ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

やらない詐欺

2011-04-29 | 雑記
四月二十八日は、変な意味で話題になったあるゲームの発売日。その名は「El Shaddai~ASCENTION OF THE METATRON~」という。



カタカナで「エルシャダイ」~~のうちの英語はメタトロンの昇天という意味だそうな。メタトロンとは実際に制定されている大天使の名前である。

天使で昇天、というわけで、キリスト教関係の設定だが、偽典とされる「エノク書」から着想を得た、オリジナルストーリというわけだ。

そのエノク書というのは、神に逆らって堕天したはずの大天使(たぶんルシファーとか言われてるやつだろう)が昇天するという話だそうで、神の恩寵の元にあるから成り立っているはずのキリスト教やその土台となったユダヤ教をも否定することになる。当然そんなものは嘘に決まっている、というわけで偽典だと。大体そんな感じだと思うが、細かい話は参照していないので、気になる人は調べたほうがよろしい。

主人公の名前もそのエノクからとった「イーノック」。綴りがEnochとかそんなので、ローマ字式に読めばエノクと。
イーノックをサポートするのは大天使「ルシフェル」。大抵、ゲームやら何かで出てくるときは、堕天使としての立場が描かれることが多いが、堕天した立場ではなく、神の側の存在としているようだ。

イーノックの目的は、人間に惹かれて堕天した七人、と呼ぶのか知らないが七名の元天使たちを捕縛すること。七といえば、「七つの大罪」を思い浮かべることが出来るだろう。堕天使たちはそれぞれ、あるものは母性愛、あるものは男女の愛に強く惹かれて堕天したという。七つの大罪のようには呼ばれていないが、七はそれを想起させるだろう。

さてイーノックは何故そんなことをする羽目になったのか、元天使が地上で勝手にやってるだけなら放っておいても害はなさそうなのだが、理由がある。

まず主人公は人間で、人間でありながら神に認められ、天界で書記官の任に着いている。

さて、堕天使たちが人間とともにけしからんことをしていると、神はお怒りに(怒ったのは堕天使の元同僚たち)なって、洪水で人もろとも流してやる!となった。

イーノックは、それは余りにも可愛そうだと嘆願をする。その嘆願は受けいれられるのだが、計画に猶予を与えるから、その間にあいつらを捕まえて来い、ということになった。

洪水といえば、ノアの方舟の話が思い浮かぶ。堕天使たちと人間はさしずめ、ノアの方舟に入らなかった人々といったところだろうか。


このエルシャダイ、インド資本で本社が海外にあるとかなんとか。スタッフは元カプコンでデビルメイクライの一作目に関わっていたような人たちが引き抜かれてそろっているとか。一昔前からのアクションゲーム好きなら気になるところだろう。

その点もだが、こういう内容で作って問題ないのか気になった。その辺りをインタビューか何かで訊ねていたような気がする。こうは言ったか定かではないが「大丈夫だ、問題ない」だったのだろうと思われる。

まだ少しゲームに触れた程度なのだが、幻想的な絵に雰囲気は、最近のリアルばかり追及する感じとは一線を画する。そして、操作方法がこれまた近頃の逆を行く。パッケージにあるように、説明書が要らないくらいの操作方法だった。ファミコンの時代のマリオに戻った、といったら戻りすぎだが、使うボタンはとても少ない。かといって連打して倒せるレベルではないのが面白いところ。まあ、そういうのはたまにあるね、と言われたそれまでかもしれない。

思わせぶりな導入から、どういう展開をしていくのかとても気になる。しばらく眠れない日が続きそうだ。ゲーム一本だけならそうでもないのだが。

何を思ったか、上記のゲーム発売の前日、DL販売の大手「steam」でゲームを買ってしまったのだった。「Assassin's Creed Brotherhood」をついつい。

PCのゲームは中身が翻訳されてなくても、説明書だけ日本語化して発売するものが多々あるのだが、発売が海外よりも遅くなる。ちなみに本作の日本語説明書付は六月発売だそうな。

その点、ダウンロード販売はネットさえ繋がっていれば買うことが出来る。説明書も英語でよければ見ることも出来る。元から英語でゲームやるなら大して違いはないのだから。

問題は内容が理解できるかどうか、だが、まあ、英語の勉強だと思って。日本語版が出るような(PS3版と360版は完全日本語)ものの英語は、映画のや普通の人がしゃべるのよりは聞き取りやすいかな、とは思う。






さて、なんだか絵を描け絵を描けといわれたので、肩の力が抜けるようなものをご覧戴こう。

上を長々と書いたのは見過ごしてもらおうと思ったからに違いない。

絵として仕上げたものではなく、デッサンというやつ。書きながら思ったのは、想像でこういうものを書き上げるプロってのはすごいなぁ、だった。

まずはモデル。

クリックで元画像へ(かなり大きいので注意)

先月購入した、「Crysis2」。その公式フォーラムで配布していた壁紙。その真ん中の妙な格好で首だけこちらに向けている人物をデッサンしたらこうなった。


こういうの格好良く描けたらいいね!と思ったからやってみた。かわいい女の子を期待していた人は残念でした。

ネタにしようと思って十五分くらいで書いたはいいが、エルシャダイの話のほうが長くなってしまった。おかげでゲームどころではないかもしれないが、大丈夫だ、問題ない。では、また。

安否

2011-04-27 | 雑記
いつぞや、多摩動物公園に行ってきたと書いた時、その時書いたかどうかは確認せずに言うのだが、募金箱に少し入れてきた。

動物園や水族館には、絶滅危惧種の保存や繁殖に向けた支援募金があるのだが、そちらではなく、今回の震災に向けたもの。

特に募金をしようと思ったわけではないのだが、なにやら説明を見ると、被災地にある動物園や水族館へも送るとあった。

募金箱を見る前の夜だったかそれ以前だったか、福島の水族館のアザラシが、避難先の、確か千葉の鴨川水族館で無事出産した、母子とも健康である、という記事を見ていたのもあり、入れるしかないと。


津波で漂流していた犬が助かって、飼い主にも出会えた、だとか、原発から避難の際、連れて行けないといわれ、公民館に繋いでおいて、戻ってきたら・・・と、色々ニュースになっている。

