ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

化学物質のせい

2014-03-28 | 雑記
飲んで帰ってきて、目が覚めたらまだ家の目の前のスーパーも開いていない時間だった。

開いてたら買い物行って、久しぶりに麻婆豆腐でも作ろう、などと考えていたわけではなく、茶でも飲んで寝なおそうかと思ったが、いや、うそ付いた。

眠くなるまでゲームでもやろうかと考えていた。


それはともかく。


先日出した、5時間弱のラヂヲ。


50回再生などいくまい、と踏んでたら、やはり行ってはいなかったので、予想通り。

だがしかし、誰か熱心に聴いてくれたのか、コメントがたくさん入っていた。予想外。

まさか、あの量をどう(まとめてなのか分割してなのか)聞いていたのかは判らねども、最後まで聞いていようとは・・・。恐ろしい子!


コメントの一覧を見ると、「もともと期待していない」とあったので、わしはショックを受けた!ソンガイバイショウを請求する!!

そこで、訴状を作成するために、何についてのコメントか、ついでに他のところも飛ばし飛ばし確認していたら、なんてことはなかった。

「陰謀だとか健康マニアだとか道徳の言葉をわしからは期待するな」ということについてだった。

ありがたい。それが伝わっているというか、それが判っている人がいるだけで十分である。もう思い残すことはないので、お酒を飲んで寝ることにする。いや、まだ朝である。



それはさておき、訂正が。ソンガイバイショウを請求される!!

先日のラヂヲでいった、元きみしぐれのおばはんが現在やっているブログのタイトルを間違えていた。いちいち確認したくなどない、というツンデレとかいうあれで結構だが、確認したらこうだった。

「そらとことりと森のうた」だった。ソンガイバイショウはお断りする。


これもしんくろにしちぃとかいうのか、ついでに開いたら、負彦のおっさんの翻訳の宣伝をしていた。もうずっと見ていないので、ダーリンを勝彦さんとしっかり呼んでいるかは未確認である。


なにがしんくろないずどうんたらかんたらか、というのは、去年、ある翻訳をやっているという話があり、それが出版されるのは今年(2014年)の春くらいだというのを思い出し、そういえば出たかなと不意に考えてみたら、やはり出ていた、という程度の話である。


去年、某掲示板(2ちゃんねるではない)に在籍していたときに、一部だか全部だかを翻訳したのを見せてもらったものである。

今は捨てたので、細かく内容を語ることは出来ないし、仮に書いたら出版妨害なので、ソンガイバイショウを請求されかねない。そんなつまらんことはしたくないので、もっとつまならないお話をいたそう。


しかし、細かくでなければ、妨害ではなく宣伝でしかないので、触れる。触れないことには話しが進まない。


人間の愛情というのは、脳内の化学物質に左右されていて、それは習慣やら訓練でどうにかなる、という話である。その物質を、オキシトシンだとかなんとか。幸せホルモン、などと呼ばれたりする。

育ち方で、それの分泌の具合などが悪くなったりするけど、なんとかなるんであんたは幸せになれるのだ、という話だといえばいいだろう。そんな感じに違いない。

よし、宣伝料をせしめよう。いや、いらん。



先日のラヂヲでも言ったような気がするし、過去にも言ったが、わしは特に女性に対する態度はあやふやなところがある。というより、物事を白黒つけることに別に重大な意義を感じていないので、態度が曖昧なのである。

バタイユの言うとおりなら、物事を白黒に分けるというのは、キリスト教じみているので無意味だと。そういう意味では態度ははっきりしている。

物事を善と悪に分けて、そしてその道徳に絡め取られる柔弱な存在が、たとえば、形骸化したマナーにうるさいジジババだったり、「健康」だとか「地球」だとか騒ぐ間抜けだったり、しつこいが負彦のおっさんのごときだったりする。


