18 giugno)


Dandini
Simone Alberghini (10,14,16,19,21 giugno)
Eugene Chan (12,15,18 giugno)

Don Magnifico
Paolo Bordogna (10,14,16,19,21 giugno)
Marco Filippo Romano (12,15,18 giugno)

Clorinda
Zuzana Marková

Tisbe
Giuseppina Bridelli

Alidoro
Lorenzo Regazzo (10,14,16,18,19 giugno)
Luca Tittoto (12,15,21 giugno)

Angelina, detta Cenerentola
Laura Polverelli (10,14,16,19 giugno)
Chiara Amarù (12,15,18, 21 giugno)


Direttore
Michele Mariotti

Regia
Daniele Abbado

Regista collaboratore
Boris Stetka

Scene
Gianni Carluccio

Costumi
Giada Palloni

Luci
Guido Levi

Luci riprese da
Alessandro Carletti

Movimenti coreografici
Alessandra Sini

Assistente alle scene
Sebastiana di Gesu

Maestro del Coro
Lorenzo Fratini


Orchestra e Coro del Teatro Comunale di Bologna
Tecnici del Teatro Comunale di Bologna

Allestimento Fondazione Petruzzelli di Bari in coproduzione con I Teatri di Reggio Emilia e in collaborazione con Opéra de Nice


週末 ボローニャ旅行 1日目雑記

2011-07-03 21:56:24 | 旅行 海外

ボローニャ歌劇場でオペラ見たさに、ボローニャへ。食の街と言うのも楽しみの一つ。

想像以上に大きな町。立派な都会。フィレンチェとかヴェネティアが歴史で食べている印象があるのに対してボローニャは現在と過去がうまく調和しいていて、今の活気を感じる町だ。若い人も多い。歴史的建物やオレンジ色の壁や屋根の色彩はこれぞイタリア。イタリアのイメージが一番ぴったりとはまる町だ。

最初に入ったのはフェアのテント食堂。赤ワインを頼んだら、赤ワインの炭酸ジュースのようなものが一瓶出てきて驚いた。ラザニアと生ハムのセッとを食べる。美味しかったがハムはバルセロナの方が旨い。

町のへそのxxx広場に向かって歩き始める。人や車、自転車が多く行き交い、ちょっと町の活気に負けそうな感じ。ヴェローナのようなまったりの雰囲気を想像していたので全然外れた。のんびりするつもりだったのに、結構疲れる。

 

疲れるのは暑いせいもある。思い出したが夏のイタリアは暑いのだ。暑いと歩いているだけで疲れるということを忘れていた。夏のイタリアは避けるべし。


斜塔の長い方に492段の階段を上る。煉瓦色の屋根が一面に広がる様は壮観。でもこの手の風景はむしろ見慣れた感じ。いかんな、感受性がだんだん鈍くなってきたのか。
 

 

 

 


夜のイベントを探していたが録なのがない。歩いていてら歌劇場の近くまで来たので、寄ってみたら当日券が25ユーロだったので買ってしまった。同じような席が90ユーロしたのにどういう訳か?

オペラまで1時間半ほどあったので、近くの国立美術館に足を運ぶ。近代以前の主にボローニャ出身の画家の作品を展示。落ち着いていてよかった。ラファエロが2枚あった。

 

ボローニャ歌劇場 チェネントラ

  

といきなり幕が上がるなり、がっかり。このシンデレラは何だ?!ちびでデブで。これからの3時間どうすりゃいいんだ!とおもってしまったのだが、私の早とちりだった。歌声にびっくり。滑らかで、優しく、しっとりしたソプラノは聴いていてうっとりするもので、素晴らしい声だった。最初から最後まで彼女の声に魅せられた舞台だった。

他の歌手陣もレベルが高かった。スーパーではないが、一様に高いレベルで嬉しい。

オケもいい。指揮は若い人だったが、ピッチのコントロールが良く、楽しい音楽で盛り上げた。文句ない。

 

現代風の演出が不明。グレーの地下室のような設定は何のか?途中でやたらと服を脱いで下着姿になったりするし、全く面白味がない。(もっともお姉さん役の長身の女性はすごいポロポーションだったが)

ボローニャ歌劇場のお客さんは、おばあさんが多い。開場が15分前。休憩が21分。あまりオペラ以外の楽しみがない。ホールは白を基調にした落ち着いた色合いと装飾は好み。ロイヤルオペラと比べてもずいぶん小さい。

 

 

オペラハウス ☆☆☆☆
公演 ☆☆☆☆

(夕食)
オペラハウス近くのビストロ
 


10 giugno 2011 - 21 giugno 2011
LA CENERENTOLA
Gioachino Rossini
Melodramma giocoso in due atti Libretto di Jacopo Ferretti

