ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

休養

2011-01-30 | 雑記
数日前に、久しぶりにある人物に電話する。今度の日曜日に昼飯を食べに行こうではないかと。

ただ、日曜日は急用が入ったりするからわからない、と言っていた。そして先日、夜勤前でぐーぐー寝ていたら、寝ている間に電話してきていた。起きて気づいた昼過ぎに電話すると、「たぶん寝てたと思ったけど、変更できるなら今日の夜勤行く前にできないか」とのことだったが、お互いわかっていたので明日また連絡するといって夜勤に出た。


そして今日の朝、着替える前に電話をすると、向こうは寝ぼけた声で返事をした。たぶん今日は寝たがっているだろうなと思ったら案の定、そうなった。あざらしはゴロゴロすべきときにしていないと動けなくなるだろうから仕方ない。


というわけで、いつもどおり一駅前から歩いて帰ることにした。ついでにPCのパーツを覗いていったが、最近出た、価格と性能のバランスのよいグラフィックボードが意外と安く置いてあるのを見た。他社の同じ製品と比べると安かったり、中身を改良して大きさや消費電力を抑えたりしたパーツをよく出すメーカーなのだが、ドスパラにしかない。つい買ってみようかと思ったが、そんなことをすれば財政が破綻するぞ!と考え、止めることにした。


高尾山を登ってからもう三日ほど経つのだが、しばらく歩けば左足の甲が痛くなる。明日や明後日も痛くなるようなら、少し歩くのを控えようかと考えている。やはり高尾山は高かった。


昼飯を食べに行く話がなくなったわけで、近所にある、日曜だけ営業するクレープ屋に立ち寄った。果物は嫌いだといいながら、中身はブルベリーだったりするのは気にしてはいけない。

年末年始の休みも挟んで一月近く経ってたが、受け取りの際に「いつもありがとうございます」といわれた。もう顔を覚えられたかと思ったが、人の群れが列を成すような勢いではないので、然も有りなん。

自分の前に女性が一人、出来上がりを待っていたが、車で来ていたようだ。街中だったら違法駐車で切符を切られそうだが、そういうのもない。のどかだ。


たどり着いて早速食べてしまったが、こういうことを書くのなら写真を撮ればよかったのではないかと、ここまで来てやっと思い至った。どうやら腹が減っていたらしい。仕方ない。


と、いうわけで、脈絡もなく動画を公開。

終わりに前回で写真を見せたアレの最初のステージのダイジェストを作って予告とした。予告といってもいずれやるかもという宣伝である。やるかやらないかは神のみぞ知る。

四十三発目



撮影分が尽きたので、続きを撮らないといけなくなった。見てる人も飽きてきてるんじゃなかろうかと思うが、最後まで続けようかとは思う。ちと冗長になってきたので端折っていくかもしれないが。では、また。

ISHIMURAから

2011-01-28 | 雑記
およそ一年と少し前、バットマンの動画のエンディングでリクエストを募った所、やりたかったのだがすっかり忘れていたゲームを提示された。

その名は「Dead Space」。敵も主人公も血みどろのグチャグチャになるせいか、日本やドイツでは正式に翻訳されたものが発売されることがなかった曰く付きの品。

それを購入してからおよそ一年が経った。新たな戦いが、戦いというより地獄が幕を開いたようで。「Dead Space 2」(リンク先は英語)がついに発売された。

動画にするのが早いといえば早いのだが、別の分もあるので、おまけでちょっと収録するかもしれないが、とりあえず写真だけごらん頂く。
小さな写真(サムネイルという)をクリックすると、本来の大きさの写真が現れる。ただし、ワイドスクリーンの大きさ一杯で撮影したものなので、お使いのモニターによっては入りきらなかったりする。ご注意を。


アイザックさんの素顔と立ち姿。



あまり戦闘シーンは撮れなかった。一度動画にしておけば細かく撮れるが、気にする人はたぶん少ない。



艦内で指名手配中の模様。



怪しげな雰囲気の広場。



この先は感想になっているので、どうでもよい人は無視すること。


しばらくプレイをしたが、PCのスペック要求は前とあまり変わってない(というかまったく同じレベルだった)のに、一段ときれいになった気がする。とはいえ、以前のモニターとは違う上に、あの時は動画撮影用に解像度は下げていたはず。おそらく、同じかそれ以上になったと思われる。家庭用ゲーム機二種類のほうも安心できるレベルになっているのかもしれない。

ストーリーは、先ほどどこかで読んだところによると、主人公は前作の事件の時の記憶がなくなったとかいう話だった。それだけではないかしらんが、顔つきがちょっと違う。前より若返ったような印象を受けた。

始まってすぐに窮地に陥って走り回ることになるというのは前作の時と同じ。ただ、前より脅かすところが増えているのと、化け物以外の姿(生存者がいるがほとんどがどうなるかはお察しください)や、さらに派手になった演出による窮地の脱し方など、予想通りだったとはいえ、怖くなっている。ちょっともたつくと死んでしまうところも増えたような気がするが、その辺りはゲームということで。
あと、前作はエンジニアという設定らしいところがなかったな、と思い出させるところがあった。機械に手を突っ込んで微調整してコードを切断するという、プレイ側の操作が必要なミニゲーム的な障害があった。なんとなくエンジニアっぽいと思ってしまった。

前作のPC版は、マウスでの操作をわざとしづらく作ってあったようで、歩いているときのカメラの動きと、武器を構えた時のカメラに違いがあった。今回はそれがなくなって、PC向きのデザインになったという。簡単になったかと思ったが、さすが今回は舞台が広いため、敵が押し寄せてくることがあり、油断するとあっという間に殺されてしまう。この辺りはマウスでの操作向上とを併せて鑑みて、丁度よい難易度になったのではないかと思った。

今回は面白いことに、オンラインでのマルチプレイが出来るようになっている。主人公とほぼ同じような武装の人間側と、ゾンビもどきのネクロフォームに分かれて陣取りゲームのような感じで争う。

