ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

鰻からのお報せ

2013-05-26 | 雑記
遡ること三日前の朝である。


夜勤が終わり、さて着替えるかとロッカーを開け、カバンという名の風呂敷を漁り、ケータイを取り出す。着替えを出すついでである。


普段なら、毎朝届く、その日の天気のアドバイスを書いたメールがあるだけなのだが(なかばアラーム代わりである。パケット代は無視する)、電話二件のメール二件という状況。



なんだこれはと開いてみれば、母親からのものだった。



電話二件はどちらも一分からという。かけすぎである。諦めて送ってきたメールはなんなのかというと、「家の近くまで来たけど、今家にいる?」というもの。


どんな急用かと。まさか結婚式に出ろと説得しに来たわけじゃあるまいな?と思ったが違った。


「今日が夜勤明けでよかったな。ちゃんと確認しておかなかったら、もし朝からの仕事だったら完全にすれ違ってたぞ」とちょっと説教しておいた。


余談だが、他の予定もアポなしでの突撃だったので、空振りだったらしい。細かいことは書いても意味がないので割愛するが、一言で済むので敢えて。

センキョ、である。



会って、「何用か」と問えば、「用事があってこっちに来たから、ついでに来た」という。

いきなり前日に夜行バスに乗ってやってきたという。その体力、みなら・・・いたいが目指す先ではないので辞めておく。



予定はないそうなので(その上日帰りのつもりだとか)、昼飯を食べることにした。

無駄に仏心を出してしまうので、昼飯の後は動物園に行くことにもしてあった。


それはさておき。



いつぞやの鰻や。


そこに連れて行った。


小上がりで飲んだり食べたり(飲んだのは自分だけ)していると、常連らしい客が来て、若女将(アメリカ人)に蛇の目、つまり和傘をプレゼントしていた。


何かの不良在庫らしく、ただ同然で持ってきたというような話をしていた。着物に似合うから是非などと。ちなみに、件の若女将(アメリカ人)はいつも着物で店に出ている。


ほお、こりゃいいな、と思って帰り際、レジに立つ若女将(アメリカ人)に「いいですね、あの傘。僕もああいうの欲しいですねぇ」などと言ってみた。


特に何か返ってくるとは考えず、言ってみれば「いい天気ですね」ぐらいのつもりである。

まかり間違えて「月が綺麗ですね」と言おうものなら、「昼ですよ?」と来ただろうが、それは措く。



期せずしてこう返ってきた。「お似合いですよ」と。


一瞬我が耳を疑った。酔っているから引っくり返っているのかもしれない。


ではなく。

若女将(略)が続けて、「着物で歩かれていませんでしたか?」という。英語ではなく、流暢な日本語である。ご安心を。


「ええ、基本的に夜ですが、たまーに昼間も歩いてる時がありますよ」


「写真に写られてましたね。それを見たんですよ」などという。



どこの写真かは結局判らない。もしかしたらポスター貼っている二件のどちらかに行ったのかと思ったが、今のところ不明である。(後述するが、片方はなかった)

ポスターではなく、沖縄そば「和」のイベント写った時のものが公開されたとか、たまに「一緒に!」とか「撮らせて!」というのがあったので、その繋がりかもしれない。

でなけりゃ勘違いだろうが、初対面ならともかく、何度か顔を見ているので、間違いでもない気がする。

妙な縁(他の客から手紙をもらったり)のある鰻やである。


それから、母親にユキヒョウを見せに行って、茶を飲んで駅で分かれた。

単に子供の顔を見に来ただけのようである。後は、子育ての時の環境やら心境を述懐していた。「もう少しこうできたかもなぁ」という風である。

何事かは感じているようである。そういえば、「子供には、自分の親から受けたものしか渡せんのや」という風なことを言っていた。

そこでながされちゃぁおしめぇよ!と、言っても仕方がなかったが、理解しなかった。



帰り、鰻やの話が気になったのと、動物園で小一時間ほど昼寝をしたので眠くなくなったのでもう一杯ということで、染井に行って確認してみたが、「いたかなぁ」と首をかしげていた。

