ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

哀歌のボウル

2020-11-25 | 雑記
ここしばらく、大統領選挙が気になって、と前回の更新で記したかと思う。

とはいえ、気にする必要はないようだ。バイデンに決まったから?違う。

日本のメディアでも、夕刊フジがバイデンの当選は不正だらけなので危いのでは?といった記事を出して来たり、テレビ東京ではBSだが、大手他社のメディアでは流さない、大統領選挙の動きを陰謀論を解説する体ではあるが、向こうでどういうことが起きているのかを放送していた。

その放送がYouTubeに抜粋掲載されている。以下のリンクである。

https://www.youtube.com/watch?v=TiFusTALvM0&app=desktop


拙もそうだが、大抵の人はこう思う。所詮はアメリカの大統領を決めるだけに過ぎないのだと。

馴染みのネパール料理屋の店主も「どうせ政治家は皆同じだ」という具合である。彼は英語も堪能なのだが、何が起きているかは調べていないようだということが分かる。

政治家というのはそもそもがそういうもの(蚊が血を吸うようなもの)なので、積極的に応援するような存在ではない、と拙も仏教教団草創期の仏教徒の態度を引用して書いたものである。

しかし、たまたま気になってツイッターやらブログやらを漁っていると、腑に落ちない。

言われてみれば、ではあるが、一つ示しておく。

トランプ大統領は、アメリカでもかなり成功したビジネスマンで、億万長者である。

そのままビジネスを続けて金を儲けて暮らせば、なにも困ることなどないわけである。

だが、彼は大統領選挙に打って出た。そして年間報酬は1ドル。残りは寄付しているという。決まりらしく、全額受け取らないというのは出来ないが故の1ドルらしい。


ところで昔も書いたが、歴代大統領は高名なケネディも含めて、大統領は四名ほど暗殺されている。

レーガンは暗殺未遂であわやという所であったが、その後は彼が掲げていた公約を撤回した。

暗殺および未遂の歴代大統領が何をしようとしていたのか?それはお調べ頂ければすぐに出てくるところである。隠す気もないが、もう散々出回っている話である。

言いたいところはここではない。FRBやら国際銀行家やら自国での通貨発行の話は目的ではない。


つまり。大統領というのは、国家の要職に就くということは、自身の命を狙われる可能性が高いのである。

脅迫というものは彼のものの命を奪うだけではない。家族を狙うということもある。

身代金目的の誘拐、というのが実際に日本国内の事件でもあっただろう。


そんな危険な世界に飛び込んだのは、何故か?

詳しく裏を取ってはいないが、聞き及ぶところによれば、トランプ大統領はもう何回も暗殺されかけており、年若い息子も誘拐されかけたという。


何故そこまで危険な目に遭いながらも大統領を続けようというのか。

月並みな言い方であるが、彼は命を懸けて仕事を果たそうとしているのだと。

アメリカを良くしようということなのだが、そのアメリカを蚕食していた腐敗は実は世界規模であり、それらとの戦いを行っているのだと。


彼は四年前に大統領になった時だったか。こう語ったという。

「わたしはメッセンジャーだ」と。


この一言と、最近見て回ったトランプ大統領についての解説だとかを考えるに、というよりすでに言っている人がいるのだが、彼が大統領であるかないかではなく、何を伝えようとしているのか、それは我々自身に何を促そうとしているのかを理解する必要があるのだろう。


と、堅苦しい話はここまでにする。


先日、久しぶりに馴染みのアジア雑貨店に行ってみたら、面白いものを見つけた。

シンギング・ボウルというもので、チベットの、という意味でチベタン・シンギング・ボウルと呼ばれたりしている、金属製の鉢のようなものである。ついでに、ネパールでも使われているそうな。

先週ぐらいまで、何か腰に違和感があったり、胃に重いものがあるような不快感があったりと、妙な気分だった。まあ、ろくなもの(一般的ではない意味での)を食べてないのもあろう。この辺りも知っている人は知っているところなので、一々書かないが、調べて後悔しないように。

恐らく初めて現物を目にしたもので、試しに鳴らして遊んでいた。縁を付属のバチでなぞるのだ、などと講習を受けながら試すと、不思議なことに、ずっと続いていた腰の軽い違和感が消えていた。

お店の人に一々言わなかったが、ここ数日は半日ほど寝てようが別に痛くなくなってしまった。胃の不快感も消えた。

これはと思い、つい買ってしまったというわけである。

しかしバカバカしいことに、その後上記の馴染みのネパール料理屋に行ったら、店主にバカにされてしまったというオチつきであった。買ってきたものを見せたら、「現地では二百円もしない」とのこと。

後日、気になって調べると、シンギング・ボウルは真鍮製らしい。というのも、インドからチベットにかけてだったか、真鍮はよい金属として扱われているのだとか。


アグニホートラというものをご存じだろうか。昔、とあるHPで紹介されていて、日本で実践している人のHPを読み込んだりしたもので、その影響で愛煙家になったものである。

簡単に言ってしまえば神聖な焚火を行うのだが、それに使う器は銅で出来ている。関連した別のところで読んだのかは忘れたが、銅がエネルギーを一番出すとかいう話であった。

日本でアグニホートラを実践しているという人のHPのリンクを貼っておく。
http://www.runru.info/snap/aguni/aguni4.htm

上記のHPを色々と読んでいただければ、興味深い話が出てくるかと思われる。

コツは自然の物を自然の力で燃やす、そうすると、炭素分子のとある同位体が発生するという。
記号にしてC60(60は右上に小さくのが化学の記号ではあるが)が勢いよく回転する。これが人体と自然によい影響を与えている、とのことである。

ついでに、同じHPにあった記述だが、この分子に纏わる発見はかつて日本人の学者が発見していたのだが、日本語の論文だったのではじかれてしまい、ノーベル賞を取ったのはその後調べ始めた外国人の研究者なのだとか。

真鍮の器を打ち鳴らすというのは、実によいものの可能性があるのだろうと、実感もしたのでついつい買ったというわけである。


とはいえ、この先は悲しい話になる。シンギング・ボウルを買った後の帰宅途中に別のお店に立ち寄った。

とある老夫婦のお店なのだが、ここ一か月ほどお店を開けている様子がなかった。たまに日向ぼっこしているおばさんも見ない。

気になっていたので、差し入れのお菓子も買い、店の前に立った。

やはり中のシャッターというかスクリーンという奴が降りていて、いないのかと思ったが、前に言われたことを思い出した。

「ノックしてくれたら大体いるから」と。ノックすると、旦那さんが現れた。

そして入ってすぐに言われたのである。「ちょっと驚くかもしれないけど・・・亡くなったんだよ・・・」。

そこには、最近見かけなかったおばさんの遺骨の入れ物(葬式の後に抱えてるあの形状の)と、上にそのおばさんの遺影を飾っていた。
旦那さんの話によると、亡くなったのは一か月ほど前だった。

飲んだ後もあって、拙も取り乱すこともなかったが、そこで「変な話だけど」と、シンギング・ボウルを取り出し、先ほど覚えてきた鳴らし方で音を響かせたものである。

旦那さんも「知ってて買って来たのか?」と少し冗談ぽく聞いてきたが、拙も何かに呼ばれて買っただけでなく、その足で向かうことになったのだろうと、思わなくもなかった。まあ、飲んでいたけど。


これ以上は辛くなるのでここで終わるが、自分のために買ったはずの物が、親しい人の送り出しに使うことになるとは夢にも思わなかった。


以来この数日、鳴らすたびに、亡くなったそのおばさんの鎮魂も兼ねたような状況であった。


では、よき終末を。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

切り札

2020-11-11 | 雑記
過日、アメリカ大統領選挙が実施された。

日本のマスゴミ、おっと失礼。塵芥が流す話では売電が勝ったと報じている。

だが、実際はまだ決まっていない。この辺りは知っている人は知っている話だが、どうなっているかは書いておく。

統計上あり得ない票の獲得が行われており、実際に不正を手伝った証言や証拠などが集められ、法廷に提出されるのだとか。捜査が入り、数え直しを行っている州もいくつか出ている状態である。

