ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

盆と正月

2012-08-27 | 雑記
実家に帰りたくない病、ではなく、帰省でストレスを溜める浅はかさは愚かしいと考え、休みを申さなければ休みがホントにこない(無しではない)仕事場の都合を利用して、帰省をサボって早数年。


かつては大阪に立ち寄って一泊したりもしたが、そのような縁などもう知らぬ。その時はそうだったか知らぬが、「今」は関係ないのである。



そんな話は措くとして、今年も夏は自宅でゴロゴロ三昧であろう、それこそ我が理想!と自負していた。



と、思っていたら、「誕生日祝いも兼ねて遊びに来ないか?」と言われ、挙句の果てに三泊したりと、ある意味帰省するより旅行していた気分でもあった(東京から和歌山なんぞ旅行レベルである)。
いやはや、三泊もするとはこちらも思っていなかった。ありがとうございました。

しかし、静かなそこは、実家のような雰囲気を感じる。しかし、確実に実家ではない。実家は朝晩に必ず「一定の声」が聞こえるのだから。実家より実家らしい、というと変だが、そう感じるのだから仕方ない。


仕事の詰まり具合が不定期なのと、言わなくてもここで休み!と仕込まれたようで、五連休になった。よし、寝よう。いや、いつも寝ている。



というわけで、近所の沖縄そばの店で、最近仕入れたという、サ○トリーの果物酒だとか、いつも飲む泡盛を飲んだりしていた。

その果物酒、日本酒並みに度数がある割りに、まるでジュースである。兄さんも「他の客と利き酒やってたらクラクラきた」というほど、うっかり飲みかねない代物である。


ポイントカードがあって、たまると琉球グラスと交換できたり、次回に五百円券に出来たりする。


以前から予告していた灰皿を、兄さんが帰り際に持ってきた。「前に、誕生日にソーメンチャンプルー作ったの思い出しました」と、一体どういう経緯でしたのかこちらが思い出せない話を言っていた。記憶力がいいのは本人が言うとおりなのだろう、とつい思ったのだった。


では、琉球グラスで出来た灰皿をご覧あれ。







むむむ!三角形だと?!これはちょっとえねるぎぃの具合が極端に流れて・・・というのは冗談である。


これで手巻きタバコだろうとミニシガーであろうと灰を抜いたキセルであろうと、収まりがよくなる。ちなみに、シガーには専用の灰皿があったほうがいい。パイプにはパイプで、置き台がある。


ところで、人には「太らなさそう」と言われる仙人だが、やはりてんぷらなんぞ食べるとすぐに腰周りに肉がついた気がする。

ただ、ボディビルダーになるわけでもないし、裸で外を歩くわけでもない。毎日てんぷらなんぞ危険極まりないが、少し痩せが過ぎる体に貯金でもしているのだと思い直すことにした。


さて、次のラヂヲだが・・・。なるべく今週中を目処に出そうと思っている。まあ、ラヂヲも中の人も遅い「盆休み」だと思っていただくことにする。では、また。

ふるさとは遠きにありて思ふもの

2012-08-25 | 雑記
我が両親はここ数年、某大学の夏期講座に熱心にやってくるのである。


もういい年なのに、不便な紀伊半島の先端に近いところから車でやってくる。


昔、父親は追突されたものとはいえ、自動車事故に遭った。医者が藪なのか藪が医者なのかしらんが、その影響に違いないと断じてもいいが、片足があまり曲がらなくなっている。


その上、数年前には軽い脳梗塞である。昔の面影を知る人が脳梗塞だったことを聞いていなければ、「ちょっと元気ないのかな?」と思われそうなぐらいである。


仙人の父親は物の怪の類なのかもしれない。



と、いうわけで、その両親と食事をしてきたのである。



いい加減、酒以外の毒は辞めようかと決意も改たにしようと思ったらこの有様である。


まあ、野口晴哉師もいっている。

「毒がなんです。病菌がなんです。我々は生きているんです」と。うーん、でも塵世は毒が多すぎるな。



しかし、海の郷からやってきた両親も(山の方だったけど)魚が美味かったといっていた。えーいしかしダメだ!これから三時間ほど行気やらなけらばダメなんだ!


