ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

ラヂヲからこぼれた歌の話

2012-10-31 | 雑記
ちょっと早いような、本来がこれくらいのような気がしないでもないが、十三杯目のこぼれ話を少し。

今回の内容は、いつも以上に妙な方面の話だった。いわゆるスピリチュアルという内容だろうか。

多分、収録前にばあさんが死んでなかったら触れる機会がなかったと思う。

その上、狙ったようにでそんな話を聞いてくるわけである。(余りに必死なので、おかしくなって笑ったら消えたという幽霊の話)

中身については、特に追加することもないかと思う。細かいところやら言い足りないようなところはあろうが、大意は変わらない。

昔なら、こういう話はこういう話で別物だ、と感じるところだったが、何か繋がるところがあると思う。

何がどう繋がっているかは、ラヂヲの内容だけでは判らないかもしれないが、何か考え、感じる材料になればと考えている。


さて、十三杯目の最後。久しぶりのような気もするCMの時間。

「ちょっと一服」と銘打っておきながら、今回はまったく一服していなかったのは気のせいではない。


今回、初めて原稿が用意されたのである。



よしやってみよう、と意気込んでやってみたはいいものの、これが難しい。

なんというか、台本どおり読んだだけになったわけである。


かつて、ゲームの実況プレイ動画というものをやっていたとき、あるゲームで「ただこのまま普通に始って終わってもつまらんな」などと考えて、次回予告を吹き込んでいたことがあった。

別に書くのが上手いわけではないが、昔のあるロボットアニメ風の次回予告の口上を書き、それを吹き込むという、一体どこに熱意をこめているのか判らない状態だった。

なにしろ、ゲームやるより(ゲームのプレイ自体は平凡である)頭を悩ませたものである。数十秒分を書いて吹き込んで三十分というところだったか。(ちなみに、ゲーム自体の撮影時間は平均一時間)


それ以来になる。自分で書いたのならまだしも、今回は人の手になるもの。読み込みが甘かったようである。ただ、こちらをイメージして書かれたものだったのは幸いであった。

その上歌つきという。その原稿を見て「カラオケやってみようか」などと血迷って、何やらCDを買ってしまったが、封印しておこうかと考えている。



指摘されたとおり、「自分の言葉になっていない」というのは感じていた。「演技臭いな」と。こちらも指摘にあった言葉だが「恥じらいが捨て切れていない」というわけである。




となると・・・やはりここは・・・。カラオケでもやって恥じらいをかなぐり捨てるべきなんだろうか?



しかし、それをラヂヲでやるのはちょっと考えにくい。一応インボーロンのラヂヲなのに、聞いてみたら中の人がカラオケをやっていた、だと、変な意味で受けてしまいそうである。

いや、CMでちょっと歌ったから、別に構わないか。えー、現時点では特に不評も好評もでておりません。


ところで、自分では音痴だと思っている。と、ここまで書いてちょっと思い出したので、少し。


小学生の頃、合唱団にいた。創価学会の地元の組織の運営になる、まあ、いってしまえば町内会の集まりみたいなものだと思えばいい。

男女混合の合唱なので、男子は声の低いものはメロディではなく、コーラスというのか、そっちの方に当てられ、歌っていた。


その影響なのだろう。中学になって「音楽やりたくない」と言っていたのに放り込まれる形になったこれまた同上の吹奏楽団。


愛唱歌なるものがあり、それの練習をさせられる。一人で歌って(暗誦できているかどうか等を指導するわけだ)言われたのが「はもりになっている」だった。音程が外れていると。


歌いたくもないのに歌わされ、挙句の果てにちゃんと歌えていないといわれる始末。強制されておどおどし、昔からの慣れた歌い方が自然と出た、というところだろうか。

まあ、元から歌がうまいと言われたことがあるわけではないので、そもそもが音痴に近かったのかもしれないが。



さらに年長じて、大学時代である。

何かでカラオケに行き、こらえて歌った。「わしは音痴だから歌いたくない」というと、当時の友人は「歌ってみたら大丈夫だから」とけしかける。

そこで、終わってから友人に尋ねると、こういう。

「別に音痴でもなく普通だが、上手いわけではない」とのことだった。



さて、ここで気になる一つのこと。


どこまでいっても、人に上手いか上手くないかを尋ねないと不安になる、という情けなさがある。その上、下手と言われると落ち込むわけである。それなら聞くなよと。

つまり、評価を気にしている。他人の目を気にしている。全く気にしないのは無体だが、一喜一憂するのは情けないことである。


これではまるで「犬」ではないか。嗚呼、情けなや情けなや。ワンワン吼えるんじゃなくて、ワンワン泣きそうだ。それもまた情けないかもしれないが、そうやって泣くのもまたよいだろう。

そういえば、そんな風なことが先日あったような・・・。いや、気のせいである。忘れてくれたまえ。そもそも具体的に書いてない。



やはりここはカラオケか、と思いそうになって・・・はいないのだが、どうやらこの「恥じらい」とやらが何かにつけ邪魔をするので、こいつをやっつけるのが課題なのだろうと感じる。