いつぞやはイタリアの人だったか、原発付近のペットを助けに行くと友人二人であの辺りでペットの保護をやっていた、という話もあった。

ニュースで見たものと、ニュースにはなっていないが気になった、今回の被災地での動物たちの話をちょっと書こう。


まずはニュースになっていたもの。地名やら詳細は一々確認していないので、予めお断りしておく。

宮城県は松島の水族館が、今月の二十三日あたりから再開する(記事を見たときの時期)という。

泥だらけになった園内を必死に掃除して、ようやく再開の目処が立ったという。

被害は泥だけでなく、停電で海水の循環ポンプが止まってしまい、売りのマンボウが死んでしまったそうな。

他にも、地震の後から歩き方が変わってしまった動物がいたり、アシカはおびえて檻か何かにすがりついていたりするという。

そのアシカに向かって、大丈夫とはいいづらいのだが、「もう大丈夫だから」と励ましたい気分になったものだった。

動物たちのためにも、めげずに続けてもらいたいと思う。


さてもう一つ。地震とは関係ない話からたどっていって出てきた話。

たまに揺れたり揺れなかったり、いやよく揺れているのだが、ある日、NHKの料理番組でも見ようと思って(普段見ないので時間を間違えていたが)TVを見ていた。地震速報のついででもある。
時間は過ぎて別の番組になり、犬の番組になった。警察犬の訓練の話や、飼い犬の躾への応用などをやっていた。

警察犬、はてそういえば去年だか、可愛らしい仕草で話題になった(世の話題の過ぎ去りはあまりにも早いが)警察犬がいたな、と調べ始める。

意外と早く見つかった。ちなみにさっき探したのではない。

こんなポーズをする警察犬らしい容姿の警察犬に見覚えはなかろうか。


大体二年くらい前に、迷子になった小学生を三分ほどで探し当てた有能な警察犬なのだが、表彰式で緊張してしまい、飼い主にすがりついたという。飼い主は左手で抑えようとしてたらこうなったと言っていた。

名前を「クヴィレット・フォン・ワカミシンドー号」というのが正式らしい。

前述のテレビ番組で、警察犬の名前には法則と言うか決まりだったか、長い名前には色々と意味があり、犬自身の名前と、犬舎の名前、飼い主の名前、などを並べて名づけるようだが、細かいことは忘れた。飼い主はワカミシンドーさんということでいいのだろうか。

さてこの酔っ払いと比べるまでも無く有能なわんこ。どこに地震の話と?と思われるかもしれない。

記事を読んでみたら「会津若松」とある。会津若松といったらどの辺りか知らなかったが、福島ではないか、と地理を見ると、太平洋と日本海から等しく離れた内陸にあった。

とはいえ、心配にはなった。警察犬だから、今も捜査に出たりしているのだろうか。それどころではないのかもしれないが。


動物の心配ばかりしないで、人間の心配をしないのか?と言う人もいるかもしれない。いてもいなくてもいいのだが、この話を思い立ったとき、昔読んだ、たぶん小説の登場人物のセリフを思い出した。

「人間は戦争で毎日人が死のうがなんとも思わないのに、戦争の巻き添えで動物が死ぬとひどくヒューマニズムを感じるのだ」という風な。細かいことは上記の通り忘れた。

あまり変なことを言っていると、人からも動物からも恨みを買いそうだ。しかし私は自粛しない。


というわけで、動画を掲載して終わり。

今回分は、一時間はやったと思ったらやっぱり足りなくて、二十分ずつでやる予定が出来なかった。四十分程度なら半分にして出したろうが、半端な時間で三分割に。

七十六発目

声がかすれているかと思ったが、そんなことはまったくなかった。

七十七発目

ちょっとボス戦で怒りそうになる。

七十八発目

意外と切のいい場所で終われた。忘れないうちに続きをやれというプレッシャーに違いない。


しかし、一晩で三つ出すのはちょっと出しすぎな気がする。時間もかなりとられる。動画にしておくのはいいとして、アップロードは少しずつにすべきかと思われる。一杯急に出すと、見るのを急かせることになるのではないか、と見る側の想像をしてみる。あわてないでぼちぼちやりましょうか。では、また。

古式床しく

2011-04-25 | 雑記
というわけで、日曜の早朝に、番組表を確認してチャンネルを合わせて見ていた。というわけで、じゃあ何がなんだか分からんだろうが、その辺りはたぶん前回書いた。

曹洞宗の永平寺の朝食はお粥で、これが美味そうだったから、玄米までは用意していないが、真似してみよう、というわけだ。

テレビの話に戻す。その番組は、前回と今回に分けてそれぞれ別々のテーマで、精進料理についての話をやっていた。前回は修行僧の食事について、今回は食事に対する禅僧の心構えについて、という感じだった。

さて冒頭、典座(てんぞ、という)が言うには、「野菜料理=精進料理ではない」という、理解しづらい話が出てきた。キノコも食べるから、という話でもない。

典座の人が言うのは仏教思想の話で、要するに心がまえの話だったように記憶している。肉も魚も精進料理では使わないのは広く知れ渡るところではある。


というわけで、精進料理っぽく晩飯をこしらえてみた。




左上から大根の素揚げ、ではなく炒め揚げにしたものに大根おろし。隣が黒くてなんだか分からないが、煮物のようなもの。まったく見えないが人参、絹さや、椎茸、牛蒡、出汁をとりながら一緒に煮た昆布という構成。
その右は大根の皮を塩もみして、油を少し混ぜたもの。永平寺の典座の人はごま油をかけていたが、なんとオリーブ油。まったく問題ない。もちろん、最初の大根のもオリーブ油なのはいうまでもない。
右端は香の物。沢庵に梅干。左は味噌汁。中身は大根、隠元豆、舞茸、出汁にも使った昆布、小ねぎを刻んだもの。そして麦飯。

味噌汁も煮物のようなものも、出汁は昆布だけで、後は一緒に入れた野菜で味を出す。煮物はなんだか昔食べたことのあるような味だが、物足りない。でも悪くない。時間が無くて出来なかったのだが、本来は干し椎茸からとった出汁を加える。
大根の素揚げは、大根が甘くなる。炒め揚げでも似たような状態には出来るので、料理をする人は気が向いたら試してみるといい。