と、余談のつもりではないが、長くなってきた。そのことについては後ほど触れるか、忘れたころにラヂヲでやるかもしれない。


さて、「わしの態度は曖昧」という話に戻る。


ちと仲良くなりかけた女子が以前いた。今は死んではいないが、わしの中では死んだも同然なので、死んでいるとしておこう。こらこら。


で、例の掲示板で、「どういう風に向こうが出てくるか、ちと成り行きを見守るつもりです」という風なことを書いていたら、おっさんは言ってきた。

「はっきりさせないといけない。お前が女性に対して曖昧なのは、恐らく化学物質の影響だ」云々と。


化学物質!なんと甘美な響きか。


トニー・ライトの「レフト・イン・ザ・ダーク」というのが、「負彦教」の思想的バックボーンの一つであるが、以下のようにあったと存じている。


曰く「果物に含まれているフラボノイドなどの化学物質が脳を保護し、容積を増大させてきた」と。


アスパルテームも味の素も化学物質である。酸素も水も太陽光も化学物質である。


「化学物質の影響」というなら、わしより歳を食ってるおっさんのごときは、表面的でしかなかろうが、近年に規制されるまでの大量の化学物質の影響を受けてきている。


我が母親の述懐だったか、はっきりと覚えていないが、こんな話を覚えている。

「添加物とかは、わたしらが子供のときは激しかったから、わたしらの年代はあんまり長生きできないかもしれない」などと。

はっきりとした年齢は忘れたが(わしは非道徳的なんでな!)、六十は過ぎていたはず。和歌山からいきなりこっちに着たから、多摩動物公園なんぞへ連れまわしてみたが、元気だった。

夜勤明けで、勤務中の仮眠と、電車で寝たか?ぐらいのわしは、ひどく疲れたが、酒を飲んだのでなんともなかった。(誇張アリ)

おお、アルコールも化学物質だ。


しゃべる方がいい気がしてきたが、もう少し書く。


スピリチュアルだとかニューエイジだとかいうのか、まあ、ベジタリアンだとかフルータリアンの方々がのたまう。

曰く、「肉を食うと悪魔になる」云々。または、「肉食動物と同じになる」と。

肉食動物というのは猜疑心が強くて陰険で、といった風な話を、ちょっと調べれば見かけるかと思う。

微量の化学物質が、人の精神に影響を及ぼすのだー!という。

逆に犬に野菜を食わすと、穏やかになるという。人間と暮らしてきたから、食性も野菜食うのにまったく向いていないわけではないのが家畜化した犬なので、問題はないそうだ。

野菜やら果物で生活すると、人間らしい穏やかで調和の取れた存在になるのだー!という。



さて、ここまで書いたらお分かりだろう。


どーして、あのおっさんは、あのように悪魔や肉食動物のように猜疑心が強く攻撃的なのか?

そして、教条主義的ベジタリアンやフルータリアン、他にも健康至上主義者というのでもなんでもそうだが、肉を食わない人にだけ限定していう。

どーして、肉を食ったら悪魔になる!と、狂ったように攻撃するのか?もちろん、全員ではないだろーが。


かつて、とあるベジタリアンを自称する人物のブログを見た。


プロフィールにこういう風にあった。

「ベジタリアンの視点で、世の中を斬っていきます!」とかなんとか。


その中であった話を簡単に。


どこかのファーストフード店を通りかかったらしく、そこで「ヘルシー」を謳うキャンペーン品を食べてみたそうだ。

すると、肉が入ってた!なんだこれは!ヘルシーを謳うのに肉が入っている!こんな世の中は許せない!

と、ほんとうにこんなノリだった。



長くなっているが、反証を示そう!野菜を食えばやさしくなれること請け合いだ!!


よくあるマウスの実験である。ミッキーではない。


片方は野菜食わす。片方は肉食わす。さあこうなった。


野菜チームは、皆穏やかに過ごしていた。

お肉チームはというと、共食いを始めた。で、数がかなり減ったそうだ。

あなおそろしやあなおそろしや。プーチンの国はロシヤ。


ネズミってのは雑食である。肉も食う。

しかし、草しか食わないと思われている動物も、肉を食っていることがあるともいう。

鹿は、時々小鳥を捕まえて食う、という話もあるらしい。

チンパンジーにいたっては、他の哺乳類(猿のほかに、人間も)をとっ捕まえて、生きたまま食う。

あなおそろしやあなおそろしや。セーターはカシミヤ。


ミッキーに話を戻そう。


なんでも食うネズミが、むしろ肉食なんだが、肉ばかりを食う状況というのは何か。

それはあんた、他に食うものがないからじゃないか。


縄文時代の貝塚から人骨が出ている。これは共食いの証拠だ、と、明治期に日本で調査したモースだったか、外国の学者が指摘していたそうだが、共食いして数を減らし、食糧の需給の釣り合いをとっているだけじゃないかと。