最初はどちらかで一ラウンド終わったら次は残りの側で、とやるのが一セットらしい。

詳しく言うと、人間側はバケモノの邪魔にめげずに、敵が防衛している破壊対象を目指す。反対にバケモノは破壊されないようにがんばって人間を撃退する。それぞれ時間内に達成出来たほうが勝ち星を得る。

似たようなゲームはいろいろあるのだが、今回初めて触れた。バケモノになって人間に殴りかかっては殺されてリスポーンポイントから出撃しては殺して殺されて、というのは意外と面白かった。普段無慈悲に撃ち殺している側の気持ちが痛いほどわかった。バケモノ側は四種類から選べるのだが、復活のたびに違うものを選べる。ただし、復活までの待機時間がそれぞれ違う。

プレイが進めば、人間側の装備品を取り替えたりできるようになるとはいえ、本編と同じようにネクロフォームを撃ち続けるのではちと飽きが来る。決して新しい試みではないのだが、一つの試合にメリハリがついてよかった。気楽に出来るマルチプレイもそうだが、本編の出来も前作で慣れたと思わせないものがあり、「マルチが着くと出来が悪くなる」という最近よく見る傾向も杞憂だったのかもしれない。アマゾンあたりのレビューは見てないしあまり気にしていないが、とりあえず、無闇と心配していたのが馬鹿らしくなった。では、また。

景勝

2011-01-26 | 雑記
帰省から戻るときに、今度は高尾山でも登ってみようと思って、今日は早速行ってきた。天気もよかったが、やはり山の天気は変わりやすい。山のせいだけじゃないが、途中で曇りがちになったりしたが、最後まで雨が降るようなことはなかった。

途中まではケーブルカーやリフトでいけるようになっているが、公式ページに乗っているコースのうち、一号路を登ることにした。

ただ登って下りてくるのが目的だったので(体力測定のようなもの)あまり景色に目を配らなかったが、大きな木が茂っていて、昼間なのに少し暗い。
樹齢四百五十年ほどあるというタコ杉のほかにも巨木はざらにあった。大昔、修験者がここを訪れたとき、きっと厳粛な気持ちになったのだろうなと、思ったが腹が減ったのですぐ忘れた。

とりあえず、ケーブルカーでいけるところのすぐあたりで一望できるところがあったので、そこで写真を撮っておいた。
しかし、あまり写りがよろしくない。そして横に狭いのであまり見た風を再現できていないのが残念だ。



山頂では富士山らしきものが見えた。隣の集団のうち、ある女性が「あれは富士山だ」とか指している先を見たら、どうやらそうらしいのが見える。


降りることにして、ケーブルカーのあるあたりまで来てみたが、問題はなさそうだったのでそのまま歩いて降りることにした。降りの方こそゆっくり降りたほうがよさそうだが、ついつい勢いよく歩いてしまった。

次は登りをもう少しゆっくりして、途中にあったサル園を覗いてみようかと思ったが、この次の日が筋肉痛になるようだったら諦めるかもしれない。


帰宅し、汗もかいたので風呂に入った。入浴中、ちと物足りないのでお湯を足そうとして蛇口を回すと、お湯が出るほうの蛇口が空回りする。
風呂を出て流し台のほうも確認するが、これも同じ状態になった。仕方ないのですぐ近くの大家さんを訪ねていろいろやってもらったが、どうも給湯器の故障らしい。

高尾山はパワースポットなどと宣伝されているとはいえ、悪いほうに運んだか、と思ってみたものの、登ってきたから風呂入った後で故障したということにしておこう。


というわけで、たまっていた動画を二つほど。

四十一発目


今日もなんだか白黒なものが映っているけど気のせいです。

四十二発目


白黒が以下略


撮影した分は次で最後。そろそろ撮影に入ろうかと考えたものの、アレやらコレやらがあってPCの前に座っている時間があっても進まない可能性が出てきたが、いつものことなので誰も気にしていなかった。では、また。

海から海へ

2011-01-25 | 雑記
書くほうも見てるほうも忘れそうな勢いがあるが、帰省中の話を引っ張るのは今回で終わる予定。


さて、次の日。足は筋肉痛というより、無理な山登りで関節が痛いようだ。歩けないわけではないので、動物園を歩くのはたぶん問題ない。

ちょっと疲れたので、昨日家を出た時間近くまで寝ていた。天気がいいので、寧ろ歩くのはこの日がよかったかと思ったが仕方ない。


家を母親と共に出たのはお昼を過ぎたころだった。父親が仕事の昼休みは家で食べるつもりだったので、母親お手製のカレーを食べた。


懐かしい道を車で過ぎながら、傍らのアドベンチャーワールドの看板を見て、他には何か生まれたっけ、白熊の子供の写真が写っているけど生まれたのかね、などなどしゃべりながら向かう。ちなみに運転は母親。

子供のころはいなかったかもしれないのでわからないのだが(パンダはいた)ここは希少動物の飼育繁殖に成功している、学術的にも評価が高いところだという。

パンダはもちろん、こちらも国内では飼育しているところが数えるほどしかないコウテイペンギンの繁殖もできたのだとか。白熊の子供の写真も自前のだとしたら、和歌山とはいったいなんなのか。

子供のころは、シャチのショーをやっていたのだが、今はいないようだ。母親と話していたときにも「いなくなったみたいだ」とは言っていたし、公式ページにはイルカショーしか乗っていなかった。


入り口に近づいてきた。なにやら妙な看板がある。嫌な予感しかしないが、帰省中に「明日が楽しみだ」と書いたのが別の意味で予想通りになってしまった。丁度この日から三日間休みになっているのだそうな。他にもあとから来た車ががっかりしながら引き返すのを見た。


