AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

分断と花火とPost Truth(2)

2017-01-03 21:35:25 | 今そこにあるメディアのリスク








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クリスマスのシーズン 多くの企業が質の高いCMを流します。花火同様にこの世界を覆い尽くしていく、「暗い闇を敢えて明るく照らす。」これも摩耶かしなのでしょうか?
日本のレインボービレッジにあがる新年の花火と比較すれば、その費用も比較にならない膨大な金額でしょう。世界中があの花火で、本当の事を隠すように、2016年何もなかったように負の出来事をパソコンのdelete keyのように「何もなかった事」にしていく。
トランプの発言の7割は嘘っぱちであり、ヒラリークリントンの言っている事は正しいのですが、
いくら理屈を並べても理論整然と訴えても、「Make America Great Again!」には敵いません。
既得権益を得てきた富裕層優遇と思っているのです。
英米の教訓は日本にとって他人ごととは思えません。私たちも政治の言葉、経済の言葉、日常の言葉、等々との新たな関係を考える時期に来ているような気がします。
Eテレ「日本のジレンマ」でPost Truth 」を取り上げた事は、世界がポピュリズムへ、そしてファシズムに向かう中で、この国も向かいつつある近未来への歯止めになってくれる事を願うばかりです。でも問題なのは、論理的に物事を考えられない方々です。ネットでも酷いヘイトスピーチを書き込む方々が後をたちません。






サントリーオールドの名作CM「恋は遠い日の花火ではない」このCMを観た時、思ったのは芥川龍之介の舞踏会を思い出しました。
ピエル・ロティことジュリアン・ヴィオは、そういった花火と人間の「生」(生命・人生)のイメージとを重ね合わせているのでしょう。
「花火のように輝く時期があっても、『人生』の中でそうした時期は一瞬のように短い」という順序ですが、それを「光り輝く時期が一瞬のごとく短い『生』のような花火」と転倒させて表現しているのです。
この名コピーの小野田さんには悪いですが、今の世相で考えますと、「戦は遠い日の花火ではない」今の時代と過去との対話がなされなければ、102年前の火花がまた導火線のように世界を巻き込むことになるのです。