と思ったが、そもそも行気ってなんだっけ?という感じである。ああ、奈良の大仏か。(そりゃ行基)



親の諦念かしらんが、昔ほど煩くなくなった。これが数年前の兄貴だったら・・・と思う。

その兄貴は体は丸いのに、丸の中に四角があったのかしらんが、当時はやたら角を突きつけてきたものだった。



寧ろ今となってはこちらが角を突きつけそうになるが、腹が破れても困るので「会いたいと思わない」ぐらいで留めておいた。


弟伝手で聞いたらしく(うちの嫁と一緒に兄貴の家に遊びに行かないかと言われたので断った時のセリフが上記)、余程ショックだったのかメールをしてきたものだった。


しかも、弟のメールと一分違いで。シンクロニシティってホントなんだなぁと、別のところで感動したものである。



だがしかし、わしのふるさとはそこじゃないんだよ。遠すぎてまだぼんやりとしか思えないところであるが。んー、最近はどうかな?



和歌山の海の青さは紺碧というか群青というか。群青というべきだな。幼少から染み付いている。


ふるさとは和歌山ではなく、あの海なんだ、帰るのはあの向こうなんだ、などと思いながら親を見送ったのであった。



土産に梅干を貰ってしまった。仕方がないので思い出したら一粒食べる、という感じにしようかと思う。南紀の梅、お一ついかがですか?では、また。

ラヂヲこぼれ話と葉巻と誕生日

2012-08-15 | 雑記
さて、ラヂヲでも喋ってその掲載時にも書いたが、誕生日だった。

年こそずれるが、御巣鷹山の日である。

帰って来てから簡単に調べていたのだが、出るわ出るわ。

単に墜落したわけではない、という話がわんさか出てくる。


「撃墜された」という話は、テレビしか見ない人にはピンと来ないかもしれない。ワカランが、恐らく。


それは、現場に残された残骸が証言している。


しかし、仮に「ミサイルではないがミサイルが当たったかのようになった」などという人がいるとして、それでも説明しつくせないものがある。何故か。


それは、中性子爆弾を使われた、ということ。



嘘か本当かは、こちらも調べることが出来ない。が、色々調べている方がいた。


直接リンクを貼るべきではないと少々思ったのと、そのページは当時の雑誌に掲載されていたような事故現場の写真を載せているわけではなかったが、とりあえず、URLを示しておく。

123便 メモ
ttp://gray.ap.teacup.com/123ja8119/

Wikipediaによれば、実際に放射能、というより放射線というべきなんだろうが、出ていたと書いている。それで自衛隊員が現場にすぐに行くなと止められていた、などという話を書いている。
日本航空123便墜落事故

そこを抜き出して引用する。

事故機には多量の医療用ラジオアイソトープ(放射性同位体)が貨物として積載されていた。また、機体には振動を防ぐ重りとして、一部に劣化ウラン部品も使用されていた。これらの放射性物質が墜落によって現場周辺に飛散し、放射能汚染を引き起こしている可能性があった。このため、捜索に向かっていた陸上自衛隊の部隊は、すぐに現場には入らず別命あるまで待機するよう命令されたという。


ああ、じゃあやっぱり事故なんだなぁ、と思うところだが、上記のブログには中性子爆弾の放射線についてはこうある。専門的な話でもないのだろうが。

放射線の放射の場合、通常では放射線が当たっても放射性物質ではないので特に問題ありません。しかし、強力な強い中性子線を浴びたりした場合、物質が放射化してしまい放射能となってしまいます。百科事典で掲載されているように「きれいな爆弾」は爆弾由来の放射性物質をほとんど出さず、見た目の被害も軽微で爆弾自体からの放射線も数時間程度でおさまります。ところが実際に使われた中性子爆弾は大地を放射化させ、中性子線を発しています。しかも、放射化された大地からの放射は短期間にとどまらず21年経っても深刻な線量です。
中性子を吸収した地面や山の原子核も誘導放射化され、中性子線、ガンマ線や電子線を放出しつづけています。


事故当時、献身的に救助活動に当たってくれていた住民が住む、上野村というところがある。

年々、かなりの速度で人口が減っているそうだ。移住ではなく、自然減、つまり死亡で、という。


こうもある。

同位体変換は起きていますが核変換は起きていないようです。 123便ですが、岩の内部や表面に乗客の形に同位体変換が起きています。(同位体変換とはたとえば炭素棒からダイヤモンドができるような意味合いです)これは中性子線を浴び続けていることを意味しています。 また、電波にも周波数成分があるように中性子線にもスペクトルがあります。ですのでどういった機能をもった成分かを考えないといけませんがこれは現代科学ではまだ測定できません。ただ、一般に精神障害の症状が出ることがわかっています。中学生の4人に1人がうつ症状などという報道がありましたが御巣鷹からの中性子線の影響が濃いのではとみられます。調査を進めるうち特に関東在住で精神病として処理されている人のうち、どれだけの方が中性子線障害なのか考えただけでぞっとする状態がわかってきました。123便の事実は明らかにされないとこれから数万年も人々が犠牲になることになります。事実を公にし一人でも多くの方を救わなくてはならないと思います。