ゲートのほうには人が立っていた。近づいて母親はいろいろ聞いていた。とりあえず、パンダの子供の展示は午後三時半くらいまで、ということはわかった。


仕方ないので、ドライブがてら、串本のほうまで行くことにした。

串本のほうの道はひどく曲がりくねっている。山の間や岸壁を縫うように道を作っているためだが、それでもずっと昔より整備されてきてはいるようだ。もっとも、奈良方面の山奥は「酷道(こくどう)」と皮肉られるようなすさまじい国道がある。

わが弟は幼少のころ、今もかもしれないが、車でどこか出かけると気分がよく悪くなった。もともと酔い易い性質なのかもしれないが、この「酷道」も災いしていると思われる。

しかし、串本方面の海の眺めは素晴らしい。和歌山に戻ってきて何がいいかというと海である。青い海が広がっているが、人口はあまり多くない上に崖に出来た町なので、見た目は寂しいところが多かったりもする。

串本までにもいくつか町があるが、飽くまで通過点。目的は串本海中公園。子供のころに何度か行ったが、なんとなく覚えている。海中展望塔が印象的なところ。

子供のころは説明は呼んだことがなかったのだが、ここにいる海生生物はほとんど目の前の海にいるものばかりだそうな。「珍しい魚はいませんが・・・」と公式で謳うのは伊達ではない。

公式ページの紹介を読むと、珍しい状態であのあたりの海は出来ているらしい。サンゴやら当たり前にあるんだと思っていたが、そうでもないのかもしれない。


最近の水族館ではよくある、入ると館員が記念撮影をしてくれる。とりあえず、撮ってもらった。ヒゲ面だったが仕方ない。母親もあまり写りたがらないが、撮るだけなら無料ということで写ることにした。


とりあえず、撮影禁止とは書いてないので、フラッシュはたかずに何枚か撮っておいた。以下に並べる。


見たまんまのイセエビ。でかい



これは高級魚として有名なクエ。こいつは園内で最年長らしい。三十歳で体重は四十キロ、と記憶している。
ちなみに、このクエはその水槽のメインではなく、他の魚の垢か何かを食べる小さな魚の展示水槽だった。


オコゼとかカサゴ


ウミガメを外のプールで泳がせていて、砂場も用意してあり、ここで産卵するらしい。隣の室内ではコガメを水槽にいれてあった。別のさらに小さい水槽には三匹いるのだが、ここで生まれたカメのさらに子供らしい。名前が募集されていたそうだが、三匹そろって「くしもトリオ」とか書いてあった。

ウミガメの標本というか模型というか、等身大のものが飾ってあるのだが、かなり大きい。でも、外のプールで実物が泳いでるからすぐそっちを見に行った。

出入り口にガチャガチャが置いてある。カメの餌を一つ二百円で販売している。手の指の第一関節までくらいの大きさで、円筒型の緑色の固形物。ペットフードっぽいといえばいい。


投げ込むと遅れて気づいて食べに来る。一回で吸い込めず、二度三度と食らいつくやつもいた。動画でも撮れればその様をアップロードしてここに貼る、という芸当も出来るのだが、残念ながらそれは出来なかった。

水槽のウミガメはアカウミガメなのだが、一匹だけ色が違う奴がいる。

赤くないのだが、これはアルビノといって、体の色素が薄くて白く見える状態で生まれてきた個体。別に生存に不具合があるわけではないが、自然界では狙われやすいので長生きもしづらい。非常に珍しい存在といえる。
こいつだけ名前を入り口のガラス戸に貼っているのだが、忘れてしまった。某ハンティングアクション好きなら「アルビノ」と聞くと反応するかもしれないが、そんな名前ではない。コロポックルみたいな響きだったがたぶんまったく違う。

小さな水族館だが、海中トンネルもある。


ここにはクロマグロが泳いでいる。ここだけフラッシュ撮影は禁止だそうな。

抜けると売店に繋がっている。待ち構えていた館員が最初に撮った写真を勧めてきた。

売店の先は、海中展望塔に続く道に出られる。目の前は海が広がっていて、それを見るだけでもいい。


ちょっと風が強く、しかも階段や通路は網目になっていて下が見える。夏なら落ちても大したことはなかろうが、まだ水練には早過ぎる。


本来はここに館員がいて、チケットの確認をするのだが、いなかったのでそのまま通った。後で帰るときに駆けつけてきて確認するついでに、今日は普段なら通り過ぎる魚が塔周囲を回遊している、ちょっと珍しい日だと和歌山訛りで言っていた。


展望党内は、顔の一回りくらいの大きさの丸い窓を全周囲にはめてあり、そこから海を窺う。太陽があるほうを見ると海水が煌いていて、まぶしくも美しい。

こういう風景が見られる。


風景というより魚しか写っていないが、こうなる時を狙って写してみた。ちと海も荒れ気味だったので、見通しは悪いようだった。

帰りはもと来た道を通らず、三重県のほうを目指していく。この先は昔、親戚が住んでいて、夏にとまりに行くことがあった。今は昔の話で、その親戚は祖母の家で暮らしている。

三重方面から山を抜けていくと実家に繋がっている。近いわけでもないが、大して時間も変わらないのでドライブだ、ということにした。

さすがに山奥のほうは道端に雪が残っていたり、濡れていたりする。窓は開けなかったが、寒さもかなりのものだったろうと思う。


晩飯は食べに行くことになっていた。遅くなるかと思ったが、意外と早くついた。

ずっと昔に行った、寿司割烹に行ってきた。カキを頼もうとしたら、ノロの検査で引っかかって数日先の入荷になったらしい。

なんとはなしに、クエがあるというので、クエ鍋を頼んだらなかなかこない。父親が忘れたんじゃないかと言っていたが、最後に出てきたと思ったら三、四人前の鍋で出てきた。

二キロくらいのクエを仕入れていたそうで、ゆっくり使い切るのもなんなので、一気に炊き上げたそうだ。出汁はほぼ魚の味なのだが、それで十分でいて行き過ぎでもない。

クエのアラを煮てもらったが、これもまたいい具合である。少し汁をすくって飲んでみたが、魚の脂が浮いている割には(きれいな色の脂だが)さっぱりしている。魚だけでこんな味が出るのかと関心する。

