ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

乙女の柔肌

2017-02-27 | 雑記
珍妙なお話はこの一段下の記事にあるので、「こいつ、自分がもてるの自慢してるだけじゃね?」みたいな感じでご笑覧いただければと思う。

なに?元々珍妙な話しか書いてないではないかって?それはどうもありがとう。光栄の極みである。


さて、コメントでいくつかやり取りしていた件で、相手を非難するのではなく、気になったことを書こうと思ったので、続けて書くことにした。

非難というなら、すでにコメントでしている。


ビッグブラザーとリトルピープルの件、物質に捕らわれているという話しについて、コメントで詳しく返したつもりである。



ビッグブラザー。ジョージ・オーウェルだったかオルダス・ハクスリーだったか、近未来の社会を描いた小説で出てくる存在である。

人々を監視装置で管理している、管理者というわけだ。ビッグブラザーはあなたを見ている、という奴である。

ビッグブラザー自体が動いて、支配体制を安定させているわけではない。何か反乱がありそうなら、警察だとかを配備するだけである。幸福は市民の義務だ、なんていう文句が、それらの作品を下敷きにしたTRPGにあった気がする。

件のコメントでは、「リトルピープルの時代になった」という風に書いていて、リトルピープルが優位な時代だともいう。煽られているということには同意しながらも。

さて、本当に優位なのか?そもそも優位とはどこをどう指していったのか?

煽られているというのは、たとえば、偽ユダヤの支配が終ってきた、民衆には大金が入ってきて、皆幸せになる、といった話なんかが有名である。

偽ユダヤというのは別に支配者の大本営ではない。聞いたところによると、ユダヤという言葉自体は民族を指してなどなく、銀行利権のことを指していて、言ってしまえば「金庫番」である。

門番倒したらゲームクリア、とかいうRPGなんぞ聞いたことがない。次回作に続く!ならありえるが。

ビッグブラザーが衰えたとか思ってて言ったとしたら、恐らくその点、上で書いた偽ユダヤがどうこうのことなのだろうと思われる。

彼らはビッグブラザーではなく、反乱鎮圧の部隊程度である。

鎮圧部隊が弱体化したというなら、今度は別の方法を取るまでの話。

やり口は古く、そしてよく上手くいくやり方である。草の者を放つ。そして誤情報を流して民衆に恐慌状態を起こさしめるのである。

誤情報と知らずに踊らされた民衆は、仮初の敵を打ち倒したところで終らないことを知らず、快哉を上げ、またその直後に絶望の淵へと沈むのである。

これが現代の、現代まで続いてきた状況である。ビッグブラザーはこうやっているのだと知らなければ、またいたずらに踊るだけのことを何故理解しようとしないのか。

これが煽りだというのなら、「そこは地雷原だ」と言ったら「そんな煽りはいらぬ!」と答えているようなもので、止めても突っ込むのだろう。


また、ビッグブラザーの支配とやらから抜け出すために自給自足を、という声も大きい。実際問題、地球は寒冷化に向かっているというのに、「自然に沿った生活」とやらが出切るのだろうか?ビニールハウスはだめで、地下の穴倉で栽培は良い、というのも無意味である。環境を人為的に再現しているのだから、自然に沿った生活なんぞ元からやっておる。穴倉なら良いは、欺瞞である。

別にそこはいい。問題にする必要もない。個人の勝手である。

そこで、物質に捕らわれているという話しをする。

バトラーは魔術の定義をいくつか引用し、最後に自身の師匠の言葉を持って定義としていたのだが、他の魔術師達の定義はというと、「思うままに変化を起こす技術」などといったり、その直前は通俗的な辞書による解説を示していた。
そして最後に師匠の言葉を持って「思うままに意識の中に変革を起こす技術」と述べる。

バトラーの言う、意識の変革を起こす技術を駆使するとどうなるのか?

日常の物理法則を覆す物事を体験することになるそうだ。

さて、現代物理学では、物質は靄のようなものであり、そしてそれは我々の意識である程度動きうると、述べているのである。

現代科学が魔法染みた見解を述べているのである。こういういい方は嫌いだが、一般的にはこう伝えるしかない。

「物質は精神の影」という風な言葉があったと思われる。申し訳ないがうろ覚えである。

現代科学も魔法も、物質は精神の、人間の意識の影響下にある、と言っているわけだ。

そして、アイクも言う。物質は幻なのだと。魔法だとかは言わないが、同じ見解を述べている。

何がそれを見せているのかというと、コンシャスネス、ユングでいうと集合的無意識と近い意味のものが見せているのだという。
まずは超自然的な意識があって、そこから物質が作り上げられ、そして我々がいるのである。
その物質は強固な状態だと思い込んでいる、つまりはお約束に従っているだけで、お約束を外れたところから見たら、なんでもないのである。

くどくなるので言い方を変えよう。

我々は、物質が先にあってその後に意識が生まれたと思っているが、それは結果と原因を取り違えている。それが致命的なのだと。

あなたにも腕があるだろう。ない人もいるが、とりあえず。

何かを触ってみる。もしくは親指と人差し指をこすりあわせてみよう。

刺激が伝わるだろう。異性の肌に触れたら、この刺激はもっと強烈なことになる。

こんな感触を伝えてくれる腕があるから人間になったのだ、手という物質は素晴らしい、と思いそうになる。

でもそれは、電気信号であって、その手が、触ったものが素晴らしいからだというわけではない。女性の柔肌は素晴らしいが、それは措くとして。

それは、あらかじめ決まっているものを体験しているのである。だからといって、無意味だといっているのではない。

あらかじめ配置調整され、形作られた物質を通して、常日頃、素晴らしい体験をしているのである。

とはいえ、人類の時間からいえば、ずっと大昔からそれは、まがい物にされてきた経緯があるのもまた事実である。

物質は、「あらかじめ配置調整され」と書いたが、いじれるからだ。別の誰かが「調整」しなおしたわけだ。

そして、人類はそのようなことを出切るわけがないと、ずっと信じ込まされてきたわけだ。

だが、その端緒は切り崩されたといえる。誰かが作った物質に服従する必要はない。手で味わう感触すら、まがい物になり得るだろう。

その様な空想ともいえることを、ただ切り捨て、目に見えている幻を真実と見なし、唯々諾々と従うのであれば、それはどのような言葉で飾り立てようとも、物質への隷従である。主従逆転なのである。

環境汚染や気候変動がどうとかというのは、今のお約束の話しだけである。

それすら体験しているだけのことである。

とはいえ、幻だからといって、何の対処もなく税金の督促を無視したりしたら面倒になるので、訴訟して不払いにするか(実際に海外在住の人が国家に権威なし!と裁判所に認めさせてしまった例がある)、さしあたり一個分だけ払うだとかしておかないと、つまらん体験をすることになるかもしれないので、ご注意を。

それすらも体験である、といえなくもないが、そんな風に考えるのは、いきなりは難しいものである。

では、よき終末を。


ありふれた小説のような話と、イングランドのエリちゃん

2017-02-27 | 雑記
KJEを保持するものには苦難が付き纏う・・・。
※KJEとは、着物から発する妨害電波とその波及効果である。

今宵はそんな小説のようなお話をお送りしたいと思う。小説を楽しみにしてる、とか言われたのでこう煽ってみた。


イングランドのエリちゃんが去年、公衆の面前で正体をばらしてしまったと思ったら、今年になって「わたし、トカゲなんですの」とキャピキャピしながらお報せしたらしい、という話を聞いたものである。この辺りは何度か書いた。

わしが着物を着だしてから、世の中はまるで洋装が、じゃなくて様相が変わってきたかのような気分である。まあ、あんまり変わらん。

それはともかく、わしはエリちゃんを応援したい気分なのである。

というのも、わしは、爬虫類、特にヘビには頭の上がらない思い出があるのである・・・。


かつて小学生の真ん中くらいの歳だったころか。

学校の帰り道。故郷は田んぼやら山だらけで、幅数メートルはあるであろう、用水路なんかもある。

その時は用水路はせき止められ、水がたまっていた。その中に一匹のヘビが、登れない壁を登ろうとしているのを見かけた。

わしと他何人かが、石を投げて、ヘビの妨害を始めた。誰が始めたが、わしが始めたのかは覚えていない。

放っておいても登れなさそうなのだが、ヘビが怖いというイメージは強い。実際に、ヤマカガシだとかの話なんかを聞いていたら、怖いとしか思えないわけで。

ここも詳らかではないのだが、誰かの石がヘビに直撃した。ヘビは、先ほどまで意思を持って動かしていた頭をさげてしまい、その体も力なく水面に浮かんだ。その頭部辺りから血が流れるのが見受けられる。

我々は何もしていないヘビを、ただ怖いからといじめ、挙句の果てに殺してしまった。

その感情を皆共有したのだろう。水を打ったように静まり、それぞれの帰途へと着いたのである。


イングランドのエリちゃんの行動は、KJEの影響でなんだかメチャクチャにも見えるのだが、かつて殺したヘビのことを忘れないで欲しいとの切実な願いを投げかけているように見受けられたのである!

