ウヰスキーのある風景

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矢毒が得るモノ

2014-10-28 | 雑記
釈迦の弟子に、死後の世界のことを訊ねては釈迦を困らせていたやつがいたそーだ。

名前は忘れたが、釈迦はこういってたしなめたと、言われている。

「毒矢が刺さった人を助けるとき、その矢を撃ったのはどんな人物だったかだとか、矢はどういうものだとか考えても意味がないだろう。まずは矢を抜き、毒を出すのである」

という風に。


ひろさちやによると、釈迦のメッセージは「今を生きなさい」だそうだ。ん?どこかで聞いたな。どこだったかな?


と、とぼけてもしょうがないが、一々言いたくもないので、そこは割愛である。



この世は陰謀に彩られた世界であるそーだ。猫を撫でても陰謀、猫に噛み付かれても陰謀、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い陰謀と、数を挙げたら世、ではなくて夜が明けることだろう。


よく言われるのが、レプティリアンが人類をー、とか、ロスチャイルドがーという奴である。イルのかイナイのかよくわからん、イルミナティというのもイル。

尊師もそーゆーお話をHPで書いていたものである。デーヴィッド・アイクとかいう人の著作を翻訳したりだとかして、本を売ったりしておった。

それよりも、イングドールという人形ではないジャーナリストの本の方が売れなくて残念がっていたというか、「ゴイムは救いようが無い」と嘆きの声を上げて、HPを閉鎖された。

そっちの本は、具体的な食べ物の話について書かれてあり、これこそ経典の中の経典!と思っていたので、なおさらだったようである。ありがたやありがたや。


ああその、なんだ、話がずれた。



その手の話の共通点は、「ある程度の期間から、人類は何かによって操作されている」という点である。


あるときは超古代。あるときは文明開化。またある時は宇宙開闢。さっき屁をこいたのも、その操作かもしれんなぁ。



別に、わしは、その内容が本当だろうと嘘だろうと、妄想だろうと、トカゲみたいな人がイルのかイナイのかどうでもいい。

信じていないというより、どうでもいいのである。

「イルミナティはいまぁす!」と言われたら、こちらとしては昭和天皇ばりに「ああ、そう」と返すのである。



何ゆえに?

そういう奴らが陰謀を働いて、人類を地獄に突き落とそうとしているのに、貴様はなぜ暢気なんだ!?と、恐らく、あの尊師も同じような(単語が違うが)ことを思っていたことであろう。



今、あなたは、何かに苦しめられている、としよう。食い物だとか性欲だとか、なんでもいいわい。勝手に考えてくれ。

食い物としておこうか。

「間違った食い物を食わされたので、太った!陰謀だ!」と、かつて騒いでいた人がいる。今もイル。

加熱食は毒だ、穀物は毒だ、肉なんてキチガイ沙汰だ、果物と野菜を生で食うべし!最近はなんか発酵食品とか言い出してたか?まあいい。

段々正しいものに近づいていって、痩せた!とか言っておった。ついでに、性についてもなんかいって、オーガニックじゃないダイエットとか言っておった。

うーん、書いててしつこいなぁと思ったがもういいや。



さて、何ゆえその、間違った食い物とやらを食って太ったのかというのを、以前書いたかしゃべったかしたが、こうである。



文明社会とかいう豚小屋でのストレスで、己から食ったのだろう?太るように!と。



それは、その、間違った食い物が味の素の中毒性で穀物の中毒性がどうこう、と、延々HPに色々書き連ねていたが、どーも本質を突かない。

突く気などもとよりない、のであろうが、つまりはこうだ。



己は、ストレスが掛かると手当たり次第食い物に手を伸ばす、神経症だったからではないのか?と。過食症というやつであろう。違わないのか?



