どこで読んだかはっきりは思い出せないが、時折ここにも話を書いている、然るスピリチュアル系ブログが紹介していたものと覚えている。
とある宗教団体だかで、そこに来ていた人が語った内容を記していたと思う。
その宗教団体に来ていた人は、実は元創価学会で、ブログの人があれやこれやと尋ねて、それに答える。他愛のない話をしているうちに、というノリだったので、長くはなかった。
そして、本題はというと、こうである。
「創価学会では、願い事は叶わなかったのか?」と。
抜けてきたというのは、霊験のれの字もないので嫌になったのだろうと、想像がつくものだが、その元学会の人物は、正反対の答えを口にする。
「願い事は叶うんだけどね」
叶うのだったら、何が嫌になったのか?
そして、続ける。
内容はこうであった。
願い事は叶うのだが、叶うとそれに比例したかのように、交通事故に遭うだとか病気になるだとかで、却ってひどくなったり、内容はちょっと忘れてしまったのでなんともいえないが、その人物か周りの創価学会員だかが、人を呪うようなことをして、呪った対象だか呪いをかけていた方が死んでしまったとかいうので、怖くなったから抜けたという。
後は、変な競争を吹っかけられたそうな。これは上記の抜けてきた人物の方ではなく、それを聞き書きしていた方だったと思われる。
創価学会とそっち、どっちが正しいのか、20年後に私とあなたがどちらが幸せになっているかで証明しましょう!などと吹っかけられたそうだが、吹っかけた学会員は、志半ばで他界されたそうである。
当時読みつつ、納得がいったことを思い起こす。
何かにつけて、試練だからここが踏ん張り時などと言ってくる(創価学会だけではないともいえる)のが常なのだが、どうということはない。それは願いではなく、呪いである。その反動が事故だとか病気だとかの災難になって帰ってきて、それに対してもっと宗教やれ!と、脅す。
悪魔と契約すると、契約完了後に魂を持っていかれるというのがあるが、それと同じ理屈になると。
つまりは、マッチポンプなのだといえる。
カルト宗教が大きくなる理由は、その契約を末端信者に押し付けているからという訳である。この理屈は、何も宗教団体だけではないのだが、そこは割愛する。似たような話はずっとしてきたし、他でも書いている人は大勢いるだろうと思われるから。
仏陀は言ったものである。喜びの元だと思っているものは、そう思っているだけで、実際は苦痛の種なのだと。
この話はずっと昔にも書いたが、現代心理学でも同じ事を言っている。
ストレスというと、苦痛だとか悲しみといったものの事を指して人口に膾炙されている状況だが、実際は刺激という意味であり、脳やら心の反応は苦痛も快楽も同じストレスなのだという。
これは、普段の生活で一つ実証できる。
例えば、仕事で嫌なことがあって、酒をちょっと多めに呑んだとする。すると、酔っているときは気分がよくなるのだが、酔いがさめてくると、今度は呑む前より嫌な気分になってしまう。
酒で気分がよくなるというのは、快楽ではある。だが、上記の通り、快楽も「ストレス」なのだから、呑む前に受けていた「ストレス」自体が解消されていないのなら、余計に荷物を背負い込んだ状態になっているに過ぎないわけである。
最初のストレスが途方もなければ、悪循環に陥ってアルコール中毒になるともいえる。
げに恐ろしきは、酒か人の性か。
少々話題が逸れたが、もう一つ。
願い事について。
願いといい、祈りといい、それは人類開闢の時から行い、叶えてきたものである。地球開闢以前からの何かの願いが、今ある世界を作ったとも言われている。
宇宙だとかそんな話になると、こちらの手には負えないが、それらに纏わる話も紹介はしてきたので、軽く聞き流しておいていただこう。
それはともかく、上記の元創価学会員の体験談は、先ほどの酒の話と同じなのである。
何ゆえか?