さて問題。この中で精進料理として不適切なものはどれだろうか?あたっても何も出ません。

わかった!お前の部屋にあるウヰスキーだな!?正解だがそこまでひねた問題ではない。




答えは味噌汁。

えっ、と思うかもしれないが、味噌汁自体は問題ない。ここでテレビ番組で典座がいった「野菜料理=精進料理ではない」が響いてくる。ちなみに典座とは端的にいうと料理長のこと。

禅の開祖に当たる人物がいったのかどうだったか、その辺りはちょっと忘れたが、修行の妨げになるので食べてはいけないという、五種類の野菜がある。
即ち、にんにく、にら、たまねぎ、らっきょう、ねぎ、の五種。理由は、性欲が高まるから、だとかなんとか。いらぬ欲望を捨てるために修行するのに、食事も修行と考える禅の道場で欲望を亢進させるものを出すことは自家撞着に陥ると言うわけだ。

ちなみに、生姜は大丈夫らしい。永平寺で修行をしたことがある僧侶がいっていた。最近では、飲むのはもちろんだめだが、料理に利用する形で酒は使うともいう。

もっと厳密にいうと、食べるときに音を立ててはならない(食べる以外でも色々とあるのだが)ので、沢庵自体も問題はないのだが、かなり薄く切ったものを食べるそうだ。梅干もカリカリ梅だから、これもアウト。
別に修行しているわけではないので気にしないのだが、沢庵自体も魚の出汁やらを使ったものはこれもアウト。ということは、甘めの味付けがされた「かつお梅」もだめというわけだ。かつお節で味付けしているから。

色々と興味深かったので、調べてみたりすると、上記で「生姜は大丈夫」と言っていた僧侶達が運営しているサイトがあった。生姜云々はそこで読んだ。ちなみに、件の僧侶は精進料理についてのコラムを担当している。


寺では甘いものは果物なんかは出てくるそうだが、一般的なお菓子やら、テレビでスイーツといわれているようなものはなかったという。で、経験を生かした簡単なお菓子の作り方を載せていた。

その経験というのも、大きな鍋にたっぷりの水溶き葛を入れて火にかけ、混ぜ続けるとかそんな話だった。精進料理にごま豆腐があるのだが、実は豆腐ではなく、葛で出来ている。そのための作業だったとかなんとか。
ごま豆腐は、永平寺に客として訪れた場合に饗される食事には出てくるのだが、修行僧にはほとんど出ないものだったそうな。手間もかかるので、大人数の修行僧に出せるようなものではない。

話が逸れたが、以下の写真は真似して作ったそのお菓子。



葛と豆乳で作ったプリン。作り方自体には黒蜜も手作りで書かれていたが、市販でもかまわないだろう、とのことでズボラして市販のをかけてある。

冷やす時間が三十分だったのに、別のことをしていたら一時間になった。葛が少なかったかと思ったが、滑らかな感じは出ていた。黒蜜はたっぷりかけるとよい。明日以降も作るなら、もう少し葛を多く入れて試す予定である。
それと、食後にすぐ作って食べるのはやめにしようと思った。腹が膨れていると、甘さがさっぱりわからなくなる。特にこのようなあっさりしたものならばなお更だった。では、また。

禅寺の朝

2011-04-20 | 雑記
この前の日曜、夜勤も半分以上過ぎた早朝の時間、ついていたテレビを見ると、有名なお寺の飯の話をしていた。

永平寺、で調べると色々出てくると思われるが、精進料理というやつで、肉類は一切入らない。味噌汁の出汁にも鰹や煮干は入らないという。

そんな永平寺の朝食は、玄米粥と黒ゴマ塩、たくあんだそうな。たくあんは自家製で、一年分漬けてある。食べるときに音が出ないよう、細かく刻んでだしているそうだ。
たくあんの横には梅干があるが、梅干は自家製かどうかは言ってなかった。昆布の老舗、「奥井海生堂」というところが取材して、写真を載せているのも見たが、梅干については触れてなかった。

話は別にそこに無いので措くとして、お粥にごま塩というのがなんだか惹かれた。

玄米は無いので、白粥を作り、買ってきたすりごまに塩を混ぜて、ふたの出来るタッパーに入れておく。寺では毎朝するところから始めるそうだが、ここは寺ではない。鍋で作るおかゆは意外と早くできる。
帰宅してからの寝起きで作ったのだが、悪くない。ごまの香りがよい。たくあんは今度用意しようと思う。梅干だけではちょっと物足りない。


ごまは古来より云々、とかいう健康食品のうたい文句は放っておく。

修行僧が食事制限する修行の際、特定の木の実を食べる。ごまは忘れたが、蕎麦の実を食べたりするのだと言う。終わると体が前より頑丈になるとかならないとか。

ごまもよく健康食品の素材として宣伝されているのだが、そういうのは「健康成分が多いから」ではなく「飢餓状態になったから」なのではないかと思えてくる。
限られた栄養をしっかり取り入れようという体勢になったところへ蕎麦やらが入ってきたから効果が大きかったと。

人間と植物を比較しても仕方ないのだが、トマトは水をやらないほうが甘い実が出来るという。栄養を実に蓄えようとするからだ。

養蜂家は北から南へと、花が咲くごとに移動していくのだが、それならばずっと花が咲く台湾に行ってみようと蜂を連れて行った。蜜が多いから収穫が増えるだろうと。しかし、蜂たちはいつでも蜜が取れるからと、巣に蜜を蓄えることをしなくなったという。

年々野菜に含まれる栄養素が減っている、という話が出ている。農家がたっぷり栄養を与えているから、と思われる。

飢餓状態、というか空腹状態が続くほうが、脳の反応やらがよくなる、という実験結果もあるという。肉体についてはその実験ではやってないと思われる。


と、そんなことを思ったのは書き始めてからだったのだが、しばらくはこの永平寺式の朝餉をやっていこうかと思う。昼だったりすることもあるだろうが、別に問題ない。

また話が脱線というか上に戻るのだが、発明王エジソンは、トースターを作ったのだそうな。彼はトースターを売るためにキャンペーンを張った。一日二食は不健康だ、三食がよい。とやったという。
エジソンが勧めるのだから、とトースターは売れに売れたそうな。

