ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

バター

2011-05-30 | 雑記
先日の夜勤明けで、「最近はここで飲んでない」というと、「ハイボールがあるぞ」といわれ、しばし悩む。

あんまり飲んでないし、肩こりやらで体調も思わしくないので、今飲むとよろしくないのと、飲むなら帰りにあの店にしようかともちょっと考えていた。

ならどっちにしても飲むならここで飲んだほうが安上がりである。というわけでゆっくり飲んでいたら昼になってしまった。

その前後、「最近習字をみかけないぞ」といわれる。不謹慎なネタが飛び出したので、早速ネタにしてしまおうと思ったが、この日はやらなかった。


最近は腹へってもあまり堪えないなどと言っていたら、サンドイッチとゆで卵をもらう。厚意で差し出されたものだから断るのもあれなので、ありがたく頂戴した。

ちょっと腹に入れるとやはり胃が動くので、何故だか大量に保存されている(名目は非常食の)スパゲッティをゆでる事にした。いつ買い込まれたのか、というのは突っ込まないほうがよい。といえば察しがつくだろうが。

そういえば夕べの夜食もスパゲッティだった。一人前で小分けになっているたらこソースだったので、多くなくて助かるのだが、もうなくなった。

件のスパゲッティと共に保存されているソースはレトルトのミートソース。開けたら最後、保存が利かない上に二人前入っている。

こいつを使うときは麺も二人前ゆでる事になる。多すぎる、ということはないのだが、やはり多くは感じる。その上味も飽きてくる。

食べてコーヒーを飲んでようやく帰途に着いた。が、雨が降っている。まあいいか、台風はまだ遠いし、と一駅前から歩き出した。


ついでだと、駅ビルにある日本茶カフェに立ち寄る。地震のちょっと前からずっとご無沙汰だった。

新茶の季節で、限定のお茶があった。翠香(すいか)と蒼香(そうか)というのがある。どっちも何か思い浮かぶような気がしたが、きっとハイボールのせいだろう。


で、その丸くないすいかはというと、茶葉が食べられるので、お茶のあと薬味を持ってきますとのこと。あんみつ食べてさらに食べるというのは変な気がしたが、抹茶を飲んでいるようなものだと思えばいい。だが、抹茶に薬味はない。

普段のお茶の葉が急須から零れ落ちたりして、お茶に入ったりするのを噛むことがあるが、まるでよく煮たほうれん草の葉のように柔らかい。薬味は薄めた出汁醤油と梅肉だったが、出汁醤油のほうが好みだった。


夕方たどり着き、買い物をする。バターが余っているので、またスタンポットを作ろうと思って材料を買ってきた。材料ではないが、マフィンも買う。このマフィンが後日問題を起こす(誇大広告という)のだが、それはまたの機会。

結局、なにやらやっていたら晩飯を食べるどころではなくなり、夜勤明けでもあるのでそのまま寝てしまった。


さて、冒頭にチラッと習字のネタがどうこうと。読んでなくても下までスクロールしたら見えてくるので関係はないが、こんな言葉が飛び交っていた。




とける、という意味の言葉に別に悪意も何もなかろうが、時期が悪い。以前は融解というほうがよく聞いた気がするが、違いはあまりないだろうて。

それよりも、あの時すでに溶融してました、などといまさらよーゆうわい、と思いついたほうが問題だった。座布団は没収。


とろけついでにぐるぐる回ってきた。何が?車で。ええ、もちろんゲームです。




ジムカーナ、といって、舗装道路の上にパイロンやらを立ててコースを作り、そこをいかにテクニカルに走り抜けるかを競うもの。ラリー選手のKen Blockという人が始めた、のかは詳しくしらないが、近年人気が出ているそうな。

このゲームもそのKen Blockがテクニカルアドバイザーをやっていて、Kenちゃん肝煎りのジムカーナというわけだ。

それにしてもこれ、難しくて腹立たしいのだが、ラリーそっちのけで攻略をしていた。嫌よ嫌よも好きのうち、というのだろうか。では、また。


遊び

2011-05-27 | 雑記
いきなりだが、オランダといえば何が思い浮かぶか。

チューリップに風車に干潟、ヨーロッパのどこかにある、最近はしょーもないK-1の選手の出身がここが多かった、とまあそんなところで。
後は、タバコより体に影響が少ないからと、マリファナが合法になっているという。

気になって調べてみたら、合法というより黙認という形だったようで、数年前に規制を強くするというような話があったようだ。


オランダといえば、ホイジンガという学者の名前が浮かぶ。

名門ライデン大学の学長で、主な著作に『中世の秋』や『ホモ・ルーデンス』がある。

ホモ・ルーデンスとは「遊ぶ人」の謂いで、文化には精神的な「遊び」の感覚があり、それが廃れるとたとえば全体主義に堕する、という。直接読んだわけじゃなくて又聞きというやつである。

曰く1.厳格なルールがある。 2.非日常的な場所で行われる。 あと一つか二つあった気がするが、もう忘れてしまった。

実際にホイジンガは、ナチス批判の廉で投獄されたそうな。死ぬまでムショ暮らしだったわけではなく、すぐ釈放されたが、Wikiなんとかによると、事実上軟禁状態だったという。

「学生時代はもっと新聞を読んでおけばよかった」と言っていたらしい。『中世の秋』の訳者解説にそんな話が載っていた覚えがあるが、これも記憶が危ういので忘れていただこう。

有名な画家が何人かいる。

たとえばゴッホ。オランダ出身で、フランスで活躍した。

フェルメール。こちらもオランダの謎多き画家で、生涯を故郷で過ごした。



というわけで、国立西洋美術館のレンブラント展に行ってきた。

特に誰の絵が好きというわけではなく、時折、こういう企画展があると思い出したように見に行く。やはり今回は宣伝もよくやっていたので、人が多かった。地震の影響はたぶんあるとしても。

平日の昼間だからそれほど多くはないのだが、上野でパンダを見るような気分で並ぶ羽目になる。常設展ならヒシビロコウとにらめっこ気分であったろうが、こういう時は常設展も人が多いだろう。修学旅行だかの中学生も列に並んでいたから間違いない。

これが日曜なら、チケットを買う時点で行列だったろうが、以前出くわしたそんな状況と比べれば、いないのと等しい。


さて、何気なくその国立西洋美術館のHPを眺めていたら、レストランの項目に目が留まった。

存在は認識していたのだが、入る気が普段しないので無視していたのだが、企画展記念料理というのを出しているようだ。

今回はオランダにちなんで、スタンポットというのを出しているそうだ。ついでにオランダビール。


ヨーロッパの北欧やら東欧のほうだったか、ビールのラベルに「東郷平八郎」の肖像が書かれている「東郷ビール」というのがあると聞いたことがある。まさにそれ。二種類あって、もうひとつは「吉田松陰」だった。

ビールはもともとオランダへの輸出品なのか、製造が日本のビール会社になっている。逆輸入というやつだろう。


さて、気になったのでちょっと寄ってビールと一緒にいただいてきた。ビールはあっさりしたビールで、悪く言えば個性のない味だった。

スタンポットとは、要するにマッシュポテトのこと。煮た野菜とマッシュポテトを混ぜたものをスタンポットと言えばたぶん正解。

家庭料理なので、これが正解、という形はなかろうが、すいれん風スタンポットは上品な味だった。焼いたウインナーは皮がしっかりしてて、久しぶりのナイフさばきではちょっとてこずった。まあ、不器用ということで。


