コロナ、とだけ書くのはおかしいので武漢から発生した例のウイルスの影響で、非常事態宣言が発令されたころというべきだろうか。コロナという言葉の本義については、個々人でお調べいただく。
「サンミツがどうこう」と、池の百合というより沼の徒花の都知事やらが言っているという。
拙はサンミツと聞いて首を傾げた。
「何故仏教修行の話をしているのか?」と。
サンでミツなら、三で三つ。幼子の言い方をまねして「僕みっちゅ!」とか言いたいところだが、これは新たな風評被害かとも指摘できなくもない。先に言い出したのが総理だったとしたら、こちらもデマを流していることになるので、先に謝っておく。ソーリー。
色々と怪しげな人物であるので、その言葉が何をさしているのかご存じでないか、穿った物言いをすれば、敢えてこういう表現をして日本を貶めているとも考えられる。
三密加持で検索をすれば、Wikipediaにも乗っているぐらいの言葉で、政府やらの言い方と反対の意味になる。
とはいえ、あっちは3密。こちらは三密であるので、似て非なるものではあるが、発音するのが言葉の本来の姿。混同させているとしか言えない。
三密の方の話に戻るが、これらは3密と同じく、みっちゅ、ではなく三つに分類される事柄をまとめたものである。
それぞれ身密(しんみつ)、口密(こうみつ)、意密(いみつ)となる。三つの密で三密である。
大雑把に言うと、立ち居振る舞い(身密)に言葉遣い(口密)、感情や精神の状態(意密)の三つを正しなさい(加持)というスローガンである。
サンミツから離れなさい、というと、伝統的にはこの逆をやれとそそのかしていることになる。確かに、今は乱痴気騒ぎである。
とはいえ、ある意味は正しいのかもしれない。前回に「毒力」なんぞと書いたのもあって、以前から触れようと思っていたこの件を改めて思い出せたわけでもある。
その人の本来を捻じ曲げさせるのが現代社会である。それは度々指摘されているが、「でもそれじゃ世の中が回らない」とすぐ行き止まりの思考回路になるのもセットである。
満員電車は都心部だけの話ではあるが、日本の人口の大半が集中しているともいえるので、やはり現代日本の多くの人が関わっていることと前提して書くが、やりたくてやっているわけじゃないと、よく聞くだろうし、思っている人もいるだろう。
そしてあなたはそう思っても、すぐに行き止まりの思考回路に足を踏み入れる。
三密を思い出してもらいたい。決して3密ではない。
嫌々満員電車に揺られて仕事に行っているその状態は、決して三密加持ではないだろうと。言わば逆三密加持である。3密ではなく三密から離れていたのである。
さて。武漢のウイルスで色々と生活が変わった人が多いであろう。収入が激減して困っている人が多かろうが、それは措くとして。
テレワークの推進だとかなんとかで、やってみたらこれで済むものも多くあった、などという。名前を思い出せないが、日本有数の会社の役員までもが、「今までなんだったんだ?」と思い至ったという。年に何十日も出張するようなのはおかしかったのだと。
逆三密状態が続いてきて、これの正邪はともかくとして当然だった時には思い至らなかった。
今回、武漢のウイルスは毒をばらまいたわけだが、その毒の力のおかげで、独力では至らなかったことに気付くきっかけになった人もいるだろう。
独力の努力ではどうしようもない時は「毒力」に頼むのもよかろう、と前回書いたが、書いている途中では「どくりょく」のダジャレのつもりではあった。前回同様、「どりょく」と読んでもらうことにする。
逆三密加持の努力ではどうしようもなかったので、今回は天の采配とかいうと怒られそうだが、武漢のウイルスの「毒力」がきっかけとなって、「(逆)サンミツから離れなさい」という言葉が飛び出したのかもしれない。
「コロナのおかげでよくなっただと!?」と怒る方もおられるかもしれない。海外ではまるで中世のペストのように猛威を振るっているし、そんな話を煽るかのように今日の罹患者は何人だの先日より増えただのとやっている。
マスコミは恐怖を煽るのが、これまた好きでやっているのかは拙には分からないが、仕事である。これもまた、逆三密加持の故かもしれぬので、気にしないのがよろしい。
身近に罹患して亡くなったという人もいるかもしれないし、その場合はわかるとして、例えば「海外で一杯亡くなっているぞ!」という風に言い出している場合。この件については、以前申し述べておいた。
拙の母方の祖父は、晩年自殺した。日本の年間自殺者数は三万人を超えているという。小泉政権時代ですでに言われていたという。まあ、本当に自殺かは怪しいのもあるが面倒なので自殺!と片づけているという指摘もあるので、正確ではないとしてもだ。
拙はしばらく、「何故自殺したのだろうか?」と考えたものである。親は「考えると引きずられるぞ」という風に言って、考えないようにしろと諭してきたものである。
何が言いたいのかというと、「普段気にもしたことないことを煽られたままに振舞うのは三密加持ではない」ということである。
逆三密加持の時代は少しは緩和されたのかもしれないが、長年の習性は一朝一夕では変わりがたい。とはいえ、千里の道も一歩よりという。何故か予測変換ではこう出た。