その言い訳に、毒が入れられているだとか、毒を食わされて頭が狂ってきただとか言ってるのではないか?そーゆー点がまったくないとは言わんがな。




アリス・ミラーがこういっていた。

かつての自分自身であり、後に自ら絶対思い出すまい、触れるまいと決めた、憐れな不幸な子どもに対して愛と理解を差し出すくらいなら、世の中で一番厳しい法に服し、どのような苦労もいとわず、驚くべき成功を収め、すばらしい経歴を作りあげる方が楽なのです。





幼きころの尊師に何があったかは知らぬ。人づてに少し聞いたのは、「母親の干渉が激しかった」と述懐していたくらいであり、詳しいことは知りようもない。
尊師がまたがる、コブが縮んだフタコブラクダはよくお語りになられていたが、ヒステリーで人を罵る癖が強いので、これもまったく神経症的であろうと思われる。
尊師にまたがられると、とても気持ちがいい、とよくお語りになられていた。ありがたやありがたや。


おっと、また話がずれた。


これは別に、食べ物や性についてだけではないのである。

あるものはアルコールや薬物中毒、自傷癖だったりと、つまりは、己を破壊しようとしてしまうのである。

もしくは、破壊したい自身を他者に投影し、かつての己がそうされていたように、その暴力を対象に振るう。


そう、以前書いた、ヒットラーのように。

憎かった父に自身がなり、弱い立場のユダヤ人をかつての己として、暴虐の限りを尽くすのである。そして、かつての己の抹消を図ったという。



で、それと前からある操作とどう関係が?となろう。わしもちょっと判らなくなった。


簡単な話をすると、だ。

アル中の父親の元に育った娘は、妻になった時、尋常の量しか飲んでない亭主の飲酒をとがめ、結果、アル中にしてしまう、というのが多いそうだ。

アル中の前にはアル中のアル祖父さんがいて、その前のアル曾祖父さんがいて・・・とさかのぼれるわけである。



三代さかのぼれない家柄の怪しい奴は入内させない、ではないが、そう出来たりする。大きくなると、ユダヤの陰謀だとかイルミナティだとか、そういうものの積み重ねだったりするわけである。

ユダヤ人は虐待されること二千年とも言われる。別に、そこらを歩いているユダヤ人が陰謀働いているので気をつけろ、とかいう話でもなければ、イルミナティはアル中です、という話ではないので、その辺りは勘違いしないように。




ヒットラーの場合は、その父が私生児で貧困の元に生まれ、鬱屈した幼少期を過ごし、結果、暴虐な父親となり、幼きアドルフに強烈な傷をつけたわけである。


さて、ヒットラーがただ家で総統やってただけなら、相当変な人で済んだろうが、そうはならなかった。

当時のドイツあたりの教育風土と、第一次世界大戦で疲弊していたのもあり、当時の人々はユダヤ虐殺に喜んで参加していた、というのである。

この辺りの判りやすい論文を先日見つけたので、紹介する。直のリンクは貼りたくないので、探す方法だけだが。

「アリス・ミラーの仕事」で検索すると、あるPDFファイルが出てくる。長くは無いので、一読をお勧めする。

ヒットラーの他に、フロイトのことについても書かれている。彼もいわば犠牲者である。ヒットラーの犠牲ではない。

被害者が加害者になることはよくある。エディプス・コンプレックスという理論が、何ゆえそれまで積み上げて確信を深めていた理論を撤回した上に提出されたのかは、興味深い。


さて、その論文から少し。

アメリカの現状に触れた、終わりに、の部分である。下線部は傍点だったのを改変した。遺伝病、という箇所である。



そのような社会においても家庭という隠蔽された場所では,想像を絶するような数の子どもたちが虐待を受けていることになる。
したがって,これはアメリカ社会固有の現象と考えるよりも,少なくとも聖書を倫理の規範とするユダヤ―キリスト教文化圏の遺伝病と考えたほうが合理的であろう。



ユダヤ教やらキリスト教の厳格な物の見方が、後世にまで悪影響を及ぼしている。それが家庭内での虐待、ひいてはヒットラーを生み出したりまでするわけである。


かなり長引いたが、先ほどのミラーの言葉に戻る。


書いている通り、泣いたりぐずる子を殴ったり、無視するのはとても簡単なことである。目の前の子にするように、あなたはされて来たのである。

いつまであなたは、子供に暴力を振るい続けるのですか?

いつまであなたは、あなたの子供を無視し続けるのですか?

つまり、いつまであなたは、あなた自身を無視するのですか?