ラヂヲ内で歌うとしたら、酔っ払ってちょっと歌を挟むくらいだと思われる。じゃあ、ちょっと酔っ払って来るんで。では、また。

ラヂヲ十三杯目チェイサー

2012-10-30 | ラヂヲ
これにて十三杯目終了。

実は、これの前にCMだけで一本したてようかと考えていたが、別の企画が持ち上がったので、それでいこうと即決。

短いのでくっつけて一本にしたというわけである。


いやしかし、ずっと歌うわけではないとはいえ、ちょっと歌ってみたのは緊張してしまった。寝起きでやったが、声は・・・意外と出ていた。


今回のCMの収録は、以前紹介した、スタンドマイクでやってみた。これの方が声が綺麗に入っているようである。

本編のほうがくぐもったように聞こえるのは、どうもノイズ除去を強めにかけたせいのようで、実は大差はないのかもしれない。

内容は、お化けの話の続き。なんというか、「幻の桜」の影響のような話になっている。それだけではないとは思うが、お酒でも飲みながらお聞きあれ。


【ラヂヲ】ウヰスキーの時間 十三杯目チェイサー




さて、中身にちょっと触れるが、気になったことを。



墓参りで、隣の縁のない墓を直してあげたら、変なことが続いた、という話。


しかし、「変なこと」というのはこっちがそう思っているだけで、実は結果としてみたらそれの方がよかった、なんてことがあるのかもしれないな、と。


必ずしもそうだろう、とは思わないが、良いか悪いか、などというのは、こちらのつまらん都合でしかなかったりする。

生きている人間でも迷惑千万なことをする。死んだ人間も変わらんのだから、やはりむやみやたらと怖がる必要はないのだろうと思う。では、また。

我が振り見て我が振り直せ

2012-10-29 | 雑記
飛び飛びで『ムーンマトリックス』を読んだのはいいが、しばし中断していた。

なんだいむーんまとりっくすって?という人は、ここ最近でこのブログを読んでいる方には説明不要かと思うが、上のリンクから分かるので、そちらを。

ついでに、こういう人が書いた本である。翻訳はBeyond 5 Sensesの為清勝彦さんである。

(18)デービッド・アイク-ビックブラザー補欠選挙集会演説


(19)デービッド・アイク-ビックブラザー補欠選挙集会演説


ご注意を。YouTubeの画面から視聴して、そこにある説明文を決して最後の数行まで読まないこと。数行前で止めるのが醍醐味である。




それは措くとして、これではいけないと思い、先日、ようやく残りを注文した。いやはや、腰の重さは横綱級かと思ってしまう。


中断前はどこを読んでいたのかというと、覚醒編の4と5、いきなり飛んで最後はゲームプラン編の3であった。




さて、確かゲームプラン編3にあったと思うのだが、アイク(上の動画の人)がイギリスの現状と、それで蒙った被害について。


掻い摘んでいうと、超絶マニュアル人間化が進んでいる。ロボット・ラジカルというやつである。




膝下15cmくらいの水溜りで心臓発作か何かでぶっ倒れた人がいた。

かけつけた救急隊員は、何ゆえか救助を渋る。

どうしてか。


それは、「水の中での救助資格を持っていないから」というのである。


こういう話、救助ではないのだが、知り合いから聞いた話を思い出す。


なんでも、建設作業員か何か(かつてのネットゲームの知り合いで、何の仕事か具体的に聞いてはいない)として働いているのだが、ある日こう語っていた。

「試験に受かったんで、ようやく上の所で作業ができるようになったよ」と。


余談だが、試験の話は前に聞いていたので(しかも一夜漬けといっていた)、冗談で「ボイラー技師の資格かね」といったら、「そんなもん一夜漬けでとれるか」と返された。



別に、どこで作業しようができることなのに、「そこに昇るためだけに資格がいる」という、どうかしてるんじゃないかというような話なのだが、彼は別に気にしている様子はなかった。

そのうち、家の二階に上がるにも資格を持つ必要が出てきそうである。砂場で遊ぶには砂をいじる資格がいるのであろう。


またまた余談だが、茶道も似たところがある。

免状といって、その資格を受けると、それに応じた点前を習うことが出来る、というものである。

点前というものは、大まかな基本の動きがあり、それを覚えれば応用が効く。なのに、妙な資格を要求する。
そんなにシカクシカクとかいう奴らには、サンカクを申し渡すことにする。まだいうならバツをくれてやる。



マニュアルどおりに動かないと、思考停止と同時に体まで硬直する。パニックになるのであろう。


では、アイクが蒙った話を、これまたうろ覚えで書く。


腹が減ったのでドミノピザか何かでコーヒーを頼んだら、コーヒーを淹れる機械が壊れている、と言われる。

じゃあ、薬缶で沸かして淹れられないのかというと、「規則で出来ない」と言われたそうな。

薬缶は火を使うから危ないよねぇ、と、考えるバカがいるか、と言いたいが、わんさかいるようだ。


お子さんのサッカーの試合への送迎の時のことだったと思う。

お子さんは尿意を催し、限界が近づいていた。

探し当てたガソリンスタンドか何かでトイレを貸してもらえないかと頼むと、こう返ってくる。「トイレはないんです」と。

「じゃあ、従業員はどこで用を足すのだ」と聞くと、「従業員用のトイレがありまして」と来る。

「そこを貸してくれ」というと、これまた「規則で出来ません」という。


ニーチェは「例外は規則を強化する」という風なことを言っていた。

例外は一般ではないが、それゆえ規則(規則と書いていたか忘れたが)に意味が出てこようというもの。


ロボットにはそれがわからんのです、というのは簡単である。



トイレの話を聞いて、はたと思い当たる。


余が仮初の世を忍ぶための仕事は、ホテルのフロントである。


そのちんけなホテルは、ビジネスなのに「ご休憩」があったりする。


少々空きがあったある日の早朝、その日のチーフが、時間ではないのに「ご休憩」を案内していたことが何度かあった。

宿泊として代金を貰うには忍びない中途半端な時間であり、まあ、それもありかもしれんが、一応、昼からの案内とは決まっている。


さて、それを見咎めたチーフが、何でかこっちに語りかけてくる。上記のチーフは帰った後だった。

「こういうことをやると、調子に乗って来るやつが増えて、なし崩し的に設定した時間が壊れてしまう」云々と。


はぁー、お説ごもっともで、と、聞いていたものである。チーフAはひどいなぁ、などと考えてしまうわけである。


それを思い出して、「ああ、こりゃわしもロボット化してたんだなぁ」などと考え、読んでてはっとしたものである。



特に対人については細かいことを気にしないというかしたがらない性質だったのだが、
ロボット化するとやたらビクビクしてしまうというわけである。悲しいことだ。




しかし、アイクは上手いことを言っていた。


上の紹介した動画で、こう言っている。


誰かがゴミ出しで罰金を取られたなら

何千もの人々が毎週違う日にゴミを出してやれば

その内、法律の方が変わる(略)

我々を奴隷化する権力に、毎日パワーを与えているのは我々だ

彼ら自体にはパワーはない、我々が与えているのだ

パワーを取り戻そうではありませんか



別に今からゴミ出ししましょう、というわけではない。体にたまったゴミは出したほうがいいが。

我々が単に怖いと思っているだけで、実際は何も怖くないのだ、というわけである。

アイクの言うように、奴隷化というのは、自分のパワーを相手に捧げていることなのだから。


というわけで、あなたも「我が」振りを見直してみませんか?では、また。

金髪碧眼の張子のカエル

2012-10-27 | 雑記
去年に色々と思うところがあり、ゲームを辞めた、という話は何度かやり、ラジオの一本目もそれの話だった。


辞める、というのを思い立ったこと自体はその時だったが、それ以前から疑問に思うことがあった。辞める辞めないというところまでではなかったが。



何を疑問に思ったのかというと、発売されているゲームの内容について。


血が出るとか性的にきわどい表現があるだとか、そういうことではなく、どんなゲームにでも多少ある、舞台設定についてである。



子供の頃から出ているRPGのシリーズ。例えばドラゴンクエスト。


大なり小なり知っている人は多かろうが、単純に言えば、中世ヨーロッパや欧州の神話などの設定になる。


さて、ドラゴンクエストが開発されるに至った経緯について、聞いた覚えのある話をする。


ファミコンの黎明期になるが、その時はテキストアドベンチャーというのだったか、読ませるのがメインのゲームを売り出していた。

それには意図があって、ドラクエに対する下地作りだったという。これは開発者が語っていたことなので、雑誌やらの媒体に乗っていた話である。


さらに、そういう「読ませる」ものというは、実はアメリカでファミコン以前に、パソコンで動かす、画面に文字だけでやり取りをするゲームがあった。

それを元にしたという。


その下地作りが功を奏したのか、西洋風の舞台設定のゲームを発売し、国民的人気作と相成ったというわけである。


これがどうにも、今となっては腑に落ちない。というよりも、胡散臭い意図があるとしか思えない。


さてさて、年代は下り、平成に入ってからだったろうか。

映画のように俳優に演技させたり、声優の声を吹き込んだゲームがわんさか出てくるようになった。

日本語のものもあれば、英語のものもある。

英語のものにどういったものがあったかというと、有名なところでは、先日、最新作が発売された、バイオハザードシリーズがある。

他にもあるのだが、これについては最近、気になったので調べていた。

調べるといっても、「評価は如何程か」という程度のもの。買うつもりではなく、捻くれた発想である。

「恐らく、日本の某ゲーム雑誌だとバカみたいに高い評価がついているんだろうな」という、ここ数年からそこいらを知っている人なら、うなずきそうな話である。

最近は雑誌以外でもレビューがされて、10点中何点といった評価を載せていたりするサイトがあったりする。海外にもいくつかある。独立したものではなかろうが、「陣営」というものがあろう。

