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その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

ポーランド旅行 (その5) イースターのワルシャワ

2011-05-03 23:02:30 | 旅行 海外
 アウシュビッツを訪ねた翌日、列車でポーランドの首都ワルシャワに向かいました。ワルシャワへは特急(IC)で3時間程です。普段は、周遊旅行をするほどには時間が取れないのですが、今回は連休を使っての旅行なので移動付き。(マニアではありませんが)鉄道に乗るのが好きな私には、こうした移動付き旅行は更に旅情が高まります。



 ユーロスターとかに較べると、列車は古ぼけていますが、客室は非常に清潔だし、座席もイギリスの鉄道よりずっと広くて快適でした。



 天気は曇りですが、車窓からは新緑が美しいです。ただ、何か、同じ田園風景でもイギリスの風景より殺風景だなあ~と思いました。何が違うのか?ずーっと観察してたどり着いた結論は、「家畜(牛、馬、羊)がいない!」。家畜がこれほど田園風景の中で重要なパーツを占めるとは初めて気がつきました。

 

 定刻にワルシャワ到着。ワルシャワは仕事で1度訪れたことがありますが、事務所を訪れたきりなので、殆ど初めてです。しかし・・・、駅を降りてびっくり。イースターのため、街は死んだようでした。駅の売店街もシャッターが閉まっていますし、マクドナルドもお休みです。

 

 ホテルに荷物を置いてとりあえず、ゴーストタウン化したワルシャワの街歩き。流石に旧市街の観光地近辺には人が集まっていました。それでもレストランとかは8割がたお休みです。



 無名戦士の墓。兵士が守っています。
 

 ワルシャワのオペラハウス。イースターのため、この週はまるまる公演はお休み。
 

 旧市街。王宮前の広場。
  

 王宮の城壁。
 

 ワルシャワ出身の偉人コペルニクスの像


 行きたかった歴史博物館も王宮も美術館も残念ながら全てお休みでした。

 教訓:イースターにワルシャワを訪れるべからず!!!

ポーランド旅行(その4) アウシュビッツ訪問②

2011-05-02 23:21:01 | 旅行 海外
朝起きると、米軍によるタリバン指導者オサマビンラディン氏殺害のニュースで一杯でした。この一件が更なる負の連鎖にならないことを切に願うばかりです。

ポーランド旅行記が途中のままなので、連休最後の本日、アウシュビッツ強制収容所を見学したことで、感じたこと学んだことなどを備忘録としてまとめてみます。

※アウシュビッツ訪問①はこちら→

(アウシュビッツ強制収容所入口)


(1)傍観者にならないこと

ガイドの中谷さんが繰り返しお話しされていたのが、「ドイツ、ナチスが悪だったという視点だけで、アウシュビッツの問題を捉えないで欲しい」ということでした。

アウシュビッツは、多くの関係者によって形成されたシステムとして動いていました。アウシュビッツの収容者を労働力として組込んだドイツの一流企業、実状に気付きつつも声を上げなかったドイツ国民、ドイツの占領下にあったとはいえ自国のユダヤ人連行に手を貸した他欧州諸国政権など、多くの間接的協力者、傍観者が、このアウシュビッツというシステムを支えていました。

言葉を変えると「傍観者にならないで欲しい」。それが中谷さんからの最大のメッセージでした。「非常時に当事者として動くことができるか?」それがアウシュビッツを通じて歴史を学ぶことの意味だと気付きました。

ナチの一党独裁政権も、決して、突然降って湧いたわけではありません。当時の世界でも高度の民度を誇ったドイツという国で、合法的にかつ民主的に、形作られていったのです。

なので、今現在を生きる我々にも、歴史の逆コースを歩む種はいろんなところにある訳です。そうした芽を早いうちに気付き、小さくとも声を上げていき、行動を取っていくこと。それが大切なのですね。

これも中谷さんの受け売りですが、東北大震災に際して日本人が取った冷静で協力的な行動。これは世界から賞賛を浴びていますが、中谷さんの見方は、毎年行なってきた防災訓練の賜物なのではないかということでした。アウシュビッツを通じて歴史を学ぶ意味は、日本人の防災訓練のように、非常時に常識的で適正な判断と行動が取れるかどうかだということなのです。

(ビルケナウ収容所に引き込まれる鉄道線路)


(2)個人の組織行動の問題なのか?信条(宗教)なのか?それともマインドコントロールなのか?

