ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

懐かしさ

2011-07-31 | 雑記
先日、あるブログを見たら、一週間近くお休みしていた更新が突如なされていた。

しかし、ちょっと記事の内容がぶっ飛んでいる。内容がというか、文の雰囲気が以前とまるで違う。「何が始まるんです?」と聞きたくなりそうだったが(聞かない)、文の勢いに引き込まれて、ついついあることを決心した。


前からどうしようかなぁと決めかねていて、後押しされたというわけだ。


では、以下の写真をご覧戴こう。






さあ、これが何かわかるかな?ヒントは、このブログのプロフィールの半裸の爺さん。


いやぁ、懐かしい感じがします。




子供のころ、途中で投げ出したのだが、小学校後半から週一で、中学では本当は投げ出してはいけないようだが、一年半ほどだろうか、クラブ活動で剣道をやっていた。


ある日、顧問のY先生が「本当はな、パンツはかんと剣道着を着るんだ」などとおっしゃる。

さすがに女子は無理だそうだが、なんというか怖い感じの先生で(見た目はどこかのやーさん)ハイ先生!みたいな感じで、その日は男子全員ノーパンだった。


後日、ノーパンでやるのが当たり前なのかと思って、一人だけノーパンでやっていたら、着替えの際に自分だけだったのがわかり、ひどくからかわれたものだった。


と、余談はさておき、剣道着は、要するに簡単な着物なのだが、袴の紐を締めるとき、下っ腹に当たるように締める。力が入りやすくなるのである。

重いものを持ち上げるときに、下っ腹に力を入れれば、結構重いものでも意外と楽に持ち上がったりする。重い事には変わりない。その下っ腹への意識を向けやすくするらしい。


何年か前に、車椅子のお客さんがいて、自分より体が大きい人だったのだが、何とはなしに体を持ち上げてベッドに載せたら「力ありますねぇ」といわれた。が、次の日の朝、大惨事になった。ここでは書きたくないので、個人的にこっそり聞いてください。(従業員は知っている人もいる)


茶道でも言われたのだが、重いものを持ち上げるときは、やはり下っ腹に力を入れるという。


この下っ腹というのは、「丹田」といわれている箇所で、ここに力というか気というかの有無で、その人の力強さに影響が出てくる。


こりゃまた余談だが、テレビで「下腹部」と言ったらもっと下のほうである。

阿部定が「下腹部」を切り取って大事に持っていた?へぇ、そりゃまた切り取るのご苦労だったなぁと、昔は思ったものである。


一般の下着は全部、ゴムが入っている。ずっと締め付けられるわけだ。ゴムが痛んで緩んできたら、今度はずり落ちてくるので、これはまた邪魔になる。なんともいえないはいてない感が面白いといえば面白かった。

ゴムは大抵、石油製品である。天然ゴムをユニ○ロの安物パンツに使うとは思えないし、「綿100%」とあっても、ゴムはどうあがいても綿ではない。

この締め付けと、肌に触れ続ける石油製品というのは、ひどく体を害しているという。石油製品すなわち、化学物質の塊というわけだ。


わたしゃぁおっさんなので、あまり触れると変態の謗りを受けそうだが、女性が使う生理用ナプキンも、一般のものは石油製品で、これを使い続けるがゆえに生理が長引いたり、かしこの感じがよろしくなくなったりで、そういう製品を余計に使わざるを得ない状態にさせられていると聞く。

本来は、もっとすっきり終わらせられることも可能だという。だが、変な素材の悪影響でだらだら続く。だらだら続くから、だらだら紙ナプキンを使う。業界大儲け、というわけだ。


さて、冒頭のブログの方。(以前は「男子禁制」となっていたのでリンクは貼らない)自分よりかなり年上の女性の方だが、突如、ふんどしをはくことにしたのだそうな。


しかも、ただのふんどしではない。麻布で出来ている。本来、というべきなのか。

マリファナの原料になる、大麻である。大麻の成分や、大麻の繊維などの利用価値が近年見直されている。大麻が追放されたのも、アメリカの強欲なやつらが石油製品を売るがために、虚偽のイメージを植えつけて、まともな根拠もなく追放した、という話は以前にも動画などを紹介したが、多分だれも見ていない。


麻布を直接身にまとうと、少々成分が体に入ってくるようだ。ラリるわけではなく、他の有用な成分もあるのだろう、体の調子を良くしてくれるそうだ。

まるで回し物だが、麻布を使った、布ナプキンというのもあって、絶賛されているようだ。まあ、テレビじゃ流れんだろうが。


大麻つながりで別の話になるが、マリファナがウイキなんとかで「他の覚せい剤に手を出しやすくなってしまう」などという話を書いている。

こいつはアメリカなんかじゃ大きな問題になっているのだが、今の日本といい、その手本であるアメリカといい、どういう状況を作り上げてきたか、少しでも想像力があれば判らないだろうか?


「個人の物質的な欲望をどこまでも成就させようとする仕組み」である。


あろうがなかろうが、「ここまでで十分だ」という意識を持たせないようにさせられてきたわけだ。金がなけりゃ借金させて(と思わせないで)家まで買わせる。

その上、ただ踊らされているだけなのに「もっと欲しいずっと欲しい」が個人の意思でもってやっているかのように勘違いさせている。

アメリカはそういうのでは一日の長があるので、マリファナを吸ったらもっとひどい覚せい剤に手を出す人がわんさか出来上がったというわけである。

マリファナが悪い、は一面では正しい。体だけでかいがきんちょが手を出して火傷しているだけだが。

もちろん安心してほしい。日本も追いついてきているから。


とまあ、まるで害悪しかないように言ったが、マリファナ自体も見直されているし、大麻から精製された「モルヒネ」は、医療の現場で大活躍しているそうだ。

要するに酒と同じで、一日一杯なら薬、一日十杯飲んだら猛毒、というわけだ。物事の一方だけあげつらって、広告主にこびへつらったキャンペーンをやるのが、「先進諸国」とやらのマスコミなのである。マスゴミと呼んであげましょう。



と、どこが本題だったか見失ってしまったが、早速つけてみた。


懐かしい感じ、というのは、下っ腹を紐で締める感じが、ノーパンで剣道着の袴を穿いた感じなのである。

紐でしばるというのはゴムより痛くるしくないのだろうか?と思ったが、着けてみると、それは杞憂だとすぐに感じ、ノーパン剣道を思い出したわけだ。

ゴムと違い、汗をかいたりすると布が緩んだりして、丁度よくなる。これは、茶道をやっていた時、着物で一日過ごしていた時代にも感じた。ああ、こっちはノーパンではないよ。


体の調子がよくなるかどうかは、まだ一日も経っていないのでさっぱりだが、パンツよりも自然な感じである。ちなみに、トランクスをはいていた。

風通しがいいので腹が冷えるかと思ったが、まったく冷えない。ただいま気温は二十二度で、窓を全開にして、窓から二メートルも離れていない場所に陣取ってコレを書いている。まあ、いつもこの位置なんだが。

それとは別に、通販で注文したものなのだが、納品書に手書きでメッセージが書いてあった。ちょっと感動したしだいである。


麻は、繊維や薬用成分のほかに、油を採ったり、実を食べる事も出来るし、なんと、石油の代わりになる。プラスチックまで作れるそうだ。成長も早く、多少の悪い環境などものともせずに育つ。

上のブログ関連で読んだのだが、中国では環境がひどくなりすぎたがため、国家プロジェクトで麻を育てるのだとか。綿は水を使いすぎるから環境を悪くするというし、麻は環境を良くするのにも一役買うようだ。麻布が流行ったりして?などと。


というわけで、自身の体内環境をよくするために(最近は顔が少し細くなったがいたって健康である。信じてもらえないが)これからはこれで生活する事にする。

ふんどしでキセルやってたら、一体どこの花の慶次だと突っ込まれそうだが、髷は流石にない。こちとら、体の大きさは捨丸ぐらいである。出るか怪しいが、興味が出た方は、こちらを覗いてください。ここで買いました。では、また。

他人の空似

2011-07-27 | 雑記
昨日、夜勤明けでまた「和」に行ってきた。駅前で蕎麦を食べたあと、沖縄そば専門店に行くのはどういうことだろうと思われるだろうが、なんと言うことはない。泡盛を飲むのだ。


蕎麦を食ってきたから、島ラッキョウとかモズクで一杯やるかと思っていたのだが、不意に兄さんが問いかける。


「また痩せましたか?」


うーん、またも何も、このところ少し天気が悪いので、焼けなくなったため、少し白くなったせいなんじゃあないかと思ったが、じゃあちょっと鏡を見てくるといって、見てみる。


ちょっと暗いのもあったせいか、小暮閣下のようである。あんな極端なコントラストはかかっていないが。


「もっと太りましょうよ」といわれ、蕎麦食べた腹もこなれてきたので、何にしようか考える。「蕎麦を食べてきた」ことを言ってあったので、おじややらを提案するが、こちらは普段、毎日のようにお粥を食べている。


よし、じゃあたまには肉を食らってやろうと、ミニ唐揚げ丼セットを頼んで、食べつつ、厄介な話をしていたりした。何が厄介かはここで語る言葉を忘れてしまったので、ケネディ暗殺についての米国政府機密文書公開日に思い出して欲しい。(およそ四十年後)


さて、今日は休みだった。「和」もこっちも休みのため、昨日は飲んだのである。飲まなくてもいいのだが、飲みたくなったら飲むのである。


その「和」の兄さんとの以前の話で、近所のインド・ネパール料理店の話があった。


ここで書いたか忘れたが、一駅前から歩くときに見かける、そういう料理店があって、ベジタブルカレーもあるから食べてみようかと入り、マンゴージュースがうまかったなどと書いたような気がする(カレーもうまいよ)。きっとそう。


昼過ぎに起床して、粥(禅寺ではシュクと音読みする)を食べ、しばし日向ぼっこをしていた。外から見えるので、シーツ用の茣蓙をベランダで干しながら。


時折タバコをやりながらふと思いついた。

そうだ、カレーを食べよう。


最近は外食にも危機感が募っている。それじゃあ何も食えないじゃないか、というのだが、そもそも食べなくても大丈夫になってしまいつつあるので、食べたくなったら食べる程度でいいのである。

あとはまあ、「和」の兄さんの忠告と、客商売ではあるので、ある程度「一般的」な顔つきをしておいたほうがよかろうとは思う。別に体力的には昔より改善されているのだが、さいふうめいがいうには、「人は見た目が9割」なのである。


営業時間を調べると、ディナータイムは午後五時から。現在五時近く。


もう一服したり、顔洗って鏡を見て「そこまでひどいかなぁ」と独り言をいいつつ、着替えた。


なんでも、レビューを見ると「店員の笑顔がよい」などとあったりする。飲み物のサービスがあったりする、とあったが、酒を飲むのであまり気にしなかった。


カレーはベジでいく。後は気にしない。酒は何があるだろうか、インドとかネパールの酒ってなんだろうと思いつつ到着。


どっかで見たことあるような顔の店員に「一人です」というと、ニコっと笑って、奥のテーブルを指示した。

どこで見たかと思い出すと、我がホテルに一時期逗留していた、ルーマニア人に似ている。店にいる間は思い浮かばなかった。

カウンターには店の人の娘さんらしい子供が座って、おしゃべりしていた。

そうそう、その笑顔の感じが、いつぞやのサッカーで、マラドーナがカメラに気づいた時にやった笑顔に似ていた。これはすぐに思いついた。


黒い前掛けをした店員さんが注文をとっていった。ルーマニアなマラドーナっぽい人とは顔つきが違う。ネパール系なのだろうか。

辛さは辛口を頼むと、「結構辛いですよ、大丈夫ですか?」という。多分大丈夫、とそのままにした。


お酒は、正確な名前を忘れたが、ネパールラム(正式な名前の横に括弧つきで)を頼んだ。机のメニューにはシングルとあったが、聞いてみたらダブルも出来るというのでダブルにした。

後でメニューを見直したら、ダブルの値段も書いてあった。


頼んだメニューは、カトマンドゥディナーだったか、カレーとサラダ、ナンとサフランライスに、タンドリーチキン。

家では肉は食わない事にしたが、たまになら外では食べる事にする。まあ、そこは気まぐれというやつである。


先にラムが出てきて、ちょっとしたらおつまみも出てきた。オーザックみたいなやつと、なにやらよく分からないが、細かい長方形に刻まれた、豆の粉かなにかと赤い液体をつけたおつまみ。ちょっと辛味があるので、赤いのは唐辛子か。