三密は加持して逆の三密、丁度いいので3密からは離れるべきであろうと。3密と見たり聞いたりしたら「逆の三密だな」と考えて頂ければ幸甚である。
では、よき終末を。
「サンミツがどうこう」と、池の百合というより沼の徒花の都知事やらが言っているという。
拙はサンミツと聞いて首を傾げた。
「何故仏教修行の話をしているのか?」と。
サンでミツなら、三で三つ。幼子の言い方をまねして「僕みっちゅ!」とか言いたいところだが、これは新たな風評被害かとも指摘できなくもない。先に言い出したのが総理だったとしたら、こちらもデマを流していることになるので、先に謝っておく。ソーリー。
色々と怪しげな人物であるので、その言葉が何をさしているのかご存じでないか、穿った物言いをすれば、敢えてこういう表現をして日本を貶めているとも考えられる。
三密加持で検索をすれば、Wikipediaにも乗っているぐらいの言葉で、政府やらの言い方と反対の意味になる。
とはいえ、あっちは3密。こちらは三密であるので、似て非なるものではあるが、発音するのが言葉の本来の姿。混同させているとしか言えない。
三密の方の話に戻るが、これらは3密と同じく、みっちゅ、ではなく三つに分類される事柄をまとめたものである。
それぞれ身密(しんみつ)、口密(こうみつ)、意密(いみつ)となる。三つの密で三密である。
大雑把に言うと、立ち居振る舞い(身密)に言葉遣い(口密)、感情や精神の状態(意密)の三つを正しなさい(加持)というスローガンである。
サンミツから離れなさい、というと、伝統的にはこの逆をやれとそそのかしていることになる。確かに、今は乱痴気騒ぎである。
とはいえ、ある意味は正しいのかもしれない。前回に「毒力」なんぞと書いたのもあって、以前から触れようと思っていたこの件を改めて思い出せたわけでもある。
その人の本来を捻じ曲げさせるのが現代社会である。それは度々指摘されているが、「でもそれじゃ世の中が回らない」とすぐ行き止まりの思考回路になるのもセットである。
満員電車は都心部だけの話ではあるが、日本の人口の大半が集中しているともいえるので、やはり現代日本の多くの人が関わっていることと前提して書くが、やりたくてやっているわけじゃないと、よく聞くだろうし、思っている人もいるだろう。
そしてあなたはそう思っても、すぐに行き止まりの思考回路に足を踏み入れる。
三密を思い出してもらいたい。決して3密ではない。
嫌々満員電車に揺られて仕事に行っているその状態は、決して三密加持ではないだろうと。言わば逆三密加持である。3密ではなく三密から離れていたのである。
さて。武漢のウイルスで色々と生活が変わった人が多いであろう。収入が激減して困っている人が多かろうが、それは措くとして。
テレワークの推進だとかなんとかで、やってみたらこれで済むものも多くあった、などという。名前を思い出せないが、日本有数の会社の役員までもが、「今までなんだったんだ?」と思い至ったという。年に何十日も出張するようなのはおかしかったのだと。
逆三密状態が続いてきて、これの正邪はともかくとして当然だった時には思い至らなかった。
今回、武漢のウイルスは毒をばらまいたわけだが、その毒の力のおかげで、独力では至らなかったことに気付くきっかけになった人もいるだろう。
独力の努力ではどうしようもない時は「毒力」に頼むのもよかろう、と前回書いたが、書いている途中では「どくりょく」のダジャレのつもりではあった。前回同様、「どりょく」と読んでもらうことにする。
逆三密加持の努力ではどうしようもなかったので、今回は天の采配とかいうと怒られそうだが、武漢のウイルスの「毒力」がきっかけとなって、「(逆)サンミツから離れなさい」という言葉が飛び出したのかもしれない。
「コロナのおかげでよくなっただと!?」と怒る方もおられるかもしれない。海外ではまるで中世のペストのように猛威を振るっているし、そんな話を煽るかのように今日の罹患者は何人だの先日より増えただのとやっている。
マスコミは恐怖を煽るのが、これまた好きでやっているのかは拙には分からないが、仕事である。これもまた、逆三密加持の故かもしれぬので、気にしないのがよろしい。
身近に罹患して亡くなったという人もいるかもしれないし、その場合はわかるとして、例えば「海外で一杯亡くなっているぞ!」という風に言い出している場合。この件については、以前申し述べておいた。
拙の母方の祖父は、晩年自殺した。日本の年間自殺者数は三万人を超えているという。小泉政権時代ですでに言われていたという。まあ、本当に自殺かは怪しいのもあるが面倒なので自殺!と片づけているという指摘もあるので、正確ではないとしてもだ。
拙はしばらく、「何故自殺したのだろうか?」と考えたものである。親は「考えると引きずられるぞ」という風に言って、考えないようにしろと諭してきたものである。
何が言いたいのかというと、「普段気にもしたことないことを煽られたままに振舞うのは三密加持ではない」ということである。
逆三密加持の時代は少しは緩和されたのかもしれないが、長年の習性は一朝一夕では変わりがたい。とはいえ、千里の道も一歩よりという。何故か予測変換ではこう出た。
三密は加持して逆の三密、丁度いいので3密からは離れるべきであろうと。3密と見たり聞いたりしたら「逆の三密だな」と考えて頂ければ幸甚である。
では、よき終末を。