どうやらここでポスターを見た、というわけではなかったようだ。でなけりゃ営業トークだな。



鰻やで掴み処のない話を聞いてしまうとは。鰻も鰻冥利に尽きるものよ。食われてしまったが。


そんな掴み処のないというより掴む気のない酔っ払いだが、次のラヂヲの予定は掴んでおいたので、お報せする。



新生ウヰスキーの時間は、来る六月二日に公開予定である。何時、とは言わない。いつもの調子だったら二日の深夜から三日の早朝とかいうのを指すかもしれないが、ともかく六月二日ということで。

では、また。

アンジョー・ヤスオの結婚式

2013-05-17 | 雑記
このたび 私たちは結婚式を挙げることになりました


嘘である。


先日の予告ラヂヲと(分量配分的に)偽った中で、兄貴の結婚式への出欠について語った。飲みながら。


飲んだ勢いで啖呵切って、売り言葉に買い言葉になった、ということはないのだが、「料理をビーガン対応したら、スーツで出てくれるか」との問いにまだ返事をしてなかった。


一日経った昨日の夕方、メールを返した。


「料理は副次的なもの。本来の目的は着物で出席することである」とメールしたら、後でメールは返ってきていた。


お前は嘘をついたのだな?常識を無視しやがって!母親に謝れ!という風な内容であった。


母親に謝れというのは、まだ腹が決まってなかったときに「しゃーないからスーツ着る」と言ってあったからである。

母親に相談したから伝わったというわけだが、しかし、これは母親の結婚式だったかな?とも思うわけで、それなら主役の兄貴に話を通すのが筋であろうと考えたからこそ言ったのだが。



料理については、あまりしたくないから食ってやってもいいとはいえ、「残すという選択肢がある」、とは向こうも言っていたこと。


それに、究極の目的がグラハム博士のフルータリアンダイエットに根ざしたもの。

浮く浮くと憂いた顔でものいう人間には、到底受け入れられない浮き具合であろう。

それなので、料理については早々に副次的な目的として、半ば策略に使ったわけだ。どちらもやりたかったことだが、優先順位は着物が上だったというところである。


ともかく、あちらから「お断りだ」と言われたということである。


それはさておき。


何がこんなに結婚式に出るのを嫌だと思わせたのか?


兄貴が嫌だから?結婚式なんぞ馬鹿げてるから?それもある。


だがしかし、それじゃいつまで経っても判らないので、もし自分が結婚式をするならば、と考えてみた。相手がいようがいまいがやらんがな。


兄貴のようにホテルの宴会場を借り切ってやると。

で、招待状を「来て欲しい人」(ここ重要)に送ったと。

すると、所謂わがままを言う相手が現れたと。

なにを言っているのかと。

料理を変えろだとか、好きな服で出席させろというわけである。


実際にそんな立場に立たないと判らんといえばそうかもしれんが、こういうところ。

「わしはお前さんに来て欲しいから、お前さんの好きなようにして欲しい。だから、料理も変えさせるし、お前さんが恥ずかしいと思うかっこうでなけりゃ、仕事帰りに寄った感じでも構わない」と。

そんなことを考えた時、ハタと思い至った。


先日のラヂヲといい、その後のちと問題ありげなメールの返信の後といい、何か妙な感じがあった。

夜、電車に揺られながら、「もしかして出席したかったのかな?」と思ったりしたが、よく判らない。

飲みすぎて胃が荒れて気分が悪いのだ、というのは冗談である。

で、上記の想像を始めた。


そして上記に思い至ったとき、本当は、着物も料理もどうでもよかったのかもしれないな、と。


「着物で出るぞ」と言った時に、こう来ることを期待していたのかもしれない。

「親や親戚が文句言うかもしれんが、来て欲しいから、俺は構わないよ」と。

そうしたら、スーツで出てやってもよかったんだろうな、と。料理がそのままならほぼ食べなかったろうが、酔ってそのまま食っていたかもしれない。まあ、それはそれで。


結婚式の話をする母親の言といい、兄貴の言といい、違和感しかなかった。


ラヂヲで言った内容だが、ええっと、最近、ファンブログをやってくれている方が、抜き出してくれていた。

ありがたい。このような酔っ払いの話を熱心に聞いてくれると・・・お酒が進んでしまう。

む?今見たらタイトルが変わっていたぞ・・・。まあいいや。

さて、こうである。

「みんなをもてなしたい」って言いながら・・・ほんとは全くもてなす気なんかなかったんだよね。
さっきも言った通り、もてなしたかったのは世間の目なんだよ、ね。
僕もそういう兄貴にいろいろと説教されながら生きてきたんで、世間の目を気にしすぎるところはありましてねえ、うん。
・・・で、気づけばちょっと人目を気にしなさすぎるようなところになっちゃいましたが。

