ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

氣が気でない

2020-12-14 | 雑記
いつからかは思い出せないし思い出す意義も薄いのだが、このコロナ騒ぎの中、マスクを着けずに出歩いている。

仕事場はある種の接客業。予防線として「従業員にマスク着用を義務付けて接客しております」とのことで、マスクをさせられている。それが始まった時は事務所内で外していたら、「着けろ!」と言われたものだが、いつごろからか言われなくなってしまった。面倒になったのかもしれない。

マスクしないと飛沫がどうこうというのだが、マスク如きでは実際は防げていない。隙間から好きなだけ出入りするのでご安心のほどを。
では、マスクでは防げないのではないか?と思われた方は、賢いというより普通である。
などとほざく拙も、一時期マスクをしていたので、おあいこさまということで。


さて。話はひどく胡散臭くなる方を一度する。それからまた上の話に戻るとしよう。


とある界隈で、「全世界緊急放送」なる言葉が飛び交っている。

然る人物が地上の放送を一時ジャックし、世の真相をばらして世の中を思い切り替えていく、というのである。
それぐらいの力を持つ人物や組織というと・・・まったく知らない人でも想像はつくかもしれない。

嘘か本当かはわからない。しかし、昨今、今まで嘘や陰謀論だなどと片づけられていたことが実は真実だったという暴露が相次いでいる。
前回にも触れたが、アメリカの国防総省だかが「UFOは実在する」と発表していたり、国家機密に携わっていた研究員やとある国家のトップクラスを務めていた人物が晩年に頭の中身を疑われるような発言(地球外生命体がいるだとかコンタクトしていたなど)をしていたりする。
これまた前から何度も書いているが、「陰謀論」という言葉自体が陰謀であるとも書いた。
アメリカのジャーナリストが調べたところ、ケネディ大統領暗殺事件を調査して報告したウォルフォウィッツ委員会だったかの発表が、大多数の観衆の目撃証言と食い違い、これはおかしいと真相を追及されて困ったので、頭にCのつく組織が「陰謀論」という言葉を開発。そのような人物は頭がおかしいというレッテルを貼り封殺した、というのだとか。
その流れとは直接関係ないが、作家やジャーナリストが問題を探っていったら、例えば金の動きを追っていくとロスチャイルドだとかに行きついたというただの研究報告を、都合が悪いから「陰謀論だ」と封殺するという流れも理解がしやすいかと思われる。この件は以前、井口和基博士が書いていた。

拙も余命幾ばくも無いので、ここで真相を語ろうと思う。拙は実は・・・金星人なのだ!※鑑定はこちら

というのは措くとして。話を戻す。

細菌とウイルスは同じものではないが、とりあえず体内で悪さをすると病気になるというのは同じであろう。

恐らく、ここ最近の状況で調べたりしている人は聞き及んでいる方もいるだろうが、感染症についての確固たる四原則というのがあり、それに沿っていないものは感染症の原因とはならない、されているものがある。
発案者の名からとり「コッホの四原則」という。

徳島大学の名誉教授、大橋眞教授は、昨今のコロナ騒ぎにおいて、新型コロナと言われているものは、このコッホの四原則にまったく沿っていないと非難していた。主流メディアにはほぼ流れないが、いつぞやYのアホーなニュースだかにようやく乗ったぐらいで、拙が話を聞き始めた時はなかった上に、大橋氏の動画が一部削除されたりというほどの検閲がされていたものである。話が込み入るので、別のYが頭に着く動画サイトの件は割愛する。

上記でも少し触れた、理論物理学者でいわゆる陰謀論的な話をブログで書いている井口和基博士も、「コロナウイルスは軽いからマスクした方が防げる」と自前で計算して話していた。「富嶽」だったか、日本のスーパーコンピューターがマスクの有無で飛沫がどうなるか、というシミュレートをして、マスク必要!という判定が出たとかいう話を受けて書かれていた。


思うに。風邪は感染するのか?何を言っている、感染症というではないか?と思われるだろうが、聞いてもらおう。新型コロナが恐ろしい生物兵器ならばこの限りではない可能性はあるが。

感染症というものの理論は、コッホよりも前に遡る。パスツールが提唱した、細菌原因説である。

新型コロナと騒がれているものに当てはめてみよう。飛沫にウイルスがあるから出すな食らうなと言っている。
ウイルスが人体に付着して侵入し、症状を出すには、ある程度の数がないと起り得ない。それこそ何万だとか何百万、何千万か。ともかくたくさんである。

