AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

時代を映すマッチング ビューポイント ライン⑵

2017-08-22 16:45:15 | アイディアのIdentity




ジョージルカスのILMが製作した「フォレストガンプ」のケネディとガンプの握手には驚いたものだが、それから23年を経て進化は既に見分けがつかないほどにまでなってしまった。

「NHK 東京ブラックホール1945」この表現に異論を唱える方々もいたが、それは全てにおいて前向きではなく、単に批判する希薄な方々に思えた。民放が出来た頃、TBSがやっていた大山勝美さん他 実験ドラマを思わせる。在職中 テレビもラジオCMも企画したが、いろいろと批判する方々もいた。クリエーティビティを高めていく上で プレゼンテーションの第一人者 スタンフォード大学のティナ・シーリング教授の、先ずは他を認めてからアドバイスをする。
そこでクラインとが「こう変えたんですよ。」とエクスキューズしても意味がないものだ。同じものを作ってみて、比較し、批評するのであればそれで対等な立場である。制作者としての基本は、他を認めてからではないと単なる「妬み 嫉みの遠吠え」となってしまう。若い方なら未だしも、経験豊富なディレクターもプロデューサーも、その時点で思考が止まっていると思う。批評はどうとも言えるが、そこには確固たる理論的な表現技法が必要なはずだ。思考が止まったら既に辞めた方が良い。かのトスカニーニはNBC交響楽団を指揮している際に、スコアーを読めなくなり、翌日引退表明したらしいが、他を認められなくなったら辞めた方が良いし、その時点でやめるだろう。他を認め ワクワク感がなくなったら身を引く時期でもある。僕はそう思うし、上には上がいるし、下には下がいる。自分の立ち位置を確認する事だ。