酒で嫌な事を忘れようとするのと、日常におけるレベルでの祈願というのも、仏陀の言う、苦痛の種を理解していないからである。
そのような、アンビバレンツな状態のものを無理矢理どうにかすると、これまたひどい勢いで歪みを修正しようとして、手痛い目に合うのである。
あたかも、引っ張ったゴムが千切れて自身を打ち据えるかのように、である。
だから、そのような願い事は、悪魔の契約や、実行者に反動が来るという呪いと同じであるのだと。
さて、話は少々代わって。
現代物理学では、物質というのは確たる形のあるものではなく、世の中にあるものは等しく一つのものから発ち現れている、という結論に到ったという。
表現は色々あるのだが、エネルギーだとか波動だとか。ともかく、形のあるものではない一つの何かが、その表情を変えているだけなのだと。
それらは、石ころだとか水だとか肉だとか野菜だとか動物だとか人の区別なく、全てなのだという。
そして、人間の意識もそうなのだという。
つまり、どこかの誰かさんがHPでかつて引用だかしていた文句を借りて言うと、「わたしはあなた、あなたはわたし」となる。
バトラーの『魔法入門』(以前何度か『魔術入門』と書いたが、持っている本は『魔法~』だった)にはこうある。
人間は大宇宙の中にある小宇宙であり、彼自身の中には宇宙の写しがある。~中略~魔法使いにとって※ヴィクトリア朝的な意味における死せる物体のごときものは存在しない。実際あらゆる物質が時間と空間の中に存在し(三文字に強調点)うるのは、ひとえにそれがすでに永遠なる生命の部分として生きている(五文字に強調点)からであるという見解をいだいている。われわれが金属の不活性の一塊として「ここに」見おろしているものは、魔法使いによれば、無数の回転する力の凝集点の物質的な現れにすぎず、それは目に見えない世界の平面をいくつも通り抜けて、万物の生ける心の奥にまで遡ることができる。「主の精霊は地上に満てり。」それゆえ真の魔法使いにとって何一つ卑俗であったり不明瞭であったりするものはない。なぜならすべてが目的達成に役立っており、すべては永遠者の生命の表現だからである。このことを秘伝を受けた導師は次の言葉で儀式の中で明らかにする。かれはこう叫ぶのである。「神々の部分でないものはわたくしの部分ではない。」
引用者注※ヴィクトリア朝的な意味:所謂現代人が「科学的ではない」といった反発をするときと同じ態度がこの時代に出来たと思えばよい。
長くなったが、こういえる。
あなたが、あなたの敵だと思うものを殺したいと願うというのは、あなた自身を殺したいと思っているのと同じ事になるのだと。
日常のレベルでの祈願と、ずっと上に書いたが、あなたがあなただと思っているものの幸せとやらを願うとき、それはあなた以外だと思っているものの不幸を願うのである。
だから、「呪われる」のである。あなたが呪っているのはあなた自身だったのだから。
とはいえ、北のミサイル国家の首長を好きになりなさい、とかいう話でもない。お断りする。
だったら、こう思えばいい。
「拙が現時点であのキンさんだったとしたならば、ミサイル飛ばして調子こいてたんだろうなぁ」などと。
彼の国がミサイル飛ばしているのも、政治的な意味以外での何某かの意味があろうというわけである。今の自分の代わりに飛ばしているだけかもしれないのだと。
陰謀論方面の話では、北は実は日本の子飼いで、内政への不満を逸らすための、外交に見せかけた内政処置だという話がある。
だったら、こう思えばいい。
「キンさんは粋がっているように見えるけど、ただの中間管理職なんだな」と。
あんなにぶくぶくなのは、ストレスで過食症なのだろう。グローバルスタンダードというものは、実にブラック企業である。
では、よき終末を。
とある宗教団体だかで、そこに来ていた人が語った内容を記していたと思う。
その宗教団体に来ていた人は、実は元創価学会で、ブログの人があれやこれやと尋ねて、それに答える。他愛のない話をしているうちに、というノリだったので、長くはなかった。
そして、本題はというと、こうである。
「創価学会では、願い事は叶わなかったのか?」と。
抜けてきたというのは、霊験のれの字もないので嫌になったのだろうと、想像がつくものだが、その元学会の人物は、正反対の答えを口にする。
「願い事は叶うんだけどね」
叶うのだったら、何が嫌になったのか?
そして、続ける。
内容はこうであった。
願い事は叶うのだが、叶うとそれに比例したかのように、交通事故に遭うだとか病気になるだとかで、却ってひどくなったり、内容はちょっと忘れてしまったのでなんともいえないが、その人物か周りの創価学会員だかが、人を呪うようなことをして、呪った対象だか呪いをかけていた方が死んでしまったとかいうので、怖くなったから抜けたという。
後は、変な競争を吹っかけられたそうな。これは上記の抜けてきた人物の方ではなく、それを聞き書きしていた方だったと思われる。
創価学会とそっち、どっちが正しいのか、20年後に私とあなたがどちらが幸せになっているかで証明しましょう!などと吹っかけられたそうだが、吹っかけた学会員は、志半ばで他界されたそうである。
当時読みつつ、納得がいったことを思い起こす。
何かにつけて、試練だからここが踏ん張り時などと言ってくる(創価学会だけではないともいえる)のが常なのだが、どうということはない。それは願いではなく、呪いである。その反動が事故だとか病気だとかの災難になって帰ってきて、それに対してもっと宗教やれ!と、脅す。
悪魔と契約すると、契約完了後に魂を持っていかれるというのがあるが、それと同じ理屈になると。
つまりは、マッチポンプなのだといえる。
カルト宗教が大きくなる理由は、その契約を末端信者に押し付けているからという訳である。この理屈は、何も宗教団体だけではないのだが、そこは割愛する。似たような話はずっとしてきたし、他でも書いている人は大勢いるだろうと思われるから。
仏陀は言ったものである。喜びの元だと思っているものは、そう思っているだけで、実際は苦痛の種なのだと。
この話はずっと昔にも書いたが、現代心理学でも同じ事を言っている。
ストレスというと、苦痛だとか悲しみといったものの事を指して人口に膾炙されている状況だが、実際は刺激という意味であり、脳やら心の反応は苦痛も快楽も同じストレスなのだという。
これは、普段の生活で一つ実証できる。
例えば、仕事で嫌なことがあって、酒をちょっと多めに呑んだとする。すると、酔っているときは気分がよくなるのだが、酔いがさめてくると、今度は呑む前より嫌な気分になってしまう。
酒で気分がよくなるというのは、快楽ではある。だが、上記の通り、快楽も「ストレス」なのだから、呑む前に受けていた「ストレス」自体が解消されていないのなら、余計に荷物を背負い込んだ状態になっているに過ぎないわけである。
最初のストレスが途方もなければ、悪循環に陥ってアルコール中毒になるともいえる。
げに恐ろしきは、酒か人の性か。
少々話題が逸れたが、もう一つ。
願い事について。
願いといい、祈りといい、それは人類開闢の時から行い、叶えてきたものである。地球開闢以前からの何かの願いが、今ある世界を作ったとも言われている。
宇宙だとかそんな話になると、こちらの手には負えないが、それらに纏わる話も紹介はしてきたので、軽く聞き流しておいていただこう。
それはともかく、上記の元創価学会員の体験談は、先ほどの酒の話と同じなのである。
何ゆえか?
