ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

独り言

2011-11-30 | 雑記
元々こーいうものは独り言に違いないな、ということはさて置き、久しぶりにぶつくさ喋りながらゲームやる動画を出してみた。

特に何かいうことを思い出せないので、サッサと掲載して終わることにする。


今回は三本立て。


二十二着目



wwwwなんてコメントが入っていたから、やっぱり誰も見入っていないようだ。


二十三着目



唐突に始まるイタリアンに行ってきた話。


二十四着目



北斗の拳みたいに、一発で倒せる方法なんてないんだよ。


というわけで、ジビエの入荷を確認したので、後日食べに行ってきます。ああん?貴様!ベジタリアンじゃなかったのか!?という叱責があるかないかはわからねど、なんだかんだ言って、好奇心は抑える気はないのである。少しぐらい食おうが気にしないが、もう焼肉やらハンバーグやらは食べる気はしない。某ハンバーガーはそもそも食べ物ではないということでよろしく。では、また。

我慢の限界

2011-11-27 | 雑記
話は遡って一ヶ月前。

夏の終わりから通いだした古着屋の話はたまにここでしただろうが、読んでるのはおめーだけだ!ということにして話を続ける。

急に話が変わるが、「古着屋に通っている」というと「えっ!?代官山とかの?」と突っ込まれた。

元々そういう見た目(毛唐かぶれというやつぢゃ)ではないので、二重に不審を感じたようだ。不審、かどうかしらんが。


潔癖症の御仁だったので、馬鹿馬鹿しいセリフも着こえた。「でも古着って誰が着てたかわからないじゃないか」と。


じゃあ、先日着ていてクリーニングしたあなたの衣類もとても汚く感じますね、と突っ込めばどんな顔するか。やってみたかったが思いついたのは例にも漏れず、今更だったのは言うまでもない。



そんな皮肉は措いておくとして、その古着屋で、九月に長着と羽織のセットと袴を一着、十月にはこれまた長襦袢を購入。


まだそんなに寒くなかった十一月中ごろには、そいつをまとめて着て、バーで飲んだりしていた。



さて、その長襦袢を買った時。前回、着物をまとめて買っていたのを受けて、お店のおばさんが「今度着てきてくださいよ」という。

実はその長襦袢を買いに行くときにやろうと思っていたのだが、寝坊したので(寝坊というのかしらんが)夕方になったので、店が閉まる前にと慌てて出かけたところが大きい。


そうだなぁ、せっかくだから着るかと。と今月の予定を確認する。


月末の蔵出しであまり時間を気にせず迎える日は中日(三日やるので)に被った夜勤明けのみ・・・。

ぬおお!と思ったが、案外なんとかなった。あまり変なものを食べないで、水やらお湯を多めに飲んで過ごした甲斐もあったか、風呂に入ったら自然と「よし、着替えて行ってくるか。ついでにあの店にも」となった。

あの店ってなんだ、というの実は本題だったりするのだが、本題に入れるのかは不明である。



というわけで、以前のこの格好+羽織紐もちゃんとつけた状態で颯爽と向かった。


結構気温は下がっていた。都内よりは明らかに寒い地域なのだが、スカートみたいに風に翻ったり、足捌きと一緒に靡く軽い袴は、寒さを感じることはまったくなかった。今回は手が寒くなったけど。

これが絹というものか・・・。と改めて感心した。ちなみに、茶道部時代につけていた袴は化繊のものだったろう。


いつものおばさんと、今回は初めて会う女性の方が出迎えてくれた。延々ほめまくられて、うれしいやらはずかしいやら。特にお客さんがこなかったのが幸いだったというべきか。

「男性は袴つけるのが基本なの?」などなど、こちらが質問されたりしたので、知っている限りで色々答えたり、なんでそれで恋人がいないのだー今度木曜にうちの娘を紹介するからみたいな話を楽しく賑やかにやっていた。


別に時間に制限はこちらにはなかったのだが、この格好でイタリアンに一人で行ってみようかと思ってるんですよ、ということで、帯を見繕っていたが、今回はそれほど気に入るのが出なかったので、次回に取って置いてもらうことにした。

サイズはみていないが、着流しでくつろぐのによさそうなウールのがありますよと、お姉さんが引っ張り出してきたのを、おばさんが感触を確かめ、値札を見て曰く「これは絹だねぇ・・・羽織とセットで二千五百円ですか!?」とおどけた感じで言っていた。