外れてみて分かるという本筋もあるんじゃなかろうかとね。



世間の目からしかものを言っていない、というのをずっと感じていた。


つまり、わしに対して誠意のある言葉がずっと聞こえなかったし、結局出なかった。そういうことである。


世間の目というものから言えば、我が兄とやらは実に誠意ある対応をしているというところだろう。

だが、それだけである。


わしを見ずに世間の目とやらに向けて誠意ある対応をしているだけだったわけだ。


こちらに誠意を見せていない(見せているとしてあさっての方)か、ないのなら、こちらも見せないし、ない。


そういう手合いにこちらだけ誠意を見せるのは、徒労というもの。

兄貴に誠意は有りや無きや?それを見極めたかったがための反発だったのであろう。

そして、なかった。無意識に期待していたのだろう。架空結婚式で描いたあの言葉を。


ともかく。

元から気が進まない理由がはっきりしたし、お墨付きも出た。

昔なら、ああいうメールを送られただけでも怖かったものだが、今は滑稽である。

こっちは真っ直ぐ相手に向かって話しているが(敢えて言えば、斜に構えている)、向こうはどこか別の方を見続けている。

こんな滑稽な話はあるまいて。



ところで、知人にこれ以前の兄貴とのやり取りを伝えたところ、こういう兄貴評が。

「意外と気のちっちゃい人」

いや恐れ入った。


気が小さいから、こっちを見てなかったわけだな。うむ。



さて、先日のラヂヲ、本来は宣伝なのだが・・・。


為清氏までもが酔っ払いの話を最後まで熱心に聞いてくれ、しかも内容(酔っ払いの話自体)に関わる内容を載せている。

以下、そっくり持ってくる。書くまでもないので、こちらへのリンクは取っ払った。



リニューアル予告は最初の20分程度まで、それ以降は酔っ払いの「もてなす」と「世間の目」の話。


大辞林 第三版 (三省堂)

もてなす[持て成す]

( 動サ五[四] )
①御馳走を出すなどして,心をこめて客を接待する。 「客を-・す」 「手料理で-・す」
②人を取り扱う。待遇する。 「丁重に-・す」
③うまくとりなす。 「世の覚えはなやかなる御かたがたにも劣らず,何事の儀式をも-・し給ひけれど/源氏 桐壺」
そうであるかのようにみせかける。外見・態度をとりつくろう。 「小舟に乗せ奉り,御上に柴をとりつみて,爪木の舟の如くに-・し/保元 中」
⑤取りあげてあれこれと問題にする。もてはやす。 「鎌倉の海に鰹と云ふ魚は,かの境ひには左右なきものにて,この頃-・すものなり/徒然 119」
http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?search=%E3%82%82%E3%81%A6%E3%81%AA%E3%81%99&match=beginswith&itemid=DJR_motenasu_-010



ご注目。丸4の段には強調が入っている。これは原文どおり。



面白かったので話をしてみたところ、「お兄さんに一杯食わされましたね(笑)」とのこと。


ラヂヲで言った「世間の目をもてなす」というのは、つまり、相手に誠意を見せているかのように振舞っているだけ、ということである。

天晴れである。どんどん「もてなす」がよい。



人へ本当の誠意を見せることが出来るというのは、己自身に誠意を見せ続けて来たからである。

同じく己に誠意を見せ続けてきた人間は、それに必ず答えるであろう。

これは自分自身への問いかけでもある。「己は己自身に誠意を見せ続けて生きているのか?」と。


耳が痛くなる。耳より胸か。これを言い換えれば「今を生き抜く」なのだろう。


わしが今を生き抜いている、とは断言しない。寧ろ兄貴に近いからだ。


だが、今気付いたのなら、今その選択肢を掴み取ればよい。それだけである。では、また。




ラヂヲ これからのウヰスキーの時間

2013-05-16 | ラヂヲ
これからのウヰスキーの時間は・・・なんと!ウヰスキーでなくなる。


あんまり意味がない冗談なので、早速本題に入る。



先日終了した、フレンズ歯科特番の詰めの前後で色々と議題が沸き起こり、そして「番組を改変しよう」となった。



これからは一人で作るわけではなく、色々な方の(まあ、元々人の手を借りてるんだが、直接に)手を借りることになり、また、内容も延々一つのテーマを話し続けるものではなくなる。