Interpreti

Don Ramiro

Michael Spyres (10,14,16,19,21 giugno)


Enea Scala (12,15,18 giugno)


Dandini
Simone Alberghini (10,14,16,19,21 giugno)
Eugene Chan (12,15,18 giugno)

Don Magnifico
Paolo Bordogna (10,14,16,19,21 giugno)
Marco Filippo Romano (12,15,18 giugno)

Clorinda
Zuzana Marková

Tisbe
Giuseppina Bridelli

Alidoro
Lorenzo Regazzo (10,14,16,18,19 giugno)
Luca Tittoto (12,15,21 giugno)

Angelina, detta Cenerentola
Laura Polverelli (10,14,16,19 giugno)
Chiara Amarù (12,15,18, 21 giugno)


Direttore
Michele Mariotti

Regia
Daniele Abbado

Regista collaboratore
Boris Stetka

Scene
Gianni Carluccio

Costumi
Giada Palloni

Luci
Guido Levi

Luci riprese da
Alessandro Carletti

Movimenti coreografici
Alessandra Sini

Assistente alle scene
Sebastiana di Gesu

Maestro del Coro
Lorenzo Fratini


Orchestra e Coro del Teatro Comunale di Bologna
Tecnici del Teatro Comunale di Bologna

Allestimento Fondazione Petruzzelli di Bari in coproduzione con I Teatri di Reggio Emilia e in collaborazione con Opéra de Nice


ベルリン・ハンブルグ訪問記 (その4)

2011-06-18 00:41:53 | 旅行 海外
 今回のハンブルグ訪問の一番の目玉は、ハンブルグから1時間ちょっとで行けるナチス時代のノイエンガンメ強制収容所を訪ねることでした。我ながらもの好きと思いますが、4月にアウシュビッツを訪れて、その生の歴史遺産が放つ強い力に魅せられ、別の強制収容所も見てみたいと思っていました。

 ハンブルグの中央駅から電車(Sバーンの21番)で20分程乗り、Bergedorf駅で下車、そこからバスで更に40分程乗ります。このバスルートは、予期せぬ美しい田園風景でした。

 その田園風景のど真ん中に、ノイエンガンメ強制収容所があります。ノイエンガンメ強制収容所はアウシュビッツのような絶滅収容所とは異なり、ドイツ軍占領地域からの捕虜、政治犯、思想犯などを収容し、強制労働に駆り立てていた収容所です。ガイドブックによると、1938年に創設され、男女合計21万名もの人が収容されました。そして、42900名もの人がここで亡くなっています。

(収容所入口とその反対側)
 

 戦後は2006年まで収容所の跡地の一部が刑務所として使われていたということもあり、アウシュビッツのように当時のものがそのまま残っているというわけではありません。それでも、博物館の展示史料、ブロック製造に使われていた工場、記念碑などを訪ね歩くのは、当時を偲ばせるに十分のものがあります。

(収容所バラックの跡地)


(収容所の中央にある博物館)
 

(収容者が記憶をもとに描いた当時の様子)
  

(ブロック工場)
  

 この旧収容所跡地を旧収容所としてこのように公開するのには、ハンブルグでも多くの議論があったようです。刑務所の隣接地に細々と記念碑を建てることから始まって、今のような形で一般公開できるようになったのは2007年から。歴史を冷静に振り返ることができるようになるには、それだけの時間がかかったということでしょうか。

(亡くなった人の碑)


(慰霊碑)
 

(収容者を運んだ貨物)


 先月のアウシュビッツの訪問の時もそうでしたが、この日も快晴。ピクニックに来たと言っていいぐらいの穏やかでのんびりした風景の中に身を置くと、つい70年前にこの地で悲惨なことが行われていたとは信じがたいものがありました。敷地はとても広いので、ブラブラ見ているだけであっという間に3時間たってしまいました。アウシュビッツと違って、見学者も高校生の社会科見学と思われる一団が賑やかに見学しているほかは、一般の見学客はたまに見かける程度です。そんな中、結局、4時間近く見学し、ハンブルグに戻りました。



 2011年5月30日 訪問

※ノイエンガンメ強制収容所訪問にあたっては、SATO TOMOKOさんのブログがとっても参考になりました。この場を借りて、お礼申し上げます。いろんな収容所巡りをされています。(→こちら

ベルリン・ハンブルグ訪問記 (その3)

2011-06-15 23:27:47 | 旅行 海外
翌日、ベルリンからドイツ第2の都市ハンブルグへ。特急列車で1時間40分で着いてしまいます。

(格好いい列車と快適な車内)
 

