ウヰスキーのある風景

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世界をセッケンする

2016-10-16 | 雑記
先日、石けんそのもので出来た洗濯用のものを買って手洗いしたり、洗濯機でぐるぐる回したり、食器洗い用のも買って泡立てながら遊んでいたとか書いた。


石けんは弱アルカリを示す素材。

そしてここ一ヶ月ほど、風呂に重曹を入浴していた。

重曹も弱アルカリを示す。


ふと思いついた。

ならば、風呂に入りながら石けん使えばいいんじゃないのか?と。


後はほれ。泡一杯の風呂とか面白そうだと。昔あったCMとかドラマのアレである。

まあ、実際はああはならんだろうとは踏んでいたが。


若いころ、上記に示したような石けんではないもので頭を洗っていたことがあった。

かなり髪の毛がバサバサになったものである。ただ、当時も何かで聞いたか、よくあるシャンプーは危険との話を仕入れていたのかもしれない。だが、詳細は覚えておらぬ。



またああなるのかねぇ、などと思って洗ってみたのだが、洗ったすぐはやはりバサバサになる。

そして乾くと・・・。あら不思議。なんだかサラサラする。

肌もなんだかガサガサしない。しっとりしている。いつからここは美容のブログになったかはしらんが、そうなった。

食品グレードの精製度の高い油脂で昔ながらの釜炊きで作った石けん、とかいっていた。

食器洗いのと同じメーカーの奴を買って来た。「無添加白い石けん」とかいう。

で、メーカーのQ&Aを見ると、基本的には固形石けんには「牛脂」が使われているとか。

牛さんが混ぜ込まれているのだな・・・きっと悪魔的!


微妙なおどけは、まあいいとして。買って来た石けんには植物油脂で作ってあるとは書いてあった気がする。

改めて風呂場で読んできたが、植物性の油脂だそうな。


植物由来の油脂が肌に浸透して、しっとりさせるのだとか。香料やら添加物に反応する敏感な人にオススメとある。


こうなると、風呂上りになんかローションだか塗って保湿がどうとか言ってるのはバカバカしい気がしてくる。

いや、わしは塗ったことないが、世間一般的に?テレビでCMしてるとかいう奴で?


きっと三日使うとおかしくなる!とは思ってないが(それなら既に何度もやってる食器洗いで手がおかしくなる)、続報にご期待めされぬよう、ご注意願いたい。


というわけで、美容に気を使う女性の方々にオススメしておこうと思う。

合成界面活性剤で出来た洗剤で肌の油脂を落としまくって痛めつけて、それからまたなにやら混ぜたもので補おうというのなら、救いようのない無能である。

石けんで世界を席巻するのだ!!と、タイトルのダジャレの由来である。




さて、前回の更新で音の話をした。末尾に「今まで心地よいものだと思っていたことは勘違いかもしれないと考え直してみるのもよかろう」といった具合のことを書いた。


いわゆる陰謀論者というのが、自然だとか健康だとかにこだわるのも、別段、セオリーから外れた話ではないということである。


要約すれば、「陰謀を働いている奴らは、自然や健康を破壊して我々を困らせている。我々はそれを人類の自然な流れだと思い込まされてきた」のだと。


それで、その陰謀を働いている奴らの悪事やらを書き立てて世の中の人々の意識に訴えかけるのは当然であろう。聞く耳もたれるかは別としても。

もう一つ言っておくなら、そういう話に耳を傾けないように仕向けられているというのもある。

おどろおどろしい言い方をするならば、「洗脳されている」のであるが、洗脳されている人は洗脳の自覚がないか薄く、また一般的な状態の人の感情的な反応による多数決には負けてしまいがち、という流れになる。

今までと違う話を聞いて、「そんな話もあるのか」と一考しようとする態度の人だけなら、お互い面倒はないが、ご自身も経験はないかな?頭ごなしに否定するという、感情に振り回された態度を取ったり取られたりすることが。