スタンポットとはなんぞや、と気になって調べたら、ひどく簡単な作り方を見つけた。

絵を見て帰ったら、晩にこれをやってみようと思ったのだが、夕方から色々やっていたら食べるのも忘れて時間が過ぎ、日付も変わったので寝てしまった。

そして次の日はなんだか体が重たい。丸一日ダウンしていたような状態だった。


そして本日、これまた早朝に目が覚めたので、昼飯に作ってみた。ちょっと多かったが、こういう風になった。

参考にしたレシピはこちら


マッシュポテトってなんだっけ?という気がしないでもないが、その辺りも家庭料理ということで、好きなようにやるといい。ただ、まだ水分が多かったとは思った。

これと何故かイングリッシュマフィンという組み合わせでバクバク食べたのだが、しつこくなく、あっさりして飽きの来ない味は実に好みだった。質素を誇りにしているというオランダだけのことはある。(ここにそんなコラムが載っていた。)


家では肉料理はしばらくなしにしようかと思っていたのだが、元々その予定も今月初めまでの予定だったのが今も続いていただけの話。部分解禁ということで、たまには食べる事にする。外に行けばどっちにしても肉にぶち当たるし。


その絵を見た日の夕方は色々やっていたというのだが、ついにDirt3を買ってしまった。

買うのは前の日に買ったのだが、ダウンロード販売のため、DLが途中までだったのを完遂させて、走り回っていた。

ただ、ジムカーナというのはちと難しくて(高得点を出すのは)ちと心が折れそうだった。諦めてラリーに精を出したい所存でございます。





何が難しいって、ドリフトが難しい。やるだけなら出来るけど、それを華麗に使いこなすってのは初心者とあまり変わらない自分には厳しい。


最後にこっちも難儀した動画。エンコードソフトを新しくすればもっと綺麗にできる!と思ったら動画を作る事が出来なくなった。

前のに差し戻して事なきを得たが、今度はこっちでもソフトウェアのバージョン違いか何かで、詳細設定が動かなくなった。試したところ、画質に差はないのでよしとする。そこまでめんどくさいことはやってないのもあるし。

第五夜



そういうわけで、次回予告を作ったり、本編の続きすらやれなかった。この借りはDirt3で返す!というのはおかしいが、気晴らしだ。では、また。




こだわれない

2011-05-24 | 雑記
日曜の夜勤明け、今日は飲もうかと思って「和」に向かう。

いつもの兄さんがいたので、泡盛と島ラッキョウ、メニューにゃないスクガラス単体を頼む。たぶん今日は一杯でやめるだろうと思いつつ飲んでいたら、客が増えてきた。

酒もなくなりかけたので、今日は普段頼まない、その上メニューにはあるのに無視していたものを、と考えていた。

候補は二つ。てびち、という豚の骨付き肉を煮たもの。もう一つはらふてぃ。沖縄の豚の角煮。

てびちは以前、おまけで一本もらった事がある。値段もちょっと張るので、らふてぃにした。が、頼むと忙しいのもあって意外と時間がかかっていた。鍋で暖めているようだったのもあるか。


ようやく出てきたのを一目見て、あと一口食べてみて思いついたのが、そばに入っているチャーシューみたいなものがこれじゃないかと。でもなんだか違うようだ。

角煮は作った事がないし、あとは「西海」の角煮くらいしか食べた覚えがないので、違いがあるのかよく分からないのだが、独特の香り付けに「八角」を使うのだったか。

さて当初はそう思い至って「らふてぃには八角を使ってはいないのだろうか?」だったのだが、結局よくわからない。暇な時間だったら何を使うか気まぐれに聞くのだが、忙しいので無理である。


角煮といえば先にも出た「西海」。最近はまったく行かない。行ったその時の体調があまりよくなかったのか、最近は美味いように思えなくなったので、足が遠のいている。

半ば忘れているようなところもあったので、角煮を確かめに一度向かおうかと思うのだが、それがいつになるかはちょっと分からない。早くて明日(日付としては五月二十五日)。善は急げという。


さて、飲んだし、ちょっと重たいらふてぃも食べたが、何か足りない。締めに何か作ってくれないかと頼む。「どんなのがいいですか?」というので「さっぱりしたものを」というと、「じゃあこの間の冷麺はどうですかと」訊ねる。

そういえば、と思い出したのもあったので迷わず頼む事にした。以前は突発的に考えて作ったもので、今回は恐らく改良をしたもの、というわけだ。恐らくってなんだ。


そうめんを使っている事、海ぶどうを載せていること、クズ肉(と以前聞いた)が乗っかっている事意外はあまり沖縄らしくないのかもしれない。本来は冷製パスタ風を考えていたというのもあって、「冷麺」の先入観がなければといいたいが、「冷麺」以外に呼び名が思いつかない、というのも前回の課題だった気がする。

前回はそうめんが少し古めので硬さに問題があるとのことだった。温度管理のいいところで保管するのだろうが、長らく(数年前後)置いたそうめんは高級品ともいう。硬さについては確信めいた事はいえないが、前より硬くなったと思われる。

個人的には水菜の茎も乗せたほうがいいかなと思ったが、細切のきゅうりもあるので、水気が多くなりすぎるかもしれないので、なんともいえない。


と、酔っ払ってああでもないこうでもないとやるのが暇な時間にやって来た時の日課になっているのだが、やっぱり忙しい。


さて、忙しさが激しくなる前、兄さんがカードを持ってきたのだった。以前辞退したポイントカードだった。それと、ショップカードという、お店の紹介に使うような小さな広告。

泡盛のグラスが今日は違うなぁと思っただけで聞かなかったのだが、これもポイントでもらえるものだという。今のウヰスキーを入れるグラスも、変哲もなくてそこが気に入って使っているのだが、これも悪くない。緑がかったやつだったので、青などの色違いがあればなお更よい。わざわざ渡してくれたのだから、受け取る事にした。

ただ、酔っ払いすぎて忘れるかも知れんぜ、というと「大丈夫ですよ、ちゃんと書いておくんで」とのこと。なくても行くんだがなぁと思ったが(米屋のポイントなんぞ数年たまりっぱなしである)、これも付き合いということで。


帰るときさっそく、カードを、というので判子を押してもらったのだが、兄さん、二回連続で名前がひっくり返っていた。


一杯だけにしようと考えていたもう一つの理由があって、こちらも日課になっている近所の「日曜だけのクレープ屋」。

平日は道から見える位置にある犬小屋から、日曜は奥まったところに隠れてしまう。以前、一度だけ覗いたら腹を出して寝転がったままこちらを凝視していた。

前の日は通りかかっても見えなかったし、今日も見えない。見えないが、小屋のそばに水は置いてあった。

「この暑さでナルくん(犬の名前)は大丈夫なんですか?」と聞いてみたら「暑いときは小屋に隠れてたり、小屋の横の地面に腹をくっつけてじっとしてるんです」という。結構な歳だと以前聞いたのだが、元気そうでなによりである。