(ハンブルグ中央駅)


 ハンブルグの主目的は次回に譲るとして、当日は街歩きを楽しみました。ハンブルグは北ドイツの港町ですので、これまで訪れたどのドイツの町とも雰囲気が違っていました。一般的にドイツの町は、緑が多く、人が少なくゆったりした空気が流れている気がするのですが、ハンブルグは、人が多く活気があり、港街ならではの開放的な雰囲気で、如何にも都会です。

(市庁舎と街を流れる運河)
市庁舎兼州議会議事堂です。とにかく大きい。




(ハンブルグ港)
河川港ですが、桟橋沿いに遊歩道があり、ぶらつくだけで楽しいところです。
 

【ハンブルグ市立美術館】
中世から現代に至るまでのドイツ絵画を初めとした西欧絵画が展示してあります。非常に充実した展示で、楽しめました。
 

 

2011年5月29日






ベルリン・ハンブルグ訪問記 (その2)

2011-06-12 04:38:46 | 旅行 海外
 ベルリンは他の欧州諸国の首都と異なり、中世の街並みや王政時代の王宮があるわけではない、とっても近代的な街並みであるところが、むしろ東京に似ている気がします。しかし、東京と大いに異なるのが、人口密度の低さと緑の多さ。そのため、街全体がとってゆったりしていて、大らかな空気が漂っていて、私はこのベルリンの雰囲気がとても好きです。

(ポツダム広場横にあるソニープラザ内)
 

(ちょっと、お昼休憩)


【ユダヤ博物館】
 美術館・博物館訪問の最後は、ユダヤ博物館に足を運びました。ベルリンの中心部からは南に行った地下鉄の1番もしくは6番のHalleschesTorから歩いて7分程です。



 紀元前にローマ人の侵攻に伴って、ユダヤ人がドイツに住むようになってから現在に至るまでの、ドイツのユダヤ人の生活や文化を中心にした展示です。大まかな時代区分に沿って、その時代・時代のテーマを設定して展示がまとめてあるのでとても分かりやすいです。細かく展示を追っていくと相当の情報量がありますが、時間の関係もあり、なぞる程度の見学で済ませました。それでも1時間半はたっぷりかかります。

 

(ユダヤ人作家たち)


 ひとつの民族で博物館ができてしまうということに驚きます。生まれながらにして日本人としてしか民族の自意識がない自分には、ユダヤ人のメンタリティを理解するのは正直かなり難しいです。 古代からずっと差別をされつつも、金融界では絶大な影響力を持ち、文化・芸術分野でも数多くの偉人・賢人を輩出したこの民族は、本当に不思議です。ユダヤ人がこの博物館を訪れる時、またユダヤ人でないドイツ人がこの博物館を訪れると、どんな感想を持つのでしょうか?私には、そこまで想像力が及ばないことを考えると、厚く、高い壁を感じました。

 2011年5月28日

ベルリン/ハンブルグ訪問記 (その1)

2011-06-11 10:18:57 | 旅行 海外
 2週間前の連休にドイツのベルリン、ハンブルグを駆け足で訪れたので、その備忘録を残しておきたいと思います。ベルリンは2年前にベルリンフィルを聴きに来ましたので、今回が2回目です。前回、時間の関係で廻れなかったペルガモン博物館を初めとしたいくつかの博物館・美術館にどうしても行っておきたかったのです。

【ペルガモン博物館】



 スケールの大きさが想像以上で、本物の迫力が見るものを圧倒します。入場していきなり現れるペルガモンのゼウスの大祭壇(紀元前180~159)は、古代ギリシャのペルガモン(現トルコ)で発掘された遺跡がそのまま再現されています。まるごと展示してある壮大なスケールは大英博物館を凌ぐほどです。

(ゼウスの大祭壇)


 

 この他にも「ミレトスの市場門」や古代バビロニアの「イシュタール門」などの展示は、本物ならではの無言のオーラが漂っています。私は、特に「イシュタール門」の青い色のレンガに魅かれ、しばし立ちすくんでしまいました。あまりの美しさに溜息がでます。

(ミレトスの市場門)


(イシュタール門)


 

【絵画館】
 続いて、ベルリンフィルの本拠地フィルハーモニーの奥にある絵画館へ。




 イタリア、オランダ、ドイツものの近代以前の絵画を中心に非常に充実した展示です。ボッティチェッリ、ホルバイン、レンブラントなどが充実していたのが嬉しいです。フェルメールもありました。
 