普段の大きな奴のアラだと、しっかり煮ないといけないので、捨てるアクやら脂も多く、煮すぎるせいで台無しとは言わないが難しいらしい。

パンダは見れなかったが、その分は取り返したのかもしれないな、と家で桜餅と茶を頂きつつ考えた。でも、パンダはパンダ。またいずれ見に行きたい。では、また。

海へ

2011-01-23 | 雑記
前回までのあらすじ~帰省した酔っ払いは、有り余る時間を使い、懐かしい町を徘徊するのであった。


山は下りる時のほうこそ気をつけたほうがいい、と何かで聞いた気がしたが、はっきりしないなと思いながら、もと来た道を下っていく。やはり人はいない。時折強い風が吹き、木々のざわめきに少々不安を覚えた。

猿だかをよけるための発砲音が聞こえたりする。久しく聞かなかった音だ。久しすぎるので聞こえるたびに振り返ってしまう。


ようやく下山して、入り口にあったため池を見てまた不安な気持ちになる。斧を落っことしたら精霊が出てきて云々、という感じではなく、魑魅魍魎が出そうな沼、というべきか。


あんまりだらだら引き延ばすと書くほうも忘れるのでつぎへ。隣町につながるトンネルの横に登り道があり、「三栖(みす)王子社址」と書かれている。

また山登りか!と思ったが気にせず登ってみよう、と思って進んだはいいが、近くにあるのだとばかり思っていたら、見えてこない。道を間違えて農道に行ったり、心細くもなったので引き返した。

これはトンネルを抜けて坂を下ったところを左に曲がって進むと(高校に通うとき通った道だったのでそう歩いた)その先にあった。どうやら先ほどの道は山を越えてしまうほど歩く必要があったようだ。

その三栖王子社址の看板を見ると、折口信夫の名や、額田王の歌が書かれていた。ここから目指す先とは別のほうに行くと、移設先の神社があるようだった。


かつて高校に通っていた時の道は、山を削って道を大きくしてあった。病院の移転に伴い、道を整備したわけだ。その病院は、脳梗塞で父親や母方の祖母が入院した病院。

道が変わっているが、以前の道も残されている。そのまま道を下り切ると、バイパスの下に出る。ここまでくればもうすぐ海の見える辺り。


通っていた塾の前を通ったり、兄と弟が通っていた高校の傍らを過ぎて少々遠回りしながら高校のある場所へ。

自分が通っていたころは「田辺商業高校」という名前だった。何年か前に「神島高校」に改名したらしい。正確な理由かしらないが「商業高校なのになんで普通科があるの?」とよく言われるから、と後輩から聞いた。

神島というのは、田辺の海に浮かんでいるらしい島の名前。らしい、というのはあんまり聞いたことも調べたこともなかったから。

田辺に住み着いた南方熊楠がここの植生にひどく惹かれて、よく採集したとかいう。昭和天皇に標本を献上したのも神島だったとか。しかも、キャラメルの箱に入れて献上したそうな。昭和天皇は後年、「南方らしくて実にいいじゃないか」と楽しそうに語っていたという。

高校の名前が変わっているのをしかとこの目に焼き付けて、裏手に回る。裏手は海になる。といっても防波堤やら港ですぐに海が見えるわけではない。

近くに宴会場というか結婚式場というか、そういうのがあって、ここで父方の祖母の長寿祝いを前にやったなぁと思っていたら、海のほうに一直線の道がある。

その先の埠頭から島が見える。あれが神島だろうか?と、思って一枚撮っておいた。




風が強い。強すぎて電話に気づかなかったが、母親から電話があったのでかけ返すと、まだ帰ってこないようなら出かけてくるよとのこと。このまま歩いて帰るにしても二時間は軽くかかるので丁度よい。


こことは別の場所にある海水浴場まで足を運んでみた。岩石とコンクリートで波止場のようなものを拵えてあったり、合気道の創始者「植芝盛平」の銅像を見かけたりした。この写真を撮っておけば、Mさん辺りが喜ぶんじゃないかと思ったが、電池が残り少なかったので諦めた。

そこからはもう大したことがないので省略。駅前で飯を食って歩いて帰り着くと六時半ごろ。家に入る直前くらいに親から電話が来ていたようだった。用事が出来たから遠くにいるなら迎えに行くつもりだったらしい。

明日はパンダを、足が動かないとかいう状況でなければ見に行こうというわけだったのだが、前回の冒頭で言ったとおり、滞在期間ぎりぎりまで休園になっていた。さて、そこからの話はまた次へ。そろそろ忘れてきそうだが酒でも飲んで思い出そうと思う。


では、帰ってきて早々撮影した動画を。この動画にはパンダが見れなかった日の話を少々語っているので、気にしない方だけどうぞ。次回まで取っておこうかと考えたが、あんまり視聴者が被ってる気がしないので、もう公開することにした。

四十発目


なんだか妙なものが映っているけど気のせいです。では、また。





二重の帰還

2011-01-20 | 雑記
結論から言おう。パンダの子供は見ることが出来なかった。理由は至極簡単。

その日から向こう三日間閉園という。時間に余裕を持って帰省していたので、一日二日なら延ばせないこともなかったのだが、三日は高い壁だった。その日のことはまた後ほど。

ついでに、またPCが壊れたかのようになったが、もしやと思いケースを開けてみると、ケーブルが古いままだった。「念のためにケーブルも新品に」という指示をされたのを思い出して交換した。
ボタン電池もこの際換えておこうと考えて交換したはいいが、内部設定にちと手間取った。特に不具合もなく、帰省前とほぼ同じ状態になったようだ。


さて、帰省して一晩たった次の日の朝。帰ってきたときからも言っていたのだが、近所を歩き回ってくることにした。たぶん、一時間やそこいらでは終わらないであろうこと、歩き疲れたら電話して迎えに来てもらおうなどと冗談を言って外に出た。