で、どう応援するのかって?

ヘビなんて怖くないぜ!一緒に遊ぼうぜ!お前用水路の中な!と、やれたらいいなぁと思うわけである。・・・結局石を投げるらしい。あの時、用水路の中へ、わしは石と一緒に意思をも投げ込んでしまったようだ。
KJEは意思を石で破壊するらしい。ヘビの意思を破壊してしまったのだから。

ヘビは怖かったので、イシ丸ごと放り投げたというお話であった。

イングランドのエリちゃんよ、永遠なれ。


さて先日。

夜勤明けに、馴染みのネパール料理屋に行ってきた。昨晩にとんかつ食べた以来、何も食ってないことを思い出したので、そこでラム酒を飲もうと思ったのである。え?

ラム酒はもちろん目的だったのだが、別の目的があった。

あの時、KJEの胸囲、じゃなくて脅威をお互い目の当たりにした女性。一般人に向かってサインをねだるという暴動にも似た狂乱状態に陥った女性。あの方は無事なのだろうか?と心配になったのである。

しかし、飲んでいると急に混雑し始めた。こっちがカウンターいった方がいいかなぁ?などと思いつつ、飲んで炒め物を突いていた。

少々あわただしさが落ち着いてきたころ、また客が一人やってきた。入り口の方を横目で見るように座っていたので、若い女性だということはわかった。

まだ混んではいたので、その女性は愛惜、じゃなくて相席を承諾し、わしの背後の席についた。

すると、「お久しぶりですね」と、声をかけてくる。

ん?誰だっけ?と思い、顔を確認する。覚えがあったとは言いがたかったのだが、こちらの顔はよく覚えているといった顔をしている。

もしかして・・・と思い、「もしかして、サインの?」と恐る恐る問いかけてみた。

「そうですよお!」とはしゃぎ気味に返答してきた。

すると店長が「先週もさっきまで(わしが)いたって話ししたんですよ。どっかですれ違ってないかってね」などという。

今までもニアミスをしていたらしい。

それなので、正直に話をすることにした。お嬢さん、僕に一生を・・・どこの正直か!

これはつまり、KJEって奴のシワザなんだ!とかいう話はできるわけがないので、そこは隠す。

「いやぁ、まだ本当にサイン欲しがってるのかナァなんて思ってね」というと、ちょっと飲みすぎで覚えてないのだが、「もってきてます!」などと言っていた気がする。

そして調子に乗って、きっとKJEのシワザなのだろうが、あろうことか、ふざけたことを言い出した。わしが。

「そう思ってたらこう会えたなんて、なんか、赤い糸でも繋がってんじゃないか?」と小指を突き立てつつ。真相を隠すためとはいえ、暴挙に出たものである。

これで退いてくれたらありがたいのだが、そうは行かなかった。

「そうかもしれませんね!」などという、威勢のいい返事が来たものである。「そんなご冗談を」ぐらいでよかったのに。

KJEによるKRSの後遺症はすさまじく、なんでそうなったのかが思い出せないのだが、オカルトチックな話を話すると、「わたしもそういうの好きなんですよ」と興味深く聞いてくれる。
「話が丁寧で面白い」とその女性が感想を述べると、女性店員が「安生さんは話しの引き出しが一杯あるんですよ」などと持ち上げる。
持ち上げついでに、グラスの持ち方が格好いいとまで言い出した。思ってていわなかったことだと前置きしていたのは、その女性に向けて印象付けようとしていたのだろう。
持ち方といっても、指のほうではなく、持ち上げ方なのである。クセでひじを横に出して肩の高さまで持ち上げて飲む。肘を下ろして飲むと落ち着かないのである。わかりやすいイメージで言うと、『蒼天航路』の関羽。わしの顔に髭までつけてイメージしないこと。

着物も格好良かったけど、今のも格好いいなどと、身なりがよく見えるらしい。挙句の果てに「もてるんじゃないんですか?」とまできた。

「いやぁもてない。それに女性にはトラウマがあって・・・」

「その話は長くなるんですか?」

「聞くも涙、語るも涙なんで、言うのはとても辛いから言わない」

トラウマ話は本当にやりたくなかったので、おどけてごまかしておいた。少なくとも人のいるところではやりたくない。

そして、店長はしきりに「食事はどうですか?」とか「ごゆっくり」などとのたまう。

ああ、思い出した。その女性は、あまり綺麗な身なりが出来ないので、わしみたいに身なりよくしたい、などと言っておったので、次に会ったら「まずはイメージトレーニングから」とワケノワカラン話しをしてさらに混乱させようと思う。


KRSはKJE保持者に引かれてしまう!轢かれてしまうのだ!車じゃあるまいし。

KRS患者による、KJE保持者への印象をまとめる。

何を着てても(こちらも選んで着てるが、和洋問わずとざっくりいう)似合うと言い出す。

話が面白くて賢い人だと言い出す。挙句の果てには前世は神か?とかいうんで、仙人じゃないかなといったら、そっちのほうが納得していた。

背が高く見える。160しかないといったら、170はあると思っていたとのこと。

そして、KJE保持者の意思に引かれてしまう。この日になんとなく思ったらばったり出くわしたのがその証拠!意思は用水路に投げ込んだはずでは・・・。

危険だ・・・。KJEは墓か来世までもって行かねばならぬ話だというのに。イングランドのエリちゃんもおかしくなってしまうわけだ。

でんでん?あれは元からじゃないかな。

かようにわしは、生き辛い世界を歩んでおるのである・・・。KJE保持者の未来はいかに!?





いかがであろうか・・・。これが全部現実に起こったということを信じられるであろうか・・・。

KJEはイングランドのエリちゃんの本性を暴露し混乱せしめ、一般人女性はわしが美男子にシェイプシフトしている(もしくは混乱して見えない)ことをわからずにほめちぎってしまうのである・・・。女性ばっかりかこれ?

苦難の時代到来である。KJEをなるべくよき方向に活用し、罪滅ぼしをしていく所存である。でんでん。



最近、小説を書いているといったものだが、どっちが小説なのかわからなくなってきた。

だが、ありふれたお話ではあろうと思う。

是非とも、区別はつかないだろうが、KJE保持者には警戒を。


では、よき終末を。


素朴な、あまりに素朴な疑問

2017-02-24 | 雑記
デーヴィッド・アイクは、「この世界は映画の『マトリックス』同様にマトリックスなのである」という話をしている、というのは度々してきた。我々が現実だと思っていることは、映画館で映画を見ているのと同じであるというわけだ。

いくら映画の主人公に自分を重ねても、その主人公が劇中で怪我をしたところで、こちらも傷が入るわけではない。痛そう、と思ったりして、気分の変動があったりはしても。

それが過ぎると聖痕になるやもしれないが、その映画を見ている存在はそもそも、我々が思っているような物質的な存在ではないわけで。

アイクは、コンシャスネスと言っていたが、ユングで言えば、集団的無意識と重なる話だと思われる。

そのアイク自身は、サッカー選手でその後キャスターやったり政治活動やったりと、バックアップを受けていると思しき状態である。
MAGICA魔法入門カバラの管理者氏によれば、魔法の結社のバックアップを受けているはず、とのことである。でなけりゃテレビ出たり出来ないから、とう前提を踏まえておいてもらわないと、訳のわからない話だと思うが、もっとも、理解しようとしない人には端から訳のわからん話ではある。

ついでに、ユング自体も、その出自がオカルトの系譜であるという。興味のある方は色々お調べになると、面白いと思う。
オカルト=キチガイという、教え込まれただけの方程式を金科玉条にしている人にはそもそも上記の如しである。
そういう奴に限って、「常識を疑え!」なんぞと言っている例は、前に書いたかな?もしくはわし自身であったか!

