ちょっと早いような、本来がこれくらいのような気がしないでもないが、十三杯目のこぼれ話を少し。
今回の内容は、いつも以上に妙な方面の話だった。いわゆるスピリチュアルという内容だろうか。
多分、収録前にばあさんが死んでなかったら触れる機会がなかったと思う。
その上、狙ったようにでそんな話を聞いてくるわけである。(余りに必死なので、おかしくなって笑ったら消えたという幽霊の話)
中身については、特に追加することもないかと思う。細かいところやら言い足りないようなところはあろうが、大意は変わらない。
昔なら、こういう話はこういう話で別物だ、と感じるところだったが、何か繋がるところがあると思う。
何がどう繋がっているかは、ラヂヲの内容だけでは判らないかもしれないが、何か考え、感じる材料になればと考えている。
さて、十三杯目の最後。久しぶりのような気もするCMの時間。
「ちょっと一服」と銘打っておきながら、今回はまったく一服していなかったのは気のせいではない。
今回、初めて原稿が用意されたのである。
よしやってみよう、と意気込んでやってみたはいいものの、これが難しい。
なんというか、台本どおり読んだだけになったわけである。
かつて、ゲームの実況プレイ動画というものをやっていたとき、あるゲームで「ただこのまま普通に始って終わってもつまらんな」などと考えて、次回予告を吹き込んでいたことがあった。
別に書くのが上手いわけではないが、昔のあるロボットアニメ風の次回予告の口上を書き、それを吹き込むという、一体どこに熱意をこめているのか判らない状態だった。
なにしろ、ゲームやるより(ゲームのプレイ自体は平凡である)頭を悩ませたものである。数十秒分を書いて吹き込んで三十分というところだったか。(ちなみに、ゲーム自体の撮影時間は平均一時間)
それ以来になる。自分で書いたのならまだしも、今回は人の手になるもの。読み込みが甘かったようである。ただ、こちらをイメージして書かれたものだったのは幸いであった。
その上歌つきという。その原稿を見て「カラオケやってみようか」などと血迷って、何やらCDを買ってしまったが、封印しておこうかと考えている。
指摘されたとおり、「自分の言葉になっていない」というのは感じていた。「演技臭いな」と。こちらも指摘にあった言葉だが「恥じらいが捨て切れていない」というわけである。
となると・・・やはりここは・・・。カラオケでもやって恥じらいをかなぐり捨てるべきなんだろうか?
しかし、それをラヂヲでやるのはちょっと考えにくい。一応インボーロンのラヂヲなのに、聞いてみたら中の人がカラオケをやっていた、だと、変な意味で受けてしまいそうである。
いや、CMでちょっと歌ったから、別に構わないか。えー、現時点では特に不評も好評もでておりません。
ところで、自分では音痴だと思っている。と、ここまで書いてちょっと思い出したので、少し。
小学生の頃、合唱団にいた。創価学会の地元の組織の運営になる、まあ、いってしまえば町内会の集まりみたいなものだと思えばいい。
男女混合の合唱なので、男子は声の低いものはメロディではなく、コーラスというのか、そっちの方に当てられ、歌っていた。
その影響なのだろう。中学になって「音楽やりたくない」と言っていたのに放り込まれる形になったこれまた同上の吹奏楽団。
愛唱歌なるものがあり、それの練習をさせられる。一人で歌って(暗誦できているかどうか等を指導するわけだ)言われたのが「はもりになっている」だった。音程が外れていると。
歌いたくもないのに歌わされ、挙句の果てにちゃんと歌えていないといわれる始末。強制されておどおどし、昔からの慣れた歌い方が自然と出た、というところだろうか。
まあ、元から歌がうまいと言われたことがあるわけではないので、そもそもが音痴に近かったのかもしれないが。
さらに年長じて、大学時代である。
何かでカラオケに行き、こらえて歌った。「わしは音痴だから歌いたくない」というと、当時の友人は「歌ってみたら大丈夫だから」とけしかける。
そこで、終わってから友人に尋ねると、こういう。
「別に音痴でもなく普通だが、上手いわけではない」とのことだった。
さて、ここで気になる一つのこと。
どこまでいっても、人に上手いか上手くないかを尋ねないと不安になる、という情けなさがある。その上、下手と言われると落ち込むわけである。それなら聞くなよと。
つまり、評価を気にしている。他人の目を気にしている。全く気にしないのは無体だが、一喜一憂するのは情けないことである。
これではまるで「犬」ではないか。嗚呼、情けなや情けなや。ワンワン吼えるんじゃなくて、ワンワン泣きそうだ。それもまた情けないかもしれないが、そうやって泣くのもまたよいだろう。
そういえば、そんな風なことが先日あったような・・・。いや、気のせいである。忘れてくれたまえ。そもそも具体的に書いてない。
やはりここはカラオケか、と思いそうになって・・・はいないのだが、どうやらこの「恥じらい」とやらが何かにつけ邪魔をするので、こいつをやっつけるのが課題なのだろうと感じる。
ラヂヲ内で歌うとしたら、酔っ払ってちょっと歌を挟むくらいだと思われる。じゃあ、ちょっと酔っ払って来るんで。では、また。
