今日は夜勤明けである。
この安生にはなかなか治らない悪癖がある!それは・・・言うまでもないか。
というわけで、いつもどおり、一駅前から歩いて帰っていた。駅から降りて、完全に帰路に着くまでに何があったかは敢えて言うまい・・・。(鰻屋で飲んでいた)
天気もいい、川原を歩こう。石ころの上で坐って一服でも、と歩を進めていた。
しばらくして、胸がなんだか苦しい。これが恋か・・・ということはなく、仕事場を出る前に吸いすぎたのと、飲んだのが原因であろう。
胸に手を当て、愉気もどきをしながら落ち着かせつつ、目指していた川原に向かった。
草が見るたびに増えている。一、二週間ほど前は枯れ草のほうが多かった覚えがあるが、その時座を占めた川原には下りず、別の方へ向かった。
こちらもまた、草が生えている。いずれか流されるであろう川原の草というのはなんと例えればいいのか。まあいい。
ただ、先客がいるのが見えた。祖父さんとその孫であろう。釣りをしている。
さすがにそこに行って吸うのもな・・・と躊躇った。躊躇ったのでそこには降りなかったが、水門の方に近い本流との合流点あたりに、すぐ降りれるところを見つけた。
こりゃあいい。なんたって誰か降りてくるとは思えない。来たって釣り人あたりである。
しばし胡坐をかく。恋わずらいではない胸苦しさもなくなったと思ったら、眠くなってきた。
石の上で胡坐をかくのも最近なんともなくなってきた。寧ろ、電車の椅子の方が気持ち悪い(車内で胡坐をかいているわけではないが)。背もたれは気持ちいいようで実際はそうでもない。慣れたら判るが、判らんでもいい。
では、寝転んでみよう。帽子は顔を覆うように。
そしてしばらく・・・。
苦しかったらすぐ起きようと思っていたのに、よく眠っていた。さすがに少々日差しが翳ってきたり、風が冷たくなってきていたので、ちと寒かったが、決して寝心地の悪いものではなかった。
石の上と考えたら、寧ろ最高である。酔っていたからと考えてもやっぱり不思議である。
そして、その後ようやく帰宅したのであった。めでたしめでたし。
さて、そんな話だけしたかったわけではない。これで終わっても構わないが、こちらが構う。
奈良のほうだったか、「朱鯨亭」という整体院を開設している人がいる。
上記の名で検索するとページが出てくるはずである。
そちらのコラムで、歩くことについての話があった。
なんでも、普段から人に走るのはよろしくないから歩くべしと勧めていたのだが、ある患者に「言われて歩いていたが、脚がパンパンに腫れた」と文句を言われたそうな。文句じゃなかったかもしれないが、その辺りは暇なときに読んでみて欲しい。
http://shugeitei.com/road.html
走るのがよくない理屈として、やはり少しとはいえ体が浮く。浮いた体は着地するわけで、その際、脚にかなり負荷がかかる。
やりすぎると、下腿が硬くなってしまい、柔軟性を取り戻すのにも一苦労するそうな。
しかし、歩いていた人が何故走ったのと変わらなくなったのか。その辺りも書いていた。
要するに、舗装道路を歩くのは、走るのと変わらないぐらい脚をいじめているというわけである。
歩くなら、舗装されていない道を歩くべし、というわけである。
舗装道路を走るというのは、実にマゾヒズムであろう。ああ、おそろしや。
人の体は歩いてみると、骨盤なんかは左右に揺れている。これが、人によってはどっちに偏り易いかというのがまちまちになる。
舗装道路を歩くと、その偏りが強調されていくのである。その上、歩道は道がほんのり傾斜している。これが偏りをさらに補強する。
では、舗装されていない道だとどうなるか。これが上手いこと出来ていて、その人の体の偏りに合わせたクッション効果をもたらし、骨盤の偏りがなくなる。
石があったり、歩きにくいところがあったりするのも、いい刺激になる。
