ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

脳裏を過ぎる目玉の話

2021-01-30 | 雑記
昨日は昼の帰り道に突風が吹いて、日差しは強かったのに酷く寒く感じた。

夜勤明けで元気な時はちょっと歩き回ろうか、などと考えるのだが、中止することに。

年始に一、二度顔を出したきりになっていた、馴染みのネパール料理屋で飲もうかと思ったが、シャッターは開いているのに人がいない。何やら片付けもしていないような具合なので、ラーメンを食べて帰るという状態であった。

茶を飲み風呂に入り、少々一人用のゲームやったりしてそれから眠り続けて早朝にこれを書き始めたと相成る。

廃墟にしか見えない団地に住む蛮族のような人々と戦う羽目になるとかいう、奇妙な夢を見たりしていたものである。


さて前回。興味関心が別の方に向いたのでゲームをする気がなくなってしまったと書いた。

所謂陰謀論、と書いたが、具体的に書くと、アメリカの大統領選挙関連を見て回っていたのである。

もうバイデンが大統領でしょ?というのがメインメディアの流しているところではあろうが、その具合もなんだか奇妙だと感じている人もいるかもしれない。

一月二十日の就任式の日の午後十二時過ぎに、CCB、じゃなくてCCP(中国共産党の略称)が、何故かアメリカの前政権の国務長官等に制裁を科したことを発表しただとか、これだけでも奇妙である。それらの人物は中国に関係を持たず、資産すら置いてないのにである。
上記の時刻までは、アメリカの大統領はドナルド・トランプ氏であったのだから、行うならそれ以前が普通であるのにだ。

そのMr.トランプはというと、「前大統領府」というオフィスを開いて、公式事業を行うと発表したという。これまた前代未聞のことであるという。

また、アメリカでは、ワシントンを州にしようという話が持ち上がっているのだとか。この議題はアメリカの民主党が持ち出してきたという。ちなみにトランプ大統領は共和党で、バイデンは民主党。
色々と聞き及んでいたのでこの話も驚かなかったが、ワシントンは実は州ではないという。ワシントンD・Cと書かれているのをご存じだろうが、コロンビア特区という意味である。

ではあそこは何なのか?1871年だったか、それ以来、あそこは別の国なのだとか。分かり易い例で言うとバチカンである。バチカンと見るとつい「バカチン」に読みそうになる。

今までアメリカの大統領はワシントンはホワイトハウスに居を構えて政治を執り行ってきたはずなのに、こういう動きが出てきている。掻い摘んで動きを書いたが、奇妙だと感じられただろうか?他にもあるが、割愛する。

ともかく。こういう奇妙な話を散々見ていると、映画より映画過ぎて、酒吞みながら見つつゲラゲラ笑ったり嫌な気分になったり(恐ろし気な話も盛沢山である)と、予想の付かない状態で困るぐらいとなり、寝るちょっと前に料理の動画やらアニメを見るぐらいか、昨日のように疲れて寝まくるといった具合となっている。単純に寒い時は冬眠っぽくなる癖もある。

余談だが、以前までやりまくっていたオンラインゲームのメインの自キャラの恰好の元ネタ(それ風なだけだが)が、冬眠(冬限定かはしらんが)するとか言われているので、春に戻って「冬眠してた」とか言おうかと考えているが、通じるかはわからない。ネタのためにプレイ時間を犠牲にする上に通じるかわからないレベルというのは気合の入れ過ぎである。


界隈の盛り上がりにほだされて、拙もツイッターを始めて何やら呟こうかと一瞬考えたが、辞めた。

過去の例が脳裏に過ぎったからである。詳細は過去に散々書いたが、所謂陰謀論界隈は関わらない方がよいだろうと考えたものである。

その辺りは嫌な目にあった人間なら誰しも考えるところである。

少々、関わった人物の言動の経緯を書き記しておくのも無駄ではないだろうとして、記しておく。

大まかにいえば、世の中は闇の組織に支配されていて、我々が普段当たり前に行っていることの悉くが毒されていて、それに気付かない。このままいけば人口が思い切り減らされて思考も奪われ、奴隷の如く生きることになる、というのが陰謀論と言われているものの主張である。