中ですぐに話にしているが、特筆すべきはBeyond 5 Senses の為清氏にこれからは陣頭指揮を執っていただくことになった。光栄至極である。いやはや。


端的に言えば、もう少し番組らしくしよう、というわけである。


さて、その内容の概略のようなものと、予定のネタに少々触れてみたりという宣伝ラヂヲをご覧いただこう。

ただし。


本題たる宣伝そのものと言える部分は最初から20分程度なので、それだけ聞ければ十分というかたは、そこで引き返すことを推奨する。


なぜならば・・・。酒が進みすぎてやらんでもいい話をしている。

熱心に我がブログを読まれている方には、「もしや、あれか・・・」と思われるであろうネタ、とだけ申し述べておく。

あと、冒頭のネタが古すぎる。どうしても駄洒落はやめられぬ。これを酔っ払いきる前から考えていたのだから、元から酔っているようだ。


【宣伝は最初から20分程度】ラヂヲ ウヰスキーの時間 溜飲を下げる



皆さん、くれぐれも飲みすぎにはご注意を。この間なんか・・・いや、なんでもない・・・。では、よろしく。




※追記

なんと、いきなりひどいミスを。提供で掲げた「Beyond 5 Senses」のつづりがなんと、「Beyond 5 Seses」に。

最後のNHKの終わりみたいなのをテキストを組み合わせて書いた部分にも同じく「Beyond 5 Seses」に。

腹掻っ捌いてお詫びを・・・するのは無理なので、腹抱えてお笑いください。

おまけのおまけ

2013-05-13 | 雑記
先日公開した、フレンズ歯科特番のおまけ。

この最後で、挨拶を吹き込んで流したのだが、その際にBGMを入れておいた。

話が変わるが、最近、ファンサイトなるものを作って、応援してくれている方がいる。

このBGMがお気に召したようで、コメントで質問されていた。

ついでだからというわけで、記事にして紹介する約束をし、そして今書いているわけだ。


ブログを閉鎖予定のきみしぐれさんのご子息は、クラシックギターを演奏している。素人が物好きで弾くのではなく、指導を受けているそうな。
ちなみに、彼のブログはこちら。「~ フルタリアン高校生の大趣味公開大会 ~

実は・・・あの曲はきみしぐれ王子が作曲及び演奏したものである!



というのは勿論冗談である。真に受けないように。どう聞いても一人で演奏ではないし。






さて、この曲だが、何かの拍子に見つけたもので、すぐに気に入った。何かの拍子には違いないのだが、好きなもの関係というので、不思議ではある。


では、まず曲を紹介する。こういうものである。流したときのも、ここからお借りした。


インスピレイション-鬼平犯科帳 ED


ジプシー・キングスというバンドの手になるものだそうな。アルバムにも収録されているそうだが、この曲だけインストゥルメンタルで、異彩を放っている。


タイトルを見ていただければお分かりかと思うが、なんとこれは、時代劇のエンディングで流れるのである。


こういう感じで曲が入り、エンドロール中に流れる。




いい雰囲気である。鬼平見たくなるね。


問題がなければ、これからは終わりに流そうと思っている。正真正銘のエンディングテーマだから、終わりにはピッタリである。
鬼平犯科帳のテレビドラマのことを知っている人が聞いたら、エンドロールの背景を思い浮かべるだろうが、こちらはバーの背景である。
そんでもって、こちらは和装でラヂヲである。合っているんだか合っていないんだか合わせたのかなんだかよくわからなくなる。

ともかく、この曲は気に入った。


何かの拍子に見つけたと書いたが、鬼平犯科帳で登場した料理を再現するという動画のシリーズがあり、小説にこういうの出てたなぁと見ていたら、関連リンクで見つけた。

昔、池波正太郎の『鬼平犯科帳』を集めていたことがあった。何かしらないが不意に思い出して、動画を見つけたというわけである。鬼兵はかっこいいなぁと感じることしきりである。