施設を廻り、当時の建物、写真等を見て感じた疑問。当時のSS(ナチス親衛隊)のメンバーはどういう気持ちだったのだろうか?ということです。ここで100万人を超える人間をユダヤ人といった理由だけで殺していったのです。(前記事記載のように殺されたのはユダヤ人だけではありませんが・・・)

私には、これは「組織における個人」の問題に見えました。レベルは全然違いますが、会社組織で働いていれば、時として個人の考えとは違うことも、組織の論理として行動に移さねばならないこともでてきます。SSのメンバーも、自己の考えには逆らいながらも、組織の命令として行動せざるえなかったのか?ということです。そうであれば、組織における個々の人間行動のケーススタディとして、彼らの心理や葛藤について知りたいと思いました。

しかし、中谷さんは、「戦後、アウシュビッツの関係者でこの殺人に対して謝罪した人は、(中谷さんが知るかぎり)存在しない。収容所のメンバーは『ベルリンの本部の命令に従っただけだ』と言い、本部の人間は『現場が暴走した』と批判しあっているが、自己批判は聞いたことがない」と説明してくれました。

仮にそうだとすると、アウシュビッツ関係者は『この世からユダヤ人を絶滅させることが真にドイツのためになる』と信じて行動していたのでしょうか。無差別テロを行なうイスラム教徒と同様に、SS教に基づいた個人の信条に従った結果なのでしょうか。

しかし、その信条は、個人の良心や考えに基づいたものなのか、それともマインドコントロールされたものなのか?どう考えればいいのでしょう。例えば、現代のイスラム教徒のテロとオウム真理教のテロは同じなのか、違うのか?違うとしたら何が違うのか?

自問はループするばかりで、答えは未だ出てきません。しかし、アウシュビッツで行なわれた行為は「悪」であるはずにもかかわらず、その判断が高い教育を受けた人たちが自分自身でできなくなるというのは、どういう時なのか?同様な過ちを繰り返さないためにも、もう少し探って行きたいと思います。

(ビルケナウ収容所)


(3)被害者と加害者、歴史の中で

 私の不勉強もありますが、ユダヤ人の歴史というのは本当に複雑です。今読んでいる「ローマ人の物語」の中で、ユダヤ人離散の起こりが書かれています。ローマ時代に本格的に始まった離散や迫害の歴史ですが、アウシュビッツもその歴史の中、延長線にあり、更にその歴史は、現代のイスラエル、パレスチナ紛争へと繋がっていきます。まさに数千年の歴史を持った問題であるわけです。

そして、「被害者」であったユダヤ人は、今、パレスチナにおいて「自衛」の名の元、アラブ人に対しては「加害者」となっています。そして、そのアラブ人(の一部)も外部環境、立場によって、今度は被害者が加害者になります。それが、ユダヤ、パレスチナに限らず、人間や人間社会の複雑さ、難しさ、そのものだと思いました(かなりユダヤ、ユダヤ人、パレスチナ、アラブ、イスラムの言葉を区分けせず使っていますが、ご容赦ください)。この複雑な人間、社会を理解するには、こうしたアウシュビッツのような歴史を知ることが、感覚的にも一番良く理解できます。そして、まずは理解することが、進歩に向けての一歩になることだと、改めて感じた次第です。

以上、雑駁ですが、自分がアウシュビッツで感じたことをメモしてみました。正直、こうしたことを真面目に考える時間や機会は、日々の日常や仕事に追われる生活の中ではありません。こんな機会が与えられただけでも、ここに来て良かったと思いました。本を読むことはできても、当地で実感するこの生の迫力は何ものにも変えがたい迫力があります。そして、本で読んだことは忘れてしまいますが、この実感は、ずーっと自分の中に残り続けると思いました。できれば、今、学校で歴史を学んでいる子供と一緒に来たかったです。

(犠牲者の国際追悼記念碑)

ポーランド旅行(その3) アウシュビッツ訪問①

2011-04-27 23:36:29 | 旅行 海外
 さて、いよいよ本旅行のハイライトであるアウシュビッツ強制収容所の訪問模様をご紹介します。2回に分けて、今回はアウシュビッツ強制収容所の様子、次回に自分が感じたことを書きたいと思います。

 抜けるような青空の朝でした。

【行き方】
クラクフから鉄道でもバスでも行けます。バスに乗ると1時間半前後でアウシュビッツの入口まで行ってくれるので、バスの方が便利のようです。8:25のバスに乗りました。列車でもオシフィエンチムの駅まで1時間半ぐらいらしいのですが、駅から1キロぐらい歩くらしいです。

【入場】
今回は、折角の機会なので「地球の歩き方」で紹介されていた、アウシュビッツの日本人ガイド中谷さんに事前にガイドをお願いしておきました。この日は、私と同じような日本人訪問者が総勢20名ちょっといらして、10:30集合です。一緒に中谷さんのガイドに従って、見学します。ガイド料(入場込み)40ズウォティ(約1200円)でした。

中谷さんのガイドについては後述しますが、アウシュビッツに行かれる方は、中谷さんのガイドを極力お願いすることをお奨めします。同じものを見ていても、時間軸の広がり、空間軸の広がりが全然違ってきます。

(アウシュビッツ入り口)


【ゲート】
有名な「労働は自由にする(働けば自由になる)」(この看板は2年弱前に盗難に合ったため、コピーだそうです)の門を通って、収容所内に入ります。70年前に収容された人たちは、どういう思いでこの門を潜ったのでしょうか?