伝え聞くところによると、州ごとの投票率が発表されていて、100%が乱立。挙句の果てには125%などという言葉を失うような状況になっている。

二重投票も可能と言えなくもないシステムでもあるが、だからと言って100%になり得るかというとおかしいし、超えるというのはもっとおかしい。

既に死んでいる人物が投票日と同日に登録され、売電に投票しているという記録も出ているという。

売電はきっとネクロマンサーなのだろう。アメリカゆえ致し方なし。

とまあ、そこは冗談だが、この不正が横行している状態の大統領選挙というのは前からあったし、ブッシュとゴアの選挙の時も、負けていたブッシュが法廷に持ち込んでようやく確定したというのがあるので、現職大統領が行おうとしているように、法廷に持ち込むのは正しいやり方である。

さて。元連邦検察官が暴露したという話が昨日だかに出てきた。

曰く、民主党が投票用紙読み取り機に不正に働きかけていると。不法に売電に票が大量に入ったからくりだというわけである。

さらに、そのシステムを海外に持ち込んで、諸外国に混乱を与えるという策謀まで行っていたというのである。

日本でも不正選挙があるのでは?と疑われたりそういった証拠も取り沙汰されたこともある。とはいえ、塵芥が報じることはないのは言うまでもないが、世の腐敗をまざまざと見せつけていく。

改めて、今回の大統領選挙というのは、世界的にも歴史的にも大きな影響を与えることは間違いないと感じたところである。


トランプ大統領が何をやって来たのか、というのはほとんど日本では、というと語弊があるので、塵芥が報じて来ていない。

例えば「鯉の餌やり」で調べて頂くと見当たるだろうが、あからさまな印象操作を施されており、そのことについてトランプ大統領も軽く非難していたほどである。


そのアメリカ国内の動きだが、ここ何年か、かなり大きな動きがあった。BLM? ある意味当たっているが違う。

アメリカの政治は二大政党で運営されており、売電が民主党、現職大統領側が共和党となっている。

共和党は伝統的に保守政党で、白人が基本的に多い。黒人は少ないとなる。

民主党は所謂左派であり、黒人などの非白人の支持者が多い。

細かいところは実際を見ているわけではないので判らないが、アメリカ人はこのどちらかに登録していて、それで選挙に向かったり応援演説を見に行ったりするのである。

しかし。当の黒人たちが、民主党は黒人のために働いてきたと思い込まされてきただけで、実際は被害者意識を植え込まれて無力化されてきただけに過ぎなかったと気付き始めたのである。差別を助長していたのは民主党だったのだと。

奇妙なもので、黒人の多くは「伝統的に」民主党に登録していることが多かったそうだ。強調したのはちょっとした皮肉である。左派は基本的に保守的な意味合いの物を貶す立場であるからだ。

そして、民主党支持を辞めて共和党に入り直したり、トランプに投票しよう!となっていたのだとか。

トランプのどこがいいのだ?と、日本の塵芥が言っている程度のことだけからだと不思議に思うが、もうその時点で塵芥に毒されていたのである。拙も人のことは言えないが、それはともかく。

例えば。メキシコとの国境に壁を作るという話を覚えておられるだろうか。
これを引き合いに出して、トランプは人種差別者だとか非難される。
しかし、不法移民が多いための措置であり、正式な手続きを踏んでくださいね、ということだったそうな。

トランプのパフォーマンスというのは、一見すると短気な爺さんが怒ったり好き勝手やでたらめをやっているかのように思われる。

しかしそこが狙い目なのだと、とある分析筋がいう。それというのも、アメリカの腐敗を国民に見せつける形となるからだという。

シリアに派兵した時に、「石油基地を保護したぞ」とか言い出して「エクソンモービルでも派遣するか」などと滅茶苦茶なことを言いまくっていたそうだが、これは誰に向けて言っていたのかというと、アメリカ国民に対してとなる。こういう感じで派兵するってのは酷いことなのだなと、眉をひそめて貰った訳だ。

無論、こういうパフォーマンスを狙ってやっていたのかは、拙には判断しかねる。

とはいえ、こういう自国の状況を見せて民衆に自覚を促す、別の言い方をすれば覚醒を促すというのは、周り周って国外にも影響を与えていくだろう。

上記の元連邦検察官の証言通り、アメリカのその腐敗は全世界を蝕んでいるからである。

数年前に聞いたが、そういうアメリカの上層部で国内のためにまともな仕事をせず、仲間内の利益を上げるためだけに戦争を起こしたり諸外国に不和の種を蒔く者どもを、「ディープ・ステート」と呼ぶそうだ。ただ、アメリカにしかこういう存在がいないというわけでもない。そういう野合のようなのは世界規模で繋がっているからである。

国際銀行家、多国籍企業、政治家、医者、大手マスメディア等など、枚挙に暇がないが、そういう繋がりである。グローバルエリートなんぞという呼称もあるが、呼び方は大して気にしなくてもよかろう。


アメリカは大きな国だが、この世の一部である。一部なら関係はないと思うかもしれないが、全体もまた一部から成り立っている。
胃の調子が悪ければ、憂鬱な気分になりやすくなるのと同じで、逆もまた然りである。

アメリカの大統領は「トランプ」なのだと。賭け事に「トランプ」は付き物なのだから、などと洒落ておく。

※日本でトランプと呼ばれているカードがあるが、切り札という意味である。


では、よき終末を。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

この世は企て

2020-10-28 | 雑記
然る日、拙から話を振ったわけではないが、こういうことを相手が述べた。

曰く「陰謀なんてないよ。そういう人達は月に人類が到着してないとか言ってるよね」という具合であった。

月に実は到着していない、という話については、様々な検証や説が出ている。

単純に世界中に流されたあの映像が嘘である、という話は有名なところではある。映画監督のスタンリー・キューブリックが頼まれて作ったと証言したという話もある。その辺りも真実かは拙には検証しようがないし、どちらでも構わないところである。

仮に着かなかったとして、それでどうして誤魔化すことにしたのか?という点なら、想像が付く方もおられよう。

当時は冷戦の時代。旧ソ連と米国は宇宙開発で競っていた。如何に米国が技術で先んじているかを示せなければ、威信が地に堕ちてしまう。

それで、実際は到達していない技術力を隠蔽するために偽の映像を流したという説である。

もう一つは、実際は月面に着陸してはいたが、見せるわけにはいかないので、誤魔化したというのがある。

何故?と思われるが、こういう言い草があるだろう。

世の中には知らなくてもいいことがある、と、創作などで聞く言葉である。


とはいえ、アメリカが正式に宇宙人の物としてのUFOがあると認め始めたような昨今、いずれ真相が表ざたになるではあろう。


さて、月面着陸の話をしたかったわけではない。

何が気になったかを語ると、「陰謀はない」という言葉である。

しばらく前からとあるブログで紹介されていた、あるバンドのライブ放送がある。といっても、ずっと歌っているわけではなく、トークショーあり、コントあり、ニュース的な話ありの、多方面的な内容である。

そのライブ放送(YouTubeで行われているのだが削除されているものもある)のサムネイルに「これは陰謀ではない!」という文字が書かれていた。


拙はかつてのとある事情で、そういう界隈から離れようと思っていた。というより別に専門家でもないので、調べる能力もないのだが。

それで、「陰謀はあるかもしれんが、わからん」という具合にしていた。

とはいうものの、何かがおかしい。溜飲が下がらないという感じであった。

なんにせよ、いわゆる陰謀論と呼ばれる話は至る所にあるし、陰謀というよりはいい情報を発信しているところもある。


コロナの話で例えるが、ご存じだろうか。先日の十月二十四日付で、コロナの入院治療やらの対象が緩和した。一応の公式見解では、これから流行るであろうインフルエンザ対策としてだそうな。

それはともかく。日本における新型コロナによる死亡者数は、実は水増しされているという話を聞くと、どう思われるだろうか?