さらに、蓋付の小瓶に真っ赤な液体が満たされたものが出てくる。アチャイだったか、ネパールの漬物だという。一口食べると、唐辛子のせいでキムチかと思ってしまうが、後味は別物で、爽やかなものである。


座った席のまん前の壁のくぼみに何か飾ってあるのだが、刀剣の形をした瓶(瓶と気づいたのはさっき)が飾ってある。本物の刀剣かと思って、危なっかしいと思ったら、これだった

そう、頼んだラムの本当の名前は、「ククリラム」というのだ。

ツンとこない、かといって甘いわけでもなく、高い度数らしい味ながら、喉が焼けるような感じもない。まあ、普段(「和」で)泡盛をロックで飲んでるから、慣れてしまったのかもしれないが、ラムみたいなきつい酒が苦手な人にも勧められそうな気がする。


カレーが来たが、お盆からはみ出るほどの大きなナンが眼を惹く。こういうお店のナンは実に美味い。砂糖が入ってるわけではないのだろうが、甘い。

多少カレーが辛くても、ナンの甘さがあるので、よほど辛いのが苦手という人以外は、一段上の辛さでもいけるだろう。しかし、辛口の上は激辛しかない。


食べ始めて少しすると、黒い前掛けの人が「辛さはどうですか」と。もう少し甘く出来ますよともいうが、丁度いいと答えた。調子に乗って「今度来たら激辛頼むかもしれませんねぇ」などと。

タンドリーチキンは、漬け込んだスパイスの色だろうか、皮が無くなったところでも少し赤みがかっている。ケン○ッキーみたいな、食べるごとに油が染み出すようなものではない。こういうのはいい。


まあ、最近の少食のせいもあって、ゆっくりすぎたため、ナンが冷えてしまったが、予想に反してすっかり平らげてしまった。


じゃあデザートも、というわけで、自家製ヨーグルトを使った「シーカルニー」だったかを頼んでみた。

ココナッツにピスタチオが入ったクリーミーなデザート、の謳い文句通り、クリーミーだったのだが、よくあるヨーグルトの酸味すらないのがちと気になる。

まぜたナッツ類のせいと、あとは時折、歯に引っかかる、細かい別の粒がある。ちょっと引っ張り出してみたら、黒砂糖っぽい。口に運ぶごとに感じるので、結構たくさん入っているようだ。


かなり満足してしまった。外食して満足してる場合じゃないかしらんが、私は気にしない。


ところで、そのククリラム。原料はサトウキビだそうな。


ネパールの緯度は、奄美と同じだそうな。南部は暑いという。いいサトウキビがとれるようで。あの粒粒な黒砂糖もネパールから来たのかねぇと、思い返すのであった。


さーて今日の動画は

第三十二夜



第三十三夜



第三十四夜



第三十五夜



の四本です。


そういえば黒い前掛けの人、誰かに似てると思ったら、中学高校の時に通っていた塾の塾長に似ていたような気がする。塾長!お久しぶりです!では、また。

憂いなし

2011-07-26 | 雑記
今日は予定通りなら、まっすぐ歩いて帰って、十二時過ぎには頼んでいたCDを受け取って、視聴した感想でもと思っていたら、残業を命じられるという。

きっちりには何も起こらなかったようだが、二十五日は嫌な話があったので、あー、しごとめんどくせ、と思ってしまったのが運の尽き。


残業やら、つまらんミスで笑い半分でなじられたことについてはどうでもいいのだが、それよりも何よりも、早朝にひどく気分が悪くなることがあった。


お客が、というならまだどうでもいい。常連以外の客は人によっては単なる通りすがりのキ○ガイだったりするから、野良犬にかまれたと思えば余計に腹立たしくなるので、蚊か蝿と思えばいいのである。


それは、自分が仮眠を終えてから最初にやっておく仕事をした後のことであった。


昨夜はSさんとの夜勤だったのだが、以前にもちらっと書いたかもしれないが、Aなんとかベーよんぱちの話をよくするのである。

TV見ててなにやら言ってるとか、ネットを見て誰々がどうこうというのは別に構わない。知らない話を聞くのは、興味がない話でも面白いものである。


そのAなんとかベーよんぱちの派生グループなのだろう、「君はこれをきくのだー」と、SさんはYouTubeで何曲か引っ張り出してきた。


あいうぉんちゅー♪などと歌ってきたら「てめえに欲しがられるほど安売りしてねぇ!」と吐き捨ててしまうような人間に、この手の曲を聞かすとどうなるのか。



あ・・・ありのままに今朝起こったことを話すぜ!

「おれはAなんとかベーよんぱちの曲を聞いていたと思ったら いつのまにか頭痛がし始めた」

な・・・何を言っているのかわからねーと思うが おれも何をされたのかわからなかった・・・

頭がどうにかなりそうだった・・・

催眠術だとかサブリミナルだとかそんなチャチなもんじゃあ 断じてねぇ

もっと恐ろしいものの片鱗を 味わったぜ・・・



わたしはテレビを自ら望んでみることは無い。仕事場でついていたら目についてしまって目に入る、という程度で見ていたりするが、家では地震のときの速報を見ていた以外は、最近ではつけたことが無い。コンセントも抜いている。

地震速報も、しばらく見ていたらこう考えるに至った。「家が崩れるほど揺れるときが来たら恐らく死ぬだけなので、ちょっと揺れたくらいでビビッても仕方ない」と。

代わりなのかどうか、ネットの震度情報なんかは見ていたが、これも、見ていても仕方ないと思ったので、しばらくしたらすっかり見るのを辞めてしまって、今にいたる。


さて、TVを見ない理由は、内容的な問題もさることながら(いわゆる俗悪番組)テレビ自体が嫌なのだ。

扇情的な映像や音を使い、感性を麻痺させるような気味悪さを感じて仕方が無いのである。


Sさんがその動画をつけて、交代で寝に入った後、すぐに消した。だが、しばらく頭痛は止まなかった。

この頭痛を感じながら思い至ったのは、「無防備にこの麻薬染みたものを受容し続ければ、投票権とやらのために何百枚とCDを買い漁るような熱狂が起こってもおかしくないな」と。


熱狂とはすなわちカルト。某同人シューティングゲームにしろ、何がしかの熱狂的なファンを揶揄、なのか褒めているのかしらないが、「信者」などといったりする。


熱狂するものを信者といい、それならば、信者とはすなわちカルト信奉者と呼べる。


熱狂を換言するなら、特定の思想や感情に振り回されること、といえるだろう。その内実を問うこともなく、振り回されているとも感じないで。


別にAなんとかベーよんぱちに熱狂なんかしていない、と思うかもしれないが、TVを通して人を感情を共有している、という感情に振り回されているのである。


そういうものに対する警戒心があった場合、頭痛が起こるのである。この警戒心を解いてしまえばおそらく、安生仙人も頭痛を感じなくなり、まったく好きになれない歌詞と音調に巻き込まれ、TVが作り出す偽りの感情に振り回される事になる。よく見ると不細工だったり、作り物にも見えるような芋判的な顔が並ぶのを、「かわいらしい」だなどと言い出すことになるだろう。想像するだにおぞましい。

これが洗脳か、と、大げさに聞こえるだろうが、偽り無く感じたしだいである。



と、いうわけで、帰り道は遠出してきた。遠出といっても帰り道には違いない。タバコの量が心許ないのと、予備にもう一本キセルを買おうと思ったのだ。





キセルはちょっとお高い、三千円ちょっとのものを購入。まあ、あまり見た目にこってないので、前のと同じでもよかったのだが。本当は、全体が金属製のを訊ねてみたのだが、普段は取り寄せだという。

こっちも半可通なので、前に買ったのと同じやつを見て、羅宇の素材はプラスチック?などと頓珍漢な事を聞いたりしたが、前のも今回買ったのも羅宇は竹製だそうな。

うまい人は、痛んだ羅宇を自力で交換してしまうという。さすがにそこまではまだいじったことがない。そのうち挑戦するかもしれないが、今はいい。


それよりも、純銀製などというのもあって、お値段四万円だとか。TUGEというパイプの有名なところだと、十万だかするやつがここでは四、五万ですよ!といわれたが、聞こえない。


まあいいや、というわけで、一緒に別の刻みタバコ(キセル用のタバコね)を買ってきた。右に写っているのがそれ。宝船という。

ベルギー製で、小粋と違うのは、葉を数種類ブレンドしているとのこと。香りは小粋より爽やかというか、あっさりした印象で、後味もくどくない。が、買ってきてすぐ吸うと、水分が少ないため、少し苦くなっているようで、実際は一晩加水してみてから、というところか。小粋も一つ買ってきた。これでしばらく、残りを気にすることなく吸えるだろう。

アメリカの葉っぱには、ロシアの亡命者にたっぷり食わせた、ポロニウムが入っている、という話だったが、もう十分セシウムを食らっているので、気にしないことにする。亜米利加式ブレンドとか書いているのだが、葉っぱはどうなんだろう?最近は放射能怖いといっている武田せんせーも昔は、ちょっとの放射能は体にいいって専門家がいってたよ!とブログに書いてたそうだ。しつこいけど、マックや吉牛を常食する人はアウト。


さて数日前に、ブログを更新しようと開いてみた。普段と変わりない数のアクセスがあったのだが、なんだかプレヴューがおかしい。プレヴュー数は要するに、ここを見に来た人が、このブログ内の別のページを見た場合に換算される。

延べ人数はIPで、これが仮に3として、プレヴューが30としたら、およそ三人が平均十ページずつ見て回った、という計算になる。


それがその日はとんでもないことになっていた。

IPが60で、プレヴューが700ほどになっている。自分ひとりでそこまでいくとは思えないし、そもそも整理されてないので、何か思い出して探そうにもくたびれるだけになる。

自分の過去の記事をリンクしてあるときがあったので、その影響かもしれないが・・・。


というわけで、もし何か読み漁っている人がいたら、ちょっとご注意を。


地震の後しばらくしてからの記事(具体的にはフッ素加工のフライパンを捨ててから)と、それ以前では、全く認識が違う話が出ておりますゆえ、前と今では言っている事が違う!と怒らないでください。


でもまあ、あんまりぶれてない話もあるので、いろいろと今に繋がる話を昔からやっていたのかなぁ、と感じるしだいです。読んでなければ失礼した。


ところで、再配達を頼んだCDがまだ届かないんだが、どうしたものか。こうなりゃヤケを起こしてあと三回ほど連続でキセルをふかしてしまうぞ!では、また。

川沿いの風

2011-07-24 | 雑記
このところ、台風が来て寒かったり仕事があったりする以外はよく、近くの川沿いの道を歩いている。

サイクリングやらのコースもあったり、公園もあったりする。春は桜が咲いて、花見に丁度良いのだが、今年は地震の悪影響で、見に行かなかった。(良影響なんてあるのか?というのは甘い突込みである)

曇り気味だが、多少日差しもある。これでちゃんと照っていれば文句無しだが、仕方ない。歩き始めは少しクラっと来たような感じがあったが、しばらくするとなんともなくなった。

少々風もあり、夕方で少し日も弱くなっていたが、実に気持ちのいい道のりだった。


歩きながら感じるのは、どうやら鳥が鳴いたり、風が吹く音や、木々のざわめき、川のせせらぎの音が大好きだということらしい。

しばらく前までは、夜勤明けや休みは家にいることが多かったのに、わざわざ太陽を浴びに出かけている。でかけないこともあるのだが、夏というのもあって、窓は全開にしてある。西日がよく当たるので、ひなたぼっこもしやすい。ベランダにすだれぐらいたてかけようかとは考えているが、破れてきた藺草シーツでも使えばいいと思いついたので、買う方向は無しになった。


先日、こういうものを見つけた。といっても、見たのはここ数日ではなく、もっと前なので、再注目し始めた、というべきだが。あと、自力じゃなくて、紹介しているところで知った。前にもタバコの話で引用というかリンクを乗せた「Beyond 5 Senses」というサイト。

Marewrew@SHIBUYA O-WEST '09.8.6



アイヌ音楽のアーティストだそうな。「マレウレウ」というグループ名。「蝶」を意味するアイヌ語だという。


アイヌ歌手というと、もう何年か前に、安東うめ子という方が亡くなられたそうだが、新しいアイヌ音楽のアーティストが現れるというのは実に素晴らしい。と、まだCDも買ってないのに言ってみる。