毒の講釈を垂れていないで、とっとと毒矢を抜いて処置をすべきであろう。


毒矢がささったままだから、イルミナティの思想(ゴイムを減らす)に皮肉な賛同をするのである。

正に、毒気深入失本心故である。


だから、わしに「苦しんで滅びろ」などと無意味で愚かしい罵倒を浴びせたのに謝りもせず、その上、ノウノウと世に出てくるのである。

ゴイムは滅びろ!と裏で言っておいて悪びれもせずに、だ。


アロイス・ヒットラー(アドルフの父である)の性格について書かれていたところを紹介する。


アドルフの父アロイスはタフで目的意識のはっきりした人物であった。13歳でウイーンの靴屋に徒弟に入ったが,職人にならないと決めるやいなやオーストリア税務局に勤めるようになった。彼はここでめきめきと頭角を現し,最終的には彼の学歴としては上り得る最高位の,上級税関事務官になった。彼は好んで公式の会合に姿を現し,正式の官名で呼ばれるのを喜んだ。性格は厳格,厳密,衒学的であった。残っている何枚かの写真はいずれも制服のボタンを光らせ,堂々として気むづかしそうな役人面の下に,タフさ,演技欲,尊大さを感じさせるものであるらしい。


誰かさんがこれとまったく同じだとは言わんが、「性格は厳格,厳密,衒学的であった」は、大笑いせざるを得なかった。


まあ、こんなことを書いているわしも、大して変わらんがな。



さて、伝え聞くところによると、フタコブラクダのブログ(略してフタコブログ)は、かつてのゴイムだとかなんだとかいう、見下したような物の言い方はなりを潜めているとのことである。

さあてねぇ?裏で会員制掲示板をやって他人を貶していたような人たちですからねぇ?カウンセリングでも受けたのかしら?どうでしょう?ふっふっふ。


アリス・ミラーに倣って言うなら、彼らは親を演じ、読者をかつての自身として投影し、優しく脅しながら教導しているのではないかと思う。

暴力的な親が時折見せる優しさだとか、そういうペテンをやっているのだろうと、邪推しておく。今までやったことを白状したのならそうではないであろうが、さてねぇ?どう思いますかねぇ?



カエルの子はカエルである。オタマジャクシだが、カエルである。毒矢が刺さったままだと、凶悪なオタマジャクシになるわけで、カエルにはならないのである。

凶悪なオタマジャクシってのがなんだか面白い響きだなぁと、変なことを思いついてしまったが、辞めておく。

これ以上藪を突くと、ヘビに食われるのでな。いや、もう遅いか。せめて美味しく食べてね!

では、また。

カエルの話

2014-10-03 | 雑記
今日はカエルの話である。ケロケロ

妙な語尾がつくかもしれないが、気にしないで欲しい。ピョン



先日、大学の後輩が、実家にカエルことになったそうで、送別会をすることになった。

そいつは、仕事場がわしの住んでいる町で、そいつの同期で実家も今の住処もこの町のやつが昔アプローチを掛けていた。
ケロケロ

その同期の男が、たまにわしに飯をおごれと言ってくることがあったので、「なら、あいつも呼んでやれ」と、ある意味くっつけるためにわしが暗躍していたものである。

あいつとかそいつじゃわからんので、オタマジャクシと呼ぼうか、と思ったら余計めんどくさいので、カエルやつをA、飯をたかる方をBとして、読んでおいてくれ。
ピョン


Bは酒が飲めない、というか、わしにおごってもらうためというのもあって、わざわざ車で送ってくれたりする。で、Aは酒が飲める。飲めない相手と酒を飲んでも楽しさ半減なので、重宝していた。