肉食たるネズミが野菜食って「調和」してたのは、疲れて動かなかったのかもしれない。飽くまで、いや、悪魔の推論とでもしておこうか。


肉ばかり食わされて、ネズミたちは感じた!

この状況は食糧危機に攻撃されている可能性があるッ!と

さあ大変だ!種を根絶やしにしてはならぬ!というわけで、傍から見ている人間には理解不能だが、何事か約束して、「わしは食われる役、あんた食う役」と割り振って、見事その働きをなしとげた。


かくして、ネズミは絶滅の危機を乗り越えたのである・・・。めでたしめでたし。

まあ、実験の籠ごとゴミ箱に捨てられるので、やむなし、である。


ビオスとゾーエー、という言葉がある。確か、心理学の言葉だと記憶している。ギリシャ語で、どちらも「生命」を指す言葉である。

ビオスというのは、英語で言えば、BIOSとなるのだろう。個人の経歴だとかをBIOSという。つまり、個体の生命をいう。

ゾーエーというのは、Zooの語源で、種の生命という風にいわれている。


動物も人間も、どっちも動物には違いない。


違いないんだが、ミッキーの例からすれば、ゾーエーが強く働いて、ビオスを減らした。ということである。

ミッキーの行動はゾーエーに強く突き動かされた結果、といえる。

どっちが善で悪か、なんて区別に意味はあるだろうか?

生きたいと願っているネズミの行動を悪だというならば、生命自体が悪である。



では、ベジタリアンの話に戻ろうか。


生命自体を悪だと思っているから、そして、生命をビオスだけでしか推し量らないから、生きようとするネズミのゾーエーを見て、悪だと罵る。


アイクは言う。

「アスパルテームなどの化学物質や、電磁波その他もろもろで、我々はマインドに閉じ込められている」と。

また、負彦のおっさんの翻訳で、「訓練すれば、オキシトシン(化学物質である)の分泌や受容を正常化し、他者を愛し、また愛されることが出来る」という風にあった。


個体の生命というは、それはそれで大事であろう。ないがしろにしたら、わしは酒もたばこもやれなくなる。


それはともかく。


バタイユは、キリスト教は、いわゆる善悪渾然となっていた聖なるものを、清くて善なるものを「聖なるもの」とし、汚くて俗的なものを「悪なるもの」へと分けた、という。

動物は、善悪を勘案しないが、人間は考える。動物は考えないだけで、人間が決め付けるものとしての、善悪の行動を常々行ってはいるだろう。ミッキーの例を先ほど示した。

聖なるものだけが目指すべきものであり、悪なるものは弾劾すべし!というのが道徳というわけだが、これはここでやる話ではない。


動物は、ビオスとゾーエーが渾然としており、おそらく、ゾーエーが強いから、先ほどのネズミのようになる、としておこう。



化学物質などによって、人間はマインドに閉じ込められている、とアイクの言葉を用いた。


じゃあ、やっぱりネズミさんは、おにくのかがくぶっしつでおかしくなってるんだね!とはならない。


ビオス、つまりはアイクの言うマインドからの信号を、敏速にキャッチしたからこそのネズミの(ゾーエーの)行動である。生命活動である。

生命体の反応でいえば、脊髄反射の如くに。肉の化学物質が、というのは後付の理屈である。


われわれは、善と悪を分けることによって、人間になった。元生まれた自然を否定して、なおかつそれを否定していく人間世界に生きている、とバタイユはいう。

そしてこう続く。しかし、「それは元の自然に帰っていくわけではないのだ」と。



ここまで持ってくるのにちと苦労してしまったが、結論である。



自身が分裂していることを感じていない、もしくはよく理解していないがゆえに、生命の本質に触れた途端、それを悪と、マインドで否定する。当人はアイクのいうハートのつもりで、だ。