某雑誌以外の海外サイトの評価が必ずしも正当ではない、というのは前提だが、それにしても酷かった。


日本の最大手の某雑誌のレビューは、四名のレビュアーに10点ずつ持たせ、それぞれ点数をつけさせ、その総計がゲームの評価となる。

40点満点というわけだが、四人立たせて皆最高、と褒めちぎるのは変な話でもある。数十年続いているその雑誌で実際なかったわけではないが、疑問の声も上がっている。

それは措くとして、バイオハザード6とやらの評価は、39点だった。うむ。いつもどおり。


海外サイトは、軒並み低い数字が並んでいた。10点満点評価のなか、半分かそこいらの評価が多かった。高めのもあったが、高め程度。


世の中、お金のことがありますから、色々あるんでしょう。そういえば、雑誌とか新聞ってどうやって成り立っていましたかね?



その辺りは、一般でも知られているところ。知らなくても、企業というものは何なのかを知っていれば、今の世の中の形そのものであるというのはお分かりになろう。



もう一歩、というほどではないが、踏み込んでみたい。


雑誌は読んでいないが、しばらく前までは、もう少し正確にいうと、ゲームを辞めようと思い始めたあたりまで、ネットで雑誌と同じことをやっている、ゲームのサイトをよく見ていた。


件のバイオハザードを出した会社で、去年まで開発の責任クラスにいた人のインタビューなんかが載っていて、これを読むと、下記の論旨のことを述べていた。辞職直後の話である。


曰く、「日本のゲームが生き残っていくためには、海外で受けるものを作っていかなければならない」と。

その時も思ったものである。「それは筋違いではないか」と。しかし、実際に筋違いを頑張っているようではある。


ドラクエが良いとか悪いという話ではないが、日本で受けたらしい、というのは事実のようである。

海外ではそれほどではないようだが、西洋風ファンタジーの舞台設定のゲームである。


海外、つまりはほぼ欧米を指すのだが、そこに受けるものというのは、向こうの「空気」に馴染んだもの、ということになる。

西洋ファンタジー風のゲームが受けないのに、何ゆえ「海外的な」ものを作ろうというのか。


日本人向けに作ったものが、何故か向こうで受けたりする、ということもある。ポケモンなんかは人気のようだ。

本当に人気なのかどうか、それがどういった性格のものか、はここでは措く。


何が受けて何が受けないか、というのは実際は判らないというのに、彼は「海外に」と絶叫する。してはいなかったが。



これは、実際に向こうで受けることを考えていないのではないか?本人は考えているつもりだが、受けると思い込んでいるだけではないか?



話が変わるが、関わりになりそうなことを。


仕事場に、ボディビルディングにご執心な方がいる。


ある日、こう語った。

「もっと身長が欲しい」と。


日本人の身長としては決して低いほうではない彼は、「西洋人の筋肉のつけ方は、ある程度身長がないと見栄えが悪い」と言う。

つまり、その方が格好が良いからだというのである。


体を鍛えるというのは、肉体の要望に沿ってこそである。ではあるが、使わない体はいずれ腐るので、使うことには賛同できる。


しかし、ボディビルディングとして鍛えるというのは、飽くまで手段であり、目的ではないはず。見栄えをよくする為だけのものではない。


そして考えて欲しい。西洋からもたらされた体操が硬直した思考をもたらし、日本人の精神を腐らせてきたという、野口晴哉の主張を。



己の裡ににあるものを無視し、ひたすら外にあこがれる。つまり、西洋への憧憬。これが「西洋人的な体になりたい」というボディビルダー氏の主張である。



さて、また「ドラクエ」の話に戻る。


海外にゲームを売りつけたいから、そのために海外向けのゲームを作らねばならぬ、という彼の元上層部の人物の主張。


儲けない企業というのは、小さいならありえるだろうが、無駄に図体のでかくなった企業というのは、気血をその隅々に巡らすことですら大変であろう。

儲けるというのは、大企業の感覚ならば当然のこととなるので、主張だけを聞けばそうなるだろう。日本での売り上げが伸び悩んでいるのだから。



しかし、受けているのか?海外にゲームがないなら売りつけることも可能だが、唸るほどゲーム会社はある。

そういった相手と大同小異のゲームを作って、売れると断言出来るのだろうか?



これは、海外に売りつけるといいつつ、実は日本人に欧米的なゲームをやらせたい、ということである。

彼はたしか、こうも主張していたように覚えている。

「海外のゲームの方が洗練されている。だから、日本もそういうゲームに慣れるべきである」といった風に。



そこでドラゴンクエストの話を思い出して欲しい。着想の原点がアメリカのゲームからであり、そしてその仕上げが西洋風ファンタジーのゲームたるドラゴンクエストだった。


つまり、当初から「海外にゲームを売りつけたい」という嘘の根拠たる思想があったというわけである。


しかし、国内だけでは振るわなくなっている。

そこで、「海外」を持ち出す。つまり、黒船来航と同じにしようというわけだ。


だが、この黒船の威光もあまりあるようには見えない。単純に「解剖カエル」状態が深刻なのかもしれないが。

電流を流しすぎたので、動かなくなりつつあるのだろう。死んだカエルの太股に電極を刺して、というやつである。



日本を欧米のようにしたい。この思想がずっと前から日本にあり、行われてきた。

その結果の一つとして、件のボディビルダー氏の発言となって現れているというわけだ。

辻褄の合わないゲーム屋の発言もこれで納得できるというもの。


ゲームごときで?と思うなかれ。そもそもゲームだけの話ではない。


そこで、日本マクドナルドの創業者、藤田田(でん)の言葉を紹介しよう。

「日本の若者を金髪にしよう。食を通じ世界に伍していける真の国際人を育成できれば」の願いは、昨今の若者の著しい体位の向上を見れば、その仮説の正しさが実証されつつあると確信します。新しい食文化のイノベーターとして、ハンバーガーは、日本人の食生活に完全に定着した。http://p.tl/WIN6