陰謀か?と思う人も多かろうが、本当である。

実際に厚生労働省のHPの目立つところではないが、死亡理由は新型コロナにしておいてください、というお達しが書かれたPDFが存在している。今もあるかは分からないが、実存していた。

自殺した人が急患で東大医学部の救急病棟、であってるのか忘れたが、担ぎ込まれ、死亡を確認する。
すると、ここ最近の決まりとなっているPCR検査をする。
陽性だ。はい、この方はコロナの死亡者数に計上。となっているとのこと。

これは厚生労働省のお達しに従っているので、陰謀ではないとなる。
さらに付け加えるなら、海外も状況は変わらない。


話は戻るが、上記のバンドの座長がいう。

陰謀というのは陰で隠れて働くことで、これらの計画は既に実行されて世の中に出てきているのだと。

ここで合点がいった。

国内外様々な「陰謀」を働いているとされる組織や個人の行動やらを見るにつけ、陰ではなく、既に陽だったのである。

陰ではないのだから、陰謀なんぞと言わずに策略とか謀略とか戦略や、もはや一般化しつつある、アジェンダというべきだったのだと。

今さらそう思い至ったのは、己の不明が致すところ。陳謝致す。

なら月面着陸は陰謀か?となると、既に冒頭で示した通り。

一般に示してはいない目的で行動しているのだから、実際に到着したかどうかは別である。

着けばよし、着かなくてもよし、見せられないならそれもよし。どの可能性も考慮されうるし、彼らも考慮した上での実行だといえる。

これまたアジェンダだと。アジェンダは計画という意味だと聞いた。

ついでに昔書いたが、「陰謀論」(英:Conspiracy theory)という言葉は、かつてCIAが、ケネディ暗殺事件の流れに不審を抱く人々を封殺するために作られた言葉であるというのは、アメリカのジャーナリストが見つけ出している。


陰謀論なんぞない。陰謀というのなら計画の時点で既に陰謀であり、計画が実行されるに至って、我々が被害を被っていることを言い換えただけなのである。

陰なる謀はない。ジョルジュ・バタイユの言葉を借りて言うなら、この世は「企ての世界」である。

誰かが企てたものは、その誰かの思惑が既に張り巡らされている。

「陰謀なんてない」と嗤うのは、笑えない冗談であろう。


と、ここまで書いて思い出したが、かなり前にも同じようなことを書いていた気がする。


つまり、これが拙のアジェンダだと言えようか。


では、よき終末を。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

Coronation for Colonized MASK

2020-09-25 | 雑記
月に一度くらいの更新になっている。特に書こうと思ったことがあったわけでもない。

笑い話程度のことなら、先月あった。それを書こうかと思ったが、酔っぱらって書くのをサボっていた。

表現の問題なのかそれとも原稿を書いた人物は日本語が不自由なのか、それとも拙がおかしいのか。それはともかく、ある夜、ある街の繁華街でこのような声を聞いた。
町内会か何かか、ぼったくりバーとかに気を付けてくださいなどと、録音したものか拡声器で直にしゃべっているかはわからねど、その一節の、昨今のコロナに纏わる話についてである。

それはこうだった。「新型コロナ、感染対策防止のために云々」と。

何を言っているのだ?と思ったので、食事を終えて仕事場に戻り、仕事場の人にこう言っていたぞ、あれを読んでる奴は馬鹿なのか?と、近い表現やら並べ方を示し、説明してしまったぐらいである。

感染対策、なら感染という広がっていくものに対抗策を打ち出しているとなる。感染防止も、感染するのを防ぎ止めるで同上となる。

日本語の表現は最後まで言葉を追っていかないと意味が通じない言葉である。言語学の分類で膠着語(こうちゃくご)といい、膠(にかわ)で次々とくっ付けていくようだからということである。

となると、これでは感染対策を防止するのか?となる。そのまま並べてしまえばそうなってしまう。少なくとも、「感染対策及び防止のために」ならばまだ通じるだろう。対策と防止の位置を変えた方がいい気がしないでもないが、そもそも二つ並べなければ通じないような言葉ではないだろう。

そして先日。あの放送は記憶違いでなければ平日の夜に行われていたなと思い出したところ、やはり昨日も行われていた。

しかし、表現が変わっていた。誰か突っ込んだのか正気に戻ったのか、違う人が読み上げていたのかは分からないが、こうなっていた。

「感染拡大防止のために」と。

とはいえ、最初に示して拙が反応した街頭放送も、聞き間違えていたのかもしれない。とはいえ、聞き間違えるほど似た音韻でもないのだが。


飛沫がどうとかでマスクしろ、刑務所の面会のようにしろだのと、妙な具合になっているのは周知のところである。

そのマスクだが、そもそも説明書には「ウイルスに効果はありません」といった但し書きがある。

飛沫をまき散らさないようにしようというのは別に間違いではない。少なくとも真っすぐ飛ぶことは避けられるし、防ぐことも多少は出来る可能性がある。

しかし、手軽に手に入るマスクの飛沫抑制効果はほとんどないと、科学データが出ているそうな。

専門的なレベルでしか扱われない高度なマスクは一般人には手に入らないものであり、そういったマスクは素人が着用すると三十分も持たないほど息苦しいのだとか。

飛沫がどうこうというなら、自身の口から出たマスクの裏側も、また他者からの飛沫が付いたであろう表側も、菌やらウイルスがうようよなので、不潔極まりない。

そして人は顔を触る癖がある。マスクをしているならマスクを常々触る。顔なら洗えるが、マスクを触るたびに洗うだろうか?


マスクの効果のほどはお調べ頂ければ、色々と出てくる。ただ、検閲も入っているので、目立つところには少ないだろうが。


マスクをさせたがる理由は、コロナ対策が理由ではない。これをもう少し書いておく。

いきなり全体主義がどうこうという話に持っていかれても困るだろうが、とある人の証言がある。

御年九十五歳のおばあさんだそうだが、「今の日本の雰囲気は大東亜戦争の時と似てる!」とのこと。日本だったか世の中だったかは忘れたが、そう感じておられるそうだ。


医療関係者、つまり医者が外科手術でマスクをするのだが、その理由は何かというと、それはブドウ球菌などの細菌を患者に感染させるのを防ぐことと、患者からの飛沫(この場合は血しぶきもあるだろう)を防御するためだという。
話が逸れるので少しにするが、海外でマスク無しで執刀したところ、無しの方が感染症やらが患者に発症する割合が減った、という報告もあることを申し述べておく。

細菌とウイルスの大きさは天と地ほど、でもないのかは知らないが、かなり大きさが違う。消しゴムと消しゴムのカスぐらいの差、とでもいえばいいかもしれない。詳しい大きさについてはお調べを。

さて、我らがコロナちゃんは、ウイルスである。とても小さい。小っちゃくてかわいい!とは・・・うーん?ビル君あたりは言ってるかな?

たまに道ばたに転がっていたりするマスクぐらいでも、菌は通さない。風は通す。水も通す。キマリは通さない。キマリってなんだ?というのは突っ込まないでいただく。

ウイルスは菌より遥かに小さいので、実際はすり抜ける。飛沫にどうこうというが、呼吸しているうちに渇いて侵入する。そして、飛沫にうじゃうじゃいるというのなら、マスクはコロナのコロニーになっているわけだ。最上級はコロネストかな?