※改めてコラムを読んでみたら、うろ覚えが過ぎているような気がしないでもない。上にも乗せたが、改めてそのコラムのリンクを載せておく。
http://shugeitei.com/road.html
先週はそれで川原の河川敷のようなところを歩き回っていた。野球が出来るようなところではなく、木やら草が生えまくっているところをである。
普段あまり上げない足を上げては枯れ木を踏みしめ、向こう岸に渡れるのはどのあたりかなとしばらく歩き回っていた。多少脚の筋肉は疲れたが、同じくらいの調子で舗装道路を歩いていたら、筋肉痛で歩けなくなるところだったと感じる。そこまで柔じゃないが、不快感しか残らない。
人が通るようなところではないところや、何故かたくさんある菜園の畝を歩き回って、猫にでもなった気がしたものである。
しばらく土手やら舗装されていない道を歩いた後、道が途切れたため、舗装道路に戻ると、ひどく気分が悪い。吐きそうだとかいうわけではないが、一歩一歩に不快感が募る。
そして、今までさして痛くなかった脚に痛みが走る。よくもまあ、こんなところ(舗装道路)を一時間も二時間も歩くなぁと感じる。(川原を歩かなければ一時間くらい歩いて帰るのである)
印象としか言えないが(野口整体流にいえば気か)、なんだか頭が悪くなるような不快感にも襲われる。なんというか、心地よい刺激が皆無の上に、脚にだけ不要な刺激が集中する。
歩くというのは、脚をどうこうだけではないのだろう。身体全体を養うことに繋がっているのである。
と感じたりする。
ならばと。
天然の敷布団(川原の石ころベッド)はどうだろうかと思ったと。これがセメントの上だったら死にそうだったろうが、とても心地がよかったと。
これからは、行き倒れと間違われるかもしれないが、夜勤明けで眠いときは、家で寝るより川原で寝たほうがいいなと考えている。
暑くなりきる前と梅雨もまだ先の今が好機である。では、また。
この安生にはなかなか治らない悪癖がある!それは・・・言うまでもないか。
というわけで、いつもどおり、一駅前から歩いて帰っていた。駅から降りて、完全に帰路に着くまでに何があったかは敢えて言うまい・・・。(鰻屋で飲んでいた)
天気もいい、川原を歩こう。石ころの上で坐って一服でも、と歩を進めていた。
しばらくして、胸がなんだか苦しい。これが恋か・・・ということはなく、仕事場を出る前に吸いすぎたのと、飲んだのが原因であろう。
胸に手を当て、愉気もどきをしながら落ち着かせつつ、目指していた川原に向かった。
草が見るたびに増えている。一、二週間ほど前は枯れ草のほうが多かった覚えがあるが、その時座を占めた川原には下りず、別の方へ向かった。
こちらもまた、草が生えている。いずれか流されるであろう川原の草というのはなんと例えればいいのか。まあいい。
ただ、先客がいるのが見えた。祖父さんとその孫であろう。釣りをしている。
さすがにそこに行って吸うのもな・・・と躊躇った。躊躇ったのでそこには降りなかったが、水門の方に近い本流との合流点あたりに、すぐ降りれるところを見つけた。
こりゃあいい。なんたって誰か降りてくるとは思えない。来たって釣り人あたりである。
しばし胡坐をかく。恋わずらいではない胸苦しさもなくなったと思ったら、眠くなってきた。
石の上で胡坐をかくのも最近なんともなくなってきた。寧ろ、電車の椅子の方が気持ち悪い(車内で胡坐をかいているわけではないが)。背もたれは気持ちいいようで実際はそうでもない。慣れたら判るが、判らんでもいい。
では、寝転んでみよう。帽子は顔を覆うように。
そしてしばらく・・・。
苦しかったらすぐ起きようと思っていたのに、よく眠っていた。さすがに少々日差しが翳ってきたり、風が冷たくなってきていたので、ちと寒かったが、決して寝心地の悪いものではなかった。