【展示】
アウシュビッツには全欧州からユダヤ人、ジプシー、ロシア人捕虜、ポーランド人などなど殆どの欧州の国から強制収容されてきたのです。その数、なんと約130万人。そして、そのうち約110万が殺害されたのです。収容所の中には、当時の様子、収容者たちの遺留品、記録などが陳列してあります。





印象的だったのは、ガス室で亡くなった女性の髪の毛2トン近くの展示。見ていると、胸をつぶされるような気持ちになります。ドイツは、収容した人を労働力としてドイツ企業で活用させたり、この犠牲者の髪の毛もストッキングの繊維に使おうと試みるなど、収容所は完全に企業、国の経済システムの中に取り込んでいたとの事です。

収容者の管理には、収容者を任用して当たらせたこと(ユダヤ人の中の相互監視体制、競争関係を築くことで収容者の団結を防止)、個々の遺留品の厳格な仕分け、再利用などなど、この収容所が仕組みとして高度に完成していたことを伺わせます。

イースターの休暇中ということもあって、とっても混んでいるのでは?と思ったのですが、中谷さんによると「今日はイースター前日なのでとっても空いている。(イースターは家族で過ごす人が多いから)」とのことでした。アウシュビッツへの訪問者は近年、毎年増加しているそうです。ヨーロッパでもアウシュビッツを単なるドイツの負の遺産ということでなく、欧州の歴史として吸収しようとする動きが出てきたとの事です。アジアから訪問客では、韓国が圧倒的に多いとか。それだけ、まだ北朝鮮と交戦状態にある韓国は、戦時物への関心が高いのでしょうか?ちなみに、日本人の訪問数の推移は、ほぼ横ばいだそうです。

(収容所の建物)


(電流が流れていた脱出防止の有刺鉄線)


【ガス室】
これがあのガス室。


【ビルケナウ収容所】
第2アウシュビッツとも言われるビルケナウ収容所はアウシュビッツから2キロほど離れたところにあります。アウシュビッツが手狭になったため、更に広い土地に、ずっと大きい収容所を建てたとのことでした。シャトルバスで移動します。

列車でここまで運ばれ、まず生かされる人、そのままガス室行きになる人が選別されているパネル写真が残っています。

(収容者を運んだ列車が到着した線路)


(この貨物に詰め込まれていました)


当時は300棟以上のバラックが建っていたとのこと。「アンネの日記」のアンネ一家もここに収容され、アンネはここで亡くなっています。


収容所のベッド、トイレなど。当たり前ですが、狭くて、暗くて、湿っぽいところです。
 

【ガイド】
冒頭にご紹介しましたが、中谷さんのガイドは素晴らしいです。決して、感情に訴えることなく、デリケートでいろんな見方がある問題であるがゆえに、慎重に言葉を選びながら、アウシュビッツで起こった出来事を多面的な確度から解説してくれます。淡々とではあるけども、仕事に対する使命感を感じる説明で、歴史の見方、考え方の視座を与えてくれるガイドさんです。もう10数年、このお仕事を続けておられるとの事。これから、アウシュビッツを訪ねる方は是非、中谷さんのガイドを受けられることをお奨めいたします。

 この日、暖かい春の陽射しが照らす収容所は、ここで100万もの人が亡くなったとは信じられないようなのどかさが漂っていました。この天候にとっても救われたのですが、なかなか自分の中で消化するのは大変でした。自分の感想は、次回また。

(つづく)

ポーランド旅行(その2) クラクフ街歩き

2011-04-26 09:39:16 | 旅行 海外
 クラクフは歩いていてとても楽しいところです。今回は私の散歩風景をご紹介。

 鉄道駅から城壁をくぐって街に入り、中心部に向かって歩きます。

(城門と聖メアリ教会のある中心部へ真っすぐ延びる道)
 


 街の中心にかなり大きな広場があり、中央には織物会館という14世紀にたてられた建物が建っています。中は小さなおみやげ物屋が沢山。雰囲気は浅草の仲見世ですね。


 


 その織物会館の外にも、広場にはクリスマスマーケットで見かけるような屋台が沢山並んでいて、手芸品、食べ物などが売っています。とっても楽しい雰囲気。


(工芸品が売っています。左は、ポーランド名物の焼きチーズ)
 


 広場を出て、更に街を散策します。


(大量の絵画が城壁沿いに販売)         (緑の綺麗な散歩道。神父さんも多く見かけました)
 


 そして、夜はライトアップされるのでさらに美しくなります。


(城と夜店が賑やかなマーケット)
 

(教会と石畳を走る路面電車。いかにもヨーロッパ的な景色です。)
 