さて、これからのラヂヲ「ウヰスキーの時間」だが・・・。


後日、これからについての告知を中心としたラヂヲを一本打つ予定である。お楽しみに。

ラヂヲ特番 おまけ

2013-05-10 | ラヂヲ2
少し予定から遅れてしまったが、フレンズ歯科でのインタビュー前後に収録された、雑談及び鼎談部分を公開へ。


テーマに沿ったものではないので色々と話が飛んでいるが、どれもこれも興味深い話である。


では、ご覧戴きたい。

【ウヰスキーの時間】フレンズ歯科特番 おまけ



おまけというべきか、いつもどおりチェイサーにしようか少し悩んだが、おまけとした。

一部、インタビュー収録分でカットした箇所も含まれている。内容に大きく関わるところではないが、一応。


ここまで遅くなってしまい、視聴者の皆様や、関係者各位にはとても迷惑をかけてしまった。申し訳ない。


では、また特番、もしくは本編のラヂヲで。



「私には発泡酒です」

2013-05-06 | 雑記
昨日のことだった。自宅に居ると、ケータイにメールが届く。


ラヂヲの編集をしていて、すぐには取らなかったのだが、弟からだった。


「兄貴の結婚式には出るのか」と。


多分出ると思う、で返信し、また作業に戻ったら、すぐにメールが返って来た。


なんでも、「嫁と子供に会わせたいからよかった」とのことである。



読んでこう思うわけである。



会わせたところでどーするのかと。


次に会うのは五十年後かもしれませんがよろしく、と挨拶すればいいのかと。



結婚式とやらで結びつくのが二人の身体なのか、家族とか言う集合体の想念に惑わされたマインドの結合なのかしらないが(恐らくこちらである)、どうにも嫌な予感がしてきた。



子供というのは可愛らしいとは思う。子供が無邪気に遊んでいるのを眺めるのは実に喜ばしい。

キセルにタバコを詰めるときに近寄ってきて、珍しそうに見るので、「こうなっててな」と説明するのを見ている子供を見るのもまた楽しい。

店内を練り歩く子供を抱き上げたらちょっと嫌がってたようだが、力尽くで逃げなかったので、それほど嫌ではなかったのだろう。

そんなことをしていたら、店員のお嬢さんに「子供好きなんですね」と言われたりする。「酔っているから」と訳のワカラン返答をしておいた。



そんなわけで、子供が子供単体で対峙するのなら、こちらも構えず相手にするだろう。何を構えるのかしらんが。



弟は、肉親として子供を見せたいわけである。そうしてお互いに喜び合いたいのだ。

それが余計である。

一々宣言してもらいたくない。兄貴の結婚式に出るのは多少発想の転換で、見聞を広めるつもりで見に行こうかと思っていたが、こうなるのならやめておいたほうがいい。

そもそもが、結婚式とやらが件の弟が家族にあわせたがっているのと同じ意味であった!



家族というのを工場とするなら、血のつながった存在というのはその工場内の同じ区画で作られた製品である。

箱詰めされて隣り合ったビール瓶がお互い誰に飲まれたかを報告しあうかと、思ってしまうわけである。

ビールを飲むときに、それを作った工場に感謝するのか。「何事にも感謝」といってはそういう想像を膨らませる人は放っておくとして、工場長が知人だとかいうならまだしも、それでもビール自身とは関係ない。

同じ工場で出来たビールだからと言って、黄色いのと黒いのを一緒くたにするのか。それならまだしも、ビールと発泡酒を同じにするか。同じ工場で出来たからと言って同じではなかろう。


