ウヰスキーのある風景

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この世は企て

2020-10-28 | 雑記
然る日、拙から話を振ったわけではないが、こういうことを相手が述べた。

曰く「陰謀なんてないよ。そういう人達は月に人類が到着してないとか言ってるよね」という具合であった。

月に実は到着していない、という話については、様々な検証や説が出ている。

単純に世界中に流されたあの映像が嘘である、という話は有名なところではある。映画監督のスタンリー・キューブリックが頼まれて作ったと証言したという話もある。その辺りも真実かは拙には検証しようがないし、どちらでも構わないところである。

仮に着かなかったとして、それでどうして誤魔化すことにしたのか?という点なら、想像が付く方もおられよう。

当時は冷戦の時代。旧ソ連と米国は宇宙開発で競っていた。如何に米国が技術で先んじているかを示せなければ、威信が地に堕ちてしまう。

それで、実際は到達していない技術力を隠蔽するために偽の映像を流したという説である。

もう一つは、実際は月面に着陸してはいたが、見せるわけにはいかないので、誤魔化したというのがある。

何故?と思われるが、こういう言い草があるだろう。

世の中には知らなくてもいいことがある、と、創作などで聞く言葉である。


とはいえ、アメリカが正式に宇宙人の物としてのUFOがあると認め始めたような昨今、いずれ真相が表ざたになるではあろう。


さて、月面着陸の話をしたかったわけではない。

何が気になったかを語ると、「陰謀はない」という言葉である。

しばらく前からとあるブログで紹介されていた、あるバンドのライブ放送がある。といっても、ずっと歌っているわけではなく、トークショーあり、コントあり、ニュース的な話ありの、多方面的な内容である。

そのライブ放送(YouTubeで行われているのだが削除されているものもある)のサムネイルに「これは陰謀ではない!」という文字が書かれていた。


拙はかつてのとある事情で、そういう界隈から離れようと思っていた。というより別に専門家でもないので、調べる能力もないのだが。

それで、「陰謀はあるかもしれんが、わからん」という具合にしていた。

とはいうものの、何かがおかしい。溜飲が下がらないという感じであった。

なんにせよ、いわゆる陰謀論と呼ばれる話は至る所にあるし、陰謀というよりはいい情報を発信しているところもある。


コロナの話で例えるが、ご存じだろうか。先日の十月二十四日付で、コロナの入院治療やらの対象が緩和した。一応の公式見解では、これから流行るであろうインフルエンザ対策としてだそうな。

それはともかく。日本における新型コロナによる死亡者数は、実は水増しされているという話を聞くと、どう思われるだろうか?

陰謀か?と思う人も多かろうが、本当である。

実際に厚生労働省のHPの目立つところではないが、死亡理由は新型コロナにしておいてください、というお達しが書かれたPDFが存在している。今もあるかは分からないが、実存していた。

自殺した人が急患で東大医学部の救急病棟、であってるのか忘れたが、担ぎ込まれ、死亡を確認する。
すると、ここ最近の決まりとなっているPCR検査をする。
陽性だ。はい、この方はコロナの死亡者数に計上。となっているとのこと。

これは厚生労働省のお達しに従っているので、陰謀ではないとなる。
さらに付け加えるなら、海外も状況は変わらない。


話は戻るが、上記のバンドの座長がいう。

陰謀というのは陰で隠れて働くことで、これらの計画は既に実行されて世の中に出てきているのだと。

ここで合点がいった。

国内外様々な「陰謀」を働いているとされる組織や個人の行動やらを見るにつけ、陰ではなく、既に陽だったのである。

陰ではないのだから、陰謀なんぞと言わずに策略とか謀略とか戦略や、もはや一般化しつつある、アジェンダというべきだったのだと。

今さらそう思い至ったのは、己の不明が致すところ。陳謝致す。

なら月面着陸は陰謀か?となると、既に冒頭で示した通り。

一般に示してはいない目的で行動しているのだから、実際に到着したかどうかは別である。

着けばよし、着かなくてもよし、見せられないならそれもよし。どの可能性も考慮されうるし、彼らも考慮した上での実行だといえる。

これまたアジェンダだと。アジェンダは計画という意味だと聞いた。

ついでに昔書いたが、「陰謀論」(英:Conspiracy theory)という言葉は、かつてCIAが、ケネディ暗殺事件の流れに不審を抱く人々を封殺するために作られた言葉であるというのは、アメリカのジャーナリストが見つけ出している。


陰謀論なんぞない。陰謀というのなら計画の時点で既に陰謀であり、計画が実行されるに至って、我々が被害を被っていることを言い換えただけなのである。

陰なる謀はない。ジョルジュ・バタイユの言葉を借りて言うなら、この世は「企ての世界」である。

誰かが企てたものは、その誰かの思惑が既に張り巡らされている。

「陰謀なんてない」と嗤うのは、笑えない冗談であろう。


と、ここまで書いて思い出したが、かなり前にも同じようなことを書いていた気がする。


つまり、これが拙のアジェンダだと言えようか。


では、よき終末を。