かつてアイクのその話を読んだときは、『マトリックス』の例えから理解する形ではあったのだが、バトラーの『魔術入門』にも、やはり同じ事が書かれている。

人によって解釈が分かれる、という常識的な言い方を一応しておくが、アイクもユングも、魔術が解き明かしてきた内容を、魔術といわずに公表しているのである。


アイクの話に戻す。

つまり、映画を見ているような状態というのは、硬いとか柔らかいとか形状を持っているというのは幻だというわけである。

実際に、科学者がそんな話をしている、というのも著作に引用されている。

子供のころの理科とか科学の話だと、物質は分子にまで分かれて、それらは原子が結合している、などと習ったはず。わしより年上の方は恐らく、そこで止まっている。

実は原子は素粒子というもっと細かいものが集まっている、という話は少し前から出ていた。丁度、わしが子供の時に学校で聞いた。
「こういう風に教科書に書いてるけど、素粒子が云々」という風に。

素粒子の先は、もはや波のようなもので、掴みようのない状態だとも、アイクは引用していた、と思うのだが、面識のあった邦訳者との諍いの腹立ち紛れに捨ててしまったので、確認は出来ない。

数年前に出版された、別の翻訳者による追加の書籍もあるので、興味のある方は読んでみよう。『金枝篇』みたいに増補改訂するように著作を出しているので、上の話もあると思われる。


さて、タイトルが素朴な疑問、という風に書いたが、そこに触れたい。

少し前にも書いたが、映画『マトリックス』で、主人公のネオは、脳みそに、支配するに都合のいい夢を見せているマトリックスから抜けた後、戦いを挑む。何をしたかというと、イメージトレーニングだと書いた。
マトリックスのやり方を逆用して、劇中だと憲法、じゃなくて拳法を覚えたりしていたわけだ。
そして、またマトリックスに入り込んで、言ってしまえば、強くなった夢で、敵の夢を打破するというわけである。

これも度々書いたが、アイクは、『マトリックス』で間違えているのは、マトリックスを抜けた先に、物質的な現実世界があるように描いていることだという。それ以外はまったくその通りだと。

それならば、皆が今の常識、つまり変な夢に縛られない自由な状態で生きられて、別に環境汚染も何もない状態の世界になったとしたら?
『マトリックス』よろしく、見たい夢を見るだけで全てが完結してしまう状態ならば?

「森で自然に沿って地球とともに生きることこそ至上!」という口ぶりは、何も意味を持たないことになるのである。己が好きでやる分には問題ないのは言うまでもなく。

森?地球?それ自体幻ではないのか?自然というなら、物質至上主義の目で見ているだけの森や地球にはなく、我々が見たいと望むこと、見たい夢にしかないのでは?となる。

そんな漫画や映画の話なんぞ来るわけがない、という時点で、もはや変な夢のとりこであることを自覚しない。

こんなことを書くわし自身がそんな確信を強くもっているとは言いがたいのだが、とはいえ、人の形のみの凝り固まった理性というものに縛られている、わしも含めた我々には(いつも書く「我々」には元々わしも含めているが敢えて)、そもそも、想像もつかない話なのだから。
だから、想像が出切るまで、夢を見るしかないのだと思う。寝てる時に見る夢、というだけの意味ではないことをご承知願う。


では、よき終末を。


妨害電波による、ありふれた事案及びKJE保持者の肉体的変化について

2017-02-23 | 雑記
先日は、「着物からの妨害電波が街行く人を恐怖と混乱に陥れている」という恐ろしい事実を公開した。

これを書いたわしはきっと殺されるであろう。なるべく拡散のほどをお願いしたい。

とはいうものの、その影響はまだ強いとはいえず、世を崩壊させるほどではない。一般人にサインをねだるとか、あまり見覚えのない少女に挨拶されるとか、もう少し広くなったところで、総理がでんでんと言ったりするくらいのものでしかない。昔の総理はWho are you?である。これもきっと、着物ジャミング効果、略してKJEが相手の大統領が何者かどころか、何か判らないくらい認識阻害を与えていたと思われる。

でんでんとかWho are you?はまだ強い効果ではなく、ただ広範に渡っていたがために、あの程度で済んでいるだけで、一般人にサインをねだるだとか、見知らぬ少女に挨拶されるなどというのは、強烈に浴びたせいでショック状態になったからといえる。つまり、正気を一時的に失ったというわけだ。

このショック症状を、とある漫画にあった名前を借りて、「キモノ・リアリティ・ショック」と名付ける。略してKRS。

いかなる時に起きるのかというのは、そもそもKJEのせいではあるのだが、「日常に着物が存在するはずがない」という固定観念が突き崩され、一時的に自我が崩壊するためと推測されている。

ネパール料理屋に着物がいるはずがない、といった日常の当たり前の感覚がKJEに対する抵抗力をひどく衰えさせ、KRSを引き起こしたという寸法である。

でんでん辺りは、影響があるのかないのかはっきりしないため、軽視されがちであるが、これも実は恐ろしいのである。

かつて、広島と長崎に原爆が落とされた。そこから引き上げてきた作業員達だとか、肉親を探して戻ってきたとかいう人達に、妙な病気が発生していたいという。
通称「ぶらぶら病」という。やる気を出したくても出ない、体がいうことを聞かない。特に異常が見当たらないのになっていく、という話である。チェルノブイリの原発事故や、フクシマ以降でも見かけられているという。
広島及び長崎や、原発事故で、詳細なカルテやレポートがないため、目撃はされているのに「科学的検証がなされていないので存在しない」といわれている症例について、広島及び長崎当時に、現地で診察をしていた医師が恐ろしい証言をしている。
「カルテを書いても、次の日には意味がなくなっていた」という風に。なんだったかわからなくなっていたというのだ。

それと同じく、KJEの効果は確実にあるのだが、「カルテが次の日には意味がなくなっている」から科学的に立証しづらいがゆえに、一般には認知されないのである。


そこで、KJEのキャリアとなってしまった己の状況を書き述べることにする。どうか、これが未来の平和に役立たんことを・・・。

具体的には、食欲がなくなった。食べなくても、別に問題がない。めんどくさいから食べない、ではなく、食べる必要性が薄まってきているのである。半日は当たり前、最近では一日食べてなくても、駅まで歩いて仕事に行っていたりする。
これは恐ろしい。どんどんと衰弱していって、仕舞には尸解仙へと成り果てるのだろう。尸解仙がそういうものだったかは知らない。
が、顔がやつれてベルトの穴が一つ減ったが、寝て起きたらふらふらかと思ったら、別になんともない。
返って性欲が強まったという、世の女性にとっては危険な状況にはなっているので、ご注意のほどを願う。
きっと生存本能が高まったせいであろう。

睡眠も減っている。寝るには寝るのだが、寝てる途中で「何で寝てるんだ?」といった具合になって、無理して寝なくてもいいのかもしれない、などと夜な夜な、仕事柄、朝な朝な、という言葉があるのか知らないが、思ったり思わなかったりしたら、寝ていたりする具合である。

髪の毛もつやつやのサラサラになっていたりする。これは恐らく、純粋な石鹸で頭を洗っているせいだろうが、ついでに記しておく。

そして、通常では見えないものが見えるようになったのである・・・。といっても幽霊だとかトカゲの人は見たことがない。

ある日の夜勤中、夜中から早朝の人がほとんどこない時間に、事務所内で、先日書いた、バイオンだとかプラーナを見る視線をやってみた。

モノが近いとあまり上手くできないのだが、それでも普段と違う焦点にはなったかと思ったら、部屋中に白い靄のようなものがが薄く漂うようにあるのが見えた。

バイオンではないのだろうが、エアコンの風に乗って漂っているともそうでないともいえる感じで、なんともいえなかった。

加湿器の蒸気が見えたのだろう、とは思う。だが、一言お断りしておくと、加湿器をかけてもそれほど湿度の上がらない事務所ではあるし、見た先には湯気が立つものはなかった。

同じようにある日、駅のホームで電車を待っているとき、正面左の方を見た。
その瞬間、まるで、そこに亀裂が走ったかのような白い線が走ったのを目の当たりにした。目が霞んだのかと思ったが、目をこすった時だとかの感じではなかったように思う。その白い亀裂のようなものは、視線の先にいた二人組みのうち、女性の方あたりで走ったように思う。
まあ、何かの見間違いであろうということにしておく。
また見たら、その時は覚悟しなくてはなるまいな。

この先、わしの身に何かさらなる変化が起こったとしたら、それはもはやKJEの影響以外のものとは考えられないのである!



さて、先日に続いて、冗談から出てきた着物ジャミング効果なる、馬鹿馬鹿しい話をやった。だが、まだ部分的に続いているのでご注意を。

すぐ上の、事務所内での話は、靄のようなモノの正体は定かではないが、エアコンの影響とは思う。ただ、焦点を通常に戻したら見えなくなった覚えはある。

バトラーも書いているのだが、魔術結社に入って修行していると、普通とは違うことを覚えたりして、実際に能力を得ていくとはいえども、それで偉くなったように勘違いしていく人は多いという。つまり、うぬぼれるのだと。

オウム真理教とやらでも、変な修行で自分は偉くなった!という、高揚感を覚えたと、元信者が証言していたりする。
眠くなくなった!性欲もなくなった!とか喜んでいたとかいう。性欲についてはわしとは逆だな。


「自分は人には出来ないことを修行して手に入れた、選ばれた存在なのだ」と、何かにつけて人はうぬぼれる。

どこかの誰かも、同じく「努力して痩せた」と、自慢げに書いていたものである。どこかの誰かは一杯いるので、当てはまるなら誰でもであるが。ついでに、わしも入れてくれたらいい。

こちらなんぞ、着物を着ていたら痩せて、おまけに変な能力(仮)まで開発されている。しばらく前まで弱っていた性欲までアップして、泣きたいやら喜びたいやらである。
元々痩せているから、骨と皮になるところだが、腹筋は割れている。どちらにしても真に受けなくてもいいが、見たい人は女性限定で夜のお相手のみ、ということにしておく。・・・本当に見に来られても困るが。
つまりは、その程度なのである。もしくは、恐るべし!KJE!