細菌原因説はつまり、原因物質があるからなる、という理屈である。だから殺菌して減らせばいい!となって、今はそこかしこに消毒液である。

実は、これに真っ向から反対していたパスツールの同僚がいる。そして延々討論していたそうだ。名前は失念した。
細菌が原因ではなく、健康を損なっているからなるのだと。免疫原因説、とでもいうのか、そういうことを唱えていた。

晩年、病んで伏せっていたパスツールの元に赴いて討論を繰り返すうちに、なんとパスツールは死ぬ前に自分の説が間違っていたことを認めたという。

この話は大きくは広まらなかった。何故か?それはご自身で紐解いていただきたい。


拙の狭い知見の内でももう一人、「風邪はうつらない」と言っていた人物がいる。

整体の創始者、野口晴哉である。

風邪はその人の体の偏りが酷くなって行った時に、通常に戻すための作用なのだという。

『風邪の効用』という書籍にもあるが、風邪を引いて療養する時はゆっくり寝かせるわけで、一人で落ち着かせる必要がある。こういう風に述べている。引用ではないことをお断りしておく。

本当はうつらないが、一人にして落ち着かせる必要があるので、子供などには「うつるといけない から」などと言って入らせないようにする。と

でも、家でインフルエンザ皆かかるじゃないか、などと反論されるだろう。

人の体の偏り、と書いたが、つまりは生まれ持ったものも含めた習慣である。これを細かく調べてまとめ上げた「体癖(たいへき)」という理論もある。

同じ親から生まれてその習慣に慣れ親しむというのは、同じタイミングで同じことが起こり得る。同じ親でない場合でも、習慣の影響は大きいだろう。

鬱病はうつる、などというが、鬱病はウイルスが原因ではない。なのになる。

病は気からというが、家庭内でインフルエンザが流行るのは大体、誰かがワクチンを打ったあとが多いという証言も何かで聞いたものである。
ワクチンに何が入っているか、という話は別として、そもそもが間違いである。わざわざ病気にならないようにとその病気のことを考えて尚且つ、その病気の元といわれているモノを入れるのだから。

その病気のことを考えるあまり、その病気になったり却って悪化したという話も、野口整体(野口晴哉の流れの方を敢えてこう呼ぶことになっている)で聞いた。

あるおばあさんが骨の密度が少し薄いから、骨粗鬆症にならないようにカルシウムを多くとりましょうと言われ、そのおばあさんは毎日せっせと取っていたそうだが、ある時骨折してしまった。調べると、骨粗鬆症になっていたという。

野口晴哉は今でいう、引き寄せの法則と同じことを言っていたものだが、こう解説していたと思う。曰く、カルシウムが足りないと気に掛けるあまり、「氣」が働いて自身の体はカルシウムが足りないように働いてしまうという。

とり過ぎた栄養素というのは排出されるのだが、排出する際にカルシウムについてはリンやマグネシウムを骨から取り出して一緒に排泄するという。するとどうなるか?骨はカルシウムを固着できなくなる。

栄養についても野口は言っていた。医者がこれこれにはこういう栄養があって、これを食べなさいというのには意味が無いと。食べたものの栄養を摂っているのではなく、氣が体に必要な栄養を集めているのだと。

これに纏わる面白い実験のことを思い出した。これまたカルシウムの話である。

鶏に限った話ではないが、卵といわれて想像するものは殻に包まれたものを思い浮かべるだろう。あれもカルシウムで出来ているというのも周知の事実。

ある実験で、それぞれの牝鶏に違う餌を食べさせると卵はどうなるか?というのがあった。

片方は普通に。もう片方はカルシウムを排除してかつカロリーは前者と同じにする。

すると、卵はどちらも異常なし。牝鶏も異常なし。


病も健康も氣から。今一度お考えいただきたい。


では、よき終末を。


居酒屋の引っ張りだこ

2020-12-05 | 雑記
昨日は夜勤明けでほぼ真っすぐ帰宅して洗濯をしていた。

そしてそのまま眠らず夜まで起きていた。といってもやたら早く横になったら2時に目が覚めた。
まさかのガラケーの時計を見ると、2:22の表記が。

それはともかく。おかしな夢を見たのでたまには書いておこうかと思う。

夢に纏わる話でお一つ、教わった話を書いておく。

夢日記というものがある。目が覚めたらすぐに夢の内容を書き留めるというもので、なるべく早い方がよいそうだ。三十分以内だったか。

明晰夢といって、いわゆる現実と同じように五感で体験する夢があるが、それが見やすくなるという。これはネットでも見当たる話で、知り合いに話をすると、スマホで検索してすぐ行き当たったほどである。