ビールに発泡酒を混ぜるというようなつまらない真似をしようとしていると、感じている。混ざりに行こうとしていたわけだ。



不味かろうが美味かろうがビールはビール。その発泡酒とやらが仮に美味かったとしても、不味いものを美味くしに行く必要もない。ごまかしである。

変な言い方だが、不味いからこそのこのビールである。不味いとか美味いというのも人の評価である。好きか嫌いかというだけである。


最近の発泡酒のCMで「私にはビールです」とやっているが(電車の広告で見た)、発泡酒は発泡酒である。



今回は混ざりに行くとはっきりではないとはいえ言ってしまったが・・・。混ぜるのは今回切りにしてもらおうか。


招待状は、Yes or No としかない。


かつて、釈迦は約束をしなかったそうだ。

仮に行くと約束して、道がふさがれたり、唯一の橋が崩れていくことが出来なくなる可能性というのは今よりもあったろうが、行けなかったら嘘になる。

本当に行けなかったら断るのだが、もし行ける可能性が高い場合なら、「行きます」などといわずに沈黙で持って返答(なるべくなら行くつもりである)としたそうである。



釈迦とは事情が違うが(多分とはいえ行くつもりとは言ってあるから)、古式に則って(ないが)、招待状の真ん中に丸でもつけて返送しようかと考えている。




さて、長々と書いたが、質問は簡単である。その答えも簡単である・・・。



「安生は兄の結婚式に出たいのか出たくないのか」



これに簡単に答えを出そうとしないのが、今を生きていない証拠である。


出たくないけど・・・である。出たくないんだろう?ならば・・・。


そこでこう考えてしまうわけだ。母親曰く「親戚が・・・」などと。


親戚が困ったところでわしは困らん。困ったところでその場限りである。その場限りにしない奴らは頭が腐っているだけの話である。

困ったら腹切って死ぬつもりだとしても止めはしない。



強制参加ではないから、建前とはいえ、「ご自由に」である。自分で自分の自由を止めるのはひどくふざけた話である。



「なるべくなら出ないつもりである」として、「ご出席・ご欠席」の真ん中の・に丸をつけて送ることにする。

欠席よりに丸をつけるとかどうだろう。


あいや、欠席に丸だな。ビールを飲んでいる途中に発泡酒を注がれるというような無粋なまねはしたくない。

というわけでビールでも飲んでくる。では、また。

君臨すれども統治せず

2013-05-01 | 雑記
来月、兄が結婚式を挙げるそうな。招待状が届いていた。



まだ返事は出していない。一応出てやるか、という風な気分ではあったのだが、やっぱり辞めようかとも思う。

せめて出席するなら着物で行きたいところだなぁと、考えていたが、向いているものを持っていない。

列席者用の着替え部屋があるので、そこに洋装の礼服を持っていって着替える手ならどうだろう、などと妥協案を考えたりしていたわけだ。


兄が嫌いだとかいうのもあるが(通り越して興味ない)、それよりもなによりも、肉親やこれから親戚になる人間とやら(これまた興味を持てそうにない)が集まってなにやらやっているところに行って、ただ坐ってつまらない話を聞き、挨拶したりされたりするわけである。そうなると思ったらそうなるので、そうに違いない。

興味を持ちたくない人間の周りに集まってこようというのである。そんな中で宝探しをしようというのなら、その労力はまだ見ぬオーパーツを掘り出しに行くのに使うほうが建設的である。

さして興味もない話を、さして関係ない存在(わし)に向かって(あちらはそう思っていないかもしれないが)、やりあって、むなしさを広げるだけなのである。

かつて、ラヂヲで言ったが「結婚式は、奴隷の再生産儀式でしかない」のだ。



結婚式なんぞ単なるしかつめらしい儀式である。結婚しているという証は役所に出す紙切れ一枚だけである。「辞めます」と同意して破棄すれば結婚していたことがある、になる。


本当に二人が結婚とやらをしたというのなら、周囲に弁明する必要などないのである。すればするほど溝が深まるであろう。つまり、本質的に結婚(社会への弁明以外で)がなされていないのなら、ただただ、奴隷への道を突き進むだけである。



それはさておき。


嫌だ嫌だと駄々(駄々というのは一般的な話ではある)をこねても仕方がない。ここは正直に「行きたくないので出ません」とやるか。

嫌なものを無理矢理出たところで、お互い気分が悪くなる。もしくは・・・この先は冗談込みである。


結婚式に出るには出るが、兄のだとか肉親のだとかと思わないで、通りすがりでも入れる結婚式にでも入り込んだと思って、他人の振りをして遊んでみよう。

「いやぁめでたいですねぇ。どこの誰とも知らない人の結婚式ですが、実にめでたいですねぇ。」と。どう見てもケンカを売っている。


かつて、イギリスの王にドイツ人が選ばれ、そいつは玉座に座り込んだのはいいもののドイツ語しか判らないので、統治は当地のものに任せていた、などという。

これがイギリスの伝統になったようで、「君臨すれども統治せず」と言い習わされてきた。

これをもじって「出席すれども参加せず」とやろうか。「出席するとはいったが、式に参加するとは答えていない」と。やっぱりケンカを売っている。


出席はしたが、気分が悪くなったので帰ると。これはどうか。嘘ついても仕方がないか。




さて、冗談はまた後でやるとして、行きたくないことを表明しながらも何ゆえ行こうとしているのかという話を少々して、終わりとする。



これが例えば、弟の結婚式だったら嫌だったか?もちろん、結婚式自体嫌なので、行きたくない。そんな時間があるなら「染井」で飲んでいる。

友人とかそういう親しい相手のささやかな結婚式だったらどうか?親戚だとか関係ないのを排除して、ごく少数の集まりでやるならどうか?