そうなると、フクシマなんぞは恐るるに足らず、といえるであろう。なんせ、そういう研究結果がチェルノブイリをずっと調査していた人から発表されている。

元は英文記事だが、翻訳された方がいるので紹介しておく。「チェルノブイリの野生動物は事故後の放射能の影響を「受けていなかった」調査結果が英国の王立協会の学会誌で発表される

別に原発推進だとかいっているわけではない。反対である。その上、電気を使いまくる生活にも反対する。そこはお間違えのなきよう。

アイソトープも劣化ウランも目くらまし、というわけだろう。そもそも、飛行機に乗って高度上空を飛ぶだけでかなり被曝するといわれている。

ちなみに、引用したブログの中にあったか忘れたのだが、自衛隊員が別命あるまで待機状態と厳命されていたとはいえ、命令違反を犯してまで助けに行こうとした隊員もいた。

しかし、だ。射殺されたという話があるそうだ。大きく報道はされてはいないようだが。さてさて、わしが言うのはここまでにする。


しかし、子供のころに楽しく(兄貴と同じ誕生日というのが後になって嫌な気分になったが)ケーキを食べていたら、テレビで「あれから何年経ちました」などとやっている。

今もって、「御巣鷹の日に生まれました。年は違うけど」などといって、場合によっては周りの空気を凍りつかせて遊んでいるような捻じ曲がった人間になったのである。いや、関係ないか。


これを書いている時点では、いわゆる「終戦記念日」である。そんな記事を書いたほうがよかったのではないか?と思ったが、そもそもがラヂヲこぼれ話で、中でも喋った誕生日=八月十二日というわけで、こういう話をしたしだいである。

終戦記念日についてはBeyond 5 Sensesで、短い記事が掲載されている。ついついなにやら持って回ったように文章を書いて煙に巻く気がないのに巻いてしまう奴が何か書くより(わしのことである)、遥かに核心をついた話である。



ところで、葉巻を買ってきたのだが、まだ吸っていないのである。うーん、これから夜食としゃれ込んで、それからゆったり吸おうかなと。タイトルに葉巻とあるが、それだけである。申し訳ない。



そして、自分が言っている事に反することを少々やっている。うん?何かね。肉でも食べたのかね。えー、それはたまにほんのちょっと。いやいや、そっちではない。


誕生月なので、ゲーム仲間だったやつらが移住した、新しく始った新しいけど何も新しくないゲームを覗いてきた。

九月までと区切って、特例でちょっとやってみるかと思って始めてみたのである。ただ、このブログの閉鎖騒ぎの時にやり取りがあった人にコンタクトはとっていない。繋がりはある別の人間とコンタクトをとったりはしていた。

久しぶりにゲームをやるという感覚が体を勝手に動かしていく。前より体が頑丈になっているところがあるとはいえ、実にやりすぎてしまった。


しかし、やりまくってまた確信もした。楽しいものではないのだ、と。


パチンコと同じである。延々玉を打ち込ます単調な作業を続けさせ、精神状態が麻痺するかのようなところへフィーバーが来ると。喜ばしいと思うわけだ。そして結果はダメだったので、ガックリくる。そしてまた玉を打ち込む。以下繰り返しと相成る。


この理屈。オンラインゲーム(ゲーム全般でもあるが、特に顕著だと思われる)は、延々同じ作業を繰り返すところが大きいゆえ、当て嵌まる。そういうと、昔のわしなら「色々動かしたりコミュニケーションとったりしてるじゃないか」と反論していたことであろう。

「色々動かして」も「コミュニケーションとって」もいないのだ。

定型文でやり取りするのが「コミュニケーション」か? ほぼ同じように最適化された、もしくはされていく操作で指先を動かすのが脳への刺激になるのか?