ありふれたことを、さも特殊なことのようにうぬぼれる、人間のありふれた性(さが)という奴である。


では、よき・・・まだ早かった。


真に受ける奴はいないだろうが、着物を着てるだけで痩せはしないので、ご注意を。人によっては、自律神経の調子がよくなったりで、元気になったせいで太る可能性もありえる。
腹や腰を締めるせいで、物理的に圧迫されて食欲が減る、というのもありえるのだが、飯が食えなくなるほど締めるのは、結婚式などで着崩れが許されない場合くらいである。

それでは改めて、よき終末を。



妨害電波による、ありふれた事案

2017-02-22 | 雑記
先日は、「着物から妨害電波が発生しており、他人の認識をおかしくしている」という大発見をした、という記事を書いた。

一般人なのに、サインくださいとか、普通じゃない。そうやって普通じゃない状態にしてしまうに違いないと睨んだのである。

それにしては、まったく関係ない話を延々していたが、そこは忘れてもらおう。

さて、ここまでまったく冗談だが、妨害電波に違いない、という冗談で続ける。

どこまで冗談で、どこからが冗談でないか、というと、サインをねだられたのは実話である。

書いてくれ!と詰め寄られたわけではないのだが、そんな発言が飛び出すことが不思議でならなかった、というわけだ。ちなみに、その女性の方は飲んでいなかった。

その着物ジャミング効果、略してKJEの効果は、着物を着ていなくても、もはや強烈な静電気を帯びたかのような、否!例えが悪いが、体内に取り込まれた放射性物質よろしく、我が身から放出され、他者を蝕んでいるに違いないのだ!

そのような事案をいくつかご紹介する・・・。事実は小説よりも奇なり!


仕事場の社長が、入れ替わり、人事に異動があった。大本の経営会社からの社長で、現場に人手が足りないと聞いたら、自分が元からいた所の社員を二名ほど連れてきた。
そのうちの一名はアルバイトとして編入された。仕事の覚えが速く、物腰の良い紳士であった。こちらより二廻りほど年上である。

その件の紳士と夜勤の折り、休憩時間には少し早いが、個人的な調べ物をしようと、ロッカーから本を持ち出し、PCの前に座った。

すると、こう尋ねられた。

「安生さんは、他にお仕事を何かされてるんですか?」

こちらもアルバイトなのは既知の事であったので、別に何もやってないと答えると、さらに言う。

「いや、文筆家かなにかかと。そんな雰囲気がしたもので」

などといわれる。

「いやぁ、顔がやつれてるから、芥川龍之介みたいな顔かもしれませんね」

などと答えておいた。

これはきっと、KJEによるものだ!と、今になって思う。

ブンピツはしてるかもしれない。妨害電波を分泌しているのである。分泌ではなく、放射というところだろうが。


さて、他にも続けてまいる。

このKJEの効果は凄まじく、純真な子供の心までかき乱している。近所に学校があるので、わしはきっと、石もて追われるに違いない。

何年か前、夕方くらいだったが、着物で外にいた。すぐ隣に猟犬が飼われてる牢獄のような小屋があり、そこに行こうとしてたか、そこを出た後だろうか。

下校の時刻だったのだろう、女の子が一人、歩いてくる。途中で曲がるか、わしの傍らを過ぎていくのだろう。

そのあたりの記憶は曖昧だが、ともかく、近くまで来ていた。そして、「こんにちは」と言って通り過ぎた。

細菌の、じゃなくて最近の学校では、怪しげな人に会ったら、先に挨拶するように教えているらしいが、やはり怪しかったのであろう、仕方あるまい。
それに、マントで歩いていたら、近所の男の子供に、「カンタロウ!」などといわれたこともあった。

からかわれていることよりも、「なんで、お前らがそれを知っている!?」という疑問のほうが大きかった。これもきっと以下略!

さて、話を戻す。

背丈に歴然の差のある上に一人で、マントを羽織った謎の人物に対しての態度としては普通だろう、と思ったものだった。

さて、わしが普段、仕事に行くときに歩く道は通学路らしく、子供達が各々つるんでいる奴らとまとまって歩いていく姿を見受ける。

そしてまたある日・・・。今度は洋装でその下校の集団の横を歩いていた。

すると、「こんにちは!」の集中砲火を浴びた、ということではなく、数人くらいいたと思うが、女の子の一群の傍らを通り過ぎたときである。

そこで、その中の一人が「こんにちは」と言ってきた。

反射的にそっちの方を見て、こちらも「こんにちは」と返したが、暗がりで出くわしてびっくりしたように言ったわけではなかった。その時は「こんばんは」である。そんなこともあったが、それは別の話。

はて?どこかで見たことあるような?と思ったら、上記の一人ですれ違ったときに挨拶してきた子であった。

先週だったかも、それと思しき女の子が挨拶をしてきた。通勤中のわしは、こっちもよく存じ上げている人間以外にはひどく無表情にしか反応しないのだが、それでも見かけると声をかけてくるようである。

不審者だと認識されていたら、他の子供も一斉に「こんにちは」である。ある意味、有名人だが、そんな有名人にはなりたくない。

これはどう介錯、ではなく、解釈すればいいのかはわからないが、KJEのせいには違いない!とすることにした。

※これも推測だがかなり正確であろうことを述べると、昔、着物で出歩き始めたころ、馴染みの近所の沖縄料理屋で飲んでたとき、子供連れの母親がいて、少々おしゃべりをした覚えがある。そのお子さんの内に女の子がいたので、その子ではないかと思われるが、確認は取れていない。
まさか、挨拶されたときにスッと近づいて「どこかであったっけ?」などと言ったら子供を傷つけるかもしれないし、古いマフィアみたいな格好したおっさんが女の子に急に近づいたという事で、事案になりかねぬ。

KJEの効果に、実際の身長より高く見える、というものあるらしい。ハットと靴を合わせたらそう見えるのかもしれないが、かつてハットもなく、多少底の厚い靴も履いてない時、実際の数値を伝えていたにも関わらず、サイズ合わせの際に「もっと高いと思ってた」といわれたことがあった。これは、きっと態度がでかいのだろう。


恐るべしKJE!これならきっと世界を手中にできる!


着物ですら、こんな芸当が出切るのである。人外と言える存在はもっと上手くやっているらしい。

やっているけどたまにポロっと出てしまう、などというのは、例えばイングランドの女王の話なんかが最近では有名であろう。


なんだか気に入ったスピ系ブログの、『空色ノート』というところがある。つい最近の更新では、日本のもうなくなった村で行われた火葬の際の出来事の話が載っていた。

詳しくはそちらを見ていただくとして、内容を簡単に書く。

その村は、火葬の際は野焼きみたいな感じで、外で焼く。キャンプファイヤーにご遺体をぶち込むのだと思えばいい。

さて、ある村人が逝去され、火葬することになった。その村人は、残虐非道な、人なのか疑われるくらいの気性で、「鬼」なんぞと呼ばれていたぐらいの鬼女であったそうな。

焼き始めてしばらくすると、首の辺りが持ち上がってきた。村人がその持ち上がった焼けた首のほう見ると、その頭部には角と思しきものが生えていたらしい。
慌てて坊さんにお経読んでもらって、骨も徹底的に焼いて跡形もなくしたとのこと。

その離村した村人が年に一、二回ほど集まって飲み会をするのだが、じいさんばあさんがそんなこといってた、という話を聞いて書き込まれたものだそうな。

死ぬまで姿だけはボロを出さなかった人もいれば、ボロを出しまくりの存在もいる。これはきっとKJEの仕業!