まず最初に目指したのは小学校。同じ町内なのだが、六年生のときに隣の地区に引っ越したので、多少遠いが自分は通ってそのまま卒業した。が、弟は引っ越した地区に転校になったという、そんな小学校。

とりあえず、近所の写真。



川が見えないが川があって、向こう岸が弟が通った小学校のあるあたり。この日は曇りがちで、時折雪が降っていた。和歌山は決して南国ではないのである。


昔歩いたり自転車で遊びに行くときなどに通った道をのんびり歩く。小学校に向かう前に気になっていた場所があったので、立ち寄った。

「田中神社」という場所がある。文字通り、田んぼの真ん中にある。オカフジという固有の植物があるそうだ。認定したのは南方熊楠だそうな。そういえば見たことがなかったのと、神社の雰囲気に惹かれるものがあるので、しばしオカフジを探す。そもそもフジってなんだったっけ?と、頓珍漢なことを考えていたのは気のせい。

千葉で見つかった大賀ハスも横で栽培されているそうだが、こちらは冬には枯れている。足場を組んで観光できるように整備してあるのを確認した。また季節に来れたら見たいところだ。


いろいろ家が増えていたり、団地が移動になったり(移動になったのを知ったのは後で、その時はなくなったのかと思っていた)、小学校の体育館の改修工事を眺めながら通り過ぎていった。別に小学校に用事があったわけでもない。

そのまま山を越えて田辺まで足を伸ばそう、ついでに名前が変わってしまった出身高校まで行って海を眺めよう、とはなんとなく考えていて、実行することにした。

その前に、小学校の近くにはまた神社がある。こちらは八上(やがみ)王子社址となっている。址、というのも、詳しくは忘れたが、熊野詣でが行われていた時代はここに参詣していたようだ、という感じだったと思う。明治の合祀令のせいか、それとも長い間に忘れ去られたのか。お社と社務所も置いてあるが、人はいない。ひっそりとしている。


隣町の田辺市、いや、今は合併しているので同じ市内なのかもしれないが、山を越える必要がある。獣道を通って、というわけではないが。

登り始めてすぐ、左手には農業用なのかため池がある。少し不気味な雰囲気があり、子供のころは学校で先生に、落ちると浮かび上がってこないだとか脅かされた覚えがある。似たような別のため池のことだったかもしれないが、注意を促す看板も「一人で遊ぶな」とか「危険」だとかある。

そのため池をまたぐ橋がある。熊野が世界遺産に登録されて、観光地としてどうにかしようというわけで、看板があった。今来た道を引き返すほうは先ほどの八上王子。橋を渡ると高畑山(たかはたやま)。

小学校の低学年のころ、クラスの遠足で登った覚えがある。その遠足の道すがら、担任の女性の先生に向かってなぜか「おとうさん」と呼びかけたことがあった。先生と呼ぶところをおかあさんと呼ぶなら(相手は女性だったわけで)まだしもなぜかおとうさん。せめておかあさんと呼んで欲しかった、は担任のT先生の言。

そんな記憶が蘇ったので、立ち寄ることにした。一人で山に入るなんて、某漫画家みたいな目にあわなければいいが、ハイキングコース程度のものなので心配しすぎではある。

道は最初はこういう風だった。


車も通るのか、轍になっている。ずっとこんな道なら楽だろう、と思っていたが、途中から農道になったり、見上げないと壁を見ているような気分になるほどの急勾配が続いたり、さらに人の気配がまったくないので少し不安に駆られる。

頂上付近までくると、ゴミ箱やベンチ、トイレまである。ゴミはほとんど入っていない。最近はあまり見ない発砲酒の缶がいくつかだった。

雪も降ったり止んだりで寒いのだが、普段平地を歩くくらいの勢いで登ってきたので汗が出る。頂上のベンチに腰掛けたときが一番降っていた気がする。杖代わりに拾った枝を持って腰掛けると、狙ったように勢いが増す。なんだか銅像になった気分だった。

山頂からの景色がこれ。


この反対の景色は、遠くに海を望める。が、遮る物が多すぎてまともに見ることが出来なかった。

他には、六年ほど前に据えられた、風景画にそれぞれの名称や山の高さを書いたプレートが設置されていたが、ちと土台が歪んでいて崩れかけていた。

一人で座っていても仕方ない。次は海を見に行くのだと下山することにした。
                                    以降はまた次回

寒波

2011-01-18 | 雑記
先週末、全国的に大雪が降って、センター試験に影響がでたり、新幹線が止まったりしたのだが、西のほうはあまり関係がない、などと考えていたが、ないわけがなかった。

十六日の昼ごろから新幹線に乗り、かなり時期の外れた帰省をすることになった。

雪の中に閉じ込められるのは北だけの話、と思っていたら、直前に電話して出た母親がいうには、東海道新幹線も雪の影響で遅れが出ているという。

雪は日本海を中心に、といっている。東海道は名古屋のほうを通るから、雪の影響は京都に近づいたときだろうし、あまり影響ないだろうと思っていたら、見事一時間ほど遅れた。

目を覚ましたら、名古屋に着く直前だったのだが、一面雪景色。中部から滋賀に向けて進むときにはたまに雪景色を見た覚えがある。それでもいつもあるようには記憶していない。

ちょっとびっくりしたが、五十分ほど遅れるとは乗る時からずっと放送されている。それに眠かったので、またすぐ寝てしまった。新大阪からの乗り継ぎが気になったがどうしようもない。

結局、五十分は覆ることはなく、普通なら余裕を持って乗れる時間で取った特急席は空のまま行ってしまった。

次に天気が怪しいときは乗り継ぎは予約席を取るのをやめておこう、と決意するのであった。いや、シーズンオフだし、僻地の和歌山行きだからすぐ取れるだろうけど。

と、言うわけで、ただいま和歌山にいる。

昨日は散歩、というには歩きすぎるほど歩いてきた。朝から晩まで歩き詰めだったのは今までなかったと思う。ケータイの電池がちと少なかったのであまり撮らなかったが、いくつか写真を撮った。