口の前でコロニーをつくってどうしようというのか?となる。なるのだが、そんな話はテレビで流れるわけもなく。

それ以外でも色々と恐ろしい話はある。有名どころが散々書いてくれている。いくつか書くが、さらに知りたい場合は探すべし。


マスクをしていると、酸素の吸収量が二割減になる。人間、酸素が多すぎても死ぬらしいが、少なくなると死ぬのはご存知の通り。

死ななくても、高山病という物もあるだろう。標高の高い場所は、低い場所と比べて酸素濃度が低いため、体が慣れていない人はそれで体調不良を起こしたり、場合によっては死に至る。

体の機能が不調になるということは、免疫なども落ちていく。ストレスがかかると、人の呼吸は浅く短くなる。逆にゆったりしていると、深く長くなる。免疫力が高い状態はもちろん、後者である。

マスクをしたまま深く長い呼吸というのは実にしづらいものである。こういう脳に酸素が回りにくい状態を維持すれば、自然、脳も機能を落とすだろう。普段から呼吸に意識を向けている人は決して多くはないので、どんどん体力も頭の回転も落ちていく。

ちょっと回りくどかったが、つまりは、コロナ予防という点だけで見ても、逆効果なのである。

実際に、スペインやらイタリアやら、マスク義務化を実施した国では、コロナの患者数が増えているというデータが出ていたりする。


ここまではマスク着用者本人に纏わる話である。用法容量を守って適宜お使いください。拙は気分が悪くなるので、まともに付ける気はない。花粉症だとかその他の病状などで付けなくてはならない人もいるので、マスクはいらない、ではないことをお断りしておく。


マスクは表情が見えない。これがどういうことを生むのか?少なくともマスクしている人と楽しい話を出来ている気はしない。

拙は最近、そういうのがひどく物憂いのか、あまり楽しい気分にはなれなくなってきた。ああ!これはきっとコロナにかかったのだ!!とかいう冗談は措く。

あまり楽しい気分ではない、というのは思う所である。上記のおばあさんの言通りなのだろうというのを実感し始めた、とでも言おうか。


話は代わる。関わるところではあるが、怖い話をする。稲川淳二のような怖い?ではない。

フリードリヒ二世の実験、というのがある。恐らくこれで検索したら出るのではなかろうか。

と、調べたら、理由が違ったようだ。

その皇帝は言語の発生について研究しようとして、赤ん坊に言葉を教えないでいると何語を話し始めるのか?聖書でアダムに与えられたヘブライ語か?それとも別の言葉か?というので、乳幼児に話しかけずに育てさせるという実験をしたが、赤子は死んでしまった、とのこと。

おどろおどろしく広まってる話としては、乳幼児五十人に笑いかけずに育てさせるという実験の結果、全員死亡。内訳は四十九名が一歳から一歳半、残り一人はもう少し生きたが、六歳ほどで死亡、というのを見かけたものである。
これでもって、赤ん坊は愛情がないと死んじゃうのだ!という話で広められたようではあるが、「人はパンのみにて生きるにあらず」ではある。言語の研究で話しかけずに育てた赤子もすぐに死亡しているのだから。

それはともかく。実際に近年の研究で出ていたという話を書いておく。

内容は、マスクなどで周りの人間の表情が隠れた状態で育った子供は、人の感情を読み取ることが出来なくなるという研究報告である。

報告内容はもっと長いので、その辺りは措く。措いてばかりだが、気にしてはいけない。

生まれた子供というのは、環境から何でもかんでも学んでいる。子供にとっては世界は刺激に満ち溢れており、その刺激が自身を成長させるのである。

人の顔という感情表現機構をまともに見たことが無いというのは、その刺激による成長を促されなかったわけで、そうなってしまうのも道理と言える。

そんなまさか。とは思わない方がいい。知らないものは理解できないのが人間、というより生物である。

そのことについて一つ。


ずっと昔、何かで読んだのだが、とあるチンパンジーの赤ん坊の話があった。別の猿かもしれんが、そこは忘れた。

何かの事故かもしくは実験だったのか。暗闇の中で生まれ育ったその赤子は、視神経に異常がないのにまったく目で物を見ることが出来なくなっていたという。

人というより生き物として当然あるべき状態を無視すれば、上記のチンパンジーの如く、あるべきものが当然なくなる。

これをニュー?なんだったかな?横文字大好きおばさんらが言ってたが、ああ、ニューワールドオーダーかな?というのなら、これは野蛮への回帰である。

一つ、また一つと当然あるべきものがありうべからざるものへと変質されていった挙句の果てに、目に異常はないのに目が見えないチンパンジーとなるのである。


オカルト的ともとれる話になるが、脳は記憶装置ではなく、アンテナだろうという説が実際にある。量子論方面で言われていると記憶しているが、それ以外だとオカルト的方面になる。

その論法、というとかなり乱暴だが、目も実は、物を見るのが目的ではないのかもしれない。

見えているものが真実ではない。とするならば、物を見るのは手段でしかなかったと言えよう。

以前書いたものである。命は宝というが、宝は何故大事にされているのかと。

然るべき時に使うため、である。命という手段を使って我々は日々を生きている。


では、よき終末を。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

内乱会

2020-08-10 | 雑記
夜勤明けで日没くらいから寝ていたら、日付が変わっていたので遅くなったが、昨日は日本史上で大きな出来事のあった日である。

改めて書くまでもないが、昭和二十年のその日、長崎に原爆が落とされた日である。


何故か?それは戦争だったから、と大雑把に言われるところである。

では戦争とは何か?とは詳しくは語られない気がしないでもないが、少々書いてみようと思う。


戦争とは国家間の交渉が決裂した際の最終手段である。世界大戦と二つ名前が付いている時期の物までは、戦地以外は基本的に平常である。

無論、戦地は酸鼻を極める、というのは単純に過ぎるが、例えていえば、十年近く前の東北大震災を思い浮かべて頂ければよかろう。

被害が甚大だったところから離れている地域、東京の如きもビルが倒壊するだとか電車が脱線するだとかの混乱はなかったのに被災地認定だとかいう話は脇に置く。

東京でも(23区以外は)計画停電だ福島の原発の放射性物質がどうこうという混乱はあったが、被災地以外はショックを受けて鬱になったとか肉親やらが亡くなった、という人以外は、その日以前の日常とはいえなくても、過ごしていただろう。あの日を境に生活が変わったという人も多かろうが、それもまた日常である。

沸き起こる感情の違いはあれど、状況は似ているといえる。

戦争の際は、お互い自国領土内を戦地にしたくないと思うのは当然なので、攻めたり攻められたり別の所で軍事衝突が起きたりとなる。

それはさておき。第二次世界大戦はこう呼ばれている。というよりアメリカの主張だったか。

民主主義と全体主義の戦いだと。

これについて、西尾幹二が「戦争の際に全体主義にならないわけはない」という風な指摘をしていたと記憶する。

日本もドイツも民主的な流れの上に成り立つ戦時体制には違いない。ドイツについては、ヒトラーは「国民投票」で総統に就任し、日本は内閣が辞職して入れ替わっていたりする。

ヒトラーについては、戦争末期に自殺するまで体制が続いていたというのはあるが。


戦争とプロパガンダは切っても切り離せない。憎悪を煽って戦争に持っていくのが常である。

ヨーロッパの具体的な国名や時期は忘れたが、「某国が自国の捕虜を殺して石鹸を作っている」という風説が流され、戦争に至ったという話もある。

ついでにいうと、上記のアメリカだかのスローガンと同じく、中身がない、つまり嘘だったとのこと。


広島と長崎に落とされた原爆についても、嘘がまかり通っている。

曰く、「対日戦争の終結を急ぐため」と。

しかし、落とした側のアメリカは「ソ連への威嚇だった」と、実際に言い残している。その後の米ソの流れは世界を巻き込んで、さらなる被害を長年広げ続けたのは言うまでもない。

話が前後するが、日本との戦争に参戦するのを決めたルーズベルトは、実際本人はしたかったのに世論が傾かないので、日本の真珠湾攻撃時の不手際を利用して対日憎悪を盛り上げ、合法的に参戦したというのは、有名な話である。戦時体制を築くにしろ戦争を始めるにしろ、日本もドイツも、またアメリカも同じといえる。

我々は被害者なのだと訴えて邪な願いを叶えるというのは、世の中にありふれているので枚挙に暇がないほどであろう。


話が長くなってきたので、少し変える。


国の支配者、単純に政治家だけではなく、というのは国際的に繋がっていて、とある価値観で動いている、というのは所謂陰謀論というので言われている所である。

ただ、拙が知り始めた時代とは異なり、当時は知る人ぞ知る言葉だったものが一般に扱われだしているという。「NWO」やら「世界政府」や「イルミナティ」などなど。

先日何かで見たところ、「イルミナティ」と呼ばれていたものはまた別の名前になっているようだ。その辺りは割愛するが、「世界政府」については、英国の元首相が実際に口にしていたという。