今日はトッピングの一覧に「カスタード」が戻っていた。またそのうち、違うものを頼んでみようかと思うが、これもいつになるのかさっぱり分からない。


ところで、ここのところ和に行ってクレープ、とばっかり書いているような気がする。我ながらのワンパターンに呆れ顔になりそうだったが、考えても仕方ない。


さあ、ワンパターンついでに動画を!といいたいところだが、まだ完成していない。こんな話も構わないのだが、いい加減、国立西洋美術館の企画展に行かねばならない(これも明日がいいか)。だが、その明日はDirt3の発売日だった。

というとこうなるわけか。

夜勤明け
 ↓
上野で絵を見る
 ↓
西海よってラーメンを食べる
 ↓
Dirt3をDL購入する
 ↓
やろうと思ったけど寝る
 ↓
起きてから徹夜でレース
 ↓ 
次の日風邪をひく

うーん、困った。風邪を引くのだけは勘弁だ。その次の日が休みなら別に構わないのだが。では、また。

記憶違い

2011-05-21 | 雑記
その日書こうと思って忘れていたのだが、日曜にいつものクレープ屋に行ってきた。その日は休みで、ちょっと暑かった。

たしかトッピングにアイスクリームがあったか。暑いならそれでちょっと涼めるかと頼んでみる。


で、普段はトッピングにカスタードクリームをいれてもらうのだが、ちょっと前からトッピングの一覧に入っていない。

いつぞや、このしばらく前からか書いていないような気がして、実は勘違いでもしているのか、ちょくちょく行ってるから顔覚えられて、おまけしてくれてるのか?などと思っていたのでついでに訊ねた。

「ええ、元々入ってるんです。今はパインが項目にあって見えなくなってるだけでありますよ。うちは融通も利くんで大丈夫です。」とのことだった。

トッピング自体は複数頼めるのだが、切がよくないので一つしか頼まない。次回はまたカスタードを頼む事にする。なんせ持ち帰って暑いのに自宅で食べてたらよく融ける。アイスいれるならその場で食べるか歩きながらがよい。


ついでに昨日。しばらく行ってなかったので、軽く一杯と思って「和」に行った。昼時でちと忙しそうだった。店員もいつもの兄さんではなく、お姉さんだった。調理の人はいつぞやモツ煮ともずくを取り違えたよく見る人だった。

じゃあご飯にしようと思ってオリオン生を頼んだ。それとゴーヤ丼セット。しかし、なんだかビールが美味くない。

泡も適正で冷えてもいるのだが、なんだか物足りない。体がおかしくなったのか、いつも泡盛だったのできつい味でないと駄目になったのか。

と、思ったのもつかの間。ちょっと店員さん同士が険悪になりかけた。カウンターの他の常連さんらしき人が「がんばれ!」などと笑いながら声をかけていた。


ビールとセットだけでやはり腹が膨れたので、お腹が好いたときはこういう組み合わせでよいようだ。以前はほぼ「いつもの」状態だったのだが、最近は泡盛を飲んでいたのでご飯ものは久しぶりな気がした。

しかしビールの味が気になる。まあ、出来不出来もありえるだろうし、本人の味覚が変わったというのが大きいと思われる。変わってなくて製造元が味を変えた可能性もなきにしもあらず。


それとちょっと気になったのがスープの味。これもたぶん前とは変わってないのだろうが、ちと薄くなった気がする。やはり自分の舌が変わったのだということにしよう。


支払い時、ふとレジのそばに目をやると「ご自由におとりください」と書かれた場所に、名刺状のものがある。

拾い上げるとスタンプカードだった。ほう、いつの間にと思って「スタンプカードなんて出来たんですねぇ」というと「お得なんでどうぞ」と言われる。

スタンプやクーポンは滅多に使わない。唯一食べに行くところでまともに使っていたのは「西海」だったのだが、これまた味覚及び胃の大きさの都合で足が遠のき始めている。

金があろうがなかろうが飲み食いしたかったらするし、したくなかったら安くなろうが近寄らない。そんなつもりなので「いやぁ、なくてもくるし、普段はっきりしなくなるまで飲む事が多いんで忘れそうなんでいいですよ」というと「いつもありがとうございます」となんだか晴れやかな顔で答えられてしまった。まあ、ひどく悪意を持ったような言い方をすると、自ら鴨宣言したわけで。悪意はまったくない。


嘘だと思われるだろうが、最近はまったく飲んでなかった(一週間近くは開いていたはず)ので、ビールでも顔が赤くなった感じがしたが、家に戻って見た所、あんまりお変わりがないようで。
お変わりがないのはいいのだが、どうも味覚が変わってしまったようだ。濃い味ばかり食べるから、と思ったのだが、ここしばらく一番美味いと思ったのはお粥だというのだからなお更分からない。


というわけで、お変わりなく動画を掲載して終了。

あまり深く考えずにDeadSpace2を始める事に。今回はわざわざ冒頭で「視聴者にやさしくない」を標榜する。とはいいつつも正確性はともかく、延々解説をしている気がする。

第一夜

ゲーム本編まで半分以上時間を費やす。

第二夜

しゃべりすぎで見てるほうはドキドキしないかもしれない気がする。

第三夜

戦いが本格化。撮影分はまだあるが、掲載はここまで。


来週は某ラリーシムの新作が出るので、色々とお休みになります。半分はホント。では、また。

餅らしく

2011-05-19 | 雑記
休みで珍しく朝から起きていたので、これまた珍しく三食いただいたり、おやつを作ってみたり、布団を干したりしていた。夜がまだ意外と冷えるとはいえ、家の中にいるのなら冬布団は邪魔である。

なかなかいい天気ではあったのだが、妙に雲が多くなったり、フェイントをかけてくる。しかし、結局一日降らなかったようだ。途中で昼寝したから、とはいえ降ったら痕跡はあるだろうから、降らなかったと。


食事はちょっと昼飯が妙に多く作りすぎて、もっと食べないとガリガリだぞと言われるのだが、一食お茶碗一杯で十分だという事がよく分かった。昼の分に一合炊いてみて、全部食べたのが間違いだった。


とはいうものの、膨れても長続きはしない。買い物に行った際、葛粉も購入しておいたので、夕方これでおやつを作ろうと思った。

いつぞやのプリンも葛粉を使うのだが、今回は葛粉と水だけで作る。一般的なものの場合は水と葛粉と砂糖を混ぜて作るのだが、なくてもよさそうだった。


夏も近づいているので、夏らしいおやつというわけで、葛餅を作った。まあ、どっかの受け売りです。



作り方を見たところではきな粉でやるのだが、きな粉を忘れていた。以前からの残りの黒蜜をかけてみたところなのだが、なんというか、汚い。

遠めに見ると、グダグダになったこんにゃくやら冬瓜のように見える。そもそも「一口大」に切り分けるところが口いっぱい分になっている。これはアメリカンサイズです、というには小さい。


実はまだ半分残っていて、生暖かい感じで食べたのが上の写真。大きいし(分量は二人前の作り方だった)後で食べようかと思ったのだが、冷やしすぎると葛餅は食感が悪くなったり見た目もよくなくなる。