それは、生命を憎んでいるゆえに出る。愛ゆえに、ともいえるが。


それはまさしく、化学物質(の乱調)のせいである。負彦のおっさんの近刊の話では、愛情とやらは訓練で正常になれるそうだとあるが、つまりは訓練不足である。


化学物質のせいだとか、世の中が悪いというのは確かにあるが、それのせいだけにするというのは、そういうことである。



だから、敢えていう。


果物ばかり食べていると、悪魔になるぞ!と。


余談だが、オキシトシンを摂取すると愛国心が強くなる、という研究報告がある。つまりは偏狭になるということである。正確には、エスノセントリック(自民族中心主義)の傾向が増すという。



肉食ってるやつは死んでしまえ!というのは、わしも言った覚えはあるが、負彦のおっさんとその不愉快な仲間も共有していた感情である。
フルータリアン万歳!フルータリアン以外は苦しんで滅びろ!!

エスノセントリズムですな。


化学物質に左右される!危険だ!といったその口から、乗り越えられるといい、そして乗り越えていないままのトンチンカンな言葉が出てくる。まさに、善悪渾然である。

元の自然に戻っているわけではないのに、戻っていると勘違いをする。こういうの、ドイツ語で「フェアシュティーゲンハイト」という。心理学などで用いられる言葉である。

訳は平たくいうと、「思い上がる」という。逐語訳にすると、「登りそこなう」だそうな。重々しい心理学用語では「頽落(たいらく)」とあてられている。


猿も木を「登りそこなう」のは自然の摂理である。世は真に太平である。



自己紹介

2014-03-26 | 雑記
他人に理解してもらおうなどと、あまっちょろい幻想なんぞかなぐり捨てて、今までラヂヲやら情報を公開してきたが、どうにもこうにも、出せば出すほど、忘れたころに何かコメントが着たりする。
理解なんぞしてもらいたくないのだ!

今週中に、ラヂヲの再生を50越えることがあれば、わしはもっと他人に理解されないように、泥酔しながら何事かをわめき、書く!

これ以上わしの肝臓をいじめるでない!このハリジャンどもめ!




と、どこかのHPの最後に書いてあったことをもじってみた。50越えようが越えまいが、やるかどうかは肝臓の気分次第である。




さて、珍妙なタイトルかと思われる。わしも思う。


ある意味、冒頭のもじり先もまったく自己紹介ではある。



先日出した、おまけのような何かで、最初の収録で言ったが、二回目の公開したほうではすっかり忘れていた話をここに書いておく。
そもそも、あんな長い話聞いてないし、聞いたところでワカランに決まっているので、簡単な話を思い出しては書こう、というだけである。



それは・・・10年前のことであった・・・。


世は麻のように乱れ、でも麻は素晴らしいという話なので、やっぱり乱れてないんじゃないかと、風紀紊乱な言論がまかり通るという、考えるだに恐ろしく、ウヰスキーを呷ってみたくもなろうものだが、わしにとってはいつものことだった。

麻はいけない、夜がいい、という話でもないので、冗談はやめる。


ラヂヲの中で、本名とどういう立場かをばらしておいたある女性。

過去のペンネームを「きみしぐれ」といい、「おデブ脱出計画♪」というブログで、ダイエットの話をしていたら、ダイエットするには陰謀(為清勝彦)に到達せざるを得ない、と最後には、家族(から)もダイエットしたお方である。

家族からのダイエットはわしも見習いたいところで、実践しようと思ったら、もう前からほとんどそんな感じだった。


いや、それはいい。


ところでダイエットという言葉は・・・これはまた昨日にでもやる。



ラヂヲを聞いてくれたら早いが、あれは聞いてはいけない!洗脳される!酒臭い声に酔っ払ってしまう!お酒は二十歳から、なんぞ糞食らえ!