2011年4月23日

ポーランド旅行 クラクフ観光 (その1)

2011-04-25 17:40:07 | 旅行 海外
 イースターの連休を使って、ポーランド旅行に出かけてきました。メインイベントは、ヨーロッパに来たからには一度は行かねばならないと思っていたアウシュビッツ収容所への見学です。これは、強烈な印象を残してくれましたが、まだ自分の中で整理できていないので、おいおい書きたいと思います。

 今日は、そのアウシュビッツ収容所に行くためのベース滞在地としたポーランド南部の町クラクフをご紹介します。アウシュビッツへの旅程を立てるまで、名前さえ知らなかったところですが、14世紀から16世紀までポーランドの都であり、現在は世界遺産の指定も受けている町でもあります。ポーランドの町としては珍しく、戦災被害を受けていないので、昔の面影をそのまま残していると言われています。

 天気が良かったおかげもありますが、期待をはるかに上回る素晴らしいところでした。教会、旧王宮などの観光名所も一級ですし、Cafeでビールやコーヒーを飲みながらまったりするのも良いですし、マーケットを冷やかしたり旧市街の石畳をそぞろ歩きするのも楽しいです。観光地ではありますが、落ち着いて、時間が半倍速で流れるようなゆっくりとした時間を味わえます。

(広場のCafeでまったり中)


 中でも、私が感動したのは、街のへそとも言える広場に隣接して立っている聖マリア教会。サイズはそれ程大きなものではありませんが、内部の装飾の美しいこと。今まで数多くの教会を訪れましたが、この内部の美しさは有数です。特に、祭壇にある、聖マリアを描く祭壇が素晴らしい。閉じた姿はその大きさに驚きますが、扉が開き、中からマリア様の彫り物が現れた時の感動はクリスチャンでない私でも宗教的な神聖さを感じます。息を呑む美しさでした。祭壇は毎日正午前に開かれるそうなので、訪問される方は是非その時間帯に行かれることをお奨めします。

(広場から見た教会前景)


(中はさほど広くないですが、装飾、美術品が素晴らしい)


(聖マリアの祭壇・・・閉じた状態)


(12時前になると尼さんが開陳します)


(素晴らしい木造彫刻です)




 また、街の南外れにあるヴァルヴァエル城も壮観です。歴代のポーランド王の居城ですが、ここの大聖堂、王宮の美しさも素晴らしい。王宮内にはたくさんの芸術品が展示されていますが、目を惹いたのは巨大なタペストリー。昨年、ラファエロが下絵を作ったローマにあるタペストリー展をロンドン ヴィクトリア&アルバート博物館で見たので、一層、興味がわきました。

(ヴァルヴァエル城外観)


(城内の広場と教会)


(旧王宮の中庭)


(王宮内の部屋の一例)


 教会を廻ってとても印象的だったのは、地元の信者さんがとっても多いこと。イースター前ということもあるのかもしれませんが、教会内は信者であふれ返っていました。若い人、家族づれも多いです。信者さんが並んで腰掛けていた長椅子に、私も疲れたので一休みさせてもらっていたら、しばらくして、その椅子は、懺悔の順番を待つための長椅子であることが判明。数十人が懺悔のために座って待っていたのでした。あと5人ほどで自分の順番になるところでした。あぶない、あぶない。

(信者さんがともすろうそくの火)


(つづく)

ヘイスティングス (Hasitings) 街巡り

2011-04-03 11:14:32 | 旅行 海外
 せっかくなので、レース後Hasitings観光をしました。いくつか、スナップをご紹介。

 港町で知られるだけあって、街には魚屋さんやシーフードレストランがたくさん在ります。

 レース後に、持ち帰り可能なレストランでフィッシュアンドチップスを注文。


 身がぶりぶりでとってもおいしかったです。


 魚屋さん。刺身にしてくださいと頼みたくなるほど、新鮮でおいしそうな魚が並んでいました。


 Hastingsの漁業について展示していある漁師博物館


 このポパイ、人形じゃありません。本当の人です。


 海に面した丘の上にあるHastings城の遺跡を見に行きましたが、まだ観光シーズン前なので最終入場が15:00。10分間に合わず、他に客も居なかったらしく、行ったときには係りのおじさんが全部ゲートを占めて帰るところでした。なので、「ちょっと入れてよ」とお願いしましたが、彼の帰る時間が遅くなるだけなので当然NGでした。



 しかし、この丘から眺める海の景色は素晴らしいものでした。






 イギリスには、観光ガイドに書くとそれほど目立ったスポットにはならないのだけど、ちょっと訪れるのには本当に素晴らしい街がたくさんあります。Hastingsもその一つでした。