ならば、もう少し冷やして直後に食べてみようと残った半分を食べながら水に浸けておいて、一皿目が空になったころ、取り出して切り分ける。

こういう風になった。意識して一口大をやってみたら、まあ、さっきよりは・・・どうだろう。



上が解けている寒天なら、下はようやく餅らしくなったか、というところ。食べた感じも餅らしかった。

以前、市販の葛餅を買って食べたことがあるのだが、あんまり美味いと思わなかった。葛だけで作られたものではないことがほとんどだから、味わいも似ているようで違う。

水道水で冷やしただけなのに涼を感じた。真夏の夕方で、エアコンが切られてる状態でやれば、もう少し涼しく感じたかもしれない。

そしてこのおやつ、簡単に作る事が出来る。水と葛粉を弱火で練るだけ。練りあがったら広めの皿にあけて、深めのボウルやらバットに皿ごと沈めて粗熱をとる、という手順。
粗熱をとる、がよく分かっていなかったので、生暖かい葛餅を最初食べる羽目になったわけだ。プリンももっと冷えてから冷蔵庫に入れるべきだったのだろうか。

黒豆きな粉まで自作していたのが受け売りの元の話だったのだが、きな粉や黒蜜をかけて食う、という認識で間違いない。色々と工夫の余地もあるようだが、思いつかなければきな粉で安定。

間違えても片栗粉などでやらないように。別の何かが出来上がると思われる。


さて、予定では動画を掲載するつもりだった。

前回は悲しいかな、最終回を迎えたのになんの反響もないという。悔しくなったので新しいのを始めたわけだ。

というのは半分冗談で、夏になれば停電やらで中断の可能性があるので、新作はやらないかもしれないな、と言っていたのだが、なんてことはない。停電やらその他でどうにかなるというのなら、その時考えるしかない。
なら、別に動画を辞める必要はまったくない、やりたいならやればいい、そう思って新作をやろうと思い立ち、夕方、葛餅を平らげた後、撮影にかかったのだが・・・。

設定を間違えたのか音声がずれている。そして夜半。再度撮影し直し、そこで目の当たりにした光景は・・・と煽っても面白くない。また音がずれるのだった。

幸い、二度目のほうは差し替えが利く箇所のみ。その差し替えに手間取ったものの、完成はした。ただ、まだアップできる状態にはたどり着いていない。

やらないやらないといいつつ気がつけばあっという間に始めるやらない詐欺だが、お絵かきについては詐欺にならない気配が濃厚すぎて、冷やしすぎた葛餅のように固まってしまうだろう。では、また。


走らない

2011-05-18 | 雑記
ニュースを見ていたら、なんだか聞いたことがあるようなないようなアフリカ系の人物の名前があり、死んだという。

病気か何かで死んだ、むかし、日本と縁のあった人かと思って開いてみたら、二十四歳のマラソンランナーの自殺だった。去年だったか、スポーツ番組で取り上げられていたような気がする。


その記事では詳細は触れていなかったが、簡単に「女性との関係で悩みがあった云々」とあったように記憶している。記憶で書くな、と突っ込む人はこんな僻地にはいないだろうが、こういう記事があったのだ。

二十四歳で・・・というと数日前にも一人、タレントが。


昔の作家か何かの言葉だろうか、高校の担任が「一度も死にたいと思わない人間はいない」ということを言っていた。正宗白鳥だったか「誰にもいえない秘密をまったく持たずに生きている人間は本当に生きた事がない」みたいな言葉を思い起こしたので、実は同じ人か影響を受けた人の言葉なのではなかろうかと考えたが、まったくもって証拠はない。いわゆる気のせいである。


話は戻るような戻らないような形へ。

そのマラソンランナーの知り合いは、自死のしばらく前に「世の中我慢だよ」という風になだめたりした事があったようだ。

また、件のタレントも前日だかに親元へ電話して、最初は死ぬ死ぬと言っていたようだ。(お母さんのところに行きたい、などと。母親は四月に亡くなっている)



と、何か書きかけたのだが、細かい事をやりだすと頭が痛くなってくる。というより風邪気味で頭が痛いようで、上記まで書いて寝てしまったのだった。

というわけで、当初と予定が違うが引き継いで書いていく。



人が自殺する時、状況は様々で一概にこうだとは言えないのだろうが、辞書の中にある言葉だと「諫死」というのがある。主君が諫めを聞かないがゆえ、死んでその諫めを聞かせようというものである。それだけ覚悟するというわけではある。主が暴君ならば、諫めた時点で殺される可能性もあるのだから、本来は諫める時点で死を覚悟しているから出来る、もしくはやろうとするのだともいえる。

江戸時代に儀式化した、日本の自殺には「切腹」がある。これが本当に腹切って死ぬとなるとかなり痛く、自力で絶命できた人はあまりいない。だから、大抵は介錯といって、後で首を斬りおとす役目が居る。日本史で最後に腹を切った著名人は三島由紀夫が最後だと思われる。


三島のは日本の状況を憂いた「諫死」だろう、と言われているが、某日本文学の教授が言うには、三島は「作家の死は犬死だ」と言っていたので、「作家」以外の姿を装って死ぬ必要があったのだ、みたいなことを言っていた。


三島の苦悩は一般の理解の範疇を超える。と、いったが上の二人が理解できるのかというとなんともいえない。


ただ、三島も死ぬ直前は得も言われぬ不安を抱えていたようだ。不安なんて誰にだってあるんじゃないか?という、がまさにその通り。



以前、とある本の受け売りでしゃべったり書いたかもしれないが(誰も知らないのと同義)、不安とはなんなのかと。

不安とは、「見えないものを見ようとする欲望の裏返し」といえる。「杞憂」の起源と同じ状態である。杞氏が毎日、「空が落ちてくるんじゃないか」と憂いていた、という所から来たと聞く。


げーのーかいで仕事がなくなってきたどうなるか不安だ、恋人との状態がよくない不安だ。正直、誰にも分からない。機械的で近日的な予測で足りる事は「分かる」だろう。

が、人の気持ちといった形のあるようなないようなものに無理やり形を与えて安心しようとし続けたら、いずれ破綻する。

自分の気持ちとやらも、周りの係わり合いで雑多に形を変えて現れるものである。これが私の本音です、というのも実際はない。

中身が伴ってない(というより決め付けていた)のに外側を作り上げたらどうなるか。大きな町ならゴーストタウンになる。あたかも動物の居ない森林のように、中身は腐るだろう。かろうじて森には見える程度で。


かくして「欲望」を燃やして走ろうとしたら、エンストを起こしてしまった。走るときにゴールした時のことを考えるのだろうか。想像はするかもしれないが、今、ここで、足をつけている、このコースを、どう走っていくか、しかないのだから。


釈迦は「とらわれをなくすこと」が正しい生き方だ、といった(ここで間違われるのが決して「幸せになる」とは言ってはいない点)。飯食うな寝るなというような意味ではない。

本来大事にすべき自分自身以外のものに固執するな、ということだと。たとえば金、人間関係、健康。

健康が?と思うかもしれない。ヒントは釈迦の死に際。


釈迦は在家の信徒に招かれてあちこち行く事があった。事前に約束をするのだが、約束の仕方が面白い。「不妄語戒」といって、決して嘘を吐くべからず、という戒めがある。約束したのに色々あって破ってしまうことを嫌って、釈迦は約束しなかったのだと。

都合が悪くて確実に無理だというときははっきりと断るのだが、都合がよくて行けそうだが、というときは沈黙して「行く意思がある」ことを伝えたのだという。「明日行くからね!」で仮に自分が死んだりしても「妄語」になるからだ。

さて余談は措くとして、ある日、招かれた先でキノコ料理が出る。実は毒キノコで釈迦は中毒になり、死んでしまう。

信徒は申し訳ないと涙ながらに釈迦に許しを乞うのだが、臨終間際に彼は「気にするな」と言ったそうだ。「気にするな」はこちらの創作だが、「諸行無常」と言ったのだろうか。そこは分からない。

