AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

おめでとうのお裾分け(2)

2016-01-06 14:36:00 | 今そこにあるメディアのリスク



UNCHRの方に街頭で声をかけられました。「アンカー知ってます?知らないでしょう?」
こういうのには頭にくる。何も考えず、上から目線で要は寄付するであろう我々を見縊っているんですね。このちっぽけな国の精神性の高さは「逝きし世の面影」で味わえます。勝海舟の勝小吉は、家から金を勝手に盗み大阪へと出奔した。それを記したのが『夢酔独言』です。
文化12年(1815年)、江戸を出奔。上方を目指す。護摩の灰(旅人を騙して金品を奪う盗賊)に路銀と服を奪われ無一文になり、乞食をしながらとりあえず伊勢参りをする。旅の途中で病気になるが、乞食仲間や賭場の親分に助けられ、江戸へ帰る。(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/勝小吉#.E3.80.8E.E5.A4.A2.E9.85.94.E7.8B.AC.E8.A8.80.E3.80.8F) 野宿していると通りかかった飛脚が旅籠に泊まれてお金を恵んでくれたとも聞いております。





この国では「寄付」と云う行為自体が当たり前「困った時はお互い様」の精神が遺伝子に組み込まれてる民だと思います。だから武士も農民も町民も貧しいけど「無償の微笑(ほほえみ)の国」と異人達から賞賛されたのでしょう。以前 「モッタイナ」を「MOTTAINAI」と世界へ提唱したのはマータイさんでした。寄付ではない「お裾分け」がこの国では一番あっている言葉かも知れません。今日も駅で「可哀想な犬猫に、、、」と暗記してるんでしょうね。スマホやりながらだからゲームでもやってんでしょう。一時期 銀座や鎌倉 京都 まあ全国 あの立っていた修行僧達はどこに行ったんでしょうか?真面目にボランティアで支援する方々への侮辱とも言えますね。