これは間違いではない。何故なら、数多ある証拠を同じように検証したからといって、同じ結論を出せるわけではないからである。それならば、結論から証拠を遡って説明しても理解しない人はいるのは当然だろう。
とある学者だったか、そういう証拠を積み重ねる思考にも閃きだかがいるものだと、先日見たものである。

件の人物はというと、理解しない奴ら(日本人)は馬鹿だ。馬鹿だから死のうが知ったこっちゃない。と言い出した。言い出した、というより表立って見せていたHPや掲示板とは別にあった、拙やその他のメンバーとやり取りしていた裏掲示板で言っていた。関わった時から言っていたかは流石に思い出せないが。

そして、拙がその人物が書いた脚本による、ニコニコ動画で配信していたラジオの再生数がある程度行かないなら、もうここは閉める!と表のHPで書いて実際に閉めた。

所謂陰謀論界隈には、自然天然の食べ物がどうたらというのがよく目に付くと思われる。実際にこれも根拠のあることで、極端ともとれる人はヴィーガンを主張する。

その人物も同じく、そういう健康志向的な話も並行して主張していた。陰謀論とは関係ないレベルでも言われるような、地球のためにだとか、ああいうのと同じだと思ってくれればいいだろう。

関係ないレベル、とは書いたものの、実際は関係があったりするのだが、話が込み入るので詳しくは触れない。

件の人物は、「人は自然に帰って果物と葉野菜で生きるのが正しい」と主張しだした。HPを閉める理由の一つでもあった。専念するからと。

その人物がそう主張する原因となった、アメリカのスポーツドクターの本があった。翻訳家でもあるその人物が出版する予定もあったのだが、版権料で揉めて流れた。

さて。果物と葉野菜とあって少量のナッツ類で指導するスポーツドクターの著書にあった話として読みもし、彼らも主張していたとある言葉がある。
それは、「人が肉を食べて美味いと思うのは習慣に過ぎない」というものである。

果物が美味いと思うのも、太古の昔からの習慣ではあろうが、それはおく。

そうしてHPを閉めた後、購入していた農地で自然農業的なことを行いながら生活を始めたそうだが、同じドメインでリニューアルして再開していた。

一年か二年したぐらいか。たまたま知人から話を聞いて見に行ったら、何とインスタみたいな具合で更新しているHPにステーキ焼いて食べてるだとか書いていた。

飽きれたものだと思ったが、ドメインの契約が切れ、そのHPは完全に消えた後、別のHPが立ち上がっていた。

その新HPに堂々と書いていた。どうして肉食べるのか?という質問に対しての答えが以下である。

「体が喜ぶから」

一つ擁護ではないが、彼らが焼いて食べているステーキの牛は、グラスフェドという、牧草だけで育てられた物だという。友人にこの話をしたら、「丸ノ内のOLか!」と笑える突っ込みをしていた。

以前、フルータリアンになるために生きてきたのだ、などと主張していたのは何だったのか。そう思わざるを得ないが、別に彼らをコケにしたくて書いてきたわけではない。


件の人物は所謂スピリチュアル的な話もHPで書いてきたものだが、どこまでいっても現代社会の大きな弊害である、唯物的な思考から離れていなかった。だからダイエットジプシーを繰り返していたのである。陰謀論もその一環でしかなかった。ずっと昔にラジオで、「彼らの言動に霊的というと妙だが、そういうものが感じられない」と非難したものである。

金融を支配するロスなんとかやら闇貴族やら、それらを支配する目に見えない存在(レプティリアンだとか宇宙人だとか)が消えてなくなれば、人は自由になるのだろうか?無論、自由な環境が与えられる可能性はある。