今日もこのあと、アドベンチャーワールドに行く予定になっている。久しぶりに行ってみたいなとは帰ってくる時に思いつく。思いつくだけで、今まで行くことがなかったのだが、不意に母親が提案した。

散歩のような山歩きのような昨日の影響がなければ、ということだったが、問題もない。

子供パンダが生まれたらしく、可愛らしい盛りは次の帰省シーズンには過ぎてしまっている。

上野ではパンダが死んでしまって久しく見れなかったが、今度は子供まで見れる。実に楽しみである。

数日後、自宅に戻り次第、投げやりに撮った汚い写真とともに更新する予定。では、また。

予後

2011-01-13 | 雑記
だらだらしていると、昼夜が逆転してしまったので、つい「飲んで寝れば問題ない」と考えて、昨夜は晩飯と共に酒を飲んでいた。

で、晩飯も食べ終わった後も飲みつつ、いつものに顔を出していたら(物理的に顔を見せ合っているわけじゃないが)、お付き合いが長引いてしまった。

いっそのこと、残り少なかったので空っぽにしてしまったとさ。これがウヰスキーのボトルだったらそうはいかなかったが、日本酒だったのでなんとかなった。危なかった。



山田錦という、白鶴の日本酒らしい。他が千円を超えているのに、これは九百円ぐらい。これから作る晩飯も、和風の鍋物だったので、これにした。

日本酒の辛口はどんな感じだったっけ、みたいな考えがあって、辛口を選んでみようと思ったが、これも辛口と書いていたのも選んだきっかけだったはず。
改めてラベルを見直すと、辛口と普通の間くらいに印がついていた。次はもっと辛いのを選んでみようかと思ったが、極端なものは置いてなさそうだ。


で、飲んだ後はお茶漬けでしめる、とはそのとき思わなかったので、今日がお茶漬けになったのだが、うっかり写真撮るのを忘れてしまった。思い出したのが食べ終わってから。

クックパッドだったか、料理のレシピの投稿サイトがある。お茶漬けに作り方なんて、と思うが、物によっては手間をかけるだけでうまくなったりするもの。

特に惹かれたのが、刺身の残りを使うもの。残りでなくてもそのままでもいいんだが、刺身を使うと思えばよい。

刺身をヅケにしたり、醤油を塗したものを乗せて、薬味を乗せる。小ねぎの小口切りをたくさん乗せるだとか、ゴマのペースト使うだとかいろいろあった。

とりあえず、さっき食べてしまったものを書くと、

まず、魚は刺身に向いた奴だったら何でもいいらしいのだが、旬なのでブリを買ってきた。
こいつを切って醤油をつけてご飯に乗せる。小ねぎの小口切りをたっぷり、大葉を何枚かとおにぎり海苔を一枚をちぎって乗せる。最後にチューブのわさびでよいので、わさびを真ん中に添える。
こっちもお好みで、熱湯かお茶、沸かした出汁をかけて完成。

醤油は、場合によっては足りなく感じるかもしれないので、茶や出汁をかける前にお好みで加えるとよい。


で、気づいたら食べてしまった。腹が減っていたとはいえ、うっかりしていた。



というわけで、食い物の話は終わり。

動画を撮影した日に全部まとめておいて、数日にかけて出そう、と思っていたが、来週はもしかしたらちょっと帰省するかもしれないので、今日と明日で一気にだすことになりそう。


そして、その今日の分が以下。
三十八発目



さすがに、解像度を落としてやっているとはいえ、プレイしているときは画面全体に引き伸ばされた画面。プレイに大きな影響は出ないが、以前ほどどこでもほぼ滑らかに、という状況は厳しいようで。
ゲーム内で処理が重いところとそうでないところの差がはっきりしてきた、という程度のものなので、移動も狙いをつけるのも困難、という状況でもない限り問題はないといえる。では、また。

飲み始め

2011-01-11 | 雑記
嘘だ毎日のんでるくせに。と言われそうだが、毎日飲んでいるときもあればたまにしか飲まない時期もある。

四日の顔合わせ会で飲んで以来、飲んだ覚えがないので、久しぶりに「和」へ。年始はしばらく休みだったので、ほんとに久しぶり。


暇だったからと家でごろごろして、気づけば昼前になっていたので、少し寝て、夕方出発。いや、ほんとは一駅向こうまでいってこようと思ってたのだが、寝すぎた。というわけで予定を変更して「和」に行くことにした。


久しぶりだし、腹も減ったから泡盛一杯だけにして、飯を食べよう、いつものゴーヤ丼セットならいけるだろう、と予想はしたが、飯を食うのにそんな予想をしつつ出かけるのがなんだかばかばかしい。


いつもの兄さんがいたが、Tシャツ姿ではなく、何故かカウチンだったか、そんな風な服を着ている。以前なら、エアコンが効きすぎて上着を脱いでも暑いくらいだったのだが、効きを抑えているようだった。


泡盛水割りで、と頼むと「濃いめに行きますか?」と問われる。そういわれて引き下がることはないので、濃いめを頼んだ。

水槽には海ぶどうがわんさかあった。泡盛とこれで一杯やることにした。


飲みながらテレビを見ていたら、長靴の話をしていた。そういえば近頃、街中でおしゃれなゴム長靴を履いている女性をよく見かける。まあ、長靴なので雨の日に見かけるのだが。

そういうのが流行っているのだなぁとあまり気にしていなかったのだが、凝ったデザインをあしらったものは、パリコレに出したりしていると、丁度目を向けたときに言っていた。