と、ややこしい話は措くとして。


我々一般人はそういう、上から吹き込まれた話を知ってか知らずか、信仰している状態であるとの前提で進める。


つまりは、被害者の状態にあるわけだ、一般人もいわゆる陰謀論者も。


で、加害者はあいつらだと言っているのが陰謀論者。


するとあら不思議。一般的な人は加害者の追及をするよりも、陰謀論者を追及することが多くなりがちだった。


もしくは判っていても擁護したりする。決まり文句はこうである。

「生活や発展のためには仕方ない」というやつである。


こういう言をすること自体が被害の深刻さを語っておるのだが、そういう人に限って訳知り顔でいうものである。



そして・・・。とある陰謀論者は、そういう一般人の無自覚な被害による加害に苦しんでおったのだろう。


旧約聖書から外れて成り立っていた、いつのころからのかは詳しくは判らない、ユダヤ教の言葉に、「ゴイム」というのがある。

異教徒の事を指す。その手の話では有名な言葉である。

ゴイムというのは家畜と同義であり、異教徒というのは家畜同然だから、好き勝手に扱って良い、ということだと。


陰謀を働いているとかいう存在がそんな言葉を使っている(らしい)というのは別に問題ない。

「彼の麗しい人々を好き勝手に致しましょう」なんぞと言っている陰謀集団がいたら、腹がよじれて真っ直ぐ立てぬ。


話を戻して。


もう何度も言ってきたが、このユダヤ教のごとく、表ではほとんど言わないのだが、裏で「ゴイムゴイム」と言っておった。

まあ、そのとある~の愛人はわしのブログに「ゴイム的価値観」なんぞというタイトルでコメントをしてきたものではあったが。

それを思い出したのでこういう流れの話を書いている、というのがわしの陰謀である。


つまりは、「相手を間違えておるぞ」ということである。

挙句の果てには「一般人ヲ対手トセズ」となった、というのも書き立ててきた。



陰謀集団とやらは、別に地球環境の良し悪しを目的とはしていない。表立っては問題だとは言うが、違う。

人類を含めた全部を手中にするのが目的であって、環境破壊やら「教育」という名の洗脳は手段であり、標的は人類である。

人類が今よりひどい地球環境でもびくともしない存在だったとしたら、彼らは手も足も出なかったろう。


というわけで、正攻法を提案しようというわけだ。


なに。提案というほどでもない。


変な洗剤やらシャンプーやら使うくらいなら、石けんで洗え、というだけのこと。


世界をセッケンしてみるのも一興。泡沫の夢だとしても、また一興である。



ではよき終沫を。




追記

髪は石けんで洗うとやっぱりギシギシするとのこと。上記の石けん会社のQ&Aにあった。

わしは今回問題はなさそうだったが、弱酸性のリンスをつけましょう、とのこと。

こんなところを読んで試すやつが何人いるかはしらんが、注意喚起である。


足音

2016-10-12 | 雑記
久しぶりに下駄を履いて出かけた。

一時期はあまり着物で出なかったことと、うるさいと思って敬遠していた。

だが、思ったほどうるさいとは思わなかった。軽く飲んだ後さらに歩き回ってたら、足の親指がちと切れて血が出たかのように赤くはなったが。

その親指の赤くなった辺りが、松果体に効くツボだったナァ、などと帰ってから暢気に思い出したものである。


さて、普段歩かなかった方面の家の近所を歩いて見覚えのあるところにでると、古本屋があった。


すぐ近くにあるのにしばらく行くことがなかったもので、着物姿のままで進入した。


ふと、見慣れない言葉で(響きは実に馴染みがあるが)書かれたタイトルを見つける。

ICA、イカである。と言っても、烏賊ではない。ペルーの地名だそうな。


まだ読みかけなのだが、古代史に纏わる話である。


ペルーのイカという地域辺りで、妙な模様が刻まれた石が出て、その模様を調べると、インカ文明ともプレインカ文明とも違う文明の存在が書き記したらしい、とのことだ。

どれくらい奇妙かというと、学者が嘘やら間違いを吹聴していないことを前提にするなら、石の年代よりもずっと昔の存在のことが克明に書かれている。
なんと、化石でしか存在が知られていないはずの恐竜の成長具合が書かれていたりする。