さて、当のエジソン本人はというと、一日一食、朝に果物を食べるのだが、パンは食べなかったと、聞いたような気がする。エジソンの食事は詳らかではないが、トースターと一日三食推進はWikipediaにも載っている。
三食のせいかは知らないが、アメリカは肥満で苦しんでいるそうだ。日本も・・・まあいいか。


お粥のせいかそれともちょっと前から妙な感じだったせいか、風邪をひいたらしい。さっきもお粥だったが、風邪ならこの先もお粥かもしれない。結構なことだ。


終わりは動画。絵はまだか?習字は?と言われそうだが、未定です。


七十四発目

ゲームに関係の無い話には突っ込みがまるでなかった。


七十五発目

ついに最後のCMが本編よばわりに。


そしておまけ

レースゲームを本格的にやるのは久しいのだが、楽しくてよく走り回っている。やり込んでないコースで一位目指すとかやってるのを傍から見てるときっと楽しそうに見えないだろうが、一応楽しんでいる。

休みで風邪気味とはいえ、出かけなくてはならぬ。世の回り物を相手にしてこなくてはならぬ。では、また。

日光浴

2011-04-17 | 雑記
天気がいいのと、仮眠が思いのほかよく眠れたので、せっかくだからと多摩動物公園に行ってきた。

上野のパンダと言えば全国ネットで放送される人気者。さて多摩動物公園はというと、パンダみたいな強烈な売りはなかったりする。

ただ、小高い丘と言うか山のようなところにあるためか、設備をたまに大きく拡張したりする。オランウータンが遥か上空で綱渡りを出来るようにする、というのは上野では出来そうもない。

そういう動物の本来の姿を見せる展示の嚆矢は旭山動物園だが、オランウータンの綱渡りも旭山が有名になった後だったので、推測の域は出ないが、影響が大きかったのだろうなと思う。

嘗て、上野は入場者数一位を誇っていたのだが(誇っていたかは知らないが)旭山に追い越されてしまったという。現時点ではどうかしらないが、たぶん変わってないのではなかろうか。

旭山に追いつけ追い越せかは分からないが、なんだか目が離せないなと思っていたのだが、オランウータンの綱渡り以外で大きな目玉は最近ないような気がする。それも数年前である。


それなのによく行くのは、山の中にあるから。なんせ天気もよかった。動物や時間帯にもよるのだが、元気なやつは元気だったり、客に近いところや外で寝ていたりする。

分からない人が名前を聞いてもピンとこなさそうなウォンバットが、ガラスのすぐ傍で丸太を抱いて寝ているところを見ていたら、周りは「かわいい」で騒がしくなったりもした。日曜日なのもある。
これは飼育員の陰謀、じゃなくて策でもあるのだろうが、お気に入りの台と丸太がガラスのすぐ手前にある、というのが大きい。前に見たときはこんな近くで見えなかった気がする

オランウータンの綱渡りは見れなかったが、まったく念頭になかったオオワシが、空に比べれば遥かに狭いとはいえ、中で大きく飛び回っていた。自分が見ている前で飛び始めたのもあって、ちょっと感動した。

多摩動物公園には、アフリカゾウとアジアゾウがいる。アフリカゾウは何頭か一緒に暮らしているのだが、アジアゾウは一頭だけ。

なんでも、象関係に疲れたらしく、一頭がよいのだとか。いつ見ても鼻と尻尾を振りながら機嫌がよさそうな動きをしている。初めて見たときと変わらない調子で踊っているのだ。結構な歳らしい。このままゆったり余生を過ごしていただきたいものだ。

何を見てきたこれを見てきたと言っていると終わらないので、気まぐれに撮った写真を一枚。



上から見たら草を食んでいたのに、回りまわってやってきたら寝ていた水牛くん。手を伸ばせば触れそうなくらい近かったのでとりあえず。

今日は結局、ほぼ全部を見て回ることが出来た。特に変な気分にもならなかった。
上野に行ったときの気分の悪さやら、二日酔いも覚めぬ頭で書いたわけの分からない前回(を書くきっかけになった寝起き)やら、どうやらこれは寝不足が原因だったのだと思われる。

夜勤明けで寝てないと言ってたら「脳に負担をかけるのはよろしくない」とよく注意されたものだが、今回のでそれがよく分かった。パンダには感謝しないとならない。では、また。

南下

2011-04-16 | 雑記
前から「地震が南下してきてる」とよく言われているが、さきほど、茨城南部で震度5強の地震があった。

いつぞやの夜中に揺れたときのと比べたら、こちらの揺れはさほど長くなかった。ただ、いつぞやの夜中の揺れからまた、通称地震酔いの兆候が現れた。

都内でそうなってしまうのだから、被災地の方々はまったく治まる気配を感じられないのかもしれない。余震は十年は続く、という話も出ていたそうだ。もはや余震と呼んでいいのかわからない。


と、そんな話ばかりしても仕方ない。


昨日、なにが原因かあまり思い出せないのだが、「絵を描いてよ!」と言われる。

相手が描いてるという話がきっかけだったか。今度、延期されていた然るイベントで絵が出るそうだ。

絵といったが、たまーに見に行く国立西洋美術館で扱うような絵ではない、と言うまでもなかったが、つまりはそういうこと。


絵というか美術というか、物を作って見せることが嫌いで、トラウマなのだ、などと言ったが、どうも「上手く描かなくてわ」というような強迫観念に付き纏われる。スケッチブックのように頭の中が真っ白になってしまうわけだ。これもその時言ったかそういえば。
最初から上手い人なんていないんだから、と言われるのだが、分かっていても振り払いがたいからトラウマなのである。

実際、動画を始めた時もたっぷりあった感覚だった。たぶん悪い意味で慣れてしまったのが見抜かれたのか「もっと色々見て吸収して」と指摘された。指摘といっても、面白い動画あるよーと言われて「人のやつは見たくない」などと言ったせいだろう。

丁度いい機会かもしれない。動画の進退は今のところ措くとして、何か新しいことをやってみるのがいいだろう。冗談半分の提案たる「動画の最後におまけで絵を描いて載せる」をやってみるのも悪くないだろう。今まで見ていた人がいろいろ面食らいそうだが。
これも冗談だったのだろうが「そのせいで動画自体より作るのが時間かかったりしても知らんぞ」というと「それも可」という。さらに「じゃあ動画辞めて絵描くか!」といえば「それも可」とすら返ってきた。

あれもこれも含めて「色々吸収」することになればいいか。飲みすぎで早朝目が覚めてしまい、そのことを考えていたのだが(考えすぎである)抱え込んでも仕方ないのでここに表明することにした。


さて、動画を出して終わることにする。

撮ってその日にエンコード、という、ちょっと急ぎ足な掲載。

七十二発目



七十三発目

SSDのことは忘れたまえ!