彼ら、つまりそういう支配者層はどうしたいのかというと、地上全てを支配したいというわけである。

見える形では戦争、見えづらい形では文化や経済侵略。

これらのことで一番被害を受ける対象は何かというと、言うまでもなく一般人である。


駒だと思っている政治家が愛国者だと邪魔になる。それも邪魔だが、一般市民が頭が良くても邪魔になるし、そういう人々が多い国に強大な軍事力があると手も足も出なくなる。

軍事力も永久機関ではないし、映画のヒーローが集結しているわけでもないので、例えば内乱を起こせばその力を削ぐことが出来る。例えになっていないのだが・・・。

国土の荒廃は人心の荒廃を招く。反抗する気力も物理的な力も奪えば、悠々と支配を広げられる。

後はそれをどんどん推し進めていくだけとなる。



さて、あまり話が変わってなかったが、もう少し続ける。


人が自然と呼ばれるものと寄り添うというか共生するというか、こういう生活こそが正しい。という主張や行動がある。

異論はない。ただし、それは未来においてだ。それは上記までの流れから考えて調べて頂ければお分かりかと。

今現時点の日本で、皆が皆自給自足だー、政府やら関係ねー!といきなり生活を切り替えたとする。

自衛隊も解体された。米軍も帰っていった。するとどうなるだろうか?

拳法、じゃなくて憲法九条があるので平和になりました、とか言い出したら、その先にある平和は日本語で語られてはいないだろう。



つらつらと述べてきた上記のような歴史的経緯を知りながら、上記で「未来において」と拙が但し書きを付けたものを今すぐ皆がやるべし!と主張する。

誰でも知るレベルではなかったとはいえ、公に向かって発言をしていたこともあるその御仁は、外患誘致を疑われても仕方ない。

「彼ら」の手口を語りながら、その手口に知ってか知らずか乗っているというのは、我が身可愛さしかないからであろうと、拙は思う。

その御仁が「彼ら」の話をしていたHPを閉める間際に残したセリフは「誰も反応しないし、こんな危険なことを続けてられるか!」であった。


命は宝という。宝は大事にしまい込んでいるものだが、何故しまい込んでいるのかを、今一度考えるべきだと言える。



では、よき終末を。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

嗤うものは

2020-08-04 | 雑記
七月のある日、とある若い芸能人が自宅で首を括って亡くなったというニュースを、仕事場に着いたときに聞かされた。

とはいえ、拙はテレビを見ないし映画も見に行かないという、現代社会のメインから外れた暮らしなもので、名前も顔も知らないほどだった。

ゲームはしているので、決して外れ切っているわけでもないが、それは措くとする。


その事件の後、しばらく忘れていたのだが、先ほどとあるサイトで紹介されていたので思い出すところとなった。

というよりも、人が死んだのにその死をお祝いする旨の常軌を逸した動画の紹介していたというのに引っかかった。


過日、志村けんが新型コロナウイルスで亡くなったという話は、まだ記憶に新しいところである。

その時も、同じことが行われていたというのを聞いたものである。


人が人の死を喜ぶ。これが人というのなら、人を辞めたくなるところである。


さて、そのことで思い出した第二次世界大戦中の話を一つ。


大東亜戦争、GHQが押し付けた呼称は太平洋戦争だが、その最中、当時のアメリカ大統領のルーズベルトが死去した。

敵対国であるドイツやソ連は、その死を喜んでいたという。そういう声明を発していたりする。

翻って、実際に干戈を交えていた日本はというと、お悔やみを申し上げたという。

国家の存亡を賭けた戦いにおいても、相手方に憎しみをぶちまけるというような見苦しい真似はしなかったのである。

ちなみに、鬼畜米英だなどと煽っていたのは軍部ではなく、マスコミであったことを付け加えておく。
開戦前は開戦やむなし!と散々煽っていたのである。軍部は最大限、戦争をしない方向で調節を続けていたともいう。一枚岩ではなかったが、ギリギリまでそうしていたという。


どちらが人間らしいかというのは言うまでもないだろう。

人間が人間らしさを忘れると、動物ですらないと拙は思う所である。


この人でなし!は日本人にとっては最大の侮辱だったと聞く。最近はそういう感覚が無くなって、いや、亡くなってしまったのかもしれない。

戦前はその人でなし国家に囲まれて奮戦したのも今は昔、などと語るのは悲しいことである。


これも昔書いたが、上記と同様の流れなので付記する。


もう二、三年前か。ロックフェラーの総帥が死去した。

ロックフェラー、という名前が出ると、いわゆる陰謀論者が色めきだつ。

その時もそうだった。死んだことを喜ぶ声が界隈では飛び交っていた。


陰謀論に片足を突っ込んでいた拙はどうだったかというと、悲しいという気持ちはなかった。知り合いでもないのだから。

だからといって、人の死を喜ぶ気にはならない。彼が陰謀論界隈で言われているような存在(文字通りの意味での「人でなし」)だったとしても、一時代をどういうやり口かはどうとも言えないが作り上げ、世界を動かしてきた人物であることには違いない。

良い悪いはともかくとして、一つの時代の終焉を感じ、「色々あったかとは思いますが、お疲れ様」と思っていた気がする。


彼がオカルト系陰謀論に見られるような「人でなし」の存在、つまりは悪霊だとか宇宙人に憑りつかれていたとしても、物事には人の一面的な見方では判らないことがあるものである。


彼は生前、『回顧録』というのを著わしていた。

その一節にこういった物がある。有名なのでご存知の方も多かろう。とはいえ、記憶で書くのでこんな感じ、というのをご承知願う。

「私のしてきたことを多くの人は非道だと思うだろうが、人類の将来のためになるのだと自負している」といった具合の言葉であった。


陰謀論だと非難ごうごうである。人類がどこを指しているのかによるからだ。

仮に、特定の人類の将来のために行ってきたとしても、それがその通りになるかは判らないともいえる。

そうなっていったが故に、結果的に全人類に福音をもたらすことになる可能性もあり得る。


どうなるかは判らない。それはこれから起こること。


最後に、手塚治虫が語った言葉を述べておく。

「過去はすでに起きた未来。未来はこれから起きる過去」


では、よき終末を。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

かの死に寄せて

2020-08-03 | 雑記
夏が来れば思い出す、というわけではないが、色々と復習するところがあり、振り返ることがあった。

さて。かなり前だが、シャインさんがどうこうと書いたことがあったのを覚えておられるだろうか。

異動で拙が働いている仕事場にやってきた、結構な歳の御仁である。しかも夜勤をやらされている。


そこはいいのだが、ある日、夜勤の折に色々と話をする機会を得て、話を伺ったものである。

住まいも拙と同じ地域でもあるのと、気楽に話しかけてもくる人であるというのが大きい。


さて、何の因果か某日本のクオリティ・ペーパーを自称している新聞を取って読んでいるという。

地域が地域だけに、某宗教団体の新聞も取っているという。嫌な気分で取っているわけではないそうだ。

そこで気になったので、北朝鮮の拉致被害者の会の故横田滋の訃報について、その新聞に書いていたかと質問すると、ギョッとした顔で「書いてなかった気がする」と答えたのである。

その御仁は特に政治的信条があるわけではないので、件の新聞の傾向を実例を挙げて説明申し上げたところ、先日から「逆のことを書いてるから、逆を推測して読むのが面白くなった」と語っていたものである。

件の新聞がかねてから何をしていたのかは、ここで改めて語るまでもないが、判る人には一言で分かる。実に「赤い」のだと。

この「赤い」ことが、日本に遍く覆いかぶさっているのだということを、今度は歴史的具体例を挙げて話すると、「どうしてそんなに詳しいんですか!?」となったものであった。