 2011年3月20日

ソールズベリー大聖堂

2011-03-28 10:58:25 | 旅行 海外
 ロードレース終了後、せっかくなのでソールズベリー大聖堂へ立ち寄ることにしました。2年前にバスツアーで訪れた際は充分に時間が取れなかったし、見所の一マグナカルタ原本が、保管場所のチャプターハウスが既に閉館していて見ることが出来なかったためです。

 ソールズベリーは、規模的にも大きすぎず小さすぎずで、雰囲気も古さと新しさが上手くミックスした、落ち着いた街です。





 欧州に来て以来、いくつもの教会を見てきましたが、この大聖堂の美しさは格別です。


 聖人達の彫り物もすごく精巧です。


 中ももちろんとっても大きいです。ただ、教会内は比較的質素で、ステンドガラス、絵画、歴史的遺物の品々は、ヨークの大聖堂、カンタベリー大聖堂、セントポール寺院などのほうが、いろいろあるような気がします。
 



 前回は入れなかったチャプターハウスへ。この部屋の美しさは格別です。8角形のテント小屋のような造りなのですが、幾何学的な造形の美しさ、白と黄みがかかった壁、窓から差し込む光、大聖堂とは違う別世界に入り込んだ気になります。そして、その部屋の奥に、4本あるマグナカルタの原本が置いてあります。チャプターハウス内は撮影禁止なので、同ホームページからチャプターハウス内の写真とマグナカルタの写真を拝借。

 

 あと、聖堂に隣接したカフェテリアがなかなか面白い造りになっていて、天井がガラス張りになっているので、大聖堂の美しさを味わいながら、お茶や食事が楽しめます。



 大聖堂をあとにして、大聖堂の周りを散策。ナショナルギャラリーの中で私が好きなジョン・コンスタブルの大聖堂を描いた絵が、どこから描かれていたのかを探りに、歩きました。この絵です↓。


 この絵のポストカードでも持ってくれば良かったのですが、急に思いついた自己企画だったので、記憶を頼りにここかなあ、あそこかなあとウロウロ。









 結局、「ここ!」というところは見つからずじまいでしたが、360度どこから見てもこの大聖堂は本当に美しいということが確認でき、益々好きになりました。

 ※ソールズベリー大聖堂のHPはこちら→

週末弾丸旅行 ドレスデン(その1)

2011-03-07 21:31:06 | 旅行 海外

【旅行メモそのまま】
ドレスデン歌劇場行きたさでドレスデンへ弾丸旅行。

(初日ドレスデン到着)
12:40ヒースロー発の遅めの出発。2時間乗って、空港には15:40着。

空港からの列車は最新式で、綺麗な上に、走る音がほとんどしない。薄群青色で統一した車内は未来列車のよう。 車窓から見える曇り空に葉のない針葉樹の林、林の中に見える氷った水溜まりが寒々しい。

 


戦争の傷跡が今も残る街。駅前から伸びる目抜通りは、ニュータウンのように新しい。旧市街に入ると古い建物も残るが、修復した所と残った部分との境が明確にわかるので逆に痛々しい。工事中の地域がたくさんあり、まだ再開発途上という雰囲気である。

露天で出ていたホットドックを食したら、絶妙の味だった。あんな美味しいホットドックは生まれてはじめて。肉がプリプリしていて、味付けも香辛料の配分がいいのか、噛むほどに肉の味が引き立つ味付け。そして挟むパンも見かけは固いが、噛みついてみると以外と柔らかく、美味しい。もうドレスデンの食事はこれで満足した。



(オペラ観劇記は別エントリで)

オペラ終演後、劇場近くのレストランでビールとスープを食す。キャベツとベーコンのスープは甘味と胡椒辛さがちょうどマッチしていて美味。

ライトアップされた劇場や城が美しい。帰りの通りには人一人通らない寂しい大通りを歩く。危険な雰囲気は感じないが、不気味。




2011年3月5日


ブリュッセル マグリット美術館

2011-03-02 22:30:59 | 旅行 海外
 ここ1ヶ月ほど、仕事で精神的にハードな対応が続き、胃は痛むし、週末の音楽会やランニング以外楽しいこともないし、PCも壊れたままなので、ブログ書くのもちょっと億劫な日々が続いています。ということで、今更思い出したように、昨年の年末にベルギーに日帰りで出かけたマグリット美術館をご報告いたします。

 2009年6月にオープンしたての、名前の通りマグリット専門の美術館です。ベルギーが生んだシュールレアリズムの巨匠の地元博物館ですから、アムステルダムのゴッホ美術館に出かけたとき並みの期待感があり、この日はこの美術館だけを目的に日帰り旅行をしたのでした。場所はブリュッセルのヘソとも言えるグラン・プラスから歩いて10分弱です。有名な王立美術館の入口から入ります。

