ウヰスキーのある風景

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ミスリード

2020-03-12 | 雑記
書こう書こうと思うと書けなくなる法則で、しばし間隔が出来てしまった。

振り返る気はないが、少々色々あった。またもや弟がゴミ箱を粉砕しただとか、その程度である。

これだけ書くと、弟がどうしようもない奴にしか聞こえなくなるので、名誉のために少々書いておくと、去年からずっと荒れていたところに、仕事だとか金銭感覚がおかしかっただけで金に余裕がないと追い詰められていたりのところに、拙がつけた注文にさらに余計なことを付けくわえたため、というところである。

お前は心を広く持つことが必要不可欠、という言い方はしていないが、そんなどこかの二次元偶像のセリフ的なことやら、一休さんの話をしたりしてしばらく経つと、とんとん拍子で自身のおかしな思い込みを潰していっているようであった。

余裕がないと思えば、どんどん余裕がなくなる。冒頭の通り、書こうと書こうと思うあまり、書けなくなるというのも同じ法則と相成る。


さて。コロナコロナと騒がしい世の中になったが、町は静かになっている。おかげで仕事は暇なことこの上ない。

拙は余り影響がないが、昼間の人間がシフトを削られるなど、多大な影響が出ている。

新型コロナが流行と聞いたときに、違うだろうなと思いつつ、コロナビールが流行っているのか?などと思ったり、あさりよしとおの漫画のヒロインの名前が「コロナ」だったな、などと思ったりしたものである。
そこで何故コロナか?と思ったら、皆既日食の時に見える、輪郭部分が光っているあれをコロナといって、あのウイルスの形がそれに似ているからだとのこと。

あさりよしとおの漫画のキャラの名前も、文庫版の最終巻の解説にどうあったが忘れたが、宇宙が舞台の漫画だから、同じく太陽コロナから来ていたのだと思われる。引っ越しで捨ててしまったのでもう判らない。

と、こんな大変な時に何を言っているのだ!と言われそうな風に書いたが、実はわざとである。

コロナが流行しだした時に、とある党の議員が会議か何かでコロナジョークをやったもので、ぼろくそに叩かれていたものである。

曰く「苦しんでいる人の気持ちがわからんのか!」と。

その議員を援護する気などないが、インフルエンザでも毎年人は死んでいるし、それ以外のことでもたくさん亡くなっている。

インフルエンザに限っても、アメリカでは今年のインフルエンザでの死亡者数は一万人を超えている。現在何名かは続報を見ていないが、超えているだろう。コロナの疑いもあるようだが。

日本の年間自殺者数は三万である。ずっと前からこの数字を聞いているような気がするが、それぐらいになる。

さて、何が言いたいのかというと、普段からそういう、上記の中で日本のことだけに絞り、自殺者数三万の話だけにすれば、普段からその手の話をあなたは政府だとかに働きかけてきましたか?と。

三万出ているからといっても、あなたの家族が皆自殺したとかそういう珍しい例もないわけではないとはいえ、何かしてきましたか?と。

普段通りの日常を過ごしてきてて、いざマスコミでコロナが大変だと騒ぎ始めたら、いつもは考えてもないことをさもやって来たと言わんばかりに威丈高に唱える。

そうなってはおりませんか?と、感じてしまうのである。

コロナが余りにも流行ってきて、気が進まなかったテレワークだとかの在宅勤務を推進し始めたというが、それは上の人間が自分たちに累が及ぶ危険性を感じたからだと、仕事場の人間が話していたものである。

あなたも累が及びそうだから、実際及んでいる人もいるのだが、恐怖に駆られてヒステリーを起こしている。

「上にあるものも下にあるものの如く」とはオカルトの有名な言葉である。出典はいちいち書かないが。

国家政府の体たらくは、実はあなた自身の反映かもしれないのだといえる。


さて。誰の発言とも取れないところの話をしても具体性がないので、身内の人間の発言から話をしていく。

去年だったか、弟が帰宅の折に「行政は腐っている」だなどと憤懣やるかたなし、とまではいかないが、機嫌はよくなさそうにしゃべっていたものである。

前々から感じていた気がするのだが、行政は国民のためにあるのか?という疑念が拭えない。というより、確信しているレベルである。

こういう発言の心理は、「何かあったら行政が何とかしてくれるに決まっている」というものではなかろうか。

そして今回は特にコロナの件も、それ以前からの件もだが、事あるごとに「政府はしっかりやれ」という。

政府という物にしっかりして欲しいというのは、拙にはこう聞こえて仕方がない。

「わたしの一挙手一投足に責任を持ちたくないので政府が管理してくれ」と。

それ即ち、進んで自身に首輪を掛けてくれと願っているのではないか?と。


以前から何度も書いてきたが、釈迦の時代に近い仏教徒の、政府だとかに対する態度はこうである。

「盗賊は非合法的に人の財産を持っていく。貴族は合法的に人の財産を持っていく。どちらも同じなので、貴族を積極的に応援はしない」

貴族を政府だとか現代の物に置き換えればよろしいが、そういうものである。蚊に血を吸うなと説教しても仕方ないのだ、とも書いたものである。


穿った、というほどでもないが、わざとふざけた対応を繰り返して、進んで首輪を掛けてもらいたい人を増やそうという魂胆もあろう。群衆を操るにはヒステリーを起こすのが一番である。

実際に「非常事態法だかの練習になるだろう」などという発言をしていた政治家もいるほどである。

予備金という、国がいざという時のために置いてある金があるそうだが、現政権になってから依然の半額になっているそうな。

そして、先日は先日で、「二千七百億円の予備金を活用します」という、前向きに検討しますレベルのことを記者会見で総理は述べていたそうな。

半額でも一兆いくらかあったはずの予備金は、もう底を突きそうだというわけである。

これは非常事態宣言を発令してもおかしくありませんなぁ、というのは冗談に聞こえないが、すぐに中国人の入国を止めなかったのは、政府の予備金がなくなりそうなのでそっちで賄おうとしていた、などという詩的、じゃなくて指摘を元国税の人がメルマガで書いていた。


つらつら書いたが、政府は仕事をしないのが仕事だと思えばいい。何か仕事らしいことをしたら、文字通りの意味での有難いことだと思うくらいで、それ以上は期待しない方が精神衛生上よろしいかと思われる。


コロナでなくても人は死んでしまう。

それなら、対策はインフルエンザと変わらんのだから、ある程度対応しておいて、後はあなたの好きなようにするべきであろう。

コロナのことを気にし過ぎて脳の血管が切れて半身不随になりました、などとなったら、致死率も高いわけではないコロナよりもひどいことになる。

まずは自分で自分に掛けた首輪を外すことから始めるべし。


では、よき終末を。