さて、目標とする「体位」を先んじて持っているはずのアメリカ人。

アフガンだかイラクの時の戦争の話である。

パラシュートで降下したのはいいが、着地時に骨折したという。結構な数だったそうな。

とんだ体位があったものだ。「真の国際人の育成」とやらは、「張子の虎」を目指そうというわけである。風が吹けば、こんな張子の虎はどこかへ飛んでいく。


吹き飛ばすべきは、太股ではなく我々の「脳」に突き刺さった「電極」である。それを吹き飛ばすような風もまだあまりない。しかし、そのうち強い風が吹くかもしれない。

その風は強すぎて、「張子の虎」を吹き飛ばすだろう。というわけで、頭に手を当てて「脳」の奥深くまで「電極」が刺さっていないか、今一度ご確認を。では、また。

ラヂヲ 十三杯目二口

2012-10-24 | ラヂヲ
ようやくラヂヲの続きを公開へ。


一応、十二杯目の話の補足なぜか今頃展開するという。
でも、補足なのかなんなのか。ここが一番思いつきだったという気がする有様。

そして、内容は何故か怪談へ。秋の夜長を震えとおしていただく。

というわけで、どうぞ。

【ラヂヲ】ウヰスキーの時間 十三杯目二口




さて、真面目に補足をしておこうかと思う。


見たことを前提で書くので、チンプンカンプンかもしれないが、そういう話もあるということで一つ。


物焼いて真っ黒にした、黒焼きというもの。


胃酸過多の症状を治療する方法として、こういうものがあるそうな。

記述してあるブログはこちら。モモタロウ島

基本は食生活とはいうものの、特効薬としてこういうものがあるようだと紹介されている。

その箇所を引用する。

田舎では、いまでもへっついかまどで、薪をもやしてご飯を炊きますが、そのかまどの四隅にたまる灰がこの病気の妙薬。
都会では、電気やガスでご飯を炊くので望めないから、木をも燃やして灰を作って下さい。その灰を鉄の上で真赤になるまで焼くが、その分量はコーヒーさじで、3~4杯、0.2リットルのコップの水へ、焼いた灰を入れるとジュウッ!! と音がします。
5分~10分たつと灰が底に沈んで、米の磨ぎ水のように白くなります。
その上水(うわずみ)を全部飲むのです。
灰はアルカリなので、酸性を抑制し、飲むと間もなく苦痛が治まります。

また、この水は「つわり」の妙薬としても知られています。

「現代 和漢医療の秘法」清水 仁著書より。
昭和46年に出された本ですので、多少の食違いもありますが、出来るだけ原文通り転載しました


医者はいらないのである。現代医学がばら撒くクスリとかいうものでリスクを負うくらいなら、こういうことでいいのだろう。というわけで、何か感じたら背後を振り返って欲しい。そこには何かが・・・。では、また。

黒いあいつ

2012-10-24 | 雑記
黒いあいつといえば、そう!g・・・じゃなくて、まったく関係はない。


以前のラジオで、ちょっと聞き取りづらい箇所があると指摘されたので、スタンドマイクでも買ってみようと思い、先ほど帰りに購入。





ピンマイクと同じメーカーなのだが、入力感度に差が若干ある。


どういうことか、家のちゃぶ台に置いた状態(写真の高さである)で正坐して吹き込んだのと、ピンマイクで今までどおり吹き込んでみたのとでは、少々音が違う。

ピンマイクはいつもどおり。

スタンドマイクはなんだかちょっと高い反響音のようなものが感じられる。届いてないかと思って少々意識して声を出したせいともとれるが。


うーん、失敗かと思ったが、小さくなりすぎるとか音声が割れるというほどのことではないので、次はこれで試してみたいと考えている。



ラジオも少々滞っているので、お詫びに一本まるまるCMだけ収録したのと同時に出そうか、その時にこいつを使うか、などと思っているが、はてさて、うまくいくやら。



ところで、まだこの記事を書いている時点で、夜勤時の仮眠と、電車で居眠りしたくらいで、寝てなかった。


ラヂヲの再収録か続きをとも考えているが、こんな状態で録音して大丈夫だろうか。まあ、まだ止まってないとはいえ、普段より左脳が止まり気味になっているだろうから、案外、神がかった内容になるかもしれない。

ある意味それは、この世のものではなくなって・・・いや、そこまではまだ行けそうもないのでご安心ください。では、また。

ラヂヲ 十三杯目一口

2012-10-20 | ラヂヲ
今日はラジオを収録しよう、と思ったのはよかったものの、帰ってきたら寝てしまった。


しかし、なんだか朝から眠れないので(朝は起きるもんだ、というのは忘れてもらう)ついつい収録。


前回のラジオのあとのこぼれ話で「お化けの話でもしようかな」と書いていたのだが、気がつけば貧血の話をしていた。


本当に本当は、前の話の補足だかなんだかをやるつもりだったのだが、次回に持越しである。

でも、補足というほどでもない話なので、後半はお化けの話である。秋も深まり冬も近づこうというのに、怪談とはこれ如何に。



【ラヂヲ】ウヰスキーの時間 十三杯目一口



こぼれ話のこぼれ話で書いたとおり、フレンズ歯科さんの提供を挿入。


しかしこのキャッチフレーズ、どこかで聞いたような・・・。ああ、これだ

うん、まあ・・・薬物には違いない。


今回の収録はちょっと短いので、近いうちに追加で収録する予定である。毎日やろうと思ったらもっと吹き込む必要が出てくる。
いざとなったらCM連打という方法も・・・。いや、連打は無しの方向で。では、また。

ラヂヲこぼれ話でこぼれてた話

2012-10-20 | 雑記
葬式の話に夢中になってしまい、忘れていたことが。


放送の中で、為清さんのHPで引用されていたブログ。

食品の酸度アルカリ度と虫歯の関係について書かれていた内容のである。



この放送をやったら紹介しようと思っていたのに、ばあさんの葬式の話に気を取られてしまった。
紹介する前から、左のブックマークにこっそり乗っているのは、気のせいである。

そのブログはこちら。「千葉市で矯正と予防歯科を中心に診療しているフレンズ歯科クリニックのブログです


この方は歯医者さんである。

我が家のアパートの一階もこれまた歯医者さんであるが、痛かった。というより、放置しすぎて痛くなるのが当たり前だったのが問題だったが、そんな話は関係ない。



歯医者さんとはいえ、歯科の話ばかりではない。


何せ、この間の放送で引用した記事だと、最後の方にこう書いてある。

「乳歯はいずれ抜け落ちる歯ですし虫歯が有っても食品圧入等の症状がなければ、安全性に懸念がある詰め物をするよりも、食生活を見直す方がずっと大切です。私はその事を理解される方が増え自分達の仕事が無くなる事を心より願っています。」
食品の酸性アルカリ性度とPHは違います(虫歯予防の観点から考察)

あ、こりゃ結局虫歯の話だった。



他にも、海外の動画に翻訳字幕をつけたものを掲載したり(娯楽映画ではないぞ)、ワクチンの話をやっていたりする。

ちなみに、歯科クリニックのHPもあるのだが、フッ素の危険性を指摘した話や動画が載っていたりする。

歯科医の世界でフッ素は危険だ、などというとどんな目で見られるか。一般人にも広く啓蒙されている話である。理屈はワカランでも医者が言っていたのに、というわけで、これまた不審がられる。


こちらは元より不審人物だが、変なことを言っているのかどうかは、あなたの目でお確かめ戴きたいと思う。


フッ素については、こちらも実体験があるので、一つだけ。


去年、テフロン加工のフライパンで、天ぷらやら煮物をやって、それを食べていたら、ひどく気分が悪くなった。

テフロンはフッ素加工の製品。そういえば、どこかでフッ素は悪いと言っていたな?フッ素といえば歯医者だな?

