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コロナ共存の広告表現の近未来観

僕が転職した理由(4)

2017-01-12 17:36:35 | メディアの一向一揆






日本心理学会の公開シンポジウムでも、「日本のアニメーションで特長的な3コマ打ちの作画の意味を、動きを認知する人間側の機能から照らして積極的に捉えるという部分で通底している。従来なら「3コマ打ちなど経済的理由による省力化の産物だ」くらいに述べられていたことからすると、大きく前に出た姿勢を示しているつもりだ。 」とあります。制作費削減の為の3コマ打ちが
映像心理学的に、キャラクター達の心理描写を捉えてくれる。
(http://www.mappa.co.jp/column/katabuchi/column_katabuchi_23.htmlより一部引用させて頂きました。)





まさにフルフレの「くねくね」流されてしまう手法とは違うのです。巨匠 宮崎駿、高畑勲他多くのアニメーターの監督達は、自分の手法としての個々のメソッドを持っています。「となりのトトロ」のトトロもネコバスも宮崎監督にとって「絶対的に存在する。」そういう意識がないとキャラクター達は活きてこないのでしょう。同じ様に「この世界の片隅に」主人公の「すず」さんが広島の町並みや呉に暮らしていた。この存在価値を観客に植え付けないと虚構になってしまうのです。監督が足で稼いだ広島や呉の町並みのリアリティな背景にもすずさんがいた。そのリアリティが、観る側の心にすずさんがずーっと住んでしまうんでしょう。映像心理では加現運動 と言うそうです。小津安二郎監督が仰ったと言う「終わりのスーパーが出てもその中に描かれた人々の生活はずーっと続いている。」これに通じるものです。若い頃、「アニメの喜怒哀楽は描ききれない。日本のアニメを作る側も観る側も「決まりきった動きには誰も満足しない。」この事だったんだと凡そ40年かかりました。もう一つここいらも国外の許容範囲だが、国内ではあり得ない事でしょう。




NHK「終わらない人。宮崎駿」ドワンゴの人工知能が作り上げた動き。これに障害者の動きとオーバーラップした監督、この怒りこそが日本の培ってきたアニメの本質がここにあると思います。若い方々は「唖然」としてますが、この差は大きいのです。
凡そ100数十年前に写真を連続のシークエンスとして捉えたリュミエール兄弟 キャラクターに息吹を与える事で独自に進化した日本のアニメーション技巧、この心に届く技法は真似できないし、人工知能でやってはいけない事。40年間 モヤモヤしていた思考がやっと説明できました。



1月11日(水)のつぶやき

2017-01-12 02:37:08 | 百済ない話