 王立美術館とつながった建物の3階から1階に降りながら廻るようになっています。展示は時系列に沿って、若き日の作品から晩年に渡るまでの作品が約200点が展示されています。画集とか絵葉書で見た絵がいろいろあります。そして絵画以外にも、彼がデザインしたポスターや友人にあてた手紙や写真などの資料もふんだんに展示してあります。スーツを着て絵を描いている絵がありますが、彼自身、スーツを着て描いていたんですね。また、彼が一時、共産党員だったとか全然知りませんでした。いろんな資料を通じて、人間マグリットに迫るという感覚があります。

 欧州に来てからはどうしてもルネッサンス期や近代絵画以前の西洋絵画に目が行くようになっていましたが、もともととても好きな画家でしたので、これだけのまとまった量の作品を目にできるのは、それだけで感動モノでした。来てよかった~、心底思いました。マグリットにとっても近づけた気になります。

 1階の下の0階にはミュージアムショップがあり、そこも充実しています。マグリットの絵はイラストとして、ノート、マグネット、いろんな文房具や小物にも合うので、お土産も含めていろいろ買っちゃいました。

 マグリットの絵がお好きな方は、是非、訪れることをお奨めいたします。

 なお、入場は時間制になっていますので、極力、ネットで事前予約をしてから行かれる事をお奨めいたします。年末だというのに、この日もかなり込み合っていました。長い行列ができるというようなことはありませんでしたが、随分並ぶときもあるみたいです。

 2010年12月29日訪問 

リヴァプール観光 (3/3) 国際奴隷制度博物館

2011-02-15 22:27:14 | 旅行 海外
今回のリヴァプール行きはビートルズ目当てなので、特にその他の観光地による予定は無かったのだが、日曜日の午前中が空いていたので、一つだけ博物館に行った。リヴァプールはEUからEuropean Capital of Cultureに指定を受けるほどなので、美術館や博物館が沢山ある。ウオーカー・アート・ギャラリー、テート・ギャラリー、リヴァプール世界博物館、海洋博物館などなど。今回はその中から、ちょっと変わった、Internatinal Salvary Musem(国際奴隷制博物館)というのに足を運んだ。学生時代に『アメリカ黒人史』を少しかじったから。

リヴァプールは、悪名高い黒人奴隷貿易の英国の主要な港である。リヴァプールの港から、武器や日常品を運んだ船が、西アフリカに寄港し、そこで物人交換で黒人を手に入れる。そして、そこから中南米、北米に運ばれ、黒人と引き換えに、大量の貨幣、コーヒー、香料などを購入し、それを欧州に持ち帰り、関係者が大もうけをしたのだ。リヴァプールは "Capital of the transatlantic slave trade"だったのである。そして、 この博物館は、その奴隷船が出発した港に面して立っている。

ここでは、黒人のもともとのアフリカの文化の紹介、奴隷貿易の実態、リヴァプールとの関わり、プランテーションでの奴隷の生活、黒人開放の歩み、そしてオバマさんを初めとする現代世界で活躍する黒人たちが、模型やコンピュータグラフィックによる物語、歴史的遺品、フィルム、パネルなどによって語られる。もちろん、奴隷船での移動やプランテーションの厳しい生活は思わず目を背けたくなる内容だが、悲惨さを訴えつつも、過度の感情移入を抑えた客観的な展示はとっても勉強になる。

いくつも興味深い展示があった。例えば、リヴァプールから出発した奴隷船の船長の日記を、忠実にコンピュータグラフィックで再現したビデオ。当時の航海のルートや彼らの商売、そして奴隷がまさに商品として各人に値段がついて売り買いされる様が、とっても良くわかる。この様子は本を読んだだけでは絶対に分からない。

また、 現在のリヴァプールに残る奴隷貿易の傷跡の展示も興味深かった。市内には、奴隷貿易の儲けで建てられたタウンホール(市庁舎?)、奴隷商人たちの商館など、いろんな形でその跡を追うことが出来る。あのビートルズの曲で有名な、ペニー・レインという通りの名前も、実は、奴隷商人であったペニー氏の名前に由来しているなんて、初めて知った。

午後のミステリーツアーに備えて軽く流そうと思った自分が馬鹿だった。2時間近くたっぷり見学し、人間の手前勝手さ、強欲さ、残酷さ、そして強さを勉強することができた。

一度、見学をお奨めいたします


Internatinal Slavery Museumのホームページ
※ 冒頭、写真は上HPより

リヴァプール旅行(2/3) ビートルズ・マジカル・ミステリー・ツアー

2011-02-14 23:31:39 | 旅行 海外
 翌日の日曜日は、「ビートルズ・マジカル・ミステリーツアー」なるツアーに参加した。観光バスでリヴァプールのビートルズ縁の地を廻る2時間のバスツアーである。