と、調べていたら、THINKERさんに行き当たった。行き当たったのか、以前読んだのを思い出したか、どっちか忘れたが。

でもまあ、とりあえず、歯科医が何か言ってないかと調べてみたら、フッ素溶液のうがいで同じ症状を呈している患者がいるという話が出るではないか。

すぐさま鉄のフライパンに取り替えると、すぐになくなっていった。だが、仕事場でそんな話をしても「煮物やら天ぷらやるから悪いんじゃないのか」などと言われたものである。そこで、あなたの味覚に訴えかけることを一つ。

テフロンと鉄のフライパンで、簡単な料理をそれぞれ作って味わってみるといい。味が違う。もちろん、テフロンでやるとまずくなる。


料理とかめんどくさい、というなら、鉄だとかステンレスの鍋と、テフロンのフライパンでそれぞれお湯を沸かして、茶でもコーヒーでも粉ミルク、は却下。いれてみるとよい。


おそらく、味が違うであろう。味が違うということが判らなくても、毎日それで茶でもコーヒーでもガンガン飲んでみよう。生きるのが苦しくなること請け合いである。

もし何も変わらなかったら?それはあなたは生きているつもりでも死んでいるのかもしれませんねぇ。ふっふっふ。


さあ、フッ素の化学的な理屈は理解できなくても、生き地獄を味わうことは簡単だ!お試しあれ。味わいたくなければ、素直にフレンズ歯科さんのお話に耳を傾けてみるとよいだろう。



さて、冗談染みてしまったが、もう一つ。



そろそろラヂヲに本物のスポンサーが欲しいなと思っていたので、なんとなく頼んでみたところ、そのフレンズ歯科さんが快諾してくださった。


これからはフレンズ歯科の提供でお送りすることと相成った。勝手につけている訳ではない、ということである。


といっても、提供に名前を入れるだけである。ナレーションはお馴染み、アンジョー・ヤスオでござい。


最近のニコニコ動画は動画説明文を読ませる気がないようだが、説明文にブログのURLを乗せていく予定である。

うちのブログのように「ウヰスキーのある風景」でご検索を、という回りくどい真似はしない。


これからのラヂヲの予定だが、なるべく毎日のように流せるように一挙に収録して、もう少し短く分割していく、というつもりにしている。

今回の分よりさらに、ぶつ切り具合が激しくなると思われるが、長すぎて見る、いや聞く気か、が殺がれるよりはいいだろう。



せっかくだから、面白おかしく出来たらいいなと考えている。どうなるかは録音してみないことにはワカランが、雑談もありの変な物まねありのカラオケありのでやっていこうかと。・・・物まねとカラオケはやめておく。


面白おかしいだけでは単なる雑談ラヂヲなんで、もちろん、きっちり抑えるところは抑える。抑えすぎると今度は面白おかしくなくなるので、匙加減が重要である。

匙加減というわけで、お医者さんがスポンサーになったというのは丁度いいわけである。


さてさて、次は早くて来週になる。申し訳ない。下手したら今月は休もうかなどと思っていたが、そんな情けない話はいってられない。とっ捕まったとか滑って転んで失神したとかそんなのがなければ、大丈夫であろう。後は勿論、飲みすぎないこと。むう、相棒でもあるが強敵でもあったか。では、また。


ラヂヲこぼれ話

2012-10-19 | 雑記
さて、試しにぶつ切りにしてみたラヂヲ。

最後だけ分割なしで二十分ほどになったが、どこで切ろうか悩んだ挙句、そもそも出すべきか悩んだのもあって、やぶれかぶれで出した感じである。

一応、何回か聞いてみて、「没にしなくてもよい」と判断はしたので、投げ遣りに録音して放り出すように配信したわけではない。

ラジオ自体には特に追記することはない。また次のラジオでやろうかと思っているのと、時間が経ったのでよく思い出せない。


ところで、ここしばらく、妙な感覚があった。


十月の頭のほうだったか。夜勤の日の朝、朝じゃないが起き上がってくると、妙に体に力が入らない。そのくせ、イライラしたりする。


時間が経ち、仕事場で財布をロッカーに取りに行くとき、普段はあまり見ないケータイ電話を見ると、メールと電話の着信が数件ずつ入っている。


「なんじゃ騒がしい」と思って確認すると、メールの一部と電話は同じ後輩から、もう一人メールしてきた別の後輩は、「メールでいうような内容じゃないから電話を」とある。


いずれも近い時間で、電話もあった方には内容が書いてある。



なんでも、大学の時に所属していた茶道部の、着付けの先生の旦那さんが亡くなったとのこと。


そうかー、全然顔思い浮かばんなー、などと考えながら、「電話くれ」とメールしてきたほうに「この話だろう?」とメールを返しておいた。



そして、最近の方へ。


しかも、ラジヲを出した日のことである。

母方の祖母が亡くなったという。知らせを受けたのは、ラジオを出した日の夕方である。

その前日は休みだったのだが、なんだか体に力が入らない。夕方までぐったりしていた。その上、また飲みに行くとかいう暴挙に出たのがいけなかったのか、その後、ひどく憂鬱な気分になったものである。

近所の池のある公園の、池の岸辺にある御影石に腰を下ろし、しばらく気分が収まるのを待ち、それから帰ってラジオを出したというわけである。家に着いたのは、日付が変わって午前一時ごろであった。


ちなみに、どちらも顔を出していない。


この狙ったような感じはなんだったのだろうか。時折、なんでもないような日に上記の方のような体調になるのは何故だろうか。


もしかしたら、こういう話なのかもしれない


こちらはいらぬ絆を断ち切ろうかと思っているし、少なくとも前よりは薄れた。と、思っているだけなのかもしれないが、

しかし、いざイベント(この際は死亡である)が起こり、絆を呼び覚まそう、もしくは深めようと、ペインボディが騒ぎ立てる。

ペインボディがというか、ペインボディに乗っ取られた「絆」のある存在が一時的に狂乱的な発作状態になるといえる。年中行事かもしれないが。

「絆」を伝ってこちらにも騒がしい信号やらなにやらを送ってきていたのだと思われる。

まあ、そこは想像だが、ちょっと疲れた。今度は寝すぎて疲れたりしたが、まだこっちの方が問題ない。


葬儀もまた、定期的に顔を合わせる行事であるといえる。


そんなもののために、肉体の束縛を離れた、かつてこの世で活動するのに使っていた存在の象徴を使い、そして「絆」とやらを深めようとする。


だから、こう思った。

「そこにおばあちゃんはおらんよ」と。

そんなことを言って伝わるわけがないので、「行くつもりにはするが」と曖昧な返事をし、通夜当日「やっぱり行けない」と断ることにした。行きたくないでは通らないので、「仕事が外せない」とした。