蒸し返すが「じゃあ動画辞めて絵描くか!」「それも可」という流れのときは流石に、「つまらん動画なんぞやめちまえ」に聞こえた。色々吸収して、が先にあったせいかもしれない。

そう考えてしまうということは・・・。敢て言わないでおく。


クドクド書いたが、別に悪意も何も無い。一対一でおしゃべりした内容をここで書くのはあまり宜しくないのだろうが、言いたくなるほど引っかかることがあったということである。

つまりはというと、そこはかとなく「何か」をやりたいと思っていたところだった。その提案はありがたく戴いた!感動した!というわけだ。回りくどい!飲みすぎだ。


余談だが、以前にも「絵を描いてよ」と言われた。その時は「はづかしい」と言ったらこう返ってきたものだった「声いれて動画流すほうがはづかしいよー」と。一理以上ある。



二日酔いの頭でどうこう悩んでも答えが出せないので、こういう形を採った。改めて申し訳ない。はあそれにしても大仰だ。飲みすぎである。では、また。

行列に並ぶ

2011-04-13 | 雑記
天気もいいし、平日だから人も少ないだろう、と思って、夜勤上がりに上野動物園に行ってきた。

先月、かの国からパンダが送られてきたのだが、公開は三月の中旬から下旬にかけて、になるはずだった。

まだ予断を許さない震災の影響で公開がずれ込み、四月になった。公開されてすぐの休みは途轍もない行列ができていたのをTVなどで見た人もいるだろう。

開園は普段なら九時半。今は短縮営業で、十時から四時までになっている。春は花見シーズンもあって人も多いのだが、昔、丁度この時期に来たときよりは少ないと思ったのはちと桜の盛りが過ぎてしまったからかもしれない。

十時過ぎについてすぐ、チケットを買って入場する。券売機から出てきたチケットには、パンダの顔がアップで写っている。


やはり平日というのもあって、意外に人はいない。列を整理する人の声に耳を傾けると、だいたい五分くらいの待ち時間で見ることができる、とのことだった。

パンダの展示位置は昔とほぼ変わらないが、改修はしたようで、入り口や舗装のし直しをしてあるようだった。中は以前と同じで、三段階の通路が通ってあり、一番前は今は通さないようだが、二段目は子連れ、後の一番高いほうは大人を建物の入り口で振り分けて通している。あからさまに子供でないようなのが二段目を歩いているような気がしたが、気にする意味もない。

どうせ人の頭を撮ることになるのだからと、写真は撮るのを諦めた。前を歩くおっさんは熱心に撮っていた。係員が立ち止まるなと言っているのに立ち止まりながらである。


パンダの展示はそれぞれ別のスペースに区切られていて、向かって右が雌の「シンシン」、左が雄の「リーリー」だったように記憶している。

雌の方はよくTVなどで見るようなイメージの座り方で笹を貪っていた。時折、笹が大きく振り回されるように動いている。

さて雄の方はと言うと、王様だかマフィアのドンだかがくつろいでいるような寝方でだらしなく仰向けに寝ながら笹をかじっていた。

どちらも体ごと顔がガラス、つまりは客のほうを向いていたので、サービス精神はちゃんとあるようだった。これが国策か・・・。

余談だが、今朝、掃除のおばちゃんに「今日はパンダ見に行ってくるんだ」というと「わたしが上野の最初のパンダ見に行ったときは、ずっと尻しか見せてくれなかったよ」と笑っていた。

出てすぐは少し順路になっていたのだが、出口に募金箱と人が待っていた。パンダ募金、ではなく、今回の震災の。不謹慎な言い方かもしれないが、少し狙いすぎではないか?と思いたくなる。


パンダはなんとなく見れば、熊のように見える。中国語で実際、「熊猫」と書く。カタカナで発音を無理やり書けば「ションマオ」という。ジャイアント・パンダとよく呼ばれるので、展示場の入り口は「大熊猫」とも記してあった。
「パンダ」自体は「珍獣」を指す言葉で、最初に見つかったのがレッサーパンダと呼ばれるほうだったらしい。こっちのほうが珍しいとなり、「劣る」という意味のレッサーが付けられて今に至る。もしかしたら中国語で狸猫とか呼ばれているのだろうか。

動物の分類については学者の仕事なので、子供のころはあまり気にしたことがなかったが、近頃は「あれは熊の仲間よなぁ」と思っていた。

展示場傍の新しくできた説明の立て札を見ると、「遺伝子を調べたところ、最近は熊の仲間だということがわかりました」という風に書いてあった。
あれで「猫の仲間です」、と書かれていたら大笑いするところだったが、そんなことはなかった。


近くの土産物屋を遠巻きに眺めてみると、パンダのぬいぐるみが並んでいた。流石に・・・なんだか天気はいいのに気分がなんとなく晴れないのもあって、足は遠のいた。母親に送ろうかとも思ったが、和歌山にもう大きくなってしまったが、子供パンダを見に行けばいいので、それまではいいかと思うことにした。

久しぶりに来たのだから(人に去年来たかも、と言ったが、おそらく去年行ったのは近くの美術館)全部見て回ろうというのもあった。一部工事が行われており、完成は今年中のようだ。その時はその時に見に行くことにする。