小さな広告みたいなやつを貼り付ける方法がないのか、とりあえず、アマゾンのページを貼っておく。 MAREWREW

というわけで、そのページで紹介していたCDを注文した。届くのは火曜の昼過ぎである。月曜は夜勤なので、お楽しみということにするが、ちと不吉な話を聞いている。


ニュージーランドで地震があったあと、大き目の余震の十八日後に、またでかい地震が来た、なんていうのがある。ニュージーランドだけでなく、ここしばらく国内で起こっているのもそんな感じがあるのではなかろうか、などと。

必ずしも大きな揺れがあったあと、日本に来ている、というわけではないのだが、もっと洒落にならない存在がある場所について指し示したという。面食らうかもしれないが、こんなブログをどうぞ。


上のブログで書いているのだが、デスブログというのをご存知だろうか。別に裏サイトでもなんでもない、然る芸能人のブログなのだが(もちろん公式として)、そこで取り上げられたものは必ずと言っていいほど不幸に遭うという。

さて、そのデスブログ。七月の頭になんと、某夢のねずみ王国にいってきた事を書いている。


これは・・・明日、生きてるかなぁ・・・。いつもどおりの仕事に行くだけなのだが、西のほうから都心に行く。ねずみ王国に行くわけじゃないが、家にいるよりは近づいてしまう。寝てる間に地震があって、仕事いけなくなる、なんて可能性もあるが、何も起きないに越したことは無い。


とはいうものの、あんなものなくなったほうが世のためなので、これはある意味、デスブログの仕事に期待したいところである。

何もなければよし、何かあってもよし。ということだ。電車乗ってるときと仕事の間は勘弁してもらいたい。


さて、自然の音に近い音楽の話だったのに、まがまがしい人工物の話へそれたついでに、動画を掲載しておく。


第二十八夜



第二十九夜



第三十夜



第三十一夜



実は、二十九夜からタイトルが少し変わっております。

前作の舞台だった石村に乗り込むことになるので、その間だけタイトルが「ISHIMURAでサバイバル」になっております。

今回の撮影分で終わるのかと思ったら、まだ少し続くようなので、あと数回はこのタイトルがつづくかもしれない。では、また。

実感するということ

2011-07-22 | 雑記
前回も紹介した、アグニホートラ。前回も、という以前に順を追って読んでいる人は少ないと思うがとりあえず。

アグニホートラとは何ぞや、という人は、次のリンク先を読んでください。 アグニホートラを始めよう

そのページでも紹介しているが、対放射能についての面白い記事も紹介しておく。これも初めて触れたときに紹介したような気がしないでもないが、忘れた。 アグニホートラと放射能


一つ目のリンクの、アグニホートラを実践している人のページでだろう、初めて目にした単語があった。O(オー)リングテストというのがあった。なにやら機材を用意するのだろうか?どこかに持ち込んで(アグニホートラの灰を調べたとかいう話だったと思う)検査したのかな、という程度の認識だったので、読み流していた。


さて、先日。とても素晴らしい日本酒を造っているという蔵元のページを見ていた。そんなに美味いなら頼んでみようかなと思いつつ、お知らせを見ていたら、セシウムがどうこうとある。

なんでも、使っている浄水器でセシウムが除去できるので、大丈夫みたいです、とかいう話だった。 寺田本家


エリクサーという浄水器を使っているという。別に浄水器に詳しくないので、ブリタくらいしか知らなかったが、そのお知らせにリンクがあるので、詳細はそちらで。


なんでも、北海道の自然食品店の店主が開発したというもので、一つ一つ手作りなのだそうな。三十万もするので、流石に買えない。

どこかでスピーチした時の話を読んでいくと、中に使うセラミックを開発するときに、様々な素材を集めて、Oリングテストをやって、焼いてはまたテスト、という風に作り上げたのだとか。

Oリングテストだけでは独りよがりになるということで、専門の研究機関に持ち込んで検査してもらうと、どこに行っても大絶賛だという。然る研究所では、過去最高の数値をたたき出したとか。


Oリングテスト、独りよがりになる?アグニホートラの人もOリングとかいってたような?と思い、簡単に調べてみたところ、指を使う簡単なテストらしい。

「Oリングテスト」で検索すると、二人ほどでやる方法が載っていたりするが、一人でも出来るそうだ。


で、適当に読んでたのでちゃんとしたやり方を見たわけじゃなかったのを今更気づいた(対象を見ながらYesかNoになる質問を投げかけるというのをしてなかった)が、とりあえず、親指と人差し指で輪を作り、もう片方の手の人差し指と親指を輪にかけて、対象に目を向けて引っ掛けた指を引っ張ってみる、というのをやってみたらあら不思議。

タバコやら灰皿やら、湯のみや急須、ロウソクでは開こうとしないのだが、PCとゲーム機に向けたらあっという間に開いてしまった。

PCとゲーム機はまあそうだろうなぁと思いつつ、炊飯器にやってみたら、こっちも同じ勢いで開いてしまった。


胡散臭い話だと思えるし、勘違いで作り上げたテスト(上で書いた自分でやった話がね)だったが、作った大村博士の理論はこういうものだという。『物質から出ている振動数と同調することによって、そのものから様々な情報が得られる』
上記の理論が引用されていた、二人でやるやり方のサイトはこちら http://homepage2.nifty.com/tahara~d-c/hobby3.htm


嘘かも知れないが、こういう「自分で判断する」という方法があってもいいんじゃなかろうかと思う。自分の感覚に耳を傾ける契機とするのだ。「プルトニウムなんて塩と同じ」などとほざく学者がTVに出る時代、そんな人の話を聞くより当てになるだろうよ。では、また。

おまけ

2011-07-20 | 雑記
最近、仙人染みていると評判、というわけではないが、自分自身でも信じられないし、近所で尋ねてみても不思議がられるような食生活をしている。

というより、食べる量が少ないのと、次の食事までの時間が長くなりつつある。要するに、食べても食べなくても気にならなくなりつつある。

いよいよ本格的に仙人に近づきつつあるのかと思ったが、さっきはインド・ネパール料理店でカレーとマンゴージュースを戴いていた。ちなみにベジタブルカレーである。


数日、さーたーあんだぎーやら酒まんじゅうやらを食べたり、泡盛を飲んできたりとやりたい放題だったので怪しいのだが、最近は甘いものを食べると、額が痛くなる。

特に強烈に痛くなったのは、クレープだった。週一でなら許そうかと思って今月の始めだったか、食べてみたら余りの衝撃にクラクラした。それ以来、二回ほどあった機会をパスしてきた。


ならばこちらはどうだろうと、別の機会に伊勢屋の酒まんじゅうを食べてみたところ、これはなんというか、微妙に感じたが、無いに等しい。その時の状態もあったのかもしれないが、今の状態では問題なさそうだった。


というわけで昨日、出勤途中で伊勢屋に立ち寄って、仕事場でおやつにしてしまおうと考えて、店に入ると、今日はおっちゃんがいた。

台風の進み具合だとか話していたら、電車一本乗り過ごしたのはご愛嬌。もっと早く家を出ないか!

いつも、まんじゅう(暑い間は豆大福は中止)二個か片方をすあまにしたりするのだが、すあまの甘さはしびれるので、もう辞める。

二つ頼んで、一個百十円の二個で二百二十円。五百円玉と十円玉二枚出して、おつりは三百円もらった。なに、別に小学生の算数をやろうというわけじゃない。


新宿で乗り換えるときにかばんを持つと、なんだか妙に重さを感じる。天気が悪くなりだしてから少し変な気分があったので、体調が少し悪いのかと思ったが、歩いていると忘れた。


そして仕事場で開けてみたらなんと、まんじゅうが三つ入っていた。どうやらおっちゃん、一つおまけしてくれたらしい。雨だし、売れ残るよりはよかろうと。ちょっと食べ過ぎる気がしないでもないが、ありがたく頂戴した。


晩飯に小さなタッパに入れた握りそこないの玄米ご飯と、まんじゅう一つ。深夜の仮眠前に残り二つを食べた。


そして次の朝の日勤は、手違いで一人足りない状態だという。残業する羽目になった。午後一時までということで、タバコを吸ったり茶を飲んだり、たっぷり仕事をしておいた。

で、それから電車に乗って、台風もまだ近づき切ってないので歩いて帰る途中でカレーを食べた。お茶は飲んだが、食事はそこで今日は初、ということになる。

ナンに意外な甘さを感じたり、中辛でもあんまり辛くなかったり、マンゴージュースの甘さはどうやら大丈夫なようだったりと、一体どこを目指して飯を食べたのか判らなくなったが、気にしない方向で。


インド方面の料理ということで、ギーを使っていたりはするだろうが、そのあたりはあまりとやかく考えない事にする。

ただ、ちょっと気になったのは、インドのベジタリアンで乳製品も摂らない立場の人間は、ギーはどうするのだろうか?と考えたが、使わなければならないわけでもないのだろう。


ギーといえば、アグニホートラという、古代から伝わる儀式みたいなものがある。逆三角形の金属容器に、乾燥牛糞(あちらでは必須の燃料なのである)やギーを載せて、火をつける。

マントラや唱えたり、歌ったりしながら、玄米を投入したりする、という、なじみのない人間には怪しげな儀式をしているように見えるが、これがどうもすごいらしい。


以前も紹介したかもしれないが、チェルノブイリの原発事故の時、放射能汚染が広まった地域のうちで、標準の放射線量しか検出されなかった農家の牛乳があったという。

その農家は毎日、アグニホートラを行っていたのだとか。ガイガーを持ち込んでアグニホートラをやってもらうと、その付近の放射線がなくなった(減った?)という。


科学的な根拠も、日本の学者が見つけていたようだが、日本語の論文だったので選考に漏れており、外国の学者がノーベル賞をもらったとかいう。

なんでも、自然のものを燃やすと、炭素の同位体でC60というのだったか、その構造の分子が激しく回転する。

これが例えば、放射性物質を無害なものに変えたり、生命体に良い影響を与えていたりするらしい、という。

それをもっとも強く出すことができるのが、アグニホートラだといえる。

その灰を塗ったり飲んだりして、病気が劇的に回復したり、異常行動の多い子供が、アグニホートラを始めるにつれ、落ち着き始めたというような報告もたくさんあるらしい。

そんなアグニホートラを実践している人のページがある。現在、例の震災で何故か税関は、乾燥牛糞の輸入を止めているらしい。苦肉の策として、縄文式アグニホートラというのを始めたそうだが、こちらのほうが日本人にはいい、という結論にいたったそうな。 アグニホートラを始めよう


自然のものを燃やす、というところに着想を得て、キセルはマッチを使って点火している。そのページにも確証はないが、タバコにも少量、C60が出ているのではないか、という話もあった。このあたりは以前にも書いたが、誰も自分も覚えていない。


それのせいかどうかはわからないが、先日、仕事前に一服しようとマッチに火をつけたら、日勤だったKさんがロッカーに行く前に一言。

「マッチのいいにおいがする」と。

それを受けたT君も「マッチはいいですよマッチは」という。


しかし、マッチのにおいがいいとは思いもしなかった。普段から慣れているのもあって、においなんてないのだと思っていたのだが。


火を扱うことによって、動物から人間へと至ったというならば、現代は火を忌避する世界であり、人から動物への頽落の時代である。火の扱いが文化であり、文明の象徴であるならば、我々の時代は野蛮への回帰途上といえる。

自然の火を扱うのが野蛮人だと嘲う文明人を尻目に(別に笑われても無いけど)、これからも自然の火を使い続けるつもりである。夜の明かりは地震があろうがなかろうがロウソクで行う事にする。


と、いうわけで、たまってしまった動画を掲載して終わる。


改めて見てみると、一つ飛ばしてしまったようなので、一つ重複する事になるが、気にしない。

では、第二十から

第二十夜



第二十一夜



第二十二夜



第二十三夜



第二十四夜



第二十五夜



第二十六夜



第二十七夜



うーん多い。多すぎる。引退するかもしれないといっている割にはがんばりすぎじゃないかと。あれですよあれ。燃え尽きようとするロウソクが一際輝くってやつですよ。

そして、ついさーたーあんだぎーを買ってきてしまった。降りた駅で小さな琉球物産展をやっていたのでつい。こりゃぁ仙人には遠いな。では、また。

活きカエル

2011-07-18 | 雑記
前回の怒り狂ったような記事でなけりゃ、これを載せる予定だった。相変わらず長く書きすぎで、脱落者というか見ていない人が続出か、見ても反応に困っている事と思う。





というわけで、やっぱり皮パッチでした。合成なのか本物なのか。それは分からなかったが、恐らく本物の皮に違いない。牛さんのカルマとやらを背負ってこれからもっと慎ましく生きていきます。


