バイユー ゲイト 不定期日刊『南風』

ブルース、ソウルにニューオーリンズ!ソウルフルな音楽溢れる東京武蔵野の音楽呑み屋バイユーゲイトにまつわる日々のつれづれを

ジーコ監督

2006-06-27 | サッカー
ジーコ監督の退任会見なるものがあったらしい。
世間では監督としての手腕を疑問視する声があれやこれや…
う~む。結果論やねゃぁ~。
ジーコ監督の策についてあれやこれや勝手な事を言うのは、応援した一般のサッカーファンのささやかな権利であって、かろうじて「日本サッカーを良くして行こうという立場からの検証としての評論?」なんぞが(一貫して発言して来たならば)許されるのかなと思う。いわゆるサッカーをプロフェッショナルな目で論じることのできない、そんな力のない専門外のマスコミ?が戦略批判などを繰り広げるのは正におかど違いもいいところで「それは居酒屋の酒の肴レヴェルだろ!」と思ってしまう。俺たちの大切な権利に踏み込むなよ~って感じ。「~あそこの交代が」「意図が…」なーんて言うのはバイユーのカウンターにまかせとけ!です。
などとあくびしながらジーコ論?らしきTVを眺めていた私のココロの中の声に応える文章を発見したのでここに転載してみます。筆者は私の年長の友人で(あえて友人といわせていただきます)漫画原作者で作家でもあり豊富なキャリアを持つスポーツライターでもある田中誠一氏。「バイユーブログに転載してもいいッスかぁ?」ときくと二つ返事で了解をいただきました。感謝。


ジーコジャパンが終わった。

ドイツW杯のこの結果についてはジーコの采配に問題があったという意見が圧倒的だよね。
うん、ぼくもオーストラリア戦はとくに、クロアチア、ブラジルと、疑問の采配はあったのだけど、今回はすべてジーコを信じようと決めてたんだ。

実はジーコに会ったのは91年の2部リーグの住友金属へやってきたときなんだけどね。
信じられなかったよ。
鹿島へ取材に行ったとき、あの神様ジーコが、日本リーグの、それも2部リーグにやってきて、芝のグランドというより、固い土の荒れたグランドを走ってたんだよね。

インタビューをさせてもらったんだけど、ジーコは本気だったよ。
熱い言葉の数々・・・
日本へまさにサッカーの伝道師としてやってきたと思ったね。

当時、インタビューは時間で金額が決まってたんだけど、通訳を通してだったもんで、聞こうと思った半分しか聞けなかったんだ。
するとジーコが食事に誘ってくれてね。
今からはプライベートだからと、そこからはお金に関係ないと広報抜きでインタビューに答えてくれたんだ。
そんな人間なんだよジーコって。

それから2年後にJリーグが開幕、あの2部の住友金属が鹿島アントラーズとなっていきなりの優勝。
ジーコによってプロのサッカーというものがこの日本で生まれ、育っていったことはだれもが認めることだろ。

本当に伝導師だったんだ。
あの91年のジーコが、あの田舎の工場の横にあるデコボコのグランドで、日本サッカーのために走っていた姿から15年、15年もこの日本でがんばってくれた神様。

だから、結果は残念だったけど、ぼくはジーコに「ありがとうございました」って、心からそう思ったんだよね。



人それぞれだとは思うけど~結果論で態度を変える人間にはなってるヒマはないんだよねー。
人生、時間がありあまっているワケではないのだ。
ジーコに戻ると、世界的スーパースターが土のグラウンド。サッカー先進国の姿を少しづつ知って来るにつれ、お金や名誉を越えたところで本当に考えられないことだと思う。ジーコはJリーグブームの鹿島アントラーズにやって来たわけではないのだ。
田中さんはその事実と、その時会ったジーコにホントってやつを見たんだねぇ。そして一貫しているわけだ。
その後のジーコと日本サッカーにはいろいろあったけど彼は日本に見切りをつけなかったし、田中さんもジーコを信じていたわけなのだ。その「いろいろ」で神様ジーコはいいところも悪いところも、いわば素のジーコを「サッカー後進国」でさらけだして15年を過ごしてきたわけなのですね。。。
繰り返すようですが観戦者が一喜一憂し、采配に怒りを見せたりするのは娯楽としてのサッカーから与えられた権利であると思います。でも一般メディアは他に伝える事やとるべき態度があるだろう~と感じるのです。まぁ、例えばTBSが就任から一貫してジーコ不要論を唱え続け、険悪な関係で有り続けた。などというならばそれはそれで面白いのですがね…。

極論を言えば「ジーコにはワールドカップ1大会を自分で消費するくらいの権利がある!」とでも唱えましょうか(笑)。加えれば「カズも戦略、戦力うんぬんを越えたところでフランス大会を経験する資格に溢れていた!」。
ああ~「権利」や「資格」って薄っぺらく、虚しい言葉だなぁ。そしてろくでもない結果を生む、危険な言葉でもあるのです。でも、別にジーコがドイツ大会を無駄に消費した、としてもいいじゃないかと思います。だって「初めて」アジアの予選をキチンと通過して気持ちよくワールドカップに出場してくれたじゃないですか。そしてブラジルとの試合を明け方、見せてくれたじゃぁないですか。
前大会からの成績の後退?日本サッカーの進歩に陰り?な~にを言っているのでしょう?バイユーで話題になったのですが一次リーグ2戦終了時で韓国のワールドカップ総失点は51。対して日本は10!痛い目にあった数が違うのです。
地元開催を除くと初めて挙げた勝ち点1。騒ぐ程の後退でしょうか?
今後更にワールドカップでは痛い目にもあうでしょう。そうして発展?していくのではないのでしょうか?いや、それどころかワールドカップ出場を逃す事もあるでしょう。強豪国だからといって毎回出場しているわけではないのです。日本の出ないワールドカップをどう味わうか?2大会連続で逃すことだってあるかもしれません。すると次は12年後です。そうした経験を経て(経たくはないですが)「進歩&発展」?はあるのではないでしょうか?

なんだかわからなくなってきました(困)
僕はサッカー素人ファンとしてあーだこーだ文句も言いますし、ジーコ監督が良かったとも思っていなければ、あんな3試合で良かったとも思っていませんが

ジーコさんには感謝しています。
ジーコが4年間代表を率いて自力で予選を突破し、ワールドカップを経験し、日本を去る事で「ニッポンプロサッカーの黎明期」が終わった、一区切りついたのだなぁと感じています。
苦言も大切ですが感謝も大切です。2006062700000008dalspothum000_1



日曜日は矢島康孝ライヴでした。

2006-06-27 | ライヴ報告
日曜日はアコースティックギター・インストゥルメンタルの矢島康孝、2度目のライヴでした。アコースティックギターの前にマイクを立てて、2ステージじっくりと聴かせてくれました。お客さんもお酒を楽しみながら、のんびりじっくりとギターサウンドを味わってくださっていました。
決して派手なライヴではなかったのですが最後の曲が終わると大きな拍手が、そしてそれはアンコールを求める拍手に…しかし矢島康孝の「もうネタがないから」というひと言で終了(笑)
本人は前回より緊張していた、ということでしたが、緊張も良い意味で作用した濃密な時間でした。御来場の皆様ありがとうございました。次回は少し時間をあけてライヴ構成なども練り直し、より楽しんで聴いてもらえるようなライヴを演る!と言っておりました。「10月くらいかなぁ~」とのことです。乞うご期待。
写真は隠しダマ、マンドリンなぞを弾く矢島サンです。060625_