 ペルガモン博物館の賑やかさに較べて、とても静かで空いているので、落ち着いて、ゆっくりすることができます。

 2011年5月28日

新緑の湖水地方を訪れる 2/2 ヒルトップ

2011-05-24 22:22:41 | 旅行 海外
今日も朝から雨。風も時おり暴力的な横殴りの風が吹く。見通しも悪く、せっかくのレイクヴューのホテルも台無しだ。しかし、この風雨が湖水地方の自然、風景を作ってきたと言うことが実感できる。この気候がなければ、この緑と水豊かな風土は育たなかったに違いない。

天気は悪いが、ピーターラビットの作者の住まいヒルトップを訪ねることにする。ボウネスから湖横断のボートに乗って、15分で対岸へ。待ち合わせに接続のマイクロバスが来て、10分も乗るとヒルトップに着く。

丘陵沿いのいかにもイングランド的な牧場風景である。羊が草を食い、若緑の絨毯が広がる。よくガイドブックで絵本のような風景とか言った表現があるが、その表現はこそばくなるよるので好きではないが、まさにそのとおり。100点の野原があるとしたらこんな野原なのだろう。

ヒルトップはピーターラビットの生みの親ビアトリクス・ポターが暮らした家。昨日のウーグワースの時代より1世紀後なので、家の中も近代的だ。小綺麗な家具と備品がおいてあるが、実際はもっといろんなものが置いてあったに違いない。生活臭が無さすぎる。しかしこんな牧場のど真ん中に家を構えて生活すると為のはどんな気分なのだろう?

日本人が多いのに驚く。8割上が日本人の中年以上のご婦人がた。チケット売り場で渡された案内マップも販売用のパンフレットも英語以外では唯一日本語版があった程だから日本人の訪問がよっぽど多いのだろう。

ヒルトップ見学のあとは、周囲を散策する。ピーターラビットの本に出てくる家とかポストとかがある。本自体を読んだことはないのだが、確かに雰囲気のあるところだ。

再びミニバスで湖畔まで行って、ボートに乗ってボウネスへ戻る。湖水地方の有数の繁華街だけあって店も多く、中でもアウトドアショップが目立つ。どこも登山やウオーキング用のジャケットとかパンツをセールしていた。半額近くに割り引かれていたレインコートを買ってしまった。

あとは13:58の列車に乗って帰るだけだが、その前にランチをとる。通り沿いにちょおとこじゃれたレストランがあったので入ってみた。これがけっこう当たりで、値段もパブ値段(というか後できずいたがパブの別棟のレストランだった)で、明るくて清潔感のある内装。サービスのおねえさんもキビキビしている上に愛想も良く、肝心の料理もとっても美味しかった。また来れたら必ず寄ろうと決めた。


新緑の湖水地方を訪れる 1/2

2011-05-24 22:20:54 | 旅行 海外
二度目の湖水地方旅行。前回は紅葉時だったので、今回は是非とも新緑の湖水地方が見たくなって足を延ばした。

バスでウンダミア駅からグラスミア湖へ向かう。新緑は終わりかけだが、緑が美しい。葉に残った雨の滴が緑を輝かせ、さらに引き立てる。天気はあいにくの曇りだが、しょうがない。

グラスミアへは30分ちょっと。小さな村だが静かで落ち着いたたたずまい。ホテルを取るのに苦労した割りには、周辺は空いている。唯一人が混んでいたのが、ジンジャーブレッドのお店。1ピースで2.5、2ピースで4ポンドと言うことだったので、2ピース買ったが完全な判断ミスだった。とても2、3日では食べきれないほどの量だった。しかも重い。味は甘いが、生姜の味がしっかり効いていて美味しい。

近くのガーデンカフェテリアで昼食。チキンのパイを頼んだが、チキンは良く煮込んであり、パイもカラット揚がって、とっても美味。予期せぬご馳走ランチとなった。8.9ポンド也。

グラスミア湖のウオーキング路を歩く。静かで気持ちがいい。バードウオッチイングには葉が繁りすぎているが、鳥の声がウオーキング気分を盛り上げてくれる。なんて静かで落ち着いた風景と時間なんだ。湖水地方の良さは歩かないと解らないことを実感。

旧軽井沢の緑、山中湖の湖、大沼の素朴さを持ったある意味完璧な湖リゾートだと思う。

50分弱歩いて、ウーグワースが住んでいたダウコッテージを見学。20分ちょっとのガイドツアーがある。小屋にふさわしく、天井も背の高い人なら頭をぶつけるぐらいで、大きさも6畳もあるかないかと言う部屋が1階と2階に3、4部屋ある。ただ湖畔にたつこんな部屋で湖を見ていたら詩情も湧くだろうと納得。隣接して博物館もたっていて本人直筆のメモや原稿が展示してある。ショップでせっかくなので詩集を買ってみた。あとで読んでみたが、意味すらほとんど掴めなかった。