これが現代なら、死ななかったら裁判起こして訴訟だろう。死んでも遺族が訴訟である。
また、末期ガン患者だとしたなら、血眼になって治療法を探し回り、あたかもガンを治すためだけに生きているようになるだろう。さて、「自分」を大事には出来ているのだろうか。


死ぬ前から三年ほど寝たきりだった正岡子規は病床ではたと気づいてこういうことを書き残したという。原文は文語文だが
「わたしは、禅とはいかなるときでも平然と死ぬものだと思っていたが、実はいかなるときでも平然と生きる事なのだと気づいた」と。


自分を大事にしているよ、といいながらも実は単に欲望に振り回されて生きている。自死を選ぶほど追い詰められたのは実に気の毒だが、追い詰められたほうも、また追い詰めたであろう世の中の誰も自分を大事にしていないのである。

不安が未来から来るものならば、後悔は過去、上の例で言えば毒キノコを食べさせた事といえる。だから釈迦は「過ぎた事だ気にするな」といったのだ。

時計の時間では今というものはすでにない。来た瞬間には後方に過ぎ去る。思うに釈迦は、時計の時間ではすぐに流れてしまうような今には生きていなかったのだろう。その時計の時間ではない「今」に至る道が「とらわれないこと」だった。妙な言い方をすると、「今」にとらわれる、という矛盾に満ちた表現になる。

この理解が正しいとは思わないが、「~すれば幸せになる」という形で新興宗教はおろか仏教自体もそういう宣伝をする(全部じゃなかろうが)のを見るにつけ、この理解で構わないような気がする。


釈迦もランナーもタレントも死んでしまって今は居ない。自分は「今」を生きていくことにする。では、また。

行く末

2011-05-13 | 雑記
某原子炉がやっぱり壊れてました、とかいう話を聞いたのはさっきの話。もう別に何を聞こうが驚くこともない。それが何を指しているのかは、人に言うべき事ではない。唯唯、黙するのみ。


そんな気持ちが強くなりつつあった夜勤明け。昼からは嵐になるかもしれないが、気になる事があった。

十一時ごろ駅に着いて、ちょっとヨドバシで買い物をした。パーツの交換も限度がある。効果があるかは分からないが、今度はCPUなどの熱源とヒートシンク(熱を放散させる部分)の間に塗る、グリスを買った。

昔、CPUとそのクーラーを取り替えたはいいが、長い時間が経ち、グリスが固形化しているのにも関わらず、何もしなかった。ゲームをよく動かすPCはCPUが熱くなりすぎた場合、動きが悪くなったり、寿命も縮む可能性がある。
その上今年の夏は、冗談抜きで生きていられるか分からない状況がある。何もなくても電力不足が言われる夏だが、さらに・・・というわけだ。電力に対してではないが、ちょっとした対策をしようかと思ったわけだ。ただし、これは後日行う。


それも気になったのだが、ついでである。本題は数日前に通りかかった蕎麦屋。三匹の捨て猫の様子である。ヨドバシでの買い物は開店時間までのちょっとした暇つぶしでもある。

お店は通常通り営業していた。流石に外に猫を出していなかった。霧雨のような雨が降る上、それに時間が経てば天気が荒れると言われている。

では、中にいるのだろうか、そんなわけないかと思いつつ入店する。今日のお勧めはたけのこご飯セットだそうな。酒を飲もうかと、壁のお勧めをチラッと見たのはいいが、やはり昼飯にしようとお勧めに従う事にした。

酒も飲めばいい、そう考えて直後に日本酒も頼む。酒が着てから一呼吸おいて、捨て猫がどうなったのか訊ねた。

「無事に引き取り先が見つかりまして、三匹ともその方がまとめてもらっていってくれました」とのこと。

よかったなぁと思うのと、もう少しあの猫を見たかったなと感じる、妙な気分になりながら、今日はよき日だと日本酒を注いだ。以前も飲んだが、悪くない。確か新潟の酒だったか。


たけのこご飯セットが先になくなってしまい、少し酒が残った。何か頼もうかと思案したが、これ以上食べるのは遠慮しようと茶を飲みつつチビチビやっていたら、俄かに客が増えだした。別に遠慮しても仕方ないのだが、飲み切るとちと辛そうだし、さっさと切り上げようと、少し残して帰ることにした。次に来るときは酒と肴を頼むようにしたいが、大体忘れてセットを頼んでついでに飲んでいるのだろう。

少し気温が低かったのだが、酒のおかげで気にならなくなった。いつもどおり歩いて帰る。少し飲み足りないかと感じたが、あれは子猫達への祝杯であって、酔いたかったわけではないのだ、などと言い訳しつつ、伊勢屋まで行った。

伊勢屋のおばちゃんにも子猫がどうたらとしゃべって、今日は違うものを頼もうかといいつつも結局いつもの豆大福を頼む(いつも二つだが、一つにして片方は「すあま」にしたが)という感じで店を後にした。ほろ酔いという感じだ。

すあまも美味かった。子猫たちも日本も自分もこれからどうなるか分からないが、よかったなぁ、と思う事にする。


話は変わるが、以前突発的に始めた習字。これはまったく行われておりません。
何故かお前もイラストをやれ、といわれてやるかもしれないねぇと言ったものの、これもまったく行われておりません。

代わりと言ってはおかしいが、動画を掲載して終了する。

八十六発目


これで最後。
八十七発目



はてさて、いつも忙しいわけではないのだが、これで言い訳の一つがなくなってしまったわけだ。次はどうやって言い訳しようかと考える。
ちなみに、以前やった言い訳は「手が震えて線が引けない」(アル中?ともちろん突っ込まれる。震えてなどいないが)と「家が揺れるので絵が描けない」とやった。後者は「半分マジだもんねぇ・・・」と同情されたが、都内は現時点ではほぼ揺れてない。ホウシャノウガーとやると怒られるから、これはやめておく。では、また。

何らかの措置

2011-05-10 | 雑記
今の季節は暦の上では夏になるのか春になるのかよくわからないが、暑かったり(特に夜が)涼しかったりするので夏前と見当をつけておく。

というのも、季節の旬で調べるのに思い当たる季節がわからなかったので、五月の旬でちょっと検索をしてみた。

夏に近いならアサリが旬だったか、と思ったら別の単語がひっかかる。

「五月病対策に旬の食材を」という。

うろ覚えで書き出すと、たしか果物ならいちご、魚はカツオやらマグロ、野菜はキャベツ、絹さやの仲間、じゃがいも、あとはたけのこなんかもあったか。

わかめも旬らしく、「若竹煮」を紹介していた。さすがに作ってはいない。


五月病は人間の素直な反応らしい。別に五月に限った話ではないようだ。環境の変化に疲れてしまって起こるという点で今ではいつでも起こりうる。

食事や休息が疎か(したくてなるんじゃないとしても)になり、ストレスに負けてしまうというわけだ。なんだってそうだといえばそうだが、五月が特に観察される例が多いのは今も変わらない。