 12:00にアルバート・ドックを出発し、ジョージの生家、リンゴの生家、歌になったペニー・レインやストロベリー・フィールド、ジョンが住んでいた家(Mendips)、ポールが住んでいた家(20ForthlinRoad)、ポールとジョンが始めてであった場所、リンゴ、ポールの高校、ジョンの通った美術学校と廻り、最後キャヴァーン・クラブのあるリヴァプールサウンドのメッカ、マシュー・ストリート近辺で解散となる。

 もちろん参加者はビートルズが好きな人ばかりだし、バスの運行中はガイドのポールおじさんが訪問地の解説をしてくれる。そして合間にはビートルズの歌がBGMとして流さる。もうビートルズ一色のツアーだ。

 仕事じゃないが、やっぱり現場に行ってみるといろんなことが良くわかる。ジョージやリンゴの生家はいかにもワーキングクラスの市民住宅だったし、ポールの家は多少良かったけど、それでも彼らのマネジャーをしていたミドルクラスのBrian Epsteinの家に比べるとずっと劣った。「ビートルズが受けたのは、彼らがリヴァプールのワーキングクラスの出身だからだ」なんて話を聴いたことがあるが、確かに彼らのファミリーはワーキングクラスなんだということが分かった。(まあ、もう今やPaulはSirだけど)。

 また、彼らがホントにリヴァプールと言う街の地元仲間なのかが良くわかった。彼らの家は各々十分歩いていける距離なのだ。リンゴとジョージの生家はほんとネイバーといえるほどの距離だし、ポールとリンゴは同じ学校。そして、その学校とジョンの美術学校は隣り合わせ。彼らはホントに地元の仲間だったんだ。

 そして、ペニーレーン、ストロベリー・フィールドなど歌の舞台を訪れると、その曲がますます好きになる。

 小雨がしとしと降る生憎の天気だったけど、とってもビートルズにお近づきになれた気になるツアーで、とっても楽しかった。

 2011.2.13

リヴァプール旅行 (1/3) ビートルズ縁の地を訪ねる

2011-02-13 19:53:12 | 旅行 海外
 「イギリスに来たからには必ず足を運ばなくては」と思っていたリヴァプールをやっと訪れることができた。ビートルズ縁の地を訪ねるためだ。

 私はビートルズマニアではないし、楽曲以外の詳しいことはあまり知らない。もちろん同時代の世代でもない。でも、音楽は大好きだ。大学時代に友人に教えてもらって以来、いつも自室の中、車の中など、彼らの音楽は身近にあった。今でもたまに、どうしようもなく聴きたくなる瞬間がある。これまでのいろんな人生のシーンにくっついていた音楽でもある。なので、ビートルズ誕生の地ともいえるリヴァプールは行かねばならぬところだった。

 土曜日の昼下がりの2時過ぎ、Eustonの駅からバージン特急に乗った。2時間10分で着く。地図で見ると遠いのだが、思いのほか早い。リバプールは大戦時にドイツにコテンパンにやられたので、街自体は新しく、お洒落なショッピングセンターなどがあり、活気のある地方都市だ。

 さっそく、ビートルズ・ストーリーへ直行。ビートルズの生い立ちから、リヴァプール時代、メジャーデビュー、海外ツアー、映画製作、解散、その後のソロ活動までを、時系列に、当時の品(使ってた楽器とか)、再現セット(ビートルズが日々出演していたキャバンクラブなど)、関係者の証言などで振り返るビートルズ博物館だ。日本語の音声ガイドもあり、とっても楽しめる。

 それにしてもジョン、ポール、ジョージ、リンゴという才能が、同じタイミングで、同じリヴァプールに居たという偶然や、そしてジョンとポールの特異な個性とそのケミストリーには改めて驚くばかりである。

 閉館までの19時まで粘って、一旦ホテルにチェックイン。今回は2つ星のかなりチープなB&Bだったのだが、なんと1階にあるパブがMcCartney's Barという名前。ホテルの壁にもいたるところにビートルズやポールのポスターや写真が飾ってある。それだけで、嬉しくなる。

 ホテルで休憩した後は、次は夜の部へ出撃。あのビートルズ常連の幻のクラブ、キャバンクラブ(ホンモノは1973年に閉鎖。その隣のビルに1984年から復活)へビートルズバンドのライブを聴きに行った。

 入り口から地下に降りていくと、2つのエリアに別れている。入口近くの部屋は生演奏つきのパブ、奥の部屋がライブハウスの作りになっている。パブの方は、レンガの壁、ステージのつくりが、博物館でみたばかりの当時のキャバンクラブをそのまま再現した作りになっていた。この日は、別料金(といっても10ポンドだが)で、月1回、土曜日に行われるビートルズの日なのである。奥のライブハウスエリアでの公演。