博物館を出ると強い霧雨が降り始めていた。バスにのってホテルに行く。昔のマナーハウスをゲストハウスにしたもので、大きな前庭もある。ところがチェックインをしようとしたらレセプションのおばさんが「申し訳ありませんが部屋をご用意できませんでした。町の方に別のホテルを用意してありますので、タクシーで移動願います。申し訳ありません。タクシー代はこちらで持ちますので」とのこと。やっと荷物を下ろせると思ったので精神的ダメージはかなり受けたが、怒りは抑えた。どうも団体客の見込みが来るって押し出されたようだ。幸い、移動先のホテルもまずまずだったので、気持ちを入れ換えることにした。

ホテルのバーラウンジで村上春樹を読みながらビールを飲む。ゆっくり出来て良し。

晩飯は唯一見つけた中華料理屋にした。チキンの野菜炒めがうまかった。ホテルに帰って、ラウンジで赤ワインを飲みながら村上本。
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イングランド北部の旅 (最終回) ニューキャッスル街歩き

2011-05-22 18:54:10 | 旅行 海外
 だらだらと書いてきましたが、今回がこのシリーズ最後です。

 ハドリアヌスの城壁歩きからバス、列車を使って夕方、イングランド北部最大の町ニューキャッスルに到着しました。ロンドン行きの列車は遅めの列車を予約していたので、残った3時間弱の時間を使って、ニューキャッスル(正式にはニューキャッスル・アポン・タイン)の街をちょっと歩きました。ニューキャッスルはハドリアヌスの城壁の東端にあたり、今も街の中に壁の跡が少し残っています。

(かなり大きな駅舎)


 「最大の見どころはタイン川にかかる個性的な橋」(「地球の歩き方 イギリス」)ということなので、橋をメインの見所として見学しました。タイン川は駅の南側数百メートルの所に流れていますから、簡単にたどり着けます。500Mぐらいの間に6本の橋がかかっているのは、確かに壮観です。

【タイン・ブリッジ】
「タイン川に架かる橋の中で最も有名で美しいとされる」(地球の歩き方)橋です。


【ハイレベル・ブリッジ】
もっとも古く、高い橋。上に鉄道が走っています。
 

川に向かって坂になっていますが、なかなか風情のある道です。


【ミレニアム・ブリッジ】
「機能性のすばらしさと橋の美しさは現代建築の傑作」(地球の歩き方)というぐらいですので、確かに綺麗です。ただ、想像していたより小さかった。


【スイング・ブリッジ】


【クイーン・エリザベス2世(手前)ブリッジとキング・エドワード・ブリッジ(奥)】



 橋のほかには、列車でエンジンバラに行くときに姿だけ見て気になっていた教会(セント・ニコラス・カテドラル教会)を見学。14,15世紀の建物だとのことです。


 ここの主祭壇の後方にあるステンドグラスは特に素晴らしかった。






 あとは、パブで一休み。街の中心部までぶらつく時間は無かったので、ほんの一部覗いたにすぎませんが、橋やパブの多さなど個性を強く感じる街でした。


 1泊2日の強行軍でしたが、天気にも恵まれ、とても充実した旅行となりました。イギリスの旅行先としてはあまり注目度は高くないところだと思いますが、とってもお勧めです。

 帰りの車窓からいくつかスナップを。

 (キングエドワード・ブリッジからタイン川を臨む)


 (ダラムの大聖堂(世界遺産のはず))


 (夕暮れと黄色一面の菜の花畑(手前))


 2011年5月1日


(参考) 一応、これまでの記事リンクをまとめておきます。

  ※イングランド北部の旅(その1) セトル・カーライル鉄道に乗ってヨークシャデイルズを縦断する →

  ※イングランド北部の旅(その2) カーライル城 →

  ※イングランド北部の旅(その3) ハドリニアヌスの城壁 →

イングランド北部の旅 (その3) ハドリニアヌスの城壁

2011-05-19 23:38:13 | 旅行 海外
朝、ホテルの前のパブでビッグイングリッシュブレックファーストを食べて、いよいよハドリニアヌスの壁に向かいます。カーライルからニューキャッスルまでは約100キロほどあるのですが、その壁沿いの街道を走る路線バスが出ています。バス番号がハドリニアヌスの壁が出来たとされる紀元122年をもじって、AD122という番号がついていてなかなか洒落ています。この日も天気は快晴でした。

(AD122バス。カーライル~キャッスル直通は1日1本ですが、1回乗り継ぎで行けるバスが日に6,7本出ています)
 