それ以外では、記憶力や直感を増すことが出来るそうである。拙が聞いた話では、こちらのための方法としての夢日記であった。記憶力というのは思い出そうとする訓練の方が効果があるという。
行うならば、高級である必要はないが、百均で売っているようなのものではないノートなどを使いなさい、とのことであった。

さて、夢の話を。人に語って面白い内容でもないが、なんだかおかしかったので。


とある場所で軽く飲み歩いた後、居酒屋に入った。そこにたどり着くまでの経緯は思い出せないが、どうやら開店直前のようだった。

店主と思しき人物が客席に座っていて、拙が入ると立ち上がり応対する。

やりとりの感じは馴染みの店の具合に思えた。ちょっと早いけど、もう少ししたらいつものが出来ますよ、という風なことを言われて、拙はその後手洗いに行ったように思う。

カウンターの端の席に腰かけて何やら食べて飲んだのだろう。その辺りの記憶が曖昧だが、既に食べて空になった小鉢があった。

その席の左側は仕切りを挟んでレジがあるような具合だが、カウンター自体に仕切りが隣接している形ではなく、少し空白がある。席はないが、席半分くらいの余裕がある。

そしてそこには何故かタコが蠢いていた。水槽に入っているわけではなく、恐らく専用の席なのだろう台座に乗っていたように思う。

タコがいるなぁ、そういえばこいつを刺身にするんだっけ?生の刺身はあんまり旨くないと聞いたな、などと頓珍漢なことを思いながら眺めていると、ふと悪戯を仕掛けようと思った。

大したことではなく、息を吹きかけただけである。するとタコはビックリして飛び跳ねていった。

まるで猫が驚いて漫画のように飛び跳ねて逃げるといった具合で。

壁か他のテーブルだかでさらに別方角に飛び跳ねて、今度は拙のずっと後ろのテーブル席に飛び込み、食器がひっくり返る。これはいけないと、拙はすぐにその席へ向かった。

そして何故かタコはその飛んで行った先に座っていた人物(女性と思われる)の胸あたりに貼り付いている。

タコにしがみつかれた女性は床に倒れており、目を閉じたまま小さな声で「痛い・・・」と二回ほどうわ言をしゃべっている。
その声で女性だとは思ったが、見た目は長い黒髪で、肌は褐色に近い、という風に覚えている。

危険だと思い、タコの脚を両手で掴む。よく考えればタコの脚は八本あるのに、両手で取れるのかは怪しい。ところがタコは掴んで欲しかったのか嫌がったのかはわからないが、力を込めて太くなったのか脚をまとめたのか、うまい具合に二本掴んで引っ張ることになった。

その脚を掴んで引っ張ると、両手のひら一杯に細かい棘を刺し込まれたような痛みがあり、女性もこのままでは危ないと感じた。タコを引きはがして地面に置いたが、なおもタコは抵抗するのか、二本?の脚の力は衰えるところを知らず、引っ張りあいをしながら、誰かここでタコの脳天に一撃入れてくれ、と思ったところで夢は終わった。

あのタコはお店のペットなのかなんなのか、結局判らずじまいだったが、多分、クラーケンだったのだろう。それにしてはとても小さかったが。

拙は居酒屋で呑気にしていたクラーケンを放ってしまったのである・・・。引っ張りだことはいうが、引っ張りクラーケンでは語呂が悪い。Releace the KURAKEN!がよかろう。

ところで、引っ張りだことは昔、磔刑になった罪人の姿のことを指していたという。

引っ張られたのはクラーケン(と思われる)なのだが、実際は引っ張っていた。
クラーケンが引っ張りだこにするのかもしれない、などと思わせぶりなことを書いて終わる。


では、よき終末を。


色眼鏡

2020-12-04 | 雑記
冬場の恰好がどう見てもマフィアな具合なので、ついでにサングラスをかけてしまえと思い、先週からつけて歩いている。といっても仕事の行き帰りやらちょっと出かける時ぐらいではある。