そして「赤い」尖兵として知ってか知らずか、一般の善良な下部組織員は別としても、そういう働きを担っているのが、近所づきあいで取っている新聞を発行している某宗教団体であるとも伝えておいた。


知ってか知らずか。こう書いたが、大抵は知らないし考えない上に知ろうともしない。そんな具体例を思い出したというわけである。上記の御仁のことではない。


拙が某大学の一年だか二年のある日。同じ学部の同期の女子と話をしていた。

どうしてそうなったかは思い出せないが、「日韓併合」の話をしていた。

ご存知の方も多かろうが、当時の政界の重鎮、伊藤博文を朝鮮人の青年、安重根がこれを射殺。それで一気に併合に傾いたというものである。

何故傾いたかというところだが、実を言うと、伊藤博文自身は、併合については「拙速だ」とのことで、反対派のトップだったのである。

それを殺してしまうとどうなるか。考えなくても判る。かくして、日韓併合の論争は併合を進める方向に傾いていった。

と、一通り語ったところ、その女子はこう語った。

「でもわたし、安重根好きよ」と。

拙は耳を疑ったが、聞き間違いでもなく、理由を語っていたかは思い出せぬが、今でもその言葉は覚えている。


少なくとも、政界の重鎮を外国人が殺害する。これは国際問題であり、戦争になってもおかしくない。

上記の場合は日本の政治を混乱させる意図があるとしか言えず、処断されて当然となる。実際に安重根は死刑になった。

韓国側ならばその「好きよ」も判る。あちらでは救国の英雄だなどと祭り上げられていると伝え聞く。伊藤博文が主張は無視される形であり、またその後の経緯もである。


どのような教育を受ければ、自国の政治家を殺したただのテロリストを「好きだ」などと思えるようになるのか。信念があるだのないだの、そんなのは関係がない。思い出したが、好きな理由は信念がどうたらだった。

その信念も祭り上げられたが故の後付けだったと思われる。韓国が死にそうなので併合を急いで欲しいがための犯行だったというのを先日読んだものである。

仮に言われているような信念通りだったとして、実際は反対派の重鎮を殺害したことによって併合が促進されたのであり、語られている通りの救国の英雄とは呼べまい。併合が反故になったのなら判るが、併合は伊藤博文一人で決めている話ではない。

併合反対の信念通りなら、伊藤の政敵に凶刃を向けねばなるまい。知らずに殺害したというのなら、それこそ狂犬と変わらない。そのような物は信念という名の言い訳である。


学校で習って好きになったのか、何かで読んで染まったのかは知らぬが、経緯と道理の話をしているのに、感情で一蹴する。文字通り話にならなかった。

拙は虚無感に苛まれたものである。

ついでにいうと、その女子からは別の意味で嫌な目にあったものである。気取ってるようとも思える具合だったが、色々と不幸な目にあった奴だったようだ。

とはいえ、頭が不幸な奴、と評する以外に言葉は浮かばない。


それはさておき。件の一般新聞などがこういった「教育」を、某宗教団体だけではないが、諸々の個人や組織がその「教育」に則った「教育活動」を推し進めるといった共同体制が、現代社会である。

上記の女子が特別に馬鹿だからだとか頭がお花畑の某宗教団体の一般会員だからというわけではない。

教育が全てとは言わないが、洗脳としか言えないこのようなねじの外れた思考回路モドキを作ることもまた、教育である。



もうすぐ夏のあの日がやって来る。


今一度、己の中に巣食う、思考回路モドキを「教育」してみる時ではないかと、拙は思う。


では、よき終末を。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

自然汝

2020-07-15 | 雑記
さても先日。弟の機嫌が悪くなっている所にこちらの不注意も重なって怒鳴られたと書いた。

その時のこちらの行動についての指摘は、怒りながら言っていることと、後は今も不明な点がある以外は問題ない。

不明な点については先日書いたかは忘れたが、「ワーワー言われたら何も言い返せんわ!」と怒声を上げていた。そして締めに、先日も記した「どれだけ働いていると思っている」だったという流れである。

どのことを指して言っているのかは判らないが、怒りに囚われると前後の脈絡がまったく関係なくなるのは、他人についても自身についても思い当たることはあるだろうから、特に意味はないかと思われる。


それで、その次の日の朝に顔を合わせて、どうしてそういう風に怒ったのかを指摘しておいた、とまで書いた。

これも既に書いたが、怒鳴りつけたことを反省している節もあったので、挨拶もするし、素直に話も聞いていた。


するとその夜。帰ってきた弟が言う。日曜の仕事がなくなったから、飯を食いに行こうと。兄貴の馴染みのイタリアンに行こうと言ってきた。

兄貴とは拙のことである、などという説明は冗談である。

それが日曜のことで、ワインを飲んで前菜付きのコースを食べつつ、先日書いた件を伝えたものである。


その内容をおさらいすると、拙は弟が怒鳴った時の最後のセリフの理由を考えていた。

少なくとも現代社会において労働というのは賃金を得るためというのが大きい。それが全てではない、というのも言えなくもないが、誰もかれも首肯するものではないだろう。

ブラック企業、という表現を目の当たりにすることも多かろうが、弟の仕事場はいつもではないが、今は忙しい。

それで疲れてきてというのは誰にでもあるが、問題はそこである。

前回も書いたが、以前、弟は「お金は大事だと思っている」と語った。

賃金、つまり金を稼ぎに行っているのに嫌な気分にだけなるのは、実際は大事というのはどう思っていることなのか?という訳である。

朝の短い時間では伝えきれないので、「金を好きになったらいいんじゃないか」とだけ伝えてあった。


前回にも書き記した、大事という言葉にどんなニュアンスを感じるか、というところを尋ねると、拙が書いた見解に納得していたものである。

本当は嫌なものだけど、仕方ないからという気分が強いのではないか?これは現代日本人にも経験やら周囲からの教育で獲得している思い込みだとは書いた。

それ以降は記事に書き記してはいない内容を用意していたかのように色々と伝えたものである。

大なり小なり拙がここで書いてきた話や、弟に以前から話してきたことをまとめたような具合であった。


こういう指摘されたり考えてみないと気付かない心のしこりのことを、メンタルブロックと心理学方面で言うらしい。こういう説明で合っているかはしらん。

拙がしばらく前からちょくちょく見ているセミナーの先生は、時々、受講生に「メンタルブロックをどうにかしたいんです」とお願いされると言っていたものである。

そのセミナーの先生は、「メンタルブロックを無くすのは目的じゃないですよ」という。

というのも、そうやって嘆願してくる人の心理は「メンタルブロックが無くなれば幸せになれる」と思い込んでいるからだと、書いていた気がする。気がするというのは、該当ページを見ながら書いているわけではないからである。

前回も書いた「現代日本人の信仰」と仰々しく示した箇所についても、実はその先生の受け売りではある。

同じことを別の所で読み聞きした覚えはあるので、復習したと言えばよかろうか。

理屈は同じで、「努力すれば報われる」と裏返しの「努力しなければ報われない」の抱き合わせ販売と同じ論理なのである。


これまた仰々しく書いているが(癖である)、つまりはその人らしい自然体ではなくなっていることが問題なのだという。


お金を嫌っているから、じゃあ好きになろう!と奮起するのも、やはり自然体ではなくなるのだろうと思う次第である。

そういうところもしっかり、弟との対話中にはしてはある。「別に好きになれとは言わんが、気づかない思い込みが、そういう言葉を選ばせているんだよ」と。

さて。上記の内容を踏まえて、もう少し。弟にも話はした内容である。


多くの日本人が経験的に、または周囲からの教育で「金(以下カネ)は汚いもの」と思い込んでいることが多い、とは書いた。

そしていきなり拙は、弟に問題を投げかけた。「カネとはなんぞや?」と。

弟は答えに窮した。経済学だとか金融工学の話ではない。

カネはエネルギーである。今着ている服もこうやってこのお店で座ってしゃべっているのも、全部カネが成り立たせている。紙幣や硬貨で出来ているという話ではない。

紙幣や硬貨や数字というのはその表現であって、本質ではないのだと。

そしてエネルギーとは、アインシュタインも述べていたが、物質とエネルギーは同質なのだと。例えば道教で言う氣もうんたらかんたら、とやったわけだ。

そのうえで、何か支払うとして、嫌な氣分でカネを渡すとしたらどうなるか?と問うと、「それは良くないことになるな」と素直に答えてきたものである。

まったくこの手の話を聞いていないわけではなかった(折に触れて語ってきた)ので、短くて済んだ。


動物は動物の体の自然の働きで、犬は犬らしく、蛇は蛇らしく振舞うが、人間の自然はほったらかしでは出来上がらない、という風なことを、野口晴哉は言っていた。

余談だが、幼い犬が猫に囲まれて育ったら、猫と同じ習性になった、という話もあるなとは思うが、少なくとも親戚(らしい)犬猫の垣根を凌駕はしていないので、まだ自然ではある。人語を話し始めたとかいうならともかく。