 バスの車窓から見る風景は、広大な田舎の田園風景。これ以上美しい田園風景があるだろうかというぐらいです。朝日に照らされる、緑が眩しいです。 時折、ウオーキングに出掛ける年配の人たちを見かける以外は人をあまり見かけません。4連休なのに何でこんなに空いているのか?とっても不思議になります。

(ひたすら広くて美しい野原の車窓)
 

 まずは、バスに1時間ほど乗って、ローマン・アーミー博物館に寄ります。この地に駐屯したローマ軍の軍隊生活を紹介した博物館で、展示は小規模ながらも、新しく綺麗な博物館です。20分程の"Edge of Empire"という3D映画を見ましたがとっても良くできていました。一ローマ兵士の視点で、軍や駐屯地の様子を追うので、具体的なローマ軍の様子や町のイメージが分かります。展示全体を通じて、ローマの侵攻は、今のイギリスに多くの遺産が残されている(言葉(英語)、コイン、街作りなど)と極めて肯定的な捉え方だったのも印象的でした。

(何故かあまり写真を撮ってませんが、こんな感じです。地図上にあるポイントはローマ起源の現イギリスの町)
 

 再びバスに30分ちょっと乗って、いよいよ目的地のハウステッド要塞遺跡へ。ハドリナヌスの城壁の中かでも最も保存状態の良いとされる遺跡です。広大な丘の斜面に当時のローマ軍の基地の遺跡がかなり残っています。バスを降りると、前日同様、ものすごい風。丁度、さっきのビデオで当時の様子がイメージできていたので、遺跡を見ていても立体的に見えてきます。具体的に人のイメージや街の様子などを自分で更に脚色してみるのも面白いです。

(バス停から10分弱歩きます)
 

(兵隊宿営地、病院などの跡地)
 

 

遺跡そのものは、1世紀だろうが16世紀の教会や城の遺跡だろうが、正直たいして変わりはないので、遺跡自体に感動するという感じではありません。むしろこの遺跡が建てられた広大な丘陵の風景に圧倒されます。とにかく広く、でっかーい。地球を感じます。

(写真をつなげてパノラマで撮ったつもりですが、見事にずれました。でも、感じはわかるでしょうか?)



要塞の北門のところに出ると東西に延びるハドリニアヌスの城壁が見えました。今や一メートル程の高さになっていますが、当時は数メートルあったはずです。蛮族侵入防止のために、丘陵の一番高い尾根部分に沿って延びる壁はとっても壮観です。

 

壁沿いにウオーキング用のパスが延びているので、歩いてみます。このパスは壁沿いに東から西まで全部歩くと84マイル(134キロ)になるそうです。意外と足元は石があったりするし、とにかく丘陵の尾根つたいに歩くものだからアップダウンもあり、結構良い運動になります。途中にも、見張り用の櫓跡とか寺院のあとが残っています。風はとっても強いものの、この大パノラマの中を歩く快感は何物にも変えがたいです。結局10キロほど歩いてバス停の近くまで来たので、終わりにした。とても良い気分です。

 

(行く手を阻む羊たち)
 

(砦跡と寺院あと)
 

どうも、前のバスが行ったばっかりのようで、次のバスまで一時間半もあります。次のバス停まで歩こうかと思いましたが、5キロほどあるようなで、道に迷ったりして万一乗り遅れると最終バスになってしまうので、バス停で待つことにしました。待ち合いの椅子があるわけでもなく、道端で座ってのんびり。牛が草を食らうのを見ながら、何とものどかな風景をボーっと楽しみました。欧州のいろんな文化遺産も素晴らしいが、このイギリスの田舎の自然とのんびりとした雰囲気も素晴らしいです。

 

不思議なのはこのイギリスの田舎風景の美しさは、単なる自然の恵み物なのか、それともイギリス人の不断の努力によるものなのか?ということ。ここに工場があったら興ざめだろうし、ここに高いビルがあってもダメ、看板があったてよくない。一切そういうものがないのは、きっと努力の賜物なのだろう。などとぼんやり考えてました。

寒くも暑くもない春の陽光の中、ボーッとバスの来るのを待ちます。こんな経験は学生時代のバックパック旅行以来かもしれません。予定時刻に10分遅れてきたバスに乗り、ローカル線の駅まで1時間弱のる。そしてローカル線に乗り換えてニューキャスルへ。期待以上のカーライルからニューキャッスルに至るハドリアヌス城壁ツアーでした。