うつ病などの精神や神経の病気ではないので、ゆったり風呂に入ったり軽く運動をしたり、あとは滋養のある旬の食材を食べるべし、という風に書かれていたように覚えている。


キャベツは今は春キャベツが出回っていたので、やはりまだ春なんだろう。じゃがいもも新ジャガが出回っているし、たけのこも春だろう。


かく言う自分も最近は妙に肩が痛かったりする。単純にストレッチ不足なのもあるだろうが、きっと五月病、ではなく寝転がってゲームをやりすぎ。

何にせよ、花粉が済んだと思ったら黄砂が舞う、などという状況もあった。一概にあれだこれだと言えるものもないのだろうが。

黄砂には、あるイデオロギーをお持ちの方々がかつて(今も思っているかもしれない)「平和勢力」と呼んでいた「中華人民共和国」が行っていた核実験による放射性物質が混じっている、などという話もある。黄砂と放射性物質については特に調べたわけではないのだが、昨今の中国の環境汚染の話は多くの人が聞き及んでいるところだろう。入っていないとして、-放射性物質「は」混じってません-程度かもしれない。なんだぁ放射性物質「は」入ってないのかぁ。・・・モノは言いようである。


黄砂か五月病の影響か、体と頭が重かったのを酒で吹き飛ばしたので、寝転がらずに作った動画を掲載して終了。正確には撮影をする前に飲んだというだけの話。

今回二本掲載、今週末か来週頭に残り二本を掲載で、全行程終了となる。生きていたらその予定通りに。

八十四発目



八十五発目



久しぶりにウヰスキーを飲んだ感想は「美味い」しか出てこなかった。前回だったか、クレープ食べながら飲んだ、という時の話である。やはりたまに飲むのに限る。では、また。

もののついで

2011-05-09 | 雑記
寝る前にちょっとラリーやろうかと思いつつ、その前にここを見たらコメントが。

お礼に今度、いつになるか分からないが、田辺の「植芝盛平」の銅像の写真を撮ってここに載せようかと考えた。さて、いつになるやら。


じゃあ動画を、とやると素っ気ないので、別の話を。


日曜は近所のクレープ屋が営業する日。夕方、散歩がてら買いに行く事にした。

駅前にも関係はないのだろうが、クレープ屋がある。「和」で教わる前に一度見た事があったのだが、すっかり忘れていたのを、以前再確認したのだが、女子高生が並んでいたので諦めてそのまま帰ったのはナイショ。

いい天気で暑かったが、夕方なら、と思ったがやっぱり暑かった。


買って帰ったものの、半端な時間の食事で茶を飲んだ。何か食べるのだからまた茶を飲んでもいいんじゃないか、とは思うのだが、何かつまらない。

つまらない、というのも変だが、それならしばらく置き去りにされていたウヰスキーを飲んでみようと、思いつきで注ぎ始めた。

ストレートやロックでチェイサーを用意するのも妙だから、トワイスアップにする。そういえばこれでトワイスアップをするのは初めてだったかもしれない。

ウヰスキーとクレープなんて・・・と思ったが別に悪くなかった。むしろ美味かったかもしれない。片手にグラス、残りはクレープを交互に口へ運ぶ姿は、液体の色だけ見たら薄い麦茶と食べているようにも見えるかもしれない。

クレープがつまみというかチェイサーもどきになった感じがする。ウヰスキーがちと個性にかけるものだったのもあるのだろうが、口や喉の苦味がほどよく包まれる。ブルーベリージャムの香りも悪くない。交互に黙々と食べたが、注いだ分がほぼなくなるほど飲んでしまった。


食べながら思い出したのだが、サントリーのHPによると、チェイサーは水に限ったわけではないとのことで、個性に合わせて暖かい麦茶や牛乳を飲むのもいいとある。

生クリームやカスタードクリームがふんだんに使われたクレープは元から悪い相性ではなかったのかもしれない。飲みすぎで舌と頭がバカになった、という可能性はあんまり否定しない。


というわけで動画へ。

八十三発目



さきほど、残りの分を撮影し終えた。ちとグダグダしながらも、予想をあまり超えない一時間ちょっとの行程。
ただ、やる前に飲んで、さらにエンドロールで飲んで、なのでしゃべっている内容がめちゃくちゃなような気がする。エンドロールの曲の音量がちと大きかったように感じたので、録音がちゃんと出来ているか不安になってしまい、話が行きつ戻りつしているのも拍車をかけたろう。

一先ず終わる事は出来た。まだ出してもないのにどう反応されるかについて考えても仕方ない。ただ、やっぱりエンドロールくらいは何か台本やら話したい事をまとめておいたほうがいいな、と毎回考えるのだが、発作的に撮影を始めてしまうので。では、また。

ブービートラップ

2011-05-07 | 雑記
夜勤明け、また一駅前から歩いて帰ろうと歩き始めたら、電話が鳴った。なぜか公衆電話から。

出るといつぞや間違い電話をしてきたおばさんの声がする。この前お世話になりました、公衆電話だからすぐケータイに変えるねと一方的にしゃべり、きられる。

一体誰と勘違いしているのか。

で、少ししてまたかかってきた。えっちゃんよ、と言っている。知らぬ。どなたですか?と聞くと某エツコだという。だから知らぬ。

一月前にやっちゃんとお世話になりました、などと曰う。やっちゃんとは誰か?と聞くとミズグチヤスコのことだと、何をとぼけているのよという風に答える。

どちらも知らないし一ヶ月前に世話した覚えなど無いと答える。前のときも言っていた、京都の何々ちゃんよね?を繰り返す。

そしてこちらの電話番号を暗誦するのだが、間違いは無い。間違いは無いが教えた相手が違う電話番号を伝えたとしか思えない。もしくは勘違いしたまま覚えているか。

「あなた以前も同じ電話してきましたよね?前にも言いましたが僕は京都の何々ちゃんではないないですよ。」と少し腹立たしげに言い返した。

すると、ようやく違う相手だとわかったのかぽつりと「そういえば声が違うような・・・」


といったやりとりがあったので、眠気がとんでしまい、歩くのが楽になった。

歩きながら考えたのだが、こういうべきだった。「電話番号を聞いた相手にちゃんと確認してください」と。



まあいい、帰って飯でも作ろう、と思って金を少し下ろし(ほとんどなかった)しばらく歩いていくと、たまーに寄る蕎麦屋の前に来た。まだ開店にはちょっと早い時間だったのだが、店員らしき男性がなにやらしている。

大体その位置はお勧めメニューの黒板が置かれたり、椅子が置かれたりするのだが、椅子を一脚置いてその上にダンボールの箱を置いている。遠めに白い張り紙が見えるのだが、上から布(近くで見るとカーディガンだった)をかぶせてあり、張り紙には「捨て猫です。誰か飼ってください」とある。

ああいう文句は昔の漫画くらいでしか見た覚えがなかった。店員が店の中へ入っていった後、猫の箱あたりで店に入ろうか相談していた中年女性二人連れも入っていった。まだ開店してないんじゃないかと思ったが、気になったので布をどけて中を見る。子猫が二匹ほど丸まっていた。さっき生まれた、というわけではないが、まだほんの子猫だった。

「わしが南方熊楠だったらたぶん連れて帰ったろうな」と考えて、布をかぶせなおして家のほうへ足を向けた。

が、たまには蕎麦を食べるのもいいだろうと結局引き返すのであった。


猫が気になってしまっただけ、といえばそうなのだが、蛸飯がおいしかった。ちょっと味が濃いかなと思ったが、蛸の味がしっかり出ているのだろう。春らしく小鉢は筍の煮物だった。若竹煮とかいうのはわかめを使うのだろうが、菜の花か何かと一緒になっていた。