何がいるのかすっかり忘れていたので、こんな建物あったっけ?と思って入ったら、やはり単に忘れているだけだった。

不忍池を渡る形で、ワオキツネザルを飼育する島なんかが出来ていた。彼らは泳げないので、柵が無くても逃げないと書かれている。決して無為無策ではない、というわけだが、洒落としては詰まらないので却下。


爬虫類などの展示施設に入ってすぐ、サンショウウオが水面を向いて固まっていた。

親指と人差し指をすり合わせながら水槽ごしに近づけると、口を動かし始め、前足を片方動かし始める。通りかかったカップルが(サンショウウオに)反応して、ちと恥ずかしくなったが、水面近くで挑発を続けると、伸びきったようにしばらく固まったと思ったら、直後、我に返ったのか水底にある、木の陰に隠れてしまった。外国人の女の子が隠れてしまったそいつを気にしていたようだが、出てこなかった。

気まぐれに写真を一枚。


カメとワニが見詰め合って動かない。食べる気はなかろうが、カメの首もワニのほうをずっと向いている。

撮ってすぐ後に気づいたが、もう一匹のワニが左の水底で待機していた。


今年は日本にカバが来て百年の節目に当たるそうだ。西園に展示スペースがあって、写真や関連グッズを並べていた。写真の撮り方がうまいのもあって、カバは結構かわいらしいのだなぁと感心してしまった。

ちなみに、展示を見る前にカバ自体を見ていたのだが、若いやつは皆、図ったように尻を見せて寝ている。大きいほうはちょっと陰に隠れていた。あの写真は合成に違いない。

夜勤明けのせいなのか、天気はいいのだがなんだか気持ちがよくない。春は変な人間が沸く、などというが、そういう人達は、こういうよくわからない状態が昂じて変になってしまうのだろうか、などと考えてみたが、考えながら帰りの電車の中でちょっと寝ていたら少し落ち着いた。人が多いのがだめなのかもしれない。では、また。

解除

2011-04-10 | 雑記
そうあれは約一ヶ月前になる。

あの震災の前の日、飲みに行こうと誘われて、ウヰスキーを五杯ほど飲んでいたのだった。

あれからしばらく、泡盛を飲みに行ってはいたが、ウヰスキーをまったく買わなかった。というのも、家の前のスーパーには好んで飲んでいた「膳」がなくなっていたからだ。


今日の帰り道、また飲みに行くかと思ったのだが、飲みに行くにはいくのだがついでだ駅前のグルメシティで買おうと、踵を返して向かった。

だがしかし、山崎もマッカランもグレンフィディックもない。

悩みに悩んだ末、これを買うことにした。




「私はウヰスキーしか飲まない」などと、かなり昔のハードボイルドなアニメでそんな科白があったのだが、こいつもスコットランドからやってきたウヰスキーである。有名な名前なのだが、飲むのは初めてである。


中世だったか、おそらくスコットランドで酒に関する法律というか取り決めがあって、スコッチと認められるには原料がモルトのみ、というのを掲げていたような気がする。出典は調べてないが、何かで読んだ気がする程度。気になって夜はお酒飲まないと眠れないとかいう人はどうか調べてほしい。それだけが私の願いです。

さてこのジョニ黒12年君はというと、Blendedとある。続けざまにScothともあるが問題ない。

上の中世の法律はもしかしたら、スコットランドできっちりと作られたものだけがスコッチである、というものだったのかもしれない。でなけりゃスコッチウヰスキーとある理由は想像にお任せするしかなくなるのだが、想像は自由である。お好きなだけどうぞ。

Blendedとあるのは、原料が別のウヰスキーを混ぜたものというわけである。燕麦だとかとうもろこしを使ったウヰスキーを「グレーン」というのだが(うろ覚え)メインのモルトで作ったものにグレーンを混ぜて、味を調節して世に送り出すというわけだ。

世の多くのウヰスキーというものはそうなっているそうだ。「混ぜる」というと聞こえが悪いのは先入観というわけで、おいしいウヰスキーを作るにはいいのである。

ウヰスキー自体がまずいという人には一生関係ない話なので気にしなくていいが、モルト(大麦だったか)は品質がよくぶれる。グレーンは単体では個性に欠けるが、ブレンドすることでモルトの出来が多少悪くても安定した品質で提供することができる、とうメリットがあるのだとかないのだとか。

グレーン自体はよくブレンドにまわされるのだが、単体で寝かせたヴィンテージのグレーンもあるのだそうな。

作っているところの地名を冠してスコッチなどとといわれるのだが、バーボンも地名である。バーボンはアメリカのどこかの地名であるが、どのあたりかと問われても知らない。GoogleEarthでも使うとよい。

ずっと前に浅草キッドが司会の「朝日ジャーナル」だったか、そんな名前の番組でバーボンを造っているところを紹介していた。

厳密な割合があって、モルトが何%グレーンがこれくらい、だとか、もとの燕麦やとうもろこしの配分も決められていて、守れないものは駄目だとかそんなのがあった、ように覚えているが忘れた。

グレーンの割合が多いとバーボンになるに違いない。思い出す気がないのでここが落としどころと決める。そもそもグレーンだけだったのかもしれないが、気にしない。


さて飲んだところはというと、スコッチらしい刺激が鼻と喉を通るのだが、くどくない後味である。チェイサーを通したときにちと物足りないような気がするが、それはあんた、昼間に泡盛を二杯ほど飲んだせいでしょうが、と突っ込んでおく。

お勧めは水割りとソーダ割り、と書いていた気がする。水割りでは薄いので、トワイスアップとしゃれ込むべきであるが、一杯目がストレートだった。「開封時はトワイスアップ」という決まりをつい破ってしまった。

日本を代表するブレンデット・ウヰスキーに「響」がある。これはかなり美味いと聞いたのだが、スーパーやグルメシティではお目にかかることがない。デパートでお歳暮の時期などで見ることがありうるようだが、大体忙しいのとめんどくさいのとのダブル・バインドで行ったことがない。気が向いたらいく、と言ったら一生行かないような気がするが、それはそれで仕方ない。