絵が刻まれたのは一万二千年以上前である、とのことで、複数の施設による検査で一致している。

そして、書かれていた動物の年代は三億年前のものが書かれているという。アウグトゥスじゃなくて、アグナトゥスという原始的な魚が何故か書かれているのだとか。


古代史がひっくり返る発見であるのだが、やはり、アイクが書いていたりするように、そういう権威にいる人ほど頭から否定するようである。

その著作でも同じことを言っていた。


訳者あとがきを、最初から読む前にちらっと見たら、邦訳に当たって参考にと読んだという古代史学会の話の本にも、新発見を策謀で潰す陰険なやり口を詳細に記していたりだとか。
本人は頭痛がやまなかったとのこと。このイカの石は古代史をひっくり返す存在だ!というノリで翻訳してたわけではないようで、大変だったろうと思われる。

そのイカの石の件も同じことが起きていたようで、権威にある存在ほど、科学的証拠を考慮せず、実物すら見ようとしなかったのだとか。



こう書いていくと、またいつものノリで言うのだろう、とここの文章に馴染んでいる人がいるとするならば、そうなる。


とは言っても、以前しゃべった言葉を改変して書き出しておく。

「学者というものは、真理の探究に心血を注いでいる存在だと思いそうになるが、決してそんなことはなく、私利私欲や怠惰で学説を捻じ曲げ、ふんぞり返っているのが多い」


無論、ふんぞり返っているやつらだけではないのは事実である。

が、ふんぞり返る具合が強いのは、一般的になっている「学説」を普及し、支持していることにより権威となった者たちだということであることを理解するべきである。

それを疑いもせずに我々もそこから非難をするならば、これもまたただの頭が空っぽな権威主義者と相成るのである。



アメリカのとある州で、進化論を教えるのを禁止する法案というのが通りかけた、とのことを昨日、話の合間に聞いたものだ。

その話をした人は、以前からわしが書いたり喋った方面からは語ってはいないことを付け加えておくが、そうなるのも致し方ない。


基本的に進化論を否定する方面で熱烈な方は、キリスト教だったりする。


科学的進化論というのは、別にキリスト教だとかの神のことを指している訳ではないのだが、熱狂的な人は「それみたことか!」と騒ぐため、ややこしくなっている。それで我々も「イカの石を見ないで頭ごなしに否定する学者」となっていたりするのである。


ダーウィンは死の間際、進化論は間違いだったと述べ、ヘッケルという学者は捏造した胚の絵を指摘され、当時、新聞で謝罪文を出した。

それなのに、未だに「定説です」として公的教育機関で一方的に教えるというのは、無能な権威主義者の乱造に一役買っているとしかいいようがないのである。
そのヘッケルの偽造した胚の絵も未だに進化論の証拠として掲載されているという。


まあ、無能な権威主義者(有能な、というのがあるとは思えないが)が多いほうが、上には都合がよいので。



というわけで、論より証拠。


先日、「音楽のピッチを変えて聞いたら、元のピッチを聞くと目が痛くなった」と妙な事を書いた。


ここでもずっと前に、ソルフェジオ周波数というものの話をした。

現在はA=440hzで統一されており、これはアメリカとその後でイギリスで採択され、国際共通規格となっている。ISOというやつである。

これがよくないらしい、という話で、Aをその前後のある数値にしたら、528hzという素晴らしい周波数がどうこうで、という話である。

よくない理由として、ナチが人をおかしくする周波数の研究成果らしい、というのもある。

アメリカで採択するために、A=440hzの研究をしたのは、ロックフェラー大学で、その研究死霊、じゃなくて資料は財団、でなければ大学の許可がないと見せません、となっているという話もちゃんとあることを踏まえておいていただきたい。


たまたまなのだが、昔見ていた「In Deep」というサイトがある。

久しぶりに見ていたら、それに紹介されていたので、上の話を思い出したというわけである。


で、以前は528hzを出すにはA=444hzにすると聞いていたのだが、これもちと違ったらしい。

440から8引いた、432hzがもっとも心地よく響くのだとか。

その「In Deep」さんの旧版のページに紹介されている。

下の方に、440hzと432hzでそれぞれ調律したアコースティックギターの音が収録されているので、お試しいただきたい。


当方はというと・・・その動画は見ていない。

なぬ!?貴様!!「イカの石」か!?