これならまだマシであるが、結婚式は以下略。よし、せめて「染井」の大宴会場でやろうか。


おっと、また冗談染みて来た。



話を戻す。

親が煩いのである。特に母親。実際、メールで「行きたくない」と冗談気味に書いたら「相手の家の人の目もあるから」などとのたまう。


そもそも、目の前にいないものの目を気にしたところでなんともないはずなのだが、やはり人間、ないものに惑わされる。

実際、見られているからなんだ、ともいえる。結婚式とやらで出くわす予定だったのにいなかったら相手方もどうこう言うだろうが、仮に結婚式とやらの前までに、街中でその親戚になる予定の人間と知らず知らずすれ違っていたとき、気になっていただろうか。

なってやしない。


有るものを無いと思い、無いものを有ると思い込む。これを幻想というのである。



幻想だから、兄貴の結婚式なんぞ正式な手続きで持ってボイコット!というのもありと。だが、他の幻聴が出てくる可能性を考慮して、というわけだが、これも言い訳に近いか。


母親が煩いからというのも幻聴なのである。いや、実際に聞こえているんだが、それに無駄に振り回されるというのが、自分自身が幻想に囚われているという証左である。


五里霧中というが、そんな中あてども無く歩き回ったり、必死に霧を追い払おうとするのは苦しいだけである。

そういうわけで、同じ幻想なら、しんどいと思うように行動するのは辞めようと思ったのである。


ただ、今回の幻想はやはり予定立てて包囲してきたものであり(葬式とは違うから)、むやみやたらともがけばうっかり崖から転落の可能性もある。幻想の包囲網は、こちらが挑発に乗って動き回るのを見越しての策を取っている。


行きたくないから突っぱねる、だとか、なにやら嘘ついて撤退するというのも、やはり向こうの策の内のような気がする。(判ると思うが、別に個人がどうこうしてくるという意味ではない)
つまり、霧のど真ん中から外に出ようと走り回って、疲れ果ててしまい、こちらの負けになる。


霧だけを見ているから、どうしたらいいか混乱するのである。霧のど真ん中に坐ってぼんやり眺めていれば、怖い理由が霧にないことが判るだろう。その霧が吸血鬼の霧でもなければ、何もしてこない。霧状の吸血鬼も何か出来たかどうか。

「今日の朝靄は綺麗だなぁ」と、すっとぼけようと思ったのである。なにを言っているか意味不明だが、霧の中に入って霧だと思わないことにする。今回は霧(結婚式)に囲まれているなと自覚したわけだ。

霧が靄になり、その靄も晴れればしっかりとした足取りで家に帰れるであろう。では、また。


ラヂヲ特番 一杯目四口

2013-05-01 | ラヂヲ2
予定通り、五月頭の公開となった、フレンズ歯科特番第四回目。


これにてインタビュー本編は終了となる。


内容は、今後の方針について。


歯科医がフッ素を使うのを止めるというのは、癌治療をしているとかいう医者が抗癌剤の投与を止めるのと同じといえるのかもしれない。

抗癌剤がなくとも、どてっぱらに穴を開けたり、放射線を照射したりはするだろうが、それは気にしない方向で。



では、インタビュー第三回目をご覧いただきたい。


【ウヰスキーの時間】フレンズ歯科特番 一杯目四口




さて、以前から告知してきたとおり、この次からはインタビュー本編から外れたものをご紹介。

特別ゲストとして、THINKERの鶴田氏及び、ディレクター兼音声を担当されていた為清氏を交えての鼎談である。


少々音声解説を前に入れたりするとしても、ノーカットで出すのが一番早いのだが、はてさて。後になって聞くと危なかったというものもあるかもしれない。

予定としては、ゴールデン・ウィークとやらが終わる前後には形を作っておいて、出演者の方々による確認及び手直し、そして公開となる。


では、また暫しお待ちを。