着物を着て出歩き始めてすぐくらいだったと思われる。今は辞めていなくなったバーの店長が、言っていた。

「この間、ツイッターで『ここ(本当は地名が書かれている)にブ○ーチのコスプレしてる人がいる!』って書かれてたよ・・・」と。

当時のわしは流石に憮然としたものである。だが、KJEの存在と、人の姿を纏っている存在がそこらにいることを考え合わせると・・・。一つの答えにたどり着いた。

そいつは、節穴が人間のコスプレしてるんだなと。

節穴が人間のコスプレしてるなんて、実にありふれた話ではないか、と思うのである。

KJEもたまには役に立つようだ。ありがたやありがたや。


では、よき終末を。


ありふれた妨害電波

2017-02-20 | 雑記
歳の割りに、若く見られるということがたまにある。

といっても、今年35歳。赤ん坊に見える、とかいう訳ではない。「20代だと思った」といわれることがあったりする。

反対に、ぴったり30過ぎと言い当てる人もいるわけで、驚いたり、結局驚いたりしている。

先月も、そんなノリの話があった。馴染みのお店で飲んでたら、後から入ってきたそのお店の常連の女性。店員と話をしていたりする。

軽く酔ってきたので、何かの拍子に話しかけて、少々しゃべっていたら、やっぱり突っ込んでくる。「どうして着物なんですか?」と。その後の流れは、よくあるもので、その中で「とても落ち着いて見えるけど、20代だと思いました」となった。どうやら、着物が妨害電波でも発していて、他人の認識をおかしくしているのだろう。すごい着物だ。

妨害電波(仮)の力は凄まじく、その女性は「ファンになりました!今度色紙もって来るんで、サインください!」と言い出した。

すると店長が、店に飾ってあった七福神スタンプラリーの色紙を取り上げ、「この裏なんかどうですか?」などと言い出すしまつ。

ファンです、なんていわれると、実に不安になる・・・というダジャレは、ずっと昔にやったものであるが、その理由を思い出したりしたものである。
別にその話をやるわけではない。

つまりは、ありふれた話だということである。妨害電波(仮)でジャミングされた女性が、一般人にサインをねだる、というのはありふれているのかは知らんが、こちらにとっては、ファンだのサインだのを除けば、ありきたりである。まあ、その女性にとってはそんなことを口走ってしまいたくなるような出来事だったのだろう、とは思うが、人の事はわからない。

と、ここまで書いたのを読み返したが、「こりゃ一体なんなんだ?」と、笑ってしまった。自分に起こったことなのに、なんだか漫画か何かを見ている気分である。

それはともかく。ありきたりな話をしようと思う。といっても、他人の話であるが。

ある女性がいた。今も存命だとは思うが、知らない。

幼少のころは、余り親に大事にされた覚えがなかったと述べていた。細かいことは忘れたが、虐待に近い状態だったようなことを言っていたと思う。

つまりは、愛情に飢えた女性だったというわけだ。その空白を埋めるために、色々やっていたとも自身を顧みて述べる中に、例えば食べることだったり、服を作ることだったりがあったという。

そんな彼女は、歳長じて、紹介された男性と結婚し、二児を儲ける。とはいえ、旦那に対して愛情はなかったいう。

子供は、長女、長男の順に生まれた。この長男を溺愛することが、かつて色々やっていたという、空白を埋める行動の一つになったそうだ。

彼女には、特に子供が生まれてから顕著になった問題があったそうだ。それは、体型がとても豊満になってきたことである。

豊満、などというの冗談で書いただけだが、要するに醜く太ってきた、というわけだ。

ダイエットしよう、ということで、これまた色々やり始めた。運動したり、ダイエット本を読み漁ったそうだ。

そして、食べ物がいけない、当たり前だと思っていた食べ物は、実は色々とおかしくされていた、という話に行き当たる。

そういう話を翻訳したりしている人物に、思い切ってメールした。以来、交流が深まり、よくメールし合っていたという。

そんな日が続いたある日、その様子に腹を立てた旦那が、「お前とは離婚だ!」と怒鳴って、離婚になった、という風に語っていた。

彼女から離婚の話を切り出したわけではなかったのだが、向こうから来たという。

そして、彼女は独り身になり、そのメール相手の殿方の元へと旅立ったとさ。めでたしめでたし。



離婚に至るまで、彼女は、その旦那に、勉強した食べ物のことや、食肉の作られ方の凄惨さだとかを、事あるごとに旦那に理解して欲しいと伝えてきたのだが、まるで取り合わなかったと言っていた。

だが、メールの殿方は素晴らしい!そして相手方もこちらのことを理解してくれている!と。そして、相思相愛状態になったという。

いかに元旦那がバカか、いかにその殿方が素晴らしいか、を延々述べていたものである。

その殿方も、彼の言葉を借りて言うならば、「食い改めて」、デブデブだった身体を細くするという魔法使いだった。(この場合の魔法は単なるジョークである)

そのことで意気投合し、一緒になったというのだが、とんでもない話を、後年聞かされたものである。

件の殿方の交流関係があったある女性。共通の知り合いというわけだが、その女性へのメールに、にわかには信じられないような発言があったとのこと。

「その人を太らせるのが楽しい」と、楽しそうに書いていたそうだ。

「今まで色々やってきたのはプラスするだけで、意味がなかった。無駄をそぎ落としてよくなったのだ」という風に語っていたが、心の空白を埋め合わせる手作業だけは忘れられなかったようである。

二番目に生まれた長男を溺愛していた、と書いたが、それがその殿方になったというわけであろう。

いかに自分が苦労してきたか、回り道してきたか、バカな結婚をしたものだ、そして、今はこの人がいて幸せだ、という風に語る。

そして、そのきっかけになった理屈というものを理解した自分は素晴らしい、世の中のバカとは違うのだ、と言っていた。だから、元旦那をボロクソにけなしていたわけだ。

嗚呼!なんとありふれた話であろうか。


これでは、テレビに映る芸能人とやらが、「子供のころのいじめや病気を克服して今に至った」とかいうしょうもない話を美談のように語っているのと何が違おうというのか。
そして、そんな発言をする奴に限って、精神障害と思われても仕方のないようなことを裏でしていたりする。そんな芸能人が前にいた気がするな。


人に貶されてきたから、人を貶す立場になろうと努力してきた、と言われても仕方のない話である。

旦那を貶すために、紹介されただけの相手と結婚したようなものである。太って痩せたのも、また人を貶すため。


過去の経緯があったから、今の自分がいる、と誇らしげに語るのは構わないのだが、ねじくれているのを誇っているだけなのである。

その殿方と女性は、自給自足の生活をするとして、農地を買い取り、件の殿方は始める直前に語っていた。

「Y子さんは、自分たちの生活を見せびらかしたいと思うだけになった」と。所謂啓蒙活動は意味がないと悟ったから、という文脈だったか。

物質文明でのた打ち回る衆愚に対し、いかに自然に囲まれた生活は豊かで素晴らしいか、自慢したいというわけである。

だから、人を貶すために、そういう生活を始めたといっても過言ではないのである。元旦那しかり、ダイエットしかり、である。

その彼女自身の発言を取り上げる。

「人間社会から離れます」

本人の自覚のほどはさておき、いかに他人を貶すかに腐心しつづけたその心根は、人間そのものである。

かような心根は、人間から微塵も離れていないことを如実に物語っている。「人間やめます」とも言っていた。

己だと思い込んでいる、その意識を疑うことなければ、「わたしは今を生きている」などと言っても、元旦那を貶している時となんら変わらない。「他人を貶す今を生きている」のである。
過去から微塵も離れられておらず、それすなわち、己がバカにしている人間の姿そのものである。
己の理性が粗雑に組み上げた、記憶に対する条件反射を辞めるべし。人間を辞めるというのなら、まずはそこからである。


現代社会に対して、自然文明の優越を説くその姿勢は、ただ、現代社会における見せ掛けの飾りを取り替えたに過ぎない。

確固たる土台だと思い込んでいた、己の自負(良いも悪いも)は、今にも崩れ去りそうな足がかり程度でしかないのである。

そんな足がかりを繕うことに腐心するのが人間である。見せ掛けだけかえて愉悦を覚える、上記の如き人間である。


余りにも、余りにもありふれた、人間の話である。


では、よき終末を。


なまけたナマケモノ

2017-02-17 | 雑記
今は亡き、水木しげる爺は、かつてこう述懐していたという。

「わたしは努力なんてしてません」と。

若きころ戦地に借り出されて片腕をなくして日本に戻った後、貸し本漫画を描き始め、現在では知るもののないようなレベルの存在となった人物は如何なる努力をしてきたのか?と、思ったら、そんなことを言う。

あるいは、人柄がそういう風な物言いをさせたのか?ある思想家は、若いころに水木と面会した際のことを書いていたが、他人がどう思っているかをまるで意に介さないかのような振る舞いだったという。
具体的に何をされたのかを思い出して書くと、こんなことがあったといっていた。

訪問して、リビングだかで待っていたら、水木がやってきて、片腕に持っていたものをいきなり渡されたという。

「ヨーグルトです」

そして、戻っていったそうな。他人の状況を伺うこともせず、いきなり渡してそう一言だけ残していったそうな。

別の機会でも、同じことをされたそうである。

「バナナです」

お腹すいてませんか?よかったらどうぞ、とか、そういう普通の物言いではなく、いきなり渡しただけだったとか。

こういう人だから、そういう風に言うものなのだろうか?と考えてみても答えは出ない気がする。あの人柄だからだと結論づけるのもありとはいえる。

MAGICAカバラの管理者が推測するに、漫画家共有のネタ保管庫があって、そこからネタを引っ張り出しているのだろうという。
だから、「何々をパクリました」と公式に言ったりしているが、特にお咎めも何も無かったりする。
そして、そのネタ保管庫から取り出した話をアレンジしたりする程度なので、一般に思うような凄まじい努力をしたから面白い話を描けているわけではないのだと述べていた。
それは、先日書いた、宮崎駿や庵野秀明の言などにも繋がる。