 2011年5月1日

 ※ ハドリニアヌスの城壁にはこちらのHPを→

 ※ 84マイルの壁沿いのウオーキングパスのHPはこちら→

イングランド北部の旅 (その2) カーライル城

2011-05-16 22:24:24 | 旅行 海外
 セトル・カーライル鉄道の終着駅カーライルに到着したのが3時半前だったので、少しばかりカーライル街歩きを楽しみました。カーライルはイングランドとスコットランドの国境の街として、起源はローマ時代にも遡ります。 小さな街ですが落ち着いた感じのいい街です。

(ヘンリー8世が築いたシタデル)
 

(街のへそ、マーケットプレイス)
 
 

 ハイストリートを抜け、街の外れにあるカーライル城を訪ねます。ケルト人、ローマ人の砦から始まり、この城自体は1092年築城。16世紀にはあの血のメアリー女王も幽閉されたことがある歴史的な城です。ただ、お城自体はそれほど大きくいわけでもなく、取り立てて特筆すべきものはありません。城内に展示してある、この城を中心としたカーライルの歴史のパネル資料が面白かったぐらいです。イングランドとスコットランドの戦いの歴史が垣間見れます。

(カーライル城)


(城内の様子)




(城の上から見る市内。正直、余り高くないので、面白くは無いです)


 ここまでなら、「まずまずだったね。」で終わるのですが、城内にあるもう一つの資料館である国境部隊博物館というところで思いがけないものを見てしまいました。この博物館自体は、17世紀ぐらいから現代に至るまでの国境部隊の軍事史の史料(記録、遺品など)が展示してあるもので、特段、軍事に興味があるわけではない私はスーと軽く見て、出るつもりでした。

 しかし、第2次世界大戦のコーナーで足が止まりました。対日戦線に参戦していた元イギリス兵士からの寄贈品として、日の丸や日本軍の軍刀など、日本兵の遺留品と思われる品がいくつか展示してあったのです。日の丸は出征兵士の武運を祈る親戚、友人の署名が入ったものです。墨ではっきりと「奉祈 武運長久 金種中等学校 清水公俊」と記名してあり日の丸の回りに百名ばかりの記名があります(英語の解説には朝鮮の金種中学から出征したシミズキミトシあてのヒノマルで5 platoon 34 column 4th BattalionのX氏の寄贈とありました)。思わず立ちすくみ、食い入るように、日の丸に記載された名前とかを一人一人追ってしまいました。また、遺留品の中には、兵士の彼女なのでしょうか?一枚の白黒の日本人女性と思われる写真とかもありました。

 こんなイングランドの北の果ての小さな博物館でこんなものを見るとは思いもしなかっただけに、私には衝撃的でした。この戦争の是非はともあれ、こうした遺留品に託されていた一人一人の日本人兵士やその周囲の人々の思いや物語を思うと、胸が熱くなります。

 予期せぬ出会いの衝撃で、「閉館時間ですから退館願ます。」と追い出されるまで、結局、居座っていました。多くはないものの、遺品の一つ一つが、何か私に訴えかけて離さないものがありました。

(第2次大戦展示エリア)


(中央の人形がイギリス兵士、廻りにあるのは日本兵の遺留品。左の日ノ丸は表裏逆です)


(右側の武運長久を祈る日ノ丸)


(第2次大戦関連の品。日本兵の軍刀、鉄兜など。手前の写真は、彼女か???)


(1937年7月7日の盧溝橋事件を記念したシガレットケース。英文の解説は若干、時代考証がちょっと違っているような・・・)
  

 興奮醒めぬまま、外に出ると、まだまだ陽は高いです。カーライル聖堂に立ち寄り(これがまた素晴らしい教会でした)、ホテルにチェックインしました。

(カーディフの教会)




 2011年4月30日


イングランド北部の旅(その1) セトル・カーライル鉄道に乗ってヨークシャデイルズを縦断する

2011-05-15 01:10:34 | 旅行 海外
 4月末から5月頭のロイヤルウエディング連休では、我ながら、結構精力的に動いていて、1泊2日の北イングランドの旅行にも出かけました。天気にも恵まれ、印象的な旅行になりましたので、ご紹介します。今回の目玉は、ハドリニアヌス帝が築いたローマ帝国の北限ハドリニアヌスの城壁を見に行くことですが、このほかにもセトル・カーライル鉄道の乗車というのもありました。

 初日は、8:10キングスクロス発の長距離列車でイングランド北部のヨークシャー・デイルズ国立公園へ向かいます。ヨークシャー・デイルズは、「激しい自然と独特の文化で知られ・・・その面積は1769平方キロ(大阪府よりやや狭い)広さ」(地球の歩き方 イギリス)の20を超える谷(デイル)から成り立つエリアです。そして、セトル・カーライル鉄道とは、そのヨークシャー・デイルズをほぼ南端に沿って縦断する鉄道です(ヨークシャのセトルとカンブリアのカーライルを結ぶので、この名前がついています)。全長116キロの間に22の陸橋と14のトンネルがあり、イングランドでも有数の高地(とはいっても海抜350メートルぐらいですが)で、絶景が楽しめるローカル線と言われています。さしずめイングランドの小海線って感じでしょうか。