というのも、同じく「In Deep」さんの別の記事で紹介されていた、432hzに作り変える方法で聞いていた曲を作り変えてやっていたもので。

夜勤明けに早速試したら、「目が痛くなった」というわけである。もっと正確に言えば、目の奥のほうという感じだったが。


「今まで当たり前だと思っていたものは、悪い夢だったのかもしれない」と無理に思い込まなくてもよいが、普段心地が良いと思っていたものは実は勘違いだったのでは?と考え直す一助になればと愚考するしだいである。


では、よき終末を。



パスツールの風邪は進化を促す

2016-10-08 | 雑記
前回の更新の終わりに、「本当は書くつもりだった話あったのに」というフリをしておいた。

そういっておきながら、そっちのけで別の話を思いついたような気がしたのだが、すっかり忘れてしまった。

なんだったか・・・。


確か、ピロリ菌が胃がんの原因というのは変ではないか?という話を聞いてから何か思いついたような気がした。


多分、その後酒を飲んでいたのですっかり忘れたというわけだろう。困った困った。


せっかくなので少々話をしておく。



ピロリ菌というのは、それこそ日本人の胃の中にいるのが当たり前のレベルだそうな。菌が原因で病気を引き起こすというのならば、誰も彼も胃がんにならなくておかしいのだが、実際はならない。


風邪も同じである。年がら年中、風邪の諸症状を引き起こす菌やらは飛び回っている。捻挫、じゃなくてインフルエンザの菌もいることはいるはず。ウイルスか。

だが、それなら年中流行るわけで、ワクチン業界は季節ごとに「秋の流行ワクチン!」だとか、熱でも出したかのような広告を打ち出してもおかしくはないのだが、寒くなってからしか配らない。

配らなくて結構である、というのは前提として、単純に寒くならないとインフルエンザ、つまり風邪にかかる率が低いので出しようがないというわけだろう。


これの前提の説を、タイトルに書いたパスツールという有名人が打ち出した。病原菌説というのだったか。いつもながらわざわざ調べて書いてないので後は任せた。


風邪を引くのは風邪の菌がいるからだ、というわけだ。

だが、菌がどの人も風邪にするならば、乾布摩擦で身体を鍛えてる人でも息も絶え絶えの虚弱体質も等しく風邪を引いていなければおかしくなる。

それはこれこれこうでとかいう理屈はやめておこう。

菌が原因なら毎日が風邪日和である。毎日看病で看病するほうも風邪で、実に世界は平等であろう。ゲホゲホうるさい平和である。

でもなってない。


さて、そのパスツールの同僚の学者が、正反対の説を打ち出していた。

理屈は簡単で、病気になるのは菌があるからじゃなくて、適切な栄養だとか休養が足りてなくて身体が弱ってるからだ、という。

それで菌に負けて風邪を引くのだとなる。


この二説は根本的に西洋人の考えからは離れてない。

「病気や病的状態は悪いこと」という観念からどっちも出ているといえる。


それはさておき。


延々この二人は論争をしていたのだが、病床にあったパスツールはついに、自説が間違いであったことを認めてからお亡くなりになったそうな。



しかし、彼の死後、フランスにはパスツール研究所なるものができ、現在も伝染病の研究をしているのであった。




説を打ち出した本人が「間違えてました」と申したのに、堂々と大手を振って世の中に君臨しているのである。



その流れを汲んで、「菌をなくせば病気がなくなる」という理屈になり、ワクチンに繋がっている。


ワクチンだけではない。「殺菌消毒」のフレーズでそこらじゅう何でも毒ガスを撒いている。

毒ガスとは失敬な!と目くじらを立てる人の方が多かろうが、実際毒である。

毒(例:界面活性剤)を造っている大手の会社が作っているのだから毒には違いない。ひどく大雑把だが、こんな感じである。


昔といって差し支えなくなってきたが、貝割れ大根に強烈な食中毒菌が、というのがあった。O-157と呼ばれる、大腸菌の一種である。

あれは、殺菌のし過ぎで、普段なら他の菌と言ってしまえば三すくみのような状態で暴れなかったのが、均衡が崩れてああなった、といわれている。

でも、殺菌消毒は正しいのです!で物を売っているので引っ込めることもなく、抗生物質では誰も更生出来ないのにおかまいなしといった世の中になっている。



さて、死の間際に間違いを認めた学者の話をもう一つ。


何あろう、ダーウィンである。もしかしたら、先日のラヂヲで言ったかもしれないが、誰も以下省略。


これも上の大雑把な例に漏れず、今も大手を振って歩いている。死んだものが生きているかのように振舞うとは、まるで悪夢のようである。

だが、その悪夢は未だ覚めず。

嘘か真か、悪夢の世界を実現するために、死んだことを忘れているのだとか。



万事が万事、かような始末である。


そんなわけで、習慣や決まり文句で物事を見るのは気をつけるべきである。


「人はこうあるべきだ」と主張するものの「人」とはどのような存在を指すのか?