しかし、少なくともロスなんとかがいないであろう、釈迦の時代から、それよりも昔から、人は不自由だった。宇宙人やらはずっと昔からいるというが。

それは人の心が、魂が不自由だったからである。

何故不自由だったのか?己自身以外のものに依存しているからである。つまりは振り回されているのだと。

所謂カルト教団だとかでなくても、こういう言葉は聞くだろう。

「こうしないと大変なことになるぞ」とか「こうすれば幸せになるよ」と。

これらは常に片方だけではなく、お互いを補完している。


何かがあるから何かがないから良いだの悪いだのというのならば、生まれたばかりの赤ん坊は不幸となる。乳を飲み、すやすやと眠る赤ん坊を不幸だと言うのはこの世に生まれ落ちた事自体を不幸だという言い草以外ではあり得ない。

人の本質は、地球環境に沿った健康的な生活をやっているからだとか、世の中の不正に気付いて糾弾するとかいうところにはない。

それらは肉体を維持する生活上での必要なのであって、人のすべてではないのである。

野口晴哉がこういうことを言っていた。

「目玉を捨てろ。意識から離れろ。その先に命の本質がある」と。

目玉から入るものが全てと思い、仮初の意識を己自身だと思い込むのが現代社会なのだから、命の本質から常々遠ざかるのは自明の理といえる。


現世の混迷は、人が以前の状態を続けようとするならば、長引くだろう。

ただ、一昔前よりは変わったかもしれないとは感じている所である。


では、よき終末を。


月と尽きせぬホラ話

2021-01-26 | 雑記
年末から、それまでずっとやっていたオンラインゲームをピタリと辞めてしまった。

いきなりいなくなると不審がられるというか心配されるだろうかと思い、一、二度ほど顔を出したが、メインの方はご無沙汰となっている。何人かは顔を出した方とメインでも共通の人はいるので、問題はなかろう。

理由はとても簡単だった。家でのんびりしたいのに、あくせくゲームするのは勘弁願う所存である。別に忙しく仕事をしているような身分ではないので、さらに思い切りのんびり過ごそうと思ったというところである。

とはいいつつ、とあるアクションゲーム(オンラインのプレイではない)の追加キャラを買ってここ一週間はそれをしていたが、それぐらいである。後は料理の動画を見ていた。

酒呑みながらゲームをやっていた奴がゲームを辞めて何をしているのかというと、勿論酒を吞んで・・・というのは本当だが、別の方に興味が湧いてしまったからである。

昔、ゲームを辞める!と宣言して辞めた時と状況が似ているが、あの時は理屈で辞めていたので、今は自然に離れた気はする。とはいうものの、春に大型アップデートがあるので覗きに行くかもしれないが、どちらにしても今は気が進まない。

かつて、どのような理屈で辞めたのかというと、人によって受け取り方がまるっきり違う一言で示せる。何度もここで書いてきた所謂「陰謀論」という奴である。

こう書くと、まるでテレビゲームが洗脳システムでプレイしていると頭がおかしくなるのだ!と言っているようにも聞こえる。まったく外れでもないが、その程度の話ではない。

洗脳システムというのならば、そもそも現代社会の成り立ちがすでにそうである。

だから、ゲームで洗脳とかいう甘っちょろい話ではない。ゲームについて強いて言うならば、「洗脳の強化及び補助」が関の山である。

そんな風に考えるものだから、少し他人と距離を置こうと考えたのである。オンラインといえど、肉親より毎日のように話をしてきた人もいる(一人暮らしが長いのもある)が、肉親も知り合いも、どちらも他人である。


十年一昔とはいう。拙が深く関わっていたころとは随分風向きが変わった気がする。

そして、当時と比べれば情報の伝達速度が格段に上がった。ツイッターは十二年ほど前からあったが、スマートフォンの普及と性能の進歩により、拙の若かりし頃、というほどでもないが、その時と比べれば情報の深化と共有の広まり方は目を見張るような具合である。

無論、流言飛語の類はどこにでもある。カタカナで書くとデマ。

しかし、普段の我々の生活上の約束事を成り立たせている常識、つまり「情報」がデマで出来ているとしたら?嘘偽りとまでは行かなかったとしても、統制されているとしたら?嘘偽りかそれに近いものを真実として思い込むのを何というのか?人それを迷信と言う。