着いてたタグに全て日本人製(赤いアンダーラインで)です、と書かれていたのが、返って不安を煽る!と思ったが気にしても仕方ない。破れるまで穿くことにする。実にしっかりした生地で、こだわりらしいところも随所に見られる。ああしかし、これもゴイm・・・いやなんでもない。



話は戻る。前回のは言いすぎ思い違い、なんでもござれ状態だが、少なくともパチ屋に金払う事になる以上は、やるわけにはいかない。

また思い出話的になるが、某メーカーがどっかで「クソゲーメーカー」と評されていた(実際、自分も感じるところがあった)話をしたら、「一廉の人物」が突っかかってきたことがあったものだ。

「何某シリーズはクソゲーじゃない」と。正直、あれこそもっともクソゲーだと思っていたのだが、言わなかった。

しかし、今となってはこう言うしかない。「ゲームという存在自体がクソゲーだ」と。


別にやってて楽しくないわけではないのだが、この楽しいという状況はなんなのか考えるにつけ、ここ最近、聞いたり感じたり考えたりしたことを踏まえると、実際は楽しくもないことを楽しいと思い込まされているのではないか、そういう答えに行き当たってしまったわけだ。


「ゲームをプレイして楽しい」という感情を「幸せ」だ、と感じるわけだが、それはそれで間違いはない。何やってもそうだろう。ただし、幸せ、という言葉になっているこの「幸」という字には恐ろしい意味がある。

どっかのブログで見たのと、実際そこで取り上げていたTV番組をたまたま見かけたことがあったのでよく覚えている。細かい内容は忘れた。ブログのURLはあるのだが、記事の日付がわからない。


漢字は言うまでもなく、古代シナで発生し、仏典やら論語などで日本に伝わってきた、などという話はさておき、そのTV番組でなんとか川ショーコが説明していた話の概略。


「幸」という字は、手枷を嵌められた(足枷もかは忘れた)状態の人の姿から来ている。


字源のもっと突っ込んだ解釈は言っていたか忘れたが、そんな状態だが生きているぞ、というわけだ。

改めて同じ意味のことを言うと、「幸」という字は奴隷の状態の人間を指す、というわけだ。


TV番組の話はその先があったか忘れたが、それを取り上げていたブログの記事ではもう少し気になる事を言っていた。


海の幸や山の幸、というのだが、この「さち」とはなんぞや、という。

恵み、というにもちと違和感がある。恵の字についても何やら書いていた気がするが、いい意味ではなかったように思う。


さて、手枷を嵌められた奴隷というのは何なのか。奴隷というのはつまり、贈り物だったり、貢物だったり、戦利品だったりするわけだ。

手枷嵌められたまま脱走している奴隷を見て「幸」が出来たとは考えにくいだろう。見た目は奴隷、心は野獣。あんまり格好良くなかった。

どこかに連れて行かれる姿であるわけだ。もしくは、もう保管されたか。皇帝や王族の居城、有力者の邸宅などへ連れて行かれると。

こうすると、奴隷とは支配者たちの「獲物」といえる。朝貢の品や戦利品だというなら、つまり「幸(さち)」とは獲物だ、といえる。


昨今のメディアでも宗教でも「幸せ」がどうこうと説く。不幸になりたくないだろう!?と脅かしつつ、幸せを目指せ!とこっちでも脅迫してくる。


具体的な話をしようか。パチ屋がどうこうと言ったし。

パチンコ自体は、長い目で見たら店が儲かるようにしか出来ていない。やり始めた人に大当たりをさせて、また次も大当たりを出ると思わせ、足しげく通わせては金を巻き上げるわけだ。

遠隔操作でそういうカモのいる台に大当たりを出させる、などという話があったりするようだ。読んではないが、探せばすぐ見つかる話だろう。

つまり、パチンコで大当たりに「出くわして」しまって、「幸せ」を感じてしまい、足しげく通う「奴隷」になってしまう。パチンコ屋の「幸(さち)」になるわけだ。


さらに「幸せ」を感じてしまう前提としては、「金」が全てという感覚、というより「信仰」がある。

昔、TV局を買い取ろうとしたデブが「金で買えないものはない」といったが、普通の人はああいう言葉に眉をひそめつつも、似たり寄ったりなのである。


双子の百歳おばあちゃんで、CMで有名になった「金さん銀さん」という方々がいた。あちこちTVの取材やらでギャラをもらったらしいのだが、「ギャラはどうするのか」というある取材にこう答えた。

「老後のために貯金します」と。


死んだ人を槍玉にあげたいわけではないのだが、根本的にはその上のデブと金さん銀さんも我々も似たり寄ったりなのである。


金がないと生活できないじゃないか!という。そりゃそういう仕組みになっているし、ないと思い込んでいるからだが、普段から「金がないと不幸になるぞ」と脅しを食らって生きてきて、パチ屋でフィーバーして「幸せ」を感じたと思ったら実は手枷を嵌められて「幸(さち)」になったというわけである。さっきの双子のばあちゃんやせっせと働く普通の人なら「お金一杯ためて幸せになろう!」というわけだ。

別にパチンコ屋や、お金だけではございません。政治、経済、医療、食品、娯楽、インフラ、ありとあらゆるものにそういう仕組みが着いて回っておるのです。

一日三十品目を目指して食餌をしましょう、肉も乳製品もバランスよくとりましょう、と医者はいう。実際は栄養過多が癌などの生活習慣病の原因になっているといわれている。肉食や動物性脂肪の摂取の上昇に比例しているという。そして、癌になったら(「早期癌検診」なんていうのもございますな)入院して、大して効きもしないくせに副作用たくさんの抗癌剤を投与しまくって、搾り取るだけ搾り取る。そういう腐れた現状を見てきたがために、看護婦を辞めたという人もいる。

ちなみに「癌」という字、品を山ほど摂ると病になる、と見える。こいつは先日どこかで読んで得心したのだが、日本の現状にぴったり当てはまっている。(前々からの原子炉からのや核実験の放射性物質の組み合わせもあるかも?などという話もあるが)

医療業界の「幸(さち)」になってしまっている、といえる。

食べ物をそれだけ食わせれば、食品業界が儲かる。あの手この手で、なにやら調子が悪いならこれも食べましょうあれも食べましょう、とやり込めて、ついつい我々も乗せられる。食べ過ぎて眠くなって何やるにも億劫になる。考える気力も失せるが、食べれば健康になると思って、食べられるだけ食べ続けてしまう。

これは、食品業界の「幸(さち)」になっている、といえるわけだ。

医療と食品だけ二つ切り取って見てみたら、なんとなく相互に補い合っているように見えないだろうか。なんとなく、は語弊があるので、グルだとしかいえないな、と言っておこう。うん、違いない。


全部が全部、結託して悪巧みをしている、とはいわんが、大きなところが大きく宣伝するものは大抵、どっか裏で繋がっていると考えて差し支えない。上の二つなら「幸せ」を「健康」に置き換えて脅かしてきているだけなのだから。

彼らの言う「健康」が実際に健康になるのなら、一切問題はない。それで健康になるという話は実際、数十年前に提唱していたアメリカが否定してしまったのだから、聞く耳持つだけ無駄ではある。


我々は「不幸」になりましょう。完全に「不幸」になったら(お金を完全に否定する状態へ現状のまま突入したら)生きてはいけないので、ほんの少し今より「不幸」になりましょう。


今日もどこかで「幸せになりましょう」と言ってくるだろうが、「不幸で結構」とお断りするのである。私はあなた方の「幸(さち)」ではありません、と。


パチ屋に金をやらない、菜食主義の少食(で本当の健康らしいものになるとして、藪医者に金がいかない)というのは、実際に自分自身のためにもなる上に、世の中を正すための抗議運動でもあったのです!と大げさな事を言ってみる。


本当は自分が目指すのは「霞を食って暮らす」ことなのだが、現時点でも「和」の兄さんには「仙人」の評価を戴いている。

その安生仙人の体重と体脂肪率を昨夜、仕事場の体重計で量ってみたら、こんな数字になった。端数は忘れた。

     体重:48~49kgの間

   体脂肪率:9.6% 


ちなみに身長は変動してなければ(朝と夜で伸び縮みは少しするらしいが)163cmである。

仙人になる前に昇天じゃないかと思うだろうが、いたって元気である。


四、五年前には断食をしてみた覚えがある。といっても、夜にちょっとスープを飲んでいたが、内容もひどいものだった。市販の鶏がらスープに具が溶き卵と木耳のスーラータンもどき。

あの時は、体重とともに筋肉も激減していたようで、「末期だ」といわれたものである。食べたいのをやせ我慢していただけなのだった。

今も末期だと言われているが、床で寝てても体が痛くなくなったり(「和」の兄さんいわく「修行の成果だ」)、夜勤明けで一駅前から歩く日課の後に、寝ないでちょっとしたら散歩に出かけたりと、自分でもおかしくなったんじゃあないかと思うような状態である。空腹もやせ我慢ではなく、体が動かないわけじゃないのに食べる必要はないのだろうと思ったら、そちらの方が自然だと感じただけである。

昼間、部屋にいても暑いとは思うが、クーラーがないと耐えられないという気がしなくなったので、窓を開けるだけで過ごしている。扇風機はPCの電源が入っているときにのみ、そっちに向けている。

それと、部屋の電気を消してPCの画面に向かっているのだが、目が疲れた感じが全く出てこない。長々と書いていたら明るくなってしまったが。ちなみに、節電なんかじゃなく、蛍光灯の明かりがいやになったので、なるべく使わず(台所と風呂は白熱球)、ロウソクで暮らしている。

変な薬でもやっているんだろうと思われるので、正直にタバコを始めたことを告白しよう、ってこれは前に書いた。結構前なので埋もれているが、きっとタバコのせいに違いない。


というわけで、僕はとても「不幸」です。ミンナフコウニナッテシマエバイインダー。では、また。

お報せ

2011-07-14 | 雑記
お報せ、とはいうものの、ごく一部(まともに読んでいる人自体がわずかだが)に対して、長くなるかもしれないが、一つ伝えておく事にする。


とはいうものの、まずは世間話からである。


先日、勤め先からボーナスをもらえた。といっても雀の涙というやつである。別にいくらだろうが気にしなくなったのだが、地震の件で売り上げが落ちたのもあって、出ないのではないかという話や危惧もあったが、それ以前が多少よかったのもあったようで、出せたらしい。

給与明細を渡されたときだったか、こういわれた「ゲームは買うんじゃないぞ」と。咄嗟に、だが半ば確信を持って答えた。「買いませんよ」。


原子力発電とやらが、足りない電力をまかなうために乱立されたというなら、作るのにもプレイするのにも電力を食うゲームをするのはおかしいのである。人殺し電力会社と人殺し政府に協力する義理はない。

そしてそもそも、原子力発電で電力をまかなっているなどというのはタワゴトなのである。

以下の動画を見ていただきたい。他にもシリーズがあるので、いろいろと見て回っていただきたい。

源八おじさんとタマ001



ただ、この動画では原子力発電の嘘を指摘しているのだが、「どうしてそんな嘘を吐いてまで推進するのか」については指摘していない。

その先は調べて考えて欲しいのだが、とりあえず、原子力推進の根拠は大嘘だと思っていただければよい。

仮に原子力発電でまかなえていたとして、それじゃ、普段の生活まで否定するのか、というだろう。武田教授の言だが、素晴らしい事を言っている。資源についてだが、こういう風に言っていた。引用する。

  
  石油・石炭・天然ガスなどの化石資源は枯渇しない。いくらでもある。

  地球は膨大で、今の人間の活動がいかに活発と言っても、地球から見ると小さいからだ.