人だと中傷、じゃなくて抽象に過ぎるなら、「日本人はこうあるべきだ」といったとして、その「日本人」とはどういった存在を想定しているのか?


わたしやあなたを取り巻く常識が上に記した一端のように虚偽に満ち満ちたものから抜け出せていないのなら、
「死んだものが生きているかのように振舞」っているのと変わらないのではないのか?


我々は死霊の夢の中をさ迷い歩くわけには行かないのである。


というわけで、「菌で病気になるなら皆病気になっている!」と叫んで目を覚ましていっていただきたい。


お前こそ目を覚ませ!なんぞといわれるかな、とこういうことを書いてよく思ったものだが、ついぞ言われたことはなかった。


なんせ、「今まで当たり前だと思っていたことは悪い夢だったのではなかろうか?」なんぞという考え方自体、とても思慮深い態度だとは思わんかね。


栩栩然胡蝶也。どっちが夢かはわしにもわからん。


では、よき終末を。


割烹の遺伝子

2016-10-05 | 雑記
割烹、というのは高級な和食を出すところ・・・と幼き日にそう思ったものだった。

割烹というのは割いて煮る(烹の字の意味)というわけで、つまりは料理。


なんぞというのはずっと昔にやった気がする。


先日、久しぶりに米を買って家でご飯と味噌汁、なんぞという感じで飯を作ったりしていた。

しかし、問題があった。


近所の米やは玄米をその場で精米して売ってくれるのだが、玄米のままでも買える。

気取りだとかこだわりではなく、土鍋で食べる分だけ炊いていたのだが、先日は思いつきで精米2キロと玄米1キロを購入。

それをこれから封しようというところで「あ、それ全部一緒に混ぜてしまってください」とやった。


どこかで誰かが「疲れたときは玄米混ぜて炊いて食べてる」とかいうのを思い出したから。誰だったかは何かで読んだとしか覚えてない。


さて、炊いてみたのはいいのだが、やはりなんというか、玄米が硬い。砂利を噛んだかと思うほどである。
砂利を噛んだことがあるので、それよりは柔らかい。


何日かやってみたが、なんともいえないので、炊飯用の土鍋をつい買ってみた。

ガスじゃないので(IHでもないが)火加減がよくワカランかったが、なんとか炊けた。

この土鍋だったか忘れたが、これもどこかで紹介してた気がする。それだったかは忘れたが、近所の店で見かけて気にしていたものではあった。

素材は万古焼きだったか。萬の字だったかもしれない。

砂利玄米がアマランサスを大きくしたくらいの感じになった。ぷちぷちはする。

砂を噛むような生活はもうたくさんなので、これからはぷちぷちを噛むことにする。


ちなみにその鍋は二合まで炊ける。二合炊いて半分ちょい食べて、余ったら後でお茶漬けにしよう、という流れである。

とはいえ、初めて炊いたその日にそうやったらちと食べ過ぎたかと思った具合なので、再考すべきところかと思われる。



主食は酒か霞かと思われるのも侵害、じゃなくて心外なので、たまには雑談である。いままで全部雑談な気がしないでもないが。


先日、ラヂヲで進化論の話をしたが、多分誰も最後まで聞いてないということでついでに記しておく。


フルータリアンを主張する方々(どこぞの尊師もどきだけでなく)は、「人類の先祖は熱帯で果物を食っていたから、現代人もそれがいいのである」とライト、ではなく述べる。


進化論は科学的におかしいと主張する方々が種々の証拠を持っていう所(科学的創造論といったりする)は、遺伝子というのは現代人が発現しているような型がそもそも含まれていて、地域や生活習慣に合わせて、つまり大まかな人種を決めている肌でいうなら、日差しが強いところなら皮膚が黒くなったり、またその逆が遺伝子の組み合わせで出てきたのであるというのだとか。