そろそろうんざりしたころと思われるので、さらにうんざりするほど動画を掲載して終了する。
急に動画を出したくなったので三本ほどどうぞ。

六十九発目


びおすだとかぞーえーだとか言っているが、どちらにしても誰もわからなかった。あまり勘繰らないでほしい。


七十発目


「実況動画三年だったっけ」と言っているが、改めて確認すると二年だった。動画自体は三年になるが、過去は振り返らない振りを貫こうと必死なのでいじらないでほしい。


七十一発目


最後のほう、PCがオーバーフローしかけたのか、撮影とゲームが一瞬止まるという不測の事態に。想定外でした。しかし指摘は二年前になされていたはずだ!とか突っ込むと色々危ないのでやめてほしい。


あまり人の動画を見るとねたましくなるので見たくなかったのだが、有名な同業者(なにが)の方は確か東北じゃなかったかと調べてみたら、青森在住となっている。が、無事らしく、数日前にも動画を出していた。
ついでに、ゴルゴ13の作者、「さいとうたかを」も青森の花巻在住だそうな。花巻は内陸なのできっと生きている。Wikipediaによるとたかをさん、わが故郷の出身らしい。南国から北国に移り住むとは不思議であるが、わが故郷は不思議な人の集まりなのである。かくいう自分も変なやつと言われるのだが、歴史を紐解くともっと洒落にならない人物がわんさかいるようだ。熊楠とか熊楠とかあと熊楠なんかがそうだろう。では、また。

春といえば

2011-04-08 | 雑記
先日、地震直後から活発だった風潮について話し合うつもりでもなく、なんとなく出てきた話題として話をしていたら、そこはかとなく落としどころが見つかった。

というわけでそんな話をしようかと思ったのだが、ちと忘れて一日寝ていたりした。パンダ見に行こうと思って、昨日の夜勤明けに髪の毛を切ってきたのが無駄とは言わないが残念なことになってしまった。


簡単に言うと、こんな流れ。
「震災で困っている人がいるのに、被害にあっていない人間が普段どおり生活するなんて不謹慎だ」という風潮が大きいのかどうかしらんが、取りざたされていたことがあった。

ネット界隈では何かにつけて「不謹慎だ」と騒ぐ人を「不謹慎厨」と呼んだりしているようだが、この辺りは知っている人は知っている。


今回の震災は被害も大きく、さらにどうなるかわからないような状況も続いてはいる。

しかし、被災地の人こそ「花見を自粛する必要などない。被災地にある蔵元の酒を飲んでくれたほうが支援になる」という風で、不謹慎というのが馬鹿らしい状況になっている。それでも「不謹慎」と騒ぐだろうから「厨」の厨たる所以といえようか。

だからこういった。

「今回はどちらかといえば見える範囲でたくさん人が亡くなられました。だがしかし、地球のいたるところで毎日のように震災やその他で多くの尊い人命が失われているのですが、今回の件で不謹慎だと騒ぐあなた方は以前からそういう話を見聞きしていつも『花見をするのは不謹慎だ』等とお騒ぎになられましたか」と、こんな風には言わなかったがこういう論旨のことを語った。

これを受けてこんな答えが出た。
「そういう人たちは出家して坊さんになるしかないね」と。

これはもう、一億総出家しかないなと。それは冗談だが。ただし、親戚やら友人が行方不明の方はそんなところではないのは当たりまえ。問題は騒いでいる第三者。出家していただくしかなかろう。




さて、春といえば、何か新しく始めたり始まったりというのがある。

あまり大きく紹介するのはどうなんだろうと思うので、左のブックマークに新しいのが追加されています、とだけ書いておく。犬はいい。谷口ジロー作の『犬を飼う』という名作漫画があるのだが、犬が元気なうちに読んではいけない。では、また。

混乱している所

2011-04-07 | 雑記
夜勤から上がり、ロッカーで着替える際に携帯電話を開いてみる。メールのほかに不在者着信の履歴が目に付いた。

しかし、まったく身に覚えのない電話番号。ちょっと仕事場のPCで調べてみると、何故だか大阪にある喫茶店からかかってきたらしい。

不審に思いつつも電話してみたら、おばさんの声でその店の名前を名乗る「○○です」あれ?ニューなんとかじゃなかったかと思ったが、その辺は気にしない。

昨夜の六時半ごろに、三回ほどそちらから電話がかかってきていたみたいなんですが、と問うと、「私はそのとき店にいなかったからわかりません」という。

そこまで熱心にかけるなら、他の従業員に伝言があってもおかしくないが、そういうのもまったくないとのこと。わけがわからないが、どうせ何もないだろうと思っていたので、何もないならいいんですよといって切った。


ここまで書いてふと思い出したのだが、うちのホテルの客室から外線をかけると、事務所の電話番号が表示されるらしい。客の間違いかいたずらかしらないが、ワンギリされたんだがと何をそこまで謝らせたいのかやたら威圧的に電話されたこともあった。

もしかしたらそのお店もそういう仕組みか、と思ったが、やっぱり違うだろう。それならテナント扱いと思われる喫茶店が代表になるとは思えない。

妙な電話の話はこれで終わらなかった。


帰り道、いい加減髪の毛を切ろうといつものお店に立ち寄り、地震がどうだっただのと話をしていた。

終わったのが十二時過ぎだったので、ちと腹が減ったが、伊勢屋に行こうと思ってまっすぐ向かいだしてしばらくすると、電話が鳴り始めた。

電話番号はない。公衆電話からだった。

出た人間はさっきの謎の喫茶店の時のおばさんかと思いそうになったおばさんの声だったが、なんだかこっちをおそらく勘違いだろうが、知っている人のように呼びかけてくる。
その呼びかけが聞き取りづらかったのもあったのか、自分の呼び名のようだったのと、京都がどうこうと言っているように聞こえる。親戚のおばさんか?と思ったが妙だ。
そして「昨日だれだれと一緒に家にいったんですよ」という風なわけのわからないことを曰う。「僕は昨日、家にいなかったんですがねぇ」といったがおかまいなく話を続ける。一緒に行った、は「僕」と一緒に出かけた、という意味だったのだろうか。

「京都の○○ちゃんよね?」というので「京都の○○ちゃんではないですよ」と答えると、ああそうですかすみませんとあっさり引き下がった。京都の、がなければ、あと聞き間違いでなければ、その呼び名は間違いではない。どちらにしてもわけがわからない。