かつて「陰謀論」として統制されていた情報群に、細菌、ではなく最近触れる人が増えてきた。

しつこく書くが、「陰謀論」という名目自体は隠したい真相から大衆の目を逸らすためにアメリカの某諜報機関が開発し流布した言葉及び手管である。

きっかけは去年から続く、風邪の話である。厚生労働省のHPにも「風邪の一種」と書かれているのに、エボラのような扱いを受けているアレである。その割には、危険極まりないはずなのに気軽に郵送して検査出来るとか、冗談にしか思えない。エボラというよりホラである。

一年かかって日本人を五千人も殺したという、とんでもない奴だが、去年の自殺者数は二倍になったという。確か、小泉政権時代で年間の自殺者として数えられた(わざとらしい言い回しである)のは三万人だったか。それが倍なら六万人となろうか。二倍なら九万人か。

あのホラウイルスは実に恐ろしい奴である。さして手を下さずに我が国をこれほど痛めつけようとは。

そうしてお店は空き家になっていって、代わりに入るのは中華料理店やら外国語ばかり目立つようになっていくという有様は、実に恐怖であろう。

げに恐ろしきホラウイルス!というわけで、ホラ話を続ける。


以前に、パスツールが死の間際に自説の誤りを認めたという話を書いた。

あのホラウイルスはというと、感染症の原因として認められるにはとある四原則を満たさなければならないのだが、どれも満たしていないのだという。コッホの四原則である。
無症状が無症状をうつすだのという話があったが、海外の研究で「感染をまったく認められなかった」という報告が出ていたとも聞く。無症状と言うより無脳症かもしれぬ。

ホラのウイルスはそんな具合なのに、危険だ危険だ日本の街をスマートにしチャイナ!と政治屋が何かやっているのを騒ぎすぎてバレて来ているというわけだが、もう少し踏み込んでみよう。

PCR検査の元を作ったキャリー・マリス博士は生前、インタビューか何かでPCR検査は病気の診断に使えるものではない、としゃべっていたというのはご存知の方もいるかもしれない。

彼は他にも色々と医療業界に煙たがられる発言をしている。HIVはないだの、ワクチンもAIDSも医療業界の利権ででっち上げられたものだ、等々と。

AIDSの原因とされているHIVは、実は単独分離ができていないという医者の証言があるという。単独分離がされないと、感染症として立証できないのである。ちなみにマリス博士は医者ではなく、遺伝子工学だかの学者である。

真逆(まさか)のホラウイルスとは・・・。よもやホラ話の方が現実味を帯びて来ている!

さて。テレビや大手新聞などの主要メディアが騒ぐことは嘘であるという前提でいえば、AIDSも散々騒がれていたのだから、そうなるのは当然の帰結となる。判断は個々人に委ねるが、そういう前提ならばという論理の話である。


それと、これについては拙も詳しく見てはいないが、このような話を目にした。

それは「ウイルスが感染症を引き起こすことを確認されたことがない」というものである。

前にも、ウイルスと呼ばれているものは細胞が病的症状を起こした結果排出される、エクソソームであるという説を書いた。

同じものを見ても皆が同じように答えを出すとは限らない。というわけで、主流になっているウイルスが感染症の原因とする説について異議を唱える研究者も数多くいた。

するとどうだろうか。その説を唱えていた研究者が二百人ほどバタバタと亡くなってきたという。

どこかで見たような流れではなかろうか?見たことがないなら、色々お調べ頂ければと。検閲が激しいので辿り着けるかは保証の限りではないが。

ところで、身長180cmの男性が160cmのクローゼットで首つり自殺をすることについて、どう思われるか?
そういえば、前述のキャリー・マリス博士も、一昨年の八月ごろに、自宅で変死していたと聞く。
最近、日本のマスコミ、じゃなくて塵芥も「変死」と妙な言い草をしているようである。自殺についてかは不明である。


変死といえば、ホラウイルスにかかって自宅療養中に急死!というニュースが最近飛び交っている。

だからこれはホラじゃないんだぞ!怖いんだぞ!とやるわけだが、今までただの風邪と馬鹿にされがちのものでも死ぬ。その時はちっとも数えず脅しもしなかったと思うが、いかがだろうか?あのホラウイルスは違うんだ!というのなら、比較できるものを示して考えられるようにしないと、ただの扇動であり、実際扇動でしかない。センドウ多くして船、山に墜落す。