そこから考えると、水木の言葉は、他人を意に介さないような所から出ているとしても、本当のところなのかもしれない。多少でも人目を憚って言うなら、「ちょっとはしたかもしれませんね」等と言う所かと思う。
だが、そんな人には見えない。

秘密結社で知識を授かってでんでん、じゃなくて云々、というのを抜きにして考えても、人間はその身だけの力で事を成しているのではない、という話がある。

まずは物質的な範囲に絞って物をいう。とはいうものの、いきなり野生動物の話である。
ナマケモノと名付けられた動物がいる。彼らは彼らなりの生活をしているだけなのだろうが、そんな名前を人間はつけた。

だが、そんな彼らの名前通りともいえる状況があったりする。

余り日に当たっていない状況が続いたりすると、腸内の細菌の活動が芳しくなくなり、満腹でも餓死するという、耳を疑うような話があるそうだ。

餓死とは一体・・・。これはつまり、ナマケモノは細菌に生かされているといえる。

人間とナマケモノを一緒にするな、とお叱りを受けそうな気もするが、実は色々とある。
健康のために腸内の状態をよくしよう、そのために乳酸菌を、などと宣伝されていたりするが、人の感情は、その腸内の細菌の具合でコントロールされているのではないか、という研究報告がある。
西洋の科学というのは、結果と原因をひっくり返して、つまり勘違いして報告していることが多々ある。もしくは意図的に。
例えば、骨髄が血を作っている、というのが定説だが、実際は生きた人間の身体を調べて得た結論ではない。
遺体を解剖したら、骨髄に血があるのを見出したので、骨髄が血を作っているに違いない、と結論付けられただけだそうな。
フッ素の過剰摂取で歯に変化が起こっている人達がたまたま虫歯が少なかったから、フッ素は歯に良い、とそれ以上の調査をせずに定説にしている歯科学の例もある。
こういう風に話をしても、取り合わない人がほとんどなので、正直諦めている。
医者にも名誉欲があるわけで、目新しい学説を見つけたなら、広めたいと願うものである。金にもならない真実だけを追い求めるほど、人間を捨てた存在がそこに集まっているわけではないのである。金を求めるな、というわけではないが。

愚痴はともかく。腹を立てたから腸内細菌が死んでしまった、ともいえるわけだが、ここまで書いておいてなんだが、腸内細菌に感情がコントロールされている、というのは間違いではないかもしれない。

腸が免疫の要といえるらしく、調子が悪いとイライラしたりするのが腸から始まった不調だとするならば、腸内細菌が感情を動かしている、となるわけだ。

ナマケモノと同じく、人間も細菌に生かされている、といえるのである。さすがに、満腹で餓死の報告は受けていないが。

細菌は人の目には写らないが、実際に存在する生物である。顕微鏡の開発以来、ずっと認識されっぱなしである。細菌なんていう存在を、生まれた時に認識していただろうか?顕微鏡で発見される前の人間は認識していただろうか?

風邪を引いて寝込んだとする。何日か寝込んだとして、そして元気になったと。寝ていたのを努力だというのも変だが、安静にするよう勤めたから治ったのだ!と考える。
果たして、その「努力」が風邪を治したのだろうか?
あなたは確かに、安静にするように勤めたが、実際はその意志が具体的に風邪の治癒を指示などしていないのである。安静にしようというのは、確かに風邪に対するものだといえども。
寝込むほどの症状ならわかり易いが、気づかない程度の症状の場合ならなお更である。
あなたの気づかないところで、あなたは生かされている、と言えるのである。

それと水木翁の話とどう関係あるのか?という辺りに戻る。

人間の脳というのは、経験や情報による記憶を駆使し、また五感からの情報を記憶する器官、というのが一般的な認識である。確かに、なければ話したりすることはおろか、生きているという状態にはならない。後天的な記憶とは別に、心臓を動かしたりするのもまた、脳の一部が行う。
だが、脳というのは一般に思われているような、命令を下すだけのものではないのではないか?という話がある。ラジオのアンテナだというのだ。
ソクラテスは、「わたしは、頭の後から少し上のところから聞こえてくる言葉に従っているだけだ」という風に語っていたという。
もしかしたら、聞こえてないだけで、自分がやっていると思っていることは、実は何かの指示通りなのかもしれない。まともな指示なのか、指示通り動けているのか、という問題もあるだろうとして。
それが何なのかというのは、人によっては宇宙からのメッセージだとか言う。アイクが言っていたが、現在の地球は様々な電波(ラジオや電話、テレビ等の)が全体を覆うように飛び交っていて、宇宙からの周波は遮断されているそうだ。

要するに、わしら自体がすでに、目に見えないものに多大な影響を受けているのだというわけで、「努力したんだ」というのは自意識にうぬぼれているだけだということである。
さっきも言った風邪で寝込んだ話と同じである。安静にしていたことは治す要因の一つであろうが、風邪を治したのはあなたの「努力」そのものではないのだと。

こんな話をしているのは、また例のおっさんの話を思い出したからではある。

何かにつけて「努力した」だの、「苦労してきた」だのといっていた。
努力だの苦労だのと人に言うのは、嫌々やってきたからそういうわけで、それならば、あの言葉はどう解釈すればよいのだろうか?と思い至ってしまったのである。
「わたしとY子さんが今の関係になるまで、色々と苦労したんだ」と。
そういえば、「努力して痩せた」ともかつてのHPに書いていたわけだ。
その人と一緒になりたいとお互い感じて動いてきたことを、「嫌々やってきた」と述べる。
デブデブに肥えた身体を「嫌々痩せさせた」という。
160cmちょいの身長で、80kgオーバーまで太らせたというのは、相当努力なさったんでしょうな、と皮肉も言いたくなるわけだ。

皮肉とはいったが、デブデブにならなければ、我が身を省みて、痩せようとは思わなかったわけで、これはつまり、「太ったから悪い、痩せたから正しい」ではなく、「太ってそこから痩せるという流れでもって我が身を省みさせるという一連の動き」だっただけのことである。それを痩せるために努力したと述べるのは傲慢だと言える。痩せる努力をしたのなら、太る努力もしていたとも言わなければならないからだ。
「あの時太ってたから、我が身を省みることが出来たんで、太っててよかった」とでも考えられない様では、人間を肥える、ではなく、超えるとは情けなくて言えなくもなろうものである。もしかしたらそんな風なことを言っていたかもしれないが、忘れた。少なくとも、かつてのHPにはそんな言葉はなかったと思われる。間違った食べ物や知識で太らされた、とばかり述べていたはず。

長くなったが、つまりは、自発的な努力なんぞないのである。過程に努力もなかった。活動することで疲労を負う、というのはあるが、それは何事にもついて回ることである。
だから、水木翁も「努力してない」と言ったのであろうな、などと思うのである。

それで、目に見えないものがどうたらとかいうけど、それって無茶苦茶じゃないか?と思われるだろう。とはいえ、テレビやラジオの電波も見えないのに、しっかり働いている。これを無視して言うのもどうだろうかとは思うが、一つ、普段目に映っているが見えていないものについて。これについては度々書いてはいるが、改めて。

晴れた日がいいだろう。ある程度視界の開けたところがいい。個人的には近所の川原なんかが最適だった。
とりあえず、川原だとして、空のほうでも見る。そして、焦点を内側にするような具合にする。眼球の表面に漂うゴミが見えたりするだろう。あの視線を意識して、それを強める。
すると、目の前にキラキラした物体がわんさか漂っているのが見えてくるはず。
別段、特殊なものではない。ただ、焦点を変えるだけで見えてくる、ありふれた存在である。ちなみに、水場のほうがよく見える。だから、川原がいいと述べた。水気のないところだと、動きが鈍くなる。機会があったらお試しあれ。
インド方面の言葉ではプラーナ、ウィルヘルム・ライヒはバイオンだとかビオンと名付けた。
我々は、知らず知らずのうちに、これらを吸い込み、また身に纏っているともいる。
この様なものに囲まれていることは普段意識していない。眼前にあるのに、これである。
バイオンは、我々を取り巻いている、目に見えない何かの一部である。もしくは、見える形になった状態とでもいうべきか。つまりは、物理的な目の焦点を変える程度では見えないものが、我々を包み込んでいるのである。もしくは、我々もそれの一部なのである。
それなのに、見えるものだけが自身を培っていると思うのである。まだ具体的な細菌の例や風邪の例にしてもだし、すぐ上の「努力」にしてもだ。