なので、酒が飲めない方は決して開かないように。


前置きが長くなったが、彼女の「自己紹介」を書いておく。


こういう風に述べていた。


街中の赤提灯に入っていく人を見ていると、ゴキブリホイホイに引っかかるゴキブリみたいだ、云々と。


以前の、負彦のおっさんの脚本のラヂヲで、ある本の引用をした。原稿通りでした・・・申し訳ない!

その中で、「赤に注意するのは、人間が果物を食べて暮らしていたころからある本能である」という意味の記述があった。まだラヂヲは消していないが、規約違反で消えてたら知らん。
緑は進め!黄色も進め!赤は気をつけて進め!である。はて?


究極のフルータリアンとかいう者になろうと実践されておられて、負彦のおっさんと共に農園整備をしておられるそうなので、フルータリアンということだが、つまりはこうだ。


フルータリアンという者は、赤く熟した果物に群がるゴキブリだ、と。


同属(族?)嫌悪、というのがある。人間を地の底にあるような見るに耐えないものと考えるのは、自分もそこにいるからだということだろう。

私は鎧土竜(リンク先注意!)であり、ペットとして飼われるような高級な存在です!チャバネなどの低級な存在と一緒にしないでください。あなたとは違うんです

ゴキブリ同士仲良くやりましょうや?鎧土竜にしろチャバネにしろ、ゴキブリには違いないだろう?


オルテガが言ったが、深淵の規模を推し量るのに、それを覗き込めば、めまいがして吸い込まれる。ならばどうするか。

横目に見つつ、通っていく。大衆について考察する時の態度を、こう述べていた。


真面目というのは素晴らしい、といわれる。一般道徳的に。

というわけで、あなたも負彦のおっさんも、「真面目」に深淵を覗き込んだと。そして落っこちた。

災矮なるかな災矮なるかな。この世は糞真面目なあなたのものである!幸あらんことを!ソーメン



前回の、ラヂヲの公開と共に、「各方面にケンカ売ってる」と書いたのは、こういうことである。

前に書いたことをもう一度書いておく。


果物を食ってようが、肉食ってようが、狂人は狂人である!



そしてまた、アイクも言っていた。


「健康に越したことはないが、健康だからといって気づけるものではない」


ちなみにこれは、ニューエイジの生活をしている人たちに、「ネガティブな情報をいうでない」と非難された時のことを思い起こして書かれたものだが、農園作ってキャッキャウフフなんて、ニューエイジそのものな気がするな。


災矮なるかな、災矮なるかな。


釈迦は、「女性は成仏できぬ」と言っていた、とこれまた実は一般的に判りやすく伝わっている話である。

実際は、「女は男になってから成仏するのである」と言っていたそうだ。


その事を書いた話もある。確か、竜樹だったか、彼女が成仏するという説話があったように記憶している。


また、聖書とやらでいう。

「金持ちが神の国に行くのは、ラクダが針の穴を通るよりも難しい」という風に。


男と比べたら、女はフタコブラクダである。男もフタコブあるが、ほくろみたいなものである。

若いころよりフタコブ加減がなくなったとおっしゃっていたが、どうもまだ足りないので、針の穴を通れるようになるまで、農園をいじり続けるとよろしい。金持ちが通るより簡単らしいから。

災矮なるかな、災矮なるかな。この世は鎧土竜のものである。ソーメン!



ウヰスキーの時間 ダブルのおまけ

2014-03-25 | ラヂヲ
やるやると言いながら、気がつけば半年以上が過ぎていた。

なに。時間なんて錯覚である。


というわけで、「ウヰスキーの時間 ダブル」のおまけとして、撮りおろしのラヂヲ公開する。

これを公開することで、わしが後悔しそうなところがあるやもしれないが、どうでもよい。

各方面にケンカを売っているような気がしないでもないが、世の中皆ケンカが好きなので仕方がない。


しかも、280分も入っている。桁を間違えてはいない。4時間40分である。

誰が聞くんだこれは・・・。


わしがいくらケンカのつもりでも、相手が根を上げるであろう。ケンカ以前の問題である。
だが、ケンカはやめよう。つまらないから。


【ラヂヲ】ウヰスキーの時間 ダブルのおまけ




「2時間3分40秒あたりで言っている事が理解し難いので、もう少し説明してほしい」などと質問が来たら答えて差し上げたいが、さして個々の話に意味があるとは思わないので、最後まで聞いたらそのまま寝てくれればよろしい。最初から寝る、睡眠学習が一番のオススメである。