なんでもかんでも海外の評価がないと国内でも評判になりにくいのが日本なのだ、とか言う気はあんまりなかったので、へぇ、面白いと思ってしばらく見ていた。


既存のゴム長は、素材のゴムを型に流し込んで固めたもの。だから、生地の合わせ目がない。

そこのゴム長はばらばらのパーツをあわせて作るのだそうな。かかとの部分にデザインにも見えそうな合わせ目が出来ており、ここが柔らかいため、履き心地がいいのだとか。他にも履き心地のよさの因はあるのだが、外から見てわかるのはそこ。

番組は、その長靴の出来ていく様を順に追っていく。薄皮一枚だけ切り取る熟練の技やら、創始者が工場の設備のアイディアを出せるほど機械に詳しいのは、若かりしころゼロ戦を作っていたから、などなど、見てて楽しいものだった。

ゼロ戦だったか、かつての日本の戦闘機(といったら他にあまり思い浮かばないから合ってるか)を復刻して、航空ショーで飛ばそうと、英露だったかそのあたりの国が企画した。その際、大まかな本体は博物館で展示してあるのでわかるのだが、細かな設計図がないため、日本に貸してくれないかと問い合わせた。外務省だかの答えは「軍事物資にあたるので、国外に持ち出すことはできない」の一点張りだったとか。日進月歩の軍事技術において、半世紀以上も昔のプロペラ機を軍事物資と言い張る日本政府にひどくあきれたので、二国のスパイが協力して設計図を盗み出したのだそうな。

設計者がゼロ戦のエンジンを作っていたから、このゴム長は軍事技術を転用したものだ、よって以下略、とかやってくれたら実に日本のお役所らしい。是非ともやって国内外で顰蹙を買ってもらいたいものだ。


ふとカウンターの天井際にある時計を見ると、さきほどから微動だにしていない。時計が止まっているというと、「こいつは飾りにしてみようかと」といいながら、新しい時計を出してきた。

説明書がないらしく、時刻あわせの方法がわからないという。時計に説明書が?と思われるが、つまみをグリグリやるタイプでも、デジタルのボタンをポチポチやるやつでもない。
電波を受信して、正確な時間に合わせる(らしい)電波時計とでもいう製品だった。

裏に時刻あわせだとか書いてるスイッチを押しても動かない。動き出したと思ったら通常の時計の動きではない速さで回りだした。ああ、こうやってあわせるんだ、と安心したのもつかの間。一周してもとの零時になってしまう。

こちらもいろいろと試した。とりあえず、裏のリセットスイッチを押してみた。また兄さんにつき返してみたところ、時刻あわせのボタンを押すと、少しずつ時計が動くことがわかった。押しっぱなしでいけないのかと聞くと「押しっぱなしにするととまるんですよ」という。

そんな面倒な話があるか、と思いまた受け取って長押ししてみる。やはり動かないか、と思った矢先、押しっぱなしでいけることが判明した。

時間も二分ほどテレビの時計と比べたら進んでいたが、通常の時計らしく動き始めた。これにて一件落着というわけで、勘定を済ませて帰ることにした。

そう、ついでに買おうと「サーターアンダギー」はないのか訊ねると、「最近うちの母さんが作ってくれないんですよ」という。「じゃあ今度作っておいて、言ってたと」「ええ、わかりました」
あのサーターアンダギーはなかなかうまかったので、久しぶりに食べたいことに偽りはない。あんまり売れないのか作るのが面倒なのか。いや、両方という落ちだったりして。


戻って動画を撮ってみる。以前から「歌え」という声が一つ二つあったので、歌う振りを決行。あれで限界です。今の倍飲んでもあれ以上やらんでしょう。そもそも歌うと時間オーバー。
昔、吹奏楽でサックス吹いていたこともあるのだが、音痴なので歌いたくない。音痴で音楽やってたとか変な話ではある。


三十七発目



さっき撮った分は全部編集して動画にしてはあるが、数日にわけてぼちぼち出す予定。


そして、お腹がすいたのでちょっと料理を。コンソメスープで肉と野菜を煮込むだけの簡単料理。


このままカレーのルーをいれると食べられそうな気がする。が、ちょっと作り方が違うのでたぶんいろいろと物足りない状態になりそうだ。
一気に食べるには多いので(とかいいつつ食べていたりするが)半分ずつにしようかと思う。では、また。

本性

2011-01-07 | 雑記
今年の干支は卯。たまにいく多摩動物公園や、大阪は天王寺にある天王寺動物園も、小屋の中で寄り添っている姿を見たりした。夏に見たら引っ張ったように伸びきった姿をさらしていたりする。

冗談半分でウサギ飼おうか、などと言っていたら丁度テレビでそのウサギの話題が。

夜のニュースというのもあり、ウサギかわいいという話ではなかった。なんでも、心無い奴や予備知識がまったくない奴が現実のウサギに嫌気がさしたり、がんばったけど途中でギブアップしたりなど、捨てられるウサギが多くなっているのだとか。

どこかの河川敷で大繁殖した、という時のニュース映像も流れる。途中でギブアップしてしまう人は、ちゃんと医者に連れて行ったりしていたが、あまりにも頻繁なので疲れてしまうのだが、ウサギ自体にも問題があった。

小さいほうが人気なので、年々小型のものが増えているのだが、骨格が体型にあってないだとかで、医者に連れて行く回数が増えたりする。歯がすぐ伸びるので、木なんかかじらせて削る、というのは昔聞いた気がするが、間に合わないのかしらないが、医者で削るそうな。体が小さくても歯の伸び具合は変わらない、ということだろう。

まあ、その内容はいいとして、ニュースキャスターの女性が語るには、子供のころに飼っていたことがあるという。身近な割りにわからないことが多かったといっていた気がする。笑えたのが「怒るとウサパンチする」だった。

ウサギのオスは野生動物の多くの例に漏れず、縄張り意識が強いそうな。オスは一匹で飼う方がよろしい、とはどこかで読んだウサギの飼い方の本に記されていた。

件のキャスターは、オスの縄張りに踏み込んで殴られたのかもしれないな、と思ったが真相はわからないし、どちらでもよかった。


家で一人だとふさぎ込みかねないので(手遅れだという意見もある)ペットでもいれば憂さ晴らしになるだろうか、と考えたが、自分ひとり養うので精一杯だ、はいつもの結論。むしろ余計に疲れるというもの。