それにまあ、こういうとアレだが、Aは夢破れたところもあるので、たまには飯をおごってやろうと思ったりしていたわけではある。
ケロケロ


何ゆえそー思うようになったかというと、所属していたクラブでよく「後輩のために」とお題目を聞かされていたから、字義通りやってきたのである。

創価のやつらでもあるので、ゆうことはりっぱなのである。
ケロケロケロ


話は代わり、九月の頭くらいだったと思う。
ピョン


市内に、何故かカエルの雑貨専門店というのがある。

四、五年くらい前に出来たかと思うが、現役でやっているお店である。
ケロケロ


ある日、その前を通り過ぎようとすると、布団用の洗濯ばさみが置いていた。家にあったやつは、風化してしまって一つ壊れてしまった。

じゃあ、これ買おうと、酔っ払った顔で店頭のそれを持って中に入った。


本当にカエルだらけで、看板どおりダナァと思うのだが、一時期外に並べていた、ガンダムだかのプラモが中においていた。これも気になっていた。
ピョン


ついでだから、何か買おうと思い、見て回ると、手足に針金じゃないが何か入っていて、ポーズを取らせられるぬいぐるみがあった。ケータイ立てにもなるとのこと。

鞄という名の風呂敷に入れっぱなしだと、よく見失うことがあるので、こいつを使ってみようと、一緒に買って帰ったのである。
ついでに、なんでプラモ売ってたのか聞いたら、オーナーの趣味だとか。
ケロケロ

我がケータイはガラケーとか言われていたやつで、別にケータイのアプリを弄って遊ぶとかせず、かといって電話やメールも滅多にしない。

目覚ましとして使うほかに、去年から家で必ず使う用事が出来たので、目立つところに置きたいと、常々思っていた。

思いの外、そのぬいぐるみにケータイを置く習慣は悪くなく、今も続いている。なかなか気に入った。
ケロケロ


で、ケータイもたせて眺めて笑っていたりしていたら、後輩が実家にカエルとの話。

じゃあ、これをプレゼントしてやろう。実家に帰るからカエルだと、ダジャレだよな!と。
ピョン


で、送別会数日前、買いに行ったら売り切れていた。なんてこった!

というわけで、別の小さなぬいぐるみを買っていった。手にマグネットが入っているので何かの役に立つだろう、という感じだが、「カエルのお腹をにぎってご使用ください」という、おもちゃではある。



送別会なら、会費から何か出し合って渡すんじゃないか?という話を、送別会でカエルをやるつもりだとバーでしゃべったら返されたのだが、どんだけの規模でやるのかさっぱり聞かない。

てっきり、いつものわしがおごったりしてたレベル(わしとAとB)でやるもんだと思っていたのだが、予定では全員で六名ほどだった。

案の定、車持ちのBが集合時間オーバーしながら花束を買いに行くという有様。


集合場所についたら、Aしかいなかった。荷物持ちっぱなしが面倒だったので、さっさとカエルを渡してしまった。
ケロケロ


その後しばらくして集合場所に来たわしの同期の女が、会の間、妙な顔をしていたようだった。反応があったのは、Aをかつて飲みにつれていった時に、これが美味かったといっていたナァとかいう思い出話である。
ピョン


会も終わり、Bが車で送ってくれるし、帰ったらゲームやろう、と思っていたら、件の同期がよってきてこういう。

「正直にいいなさいよ」と笑いながら。


何を?と思ったのだが、言いたいことはすぐに判った。

判ったから、向こうに言わせてみたが、案の定だった。

どうやら、わしはAのことが好きらしい!!

これは衝撃の事実!ひっくりカエルところだった。
ケロケロ


ここ一、二年、滅多に思い出すことがなかった相手を、好きだと思われるような行動だったらしい。
ピョン


わしは「後輩のために」とかいうお題目を字義通りにやってきたに過ぎないのに。

こちらが酒を飲むのが好きなんで、酒を飲める後輩に酒を飲ませてやったに過ぎぬ。



似たような話は、現役時代からあったものである。上記の同期とは別の手合いに。


ある新入生が、帰りがわしと同じ方面だったので、「お前が送ってやるのだ」となり、帰りを送っていったものである。

わしは木石でもなければカエルでもない。口を聞かぬわけにもいかぬので、色々と話をしたりしたものである。

それで多少、話が通じるようになったらなったで、「付き合っている」だとか言い立てられたりしたものだ。

それゆえか、本当に付き合うような感じになったものではあったが、これは同期の呪いであろう。

とはいうものの、似たようなことはわしもしたであろうなぁ、とも思う。若気の至りというやつである。

相変わらずなのだなぁ、と感慨に耽って、喉を鳴らすのを忘れてしまうところであった。ケロケロケロ


三つ子の魂百までもといい、カエルの子はカエルとはいう。
カエルならそれで構わんが、わしは「カエル」になった覚えは無いのである。ピョン


それならいっそ、人の姿をしたカエルにでもなって、「カエル」を眺めてもケロッとしてようと思うのである。

では、ケロケロ。