PCR検査で陽性になった女性が自殺したというニュースもあった。ある人は怖がってない、ある人は怖がる。まあ、どっちでもお好きなように、という世の中なら死ぬこともなかっただろう。「家族に迷惑がかかるから」と言っていたとか遺書にあっただとか聞く。恐怖に取り囲まれてどうしようもなくなったが故の不幸といえる。

それとホラウイルス療養中の急死についての、オカルト的見解を書こうと思う。話が行き当たりばったりで申し訳ないが、読み物だと思って頂く。


前に、「共感呪術」について書いた。まるでウイルス兵器は呪いの藁人形のようだと。

呪術だったか魔術だったかは実はあやふやだが、同じものだと思ってもらう。魔術だった気がしないでもない。

さて。それが書かれている『金枝篇』に収録されていた、アフリカだかの人の話がある。

所謂未開部族というのは、何となく想像できるように、現代人にしてみれば訳のわからない掟がある。
例えばある動物は狩らない。その動物は部族の先祖だから、といった禁忌の一つで、所収の話の人物の部族の禁忌には「バナナを食べてはいけない。食べたら死ぬ」というものがあった。
とあるパーティーでその人物に「先ほどあなたが食べた料理にバナナが入っていましたよ」と伝えると、その人物はたちどころに死んでしまった、と著者のフレイザーが受け取った手紙に書かれていたという。

生まれた時から「バナナを食べたら死ぬ」と微塵も疑わずに育てば、その精神力が心臓を止めることは可能なのである。精神力というより魔力である。実際は同じものであり、迷信で人は死に至ることもあり得るのである。

翻って、ホラウイルス療養中の急死。はたまた精神力で心臓を直接止めたわけではないが自殺。

どちらも共通の前提があるのはお分かりだろう。そもそも医者にかかってホラ宣告を受けている時点でそうなる。

「ホラウイルスは死ぬほど怖い」である。自殺してしまった女性の方は、本人が死ぬ以外のことを気にかけての事だが、主語は大事ではない。
話が逸れるが、人間の脳の言語機能として、主語は関係ないというのがある。

自宅療養中を想像してみよう。一人暮らしなら元々辛いかもしれないが、同居している家族がいたとしても、近寄ってはならぬ!となって、「普通の」風邪の時と比べても寂寥の思いが山積みになる上に、無意識化に植え付けられた上記の文言がさらに精神を蝕む。

これで死ぬなという方が無理である。バナナを食べて死んだとある未開部族民と何も違いはないのである。バナナで死ぬは迷信だが、現代社会もまた、迷信と呼ばれていないだけである。


氣の毒というが、まさに世の中全体へ氣の「毒」が蔓延している。呪いと言い換えてもいいだろう。

その毒は糖衣で包まれているが、それ故、一たび飲み込めば蝕まれていることを自覚しづらい。
さながら、遠い世界に連れていかれるような味わいなのだろう。恐らく月辺りか。はたまた月を撃つのかもしれない。

それらがホラウイルスだけではないことは、常々語ったり語らなかったりしてきたところである。


ところで先日、こういう話を聞いたものである。

「呪いを解くには?」という話で、ひどく簡単な話である。

「気づけばよい」とのこと。


かつて、アインシュタインとインドのヨギ(ヨガの行者)が対談をした。

ヨギはこう言ったという。「月は我々が見ていないと存在しないのです」と。

アインシュタインは猛反発し、対談は平行で終了となったが、結局現代ではアインシュタインらが始めた現代物理学の見解は、上記のヨギと同じになっているという。


ホラウイルスが本当に怖いのか、我がホラ話が単なるホラ話ではないかは、気づくかどうかではある。
それはつまり。あなたが見ないので我がホラ話は存在しないことになり、裏を返せば、ホラウイルスの恐怖を見れば恐怖のホラウイルスが存在することになる。
呪いの藁人形はコケにするが、恐怖のホラウイルスは信じるのが、現代社会の呪いである。