それは措くとして。お札や硬貨の意味も使用方法も知らない幼子が玩具にしているのを叱りつけるようなもので、子供はそこからカネに対する想像力を失い、不自然な態度を取るのである。人のことは言えないが、拙の弟の如くに。
自然にふるまうというのを現代社会では他人の迷惑を顧みない放縦な態度、みたいなことを指すように思われがちだが、それは想像力の欠如であると、拙は指摘する。見えるにしろ見えないにしろ、何事につけても、おかしなことをしでかすのはそれ故にだと。


何せ、想像力は人間が賜った自然に備わる能力であり、それに不具合があれば、自然と不自然になるのは道理である。


では、よき終末を。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ケサあった話

2020-07-10 | 雑記
先日、というより昨晩のことだが、帰宅した弟に怒鳴られたものである。

夜中晩飯を作っていて、鍋を火にかけしばし放置していた。少々火加減が強く、鍋の蓋がカチャカチャなっていたが、時間まで待とうと、アニメなんぞを見ていたら、ちょっと長引いてしまった。

そして戻ると同時位に弟が部屋から出てきた。うるさかったか?と聞いたら、「何がカタカタ鳴っているんだ?」と聞いてきたので、火加減がちと強すぎたようだと言っておいた。

その後水を飲んだ弟は黙って部屋に引き取った。ああ、これはと思ったところである。

ここしばらく仕事が忙しく、疲れた顔をしていたり声も覇気がなかった。

それはともかく、弟は昨晩帰ってくるなり、昨日の料理のことから怒り出し、火も見ずに放置するなんぞふざけるな、と怒った。

火なんぞ見てても見てなくも燃える時は燃えるだろうに、とは思うが、それはともかく、正論である。

しかし、その後が頂けなかった。

「どれだけ働いていると思っているんだ!」と。

拙は別に弟に経済的に依存して暮らしているわけではない。たまに作ったものを分けたりするが、料理も別々である。光熱費などは折半している。弟が金を出している状態のものもあるが、養われているという状態ではない。

別にそのセリフに腹をまったく立ててないわけではないが、横になりながら思ったものである。

「意味のない言葉だな」と。


仕事で疲れていて、その安眠を妨害をされたのを怒るのは当然だろうし、火の番云々も上の冗談のような言い草も通じるわけがないので、理解する。

しかし、間接的には関係あるとしても、やはり関係ないことを口にして八つ当たりするのは頂けない。そう感じたのである。

横になって考えていたら朝になっていた。そして思いついたことがあったので、書くか直接言うか考えてみたが、結局直接言っておいた。

昨日の夜の今朝でどう思っているかは分らんが、朝の挨拶はしてきたし、おどけて「昨日はおかげで眠れなんだぞ」というと、「すまんな」と返してきたものである。

イライラして怒鳴りつける形になったことは後悔しているのかもしれない。


さて。何を思いついたかというとである。


話は遡ること七年ほど前であろうか。

ここに何度も書いてきたことだが、掻い摘んで書くことにする。

とある夫婦(内縁のというやつだが)に、「(仲が良くて)羨ましいですね」と言ったら、夫の方が不機嫌になって「それは違う」と言い出し、後日、いつもやり取りしている会員制掲示板で罵倒された、という話である。

そのうちの言葉はこういう風であった。流石に完ぺきには思い出せない。

「この人(その妻)と一緒になるのにどれだけ苦労したと思っているんだ」と。

罵倒の締めは「苦しんで滅びろ!」であったことも記しておく。

拙だから理解できなかったとかそういう前提があるということにしても、無理がある。

近所の人にも同じように言われたら、烈火のごとく怒るのだろうか?

そんな思い出すと腹を立てる程の苦労をしたのだろうか?疑問は尽きないが、どうでもよい。

所謂不倫関係となっての同棲なので、色々あったには違いないが、拙にはこういう風に思えて仕方がない。

「そんなに苦労(嫌なことであろう)したのなら、それが故に成り立った今のその関係も苦労の塊では?」と。

今の関係が喜ばしいのなら、苦労したことも「色々あったけど、よかったな」で済む。

その時の嫌な感情でも噴き出したのか、拙のようなナマケモノに言われたのが腹が立ったのか。

ちなみに、その罵倒文の中に、「お前のような何もしようとしない奴に羨ましがられる筋合いはない」とあったことも記しておく。


こういう風に腹を立てるのは、別に上記の御仁特有でもない。拙にもあるし、冒頭から続いている話の弟もである。


恐らく、この手の話は何度もしてきたし、結構最近にも書いた気がするが、これはこういうことである。

「努力すれば報われる」という信仰である。日本人の大半が仕込まれている。無論、拙もそれに馴染んで過ごしてきた。

しかしこれは、裏面があって、よく忘れられている。

「努力しないと報われない」である。

太極図の陰陽の如く、これは表裏一体で不可分となっている。

問題は、「努力すれば報われる」は信仰箇条でしかないのである。

努力とはすなわち、上記の発言に準えて、「苦労」とほぼ同じだと言っていい。

これが個人の内側の葛藤だけで済んでいるならまだよろしい。喜ばしくはないが。

実際に周りを見てもらいたい。努力だとか苦労だとかとは無縁で平然と暮らしている人は確実にいるだろう。

この信仰が盲信になれば、言わずもがな。「己の努力が足りない」ともっともっと苦労を重ねるか、外側に攻撃するだろう。

俺は苦労している、もしくはしてきたのに、お前はしていないと。

上記の男性も弟も、同じ理屈から怒鳴ったというわけである。


別に弟の頭の中身を誹謗したいわけではない。上記の男性の話も思い出しつつ、「何故弟はああいう風に怒ったのか」を考えていたら、本当に朝になったので、弟が起きてきた時、昨日変え忘れたタオルを交換するついでに話をしたのである。昔もしたものだが、上記の男性の話を交えてである。

その某夫婦がかつての苦労を想起したかはしらんが、弟が怒声を上げたのと同じく苦労という言葉を掲げて罵倒してきたのは、つまりは嫌々やってきたし、今も嫌なんだろうと。

それでは、こうもなるだろうと。お前は金を稼ぐために嫌々仕事をしているのなら、それで稼いだ金は嫌なものにならんか?と。

だったら、金が大好きになったらいいのかもしれんなと。直接言った内容はこのぐらいである。


何故そう思ったのかというところが実は本題で、上記の夫婦は実は本題ではなかった。


以前にも弟とイザコザがあったことを書いたかもしれないが、その内で話し合った時に、弟がこう言っていた。

「俺はお金は大事だと思っているから」と。

ずっと何か引っかかっていた気がするし、実は拙自身にも関係があるのかもしれないので、寝られずに考えていたことはここだったのである。

某保険会社がアヒルにグワグワ言わせているCMで流れていた歌が思い浮かぶ人も多かろう。

大事とはなんだ?が気になったのである。

辞書を引けばいい、という問題ではない。その言葉をこういう文脈で使うということは、実際何を示していたかをである。


大事な人、というだろうが(普段使うかは別として)、似た言葉で大切な人とも表現する。

大事な人と大切な人。まったく同じに聞こえるかと言うと、違う。


大切な人だとか物とか事と聞いたとき、あなたはどういうイメージを浮かべるか?

