ウヰスキーのある風景

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おまけ

2011-07-20 | 雑記
最近、仙人染みていると評判、というわけではないが、自分自身でも信じられないし、近所で尋ねてみても不思議がられるような食生活をしている。

というより、食べる量が少ないのと、次の食事までの時間が長くなりつつある。要するに、食べても食べなくても気にならなくなりつつある。

いよいよ本格的に仙人に近づきつつあるのかと思ったが、さっきはインド・ネパール料理店でカレーとマンゴージュースを戴いていた。ちなみにベジタブルカレーである。


数日、さーたーあんだぎーやら酒まんじゅうやらを食べたり、泡盛を飲んできたりとやりたい放題だったので怪しいのだが、最近は甘いものを食べると、額が痛くなる。

特に強烈に痛くなったのは、クレープだった。週一でなら許そうかと思って今月の始めだったか、食べてみたら余りの衝撃にクラクラした。それ以来、二回ほどあった機会をパスしてきた。


ならばこちらはどうだろうと、別の機会に伊勢屋の酒まんじゅうを食べてみたところ、これはなんというか、微妙に感じたが、無いに等しい。その時の状態もあったのかもしれないが、今の状態では問題なさそうだった。


というわけで昨日、出勤途中で伊勢屋に立ち寄って、仕事場でおやつにしてしまおうと考えて、店に入ると、今日はおっちゃんがいた。

台風の進み具合だとか話していたら、電車一本乗り過ごしたのはご愛嬌。もっと早く家を出ないか!

いつも、まんじゅう(暑い間は豆大福は中止)二個か片方をすあまにしたりするのだが、すあまの甘さはしびれるので、もう辞める。

二つ頼んで、一個百十円の二個で二百二十円。五百円玉と十円玉二枚出して、おつりは三百円もらった。なに、別に小学生の算数をやろうというわけじゃない。


新宿で乗り換えるときにかばんを持つと、なんだか妙に重さを感じる。天気が悪くなりだしてから少し変な気分があったので、体調が少し悪いのかと思ったが、歩いていると忘れた。


そして仕事場で開けてみたらなんと、まんじゅうが三つ入っていた。どうやらおっちゃん、一つおまけしてくれたらしい。雨だし、売れ残るよりはよかろうと。ちょっと食べ過ぎる気がしないでもないが、ありがたく頂戴した。


晩飯に小さなタッパに入れた握りそこないの玄米ご飯と、まんじゅう一つ。深夜の仮眠前に残り二つを食べた。


そして次の朝の日勤は、手違いで一人足りない状態だという。残業する羽目になった。午後一時までということで、タバコを吸ったり茶を飲んだり、たっぷり仕事をしておいた。

で、それから電車に乗って、台風もまだ近づき切ってないので歩いて帰る途中でカレーを食べた。お茶は飲んだが、食事はそこで今日は初、ということになる。

ナンに意外な甘さを感じたり、中辛でもあんまり辛くなかったり、マンゴージュースの甘さはどうやら大丈夫なようだったりと、一体どこを目指して飯を食べたのか判らなくなったが、気にしない方向で。


インド方面の料理ということで、ギーを使っていたりはするだろうが、そのあたりはあまりとやかく考えない事にする。

ただ、ちょっと気になったのは、インドのベジタリアンで乳製品も摂らない立場の人間は、ギーはどうするのだろうか?と考えたが、使わなければならないわけでもないのだろう。


ギーといえば、アグニホートラという、古代から伝わる儀式みたいなものがある。逆三角形の金属容器に、乾燥牛糞(あちらでは必須の燃料なのである)やギーを載せて、火をつける。

マントラや唱えたり、歌ったりしながら、玄米を投入したりする、という、なじみのない人間には怪しげな儀式をしているように見えるが、これがどうもすごいらしい。


以前も紹介したかもしれないが、チェルノブイリの原発事故の時、放射能汚染が広まった地域のうちで、標準の放射線量しか検出されなかった農家の牛乳があったという。

その農家は毎日、アグニホートラを行っていたのだとか。ガイガーを持ち込んでアグニホートラをやってもらうと、その付近の放射線がなくなった(減った?)という。


科学的な根拠も、日本の学者が見つけていたようだが、日本語の論文だったので選考に漏れており、外国の学者がノーベル賞をもらったとかいう。

なんでも、自然のものを燃やすと、炭素の同位体でC60というのだったか、その構造の分子が激しく回転する。

これが例えば、放射性物質を無害なものに変えたり、生命体に良い影響を与えていたりするらしい、という。

それをもっとも強く出すことができるのが、アグニホートラだといえる。

その灰を塗ったり飲んだりして、病気が劇的に回復したり、異常行動の多い子供が、アグニホートラを始めるにつれ、落ち着き始めたというような報告もたくさんあるらしい。

そんなアグニホートラを実践している人のページがある。現在、例の震災で何故か税関は、乾燥牛糞の輸入を止めているらしい。苦肉の策として、縄文式アグニホートラというのを始めたそうだが、こちらのほうが日本人にはいい、という結論にいたったそうな。 アグニホートラを始めよう


自然のものを燃やす、というところに着想を得て、キセルはマッチを使って点火している。そのページにも確証はないが、タバコにも少量、C60が出ているのではないか、という話もあった。このあたりは以前にも書いたが、誰も自分も覚えていない。


それのせいかどうかはわからないが、先日、仕事前に一服しようとマッチに火をつけたら、日勤だったKさんがロッカーに行く前に一言。

「マッチのいいにおいがする」と。

それを受けたT君も「マッチはいいですよマッチは」という。


しかし、マッチのにおいがいいとは思いもしなかった。普段から慣れているのもあって、においなんてないのだと思っていたのだが。


火を扱うことによって、動物から人間へと至ったというならば、現代は火を忌避する世界であり、人から動物への頽落の時代である。火の扱いが文化であり、文明の象徴であるならば、我々の時代は野蛮への回帰途上といえる。

自然の火を扱うのが野蛮人だと嘲う文明人を尻目に(別に笑われても無いけど)、これからも自然の火を使い続けるつもりである。夜の明かりは地震があろうがなかろうがロウソクで行う事にする。


と、いうわけで、たまってしまった動画を掲載して終わる。


改めて見てみると、一つ飛ばしてしまったようなので、一つ重複する事になるが、気にしない。

では、第二十から

第二十夜



第二十一夜



第二十二夜



第二十三夜



第二十四夜



第二十五夜



第二十六夜



第二十七夜



うーん多い。多すぎる。引退するかもしれないといっている割にはがんばりすぎじゃないかと。あれですよあれ。燃え尽きようとするロウソクが一際輝くってやつですよ。

そして、ついさーたーあんだぎーを買ってきてしまった。降りた駅で小さな琉球物産展をやっていたのでつい。こりゃぁ仙人には遠いな。では、また。