別に、いわゆるゲーム状態でないところでチャットをしている状態までをコミニュケーションではないとは言わない。

だが、それは「ゲームのため」にあるものではないか。いずれ喋るのに飽きたら「作業」を続行するか、寝るか、また違う「作業」に戻るだけである。


おっと、実はそこが言いたいわけではなかった。


延々歩き回り、涌きだす敵とやらを倒し続けて、何やらレベルアップを図ったり、珍しいアイテムの出現を願いながら続ける。

ランダムで強敵が乱入してきたり、なにやら目標護衛などといった、「スパイス的な要素」が時折起こったりする。


こういう話は以前も書いたし、ラヂヲの一回目はまさにこの話だった。ラヂヲについてはもう少し違う語り口でやってはいたが。

つまり、テレビゲームはパチンコと同じなんだよ、ということである。

その「パチンコ」も楽しかったものである。ここしばらくぶっ続けでやってみたが、それもまた「楽しかった」のである。


しかし、「楽しい」ものではない。そして、この先も「楽しい」ものにはならない。どこまでいっても「楽しかった」である。


あなたはゲームを「楽しい」ものだと思っているだろうが、「楽しかった」からまたやろうとしているのである。

「楽しかった」を思い出して、「楽しくない」今の埋め合わせをしている。

だから、こう言うことにする。それが出来るならゲームをやってもよい。


あなたが、ゲームをしようがしまいが「楽しく」生きているなら、ゲームをプレイしてもよい。
ゲームをやることが「楽しかった」のであるならば、未来永劫、なにも「楽しく」はならないであろう。




さあ、改めて問いかけよう。あなたはゲームを「楽しい」と思っているのか、それとも「楽しかった」から続けているのか。


そしてあなたは「楽しいからやっている」というのであろう。しかし、その言葉は実に矛盾している。

何故「楽しい」はずのあなたが楽しみに現を抜かすのか?つまりは、あなたの「楽しい」は存在はするが、「ゲームをやっている時」か「ゲームで楽しいことがあった」というところにしか存在しないのである。

ゲームの中にしか「今のあなた」がいない状態といえる。しかし、どうみても「今」ではない。それは、「楽しかった」から続けている、だからである。


ラヂヲは311からのわしの経緯を話した。身に摘まされるたとえ話が出来ようもの。

あの日あの時、あなたがフクシマ辺りにいたとしたら、あなたは存在できるのか?と。流されて死んだ、とかいう話ではない。

フクシマどころではなく、日本全国インフラが一夜にして消え去ったとしたら、「今」のないあなたは今を生きれるのか?

わしはそこを問うているのである。その矛盾を理解して乗り越えたのなら、やってもよい。物理的に体に悪いからやるべきではないが。


しかし、それが判ったのなら、「楽しかった」という記憶に意味は有れども憑かれる必要など無い、と、悟っているであろう。では、また。

ラヂヲ十杯目

2012-08-13 | ラヂヲ
去る八月十二日は御巣鷹山に日航機が墜落した日。と、毎年のように書いている。


だからその話をラヂヲで、というわけではなく、そもそも自分の誕生日である。


今回も二本立て。が、長すぎてしかもバランスが悪く、前編が四十分ほど入ってしまった。

CMは後編の頭に入れたが、併せて一時間の長丁場。

今回は喋るほうに気が向きすぎたので、色々と話が飛んでしまったが、一応メインのテーマはアレルギーやらアトピーの話である。

こちらも去年の前半までは実はアレルギーがあって、なくなった経緯を話したというところである。



前置きはここまでにして、ラヂヲを。


【ラヂヲ】ウヰスキーの時間 十杯目一口



前半はまた酒の話から。で、Beyond 5 Sensesを読み始めたきっかけやらを。


【ラヂヲ】ウヰスキーの時間 十杯目チェイサー


CMを後編の頭に入れたと書いたが、やっぱり混乱しているので先走ったCMになっている。アレルギーというわけで、今回は(も)無断で左のブックマーク欄にあるブログ、「アレルギーからもらったもの」とそのブログ主のちえんてんさんの話を少々。

ところで、アトピーだかを掻いたほうがよくなっていた、という話を中で喋ったが、どこか別のところで読んだ話だったと思う。イマイチはっきりしておらず、申し訳ない。


では、次は「こぼれ話」で。


「火」の扱いにはご注意を

2012-08-08 | 雑記
去年からタバコが気に入って、最初は数時間にキセルで一服程度だったのが、ガンガン吸うようになってしまったものである。

それでも、三十回キセルで吸ってようやくシガレットの本数でようやく五本分くらいになる。一回につめる量によっては誤差がでようが、大差はない。



タバコはそもそも植物の加工品である。その加工の具合というのは、摘み取ったタバコの葉を納屋などで自然乾燥させていた。


後、工業的に作られたシガレットに至っては、機械で乾燥させるのが主流となっている。



キューバの高級葉巻「コイーバ」の語源となった、コロンブスが出会ったインディアン、いわゆるネイティブアメリカン達が「葉っぱを丸めて吸っていた」もの、これは乾燥させたものか生なのかは判らない。

いやぁ、生はいいですねぇ、などと、前回のラヂヲのネタを引っ張り出してみたが、悲しいかな、ごく一部でしか受けなかったようである。もう少し磨きをかける所存である。



それはさて措き、タバコの話に戻る。


本来は自然乾燥させており、主流のシガレットは大量生産のため機械乾燥させていると書いた。


大抵のものはそうだが、機械で徹底的に工夫してしまったものは大体、色々損なわれている。

例えば考えてみて欲しい。自分で出汁からとった(「ほ○だし」なんぞ却下である)味噌汁と、カップ味噌汁の味を思い比べてみよう。

インスタントの味噌汁はそもそもが味噌汁のアイデンティティを放擲しているのである。


それは、「沸騰したお湯で煮たものが味噌汁ではない」ということである。ポットやら薬缶で機械的に沸かしたお湯を注いで混ぜるというのは、味噌に対する冒涜である!!

