AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

分断と花火とPost Truth(1)

2017-01-02 23:09:00 | 今そこにあるメディアのリスク





























Eテレ 「新世代が解く!ニッポンのジレンマ 元日SP▽恒例!12人の異才たちが徹底討論」
を観ました。オックスフォード大辞典が選んだ2016年の言葉が「Post Truth」でした。
EUからの英国の脱退劇 これも英国民誰もが「そうはならないだろう?」と言う甘い誤算でした。
EUの恩恵を受けている企業や人々は、強いて言えば教育を受けている知識階級です。このEU脱退に賛成したのは、EUの恩恵も何もない知識なき白人低層階級でした。
EU離脱の賛否を問う国民投票で離脱派を主導したボリス・ジョンソン前ロンドン市長でした。
本人もこうなるとは思っても観なかったのです。

アメリカでは、エスタブリッシュメント(支配階級のこと)の声は、マスコミ等を通して政治のなかで代表されてきた一方で、産業の空洞化で雇用を失うなどして痛手を被ってきた白人労働者たちの声なき声は、トランプ氏の登場によって初めて知られるようになったと言えます。
現在のアメリカ政治は「人民の人民による人民のための政治」ではなく、一部のエリートのための政治となってしまっています。「民主主義を代表する国だ」という世界中への触れ込みとは裏腹に、現在のアメリカは、すでに民主制ではなく寡頭制となっているのです。

新年恒例の「ウィーンフィルのニューイヤーコンサート」を観ながら、このコンサートの衛星中継も来年は観れるのでしょうか?
このブログを書いている時に、トルコ インタンブールのディスコが銃撃されたと伝えております。



世界中が新年を謳歌するように花火が上がり、この世界にはサッチモの「ワンダフルワールド」が流れ、富裕層も貧困層も白人も黒人 我々黄色人種も国境もなく、平和を演じているように思うのです。これも「Post -Truth」なのかもしれません。


1月1日(日)のつぶやき

2017-01-02 02:38:44 | 百済ない話