ついでにグラスビールも頼んでみたが、泡の感じが実に滑らかだった。これならビールを飲みに来るだけでも悪くない。


さて、子猫が気になったのでまた帰りに見てみたら、さっきの男性店員が傍らにいる。通りがかりの女性が気になったらしく、猫の相談をしていた。「親と相談して考えますね!」と去り際に言い残していった。
子猫二匹か、と覆いが剥ぎ取られた箱の中を覗いてみたら、なんともう一匹いたという。パンダみたいな柄の猫がニャーニャー鳴いている。

店員に「どれくらい経ってるんですかねェ」と訊ねれば「十五日くらいじゃないかと思います」と答える。まだ母親がいないと駄目な時期である。

元気なパンダ猫の頭を撫でつつ「いい人にもらわれるんだぞ」と声をかけ、店員にも「じゃあ、また」と軽く挨拶し、店を後にした。
またそのうち寄ってみようと思ったが、それにしても効果抜群な罠だった。

南方熊楠と猫については、ホントかはしらないのだが、妖怪漫画家の水木しげるが描いた『猫楠』にエピソードが載っている。ロンドン時代、乞食みたいな生活をしているのに猫だけは飼っていたそうだ。ロンドンの時は猫に世話になったもんだなどと、冒頭の友人と話しているシーンでしゃべっていた。


猫の話はおしまい。では、動画を公開。連休済んでからにしようかと思ったが、人によっては今度の月曜まで休みなどというのもあるだろうから、一応途切れた六日の金曜にしようと思ったのだが、結局日付は変わっていた。

八十二発目



さてさて、また少し暇ができたので体調を整えて続きに取り掛かりたいところ。縁起でもないが地震がまた来ないうちに。では、また。

虫の報せ

2011-05-04 | 雑記
ここのところなんともいえない気分があって、これはまさか何かよからぬことが起きるのではないか、などと冗談で思っていた。もちろん杞憂ではあった。

およそ一週間くらい前に、母親から電話があった。今度の連休(まさに今)にそっちへ行くから、予定はどうなってる?とあった。まだその時点では決まってはいるだろうが予定を確認できなかった。向こうもまだ未定ではあるというので、また近くなったら言ってくれと終わった。

あいにく、来る予定の日から立て続けに夜勤があったが、帰る日は(まさに今日)夕方から帰るというので、夜勤明けだから昼飯くらいならいけるぞといったが、実は他の兄弟の案内で横浜中華街に遊びに行くという。流石に夜勤明けで横浜まで行くのは、次の日が何も無いなら多少無理してもよかったが、疲れるだろうから辞めておけというので、お言葉に甘えて今日はまっすぐ家に帰ってきたわけだ。

数日前から、他の兄弟が休みで、一緒に出かけるとは聞いていた。そのせいでちょっと考えすぎだったが、親からの土産を持って自宅に兄が来るんじゃないかと、まるでヒポコンデリーのように恐れおののいていた。

来るだけなら別に問題ない。わざわざありがとう、で済む。なんだか世間話のつもりだったのに、どこをどうつないでか、こちらの生活態度についての説教が始まる、というような事が以前からよくあった。

その影響が大きいので、実に会いたくなかった。今のところ電話も何もないので、ほっとしてはいる。却って何もないので別の意味で不安でもあったが、昼飯時に母親に電話して(父も代わって出てきた)横浜は中国人逃げて店閉まってたらしいが今日は大丈夫か?などと訊ねて親のことは無視してないよアピールが功を奏したのだーなどとひどいことを言っておく。

行くつもりがあったが夜勤だから親が引き下がらせた、というのがあるので、もしかしたら気を使ってくれたのかもしれない。多少落ち着いたとはいえ、休みとはいえ、色々忙しいだろうし。

というわけで虫の報せがあたった試しはない。


ただ、日中変な感じになるというのは、春先によくあった覚えがある。もう少し前なら花粉、直近では黄砂も飛んでくるわけで、そういう影響かもしれない。

左手の甲側の手首辺りは年中荒れているのだが、乾燥する冬やら花粉が多い季節はよくひどくなる。花粉が終わりに近づいた最近は、荒れが治まってきていた。
これは精進料理が効いたのだな!と冗談半分で思ったが、やはり花粉のせいだと思う。もう春という感じではないが、春はなんとなく過ごし難い。


暖かくなると変な人が湧く、いや沸いているのかもしれないが、道端にではなく、政治家に出てきたりしている。

今回の地震はアメリカの秘密兵器「HAなんとか」によるものだ!とかなんとかツイッターで申しておられる方がいらっしゃるようだ。


「陰謀論」というやつで、世の中にはまあちょっと危ない妄想染みた与太話をさも真実らしく書いていたりする人がいる。

なかなか面白かったり、よくそこまで思いつくなぁと(その時点で信じてない)変な意味で感心するような内容だが、細かい事を取り払って言いたい事を要約すると以下になる。

「世界を牛耳ろうとしているやつらが、とてつもない兵器使ったり裏世界の権力で政治経済を乗っ取って人類やら我々やらを押さえつけようとしている!」といった風に。

あれだ、仮面ライダー。別に仮面ライダーに非はないが。


仮面ライダーは措くとして、何年も前からこの手(陰謀論の本ではなく)の話をよく読んだり、同じかどうかは確証はないのだが、似たようなこと(話の筋道として)を申す人物を相手にしたこともあった。

今の精神病理学だか心理学だかでなんというかは知らないが、以前は「パラノイア」と呼ばれた、病的な妄想に取り付かれた状態、というわけだ。件の政治家がどうかは不問に付す。言いたいのはそこではない。

単語を入れ替えると、そのパラノイアになっている人たちの言っている事とそっくりになる。単語すら入れ替える必要もないほどだったりもする。つまりは、こういう状態になると皆(敢えて言うと現代の都会に住まうものの多くが)異口同音にさえずりだすようだ。ウグイスのさえずりならよかったが、ウグイスと比べたら遥かに風流に欠ける。春の風物詩と言えば言えなくもないが。

誰でもその「病的な妄想に取り付かれた」ような状況になることは有り得る。極端に腹が立ったり悲しかったりで一時的にそういう状況に追い込まれるというのは普通の生活でもあるだろう。

が、一時的を越えたら年中ああ言うわけだ。一緒に生活する、たとえば家族や恋人などは、その思考が感染して、同じ言動を取るようになる、というのも精神医療現場の観察で確認されている。「似たようなことを申す」人の家族もその人のよき理解者になってしまったと聞いた気がする。

こういう妄想というのは、ある屈折した感情が直接表れないでああいう形をとるという。恋愛感情についての妄想状態とその心理の分析でこういうのがある。以前、話したか書いたか、そんな覚えのある話。

ある夫婦がいて、共通の知人男性Aがいる。Aが最近妻と仲がいい、態度がよそよそしい、Aが妻に色目を使っている(気がするなら思い込みが激しい程度だったろうが)、という風な思いを強め、ありもしない証拠をでっち上げ(本人は証拠と思っている)ては妻を問い詰めて挙句の果てに暴行沙汰になったり、という話は、妻とAの不実をなじっているようで、旦那がAに対して同性愛を抱いているということを潜在的に恐れていて(要するに自覚していない)、それを隠す心理反応で妻を攻撃するようになる(妻に嫉妬した?)という。