では、百薬の長を服して欝の虫を散じて進ぜよう、と思ったが年始に飲みすぎたので今日は却下。また明日から。あの日、一升瓶が空に、はならなかったが半分以上減っていたようだった。さすがに夜勤明けは厳しかったので、後で久しぶりにえらい目にあった。


と、いうわけで年始一発目の動画。

ニコニコ動画で直接見れる人はそちらで見てもらうとすぐわかるのだが、ワイド対応になっている。事前にテストして具合はわかったので、今回からこれでいくことにした。ただし、ちょっとばかり動きが悪くなるところがある。プレイや視聴(見る人はあんまり気にしてなさそうだ)にはあまり影響がないと思う。やめるときはこっちが限界を感じたら。

三十六発目




続きは二月までには出さないと厳しいかもしれない雰囲気が。何せ今月は予定通りなら・・・。では、また。

謹賀新年

2011-01-01 | 雑記


あけましておめでとうございます。昨年はお世話になりました。今年もよろしくお願い申し上げます。はい、以上。


今年一年振り返っていかがでしたか?そうですね、まだ一日も経ってませんが、酒を飲んでいた気がします。


と、冗談はさておき、去年の暮れ、久しぶりに夜上がりで寿司を食ってちょっと飲んだ日の帰りのこと。
家の近くの公園があるところは少し視界が開ける。別に周囲が高層ビルなどに囲まれている、というわけではないのだが、空が見やすくなる。

酔っていようがいまいが、よくキョロキョロしている。不審者だが仕方ない。キョロキョロしていると不意に見慣れない明かりが視界の隅に入り込む。
それは何年ぶりに見ただろうか、いや、そこまで間隔は開いていないだろう。流れ星だった。「消えるまでに願い事三回って無理だよなぁ」が最初に思い浮かんだことだった。

流れ星の動きは、自然界の現象なのにとても不自然に感じる。普段目にするものの動きとは次元の異なるものだから、と思える。

速い動きに目が慣れると、普通の状態が遅く見えたり、コマ送りに感じたりする、というようなことがある。
交通事故などで吹き飛ばされた際、地面に落ちるまでの一瞬がまるで時が遅くなったかのように緩慢になって見えた、などという話があったりする。


では、普段見慣れないような次元の違うものを見た場合どう感じるか。

カーブを猛スピードで曲がろうとした車がスリップして歩道に突っ込み、歩道にいた人が巻き添えで死亡、という事故を聞いたとき、「避けられないのだろうか」と思うことがしばしあった。

おそらく、卑近な言い方だが、呆気にとられるのだと思う。文字通り「あっと言う間」にやられる。

流れ星を見かけたときに覚えた違和感は、非日常的なものに遭遇したときの呆気にとられた反応と同じなのかもしれないな、と思ったが、結論は出ない。去年、最後に気になったことはこれくらいで。



さて、元旦なのに半紙を買うことが出来たので、冒頭のお目汚しを作ることが出来た。苦情は受け付けられない。

大晦日から夜勤で、明けたら明けたで酒を飲んでいたのだが、なにやらPCのパーツが気になるので仕事場のPCで見て回っていたら、「いつもと違うことをしましょう!」と力強く訴えかけられる。

「具体的に何をしたらいいのかね」と問うと「二十万のコート買ってみる」とか、「仕事終わってからこれからどこ行くんですか?」「これからクラブさ!」みたいな感じになりましょうなどと言われる。

「暇があったらコミケ覗いてみたいのぅ、とかいうやつがクラブ行くとかありえん」と一蹴した。世の中広いので、意外と両方やってる奴がいるやもしれぬが、与り知らぬ所。


最寄の駅には旧ダイエーのグルメシティがある。全館営業していたので、お茶漬けに何か買おう、ついでに半紙をと思い、文具のある階に向かう。
半紙は階の奥の方で、すぐ見つけて入り口近くのレジへ向かって歩くと、寝具や座布団を扱うコーナーに目が向いた。

ずっと座布団に胡坐か正座でPCに向かったり飯を食っていたのだが、そろそろゆったりしてみてもいいんじゃないかと思った。兄貴や弟の部屋にあった座椅子は安物だったろうが、実に心地がよかった覚えがある。

そのくせ、部屋が狭くなるからと言い訳をして、買わずに過ごしていた。というのも、以前、三人で暮らしていたときは、自分の部屋は畳だったので、坐臥にそれほど困らないと感じていた。

しかし、今は床。床の上に茣蓙を敷いてあるという、座敷牢じゃないが足は寒かったり、座布団もくたびれてきたので、結構冷たくて痛い。夏はひんやりしていていい、とはいえなくもないが、今は寒い。

今こそ変わる秋!いや冬だ、ではなくとき。もう座椅子と言っていたが座椅子を買ってきた。邪魔になるかと思ったが、かなり軽い。





ゆったりするときはこの座椅子に、なにやら集中(動画やる時、ぐらいしか思い浮かばない)したい時は座布団を敷いて。と、思ったりはしたが、柔らかいのでこれに座ってばかりいそうだ。

これで私も変わることでしょう。もっとだらけた感じに。試しに後で座布団に座りなおしてみたいと思うが、すぐ戻りそうだ。


大晦日の早朝、動画を出しておいた。HDD壊れてデータが飛んだ、というか取り出せるかどうかも試さずにとっとと交換した、だったのだが、セーブデータ自体はちょっと戻っただけで生き残っていたので、あらすじつけて作成。HDD壊れた云々に突っ込みが一切ないあたりがいつもどおり。


三十五発目



冒頭で投げやりに挨拶してしまったけど、今年もよろしくお願い申し上げます。今年はあまり飲まないよう、代わりにお茶を酒だと思って暮らします。では、また。