  「地下資源は限りがある」

  「それを湯水のように使っているので、やがて無くなる」

  という話は余りに雑すぎる。

  確かに「節約」は大切だが、「節約が大切」ということと「石油が無くなる」というのは関係がない。

  「節約」は石油がなくなろうと、無限にあろうと、それとは無関係に心の問題として大切なのだ。

   資源が無ければ節約、あれば浪費というのでは情けない.
                                                                                                    
                                      日本の未来は暗いのか?(1)エネルギー より


これは、原子力発電への依存についても同じことが言えるのではないだろうか。

「電力が足りなくなれば原子力発電を追加で立ててまかなえばいい」と考えている人間が、環境にやさしくなどとおこがましい事をいうのは正気の沙汰ではないのである。


ここまでが一応、世間話としておこうか。


先日、左のブックマークの一番下から一つ上にあるゲームの、月々の課金を停止した。上記の話もある。オンラインゲームはどうあがいても膨大な電力を、自宅ではなく運営で毎日使う事だろう。

大きなサーバーを維持するには、今の季節ならクーラーをがんがんつけていることだろう。多少温度あげました、サーバー減らしました、とかいうレベルで済む問題ではなかろう。


それが世界に一つしかないのなら、大して問題にはならないだろうが、世界中で膨大な数のゲームが運営されているのである。世界はいいとして、国内だけでも数え切れないほどある。


それだけならまだ踏みとどまっただろう。よくもないが、付き合いもあった。(付き合い自体がよくないという意味ではない)


だが、踏みとどまってはいけない理由がもうひとつある。

その会社、以前は一つの会社で、ゲームやアミューズメント施設の開発や運営で、自前のゲーム機を展開もしていたことのある会社なのだが、十年くらい前だろうか、某パチンコ屋に吸収される形で合併されている。

その合併会社の社長は、日本でも有数の年収をもらっているそうだ。パチンコ屋が主体の会社で、その社長となると・・・。これ以上は言わなくても気づくだろう。


そのゲームを始めると、ゲーム会社だったときの名前と、開発運営の名前は出る。パチンコ屋の方の名前はゲームには基本的に出ない。が、株式ではちゃんと出ている。

一緒にやっているやつがある日「社長の年収に付け加えられるだけだから、課金しない」といって、無料状態でオンラインしていたことがあった。ある意味正しかったのだ。ただ、詰まらない妬みからの幼稚な論理でしかなかったが。

はっきり言えばいいのだ。知らないからそんなバカな言い草しかでないのだ。

パチンコ屋に金をやったら半島に流れるだけだ、と。


ゲームの運営について対する不信感、という理由はここまで。


さて、他はというと、以前も書いた、「一廉の人物」のせいである。

世の中のアホよりは物に流されないやつなのかと一見思えるが、なんてことはない。何も考えていないロボットだっただけ。まあ、仕事場の自分に対する評価も似たようなもんだろうが、聞いたことがないので知らないが、ともかく、話しかけたくもない。

そのロボットについてだが、「一廉の人物」とやらは、こちらよりそいつをよく知る人間がいうに、「生活も趣味もゲーム」なのだそうだ。

何故に「ロボット」かは、あんまり綺麗にかけていないが、以前の記事を読む気力があれば読んでいただきたい。


そういう怪しさと人の姿をしているだけのものに対する嫌悪感、そしてゲーム自体の「無思考への教導」に対する怒りが綯交ぜになっていて、ゲームを投げ出してもよい覚悟が出来てしまったのだ。


いきなりで悪いが、よほどのことがない限り、もうあのゲームに戻ることはないと思う。今までありがとう。そして、ごめん。



ただ、ゲームを投げ出す覚悟が出来てしまったとはいったが、さしあたっては今続けている実況プレイ動画と、予定されているもう一本までは続ける予定である。

懐かしのゲームをプレイしてみたり、投げ出したゲームに挑戦するフリをしたりはするかもしれないが、日本統治が始まったころの台湾のアヘンの取締りのように、少しずつなくなっていくだろう。

暑いからとエアコンつけてゲームをするよりは、暑さをしのぐ方法を考えたほうが有意義で楽しいのである。というか、あまり暑いと思わなくなってしまった。


というわけで、投げ出しきってない証拠に、先ほど出来た動画を一つ掲載する。

第二十一夜



言った約束を遂行しきるのが先か、日本が終わるのが先か。見ものである。では、また。

被曝許容量

2011-07-13 | 雑記
夜勤が明け、仕事場でぶらぶら時間をつぶしていた。つぶしていた、というよりあまりあう機会のない人とちょっとおしゃべりしてみたり、タバコを吸ったりしながら、腹の具合を窺っていたのである。

なんでも、断食、といっても大体半日からもうちょっと先くらいまでの分で終わる予定のだが、それをすると、「宿便」とやらが出るそうだ。こいつが体によくないのは一々ここで書かなくても、知っている人知っているだろう。

寝ている時間も込みで、最近は十時間程度は食べないことも良くある。といっても十時間寝続けたわけでもない、ということも指摘しておく。


これを書き始めた今は夜中の一時になる。つい「和」で飲んで、サーターアンダギーも買って来てしまったので、これとお茶を戴く予定ではある。それから明日は休みなので、昼過ぎから夕方あたりまで試してみたいと考えている。

とりあえず、その話は措く。


少しやせたのが原因ではないのだが、Gパンを探していた。

前によく、といっても一年に一回行くかどうかだったのだが、某駅ビルにあった服屋は、同じフロアにあったユニクロもどきにスペースを接収されていた。


かといって、都心まで探しに行くのはめんどくさい。元気だろうがなかろうが、なんか嫌だった。なんというか、都心の街は、ここより居心地も悪く、場違いな気がしてならない。


まあ、他に服を売る店がないわけではないので、見当はあった。今日は平日だが、天気もよかったのもあり、あまり迷わず入る事にした。


しばらく見て回っていると、髪のちょっと長い兄ちゃんが「最近あついっすねぇ」と話しかけてきた。あーだこーだ薀蓄交えて話したりして、ついでにGパン探してるけど、ないかと聞いた。色々あるという。


ときどきどころじゃないだろうが、最初からズタズタになったGパンを見かけることがあるだろう。ズタズタじゃぼろ布だが、長年はいた風合いを出したものが、店を軽く見渡したところ多かったのだが、無加工のもあるという。


色もなかなか良く、日本製だという。他のメーカーはどうこう、日本と外国を行ったりきたりして税金がかかるけど、純日本製のこれは評判がよく、国内で買うならお得だとかなんとか。

お得かはあまり気にしなかったが、試したところ、なかなか悪くない。値段も今はいているのとほぼ同じ。


すそ上げも頼んだが、これはまた別のところに送って、そこで加工するため、引き取りは三日以上してからになるのだそうな。


ついでに、店に入ってすぐ目に付いたものがあった。

このサンダル。


なんでも、プロサーファーがエコ活動しようという意図のもと作ったブランド(RAINBOWという)。頑丈なものはエコだからというわけで、かなりしっかりしたゴムがソールに使われていたり、鼻緒の部分もしっかりしている。

そこは聞いた話だが、それよりも気になったのは、一緒についているタグに「HEMP」の文字列が見える。

どうやら、足裏が当たる部分はヘンプを使っているようだ。体に直接当たるところは、なるべく自然のものが好ましい。

その上、素材がヘンプというのだから、これ以上のものはないだろう、と思ったので、こいつもついでに購入した。なかなかのお値段(Gパンよりは安いが)だが、事故でもない限り、かなり持ちそうだ。


さて、ヘンプとは何か。これは大麻布のことだ。大麻、と聞いてひどく怖がったりするのはちょっとまって欲しい。参考に以下の動画を見ることを推奨する。他にもいくつかあるそうだが、気になる人は前後を見るといいだろう。

恐怖! 大麻・酒をめぐる黒歴史 [大麻講座その2・歴史編]



大体、アメリカ発の何かの禁止運動というのは、推奨もだが、企業の思惑が大きいのである。そこには「論理的に正しいかどうか」はなく、「こちらの利益になるかどうか」しかない。まあ、ある意味「論理的」ではある。

あまり書くとあれだが、某の解放運動はアメリカの「某金融家一族」が出資してけしかけた、という証言がある。けしかけた本人が「我々がけしかけた」と語ったのを聞いた、という証言である。それを語った映画監督は、その数年後だったか、何かのガンで死んだ。

ゴルゴ13のエピソードに「ロックフォードの野望」というのがある。「ロックフォード」という財閥の人間たちが、ゴルゴを金ずくで従えて、お抱えのヒットマンにしようというのに反抗する話だが、これでピンと来る人にだけわかればよい。


日本も長らく、大麻を栽培し、身近に使用してきた。なんとかぺディアだったか、最近いろいろと有名な武田教授が言っていたのか忘れたが、日本で栽培されていた大麻は、海外のものよりも幻覚成分が少ない、ともいう。

これは武田教授の言だったと思うが、「日本人はアメリカ人なんかと違って、自制心がある。少々のマリファナで、社会問題を起こすことにはならない」とはいう。TVや新聞の印象でしかないのだが、日本もアメリカも似たようなものの気はしているが。


大麻は、実やら葉の成分を抽出し、精製すると、「モルヒネ」になる。さらに精製すると「ヘロイン」へと変貌する。この過程は何かに似ていると思ったら、黒糖と砂糖だった。「砂糖は自然!」にもご注意を。

布になるのは茎のほうで、幻覚成分といわれるものはあんまりないそうだ。麻の成分を経皮摂取して、体調がよくなるという。タレントのサンプラザ中野くん(くん、までが芸名という改名をしたそうだ)は、何年か前から「麻のふんどし」を使用していて、体調がよくなったという。

何かの雑誌で大槻ケンヂと対談していたのだが、アメリカの大麻追放運動の実際についても言及していた。上記の動画とほぼ同じことを言っていたわけだ。

というわけで、帰宅して履いてみたのだが、ソールの硬さは想像以上だったが、歩きにくいことはなく、疲れにくくもあった。ただ、右足の甲がちょっとすれる。軽く履けばなんとかなるが、これだけが残念だった。

どうも右足が、左足と比べてむくんでいるのか骨が太いのか、大きいのが原因らしい。ちょっと最近、立て続けに歩きすぎたのかもしれない。

お気に入りの一足として、暑いこの時期は活躍してくれるだろう。


さて、支払いや手続きを済ました帰り道に戻る。ふと、あのGパンのパッチのことを思い出した。パッチとは、はいた時に右手を後ポケットにまわしたあたりのベルトの下に隠れる部分あたりにある、メーカーの意匠を凝らした、デニム地ではない部分である。ものにもよるが、通例はそこにある。

あの素材そういえば・・・ちゃんと確認していなかった。


通常、ベジタリアンを日本では「菜食主義者」と呼び習わしてきた。

これは実は間違いとは言わないが、ちょっと違う。語源はラテン語の、Vegetusという言葉から来ていて、活力のある、とかいう意味。英語のVegetableとあわせて語呂よくベジタリアンと呼ぶようになったのだそうだ。

当初は、活力というところに意味合いが強く、食事の節制を目的としたもので、倫理的な意味合いはなかったようだ。つまり、肉を食べないだけでもベジタリアンには違いないのである。


そこから一歩さらに踏み込んだ存在がある。

Vegan(ヴィーガン)といって、肉、魚、乳製品をとらない。それらは動物たちを著しく傷つける行為であるからだ、という。革製品も否定する。なるべくそういうのを避けようと志して生活をするのだとか。

正直いって、キチガイと思われても仕方ないのだが、自分が目指しているのもそこである。酒飲んで小魚食べるのに、と思われるが、(酒はとりあえず、家では飲まないようになっているが)ともかく、肉は辞めた。


さて、件のGパンのパッチは紙ではなかったように思う。半端なヴィーガン(とは呼べない状況だが)とはいえ、ひどく後悔してしまった。


というわけで、さっきのサンダルを履いて散歩してきて、そのまま「和」に向かったしだいである。ヤケを起こしたのである。


いつもの兄さんしかいなかったので、「本気で肉やめようと考えている」とかまかないついでに作ってもらったサービスメニューは肉抜きにしてもらったり、ヴィーガンの話もしたりした。飲みながらなので、和やかに笑いながらではある。実は心では、というのもなく、肩肘張らずにおしゃべりしてきただけだが、これからは気兼ねなく、肉抜きメニューを頼めるようだ。

アジの素の会社には、顆粒状になった「ダシの素」というのが販売されているのだが、これの成分表を見ると「乳糖」があるようだ。

こいつはつまり、牛乳の成分が入っていることになる。といった具合で、家で作る、ごく簡単な食事以外は、ほぼ肉にぶち当たるのが日本の現状である。それにしても、魚のダシに牛乳を混ぜてある感覚がまったくワカラナイ。

何が何でも肉にまつわるものを口に運ばせたいのだ、と言ってもおかしくない。


そういうところまで考えるのがいわゆるヴィーガンというやつである。魚たべちゃう自分はなんとかベジタリアンとかいう位置づけになろうか。


肉食の弊害について、色々と紹介しているサイトがある。別に肉を美味いと感じる人にまで「辞めろ」とは言うつもりはこちらにはないが、気になるところがあるなら、色々と読んでみるのをお勧めする。

あと、動物のカイタイの動画や写真などもあるので(リンクに注意は書いてあるが)嫌な人は気をつける。でもそれは、目を逸らしているだけなんだがね。動画自体を見なくても、話を書いてあるので、それだけで十分感じ取れる人は取れるだろう。