 21時からとチケットに書いてあったが21時30分まではBGMが流れるだけ。ただ、部屋は、開演前からお客さんで一杯で、すごい熱気である。椅子は隅っこのほうに少し置いてあるだけだから、みんな基本的に立って、ビールやカクテルなどを飲んでいるのだが、なんか期待感一杯の表情。9時半をすぎたところで、ビートルズルックに身を固めたバンドが登場。ポールだけが、顔もそっくりで笑ってしまった。"A Hard Day's Night"で始まった。最初からボルテージは最高に上がっている。初期のナンバーを中心に、前半と後半の2部構成で日付けが変わる直前まで盛り上がった。老若男女、リヴァプール、マンチェスターの近隣の地元の人、世界各国からの観光客が、一緒になって盛り上がり、歌う。ビートルズぐらい世界共通言語の歌があるだろうか?世代を超え、国を超え、皆が一緒に歌えるのだ。なんと、楽しい時間だろう。

 ロンドンよりは2,3度は低いと思われる寒い夜の道を、熱気で火照った体を冷ましながらホテルに戻った。

 ※ビートルズ・ヒストリーのHP
  
 ※キャバンクラブのHP
 

ナポリ旅行(4):再び国立美術館

2011-02-01 22:36:28 | 旅行 海外

14:50 帰りの列車に乗る


16:00 再び国立博物館へ。復習へ。前日、軽く流した絵が、今度はリアリティをまして見える。こんな絵、昨日見ただろうか? 

17:30 博物館を出て、ホテルで荷物を引き取る。
18:10 バスに乗って空港へ。
18:25 到着。早く着きすぎたので、食堂でリゾットを食べる。
20:10 発予定が遅れて、20:40ぐらい発。
22:15 スタンステッド空港着。
23:05 バス発。24:00 家到着。

サンカルロ劇場とポンペイ遺跡の2日間。あとピザか。青い空とは全く無縁のナポリだったが、とても有意義な旅立った。きてよかった。

(おわり)


ナポリ旅行(3):ポンペイ遺跡

2011-02-01 22:25:37 | 旅行 海外

2011年1月31日

7:00 起床 朝から雨。結構降っている。ちょっとがっかり。
7:30 食事 たいしたことないビュッフェ
9:00 チェックアウト
9:40 周遊鉄道に乗る。しょぼい電車。車体中にスプレーの落書きがしてあって、昔のニューヨークの地下鉄みたいだ。
窓から眺めるヴェスヴィオ火山が美しい。段々、晴れ間が時折覗く天気に。

10:20 入場

感動的な遺跡群。当時の様子がそのまましのばれる。日光江戸村のホンモノバージョンだ。フォーラム、神殿、マーケット、家家のつくり、壁絵、庭、通り、劇場、競技場、娼館、パン屋、医者の家、公衆浴場。なぜこの町には人がいないのか?が不思議なくらい。人のざわめき、喧騒が聞こえてくる。犬が時たまあるいるのがまたリアリティを倍増させる。きっと、この時代も犬がいたに違いない。

いくつかの家が錠がしてあって、中に入れないのが残念。

前日に博物館で買ったガイドをもとに歩く。一つ一つ見ていたら丸1日がかりだろう。半分ぐらいでも優に4時間半かかかった。途中で雨が強くなる


歴史を学ぶといことは、自然に対して人間が無力であることを知ることであり、人間の知恵に尊敬を払うことを知ることであり、自分自身の限界を知ることである。

(つづく)


ナポリ旅行(2):サンカルロ劇場でオペラ、再びピザ

2011-02-01 22:11:48 | 旅行 海外

6;30 サンカルロ劇場入場  噂どうり豪華絢爛 こじんまりしていて、良い。

7:00開演。 オペラは期待以上に良かった
筋は全くわからない
バロックオペラなので展開事態に面白さは無い。ただ、相当、アレンジがしてある感じ
①舞台が面白い: オケが舞台に上がっている、、白をベースにしたハコモノと照明が上手く組み合わさって美しい。幕間?に男女のペアのブルース歌手の歌なのど掛け合いが3回もあった
②楽器編成が面白い:ソロのプレイヤーが舞台前に出てきて演奏する(ヴァイオリン、ピッコロ、サックス、木琴など)。サックスとかがいる。電子ギターまで出てきた
歌手はこいつは図抜けているというのはいなかったが、そこそこ満足いく歌唱。
音楽がとても美しい。ヘンデルや初期のモーツアルトのオペラのよう
カーテンコールで最後のおじいさんが出てきたが、あの人が演出家だろうか?



10:20 終演
10:30 マルガリータピザ発祥の地といわれるレストランへ
帰りは再びピザ。マルガリータピザ発祥の店で食べる。昼より高いが上手い。ビール、ピザ、サラダで20ユーロ。


11:30 バスを待ったがちっとも来ないし、廻りに怪しげな若者がウロウロしていたので、タクシー拾って帰る。15ユーロ也。多少ぼられた感はあるが、バス停で親父狩りに会うよりいいだろう。

(つづく)