では、よき終末を。


イカとエビの舞い踊り

2021-01-09 | 雑記
昔々『侵略!イカ娘』という漫画があった。アニメにもなっている。

海から人の姿をしたイカが、海を汚す人類を滅ぼすのだぁ!と上陸したものの、上がった先の海の家を経営している家族に返り討ちにあい、居候することになるとかいうノリで始まるコメディである。
タイトル通り、海からの侵略者?は女の子である。
イカはエビが好物なのか、その主人公の女の子も時折「エビエビ♪」と歌っていた。

さぞかし作者はイカが好きなのだろうと思ったら、単行本の著者近影に「イカアレルギーです」とあった。

好きか嫌いかはともかく、体が受け付けないものを勉強して尚且つ作品にするというのは、どう評すればいいか言葉が見当たらなかった。


イカと言えば、南米のペルーだったかにイカという名前の町だか地域がある。

特産はイカでもなく、エビでもない。石である。

御影石だとか宝石というわけではなく、大小さまざまな石に絵が掘られているというのが、四、五十年ほど前に話題となった。

きっかけは、その近所に住む医師が往診に出向いた際に、おまけで貰った石ころであった。

何やら模様が刻まれているな、というぐらいで、受け取った当初は部屋に飾って忘れていたとかいう、よくある話であったのだが、ふと改めて見てみると、その異様さに気付いたという。

石に描かれていた絵は、あり得ないものを詳細に描き出していたというのである。

以来、その医師は件の石を自宅に収集するようになる。そして、このことを公表しようとすると、事件が起きた。医師が殺されたとか石が割られたというわけではない。

なんと。軍隊が出てきて緘口令を敷き、地元新聞には嘘を描かせて封印したというのである。

それに携わった軍の士官が医師の元を尋ねたか呼ばれたかで、混乱を招くのでこの件は上記の如く行ったと伝えられたのだとか。

ちなみに、当時の新聞には、石に絵を描いたという地元民のインタビューが掲載されたのだが、曰く、「新聞見て勉強して描いた」などと答えていたという。

上記の医師が言うには、専門的な生物学や医学の知識がないと描けるはずがないと突っ込んでいた。

その石には、例えば脳の外科手術と思われる絵や、恐竜と思しき生き物と人類が共に過ごしている絵など、既存の古代史をひっくり返すような内容であり、新聞を見たくらいでは描けるはずもないのである。

と、実は昔読んだ本にあった話で、実は途中で止めた。石の詳細だとかドキュメンタリーに興味が余り沸かなかったからである。

翻訳書籍なので、翻訳者がどう思っているのかが気になり、上記の話くらいまで読んで、後書きを読んで終わった。翻訳者はこう書いていた。

「翻訳作業中、ずっと頭痛がした」と。今までの常識が覆されて、日常が壊れたような気分になったからだ、という風に書いてあったと覚えている。進化論は嘘だったのか?という風な疑問を投げかけていたような気もするが、今は手元にないので確認できない。

その後書きの中で、気分転換に読んだという古代史についての本のおかげで、さらに頭痛が増したという。
申し訳ないが、その題名は忘れた。覚えていることは、その本のことを別の所で見たことがあるというのと、翻訳者の頭痛が増した理由ぐらいである。

古代史の本、と大雑把に言ったが、古代史学の腐敗を暴露した本である。

権威が真っ当な発見や見解を潰して既得権益を守ってきたという。現代の古代史の見解はそこから変わっていないのだとか。


古代史だとか歴史というのは、言ってしまえば、普段の生活に影響がないように見える。
見える、と書いたのは実際あるからだが、そこを深めると長くなりすぎるので割愛する。


権威が既得権益を守るために、正当性を欠く行為を繰り返している、というのは、以前にも書いたが、医学にも確実にある。
日本でがん治療に使われる抗がん剤は、WHOの発表によると使用禁止のものだという話を先日目にしたものである。

医学界ではタブーとなっている学説もある。「千島学説」でお調べ頂ければと思う。何故タブーなのかは言わずもがなである。


抗がん剤の話をしたので、ついでに。この話もずっと昔にしたものだが、白血病の治療についてである。
骨髄を移植するのが治療法だと、子供のころによくテレビで流されていたもので、覚えている。

では、骨髄が血を作るという説はどこから来たのか?

