バイユー ゲイト 不定期日刊『南風』

ブルース、ソウルにニューオーリンズ!ソウルフルな音楽溢れる東京武蔵野の音楽呑み屋バイユーゲイトにまつわる日々のつれづれを

思考の長さと今年の桜

2011-04-03 | ある日の出来事

確かに3月は長かった、と話題になりました。皆さんそう感じているようで改めて時間の過ぎ方、感じ方って…と思ってしまいました。
とそんなあれやこれやの中、スルドイ女性Uさんからビシリと回答をいただきました。
「時間の長さは思考の長さ」
うーん。つまり時間の長さ(感じ方)は思考の長さ(量)に比例するということのようです。
なるほどなんとなく納得です。子どものころは興味も疑問いっぱいでした。テレビのコマーシャルや大人の何気ない会話の中にも未知の事柄が溢れていました。思考、かどうかはわからないけれど確かにいろいろなことがものすごい勢いで頭の中に入って来ていたような気がします。そして新鮮な季節の匂い、街の匂いを感じる感性も豊かでじっくりゆっくり味わっていたようです。あの夏の長かったこと。。。
それに対して、時間があっという間に過ぎて行くようになった最近は予定や時間に追われて、それらをこなすのに懸命で確かに考えることゆっくり時を感じることに欠けていたように感じます。
「そーか、なんも考えんで暮らしよったきかぁ~、いかんにやぁ」という単純なことでもないのでしょうが。そんな日常さえも吹き飛ばしてしまうような、誰もが個々の思考の中に沈みがちな日々であったということでしょう。

そんな指摘をしてくれたUさん曰く。「今年の桜を目に焼き付けなければ」。
こんな(自然を傷つけた)春に変わらず咲いてくれた桜、命に例年以上の感動を覚えます。静かに桜の下でこの忘れられぬ春の光景を心に焼き付けねばなりません。「私はする」ということでした。

桜の下で馬鹿騒ぎしている場合じゃあないのです。静かに酒を飲むも良し、ただ佇むも良し、共に記憶を刻みたい人たちと共に過ごすのも良いのではないでしょうか。宴席を持つのだって個人の自由です。問題は気持ちでしょう。電車の隣の席、日々出会う方々、あなたの隣に被災地がふるさとであったり、ご家族が深刻な事態の方がなんとかバランスをとって日常を過ごしている可能性は決して小さくはありません。ちょっとした想像力を働かせればわかることです。

あと少しの時を待てば被災地にも桜が咲くことだと思います。宮城にも岩手にもそして福島にも。僅かな開花の間に命の鮮やかさと儚さを感じさせる桜の花は過酷な環境にある方々にどのように映るのでしょう。今年の桜は特別なものだと思います。
言われて改めて気づかされました。心して目に焼き付けたいと思います。Uさんありがとー。


てっぱん

2011-04-03 | テレビ番組

NHKの朝ドラ『てっぱん』が終わってしまった。

Photo

実は熱心に観てました。なかなか泣けるのよコレが。あ、過去形か。
内容を知っている人にしかわからない話で恐縮ですが、いかにもなストーリーでもセリフや仕草、細部がなんともツボでね。主演の女の子のことは最初から今までそんなに可愛い!とかまでは思わなかったのですが、デヴュー作らしくなんとも輝いていました。特に中盤以降は素晴らしかった。加えて、準主役の富司純子は素敵でした。というか全体の演出が良いのでしょうか?全体を通してなんども個人的ツボがありましたねー。あー恥ずかしい(笑)
かつてバイユーで『てっぱん』を語っていたらAヤマさんから「確かにあれは良く出来てるし、すごくいいよ。でもあの展開でそれほどいいと思うのは君が年をとったということだよ」と言われてしまいました。
そういうことだったのか~!!!
そいうことなのかどうかはわかりませんが自分にとっては朝ドラの中でも白眉の出来でした(『ゲゲゲ』や『ちりとてちん』も良かったけど)。まぁほかにあんまりテレビを観ないので比較対象が少ないのですが…。でも個人的にツボが多く。
そして震災による中断があった為、忘れられない番組になったことは確かです。

オープニングのお好み焼きの縁がクリスマスはクリスマスリースになっていて中村玉緒の「メリ~クリスマス」の声で始まったり、お正月は正月飾りに…なんとも楽しかったな♪そして泣きドコロ満載だったし(笑)もう観られないと思うとなんだか寂しいような気がします。もう朝ドラはいいかなぁ、余韻が壊されそうだし。テレビ毎日観るのもしんどいし。
以上、最終回の余韻いっぱいで書きなぐってみました~。

ん?なんだか恥ずかしいぞ。