バイユー ゲイト 不定期日刊『南風』

ブルース、ソウルにニューオーリンズ!ソウルフルな音楽溢れる東京武蔵野の音楽呑み屋バイユーゲイトにまつわる日々のつれづれを

ラジャダムヌーンの辰吉丈'一郎

2008-10-27 | ボクシング

巷で報道されているように元世界バンタム級チャンピオン辰吉丈'一郎選手が5年ぶりとなる復帰戦を遠くタイのラジャダムヌーンスタジアムで行い勝利を収めた。会場には500人近くの日本人が集まり声援をおくったとのことだ。

頭部に打撃を加え合う危険な競技故に、日本では年齢制限のあるボクシング。定年制の特例”チャンピオン経験者の場合は個別に判定する”という但し書きがあるにはあるが、最後の試合から5年が経過しその特例からも外れた辰吉選手が海外に活路を求め試合に出場。
自分は現役、まだやる。もう一度世界チャンピオンになるまで辞めない。という彼の口癖を本気でとらえる人も少なくなった2008年。本当にリングにあがったのだ。

かつて目を患ったということもあり、かねてよりボクシングを続けることの危険性を指摘され続けてきた辰吉選手。これまでのダメージの蓄積も問題視されている。事実、5年前の最後の試合は危険な内容だった。ほんとんどのファンがもう辞めて欲しいと願って来た、と思う。

そう、実は僕は辰吉選手のファンなのだ。

近年親しくさせて頂いている方の中からは「意外だ」という声も聞かれるのですが、事実であります。
プロデヴュー戦を除く節目節目の試合はほとんど生で観戦しているというくらいの辰吉ファンなのでした。初の後楽園登場で日本タイトルを奪取した岡部戦、世界の技巧の前に苦しんだトーレス戦。そして世界王座獲得!大阪は守口で観たリチャードソン戦。眼疾から復帰して大阪でラバナレスに敗れた試合。名古屋レインボーホールのてっぺんで観た薬師寺戦。横浜でサラゴサに叩きのめされファンに土下座して詫びた試合。そして、雨上がりの大阪で目に焼き付けたシリモンコンを倒して世界王座に返り咲いたあの試合!その他もろもろ現場で観戦してきました。彼のどこが魅力的だったか??といえばまずはそのボクシング。残念ながら眼疾以降は激しく殴り合うファイター・スタイルになってしまったけれど、キャリア初期の攻防一体のボクシングは本当に素晴しかった。メキシカンみたいだ!とさえ思ったものでした。そしてそれ以上に彼のボクシングへの愛情に満ちた振るまいに参っていました。そのキャリアも試合数は少ないながらも濃密で、網膜剥離以降調整試合が挟まれるようになるまでは全ての試合が新たなハードルといった趣きで辰吉が勝って当然と思われる試合はなかったように思います。特に最初の世界王者になるまでは1試合1試合ドキドキさせられました。そのあたりが(同じ一般メディアでも話題になっているといっても)Kファミリーなどとは決定的に違うのです。

そんな元ファンでありながら今回の復帰戦の顛末は複雑な思いで眺めていました。
…そうです。やはり危ないと思っているからです。大きな怪我をするところを見たくない、そんな気持ちもあったのかもしれません。

だけどここまで本人が強く求めての行動を、他人が否定することはできません。
とはいえ、ガンバレタツヨシ~!と両手は挙げることまではできませんが
結果を気にしながら、大きな怪我をしないで欲しいと願うのみです。

先ほど、ネット上の非合法映像で昨日の試合を観ることができました。対戦相手は遥かに格下の相手ではありましたが、それはあくまで辰吉選手がかつての現役のボクサーの状態であったならばということです。現時点ではどんなに格下でも、若いプロボクサーというだけで十分に危険に感じられます。客席から撮られた映像は10数年前、サラリーマンを辞めて暇な時にひとりで訪れたラジャダムヌーンのリングを映しだしていました。2Rに2度相手を倒して勝利を収める辰吉選手。駆けつけたファンから沸き起こるタツヨシコール。20081026_2
…恐ろしいことに映像を観ていると知らず知らずのうちにかつて彼の試合を観て応援しているような気分になっていたことです。正直、辰吉選手の最近の言動にはピンとこないこともあったのですが、画面の中の彼はボクシングのクオリティがどうこう~を凌駕してまだ魅力のかけらを持ち合せていました。もし本当に世界王者に返り咲いたら大興奮だよなぁ~などと一瞬、ありえないと思えることを考えてしまったくらいです。
思い返してみると11年前のシリモンコン選手への挑戦。当時限界説が囁かれていたタツヨシが若くてイキのいい(強い!と評判の)チャンピオンに挑む。危険だ。無謀だ!と言われていたものです。僕も彼の痛めつけられるところが観たくなくって、行かないつもりだったのですが。たまたま試合の少し前、共通の知人がいたためにある場所で辰吉選手と同席した際になんとなく流れで「応援にいきます」…と言ってしまいました。それでもどうするか、ふんぎりがつかなかったのですが、当時住み込んでいた名古屋の大須の友人宅で当日朝になって「最後の試合を観に行こう」と大阪行きを決めたのでした。そしてそこで目にしたのはあの衝撃的なKOでのタイトル奪取。
そんなことを思い出してしまうくらいに、まだあのころの香をほんのりと漂わせている2008年の辰吉丈'一郎でありました。

…ただ、5年前の試合と昨夜の試合。
やっぱり、大きな怪我をして欲しくないという気持ちが何よりも勝ってしまうのです。本人の意思を尊重する気持ちがないわけではないのですが。。。世界チャンピオンに返り咲かなくてもいいので、怪我なく納得して現役生活を終えて欲しいと願うのみです。

でも年下なんだよなー!