そのサイトはこちら。菜食のススメ


フクシマのセシウムまみれのお肉が流通して云々という話が、夕方のTVで流れていた。健康被害がどうこうと。実に笑える話である。理由は上記のサイトをよく読めば分かってもらえるだろう。とりあえず、「和」では肉以外は気にしない方向にする。では、また。


宗旨替え

2011-07-10 | 雑記
今更な話だろうが、日本が捕鯨をやるというと、欧米で「知能の高い哺乳類たる、鯨を食べるなんてとんでもない!」といって反対を食らう。

そして、日本側からも時折聞こえる言葉にこういうのがある。

「欧米は聖書に書いてあるからといって、牛や豚を食べることについては何も問題ないとおかしなことを言っている」


これはある意味正しい。だが間違いだと思われる。


問題の聖書の原文の日本語訳について、つい先日読む機会を得た。

以下、そのサイトから原文を持ってくる。

神はこのように人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
  神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。
  「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」
   ついで神は仰せられた。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与えた。
  それがあなたがたの食物となる。また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。」
  すると、そのようになった。
                           ―― 『聖書 新改訳』 日本聖書刊行会

紹介していたところでは、その誤解釈の部分が赤字で強調されていた。


抜き出して書くと

種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与えた。それがあなたがたの食物となる。

となっている。

あなたがたとは即ち、人類のことである。


その後続けざまにこうなっている。

また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。

となっている。


上記の引用文で、地を従えよ、すべての生き物を支配せよ、と神はいっているのだが、食べ物としてあんたらに与えたのは「種を持って実を結ぶすべての木」であって、「いのちの息のあるもの」ではない、というわけだ。


この前提によって立つなら、捕鯨反対はまさに正しいといえるし、日本側の反論のつもりの言葉もおかしいことになる。


つまり、捕鯨を反対するなら、いくら影響力はなくなったとはいえ、欧米人は、聖書どおりに「いのちの息のあるもの」を食べるのを辞めなくてはならないし、日本も捕鯨自体やめるべきである。


食糧自給が、といわれるが、あれを示してくる農水省は、日本でだけでしか行っていない、妙な統計の仕方をして、「日本の食糧自給率は40%」と謳っているようだ。


それもあるが、日本全体は食べすぎなのである。半分に減らせば実質80になるだろう。米と野菜、あとは味噌などの醗酵大豆食品と海草、果物にしてしまえ。


疑ってもみないのだろうか。普段から三食どかどか食っておいて、いざ病気になったら「これが病気に効く」とさらに食べるものを追加するような状況を。


現代栄養学の一日の栄養バランス云々は、日に三十品目を食べる事を目指している。乳製品や肉も含まれている。

三十品目も食べられるわけがないのだが、推進している栄養学者どもは普段何をどのように食べているのか見てみたいものである。実際にそれだけ食べ続けて、太りもせず、また健康を損なう事もないのか。


その栄養学とやらだが、今から四十年ほど前のアメリカあたりがそういう感じだったようだ。肉は食うわ牛乳は飲みまくるわで、たくましい体を作り上げているのだな、と思ったらそうでもない。

生活習慣病で死ぬやつが多すぎて、社会問題になっていたそうだ。このまま奴隷がいなくなったら困るというわけで、栄養指針を変更した。

穀物と野菜を中心とした内容で、しかも、肉も乳製品も含まれていない。どこかの論壇誌では、日本食を参考にした、といっていた。

そいつを推進していくと、いわゆる生活習慣病で死ぬ人間が三割ほど減ったのだそうな。それがさっきも言ったおよそ四十年前。丁度日本は反対の立場を推進し始めたころである。


肉うまいのに、と思うかもしれないが、味付けをしていない肉はおそらく、なんの味もしない。

昔、某TV局で、偽りの企画を芸能人に持ちかけて、いたずらを仕掛ける番組があった。たまに番組の企画でやる、というのはあるが、番組自体がいたずらを仕掛ける番組である。


某アイドル歌手グループのリーダーがターゲットだった回だと思われる。もしかしたら別の番組だったのかもしれないが、その辺はさておき、N氏はおいしいという話のステーキか何かを食べたのだが、一口食べて変な表情をする。

実は、その肉にはなんの味付けもしていなかったのだという。単に焼いただけの肉、というわけだ。


ライオンは肉を食べて力強いじゃないか、という。

実際は一日の大半をごろごろしているのだとか。動くのはせいぜい、二時間ていど。腸が短いため、肉の消化にはむいているのだが、それでもこの状態だという。消化にかかる体の負担が大きいらしい。


西洋人は、肉を食べてきた歴史が長いため、日本人と比べて遺伝的に腸が短いそうだ。日本人より2メートル短い。

日本人の腸が長いのは、穀物や野菜が肉より消化にかかる時間が長いための適応なのだそうだが、そんな体で肉を食べればなお更おかしくなりやすいというわけだ。


生活習慣病が宿痾なのではなく、肉を食べるのを辞めないのが宿痾で、また宿悪なのだろうと感じるしだいである。


というわけで、わたしは肉を食べるのを辞めてしまった。他にも理由はあるが、相手にされないし、こちらもしないので言わない。


この面白くもなんともないブログの隅から隅まで読み続けている、奇特な方は皆無だと思われるので、改めて言うと、件の地震のしばらく後から、禅僧の精進料理に興味を持って、完全にではないが肉を食べない形を執り始めた。いつだったかと振り返ってみたら、四月下旬くらいだった。

まだ、近所の沖縄そば屋で肉の入った炒め物やらを当時は食べていた。が、それ以外はほぼ食べずに過ごしていた。

それすらも先月辺りからなくそうとしていて、数日前についうっかり頼んだ「ソーメンチャンプルー」に小さい豚肉が入っていて後悔した、というのも書いた。


あんまり気にしなかったのだが、最近ふと振り返ると、体調に変化が訪れている。

一時期、歯が痛かったり、首が痛かったり、妙に疲れたり、口の中に変な味を感じたり、休みになると寝てばかりだったのだが、なくなってしまった。(休みでごろごろするのは元気でもしてるが)

口の変な味は、テフロン加工のフライパンを捨ててからだったが、フッ素とやらは実に有害である。大抵の歯医者はフッ素が歯にいいというが、歴史を振り返ると、良くて見間違い、悪くてでっちあげで取りざたされたもののようだ。(これでも控え目に言っている)

参考にこのページを読むといい。こちら


前からヨーグルトを飲んでいたのだが、これも辞めた。それで骨が弱くなったかというと、まったくそんな風はなく、毎回夜勤明けで一時間程度歩いて帰宅するが、足の骨が痛くなることもない。前なら痛くならなくてもひどくくたびれたことだろう。

イライラはカルシウム不足、などというのだが、ヨーグルトでカルシウムが摂れていたわけではないようだ。怒るときはあるのだが、おかしな程イライラし続けることは皆無になっている。

部屋はフローリングで、その上に茣蓙を敷いている。酔っ払ってパンツ一丁で寝たりするのが今月になって何回かあるのだが(今日も寝てた)、前なら、体中痛くて仕方がないところだったが、なんともなくなった。


ちょっと前に、夜勤明けで歩いて帰ると、腕が赤くなってひどくかゆくなったのだが、単に黒くなるだけで、かゆくなくなった。これは皮膚が慣れただけかもしれないが、先日は三時間弱歩き続けて(日差しに晒され続けて)それでも軽い水ぶくれのような症状は、晒している顔にも腕にもほぼなかった。

体重はちと落ちたが、脂肪と筋肉併せて4キロほど落ちた程度。これでトレーニングをするともしかしたら筋肉が着きだすかもしれないが、暑いので勘弁願う。


他にもあれがよくないこれがよくないと言ってやっているので、最近はキチガイの謗りを受け始めた。誰とはいわないが、以前から「変わった人」と考えてたんじゃないのかな、と思うが、どうなんでしょう?


次に何か体調について書くことがあったら、その時はおかしくなった時だろうとでも期待しておいてください。ほんとに悪かったらここに何か書ける状態ではないだろうけど。では、また。


見覚えのないもの

2011-07-08 | 雑記
今日は久しぶりに、といってもそれほど間隔は空いていない気もするが「和」に行ってきた。

ただ、前回までと比べてさらに気持ちが重くなりつつあった。ここでだけは肉やらなんやら気にせず食べようと思ったのだが、それすらも辞めてしまおうかと。

魚は許可しようとは思っている。ただ、家では食べないことにしている。では何を食べるのかというと、野菜と穀物メインである。果物があったほうがいいのだろうが、単純に苦手な果物が多いだけで、食べようとしない。


酒も体には良くないのだろうといわれそうだが、先月始めたタバコ同様、体そのものよりも心の健康によいのかもしれないと思う。タバコ始めた理由を「健康にいいから」というのは半分は嘘に近い。

ただし、ここにも以前引用したとおり、一般の紙巻タバコは毒物の塊といえるので、JTが販売する中ではおそらく無添加の刻みタバコをキセルで吸っている。タバコなら何でも良い、というわけではない。


余談は措くとして、いつもどおり、泡盛一杯と島ラッキョウ(鰹節が添えられている)とスクガラスできっちり飲み終えるくらいにして、さてどうしようかと考える。肉はどうしたものか。

ええい、悩むなとソーメンチャンプルーを頼んでみた。案の定、豚肉が入っていた。本当に茨の道を突き進み始めたようだった。


合気道の創始者、植芝盛平は徹底した菜食主義者で、食卓に肉が登ると気分が悪くなって数日寝込むほどだったという。食べたからなのか見るだけでもなのかは某辞典の記述ではわからない。

合気道が神道などと合わさり、一種の宗教的な側面がどうこうと書いてあったような気がする。肉を食べるのを体が拒否するのと同時に、宗教的とも言える信念がが食肉を拒んでいるのかもしれない。


自分はそこまで徹底できなかったのだが、今回は食べながら考えた。肉が体に悪いとTVやマスコミは言わないが、悪くもあり、やはり、倫理的にも食べたくもなくなったようだ。




食べ終えて会計を済まし、毒を食らわばじゃないが、サーターアンダギーも、と思ったが、今日はなかった。

代わりに、外のコンビニでマカロンみたいなお菓子を買って、大量の茶と共に食べつつネットを暫しやってから横になった。



本編が短くなると思ったので、経緯を書いたら長くなったが、要するに、夢を見た。


目に映るのは恐らく自宅のパソコンの前に座っているのだろう、画面に何か映っている。

どうやら自分のブログなのだが、ここにあるブログではない。何度かログイン画面を出たり入ったりしていたが、どうやらここと同じブログのようだった。

見たこともないブログレイアウトで、タイトルが「人形のある風景」だった気がする。捻りも何もないのは、どうやら夢の中にもこのブログがある上でわざと作ったらしい。

記事は三件ほど投稿してあったように思う。最後の記事にあったコメントで、返信でない他人のコメントの日付が去年の五月一日だったように記憶している。

記事の内容はよくわからない。が、ここも大概だがおよそ一般には受け入れられない内容である。世の中の真実を暴露して公表する、というようなものだと思えばいい。

最初のコメントの一言が「人形のお話はどうなったのかな」だった。以下は何行かに渡って、驚いた、なかなか受け入れがたくて困惑している、というようなコメントだったように覚えている。

他人が書いたコメントはなんとなく覚えている(夢の中だから自分かもしれないが)のだが、自分の返信コメントについては、夢の中で見たのかもしれないが、分からない。

タイトルがここのモジリで、そこにもこのブログがあった上で書いたであろう、というのは、最後の誰かのコメントの内容の概要が「今までグラフィックボードの話やらで多少有名になったのに、なんでこんなものを書いているのだ」というような内容があったからである。そうか、夢の中では有名だったのか。

そのコメントの日付を見て、もう一年ちょっと経つのか、どうしようかと考えつつ、最後のコメントに対してその当時した、自分の返信コメントを確認していたあたりで夢が終わったようだ。


夢というのは、実は他人との記憶の共有をしているんじゃないか、などという話がある。でないと、見たこともない風景を見ている理由がでてこない。

もしかしたら、本当にそんなブログを書いていて、すっかり忘れているだけなのではないか、とちょっと思ってしまったほどだった。


しかし、「人形のある風景」か。モジリで作っただけにしては何か異様なものを感じる。


ちょっと前に掲載した罵倒、というか批判だが多分罵倒記事のタイトルが「人の形」だった。


人の形、というもので面白いものがある。沖縄の伝承で、真似形(マネカタ、マニカタとも)というのがある。

細かい話は知らないが、然る悪魔召喚RPGで登場したこともある存在で、名前はそこで知ったのが初。

彼らは人の形をしてはいるのだが、時折痙攣したような動きをする。物の考え方や発言の仕方もいわゆる普通の人とは違い、動き同様、ぎこちない。上記のゲームの中の表現ではあるが、どこかで読んだのもそういう風であった。