そもそもが出汁をとる時点でグラグラ煮立てるのは間違いであり、さらに具を入れた後に味噌を入れるのは火を一度止めてから。そしてその後一煮立ちさせて終わりとなる。

ボコボコ沸かす奴がいるか!味噌の香りが飛んで苦味だけが残ろうが!と、いうわけである。はて?今日は味噌汁の話をしていたのかな。


味噌汁一つにしても繊細な感覚を要求される。食べるにしても、である。


でもまあ、別に「味噌汁作ろうぜ!」というわけではなく、例え話であることをお断りしておく。


しかし、野口晴哉が「火を使って調理していない物を食べないのは人間の自然ではない」というようなことを語っていた。

思うに、そういう繊細な感覚を忘れぬよう「自分の頭と手を使って」生活しなさい、ということなのではなかろうか、と、ふと思い至った。

火を使う、つまり加工されたもの。加工品、といったらインスタント食品が真っ先に思い浮かんでしまうのはこちらの習慣病かしらんが、あれは誰の「頭と手」も使っていない。

そんな進歩的に見える存在は実に退化した存在であるといえる。そんな退歩的なものを唯々食らうというのは、実に不自然なのであろう。

こちらとしては料理を毎日やって精進せよ、などという気はない。高温による加熱調理の弊害は、近年になって多大な報告が上っている。(例:アクリルアミド)

だが、日本の伝統的な料理は、上記の味噌汁のように、高温で調理することを目指していなかった。そもそも、竃の火でそこまで火力が出るのか?という疑問もあるが、よく考えたら江戸時代に天ぷらが定着したのであった。こりゃ一本取られた。

火を使うのも、その人の感覚が必要だったのではなかろうか。コンロの取っ手を捻るだけで火がつく時代。それすら過ぎて、天板が熱くなるだけだとか、マイクロウェーブでなんだか料理のようなものが出来てしまうご時世である。




と、話が逸れに逸れた。



自然乾燥と機械乾燥のタバコの違いはなんなのか。それは・・・値段!いや、半分当たっている。

冗談ばかり言っていると話が進まないので、核心に踏み込むとする。

機械乾燥は早く大量に仕立てることが出来る。どちらの要請かしらんが、要請に叶うためにそうなってきたといえるが、弊害がある。

それは・・・アクリルアミド!と、冗談はいい加減に。要するに、タバコの栄養というべきであろう、ニコチンなどの成分が少なくなるのだという。

勿論、風味も損なわれている。メンソールだとか何故か砂糖やらココアやらハチミツを入れたりするのは、なくなった風味をごまかしているのも大きいのではなかろうか。

それ以前に、ワケノワカラン化合物を満載している。こっちをごまかしているつもりだと考えている。


対して自然乾燥の葉は、ニコチンなどの本来多く含まれている成分や風味が損なわれ難い。いつでもどこでも同じものを、が今の時代である。暢気にしていたらお飯の食い上げである。そのまんま食い上げて、タバコだけ吸って暮らすのもよかろう。


さて、その手間のかかるタバコはというと、あるにはある。手巻きタバコにも一部存在するそうだ。マニトウなどについてはよくわからないが、一応、パウチに英語で但し書きを色々している。えー、おーがにっく、と。違う違う。

drierなる単語が目に入ったが、これは乾燥方法がどうこうじゃなくて、保湿剤に関する話だった。「保湿剤を入れるのは本来の風味を損なうという多大なリスクを負うのでやらない」みたいな話のようである。

乾燥方法については結局なかった。


逸れるのが風物詩のようだが、元に戻る。

主に自然乾燥で仕立てるタバコは、パイプタバコ及び、シガーであるようだ。


どちらも少々高い。パイプタバコなんて見た目は手巻きタバコと変わらないのになぜ高いのか?それは・・・日本の税制の影響らしい。「シガレット」として一環していないものは高くなるようにしているという。