私は神だーと言い出した人は先月リストラされた人だった、とかそんな話は想像がつきそうだろう。その場合は「無能物」の烙印を押されたと思って深く絶望して、そのコンプレックスがどうたらこうたら、と。そいつはちと単純すぎるが、あんまりああだこうだ言っていると何を言われるか分からないのでここまでにする。


ちなみに、当初は「パラノイア」のたわごとだと言われた事が、後に事実だと分かり、裁判などが撤回されたりと騒ぎになったことが本場のアメリカであったと聞く。

あの地震が陰謀で、日本を乗っ取るつもりだというなら、福島ぶっ飛ばすほど揺らすとそれどころの騒ぎじゃなくなるし、トモダチ作戦だとか大規模な救援作戦も実に地道でというか乗っ取る気にしてはおかしい。お粗末な計画だと言わざるを得ない、と誰かがからかっていた。


黄砂で中華街で気分が悪いからでこんな話になる。これも実に「パラノイア」かもしれない。



というわけで動画を掲載して終了する。

普段見ている人やコメントをくれる人があまりいないのか黄砂やらHAなんとかの影響かしらないが(後は連休のせいか)少ないようなので、ちょっとずつ出しているが、あんまり関係なく少ないままだった。もともと少ないのは気にしないように。

八十一発目



終わりも近づいているが、九十前後になるかと思われる。それでも百近いわけで、そこまで見る人はいないだろうが、連休つぶして見ても見終わらないんじゃないかと思われる。作っておいて言うのもなんだが、連休でこれを見続けるくらいならお出かけしましょう。黄砂は鬱陶しいけども。では、また。

精進落し

2011-05-01 | 雑記
「向上心のないやつはばかだ」といわれてAは自殺してしまう。夏目漱石の代表作『こころ』の話。

そのAは修行僧みたいに自制心を鍛えるような生活をこころがけているやつだったのだが、「私」も好意を寄せていた女性を好きになると。で、Aはどうしたもんかと「私」に相談する。

「私」がAに昔言われた冒頭の言葉を浴びせかける。そしてほどなくAは、という流れだったように記憶している。


というわけで、上の話はあんまり関係ない。Aの生活が修行僧のような云々にひっかけただけである。


世間がGWというやつに入るちょっと前にしばらく休みになっていたので、朝(朝じゃないが)に粥を作って、あとは肉を使わない精進料理のごときものを食べ続けていた。普段やらないのに三食も。

ごとき、というのも、戒律に従うのなら葱は食べてはいけないことになっているのだが、始めようと思った前日に葱を買って刻んで使えるようにしていたため、味噌汁には入れていた。これが禅寺なら追い出されるところだったが、関係ない。

ついでに酒も飲んでいない。先月、地震の後からちと飲みすぎたので、逆気分転換で酒を飲んでいないのだと、伊勢屋のおばちゃんと雑談したときに語ったりしたが、そういうつもりであった。

戒律にかかるのかは知らないが、動物性のものは宅配で届くヨーグルトは飲んでいた。捨てるわけにもいかないし、そこまで徹底してもいない。

ついでに、肉らしい肉は、スーパーの試食にあったカレー味の肉一切れを食べたりはした。当初は煮干でとった出汁で味噌汁を作ったりしたが、ほどなく煮干もやめた。

取り立てて体調がよくなった、というのもない。また、悪くなったというわけでもない。普段なら一食で一合ほど食べているのを抑えて、茶碗一杯(気持ち多めに盛る)にしてはいた。とはいうものの、普段は三食やらないわけでもあるが、おかげで腹が減りやすい。ただし、料理を作りすぎていたので、トントンだろう。

面白かったのは、野菜ばかりでも十分美味いものが作れると言う事だった。ただし、機材がアレなのでちと電気代がかかる。この時世、電気はよろしくない。まあ、使えるなら使っててもいいか。


丁度一週間になる。そろそろ精進してないけど精進やめて帰りに酒でも飲むか、いや、近所でクレープを買って食べるだけにしよう、などと考えて電車を降りた。が、結局一駅前のラーメン屋でラーメンを食べてから歩くことにした。

了法寺のあるとおりの近くはYの字になっていて、左がその寺の入り口前の通り。右が我が家方面に繋がる道。了法寺ってなんだ、という突っ込みはしないでほしい。

その右のほうへ舵を切ったとき、ふと思い出したのがその近くにあるケーキ屋。アポワンとかいう、正確にはケーキ屋というよりフランス菓子の店。

一度立ち寄ってからまた行こうと思ってはいたがなかなか立ち寄らなかった。ほぼ忘れていたといっていい。思い出したのなら仕方ない。クレープは忘れよう。


と、いうわけで精進落し(というとちょっと違うが)である。まあ、肉一片食べたり、最初は煮干も食べてたり葱も食べてたが気にしない。




右が焼きチーズケーキ。底のほうにレーズンが入っている。
左はメロンのショートケーキ。マスクメロンたっぷり、と書かれていた。

果物は嫌いじゃなかったのか、と覚えている人もいるかもしれないが、実は戒律で食べられなかったのだ、と嘘を吐く。好悪が行動の規範というのなら戒律であるといえるかもしれないが、気まぐれを起こす事はたまにある。
果物単体が苦手で、こういうのは大体問題なく(子供のころはもっと徹底して、この場合メロンやレーズンだけ取り除いて食べていただろうが)食べられる。

レーズンとチーズケーキは相性がよいようで、無かったらちょっと物足りないかもしれない味だった。

もともとチーズケーキは好きなほうだったのだが(最近は精進云々以前にご無沙汰だったが)今回は左のケーキに驚いた。

まず驚いたのは、フォークで切ろうとしたらフォークの重みで崩れそうになった。崩れる、は大げさとしても、クリームたっぷりなので繊細なやつらしい。

メロンをただ入れているだけかと思ったが、口のなかでクリームが溶けたあと、メロンが出てきた時に場違いな感じがなく、もしかしたらちょっとクリームにメロンの果汁でも混ぜてあって、違和感を少なくしているのでは?と思った。これがただ教科書どおりに作ったクリームだったとしたら、メロンが顔を出したときに、ギクシャクするかもしれない。などと考えたが、たぶん気のせいである。そう思ったのも、写真じゃ分かりづらいかもしれないが、上のクリームの表面が、少しだけ緑がかっている。抹茶ではない。薄暗いお店のショーケースの中の明かりに照らされた状態でも確認できたので、全体的にメロン風味なのだろうと推測したわけだ。根拠はそれだけ。

では、動画を掲載して終了。連休のせいなのか皆飽きてきたのか、いつも以上に見る人が少ない気がする。最終回も近づいているので、たまった状態で見るのは大変だぞ、と注意を促してみる。掲載も少し間を置いていくつもりである。

七十九発目

目的の人物を見つけたが無視したりする。

八十発目

ゼンマイとかワラビとか。

コメントのエアポケットというか、まったくコメントされていない時のがあって、しばらく放置されていたのだが、つい最近書き込まれたようだ。ただ、「w」はまだしも「1」はやめてもらいたいものである。せっかく誰も書かなかったのだからそのままでよかったのに。人のささやかな楽しみを邪魔するのがお好きなつまらない人はどこにでもいる。では、また。