今回の内容は、いつも以上に妙な方面の話だった。いわゆるスピリチュアルという内容だろうか。
多分、収録前にばあさんが死んでなかったら触れる機会がなかったと思う。
その上、狙ったようにでそんな話を聞いてくるわけである。(余りに必死なので、おかしくなって笑ったら消えたという幽霊の話)
中身については、特に追加することもないかと思う。細かいところやら言い足りないようなところはあろうが、大意は変わらない。
昔なら、こういう話はこういう話で別物だ、と感じるところだったが、何か繋がるところがあると思う。
何がどう繋がっているかは、ラヂヲの内容だけでは判らないかもしれないが、何か考え、感じる材料になればと考えている。
さて、十三杯目の最後。久しぶりのような気もするCMの時間。
「ちょっと一服」と銘打っておきながら、今回はまったく一服していなかったのは気のせいではない。
今回、初めて原稿が用意されたのである。
よしやってみよう、と意気込んでやってみたはいいものの、これが難しい。
なんというか、台本どおり読んだだけになったわけである。
かつて、ゲームの実況プレイ動画というものをやっていたとき、あるゲームで「ただこのまま普通に始って終わってもつまらんな」などと考えて、次回予告を吹き込んでいたことがあった。
別に書くのが上手いわけではないが、昔のあるロボットアニメ風の次回予告の口上を書き、それを吹き込むという、一体どこに熱意をこめているのか判らない状態だった。
なにしろ、ゲームやるより(ゲームのプレイ自体は平凡である)頭を悩ませたものである。数十秒分を書いて吹き込んで三十分というところだったか。(ちなみに、ゲーム自体の撮影時間は平均一時間)
それ以来になる。自分で書いたのならまだしも、今回は人の手になるもの。読み込みが甘かったようである。ただ、こちらをイメージして書かれたものだったのは幸いであった。
その上歌つきという。その原稿を見て「カラオケやってみようか」などと血迷って、何やらCDを買ってしまったが、封印しておこうかと考えている。
指摘されたとおり、「自分の言葉になっていない」というのは感じていた。「演技臭いな」と。こちらも指摘にあった言葉だが「恥じらいが捨て切れていない」というわけである。
となると・・・やはりここは・・・。カラオケでもやって恥じらいをかなぐり捨てるべきなんだろうか?
しかし、それをラヂヲでやるのはちょっと考えにくい。一応インボーロンのラヂヲなのに、聞いてみたら中の人がカラオケをやっていた、だと、変な意味で受けてしまいそうである。
いや、CMでちょっと歌ったから、別に構わないか。えー、現時点では特に不評も好評もでておりません。
ところで、自分では音痴だと思っている。と、ここまで書いてちょっと思い出したので、少し。
小学生の頃、合唱団にいた。創価学会の地元の組織の運営になる、まあ、いってしまえば町内会の集まりみたいなものだと思えばいい。
男女混合の合唱なので、男子は声の低いものはメロディではなく、コーラスというのか、そっちの方に当てられ、歌っていた。
その影響なのだろう。中学になって「音楽やりたくない」と言っていたのに放り込まれる形になったこれまた同上の吹奏楽団。
愛唱歌なるものがあり、それの練習をさせられる。一人で歌って(暗誦できているかどうか等を指導するわけだ)言われたのが「はもりになっている」だった。音程が外れていると。
歌いたくもないのに歌わされ、挙句の果てにちゃんと歌えていないといわれる始末。強制されておどおどし、昔からの慣れた歌い方が自然と出た、というところだろうか。
まあ、元から歌がうまいと言われたことがあるわけではないので、そもそもが音痴に近かったのかもしれないが。
さらに年長じて、大学時代である。
何かでカラオケに行き、こらえて歌った。「わしは音痴だから歌いたくない」というと、当時の友人は「歌ってみたら大丈夫だから」とけしかける。
そこで、終わってから友人に尋ねると、こういう。
「別に音痴でもなく普通だが、上手いわけではない」とのことだった。
さて、ここで気になる一つのこと。
どこまでいっても、人に上手いか上手くないかを尋ねないと不安になる、という情けなさがある。その上、下手と言われると落ち込むわけである。それなら聞くなよと。
つまり、評価を気にしている。他人の目を気にしている。全く気にしないのは無体だが、一喜一憂するのは情けないことである。
これではまるで「犬」ではないか。嗚呼、情けなや情けなや。ワンワン吼えるんじゃなくて、ワンワン泣きそうだ。それもまた情けないかもしれないが、そうやって泣くのもまたよいだろう。
そういえば、そんな風なことが先日あったような・・・。いや、気のせいである。忘れてくれたまえ。そもそも具体的に書いてない。
やはりここはカラオケか、と思いそうになって・・・はいないのだが、どうやらこの「恥じらい」とやらが何かにつけ邪魔をするので、こいつをやっつけるのが課題なのだろうと感じる。
ラヂヲ内で歌うとしたら、酔っ払ってちょっと歌を挟むくらいだと思われる。じゃあ、ちょっと酔っ払って来るんで。では、また。