別に日差しが眩しいとは感じない。一番日差しが強い時以外は太陽を凝視して、太陽が丸く光っているのを確認したりするぐらいである。夏場の昼間はちとしんどいが。

大本は上記のシャレであり、他はちょっとした悪戯じみた理由である。

それは、コロナ対策。いや、おかしい気がする。

というのも、マスクもしないでうろついていると、存在を見たことはないが警察でもないのに「マスク警察」だとかなんとかいうものにモノ申された、などとネットで見かけたものである。最近はどうかはしらないが、あからさまにマフィアな男がサングラスして歩いていると怖がって何も言ってこないだろうと思ってやっているのだが、そもそもサングラスをしてなくても何も言われたことがなかった。

後はほとんどの人がマスクして歩いている状況を見ていて疲れてきたので、デーヴィッド・アイクが紹介していた映画『They Live』の如く、世の中の本当の姿を見るメガネなのだ、などと考えている。
視線をある種遮断するというのは、同じように(とはいってもサングラスなので少し暗いが)見えていても違う感じがするので、少し気は楽になったかもしれない。周りの人には怪しい人に見えるが、マスクを着けっぱなしの方が怪しい。着けざるを得ない状態の人も世の中にはいるが、そうではない人までもが着けている状況は、見ていてくたびれる。


さて先週のことだった。仕事に行く時に必ず通っている川沿いの公園がある。河川敷といった感じか。

かなり大きな雲が向こう岸の先の空に浮かんでいた。

その大きな塊の周りに小さい雲が見えたので、「雲消し」というのを始めた。

昔にもここで書いたことが何度かあったと記憶しているが、消そうと思った雲を見つめつつ心の中で「雲は消えました」と繰り返し念じると、消えていく。

拙が独自に見つけたわけではなく、何かで読んだだけである。コツとしては緩やかに集中するという感じだろうか。後は大きすぎるのや、曇りの日は向かない。効果が出ているのか分からなかったりする。
見る間に雲の形が変わり始めたと思ったころ、視界の端で、何か光った。

最初はサングラスに何か光りが当たったのかと思ったが、太陽は雲に隠れていた気がする。

すると、雲の塊の右下の方に、何かが点滅していたのである。視界の先には遠くに山はあるし、対岸に民家もあるが、そこは完全に空の上である。
飛行機にしてもおかしい。気づいたときから微動だにしていない。
不審に思いしばらく見つめていると、見られたくなかったのか、数度点滅したかと思うと消えていき、その場所には何も見えなくなった。

きっとUFOなんだろうと考えた。今年、アメリカの国防総省だったかが、UFOは実在するという風なことを発表していたそうである。つまりは今まで隠していたというわけだが、今回はその辺りは突っ込まない。

あそこまで露骨な具合で視界に飛び込んできたのは余りないが、昔見た妙な光の玉も同じようなものだったのかもしれないなと思いつつ先に進むと、今度は遠くの山の上の方に黒い飛行機のような形をしたモノが浮かんでいる。
サングラスに何かくっついたか?と思って慌てて外してみたが、サングラスは関係なかった。

鳥が風に乗っているなら、数十秒見ている間に動くはずだが、その影絵は動かない。

ヘリコプターがホバリングしているような具合で、山の上空に浮かんでいる。もしかしたら本当にヘリコプターだったのかもしれないが、黒い飛行機だか鳥のような形をした黒い点にしか見えなかった。ヘリだとして、そこで何をしていたのか?流石に知りようがないが、山火事の消火でもなかろう。

人にはそれぞれの色眼鏡があるという。これを偏見だとか常識とかいう。

アインシュタインは「常識とは成人するまでに身に着けた偏見の寄せ集めである」という風なこと言っていた。ググってみたら「常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」と出てきた。

拙が冬なのにサングラスを着けて歩き始めたのは、「あなたは色眼鏡をかけていないつもりだが、色眼鏡に振り回されているのだよ」という皮肉なのである。

それなら、自分で気に入った色眼鏡を試したりするのがよろしかろうと。

だからといって、サングラスをしろという訳ではないことをお断りしておく。


では、よき終末を。