半分確信犯的である。前日、仕事行く直前に電話を受けておきながら、喪服も何も持たずに、いつもの風呂敷でスッと出発してしまったのだから。

「ちゃんと電車乗れたかどうか」などと心配して電話されたのが癪に障ったのもある。まだまだ子供染みているが、「子供」ではもうないのだ。



それにしても、ペインボディの狂乱の宴たる、葬儀会場に行くのもしんどいが、電車で移動するのもまた苦しい。改めて思い出すのだが、部屋で蛍光灯をつけると、光が当たっている頭の部分がギリギリ締め付けられるような感じがある。
ケータイ電話もだ。母親からの電話をケータイ電話で受けたのだが、声を受けていた右耳のほうが痛くなった。

いってしまえば、パソコンを前にしてこれを書くと、少々目が痛い。そりゃぁ、明かりを点けてないから・・・でもない。

TVやパソコンのモニターを見るときは、部屋を(蛍光灯などで)明るくするべし、などというのは、実際もっと目を悪くするために推奨してるんじゃないだろうか、とすら思う。

電磁波というものが、メラトニンを阻害しているという話がある。寝る前にテレビ見たりゲームすると寝られなくなったり、異常行動が出る可能性が高いという調査報告も出ているそうだ。

電磁波(仕事場と電車)にやられて、尚且つペインボディ(葬儀会場及び家族)に引っ掻き回される。

いかなくて正解だった。もしかしたら、前の日に憂鬱になって(晴れた頃には、それ以前までの嫌な感じも多少晴れた)いたのは、「頭冷やしてペインボディに振り回されるな」という、おばあちゃんの手助けだったのかもしれない。


行かないと電話をしたあと、いつもの川原で一服していた。

わしには何かが見えるというのはないが、見えないからないと決め付けるのも愚かしい。


おばあちゃんは晩年は頭がボケていたから、徘徊していたかしらんが、そこにいるものとして、「わしもついにタバコ吸うようになってもうたんや、キセルでな」などとおしゃべりをしていた。傍から見たら独り言というわけだ。


肉体の死は、存在の死ではない。はて?似たような話は我が家の宗教が言ってなかったかな?

まあいい。それなのに、供養だなんだと言って嘆き悲しむ為の儀式なんぞ「死んだ」人間には迷惑であろう。


ところで、先日、バーで面白い体験談を聞いてきたので、次のラジオでやろうかと思っている。夏は過ぎたが怖い話である。怖いんだが怖くない。オチなんか聞いたら笑ってしまう。こっちも怖いと思わなかった。

聞きながら出てきた感想は「生きている人間も幽霊も、変わらんな」である。では、楽しみにされると緊張するが、お楽しみに。

ラヂヲ十二杯目チェイサー

2012-10-16 | ラヂヲ
長々と引っ張ってきたが、これにて十二杯目終了。


この部分は撮り直ししようか、いっそのこと没にしようかと考えていたが(そもそも録音の時点で二回目だったりする)、その時はその時の空気があるというもの。

今やったところでもっと上手くやれるだとか考える時点で、ラヂヲをやる意味もない。多分、もっと酷くなるであろう。


【ラヂヲ】ウヰスキーの時間十二杯目 チェイサー




出すまでに次を仕立てておこうかと思っていたが、いつもどおり未定。せめて十月中に出そうとは思っているが、忘れた頃になるかもしれない。では、また。

走狗

2012-10-15 | 雑記
夏の間行っていた川に先日、久しぶりに立ち寄ってみた。

そもそも、町中をまっすぐ歩いて帰るより、空がよく見える(電線もないので)道を歩いて帰ろうというのが当初の目的だったのに、何故だか忘れて、このごろは商店街やら大通りを歩いて帰っていた。
これがなんだか疲れる。夏の間は浮浪者の如く、橋の下で寝ていたのだが、体の心から疲れる、という感じではなかった。

ところが、真っ直ぐ帰るのに近い状態になると、ひどく疲れる。帰ってからすぐに寝たとしても、三、四時間で目が覚めることが多いのは気にしてないが、ぐったりしていたものだった。

起き上がって風呂に入れば別になんともなくなるのに、億劫がって寝てしまい、次の日に余計疲れている、ということが多々あった。食べ物のせい、もあろうが、その前後であんまり変わってない。

あとは日差しか。夏は暑くてよく汗をかく。これがなくなったのも大きいだろう。


ただ、貧血気味と言われたので、このことを調べていたら、汗のかきすぎで鉄分が抜けて起こるタイプのものがあるらしく、どうやらかきすぎも原因だったようだ。摂取と排出の収支があわなかったと。
その上茶も飲んで。

以前、「食性に合わないものを食べてるでしょ?」と言われたときに、「茶の飲みすぎもあるかもしれませんねぇ」と、以前、コメントでやり取りしたが、食性に合わないもの=茶というわけで、間抜けなことをいったものだなぁと、今さら気付いたしだいである。

茶と貧血の話はまた後でやることにする。もしくは忘れてそのまんま。



夏の間は石ころだらけの川原も、秋、らしくない気候だが秋らしく、模様替えをしている。




この川原の四季折々の風景を眺め続けて来たわけではないので、こうなるとは思っていなかった。長らく、こういう、命のあるところは本来姿形を変えていく、というのを見なかった証左というわけである。

とはいっても、それが天然自然100%かどうかは判らない。天変地異の前触れかもしれないが、それも天然自然100%・・・と延々続きそうなので止める。



橋脚に腰を下ろして、途中で買ってきたおやつを食べていた。おやつはパンである。また性懲りもなく!