酒で嫌な事を忘れようとするのと、日常におけるレベルでの祈願というのも、仏陀の言う、苦痛の種を理解していないからである。
そのような、アンビバレンツな状態のものを無理矢理どうにかすると、これまたひどい勢いで歪みを修正しようとして、手痛い目に合うのである。
あたかも、引っ張ったゴムが千切れて自身を打ち据えるかのように、である。
だから、そのような願い事は、悪魔の契約や、実行者に反動が来るという呪いと同じであるのだと。
さて、話は少々代わって。
現代物理学では、物質というのは確たる形のあるものではなく、世の中にあるものは等しく一つのものから発ち現れている、という結論に到ったという。
表現は色々あるのだが、エネルギーだとか波動だとか。ともかく、形のあるものではない一つの何かが、その表情を変えているだけなのだと。
それらは、石ころだとか水だとか肉だとか野菜だとか動物だとか人の区別なく、全てなのだという。
そして、人間の意識もそうなのだという。
つまり、どこかの誰かさんがHPでかつて引用だかしていた文句を借りて言うと、「わたしはあなた、あなたはわたし」となる。
バトラーの『魔法入門』(以前何度か『魔術入門』と書いたが、持っている本は『魔法~』だった)にはこうある。
人間は大宇宙の中にある小宇宙であり、彼自身の中には宇宙の写しがある。~中略~魔法使いにとって※ヴィクトリア朝的な意味における死せる物体のごときものは存在しない。実際あらゆる物質が時間と空間の中に存在し(三文字に強調点)うるのは、ひとえにそれがすでに永遠なる生命の部分として生きている(五文字に強調点)からであるという見解をいだいている。われわれが金属の不活性の一塊として「ここに」見おろしているものは、魔法使いによれば、無数の回転する力の凝集点の物質的な現れにすぎず、それは目に見えない世界の平面をいくつも通り抜けて、万物の生ける心の奥にまで遡ることができる。「主の精霊は地上に満てり。」それゆえ真の魔法使いにとって何一つ卑俗であったり不明瞭であったりするものはない。なぜならすべてが目的達成に役立っており、すべては永遠者の生命の表現だからである。このことを秘伝を受けた導師は次の言葉で儀式の中で明らかにする。かれはこう叫ぶのである。「神々の部分でないものはわたくしの部分ではない。」
引用者注※ヴィクトリア朝的な意味:所謂現代人が「科学的ではない」といった反発をするときと同じ態度がこの時代に出来たと思えばよい。
長くなったが、こういえる。
あなたが、あなたの敵だと思うものを殺したいと願うというのは、あなた自身を殺したいと思っているのと同じ事になるのだと。
日常のレベルでの祈願と、ずっと上に書いたが、あなたがあなただと思っているものの幸せとやらを願うとき、それはあなた以外だと思っているものの不幸を願うのである。
だから、「呪われる」のである。あなたが呪っているのはあなた自身だったのだから。
とはいえ、北のミサイル国家の首長を好きになりなさい、とかいう話でもない。お断りする。
だったら、こう思えばいい。
「拙が現時点であのキンさんだったとしたならば、ミサイル飛ばして調子こいてたんだろうなぁ」などと。
彼の国がミサイル飛ばしているのも、政治的な意味以外での何某かの意味があろうというわけである。今の自分の代わりに飛ばしているだけかもしれないのだと。
陰謀論方面の話では、北は実は日本の子飼いで、内政への不満を逸らすための、外交に見せかけた内政処置だという話がある。
だったら、こう思えばいい。
「キンさんは粋がっているように見えるけど、ただの中間管理職なんだな」と。
あんなにぶくぶくなのは、ストレスで過食症なのだろう。グローバルスタンダードというものは、実にブラック企業である。
では、よき終末を。