とすると、シガー、つまり葉巻も腐れた税制がなければもう少し安いのであろう。丁度、果物を遠くから輸入して値段を吊り上げるかのようなものである。ちょっと違うか。


以前、「たまにコイーバを吸ってみたりする」と書いたかラヂヲで話した。


さすがに一本高くて五千円近くする代物もあるので、こちらも給料日に思いつくかで、月に一、二回くらいである。


シガレットサイズでいいんだシガレットサイズで!という御仁はたくさんおられよう。こちらはチャーチルだろうとなんだろうと吸ってしまう。吸いきったらクラクラしてそうだが、吸うといったら吸う。

というわけで、長々書いたが、一番小さいサイズで吸ったことのあるシガーレットをご紹介しよう。


Alcaponeというブランドがある。ページは英語だが、こちらである。Alcapone.com

お味はというと、...NO COMMENT、というのは冗談で(パッケージに本当にあるメッセージである)、手軽に葉巻の雰囲気を味わうには向いている。スウィートというやつはコニャックを塗ってあるので、酒に弱い方はご注意というほどではないが、その手の匂いが苦手な方はやめておくのがよい。ポケットというやつは、お店によっては三本入りの試供品みたいなのが置いてあったりする。三本入りはフィルター付だったと記憶している。こちらはココナッツの風味がある。
「へー、甘いなぁ葉巻って」と思ったら甘くて当然だったわけだ。
日本でも手に入る十本入りは七百円だった。一本吸いきるのにかかる時間も、シガレットよりは長いと思われる。

それと、一本が高い葉巻をもう少し小さく、だがそれでもそこそこのボリュームで楽しめるものがある。

英語で書くのが面倒なので、カタカナで書くが、「ヘンリーウインターマンズ」という銘柄がある。その中で「ハーフコロナ」と呼ばれるものがある。
あまりお店ではそれ以上の大きさのを見たことがないのだが、コロナサイズという、中くらいの大きさにあたろうか、それの丁度半分である。シガレット三本分くらいの太さ、といえばよかろうか。

Scandinavian Tobacco Groupというところが手がけているそうな。まあ、ひどい見方をすれば、牧歌的なイメージを売ってるのかな、ともいえる。詳細はHPをご覧あれ。


こちらは前述のAlcaponeよりさらに葉巻らしさがある。しかしなんだ、葉巻らしさって。しかし、ハーフコロナは三十分もかからないと思うが、十分を遥かに超える長さである。

こちらもお手軽な「ミニシガー」がある。シガリロだとかミニシガーだとかシガーレットと呼び方は色々あるが、大体、一番小さいサイズの葉巻はこう呼ばれている。


しかしこのミニシガー。何故か鉄のケースに入っている。続けて買うのがちょっと気が引ける。そこで、空になった箱にシャグを詰めて持ち歩こうかと考えている。鉄製の箱のいいところは、日本語で書かれた下らない注意書きのシールをはがすと何も書いていないことである。その点では、一々目に障るシャグのパウチの注意書きを見なくて済むのでありがたい。


好き嫌いの別れるところであろうが、独特の風味が強く、ニコチンも強い。葉巻も混ぜ物は基本的にない。酒塗ってあるとか、物によっては吸い口を甘くしてあるというのはあるが、保湿剤なども入れない。(その代わり、美味く吸おうと思ったら温度と湿度を管理して保管する必要が出てくる)


たまーにこういう物を吸ってみて、味がわかってしまうと。しめてしまうというべきか。そうなれば、馬鹿馬鹿しいJTシガレットなんぞ吸いたいとも思わない、となって、日本の税制を切り崩せるに違いない。

ただし、くれぐれもコイーバに恋焦がれて毎日のように吸わぬようご注意いただきたい・・・。ミイラ取りがミイラになってしまいかねせんぞ。では、また。

枕流漱石

2012-08-05 | 雑記
今日も日差しは強かった。


こんないい天気で夜勤明け。仕方がないのでいつもの川原に向かった。


最近は、ここに来ると眠くなる。ええまあその、飲んだからというのもある。


だがしかし、犬を連れたおっさんがわしが設えた長いすに腰掛けて、犬を遊ばせている。

この犬を連れたおっさんは前も見た。というより、来るたびに見かける。



「そこはわしの席だ!」などというのもバカらしい。いつぞやのカップルを見かけた時と同じく、初訪問で腰掛けたほうの橋脚に席を占めた。


風は時折強く吹くのだが、やはり時間も時間。暑いというか熱い風が吹く。といっても、日陰にいるのでマシである。木陰ならもっと涼しかったろう。


暑い暑いといいはするものの、去年から特に暑くて耐えられないという気がしない。熱中症なんぞなったこともない。あれは都市伝説じゃないかと疑っている。


ある意味本当に「都市」伝説というべきかもしれない。風通しが悪い上に、エアコンの排気だらけの環境。地面はアスファルトで日差しが反射というか、熱を散ぜず蓄えている。

そんな環境だから部屋は密室。エアコンはかけまくるは冷たいものは飲みまくるは、その上汗というものは忌避すべきものだと根っから信じている。

そんな御仁が、必要だか要請だか強制だかで、密室内で運動したり、外に出る。密室内というのはあれだ、エアコンのついていない体育館で剣道やらバスケットをやってぶっ倒れるというのを念頭に置いてある。

