ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

ドラマのようなセリフを

2019-01-25 | 雑記
しばらく更新が滞っていたが、拙は問題なく生きている。

これが彼の最期の言葉だった…。というのはよしておく。


恐らく、書いていなかったと思うが、書いたかどうかすら忘れているので、ともかく、綴っておくことにする。


十一月の半ば頃。自宅は二階に位置しており、その上の方(真上ではない)の給水管が壊れ、自宅の押し入れが浸水してしまい、古着屋で買った着物の大半やら、壊れかけたPCとモニター、そして寒くなってきたというのに冬用の掛け布団などなどがダメになるという事件があった。

入居の際に加入している保険で、予想外の収入を得ることになり、服を買ったりしていたものである。しかし、新しい革靴は靴擦れが酷い。飲んで帰るとなんともなかったりする。

それと、かなり冗談染みた話を人にしていたものだが、この事件のしばらく前から、「そろそろ引っ越ししたいものだ」などと思っていたら、階上の件の部屋の人は、隣の空き部屋に引っ越したそうな。

話はそれだけでは済まなかった。


年明けてすぐ。まだお正月気分が続いていないこともないぐらいの日だった。

弟から電話がかかってくる。何事か?と思い、出ると、こう切り出してきた。

「年末からやっていた就職活動が成功したので、そっちに行く予定だ。一緒に部屋借りて住まないか?」と。

押し入れもいずれ修理しなくてはならない。その場合、何某かの形で部屋を出ることになるのだろうと思われる。そうなるかは判らないが、階上の隣人のようにされるかもしれない。

ならば、いっそのこと引っ越しするのもよかろうと思い、二つ返事で快諾した。弟は少し驚いたような様子を見せ、いや聞こえさせていた。


さて、数日前である。

弟に、新居の契約についての話を電話すると(その前の日に、書類取って来たか?とメールがあった)、ひどく辛そうな声をしている。

これは何かあったなと思いつつも、詳細を尋ねると、不動産会社から、契約の内容を変えてほしいということを言われたという。

拙を保証人にし、弟名義での契約にしてもらいたい、というのだそうな。

そのことを実家の両親(弟は数年前から実家に戻っている。この件は書いたと思われる)に話すと「兄貴に迷惑をかけるんじゃない」と、叱られたのかまでは判らないが、そういう内容のことを言われたという。

契約に内定通知が必要とのことで、それは届いたらしいが、どうもこちらに来てその仕事だけでやっていけるかどうか危ういところらしく、ダブルワークでもせねばならぬだろうという。

普通に働いて飯食うだけなら、何が問題だろうか?と、一瞬思ったのだが、その後続けて「養育費」と言っていた。

この話は昔書いたが、鬱病が原因で、離婚している。娘の養育費を払わねばならぬというわけである。

弟の不安はさらにあって、仕事に必要な勉強を、専門学校のようなところに金を払ってしていたのだが、ここが詐欺まがいだったらしく、炎上中だとか。

消費者センターに相談しようかと思っている、などと言っていた。

「どうしたらいいかもう判らん。今はひどく憂鬱な気分だ」と、泣きそうな声で言っている。

拙はその時、洗濯していて、終われば昨日のメールで聞かれていた書類を取りに出かけるつもりだった。

窓から見える空は、とても青かった。そして、その後すぐに弟に聞いた。

「そっちの天気はいいか?」と。

「ん?天気いいよ?」と、弟は答えた。

「なら、散歩行ってこい。憂鬱だからとこもっていても仕方ない。前に教えた、家の近くの神社までだ」

と伝え、弟は「わかった」と言い、電話を切った。


洗濯機はまだ回り続けている。もう一つ洗濯する予定だったので、それを回し始めてから、ふと思い出した。

拙は別に心理学を習ったことはないが、長年の弟の言動を鑑みるに、いわば状況に流されているだけなのだと理解している。

この電話とは別の機会で、物件探しで会った時だったか、「人間は生きてりゃなんとかなる」と言うと、案の定、こう返してきた。

「生きててもなんともならんこともあるよ。嫁と娘に会えんし」という。

内容はというと、去年の就職活動でこちらの出向いたときに、元嫁に連絡すると、途中から連絡が途絶えたという。

「わしなんか、会いとうても会う相手がおらんぞ!」というと、「おらんのやから、会いたいとかないやんか」と答える。

これは言い過ぎたか?とも思ったので、そこで話は打ち切った。


ただ、先ほど仕事の合間に、こういう話をちょくちょくしている人に今のやり取りを伝え「鬱的な人に言うには過ぎた冗談かも」というと、「弟さんも、そこでそういう視点もあることに気づけないと」ということを語っていた。


そして、散歩に出るべし、と伝えた後、電話をかけなおした。正午だったので、恐らく食事中だったのだろう、出なかったが、少しするとかけ返してきた。

「どうしたんや?」というので、拙はこう言っておいた。

「わしはお前に金やったりできんから、せめてエールのようなものを送ってやろうと思ってな」と。

で、そこから少々長い話をしておいた。

いきなりステーキ、じゃなくて、いきなり「どうして人間は何もない大昔から生き続けてこられたと思う?」と問うと、少し考えた素振りを見せた後、「判らん」という。

「何もないってのが半分答えみたいなもんだ」と続ける。これで判る人はよっぽどか、拙が見聞きしていることと同等のことを知っているだろう。

「人間は、何もないところでも希望をもってして現実を作り替えてきたからだ」と。そして続けた。

「現実がお前を作るんじゃない。お前が現実を作るんだ」と。

「散歩に行ってこいといった神社で、お前が楽しいとか気分がいいとか思える状況を思い浮かべて来るんだ」と伝えると、弟は、「これから行くつもりだった」と言っていた。

「現実問題として対処せにゃならんこともあるが、ともかく、その時ばかりは頭の隅においやるんだぞ」と伝え、電話を切った。

自分で言っておいて、「まるで漫画みたいなセリフだな」とつぶやいたものである。

遅くなったが、書類を取りに行き、遅くなった昼飯をと思い、先日連絡のあった、馴染みのネパール料理屋に赴く。忘れ物があると言っていたのだが、自分のものではないと伝えてあったので、お互いの最終確認を兼ねてである。

ランチタイムは過ぎていたのだが、店に入れてもらえたので、しばらく飲みながら、上記の弟の話をしていた。

で、件のセリフの話をしたら、「なんかカッコいいこと言いましたねぇ」と、女性スタッフが感心していたようだった。

「自分でも、漫画みたいだなと思いましたよ」と、笑っておいた。


劣悪な現実が、劣悪な心身を常に生むのなら、この世は既に無い。

所謂素晴らしい環境が素晴らしい心身を育むのかというと、そうだと言えるが、それを素晴らしいと思わないのであれば、それは劣悪な現実と化す。


現実があなたを作り上げたのではない。あなたがその現実を作り上げてしまったが故なのである。


弟の問題は、金がないだとか鬱病だったかだとかいうことではなく、こういうことだったのである。

それを考える契機となり気づくことが出来れば、よりよく生きていけるはずだと、拙は確信している。


では、よき終末を。