進化したのではなく、元々ある遺伝子の組み合わせが変わったりしただけで、別に進化なんぞしていないというわけである。

組み合わせの妙で、黒人夫婦から白人(アルビノそのものとは厳密には違う)の子が生まれたり、白人夫婦から黒人(肌が黒いだけではない)の子が生まれたりしている。

白人夫婦から黒人の子供というのは現代の南アフリカで実際に生まれ、アパルトヘイトの憂き目にあったり、親と仲たがいしていたという実際にいる女性の伝記映画も作られたという。


というわけで、何が身体に合うかは本当に文字通り千差万別となりうるのである。


日本人に生まれたから米!とか。

肉食わないなんて身体が弱ってしまう!とか。

先祖が!とか。


というのをつらつら並べてふと思うのである。


我輩の身長はほぼ163cmといったところ。微妙に1mm足りなかったりする。細かいところはいいとして。

学校の身体測定で、高校なら男子高校生の平均身長なるデータが載っていたりする記入カードがある。

届いておらぬのである。他にも似たり寄ったりの背丈の奴もいるが、やはり「もっと伸びたいナァ」などとぼやいていたりする。

わしやその廻りがそうやってなじられていたかは記憶にないが、漫画だかドラマだかでないだろうか。

「平均いってないから小さいなぁお前はぁ!」といった具合のなじりが。


上の三つ思いつきで並べた主張も、これと大して変わらんような気がすると、ふと感じたしだいである。


日本の村の中であったかもしれないと想像するならば、他の人は雑穀食べてて平気なのに、ある人はなんだか食べると疲れて怠け者扱いされるとかあったのかもしれない。

その人の身体は、ただ日本に生まれただけで、白人夫婦に生まれた黒人のようになっていたのやもしれぬ、というわけだ。



先祖がそうだったから、我々もそうなっていて、だからそうなるべきだ、というのは間違いでもないが、我々は先祖そのものではないのである。

ついでにいえば、子孫は我々でもなくなっていく。ネコがライオンになるわけではないが、子は親の中にあるものを引き継いで組み合わせて別の型を作り出している可能性があるゆえ、子は親の単なるコピーなどではないのである。


多様性を持ってしまったのは多様性を持てる可能性を元から孕んでいたから故。

多様性を消し去り一つに集約しようというのはつまり、全体主義である。

進化論とナチズムの話もした。以前書いたり、前のラヂヲで言ったかは忘れた。


ナチズムはとりあえず措くとして、要約すると、
進化論からいえば、現代の人類の進化は何ももっていなかった所に刺激があって変わってきたと述べる。

その反対のほうの主張からすれば、そもそも人類、というより生命体は多様性を孕んだ存在であるがゆえに、現在に至ったと述べる。


植林で杉だらけになった山に嫌悪を示しながら、己を含めた全生命体の多様性の意味を考えないどころか、寧ろ存在の価値なしと断じておいて、「果物は果物の数だけ味があるんです」などとうっとりしている。

