AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

インとアウトの目眩し⑵

2017-08-19 15:01:11 | CGMの感染力









マス媒体とソーシャルメディアの広告の差は、すでにサイバーアドは1兆円規模となりデジタルプラットフォームもリアルタイムにネガティブアドも整えてくれる。街角のデジタルサイネージュ 電子掲示板もこのタイムラインにも載っている。マスメディアのTVCMやRadio CMのみがこのサイバーのタイムラインに載っていない。一部のCMだけが質を保ち、広告は文化だと言われた昭和の面影を保っている。




時代はすでに平成28年である。日清のカップヌードルのCM「魔女の宅急便シリーズ」今の十代の世代はどういう感覚で観ているのだろう?魔女の宅急便は1989年 すでにこの歳に生まれた方は28歳であり、千と千尋の神隠しは2001年 ベルリン国際映画祭で金熊賞を、アカデミー長編アニメ映画賞も受賞したが、既に16年が経っている。
我々は第一次「The Beatles世代」であるが、今の若者達にも共感を得ているように、ソーシャルメディアでの時間軸の中で広告というものも捉えているのであろう。だから彼らにはテレビのCM枠 の窮屈さには耐えられないのかもしれない。日清カップヌードルの新しい表現は、凡そ30年前のノスタルジックで評価はされない。ただ単に「質が高い」から話題にもなり受け入れられている。SNSの広告効果で眼を見張る物がある、それはInsrgram女性20代から30代に絶大に支持されている写真投稿サイトだ。




単に情報を受け取るだけでなく、情報を発信する側として載せる画像にも質をもとめている。そして彼女らは写真を撮るために労を厭わないのである。そのものが食べたいからわざわざ店を訪れるのではなく、質の高い画像をアップする為に交通費を使い その店の話題の商品を自分なりに捉えてアップする。
「食べたいからではなく、自分の画像にアクセス数を求めているのだ。
このお陰で、店も潤うのである。従来のマーケティング戦略では説明できない事が事実起きているのである。