最後に某映画評論家二名(故人)の台詞を拝借して締めているのだが、実はこれがやりたかっただけではなかったかと、ひどく悩んでいるところである。
しかも、わざわざ、これとこれで、じゃあ、もう一度言いますね、とかやるのでくどい。
そして、仮にそれをやりたかったがために、5時間近くしゃべり倒した、というのならば、もはや狂気の沙汰である。
だが、しかし、負彦のおっさんの翻訳にあった話の通りなら、どいつもこいつも左脳が右脳より縮んだ狂人だそうなので、問題ない。


そして敢えて言う。ラヂヲ内でも似たような話を言っているが。

果物食って暮らしていようが、肉食って暮らしていようが、狂人は狂人でしかない。

正義の使者とやらは、相手を悪であるとすることで存在できる。立場が違うだけで、その悪とやらと同じことをしていて尚且つ、正義である、と述べる。これはまあ、よくある話ではある。

酔っ払いに「あなた酔っていますね?」と聞けばこう答える。

「おれぁ、酔っちゃいねぇよ!」

まったくもって、どいつもこいつも酔っ払いである。


酔っ払ってケンカするのでは、飲み方が悪い。飲み方が判らんのである。それなら最初から酒など飲まない方が身のためなのだが、結局飲んでしまうようである。「わかっちゃいるけどやめられない」と、昔の流行歌のままである。


お前はどうなんだ?と聞かれるかもしれないので、こう答えておく。

「素面が酔っ払いなんだから、酒飲んで正気を保っているんだ」と。

では、よき終末を。

ビヨンド・ザ・マハトマ

2014-03-09 | 雑記
世の中には、素晴らしい(と思しき)事を成し、損傷、もとい、尊称を与えられたりする。

タイトルにある、マハトマというのも、それである。



というわけで、お久しぶり。二度と更新することはないだろうと考えていたが、最後にラヂヲのおまけでもやろうやろう、やるやる、と詐欺まがいのことをし続け、気がつけば冬眠から覚めねばならぬ時期になった。

春は春眠が待っているので、二度寝三度寝、そして永眠へと繋ぎたいところだが、まだ死んでいない。

人間すぐには死なないだろうが。馬鹿なことを言うな、とお叱りを受けそうだが、なに、時間などというものは錯覚である。そもそも死んでいるのかもしれないし、死に損ないらしいからだろう、滅びろ、とも言われたものである。


ラヂヲ最終回のブログへのコメント返しを、結局やらなかったおまけラヂヲでやろうかと考えていたが、何を話そうか考えたら、皮肉ばっかり言って本題に入れなさそうなので、しゃべることはおろか、書く気にもなれない。ご容赦願う。


さて、マハトマとやらの話に戻る。


この言葉を説明するというのは、釈迦に説法というやつか。微妙に意味が違うが、一般的に知れ渡っている言葉だと思う。後はあれだ。グーグルで。

「偉大なる父」だとかそういう意味の言葉である。インドの言葉、だと思われるが、ヒンディー語なのかベンガル語なのか、はたまた古代インド語かは調べていないので知らぬ。

これを付けられて呼ばれる人物は、恐らく一人。ガンジーである。

アイクも引用したりしている、あのガンジーである。


何をしたのかというと、ボロを纏い、戯言で世の中を引っ掻き回したインドの最下層の人々を助け、インドを解放に導いた、ということである。

インドには、今も根強い、カーストという身分制度がある。本当は向こうの言葉で「ダルマ」というそうだが。さすがダルマというだけあって、起き上がってきたわけだ。

日本で言えば、士農工商というやつだと思ってくれれば結構。もっとガチガチで、比べ物にならないのだが、そういうものだと。


ガンジーはそのカーストの最下層の人を解放したんですね!というわけではない。

カーストのさらに下の、枠外での下にいる存在に着目した。

日本で言えば、エタ、ヒニン、と呼ばれる存在である。

アウト・カーストだとか不可触賎民だとか、まとめて呼ばれるんだったか。知らん。


ガンジーはそういう存在をこう呼んで、奮い立たせたんだそうな。「君たちはハリジャンだ」と。

洟の町、ハリの粋な男子をハリジャンという。これは冗談である。

こいつは、「神の子」という意味だったか。お前らは素晴らしいんだ!と。

そして、インドは身分制度が崩壊し、さらに独立国家になりましたとさ。めでたしめでたし。


はて?