目に見えない、感じ得ないものはなんだろうか?などと考えるのは夢想だと思われるだろうが、実際はありもしなかった「努力」とやらにうぬぼれるほうがよっぽど夢想だろうと感じるのである。

冒頭の水木しげるの言葉は、何の衒いもない、素直な感想だったのだろうと思われる。あの人柄なら、なお更であろう。


では、よき終末を。


妄想日記

2017-02-15 | 雑記
今日はそうでもなかったのだが、先日、ブログを書こうと編集画面を開くと・・・。なんだかテレビを点けたような嫌な感覚が起こった(その感覚がわからない人には伝わらない例えだが)。それなので、前回の記事は、メモ帳に書き込んでそれを貼り付けるという形をとった。今、こうやって書き始めていると、少々気分が悪くなってきた。

ここにコメントを好んでする人はほぼいないので、コメントについての記事といったらもう特定の書き込み相手しかいないのだが、それでもやる。

しばらく前から度々引用していたMAGICAカバラというブログ。これで検索したら出てくるので、リンクは貼らない。

有名シナリオライターは実際はアレンジャー程度の存在だったという話を、あれやこれやと書いていて、実際に、例えば宮崎駿の発言だったり、最近見たのでは、庵野秀明の発言を取り上げていた。

そういう話を書いていたら、噛み付いてきたわけだ。噛み付くならわしに噛み付くんじゃなくて、その脚本家だとかに噛み付くほうがいいかもしれんのだが。

そのブログの管理者もシナリオライターだそうな。具体的な作品名などはあげていないので、実のところはわからんが、くだらない嘘をついても仕方ないので、疑う理由もない。
それで、件のコメントはなんと噛み付いてきたのかというと、「その程度でシナリオライターを自称するなんぞ、たかがしれた奴だ」などと。見返したくないので、コピペではないことをお断りしておく。

わしは別に、そのブログの人と面識があるわけでもないし、擁護しようとかそういうつもりはないのだが、そやつが罵倒するのがまずおかしい。
なぜならば、有名脚本家に限って、自分自身の才能はたいしたことがなかった(宮崎)だの、あの話は体験でしかなく、話を何もないところから作れると思うのは傲慢だ(庵野)と語っているのを無視している。

有名脚本家の自嘲、といえなくもないかしらんが、コメントの台詞は、有名脚本家に向けていわなくてはなるまい。
「その程度でシナリオライターとはおこがましい」だったかな?

ここでさらに問題がある。こんな妙ちきりんなブログにコメントをしにきていた、というのが問題だ、とかいう話ではなく。
読んでたであろうに、人の話を理解していないか、端から理解するつもりがなかったとしかいえない。
それほどたいした話はしてはなかったが、それはともかく。わしは散々、「我々が当たり前だと思っていることは嘘偽りだ」という話をしていた。あのおっさんの元で、後半はたわけた自慢話が目立つラヂヲをやっていた時からずっとだ。行きつ戻りつだったが。

そのコメントはつまり、こう考えているとなる。
「才能のあるシナリオライターというのは、何もないところから素晴らしい作品を作り上げているのだ」と。

誰でもなんとなくそう思うだろう。わしだって思っていた。だが、これもまた、思い込みでしかなかったと。

その思い込みを疑え、覆せ、と言っているのに、思い込みを金科玉条にしてモノをいう。モノを言っているつもりで何も言っていない。

そして、それに纏わるコメントで「世界と社会のバランスがどうこう」などと言ってきたのに対し、こう返した。

「世界と社会のバランスを取るというのが、既成概念の強化のつもりなら、このブログのコメント欄で議論をする意味はない。自身でその自説を流布すべし」と。

以来、数ヶ月は過ぎたか。未だにコメントはない。そのつもりでないなら書けばよかろうが、そういう風に取る以外ない。
「今は上手く書ききれないが、そのつもりではない」と一言コメントぐらい出切るであろうが、そうもしない。PCが壊れた、とかいうならしらんが、埋め込まれた常識を大前提にして話をしているのを自身で理解していないのだから、こう言われれば多少は理解するだろうと思う。


さて、本当につまらない話はここで終る。

次は少々つまらない話である。



先月から、作文の訓練として、小説のような何かを書いていると述べた。

後悔するので公開しないとも言ってある。それはともかく。

いわゆるライトノベル的なノリの、漫画を小説にしたような内容ではある。具体的にどの作品かと問われると、書いた本人もわからないと答えるであろうが、どこかで見たようなシチュエーションがてんこ盛りという有様である。

それを、無い頭を捻って一字一句悩みながら書いている・・・のではなかった。
こういうと、頭がおかしくなったと言われるだろうが、体験したことを思い出したり、忘れている部分を補ったりして、あったことを日記に丸々書き込んでいるんじゃないか?というような、変な感覚なのである。正直、ブログを書くほうがしんどいレベルである。
だから、あれは小説じゃなくて「妄想日記」なんだろうと、思い至った。

そこで、上記の庵野監督の発言に戻る。「あれ」はエヴァンゲリオンのことだそうだが、自分の経験を元にしたもので~という発言だったそうな。

『ジョジョの奇妙な冒険』の荒木飛呂彦は、自身をモチーフにしたキャラ(漫画家)に、「自分が体験したことを作品に盛り込むと面白くなる」といった趣旨の発言をさせている。あのシーンは強烈だった。クモをグチグチさして、体液をなめるとかいう。

人間の記憶というのは、脳が五感を通して覚えた情報である。ならば?

そう。妄想や夢というのもまさしく、記憶なのである。そして、夢の中などでは、見たこともない光景や存在を目の当たりにすることもある。

映画『マトリックス』で、主人公のネオがマトリックスの支配について知らされ、戦いを挑むのだが、その際に何をしていたかというと、イメージトレーニングである。脳に夢を見せているマトリックスのやり方を利用して、超人的な動きや能力を仕込んでいた。そして、マトリックスの中にまた入りなおして、言ってしまえば強敵と渡り合う夢を見に行っているわけだ。

アスリートなんかもそうである。試合前に、自身の最高のプレイを現実のものとしてイメージする、ということを行っている。


いわゆる常識は、誰かが、何かが作って見せている夢である。

あなたが見るべき夢の中では、あなたは主役なのである。

夢を、夢の中で眠らせたままでは、目覚めることもままならないであろう。



などと、意味不明な供述をし・・・。




つまりは、有名な脚本家やらがあの様な発言をするという理由が、なんとなく感じ取れたような気がする、という話である。

では、よき終末を。


痴はカンカンたり

2017-02-05 | 雑記
折に触れて、誰かの悪口を書き綴ってきた。
普段は思い出さないし、思い出す必要もないので忘れていたくらいだが、つい思い出してしまった、というところか。
いつもなら、デーヴィッド・アイクの著作等を翻訳していたこともあった、おっさん。
今回もう一つは、以前知り合ったことのあった女性。
因果なもので、両方のことをまとめて、そして絡めて思考を巡らすという面倒なことになった。
分かりやすく、下段の一般女性の方から書くとする。

ある日、知り合ったお店の改装前パーティーの時、その友人を挟む形でカウンターに席を占めていた。
その友人と女性が話している状態で、こっちは一人である。聞くともなしに聞こえてくる。「男ってバカよ」などと、しきりに繰り返す声が。
この話は昔やったかもしれない。取るに足らない、よくある話である。

男がバカかどうかなんぞはどうでもよいが、バカを貶したところで、女性たるその人物の株があがろうはずもない。
そもそも、バカと見下す存在ならば、次元が違おうもの。バカを証明したところで虚しいだけではないか、などと思ったりした。当時ではないが。

酔っていたので単なる愚痴だったのだろうが、そんな愚痴が出る理由に思い当たる節がある。恐らく、わし自身も絡んでいるのだろうが。
知り合った当時、その女性は、結婚を申し込まれていた男性がいたそうな。
その女性から一目ぼれしたとかいっていた。で、なんやかんやで嫌になった、という風に語っていた。
あまり思い出したくもないのだが、その女性から「好きになりかけたのよ!・・・でもだめだった」という、反応に困る言葉を頂いたこともある。要するに付き合えないと。こっちは何も言ってないのだが。

初めて会った時に、和装で颯爽と現れ(遅刻したけど)、趣味にも多少知識があったりで、何かひかれたのだろう。ちなみに、わしゃなんとも思ってなかった。今思えば、初対面の市内のイベントで街中を歩いているとき、途中で雰囲気が違ってきたような気もしないでもないが。
と、自慢のような変な話をしても仕方ない。自慢にもならんか。言い訳してるようにも聞こえようし。