きっと全国地震酔い状態で、酔っ払った自分よりも酔っ払った状態になった人が電話をしていたに違いない。というのは冗談だが、せめてかけようとする電話番号を直前に見直すくらいしてもらいたいものだ。


というわけで、上とはまったく関係ないが、動画を掲載して終わる。

以前からゲームとしてではなく、グラフィックの技術がどういう風なものか気になっていたゲームがあった。普段はレースゲームなんてしないのもあって、余計に手をつける気が出なかったのもあったのだが、DL販売でおよそ20$となっていたのでつい買ってしまった。

買ってすぐは特に問題なく動いていたのだが、先日からLoading中によくゲームが止まる。どうやら謎の不具合があるらしく、未だ改善されずに放置されているようだ。次回作も近々出るようなので、忘れよう。

とはいうものの、ぶつけながら走り回っているだけでありながら、ひどく楽しい。レースゲームなんてマ○オカート以来で、しかもお互いの風船を妨害アイテムを使って潰し合う、対戦モードばかりやっていたものだったが。
時間も短く撮ったので、画質はたぶんなかなかのもの。詳細は省くが、もっと絵を大きく撮ろうと撮るには撮ったのだが、編集するとコマ落ちが激しくなったので、仕方なくいつもの大きさにしている。




フリーズさえなければもっと楽しめるのに、と思ったが同じコースをリプレイする分にはほぼ止まらない。恐ろしいのはLoadingと表示される時。それにしても困ったものだ。では、また。

年中行事

2011-04-06 | 雑記
久しぶりに酒を買ってきて家で飲むことにした。



本当は支援の意味もこめて東北の酒があればと思ったが、目の前のスーパーには置いてなかった。というか、そもそも飲むつもりがなかったのだが酒のコーナーの前に立ったのが運のつき。

今回の震災では多くの人が亡くなって、「行方不明」とされている人も途轍もない数になっている。

ただ暗くなっても意味がない。こうやって酒飲んでわしは供養をしているんだ、と思って飲むことにしている。供養になっているかどうかはわからない。そもそもそこまで考えたら今の風潮だと飲むのを辞めろといわれそうだから、関係ない。


がんばっている人たちがたくさんいるなか、どうにも不穏な動きをしている輩が政府筋にいるらしい。
昔、秘書の金を使ったために逮捕されたが、今は何故か内閣にいる議員、といえば察しはつくだろうか。

今も議員をやっていること自体が不思議でならないが、今の与党が与党だ。いてもおかしくない。類は友を呼ぶというのだ。


これが供養の精進落としの酒なら問題ないが、腹も立って自棄酒になりかねないので、ここで辞める。興味のある方はいろいろ調べてみるといい。内容は眉唾としても、興味深いブログを教わった。「スミスのブログ」で検索をしていただきたい。
三月末くらいの記事がそのなんとかボートの人関連の話をやっている。PSUやりながらざっとしか読んでいないのだが、何が起きていたか、おそらくこのまま起こりうるであろう何かがわかるかもしれない。


というわけで、動画を掲載して終了とする。
出したら出したで一晩でコメントが十数件入っていた。おそらく一人であろう。再生回数よりコメントが多いという奇妙な状況が出来した。熱心に見てくれているんだなぁと感心してしまった。

六十八発目



供養される立場にすぐ回らないように、もう一杯で終わることにする。では、また。

ころあい

2011-04-04 | 雑記
四月に入ったので、そろそろ髪の毛を切ろうかと考えた。いつも行くお店のスタンプを見ると、一月十九日とある。もうすぐ三ヶ月経つというのか。

夜勤明けで上野のパンダを見に行こうかと考えてもいたのだが、前日との気温差が激しく、服装が軽すぎたのもあり、これで行列に並ぶのは愚の骨頂と悟り、まっすぐ帰ることにした。


せめて秋葉原でも行って輸入ゲームを見ようか、などとも考えたが、今すぐやってみたいなと思うのは某ダートレーシングゲームだった。これはSteamからで20$で買える。のだが、何故かお試し版をDLするとうまく動かない。製品版も動かない恐れがあるので、あきらめていた。360のアナログコントローラーも「落っことしたり」したせいでLBが硬くなっている。反応はするがちと遅い。なかなかいい画質でゲーム自体も面白いと評判なようで(発売からしばらく経つが)後ほど手間がかかるがやってみようかと思う。


まっすぐ帰る、とはいったものの、駅から自宅までまっすぐ行くわけがなかった。一杯やって動画を撮ったら散歩しようかと思ってたんだがなぁと言いながら泡盛を飲んでいた。「散歩行けそうですか?」といわれたが「こりゃ帰って寝てしまう」と正直に答えた。二杯目はさすがに飲みきれなかった。

おまけで名前を忘れたが、おひたしをもらった。見たところ、菜の花のようだが、沖縄の呼び方なのか独特の植物かまでは知らない。少々苦味のあるところも菜の花そっくりだったが、悪くない。

近くの美容院のオーナーさんだという人がカウンターの端のほうに座っていた。てびちを持ち帰りしていった。持ち帰り!そういうのもあるのか。

店のにいさんの近所に、駅前のバーの店長さんが引っ越してきたので、引っ越し祝い云々と相談をしていたようだ。


せっかくだから、小銭の両替をしてもらい、日曜だけやっているすぐ近くのクレープ屋に向かった。あそこ、うまいですか?と聞かれたが、食べ歩いたわけじゃないからわからんと、あんまりな答えをしておいた。
ついでに、いつもの駅の近くにもクレープ屋があるとのことで、次はそこに行ってみようかと考えているが、見つかるかはわからない。


地震の後、材料の調達は大丈夫でしたかと聞くと、バナナや小麦といった輸入品がちと手に入りにくくなったと言っていた。


帰って冷蔵庫に仕舞い、先に動画を撮影することにした。

とりあえず前半だけ掲載する。

六十七発目



やはり、買ってきてすぐに食べたほうがよかったなと思ったが、酔っ払っていてはまともな判断も味覚ももてないだろうからよしとする。では、また。