じいさんばあさんが外歩いてぶっ倒れるのは仕方ない。人口削減だ!といいたいが、いい加減ご退場願いたいじいさんばあさんは大体部屋の中である。

オフィスワーカーが外に出てぶっ倒れるのも仕方がない。マネーカルト脱却だ!といいたいが、ぶっ倒れたぐらいで抜けられたら万歳三唱である。


問題は子供である。外に出ただけでぶっ倒れるなら、つっかえ棒がいるだろう。しっかり固定しておいて欲しい。本来あるであろう、突っ張り棒とでも呼ぶべき中がなくなっているので、外からなんとかしてもらいたい。





さて、関係ない話は措く。本当は「川原で寝てたら変な夢を見た」という話のはずだったのに、あさってのほうへ行ってしまった。



橋脚で眠ること数時間。半ば目覚めて近くを行く子らの「あの人石を枕にしてる」などという声を聴きながら、また眠ったりを数回繰り返していた。ちなみに、枕は最初は自分の手でやっていたが、痺れたので辞めてしまい、無しである。


さて、眠っていたはずなのに何故か町中を歩いている。歩きながら電話を取り出し、着信履歴を見ると何故か郵便局となっている。ちなみに、実際に持っている電話とは表示がまるで違うし、現実になさそうな感じで、そして何故かその「郵便局」の番号はフリーダイヤルで始っている。

電話を掛け返すと、自動音声ガイダンスみたいな声で「あなたのケータイ番号は35です」などと曰う。荷物が届く予定だったので、その不在者通知の番号のことなのだろうが、わけがわからない。


すると、自動音声かと思ったら人が直接電話していたようで、荷物についてああだこうだとやり取りを始めるのだが、これもまたしゃべっている夢の中の本人もよくわからない内容であった。

そもそもが、郵便局に注文したわけじゃないのに、「注文に間違いはありませんか」などと聞いてくる。徳島がどうこう言っていた。送り主が徳島で、こちらは徳島県のことかと思ってた、などと、間の抜けたやり取りをしていた。

お店でもないその郵便局のガイダンスの人(女性)は、何故か注文したものの中身に覚えはあるかなどという。「確か緑色の服だった気がする」と答えると、今度は何か慌てていて、さっそく届けたい、送り主が言うにはあまり人目に触れさせたくなく、梱包も豪華で、保険もかけてある(何故保険?)、とまくしてくる。

こちらもそのつもりであったので、何時ごろにお願いするだとかいっている位で夢が覚めた。


起き上がる気にならなかったので、しばらくまだ寝転がっていたが、ふと思い出す。


夢の中で歩いていた町は、ずっと前にも見た夢の光景に似ていた。住んでいる町とは少し雰囲気が違う。実家から通っていた高校の近くのような感じでもある。

そこで歩いて入った店で頼んだのか、外から品を見かけてその後何故か持っていたスマートフォンから通販で注文したか、曖昧だがそんな覚えがある。


ようやく夢の続きがやってきたわけか。ちゃんと繋がっているのかよくわからないが、次は届く夢になるのだろう。一体何が届くのやら。「緑色の服」というのがなんとも投げ遣りである。確かに、その時注文したのも緑色っぽい服だった覚えがある。


その後、思い出したのが、今朝の仕事での仮眠で見た夢である。

山を歩いている。山といっても森ではなく、山間の開けたところだが、ずっと先に熊らしいのが見える。熊は遊んでいるのかこっちを見てはいないし、何百メートルも離れている。

こりゃいかんと思い、引き返そうとしたら、熊のいる方から何か走ってくる。見つかった!と思ったら何故か犬だった。犬に注意しつつ熊のほうを見たが、熊は熊のまま向こうにいる。

犬は何故か噛み付こうと飛び掛ってくるので、顎を下から掴んで持ち上げるようにして体勢を崩してから、そのまま地面に勢いよく叩き付けた。しばらく暴れるので、地面に押し付け続け、おとなしくなったところで放すと、途端にしおらしくなった。