その女性が男性にひかれる理由は恐らく、自分を変えてくれると期待できる存在を探しているのだと思われる。白馬の王子様を待っているわけだ。
一目ぼれして付き合っていたのに、結婚を申し込まれる段になると嫌になったりだとか、上記のわしの件からの推測ではある。わしがダメな理由は恐らく、所謂まともな生活をしてないから、というのがあろう。それ以外もあろうが、どうでもいい。
勝手に見上げて、勝手に幻滅し、「男ってバカ」と言い募る。最初から最後まで幻を追いかけていたというのに。さて、バカは誰であろうか?
まあ、一般女性の悪口はここまで。今も思考回路が同じなら、幻を追いかけていような。
風の噂によると、声優のイベントに通ったりしているそうな。ここまで書くと追い討ちがすぎるかな。

では、それとあのおっさんに何の関係があるのか?
別の意味で関係はあるといえばあるのだが、今回は発言の内容である。
あっちが「男はバカ」である。それならば?
そう。「人はバカ」である。
世を取り巻く陰謀とやらに気づいて、情報を発信したはいいものの、反応が芳しくなく、業を煮やして、「人間社会から離れます」とのことで自給自足の生活を始めた。
離れたら離れたで、結局HPをまた運営してはいる。健康的で地球と共にある生活のために、以前翻訳して出版した自著なんかの宣伝はしていたりする。再出版要請の票集めページを載せてたかな。
詳細は昔書いたが、表では基本、直接的な表現はしてなかったと思うが、裏で「人口削減の陰謀に皮肉な賛同をする」などと掲げた集まりを運営していた。
以前のHPを運営していた当初からかは知らんが、「人はバカだ」と言っているわけだ。
次元が違うのなら、バカにしたところで勝負にならん。勝っていたとして虚しいだけである。それは前述の通り。
最初から他人なんぞ思惑になければ、あの様な間抜けなスローガンなんぞ掲げぬ。さらに、「最早日本人は救いようがないので滅ぶのもやむなし」などと、わざわざぬかす始末。

勝手に見上げ、勝手に幻滅し、「人ってバカ」と言い募る。お迎えは白馬でなく、蒼白の馬がお似合いである。
世の人々が操られているというのなら、金持ちになるとかで大成功でもして、多数の人を唆せるようになるのが一番だったろうが、何故かしなかった。出来なかった、かもしれない。とはいえ、講演を頼まれたこともあったそうだが。
性欲は良くも悪くもエネルギー(そもそも、エネルギーと呼べるものから出ていないものはないので、これ自体間抜けな表現である)、だとかいうのなら、その有り余るエネルギーを直接行使しうる舞台に持っていけばよかったろうに、などと思う。

誰が広めているのかは知らんが、自給自足を!というのは最近、広がりつつある政治思潮である。
自然、というより森に囲まれた生活で自給自足、とかいうのは、ニューエイジにも繋がりうるので、出所はその陰謀組織と同じではないかと思うのだが、何故かそうは考えないようだ。両面から人心を揺さぶりに掛けるのが常ではなかったのか。
書きながら思い出したが、地球の環境汚染は実は全然大したことがないかもしれない、という研究報告もあったらしい。実際にすぐ上流で毒を流されて被害を被っているだとかはあるとしても、だ。そういう、スポンサーを困らせない、スポンサー好みの環境汚染の話はテレビでも大盛況であるならば、やはり、昨今流行の政治思潮には全面的に賛成できるものではない。

などと、思い至ったわけである。以前述べたことと大同小異ではある。

この流れを眺めて、悦に浸った、というわけではない。
誰も彼も、わし自身も、大なり小なり、「バカ」に過ぎないのだなと、笑えて来ただけである。
「バカと言ったほうがバカ」と、子供の言い草があるが、そんな気分である。
バカと言われたら、「よくわかったな。お前は天才だな」と返すのが一番である。

知は閑閑たり、小知は間間たり、という言葉がある。
正しい智恵を持つものは悠々としていて、そうでないものはせかせかしている、といった意味である。
さしずめ、あの時あのおっさんはわしを見て、カンカンになったというところであろう、などと思うのである。
では、よき終末を。

前書きのような後書きのような

2017-02-03 | 雑記
先月の末の方で、「実況プレイ動画をやるかもしれない」というのと、「手習いとして小説のような何かを書き始めた」、と書いた。

というのも、スピリチュアルだとかのそっち方面の胡散臭くも聞こえる言葉ではあるが、「寝食を忘れて没頭できる何かを得るべし」というのを真に受けてみようかと思ったのである。それ以外の動機に纏わる昔話は前回に少々した。

かつて、ゲームの動画を少々編集して、元々そのゲームには入っていない対戦直前のアイキャッチ画面を作って挿入する、なんぞということをやっていた。
動画編集ソフトの扱いを手探りしつつ、数分の動画をネットにアップするのに一晩かかっていたりと、あれこれ悩んで作ったりしたものだった。

それと比べると、ただ喋って録画しているゲームの動画というのは、いささか物足りない。後、喋りながらゲームするのはひどく疲れるので、素人にはオススメしない。オススメも何もないが。

というわけで、あまり気が乗らない状況になったといえる。だからといって、何もしないのも寂しいもの。やるとしたらどうするか、ぐらいは想像していた。
正直、だらだら喋っているのをだらだら撮ってだらだら流すのはつまらないものである。それでいい、という人もいるが、だらだら喋るのは疲れる(しつこい)。

それならば、プレイの録画と吹き込みを分ける。後は、素の自分で喋るのを辞めて、演技してみるか・・・。いや、俳優ではないのだが。

などと考えていた矢先、高熱を出して寝込んでしまった。出鼻を思い切りくじかれる形と相成った。

毎年、花粉が出たぞー!というころになるといつもこうなっているような気がする。花粉症の発作なのかもしれない。で、体調が戻ると洟も止まるのだろうと。

それはともかく、熱は下がって起き上がっても目が痛いとかそんな症状はなくなった。ゲームをする気にはちとなれないが。


さて、盛大に振って触れざるを得なくしておいたので、話を続ける。

小説は公開できない、と言った。それは・・・わしが後悔するから・・・、というのはやった気がする。

昨今よくある、異世界探訪もの、といった趣の内容ではあるのだが、公開できない理由の大きなものの一つが、出てくるキャラが、どっかのキャラだからである。
どっかのキャラと、くだけて書いたが、本当に「どこか」のキャラなのであり、こんなのを見たら元ネタを知っている人から「ふざけるな」「飛○はそんなこといわない」と大絶賛の嵐になること請け合いである。

それはそれとして。

きっかけは夢か現か定かでない、要するに寝ぼけていたというわけだが、今までやったことがない体験をしたからである。

別の例で言えば、夢の中で脅かされ、叫び声をあげつつ目が覚める、という流れと同じである。

ただ、気のせいでなければ、あの時はなんだか自然にそんなことをしていたし、目も開いていたような・・・、と、今も首をひねっている。

その状況の直後、布団の中で正気に戻り、今のはなんだったのか?何をしていたのか?自分は何なのか?という疑問がぐるぐる渦巻いた後、今書いている(らしい)小説のようなもののとっかかりになってしまったというわけである。

まあ、オタク趣味の妄想が高じた、というわけである。そういうことにしておく。年末に、一年ぶりだかにあった後輩の方がテレビアニメを大量に見ていたりはするが。「クラナドって知ってますか?」じゃない。

そして一晩経ち、遅く起きて昼飯を食べた後、「ともかく、書いてみよう」と始めたら、外は真っ暗になっていたものである。

ミケランジェロだったか、「自分は素材に形を彫り付けているのではなく、その素材に隠されている姿を掘り出している」というようなことを言っていたそうだ。

真っ白なWindows備え付けのリッチテキストドキュメントを開き、キーボードに手を這わすと、これは勝手に書いてるんじゃないか、と思えてきて怖い。

さしずめ、シナリオを書いているのではなく、隠されたシナリオを掘り出しているのではないか、そんな奇妙な感覚があった。体験したことを思い出して書いているような、とでもいうか。

実際、手が止まったとき、「こういう流れにするか?」というより、「こういうことをしてたんじゃないか?」で話が続いていく。
現実と虚構の区別がつかなくなって、「わたしメリーさん。今あなたの後にいるの」とか電話されたら、「じゃあ、肩もんでくれ」とか言い出しかねない。
寝食を忘れて、そして侵食されているというわけか。

人生は短いそうだ。ならば、米を炊いている間に夢を見るのもよかろうかと思う。米を炊いている方が夢かもしれぬしな。

後、かなり前に「小説書いてみたら?」との言葉を頂いた方に、上記の内容自体はメールしてないが、「変な気分です。ありがとう」と書いて送ると、「難解なエロ小説をお願いします」と返ってきた。
・・・数式で書けばよいのだろうか?


では、よき終末を。