 北イングランド有数の商業都市リーズで乗り換え、いよいよセトル・カーライル鉄道のスタートです。車両は、ローカル線らしく外装はぼろいですが、車内は清潔で快適でした。



 列車は、眩いばかりの陽の光と緑のなかを快適に進みます。ローカル線と言っても結構スピードも速いです。しばらく乗ると、平地から低い山のような、広く広がる草原地帯の丘陵地帯に入ります。羊が見えますが、特に生まれたばかりのような小さな子羊を多く見かけます。ポーランドの車窓とちがい動物のいる風景は心がなごみます。

(車窓から)
  

(セトル駅)


途中、70歳は優に過ぎていると思われるおばあさんが、セトルカーライル鉄道のパンフレットの販売に来ました。イラストや写真を交えたとてもきれいなパンフレットでした。3ポンドということだったので、迷うことなく買いました。

(パンフレット売りのお婆さんと買ったパンフ)
 

 車窓から見える風景は素晴らしいです。草地が進むにしたがって荒涼とした大自然が迫ってくる。家々も見えなくなり、ただただ荒野だけが広がる。 こうした風景はイギリスでも余り見た覚えがありません。

 1時間半ほど乗って、リブルヘッドという大荒野のど真ん中にポッツリと立つ駅で途中下車下車しました。この先にある24本の柱で支えられるリブルヘッド陸橋を見るためです。駅舎は本当に小さいのだが、駅舎内はセトルカーライル鉄道の歴史を展示してあるミニ博物館になっています。

 

 外はすごい風です。宮沢賢治が「風の又三郎」でどんな擬音語を使って風を表現したかは忘れましたが、「風の又三郎」を思い出しました。ゴオー、ザーとでも言うようなどこからというより空気全体が風という感じです。体のバランスをとるのが難しいくらい。

(風は写真に写らないので残念。唯一見つけた風が分かるもの。でもこれでは伝えきってません)


 駅員さんに教えられた通り道を進むと、すぐに陸橋が見えてきました。何もない荒野の谷を結ぶ陸橋は何とも美しい。感動的でさえあります。高さは30メートルらしいのですが、こんな風の中、どうやってこんな橋をかけたのでしょうか。エンジニアの執念を感じます。

   

 この原野の中、この国立公園をWALKINGで楽しむ人たちをちらほら見かけます。日本には決してない風景だと思います。次の列車までまるまる2時間あったので、私もこの風景を1時間ほど歩いて満喫しました。



 しかしこんな民家は見渡す限りゼロで、WALKINGを楽しむような人しかいないところにもパブだけはあるからイギリスは不思議。丁度、昼時でもあったので中に入ってビールとミートパイを頂いた。中はハイカーばっかりで満員でした。

  

 再び、列車に乗って終点のカーライルまで1時間ちょっとの車窓を楽しみます。カーライルが近づくに従って家が現れ、人界に降りてきた感じがします。期待通りの2時間半の鉄道の旅でした。

 

 ちょっと私の写真ではヨークシャ・デイルズの広大さを写し切れていないのが残念です。

※セトル・カーライル鉄道のホームページはこちら→

 (2011年4月30日 旅行)

ポーランド旅行 (最終回) メシ

2011-05-04 22:24:45 | 旅行 海外
 ポーランド旅行の締め括りとして、クラクフで食べた食事の一部をご紹介します。

 初日のお昼:ポーランド名物 ピエロギ(ポーランド風餃子)。日本の餃子ととっても似てます


 初日の夜:ポーランド風串焼き。ボリューム一杯です。


 はいったレストランは庶民的だけど、落ち着いた感じのよいお店でした。
 

 2日目 夜
 野菜不足になりがちなので、野菜の盛り合わせ(酢漬けの野菜が殆どですが、甘酸っぱい味つけがとってもいけます)


 これはポーランドのとんかつ(カツレツ)。白ご飯とキャベツと味噌汁が欲しくなります。ついでにとんかつソースも。


 田舎の民家風の雰囲気のあるお店でした。
  

 あと、写真を撮り漏れましたが、名物のスープ、ジューレックは毎回頂きました。店によって酸味とか具の量が違ったりして、面白いです。

 私としては異例の長い3泊4日の旅行でしたが、アウシュビッツの経験の他にもポーランドの豊かな文化に触れることができ、とっても充実した時間を過ごすことができました。