ついてくるので、「これで熊が来ても大丈夫かもしれんな」などと考えた辺りで目が覚めたのである。



いい加減起きるかと、寝ぼけた頭を振りつつ、日を見る。傾いてはいるが、明るさが変わった気がしない。いい天気である。

さすがに暑いので、流れのある方へ向かい、足をつける。

「漱石は枕石漱流のいい間違いを正そうとしなかった頑固者から来ているが、こちらは素直に水で漱ぐか。」と、思いながら、浅瀬を数歩ほど歩き、帰途に着いた。


さてさて、次は犬が活躍するのか妙な届け物がくるのか。楽しみである。では、また。

ラヂヲこぼれ話

2012-08-02 | 雑記
さてさて、酔いながら収録し、さらに杯を重ねながら編集を行い、挙句の果てに終わってからも飲んでいたのだが、さすがに飲みすぎた。


こぼれ話としては、特に思い当たる節がない。


今回触れた内容は、そもそもがその前の話で忘れたことをやったついでに、それに関わるソルフェジオ周波数及び音階について、色々と人体実験(自分の体で)してきた集大成、といったら大げさだが、そういうところを語ったわけである。
謎に満ちたソルフェジオは、理屈よりも体感を重視せざるを得ないところが大きい。何がしか大きな研究成果がでてこない限りは、わしが語れるところはここまでだろうと考えている。

話で触れた「Master Frequency」を掲載しておく。

Solfeggio Master Frequency 1122 Hz. HD Meditation


動画説明文は触れた内容より遥かに量が多いので、気になる方は一度読んでみるとよい。


冒頭のフレイザーやウヰスキーについての話も、いつかやるつもりだったが、運よく買ってきたウヰスキーがあったので首尾よく語れたところである。


もうこの余談だけでいいんじゃないかな・・・。なんていっていると目的を見失いそうだが、ある意味その方が目的を果たせそうな気がしないでもない。



と、少々硬めに書いたが、こぼれ話的に一つだけご注意を。本当は掲載時に注意を書くはずだったが、あの時点でもう出来上がっていたので、すっかり忘れていた。


チェイサーの方の最後で、少々エロネタのようなエロネタでない話をやっている。

本来は冒頭でやろうかと思っていたのだが、ウヰスキーの開封をやったため、最後に回ったわけである。


しかし、動画やブログでは反応がなかった!ついでに、中の人がアイキャッチで顔出ししたのにこれにもなかった!


こうなったら徹頭徹尾エロネタをかまして、合間にインボーロンの話をやろうかと考えているが、R-18のタグがつけられてしまいそうだ。何のラジオか勘違いされることであろう。

なに、あなたが子供だろうと老人だろうと問題ない。楽しんで聞いてもらえれば幸甚である。やっている方も楽しいからああやって話しているわけで。では、また。

ラヂオ 九杯目

2012-08-02 | ラヂヲ
いけない。サボりすぎた!

わしがサボるべきは強制労働だけである。と、普段考えているが、考えるだけで中々動けないのである。実に悲しい。


というわけで、内容をあまり考えずにラヂヲを始めてみたら、漠然と考えていたラヂヲとは別物が出来上がった。


前回同様、飲みながらふかしながらになっている。不愉快でなければ最後までごゆるりと。


【ラヂヲ】ウヰスキーの時間 九杯目一口


完全な余談から初めて、前回の補足を始めたと思ったら・・・。

CMにある記事はこちら。「身体能力を発揮できる食とは

【ラヂヲ】ウヰスキーの時間 九杯目チェイサー



なんと、補足から広がってそのままで終わってしまった。


補足の補足のさらに補足、という感じになった。これで、ええっとなんだっけ、ソルフェジオ周波数についてわしが感じていたことは語り切れた気がしないでもない。


異論反論疑問はメッセージボックスへ。嫌なら入れなくてもいいんじゃぞ?



いくら今日と明日(時刻的に)休みとはいえ、飲みすぎた。量でいえば大体ウヰスキーで120mlくらいである。


確か後編の終わりで、「本来と喋る予定が変わった気がする」といったが、そも予定が漠然としていた上に、「今喋らなければいつ喋る!」という妙な使命感に駆られたのが大きい。補足の補足のさらに補足と言ったが、前から考えていたことには違いないので、行き当たりばったり過ぎたわけでもない。まあ、スイカでも食べながら聞いてもらう。

本来は、アレルギーについてブックマークにある「アレルギーからもらったもの」のちぇんてんさんを紹介しつつやろうかと考えていたが、とりあえず今回は流産した。


では、暑さや台風に負けないで今をお過ごしください。では、また。