坐っている所から見える土手に、警察がバイクでやってきた。バイクを止め、こちらの方を確認して、橋の下をくぐる坂道へと姿を消した。


「やっぱりこっちくるのかねぇ」と思っていたら、案の定やってきた。こんな歩きにくいところによく入ってきたもんだなぁという感じの呟きと、少々にこやかな笑顔をたたえている。


「昼食のところ申し訳ないが」という。いや、おやつだ、とは思ったが言わなかった。

なんでも、同じ川原の下流のほうの橋(その場所からそれほど離れてはいない)の下で、ナイフを持った男が現れたという。

この辺りを警戒しているもので、荷物を検めさせて欲しいという。


風呂敷の鞄は解くと結ぶのが面倒なので、荷物は腰掛けているセメント部分に取り出して見せた。


すると、キセルを入れてあるカマスに気付き、「この扇子のようなものは?」と問いかけてくる。


解いて見せながら「キセルですよ」というと、何故だか警察官がちょっと楽しそうにし始めた。


何でも、渋谷にあるというタバコの博物館に行ったりして、最近勉強中だそうな。


チェ・シャグのパックを見て、「このタバコ知ってますよ」と。いくらだどこで売っているんだと、そんな乱暴な言い方じゃないが訊ねてくる。


「キセルはどうやって吸うんですかね」ともいうので、タバコ好きの誼として、実演することにした。


荷物もあらかた調べたので(タバコの話の方が多かったが)、警察官は帰っていった。帰り際に「私もキセル買います!」と言い残して。


バイクに乗るところを、タバコを吸いながら見るともなく見ていたら、会釈をしてきたので、こちらも坐ったまま返した。



彼がキセルを買うのかは判らない。また同じところで同じ警察官に会うなんてことは無いほうがよい。

そういえば、キセルの長さとそれぞれの長所短所も教えればよかったか。まあ、あちらさんは仕事中である。そもそもこっちは用がない。



ついでに。


たまに撫でている犬がいる。小さな門には「犬を放しているので用がある方は声をかけてください」と手書きの札が垂れ下がっている。


門の前に立ち、その犬がこちらに気が付くと、表情を変えて近寄ってくる。耳が寝るのである。

小さな門扉は、針金で括ってとめてある程度で、押したり引いたりすると動いてしまう。

犬は飛び出したいのか、間からを鼻面を突き出してこちらを嘗めたかと思うと、身を捩じらせて門扉をきしませる。


そんなやり取りを数度繰り返して、そこを立ち去るのだが、車を通すほうの門もあって、わざとそちらに誘導させる。

最初のやり取りが短いとすぐにそちらにやってくる。案の定やってきた。

じゃあ、頭軽く撫でて、「バイバイ」とやろうとしたら、急に吼えて走り出した。

こちらから右手には、盛り上がった土手へ向かう坂がある。その坂を昇っていく自転車と、一緒に走る犬の姿が。


かの犬は追いかけ、庭の奥に姿を消した。



犬はやっぱり狗なんだな、などと思うのであった。



長くなったので、予定通り茶と貧血の話は無しで。では、また。

ラヂヲ十二杯目三口

2012-10-10 | ラヂヲ
CMを入れようと考えていたら、飲んで寝てしまったりと間抜けなことが続いたので、夕方にCMを収録、そしてそのままアップへ。

家の前のスーパーの宝くじ売り場の声が最近小さいのと、子供も歩き回っている時間ではなかったようで、まるで誂えたかのようである。

内容は短い。一応、続きに繋がっていたような気がするが、とってつけたような話でもある。

花粉症と肉食、何故牛乳を飲むべきでないか、などと要旨を書き出すと難しい話のように聞こえるが、ひどく単純に語っている。単純すぎて大丈夫かという感じがするが、気になる方は色々とお調べいただければ幸甚である。


【ラヂヲ】ウヰスキーの時間 十二杯目三口



ちょっとどうしようか考え中のこの続きだが、そのまま出してしまおうかと。では、また。

無花果の徒花

2012-10-09 | 雑記
今ぐらい、丁度イチジクの時期だというので、食べたいものだと、仕事の合間に効能なんかを調べていた。


昼、駅を出て、信号が青だったら渡ろうと思っている道は赤になっていたので、横断せずに進んでいた。


近くの別の駅前に、少々大きな本屋がある。そういえばあそこの五階。思想だとか哲学だとか精神分析だとかの本が置いてあって、先日も『ムーンマトリックス』を置いているか確かめに行ったら、あることはあったが最終巻だけだったというオチだった。残りはアマゾン頼みにしよう、と思っていたのだが、とりあえず、また入荷してないか見に行ってみたが、やはり置いていなかった。

置いてあった棚の並びには、大川某だとか池田某の関係の本なんかが目立つ。他にも色々あるのだが、分かりやすい?ところはそういうところである。十把一絡げに言えばスピリチュアル系の書籍が並んでいる。


何か興味を惹かれるものはなかろうか、と見て回ったら、ある女性の著書であろうか、タイトルは『もうビニール傘は買わない』だったか、小説ではなく、生活スタイルを変えていった自叙伝的な内容である。


ふむ?と最初から捲って、序文は流し読みし、第一章に入ってすぐだった。


母親が送ってくる荷物にはいつも顆粒のだしのやつが入っていたとかいう。それを止めていった話なのだが、「小学生の調理実習の時には、お湯に顆粒の以下略」とやっていた、とある。


今さら驚くほどのことでもないのだが、学校には行かないほうがいい、じゃなくて、学校で習うことは蒙を啓くことは決してなく、暗愚を増やすだけなのだと改めて感心したものである。そこで納得したというかその本にさしたる興味があったわけでもないので、置いた。


そこでまた館内を孤独に歩き回り始める。

階段を降りて二階の文庫のコーナーへ回り、海外文学の翻訳文庫シリーズに目を向けると、以前ここでも引用した(※又引用である)、ルソーの『孤独な散歩者の夢想』がある。

仕方がないのでこれを購入し、「孤独な散歩者」になることとした。



さて、昼によく駅前で食べて帰ってしまうことが多いのだが、なにやら気が進まない。よく通る道の八百屋で果物でも、と思ったが、これも通り過ぎる。まったくもって孤独である。


「きっとあの本を買ったからだな」とは思わなかったが、行きに乗る駅の方面へ歩を向け、しばらく進むと、途中にも小さなスーパーがある。

チェーンではない、昔からある感じのお店である。よく前を通ってはいるが、名前はちゃんと確認していないのでよく判らない。

時折、果物が置いてあるなぁと思って通り過ぎてはいたのだが、今日は何となく足を止めてみると、見たことはあるが、直に見たことがないものが置いてある。

そう、イチジクが置いてあった。まあ、「JAあいち」と書かれた小さな札が差し込まれているので、普通の(慣行農法の)ものには違いない。


しかし、家の目の前のスーパーはおろか、仕事場近くの果物屋でも見たことがないこのイチジク。というわけで、それで昼食と相成った。



イチジクとは、漢字で無花果と書くが、花が無いわけではない。あの実の中に花が咲いているそうだ。独特の食感は花の味わいだという。


たんぱく質の分解酵素があるそうで、白い液体はイボ取りに使われたりするそうな。




根から養分を摂り、日を浴びて光合成をし、花は外からは見えないが果を成す。



ところで、世の中にはイチジクのように見えるが、中身がないイチジクもどきが唸るほど転がっている。

その果を成すところは本来、「成ってみるまで判らない」はずなのだが、「成ることを前提」として話が進められてきたものがある。


こういう話である。


年金財政の問題は解消していた・・・

日本が長寿国であるというのは嘘である、という話で、年金の問題に絡んでいる。本来の平均寿命は50~60歳であるという。

さてさて、年金とやらはいつもらえるのか?60歳くらいで貰い始めるはず。

そしていつぞや。年金給付の開始を70からにする、などという話が出ていた。

というわけで、中身をいってしまったようなものだが、その詳説。


壮大な詐欺



年金給付だ?六十になってからだ?その上七十になってからにするだ?わしがそこまで生きているかしらんわ!と、数年前から未納という荒業をやっていたのだが、そいつはちょっと危ないので、真似をする人が出ないように、もう一つ。


日経新聞でさえもこんな記事を出してるぞ!