実をいうと、死体を解剖した際に骨髄の中に血があったから、という理屈なのだとか。
生きている状態で本当にそうなっているのかは確かめられていないのだが(上記「千島学説」の調査を願う)、西洋医学は死体を解剖するのが好きらしいので、通説となっている。


少し歴史の話に戻す。

ねずさん、というペンネームで本を書いたり講演をしている、小名木善行という方がいる。

ちなみに、善行はゼンコウと読む。HPはこちら


詳細は省くが、第二次世界大戦のあとの日本において、GHQの指令の元「公職追放」というのが行われた。

まともな教師や学者はそれでほとんどいなくなり、戦前にあった歴史研究の資料も失われ、二流三流の学者の論文などが論拠として権威を持つことになったのが、現代までの流れとなっていると指摘している。のさばったのは共産主義者やシンパの学者だとも指摘していた。当時のアメリカは、共産主義がどれくらい恐ろしいものかをよく知らなかったのも悪影響を及ぼしている。

詰まり。エビデンスを出せと言われて出せるのは、これはイカがなものかとされる状態なのである。
詳細を述べると、階級闘争史で彩られた共産主義者の見解が現代の権威でありさらに一般認識とされており、尚且つそれを覆す権威がない状態なのである。エビがいないとなるので、イカ様の勝ちと見なされる。


余談だが、エビデンス、と聞くとエビのデァンス(dance)としか思えなくて困っていたら、本当にエビが踊っているGIFアニメーションを描いた人がいた。



竜宮城ではタイやヒラメの舞い踊りだが、権威の旧套墨守で出来上がっている現代、というよりこの世という竜宮城は、イカとエビのダンス・マカブルという有様なのである。

このような状態でエビデンスが見たければ、漁港か魚河岸に行くしかなかろう。活きのいいエビデンスが見られるだろうが、それよりもイカ娘を探してエビを食わせる方が夢があろうなと思う次第である。

では、よき終末を。


感染症と呪いの藁人形

2021-01-05 | 雑記
大晦日から夜勤連続で、挙句の果てに一月三日は友人が餅を持ってくるというので雑煮(のようなもの)を作って出かけたりと、ちょっと忙しかった。忙しいというほどでもないが、飲み過ぎたので、昨日はゴロゴロし続けていた。

さて。先日、ブログを開いてみると、元日のアクセスがとんでもない数字になっていた。といっても、ここの平均値からしたらというところだが。

元日に読みたくなるような記事があったのかどうかは、拙にもわからない。


何日か前から書こうと思って考えていたことがある。大雑把に言えば、「固定観念や既成概念を疑うということ」を書こうかと。もっと平たくいえば「常識とされているものを疑うこととは」である。

それに纏わる話だと、去年に書いたパスツールの持説撤回の件がある。

病原菌原因説、というのだったか、菌があるから病気になる。だから殺菌消毒を、という現代社会の当たり前の光景になっている話である。

これを同僚が真っ向から反対して、健康を保てば菌の有る無しは関係ない、ということで延々討論を繰り返していたところ、パスツールは死の間際の病床で自説は間違えていたことを認めたと言われている。

方や病に倒れ、もう片方は元気に病床の論的に討論を見舞いに行く。はてさて。

では、何故パスツールの仮説が大手を振るって現代社会に蔓延しているのか?
「常識」で考えれば、間違っていなかったからだろうと思われるだろう。

しかし、「常識」は辞めて考えるべきである。既に上記の時点で疑問しかないといえるからである。


医者の仕事はなんであろうか?病気を治すことだと人はいう。どの人がいうのかは知らぬ。

この世のありとあらゆる病気を治療してしまったら、医者はどこへ行けばいいだろうか?仙人になって山で霞を食う生活をするのだろうか?
三国志の時代の医者、華佗は「神医」というあだ名があるが、ありとあらゆる病気を駆逐して「医仙」になったとかいう医者は聞いたことが無い。これからもこの状況が未来永劫続くなら、聖永の先にも現れまい。

回りくどい言い方を辞めると、詰まり、医者とは「医療行為で生活する存在」である。
「医療行為」である。治療ではない。
「医仙」(これは拙の造語だが、あるかもしれない。「詩仙」というのはある)にでもなるならば別であるが、「医療」を為す相手がいなければ生活がなりたたなくなる。

世の医療従事者というのが全員そうだとは言わないが、とても矛盾した存在であるとは思わないだろうか?