拙の場合は、と断って言うが、好きな人や物事を指している気がしないだろうか?

一方の大事といった場合はである。

好きだとか嫌いといった感情を抜きにした立ち位置にある人や物事を示しているように思われるのである。

無論、常にそうなるという訳ではないし、その指し示しかたの良し悪しは一概には言えない。

ここでまた日本人論的な話に戻る。


努力すれば報われる云々とさっき書いたが、こういう信仰も昔から日本に根強く伝えられている。

「金は良くないもの」というものである。

キンではなくカネである。英語で言うとMoney。

陰謀論に片足を突っ込んでいた拙ならば、ロスなんたらがどうこうだとかいうところである。

それで金とか金融というものは害悪であると、よく言っていたものである。


しかし、金に良し悪しなんぞあるのか?と。

某狙撃手に百万ドル渡して仕事してもらうとする。

政敵の排除だったり商売敵だったり、はたまたはマフィアに都合の悪い証言をする人物だったりと、まあ色々ある。

結局は人殺しだが、法が裁かない人物を殺害するというのもあり得る話である。実際、某漫画にそんな話はある。


一方、養護施設だとか孤児院に同じ額を寄付したとする。

これは良いことだと、一般的に称賛されうる話である。

しかし、その寄付した孤児院の正体は、子供を奴隷として売り飛ばすマフィアの隠れ蓑だった、などとなれば、某狙撃手に渡した金と違いはないといえよう。

百万ドルは百万ドルである。しかし、如何様にも姿は変わる。

某狙撃手の仕事が世の中にとって良い方向になることがないとは言い切れないし、社会的に認められるはずの行為が実は社会悪そのものを助長していたりということもありうるわけである。


長々と書いたが、つまり、何気なく弟は「金は大事だと思っている」というその心根には、日本人が昔からよく馴染んできた可能性の高い思考回路「金は良くないもの」が前提にあるからでは?と考えたわけである。


そこまで考えていたとはいえ、話する時間もなかったので、上記に示した程度に留めたが、金に纏わること(上記の場合は労働である)に嫌な感情を向けているのなら、それは金を嫌なものと見ているのと同義である。洗脳されたかのように苦役を尊ばしいことだと思え、というのは無茶でおかしな話だが、嫌なことばかり見てても仕方がないということである。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとはいう。腹立たしい坊主は確かに憎いかもしれないが、袈裟自体は関係ない。

というわけで、今朝は袈裟のことを考えていたということで、終わりにする。


では、よき終末を。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

密を散じる

2020-06-28 | 雑記
コロナ、とだけ書くのはおかしいので武漢から発生した例のウイルスの影響で、非常事態宣言が発令されたころというべきだろうか。コロナという言葉の本義については、個々人でお調べいただく。

「サンミツがどうこう」と、池の百合というより沼の徒花の都知事やらが言っているという。

拙はサンミツと聞いて首を傾げた。

「何故仏教修行の話をしているのか?」と。

サンでミツなら、三で三つ。幼子の言い方をまねして「僕みっちゅ!」とか言いたいところだが、これは新たな風評被害かとも指摘できなくもない。先に言い出したのが総理だったとしたら、こちらもデマを流していることになるので、先に謝っておく。ソーリー。

色々と怪しげな人物であるので、その言葉が何をさしているのかご存じでないか、穿った物言いをすれば、敢えてこういう表現をして日本を貶めているとも考えられる。

三密加持で検索をすれば、Wikipediaにも乗っているぐらいの言葉で、政府やらの言い方と反対の意味になる。

とはいえ、あっちは3密。こちらは三密であるので、似て非なるものではあるが、発音するのが言葉の本来の姿。混同させているとしか言えない。

三密の方の話に戻るが、これらは3密と同じく、みっちゅ、ではなく三つに分類される事柄をまとめたものである。

それぞれ身密(しんみつ)、口密(こうみつ)、意密(いみつ)となる。三つの密で三密である。

大雑把に言うと、立ち居振る舞い(身密)に言葉遣い(口密)、感情や精神の状態(意密)の三つを正しなさい(加持)というスローガンである。

サンミツから離れなさい、というと、伝統的にはこの逆をやれとそそのかしていることになる。確かに、今は乱痴気騒ぎである。


とはいえ、ある意味は正しいのかもしれない。前回に「毒力」なんぞと書いたのもあって、以前から触れようと思っていたこの件を改めて思い出せたわけでもある。


その人の本来を捻じ曲げさせるのが現代社会である。それは度々指摘されているが、「でもそれじゃ世の中が回らない」とすぐ行き止まりの思考回路になるのもセットである。

満員電車は都心部だけの話ではあるが、日本の人口の大半が集中しているともいえるので、やはり現代日本の多くの人が関わっていることと前提して書くが、やりたくてやっているわけじゃないと、よく聞くだろうし、思っている人もいるだろう。

そしてあなたはそう思っても、すぐに行き止まりの思考回路に足を踏み入れる。

三密を思い出してもらいたい。決して3密ではない。

嫌々満員電車に揺られて仕事に行っているその状態は、決して三密加持ではないだろうと。言わば逆三密加持である。3密ではなく三密から離れていたのである。


さて。武漢のウイルスで色々と生活が変わった人が多いであろう。収入が激減して困っている人が多かろうが、それは措くとして。

テレワークの推進だとかなんとかで、やってみたらこれで済むものも多くあった、などという。名前を思い出せないが、日本有数の会社の役員までもが、「今までなんだったんだ?」と思い至ったという。年に何十日も出張するようなのはおかしかったのだと。

逆三密状態が続いてきて、これの正邪はともかくとして当然だった時には思い至らなかった。

今回、武漢のウイルスは毒をばらまいたわけだが、その毒の力のおかげで、独力では至らなかったことに気付くきっかけになった人もいるだろう。

独力の努力ではどうしようもない時は「毒力」に頼むのもよかろう、と前回書いたが、書いている途中では「どくりょく」のダジャレのつもりではあった。前回同様、「どりょく」と読んでもらうことにする。

逆三密加持の努力ではどうしようもなかったので、今回は天の采配とかいうと怒られそうだが、武漢のウイルスの「毒力」がきっかけとなって、「(逆)サンミツから離れなさい」という言葉が飛び出したのかもしれない。

「コロナのおかげでよくなっただと!?」と怒る方もおられるかもしれない。海外ではまるで中世のペストのように猛威を振るっているし、そんな話を煽るかのように今日の罹患者は何人だの先日より増えただのとやっている。

マスコミは恐怖を煽るのが、これまた好きでやっているのかは拙には分からないが、仕事である。これもまた、逆三密加持の故かもしれぬので、気にしないのがよろしい。

身近に罹患して亡くなったという人もいるかもしれないし、その場合はわかるとして、例えば「海外で一杯亡くなっているぞ!」という風に言い出している場合。この件については、以前申し述べておいた。


拙の母方の祖父は、晩年自殺した。日本の年間自殺者数は三万人を超えているという。小泉政権時代ですでに言われていたという。まあ、本当に自殺かは怪しいのもあるが面倒なので自殺!と片づけているという指摘もあるので、正確ではないとしてもだ。

拙はしばらく、「何故自殺したのだろうか?」と考えたものである。親は「考えると引きずられるぞ」という風に言って、考えないようにしろと諭してきたものである。

何が言いたいのかというと、「普段気にもしたことないことを煽られたままに振舞うのは三密加持ではない」ということである。


逆三密加持の時代は少しは緩和されたのかもしれないが、長年の習性は一朝一夕では変わりがたい。とはいえ、千里の道も一歩よりという。何故か予測変換ではこう出た。

三密は加持して逆の三密、丁度いいので3密からは離れるべきであろうと。3密と見たり聞いたりしたら「逆の三密だな」と考えて頂ければ幸甚である。


では、よき終末を。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加