それらは、人から生まれたものではなく、泥だか何かから生まれた、人の形をしたもの、形を真似たもの、というわけである。

実際は、沖縄の風土病のような精神疾患の症状のことを指すのではないか、という話だった気がするが、読んだものもマネカタを掘り下げるためのものではなかった。


さて、「人形のある風景」はどこを指しているのだろうか。


ブログ主の部屋にある人形を指しているのだろうか。それともブログ主が「人形」なのか。もしくは、「日常」と思しきものが「人形」のある風景でしかない、というアイロニーなのか。

夢一つでゾッとする日が来るとは思わなかった。


別の意味でゾッとする夢といえば、ゲイの某インディーズ系プロレスラーと屋上のステージでギャラリーに囲まれつつ、相撲を取ったという夢を見た。何故か自分の前のやつの試合はボクシングか何かで、殴り合いをしていたのだが。

ゲイのレスラー相手に相撲というのが狙っているとしか思えなかった。そして笑える事に、かわづがけで勝ったような気がする。

その屋上も見たことがないし、周りの人間もあったことがない。レスラー自体も写真とコラムは見たが、試合も見たことはない。

わけがわからないが、わけがわからないので構わない。気合と金があれば、やつの試合を遠巻きに見守りに行ってみたいものである。


さて、最後に。

お前は節電しろ!と前にいわれたことがあるので、夜は蛍光灯をつけずに過ごしている。まあ、パソコンと扇風機(ほぼPC冷却)や、炊飯などの電気は使っている。

しかし、PCのモニターの明かりでは無駄にまぶしいし、さらに蛍光灯はもっとまぶしい。モニター消せば何もとはいわないが、見えない。

ふと思い立って買ってきた。




もう一枚。


何年ぶりだろうか。この淡い光を見たのは。

地震の直後はTVで「ろうそくを使うな」という話を盛んに言っていた。爺さん婆さんが消し損ねて火事になる云々と。

そりゃ普段扱わないものを、しかも電気をつけるかのようにやっていたのならいつだって火事を起こせる。

パニックになってそのうえTVがいうものだから、皆、電池やら懐中電灯を買いに(買い占めたり)した。普段の備蓄ならまだしも、買占めは論外だろう。だが、明かりが欲しくなるのは仕方ない。

非常におかしな話だが、巨大な災害でインフラが壊れたときに、「充電式」のランタンなどになんの意味があるのだろうか。

想像してみよう。近所の電線が全部ぶっ倒れていて、それでいてもあなたはコンセントに刺しこんで充電を試みようというのだろうか。

普段充電していたのなら、しばらくは持つだろう。飽くまでしばらくである。再起不能なほどの災害(地震だけでなく)で現代のインフラなんて存在しない状態になっても、あなたは充電式ランタンを抱えているのだろうか。


夏だけでなく、これからは夜はこれで過ごす事にする。一本つけていれば、キセルの点火にマッチが要らなくなる。それに、蛍光灯の明かりは嫌な感じがする。


お前の言い草はまるで真似形だ、とお笑いになるのはご自由に。それならばこう言い返すだけである。「あなたは速やかに「命令」をこなす「人形」ですね」と。では、また。

現代英雄の仕組み

2011-07-07 | 雑記
さて、いきなりもう動画を貼り付ける。毎度の続きである。


第十九夜




物騒な話だが、アメリカではこういうゲーム(プレイヤーキャラの姿が映っていない形のものだが)が、軍の資金で開発、無料運営されているそうだ。

米軍の訓練紹介というやつで、これでやっていける体力がありそうなら、軍においで!というわけだ。上のゲームみたいに、異形の化け物を相手にするわけではない。


中国でも同じように、そういうゲームが作られているそうだ。もう出ているかもしれないが、詳しくは知らない。



ところで、情報源は分からないのだが、不穏な話がある。


そういうゲームを普段からしていた米兵は、作戦行動における敵兵殺害などに対する抵抗が少なくなる、という話だ。

回りくどく言うのは辞めて簡単に言おう。「人を殺すゲームをやっていると人を殺すのがなんともなくなる」というわけだ。


最近は、「人そのもの」を殺すのは風当たりが悪いので、ゾンビになったりしている。やたらゾンビゲームが流行って(特に海外のゲームだが)いるのは、偶然ではないと思われる。


散々ゲームをやってきて、そういう話が出たら否定してきたのが自分の立場であった。別にゲーム業界に勤めているわけでもないし、知り合いが働いているわけでもない。

ただ、ゲームは悪くない、と信じてきただけであった。


それならば、対象を殺害するゲームでなければよいだろう、と思われるだろうが、実はそんな簡単な話ではない。


ゲームの簡単な流れを言えばこうなる。

提示された目標を、指定された行動で、指定の時間内や指定の得点圏で持って攻略した時点で、目標達成とみなす。


実際、上記の「人を殺すゲーム」というのも、この形なのである。言うまでもなく、TVで流されるスポーツなどもまったく同じである。



「人を殺すゲーム」を普段やっていた人間が、殺人に対する抵抗を覚えにくくなる、というのはつまり、人を殺す疑似訓練を行っていたから、というだけではないといえる。

軍隊の、というより社会の仕組みとすらいえるのだが、命令に対して服従するのが下部構造に所属する場合の存在意義といえる。上からの命令は絶対だと当たり前に思うならば、「人を殺せ」と命令されて抵抗を覚えることはなくなる。


さて、簡単なゲームの流れというのをもう一度振り返るとしよう。

まず、目標の提示。某ヒゲ男のやつなら、さらわれた姫を助けに行くと。なんでさらわれたのか、というか何で自分がいくのか、という疑問は持つ持たないは別として、語られることはまずない。語られる事になったとしても、「主人公」が動く動機を一方的に提示されるだけになるだろう。

次、指定の行動及び、時間内に攻略すること。某ヒゲの男ゲームは、最近のは知らないが、カウントがあって、その時間が0になると、プレイヤーキャラが死亡する。なんで死ぬのか、という突っ込みはどうでもいいが、そうなる。
行動といえば、敵を踏んづけて倒す、というのもある。踏んでも踏まなくてもいいが、敵なので踏んでよい、というわけである。踏めない、踏みにくい敵もいるが、そういう話ではない。そうやって敵を避けつつ倒しつつ、ゴールを目指して突っ走るわけだ。

指定の得点圏は、この場合はプレイヤーのリトライ可能数を使い切らないで攻略する、という意味でもよいだろう。点数や取得アイテムによるリトライ数の増加、というのも考えられる。


では、当てはめなおしてみよう。

提示された目標(敵を殺害せよ)を指定された行動(まあ色々)を指定された時間内(即座にやれば誉められるだろう)と得点圏(百万人殺せば英雄だろう)で持って攻略した時点で、目標達成となる。

達成された目標というのは、作戦行動(つまりは上の都合)の達成と、被支配者の人間性の破壊、という意味で二重になされたといえる。


それはでも、軍隊と戦争を行っているところででの話だろう?と思うだろう。

ちらっと書いたが、上に「社会の仕組みとすらいえる」と書いてあるのを見出せるだろうか。


こちらが示した枠組み(ゲームの流れ)自体は、それほど練りこんで考えたものではないので、柔軟性に欠けているだろう。だが、世の、またこれを読んでいるあなた自身の現状を当てはめて考えてみると、何か見えてくるかもしれない。何も見えなかった、というのも別に構わない。こちらが提示した枠組み自体を疑えばいい。では、また。

因果

2011-07-04 | 雑記
先日、前回の更新で紹介した醤油を買いに行った日のこと。

電話は放り出して出かけることが多いので、帰ってきてから電話を覗いてみたら、父親の電話から着信があった。

おそらく、最近大丈夫か?ということを尋ねてくるんだろうなと思って電話してみたら、やはりそうだった。

別にこっちは変わりない、前より元気になったような気がするとまでは言わなかったが、問題なくやってるよ、と伝えた。

父親は以前、脳梗塞で入院したこともあり、多少体に不安のあった感じはあるが、元気でやっているのだろうと思ったら、意外な言葉が出てきた。


なんと、約半月ほど前に、原因不明の視力低下があって、発症したその日は物の形もつかめないほどで、まともに動けなかったそうだ。

そのうち何か出てくるのは間違いないとは思っていた、といったら人でなしのように聞こえるが、意外と大丈夫なようで、日が経つにつれある程度は回復してきたそうだ。でなければ電話をかけるどころか持つことも出来なかったろう。

といっても、目が見えなく(普段からしたら見えないのと同じだから)なったため、仕事は休んでいるそうだ。元々アルバイトというか手伝いみたいなものだが、周りでは頼りにされている。足が悪くない人より仕事が出来る、とまで言われていた。車の修理工という名の職人であった。

職人は目が命。休まざるを得ない。


我が父と母の食事は実に質素である。玄米こそ食べてなかろうが、ご飯と味噌汁ばかりだったような気がする。


いわゆる現代栄養学からしたら栄養失調じゃないか、という感じではあるが、日本の栄養学こそ嘘をついているので、食べ物が異常とは思わない。だが、少し思い当たる節がある。これが実は栄養失調に繋がっているのではないかと。


何年か前に、実家の内装を換えた。父親が交通事故で足を悪くしてから、階段に手すりをつけたり、トイレもバリアフリーというやつになった。


それと同時だったか分からないが、台所もIHになっている。お湯だけは灯油を燃やすタイプだったように思ったが、今はよく分からない。


今年の正月過ぎに帰った時、父親は電子レンジで焼酎を温めて飲んでいた。その時はあまり気にしていなかった。飲みすぎなければ大丈夫だろうから、と。



その電話を受けた数日後の先ほど、ネット上で色々読み漁っていた後、気分転換に少し寝転がったとき、ふと思い出した。

調理器具がIHと電子レンジ、そして焼酎の温めも電子レンジ。まさか・・・と。


電子レンジとIHはどちらも分子を震わせ、その熱で調理する。アルミはマイクロウェーブを通さないので、IH器具にアルミ製品は使えない。

アルミ以外の耐熱製品なら、大抵の調理器具は使えて、しかも火が出ないので安全でお掃除も楽々!だからオール電化にしよう!と電力会社がよくPRしていたのを覚えている人もいるだろう。


さて、このマイクロウェーブを使った調理器について、恐ろしい逸話がある。

アメリカだったか、然る病院で輸血を行う事になった。輸血する前に鮮度を落とさないように保存された、要するに凍った血液を解凍して、人体の温度くらいにするわけだが、何を血迷ったか、看護婦が電子レンジで温めた。

するとあら不思議。輸血された患者は死んでしまいましたとさ。


輸血されてショックを起こして死んだのか、それとも時間が経って死んだのかは見ていないのだが、病院の医療行為で少なからず実績のあるであろう輸血の後で死んだとなると、怪しむに足りる。


ちなみに、輸血自体がよくない、という現場の体感もあるようで、輸血をやめたほうが経過がよくなったり、助かる事が多くなったという証言もある。


それはさておき、分子を震わせて熱を出すというものは自然界にはない状態である。あるのかもしれないが、少なくとも、火で調理するときには起こらない。


血がおかしかったのかもしれない、輸血の仕方やその他の原因があるのかもしれない、という可能性もあるとして、別の例をだす。


スプラウト、いわゆるかいわれ大根やもやしといったものを自宅で作って食べている人がいるのだが、ちょっとした実験を行った。

三種類の水を用意する。一つ目はいつもどおりの水。二つ目はガスで沸かした水の湯冷まし。三つ目は電子レンジで沸かした水の湯冷まし。

実験の結果は、一と二は普段どおり発芽。三はというと、八割ほど発芽しなかったという。ある程度成長したのを食べてみたが、三はなんだかべっちゃりした食感になったという。