これでもまだ回りくどいので、パスツールの説の話に戻す。

論破されたという説が大手を振っている理由は、医療関係者が潤うから、である。

昨今のコロナ騒ぎを振り返っていただきたい。

マスクに消毒薬にPCR検査。医療業界がこれほど潤った年もそうあるまい?
病院は儲かったが、看護師が儲かったわけではなかったりするので、やってられないと辞めていく人も増えたと聞く。

この話はここまでにして、感染症とは何か?を考えよう。

哲学者ニーチェは自著において「科学者は結果と原因を取り違えている」と述べていた。

感染症と呼ばれるものの原因が実は結果であったという説が出ている。
病的症状を起こした結果の排出物をつまみ出して、原因だといっているとなる。
その排出物の名前はエクソソームと言うそうな。

スペイン風邪の時代に遡ると、症状を起こしている患者の鼻水を採取して、健康な別の人の鼻に塗る、だとか、症状のある馬に袋を被せてくしゃみだとかの呼気を採取し、別の馬に被せて吸わせる、といったことを行ったそうだが、感染しなかったという。

あの時代にもマスクしなされ、というのが流行ったそうだが、関係なく発症し、多くの人が死んでいった。これには別の原因があって、アスピリンの過剰投与が原因だという指摘がある。

ヨーロッパで発症してたのに、同時多発的にはるか離れたアジアの山の中で発見!ということがあったそうな。そういえば、コロリンは南極にも現れたとか?

常識的な見解はこれくらいにして、別の方面から話をする。

ウィルスが人体に憑りついて、まあこれでいいか、発症するというのが現代の常識に於ける見解である。

でなければ、ウィルス兵器など作れるわけがないだろう?となる。

いわゆる科学的な見解なら、ウィルスの遺伝子をいじって凶悪化させて症状を重くして云々は理解できる。

では、エクソソームであって原因ではないというのなら、いじろうがいじるまいが、実際は関係ないことになる。


ここで一般常識でない話に持っていくとする。

『金枝篇』という人類学の古典がある。その中に、「共感呪術」というものがある。

呪いたい相手の影に木の枝だとかを打ち込む。胸あたりに刺しこんだとすると、相手は胸がやられるという。心臓なら死ぬと相成る。

日本ので分かり易く例えるなら、「丑の刻参り」である。相手の写真や髪の毛やらを藁人形に込めて五寸釘で夜中に、という奴である。

漫画のネタどころか現実にされたとかいう話もあるのだが、惚れさせたい相手に自身の体液を込めた飲食物を提供するというのもある。これも「共感呪術」だろう。

COVID-19と名付けられたウィルスは、中国の生物兵器研究所から出てきた、とは散々言われている。元はアメリカだかカナダから持ち出されて、という話もある。
それはともかくとして、ウィルスの遺伝子をいじって生物兵器へと仕立てる。まるで殺したい相手の髪の毛を藁人形に込めているかのようである。でなければ、体液云々のやり口である。

ところで。直接関わる話ではないのだが、うまい例え話をしている面白い立場の人がいた。

内海聡という医者の名前はご存じだろうか。うつみんとか名乗っていたりする、自称キ〇ガイ医である。

とあるYouTubeの番組で、ワクチンのことについてしゃべっていた時に、ワクチンの中身についての例えがこうだった。

「魔女が魔法の鍋で呪いの薬を作るような」と。


我々は科学という名の全世界規模の呪術にかけられているのやもしれない。

常識、既成概念、固定観念。こう言い換えてもいいが、まずは隗より始めよ、である。


では、よき終末を。