ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

アライグマ

2016-09-29 | 雑記
先日、ふと思い立って洗濯用や食器洗い用の洗剤を買おうと思い、帰り道からちょっと外れたドラッグストアへ。

ずっと前にもそういう物を買ったのだが、長く続かなかった。曰く、重曹でいいんじゃね?とか、なくてもいいんじゃね?というのりである。


とはいうものの、何か洗うならあったほうが便利なのと、ちとした習慣で、二回ほどスーパーで売っている合成洗剤を使っていたのである。

始まりは、母親が我が部屋の片付けに現れた去年。

洗剤がないからと、近所のスーパーで買って来た。まあ、これがなくなるまで使うかと思ったが、なくなってからまた買ったのである。


これがいけなかった。


右手がなんだか荒れる。投げやりな医者が「ストレスのせい」だとかのたまうように、ストレスその他かと思ったが、以前に傷つけた甲側の節がおかしい。

じゃあ洗剤変えるか、と考えた・・・わけではない。


後は部分汚れ用の洗剤がないかと思ったのだが、そっちの方が大きい。

ついでに買い換えようと。




ずっと前に、「合成の界面活性剤は人体にも環境にも悪い」ということを聞いた。
それが入ってないやつは何かというと、石けんを選ぶことになる。
それで、一時期はそういうのを買って使っていた。

入っている奴もあるので、もし買うならご注意を。


で、これを書く直前のある日。

簡単に読んだ話だが、石けんの成分も界面活性があって、それで汚れを落とす。

ほお?じゃあ一緒か?と思ったら違った。

曰く、「水で薄まると界面活性の効果が弱まり、最後には無効化されるので無害となる。皮膚についたのも同上」とのこと。

多少飲んでも傷口から入っても、事が起こりうるものではないということか。

話は続く。

では、合成の方はというと、こちらは薄まろうがなんだろうが関係なく続く。

これが恐ろしいことに、皮膚から侵入し、内蔵に蓄積される。

死体の内臓から界面活性剤が出てきたという話もある。発ガン性だかなんだか、はっきりいって害毒といえる。




というのは買ってから聞いたというわけで、その日はというと・・・。

「む。これは以前食器洗いで使った奴だな。あの時は石けんのだったが、液体のもあるのか」とか

「この青ざらしとかいうの、アライグマの絵が描いてるからこれにしよう」だなどと、暢気な有様であった。

無論、石けんそのものの奴を選んだ上ではある。


帰ってから、アライグマのごとく、シャツの襟を洗ったものである。

指の方は落ち着いた。


青ざらしというのはこんな奴である。こちら


これを襟にこすり付けたりしてあわ立てて遊んでおった。

ついでに、洗濯機の中で両手で溶かして洗濯してみたが、これでもよさそうな感じではあった。

しばらく前に大量に安く仕入れた重曹とぬるま湯も投入して洗ったので、どちらが効いていたかは定かではない。



雑談が長くなった。



先日のラヂヲに一言。


誰そのやってることは正しくはある、と申し述べておいた。

ただし、その正しいというのはこういう風に例えられるかなと思いついたので付け加えておく。

それはというと、「数学の試験中に設問の誤字脱字や文脈のおかしさを指摘するようなもの」である。

確かに正しいが(問題が解けないほどおかしいなら試験自体やり直しだろうし)、数学の試験の得点にはなるまい。

数学が全然出来ないなら、それで試験がやり直しになってもまあ、赤点であろう。数学の授業態度としては花丸である。

ついでに、国語能力もしっかりしているとはいえる。

そんな正しさである。

そんな有様なのに、「これで俺は全成績ナンバーワンだな」とおかしなことを言い出しているから、どうしようもないのである。


この点について言いたかったのはこれだけである。



さて、しつこいがもう一つ。

社会運動は以下略の話である。以前、そんなことを聞いてきた人はもう読んじゃいないだろうが、これは冒頭の雑談に繋がる。


社会運動とかいうのを大仰なもんだと思い込んでいるならば、ご自身の身体を蝕み、自然環境を汚し、またそれが帰ってきてさらに己が身を破壊している状況を、上の石けんでも使って、アライグマの如く無心に洗ってみてはどうだろうか。

それで全部が変わるかしらんが、変えようというイシだけでもお持ちになったほうがよろしかろう。石けんだけに。

もうそんなことはやっている、というなら釈迦に説法というわけで、すまなんだ。



そうでないというならば、一つ心していただきたい。
社会というと、街中やら政治経済やらテレビやらの話だけではないのである。

努々、己が目を曇らせることなきよう。




では、よき終末を。



ラヂヲの時間

2016-09-21 | 雑記
前回のラヂヲを出してから、最近のブログの更新からしたらかなり短い間隔で録音はしておいた。

すると一時間だとかしゃべっている。茶もすすっている。そしていつもどおり一服どころではない。


さて、ラヂヲ内では喋っていない話を一つ。


「陰謀論」という言葉。


これを聞くとどういう感想が出るか。


常識はずれの妄想癖の、とかく変人というイメージを抱くというのが一般的なところだろうか。


アイクも著作で、「陰謀論者と聞いただけで感情的に反応させるように仕組まれた言葉だ」という風に言っているが、少々具体的に聞いたことを。


始まりはアメリカ。きっかけはケネディ大統領暗殺事件。


大統領暗殺についての公式見解に疑義が噴出していたのだが(ウォーレン委員会とかいうのが出した見解)、それを封殺するために、お友達のCIAにプロパガンダをさせた。

その事件について疑義を唱える人間は、頭のおかしな奴だとでっち上げ、それに陰謀論という言葉を結びつけ、「陰謀論を唱える奴は頭のおかしな奴だ」という認識を植え付けるという、大衆コントロールのために作り上げられた言葉だったとのことだ。

植え付けられたこちら側はというと、「陰謀論」だとか「陰謀論者」と聞くと、それらの内容自体を見聞することもなく、論理的にではなく、感情的に排斥する。

つまり、「陰謀論」という言葉自体が陰謀というわけだ。

アメリカの研究者が、政府の機密文書を公開請求して借り受けた資料にあった話だという。

ついでにそれについて書かれた本は出版されている。


さて、ケネディ暗殺を別の言葉に置き換えてみれば、これは世の中全部に当てはまるのである。我々が常識と思っていること自体が、実は政府の隠蔽工作(上記の陰謀論という言葉の発明の如し)のように働いていることを。

というわけで、今回のラヂヲはそれの一端の話である。


とはいうものの、思えば今まで書いて喋ったことは全部そうだった。



【ラヂヲ】ウヰスキーの時間 ストレート五杯目





では、よき終末を。