では、何ゆえカーストが今も根強く残っているのだろうか。


わしはインド学者でもなければインド人でもない(フィリピンっぽいとは言われたが)ので、詳しくは判らないし、その上、インド人だから判る、というわけでもないのかもしれないが、ともかく。



ガンジーが生まれたころ、インドはイギリスの植民地だった時代である。
ここはテストに出るので覚えておくように。


そんな時代、若きガンジー青年は、弁護士になるために、イギリスへ留学したそうだ。


そして月日は流れ、彼は帰って来た。ボロを纏って・・・。


帰って来たときにボロは纏ってなかっただろうが、出来すぎた話ではなかろうか。


丁度、明治維新と同じ流れだなぁと。詳しくはTHINKERこのページでも読めば判るかと思われる。判らないのなら、日本語を勉強しよう!


わしの記憶が確かならば、そう。

ジョン・コールマン著、太田龍訳の『三百人委員会』に、「ガンジーは、放っておけば消えるはずだった身分制度を、最下層貧民を煽ることによって思い出させ、インドを混乱させた、三百人委員会が送り込んだテロリスト」とあった。

ジョン某が本当のことを言っているのか、三百人委員会というのが本当にあるのか、それらはともかく。



ガンジーの行動は、イギリスだかイルミナティだかなんだかしらんが、彼らがやっているとかいう、少数民族を煽って国を転覆させるやり方そのものである。

「イギリス仕込」かどうかはともかく、流れを引っ掻き回す、古いが上手い手段である。


日本でも、被差別だとかいって、皆、身分制度なんぞ忘れてるのにわざわざ引っ張り出してきて、色々問題になっている。細かいことは知らん。
国家転覆とやらには行かなかったろうが、そもそも転覆してるようなものなので、転覆しようがないのかもしれないが、ヤクザの種類が増えたと思えばよろしい。


被差別だとかの話は措くとして、ガンジー自身はボロを着て、人々に質素倹約的な話を説き、隠れてベッドで女性と密着(交接ではない)して、それを見つけられたら「修行です」と言ったりと、好き放題やっていたようだ。

好き放題やったせいか、暗殺されたが。


それはともかく。


彼の子らは、ニ、三世代にわたってインドの大統領を歴任したりしている、セレブ一族とやらになっている。
暗殺されたのもいるそうだ。


実によく出来た話ではないか。





そんなマハトマを越えてしまったなぁ、などと自慢していた御仁がいる。

もう去年の話なので、いい加減気づいたかもしれないが、今の状態は知らん。


しかし、マハトマを越えたとは驚きである。少なくとも、社会運動を巻き起こして、国家転覆ぐらいさせないと越えたとは言いがたい。(起こしたかったとは言っていたが)
後は本人か子供を大統領にして、インドで言えばパキスタンを占領するくらいでないと。

何を持って越えたといっていたかというと、フルータリアンでないだとか、質素倹約を押し付けてるのはおかしいだとか、女性と密着する「修行」について、ガンジーは嘘吐きだ、という、瑣末なことを言っていた。

そもそも、ジョン某の言うとおりならガンジーは嘘吐きなのだが。
しかし、盗人にも三分の理というやつである。アイクの引用もそういうものでしかなかろう。アイクがガンジーを褒めていたのかどうかは、これまた知らん!


これが一般人、無名有名ではなく、一般の価値観で持って生活している一般人が言うのなら、結構。


これが陰謀論者の口から出たのだから、傑作である。体を張った一世一代のギャグである。
この一点で持ってマハトマを越えたといっていたのなら、万歳三唱だ。

さぞかし、女王陛下もお喜びのことでございましょう。God save the Queen!