実に全体主義者らしいものの考えである。アーリア人は世界一!と言っているだけである。
別にアーリア人は云々はナチズムにかけただけである。


とはいえ。

現代文明のありようはまさに多様性を潰すためにある。

我も彼も全体主義者といえなくもない。

全体主義者は町を出て山に行こうが変わりはないのである。

別に人類は進化なんぞしておらんので。

寧ろ全体主義に進化してしまったのかもしれない。退化というべきか。

言語すら遺伝子の影響を考えられているのに。

言ってしまえば一人ひとりの存在自体が多様性を示し得るはずなのに。


そういえば言葉の意味がおかしくなってどうこうと。あぁ、これはこれは。
イルミナティの理想に皮肉などころか全面賛同だったのだなぁと苦笑を禁じ得ない。

む、またどこかの誰かの話になってしまった。


これはベジタリアンだかのブログが選民思想紛紛たることがある原因を考えての話ではある。
今さらながら予防線を張っておく。もう遅いな。



さて、いい加減に終ろうと思うのだが、別の話をしたかったのにまたいつもの話をしてしまった。


単純に本来しようとした話を書く。

同じ曲のピッチを変えて聞くと、元の曲を聞いていたら何故か目が痛くなった、である。


なんのこっちゃ?と思われるだろうが、気が向いたら書くかもしれない。

音ならラヂヲのほうがいいかもしれんが、そうなるともっと先になる気がする。



では、よき終末を。


平和のシシャ

2016-10-02 | 雑記
先日は世のプロパガンダに則って、天皇がどうたらと書いたり喋ったりしたものだった。

支配階層といわれる存在は大体親戚だったり友人だったりするというライヒ(ドイツ系アメリカ人の精神科医)の言葉通りなら、あれを除外する謂れはなかろう。

というのも最近、陰謀論とかいうものでもなかなかお目にかかれない考察をやってるところ、もう傍目から見たらトンデモといわれるようなのを見てきた。


曰く、「イルミナティの支配者は天皇」だとか、「NWOは日本を中心として天皇が支配する体制にしていく」という。
うろ覚えで書いたので、ちと間違ったか?まあ、恐らく間違えてない。


まさか!と思いそうだが、何事もまさか、と思って考えるのをやめても仕方ないので、興味深く読んでいたものである。

その見てきた話からそのまんま書いていくことにする。


夏に天皇がなにやら放送をしたことはご存知かと思う。有名どころのリテラだと、天皇がABを非難しているというノリである。

わしも流されたものである。流されるのは仕方ない。人間だもの。仙人とは多少の他称である。


はたまた、わしがふんどしを買ったところのブログだと、「国民は天皇のお言葉を心しないと」という、どうも為政者の大便、ではなく代弁をしているかのごとくだったり。
特にこっちは引っかかった。
つまり、軍国主義の流れになっているのは、国民がしっかりしてないからだ、という論旨だったと。

しかし、軍国主義というのは、トルストイが書いたごとく、市井から自発的に出ることなどないのである。
トルストイが教会や農村で尋ねたのは、愛国心についてだったが、戦争するための愛国心はどこから来たのか、という話である。
聴いて回ったら、愛国心を吹き込んでたのは教会だったという。
教会だけだったかは覚えてないが、支配側から出てきたマントラだったというわけだ。



さてこれは、ABを非難の矢面に立たせて、天皇を綺麗に見せるためのものだ、という。

天皇は平和を愛する素晴らしい存在なのですよ、平和の使者なのですよ、というプロパガンダなのだと。




天皇も人の形をしているので、間違いやらなんやらするだろうから、昔はアレでも今はそうでないかも、と考えるのも意味がない気はする。


それに、日本は素晴らしい!とかいう昨今のブームを焚きつけたのは、皇族の血を引いているメガネの男である。

まさか彼一人で計画しただけでブームになるまい?

この日本でブームになるには、国策機関としか言いようのない電通が必要である。

電通を動かせるというのはつまり、「国益」という名の誰かの利益になるからである。

日本万歳ブーム、と簡単に略するが、それの行き着く先はどこかというと、天皇だとか皇室に至らないかな。

あの流れでこの動き。疑惑を疑惑で留めるには無理がある。


先日、どこぞの誰かを話のついでにまたもや貶したが、結局当てはまる。

見せ掛けは正しいことを行うが、その本質は邪である、と。こんな格好をつけた表現はしてないが、まあ、書いたらこうで。


世界全体で「公(おおやけ)」と呼ばれるものは悉く悪事を働いている。

日本なら電通が法律で保護されているのと同じく、アメリカでは悪名高いモンサントを保護する、通称モンサント法というのがある。

一緒か?と思うなら、ちと勉強不足である。どちらも上の都合のいいように作って尚且つ法律に組み込んでいるものなのだから。



周りほとんどが汚いのに、あそこだけは綺麗、などというのは無理がある。


仮にあそこだけは綺麗としても、汚い手でいじっていたら外も中も腐っていこうというもの。

いじりすぎて腐っているなら、平和の使者ではなく、死者であろう。

腐った手段を隠微に用いるあたり、草葉の陰がよく似合う。

天皇は利用されている、と考え、いや吹き込まれた話を繰り返すのも飽きてこようというもの。



上から来る話は話半分で聞いておくのがよかろうと、改めて思う次第である。


では、よき終末を。