第二次世界大戦の後だったか、旧ソ連は「電子レンジの使用禁止」を発令したという。使うと危ないことを色々実験して分かったらしい。

独裁国家が命令して使用を禁ずるほど危ないものである、と考えるほうが素直だろう。

実際に、電子レンジで調理された食べ物は、細胞が破壊されているという。細胞に栄養やらが保存されているのに、破れてしまうと栄養が損なわれるというのは想像に難くない。


数分考えて、電話を持った時点で迷わずかけた。


母親に言うべきか父親に言うべきか、どうしようか考えたが、まずは電子レンジで酒を温めて今も飲んでるかどうかを確認する必要がある。父親に言うべきだろうと。

知り合いが家に来ていたそうだが、気にせず聞いてみた。酒は飲んでいる、と言っていた。今は暑いから温めて飲んではいないだろうが、いつもそうやって飲んでたよなぁと。

上の輸血の話と、ソ連が禁止したという話をいい、いきなり全部IHやめろというのは無理だろうから、せめて電子レンジで温めるのはやめて、味噌汁を鍋物で使うときのガスコンロでも引っ張り出してそれで作るようにしたほうがいいと思う、と伝えた。

要するにIHと電子レンジが悪いんやな、と簡単に飲み込んでくれた。

それで目や体調が劇的によくなるってもんじゃないと思うけど、目の異常も原因不明というし、そういう方面の警戒をしたほうがいいかもしれないから、と言って終わった。


歳もあるとはいえ、今までの積み重ねというのもあるだろう。だから、原因がマイクロウェーブだとしてもすぐにはどうにもならないかもしれないし、他にも色々危なっかしい物もある。

これで目が良くならないとしても、悪化を抑えられるかもしれない。危ないと考えられる物を放置して、寿命を著しく縮める手助けをしてしまうのは、殺人にも等しい。

なんやかんや、ここで父親のことを貶していたりもするが、殺人者にはなりたくなかったしだいである。


さて、殺人者になりたくないと言った手前、こういうゲームの動画を続けているわけだ。


第十八夜




色々思うところもある。こういう世界(相手を殺す仮想トレーニング)から足を洗う必要が迫っている気がする。変な義理やら責任やらを感じないでスパッと辞めるか、そもそもそういう風に感じるのが「とらわれ」なのかもしれない。思うところもあるが、ともかく最後までPCがぶっ壊れるとか地震その他でこのあたりが吹っ飛んでしまうとか、そういうのが起こらない限りは続けようかと思い直す。予感と予定としては、これともう一作が終わったときが「終わり」だと感じている。あんまり当たらない胸騒ぎというやつである。では、また。


表面

2011-07-04 | 雑記
さて、前回のは書きたかったことじゃないが、どうしようもなかったのでつい書いた。まだ言い足りないことがあるような気がするが、思い出すと腹が立つだけなので、なるべく考えないようにする。

とりあえず、書く予定だったことは、これから書くことにする。



唐突だが、台所の醤油や酢、味醂の成分表示を見ていただきたい。

醤油なら、大豆(脱脂なんたら、というのも書いてあったりする)小麦、塩など等の後、こう書かれていないだろうか。

醸造アルコール、と。


醤油も酢も、材料に麹を混ぜて寝かせると、「アルコール発酵」が行われるため、本来は入れる必要がない。が、大量生産の安物は、失礼、粗製乱造した醤油は、手早く仕上げるためにまがい物を作っている、といっても過言ではないだろう。

味醂については、正体不明の「糖類」などというものが添加されている。正体を製造元に伺ったところで、「法律に則った問題ない素材です」としか言わないだろうが。

この糖類というもの、どうも胡散臭いようだ。そもそも、砂糖とは言わずに糖類とはなんぞや?上の糖類、とは違うのかもしれないが、然る甘味成分の異常なところについてはこちらを参考にどうぞ。


というわけで、近所の米屋に、スーパーじゃならんでいないメーカーの醤油が置いてあったなぁと思い出し、ちょっと覗きに行ってきた。あれば、「糖類」のない味醂も欲しかったが、味醂自体なかった。


その醤油は以前、原材料を確認したら、伝統的な材料しか表示していなかった。


で、その日見に行くと、棚の反対側の端にもう一本置いてあった。瓶詰めの醤油で、よく見ると我が故郷からやってきたようだ。

和歌山の湯浅だったか、たまり醤油を昔から作っている地域がある。刺身なんかによく合う。最近は刺身は食べた事がないが。





こいつはまた別の地域の醤油だった。濃い口醤油で、取り替えたものと味もさして違わない気がしたのがちょっと泣ける。


保存料なども入っていないので、開けたら早めに使い切ってくれ、と書かれている。多分、苦くなるまで無くならない。


これで一安心、と思ったらそうでもないのが最近の世の中である。大豆自体も遺伝子組み換えでない、と書かれていても、怪しいのがあるという。STS大豆とかいうのが出回っていて、これの可能性が高い。

そのほかにも、醸造につかう菌が人工のものだったりするのだとか。さすがにそこまでは調べていないので、やはり安心は出来ないのである。まあ、スーパーのよりはマシかもしれないが、はてさて。


そういう話を書いた本の書評もあるので、こちらも併せてご覧ください。


なんというか、特定サイトの宣伝のような気がするが、色々と面白いので、気になる人は紹介したところに限らず、つまみ食いならぬつまみ読みでもするといい。どう思うかは自由に決まっている。


酒飲んで、クレープまで食べてきたようなやつが、健康健康というと悪い冗談でしかないが、少なくともクレープについては辞めようかと考えている次第である。始めたばかりのタバコは辞めない。では、また。

人の形

2011-07-02 | 雑記
ここで書いても訴えるべき相手に届かない、というか見たとしても凡そ理解も出来ないかしようともしない、といいたくもないがそんな気もするのだが、モヤモヤするのでつい早朝に目が覚めてしまった。

とりあえず、具体的な話は後にしよう。


いまどき、「TV、アニメ、漫画、ゲーム」と言ったものに一切触れたことがない、という人はかなり珍しいといえる。じいさんばあさんだってBGM代わりにTVをつけている、というのはあるだろう。


どこかで読んだのだが、一昔前に、こういう証言を聞いたという話がある。

学校の同じクラスだかの、銀行だか役所だかの、所謂「高級」な部類に入る家庭の子供が曰く「うちでは、ゲームもアニメも漫画もTVも禁止なんだよ」と。


それを聞き書きした人間の発言は、ちと荒唐無稽に聞こえるだろうが、こうだ。「支配者に近い人間たちは、これらが洗脳に使われるのを知っているから、子供に与えなかった」と。


ついでに新聞も加えても構わないかもしれないが、問題はそこではない。


マクドナルドはどこで食べてもまず同じ味になる。といっても食べ比べたことはないが、あの店のマクドナルドはうまい、などとは聞くはずもない。

要約すれば味覚の平板化、画一化、というわけだ。いつでも、どこでも、同じ味を、うまいと思わせる。


さて、「高級」な家庭が禁止した物は、換言すれば、「情報及び感情の平板化、画一化」といえる。いつでも、どこでも、同じ情報を、つまりはそれを元にして動く感情を、自身の感情だと思わせる。



話は戻る。


TVを見ない、漫画、アニメも見ない、という人物がいる。ネットのニュースすら見ない、検索サイトのトップページに出るようなニュースはTVと同じだからいいとしよう。そういう人物がいる。

一廉の人物だ、と皮肉も込めずに思いそうになるが、そうではない。趣味も生活もゲームなのだとかいう。


趣味も生活もゲームだが、思慮深く、物事を根本的な側面から判断しようとするような、いわば「知性」のあるような人間ならこれも問題ない。知識や情報がないだけなら、話は通じるからだ。だがそれもない。


昨夜になる。某ゲームのチャットで、日本にはびこっているとある国の話をしていた。きっかけはちょっとしたことで、話のついでというやつだ。

ステージの間、こういうことがある、とまあ、こっちもずっとしゃべっていたわけだ。悪口、と単純な思考の人は思うか知らんが、例えば、この時期に「半島からの食品の衛生検査を簡略化する法案」を日本政府がグルになって通そうとしている、というのを聞いて、単純に悪口と思えるだろうか。だが、単純だった。

ステージが終わり、普段ならもう少し続けていたであろう時間だったが、「今日はもう終わります」と切り出してくる。そして「疲れました」とも。わざわざ「疲れた」などというあたり、しょうもない。


その入れ替わりでやってきたメンバーに、これまた聞くともなしに聞いたのが「一廉の人物と一面では思えそうな生活」だった。


以前も、その「一廉の人物」は、特定アジアの話しになると「差別している」と、破綻した論理で怒り出したものだった。

そのうちの理由の一つが、「中国の文化とか好きだし」だったのだが、その時はあまり気に留めることもなかった。


しかし、先ほど聞いたとおりの状況なら納得できる。


人間の観念というのは、現実の認識というもの自体だが、有態に言ってしまえば妄想なのである。3DCGの空間に立体的に見える絵を描いたり、最近は、3DS付属のカードをそのカメラから映像を映すと、立体的な絵が浮かび上がって、擬似的に触れるというのが出ていたりするのだが、こういうのを「仮想現実」だとかいう。飛び出すカードはまた別の言葉があったが、忘れた。

いわゆる現実は、あたかも3DSのカメラで付属のカードを覗き込むかのように、人間の観念というカメラで覗き込んで出来上がっているわけだ。しかし、規格品じゃないから、人によって見え方や感じ方もまちまちであるが。


つまり、妄想の上に妄想を作り上げるような行動を普段行っている(人間一般がそうだといえるのだが)うえに、さらにその妄想を純化する生活(ゲームだけやってる)から導き出されるのは、好き、嫌いの感情自体も妄想以上の幻覚だというわけだ。

コカの葉は、自生している地域の人々にとっては、疲れたときに齧ったりして、日々の生活にある、健全なものとして共に過ごしている。多量に齧る鉱山労働者は、注意散漫になって事故の原因になっているかも、というのはあるが。

さて、コカの成分を精製して純化するとどうなるか。おなじみの「コカイン」になる。多量にコカの葉を齧るのと同等か、それ以上になるというのは想像がつくだろう。


取り敢えず、理論は一度措くとする。



また具体的な話に戻るとして、その「一廉の人物」は、特定アジアが、日本と日本人に多大な害悪を与えているという具体的な話をしても「差別だ」という。しかし、実に単純で、そして奇妙で、本人も決して気づかないのだろう。


「差別だ、といって特アをかばうあなたは、日本を差別しているのだ」と。


これが差別でなければ何を差別というのだろうか。そして、「弱者をかばう」という麗しい偽善でしかないという事にも気づけない。人間だと思っていないから、憐憫の情でしか見ないのである。



一時期、「ゲーム脳の恐怖」という本が出版されて、どこが盛り上がったのかよく知らんが、盛り上がったものである。TV関係のメディアはゲーム叩きに使っていただろう。

読んではいないのだが、著者のプロフィールを見ると、ちょっと奇妙である。大学は文学部を出て、院は物理だとか生物学になったという。よく勉強した人なのか、と思うが、文系と理数系の隔たりは勉強で乗り越えられるものなのかどうか。

不備が、というより思い込みで書かれたところが多く、学術的におかしい話も目立つので、マスメディアは結構持ち上げたが、一般読者レビューはぼろくそだった。


別にこの本をけなすためではない。むしろ褒めたくなったからだ。


ずっと上の「高級」な部類の家庭がアニメやゲームを禁じた理由を「下級な人間を洗脳するためのものだから」ということから考えれば、いわゆる科学的なデータがちゃんと出てこないのは、「出せるような設備がちょっとした研究所には配備されていなかった」からなのかもしれない。そこはまあ、妄想としてくれていいが、そんなデータよりも分かりやすい具体例にお目にかかれたではないか。


「日本人を差別している」ということに思い至れない思考停止を、別にゲームだけに換言する気はない。もっと言えば我々が「当たり前」だと考えているもの全部だ、というところなのだ。


「一廉の人物」の経歴を調べたわけでもないし、探偵でもないからやらんが、一般的なものと仮定して語るならこうだ。

日本の然る地域で生まれ、一般的な家庭に育ち、一般的な教育をある程度受ける。そして一般的な職場である程度の労働をしている。このうちのいずれかの時期にゲームと出会い、現在はゲームばかりをする。


さて、何が問題か?日本が問題だ!といえばある意味正解としておく。この先は考えてもらいたい。答えが決まっている人は「一廉の人物」になってしまうのだから。


こんな話を書いておいてなんだが、最後にこちらも「一廉の人物」たらんとして、ゲームの動画を貼り付けておくことにする。


第十七夜



今朝、目覚めて上記の話を思い出すにつけ、「ゲームなんぞやるもんじゃない。やめようか」などと考え出す始末。ただ、あんな知性も想像力のかけらもない「一廉の人物」になるくらいなら、やらないほうが健全である。では、また。