余談だが、低年収の成果だろうか、「払ってないので払ってください」という程度の葉書しか来ていない。差し押さえるぞ、ではなかった。後日、免除の申請をやってみようかと考えている。



花は咲けども実を結ばない。これを徒花という。


イチジクにいたっては花が見えない。


「一般の労働者に対する厚生年金の起源は第二次世界大戦下の1942年に施行された民間企業の現業男子を対象とした「労働者年金保険」であり、戦時下における労働力の増強確保と強制貯蓄的機能を期待する目的があったとされているが、手っ取り早い戦費調達手段として導入されたとする見方もある。1944年に、現行の名称になった。」
厚生年金 - Wikipedia http://p.tl/TwzI

とあるそうな。イチジクの中身は赤いが、このイチジクからは血が零れ落ちるのだろう。


つまり、この「国民年金」というイチジクは、最初から実をつける気がなかったというわけである。少なくとも、生ったとしても我々の口に入れるのが目的ではない。キリストは、実の生らないイチジクを切り倒すのではなく世話をしたというがhttp://p.tl/oPL9、こんなイチジクは切り倒したほうがよかろう。では、また。

「あなた」が突っ込む

2012-10-03 | 雑記
昨夜、ラジオの続きを公開し、為清さんに連絡をした。


ニコニコ動画が中々読み込めなかったそうで、ようやく先ほど、Beyond 5 Sensesでも紹介される運びとなった。


目が覚めて、茶を飲みながら確認をしてみようとページを開いてみたら・・・不意打ちだったのでむせてしまった。



普段はこちらが紹介される立場なので、紹介の紹介というのも変な話ではある。戯れに。


今回の煽りはコレだ!


「HPVコンマ1%の確率・・・ アンジョー・ヤスオが子宮の入り口をソフトに突く・・・」



こんなハードな紹介文を書かれるとは夢にも・・・いや、これくらいの方がいいな。




ところで、その件のラジオ。ご紹介に与る前に、ニコニコ動画の「世界の新着動画」という生放送で紹介されていた。


まあ、あまり好んで使われて無さそうなカテゴリー「その他」というのも影響が大きいだろう。ちょくちょく紹介される。ほんのちょっと再生されていた。

勿論、...NO COMMENT である。



ここ最近で突っ込まれたのは「BGMが大きくないですか」だけで、だーれも突っ込まなくなってきた。これはいかん、というわけで突っ込みを開始したというわけである。(違う)



まあ、元々こちらは突っ込むのが仕事みたいなものである(二重の意味で)。いや、仕事ではなく「活動」である!(ハンナ・アーレント著『人間の条件』参照のこと)


冗談は措くとして、こうなれば、再生数を上げまくって嫌でも衆目を惹いてやろうか、などと考えるのである。


一人で簡単に増やす方法をご紹介しよう。


まずはブラウザのcookieとかいうものを貪るように食べる。いや、食べられない。

ニコニコ動画のマイページには視聴履歴というものがある。そこには「cookieに保存されるため」云々と書かれている。

ブラウザやPCごとに保存されるというわけで、ブラウザやPCを変えてアクセスすれば、その分カウントされるわけだ。


まあ、PC一万台用意して、とか非現実的な話をしようというわけではない。そんな金があったらもっとまともなことに使おう。土地を買うとか土地を買うとか、後はそうだな、土地を買うなんてどうだろう?


というわけで、お手持ちのIE(そうでない場合も多いが)のインターネットオプションという項目をお調べいただく。


我が家は7なので、XPだとかVistaのことはちょいとワカランが、その手の項目に「閲覧の履歴」というのがあろう。名前は大同小異であるはず。


そこにチェックボックスがついていて、「終了時に閲覧の履歴を削除する」とある。これを抉るようにチェックすべし!


そしてダメ押しでブラウザ起動時のトップを、狙いの動画にする!後はほれ、7なんか下にマークが出ておろう?

左クリックで起動したら右クリックで「ウインドウを閉じる」とやり、また左クリックで・・・と繰り返す。

あ~ら不思議。愛しの動画ちゃんの再生数が見る見る増えていくではないか!たぶん・・・。


自宅で試したことはないが、仕事場のPCでは履歴を削除しておこうと思って、その設定をしてあるのだが、他のPCで見たときどう見えるのかをたまに仕事場で確認していたある日、連続で二回見直してみたら増えていた。


パスワードやらは保存して、他の履歴を削除する設定をすれば、さっき書いたことが出来るわけである。たぶん・・・。さすがに仕事場のPCに自分のページのパスやらは保存しない。


まあ、そこはお試しいただくとして(試さなくてよい)、なんと、「短期間で再生数増やす」サービスなんぞがあるそうな。http://www.webstarjapan.com/video/



で、何が言いたいのかというと、「わしのラジオもここに頼んでみる人増やそうかのぅ」と、言うと思ったか!
はて?ラジオを見る?


不自然に、そして短期間で再生が増えている動画というのは、こーゆーことをやっているのが多いわけである。全部かはしらぬ。個人の人力(上記の作業)かもしれないが、まあ、どちらも同じであろう。


これ(不自然な再生数)はつまり「全米が泣いた」だとか「今人気沸騰中の」とかいう煽り文句でしかないわけである。言葉は不要!必要な物は数字だけ!というわけだ。とても判りやすい。
泣かせて沸かせたらお茶でもいれるつもりかしらんが、そのまま蒸発してもらいたいものである。



さあ、あなたは「再生数」を見るのか?それともあなたが求めるものの内容を見るのか?それは常々あなたがあなた自身に課さねばならぬ「突っ込み」なのである。では、また。

ラヂヲ十二杯目二口

2012-10-02 | ラヂヲ
ようやく本題に入ったような気がしないでもない、十二杯目二口目。

いきなり鬱病とかいってはいるが、本題は飽くまで子宮頸がんワクチンの話。

というわけで、THINKERさんの記事を拝借。でも、元を辿れば・・・。


【ラヂヲ】ウヰスキーの時間 十二杯目二口




記事を読んで、というか読んだのを聞きながら改めて思えば、ワクチンの根拠というものは実にバカバカしい。

素人が見ても、というのは意味がないという言い方は勿論あるが、それにしたって酷いものである。これを推奨している人間というものは、算数も出来ないのかと。

こういう状態が世の中である。どう思うかは自由であるが、そっちの習慣を押し付けるのはご勘弁願う。

では、続きはまた後日。