石の上と考えたら、寧ろ最高である。酔っていたからと考えてもやっぱり不思議である。
そして、その後ようやく帰宅したのであった。めでたしめでたし。
さて、そんな話だけしたかったわけではない。これで終わっても構わないが、こちらが構う。
奈良のほうだったか、「朱鯨亭」という整体院を開設している人がいる。
上記の名で検索するとページが出てくるはずである。
そちらのコラムで、歩くことについての話があった。
なんでも、普段から人に走るのはよろしくないから歩くべしと勧めていたのだが、ある患者に「言われて歩いていたが、脚がパンパンに腫れた」と文句を言われたそうな。文句じゃなかったかもしれないが、その辺りは暇なときに読んでみて欲しい。
http://shugeitei.com/road.html
走るのがよくない理屈として、やはり少しとはいえ体が浮く。浮いた体は着地するわけで、その際、脚にかなり負荷がかかる。
やりすぎると、下腿が硬くなってしまい、柔軟性を取り戻すのにも一苦労するそうな。
しかし、歩いていた人が何故走ったのと変わらなくなったのか。その辺りも書いていた。
要するに、舗装道路を歩くのは、走るのと変わらないぐらい脚をいじめているというわけである。
歩くなら、舗装されていない道を歩くべし、というわけである。
舗装道路を走るというのは、実にマゾヒズムであろう。ああ、おそろしや。
人の体は歩いてみると、骨盤なんかは左右に揺れている。これが、人によってはどっちに偏り易いかというのがまちまちになる。
舗装道路を歩くと、その偏りが強調されていくのである。その上、歩道は道がほんのり傾斜している。これが偏りをさらに補強する。
では、舗装されていない道だとどうなるか。これが上手いこと出来ていて、その人の体の偏りに合わせたクッション効果をもたらし、骨盤の偏りがなくなる。
石があったり、歩きにくいところがあったりするのも、いい刺激になる。
※改めてコラムを読んでみたら、うろ覚えが過ぎているような気がしないでもない。上にも乗せたが、改めてそのコラムのリンクを載せておく。
http://shugeitei.com/road.html
先週はそれで川原の河川敷のようなところを歩き回っていた。野球が出来るようなところではなく、木やら草が生えまくっているところをである。
普段あまり上げない足を上げては枯れ木を踏みしめ、向こう岸に渡れるのはどのあたりかなとしばらく歩き回っていた。多少脚の筋肉は疲れたが、同じくらいの調子で舗装道路を歩いていたら、筋肉痛で歩けなくなるところだったと感じる。そこまで柔じゃないが、不快感しか残らない。
人が通るようなところではないところや、何故かたくさんある菜園の畝を歩き回って、猫にでもなった気がしたものである。
しばらく土手やら舗装されていない道を歩いた後、道が途切れたため、舗装道路に戻ると、ひどく気分が悪い。吐きそうだとかいうわけではないが、一歩一歩に不快感が募る。
そして、今までさして痛くなかった脚に痛みが走る。よくもまあ、こんなところ(舗装道路)を一時間も二時間も歩くなぁと感じる。(川原を歩かなければ一時間くらい歩いて帰るのである)
印象としか言えないが(野口整体流にいえば気か)、なんだか頭が悪くなるような不快感にも襲われる。なんというか、心地よい刺激が皆無の上に、脚にだけ不要な刺激が集中する。
歩くというのは、脚をどうこうだけではないのだろう。身体全体を養うことに繋がっているのである。
と感じたりする。
ならばと。
天然の敷布団(川原の石ころベッド)はどうだろうかと思ったと。これがセメントの上だったら死にそうだったろうが、とても心地がよかったと。
これからは、行き倒れと間違われるかもしれないが、夜勤明けで眠いときは、家で寝るより川原で寝たほうがいいなと考えている。
暑くなりきる前と梅雨もまだ先の今が好機である。では、また。