十二月は、毎週三日間お店をやるらしい。三日もあるなら、どこか一日、夜勤明けにぶらっと立ち寄ることも出来そうだ。黒い下駄も入るそうなので、こちらも楽しみである。


で、羽織紐だけ、少し痛んでいるので(初めて扱った時がよくなかったのかもしれない)代えの奴を一本買うことにした。茶の袴に合うだろうということで、緑色。

今度は何を買うかなぁと思いながら家に一度戻って一服すると思い出した。「あ、羽織のこと聞くの忘れてた。」


単体の着まわせそうな羽織がないかと考えていたのだった。袖がついているやつは丈が合っていないと間抜けである。間抜けな上になんだか邪魔くさくなる。

袖のない、陣羽織みたいなのがあれば、家と近所で着てるいつもの着物に合わせたり、また、今回着て出かけたやつに着てみたりと、幅が広がりそうである。

陣羽織って何?という人は、漫画「美味しんぼ」の海原雄山の服装の、着物の上から着ているチョッキみたいなやつ、といえばわかるかもしれない。

この公式本の表紙が丁度その格好である。

まあ、デニムのを仕立ててもらった美夜古企画さんで面白そうなのがあるので、これを仕立てるのもいいなと考えている。ホントは決定しているはずだったが、今度古着屋で見てから考えることにする。金がよく飛んだので。


というわけで、すっかり暗くなった街を歩いて、ちょくちょくランチに出向いてはワインを飲んでた(我ながら何をやっているんだ)お店に、アポなしで突撃してきた。前述どおり一人で。


ホールの人は顔見知り二人がいたのだが、ちと慌てていた。今日はパーティがあるようで、といっても、広いほうだけ貸切ではあるのだが、人数も多いので、予約は取らない予定でやっていくつもりだったそうな。


「常連なので」ということで、通してもらうことになった。やはり突っ込まれる格好。こいつぁお出かけ用だが、普段はこれで、ランチの時に着てるのは仕事の行き帰りだけさ、などと答える。

もう一人にも「どうしたんですか、サッカサマみたいですよ」と。サッカサマ?ひっくり返ってたのか?としらふなのに酔っ払ったような反応をしてしまったが、着物のことを突っ込んでいたので、上と同じく答える。作家様、といってたのだが、ラッカサンみたいな響きなので、サッカサンというほうが馴染んでいたため、一瞬わからなかったのである。夜勤明けで歩いて疲れたか?


普段肉は食わない、などと言いふらしたり、書いたりしているが、「ちゃんとしたところのなら、食べても構わない」くらいの気持ちでやっている。そういうことも言ってはいる。義務じゃなくて権利、ということである。

何が義務かというと、「肉を食べないとちゃんと体が作れない」という強迫観念のことだ。それが馬鹿馬鹿しいし、実際は肉食は害のほうがでかい。害しかないといえる。マスゴミに出る大抵の医者の話なんぞ与太である。

仮に、肉を食べるのが理に適っているとしても、某ファーストフードは言うまでもなく、ファミレスやスーパーコンビニの肉は、肉と思わないほうがよい。あれらはホルモン剤の塊なのである。


と、いうことをしつこくキチガイのように言ったり書いたりしているのである。自宅の目の前で肉はおろか野菜も最近は買ったことがない有様。玄米ありゃぁ生きていける。


というわけで、肉を食べに来たのである。そうそう、前菜にハムとかあるもんねぇ、ではなく、今の時期は「ジビエ」があるそうだ。

「ジビエ食べに行く」と、上のキチガイ講談の犠牲者の一人(まともに受けてはなかろうが)に言ったら、「ジビエって何?」だった。野生動物のお肉でございます。

全般なのか、鹿だけなのかは聞くまで判らなかったのだが、店で「ジビエはありますかね?」と訊ねると「確か・・・鹿があったような」と暫し姿をくらまして後、「入るのは来週ですね」という。

おそらく、野生動物のお肉ということでよいのだろう。


ないなら仕方ない。魚を食べてきた。マナガツオのソテー。アサリとトマトのソースで、あっさりしていて実に好みである。魚も普段食べないのだが、上記の通りと思えばよい。こちらはたまにご馳走でも、というわけである。


しかし、一人で飲んで食べまくって、その上デザートまで食べるとは。何をやっているのだ!


本当は、市内に住んでいる後輩を誘っていたのだが(先月の末の予定だったのだが)流れた上に、「何日まではムリ」とかいう話も、それが過ぎても何もない。

まあ、アレだしね、アレ。こっちも一応は所属がアレだが、地縁縛りがないのでな。モノの味も判らない奴なので、連れて行かないで正解だったろう。(肉と脂ギトギトのス○丼なんて店のものやらなんやら食うような奴だ)



ディナーはパンがお代わり自由である。料理が出るのに時間がかかるので(その上メインホールでパーティだ)パンをちょくちょく頼んでは、ワインと共に食していたのだが、前菜中にパンを持ってきたのがシェフだった。


シェ「おや!?今日は珍しいですね」

安「いやぁ先月末に友人を誘っていたんですがね、予定合わなかったんでもう一人で来てしまいましたよ」

シェ「じゃあ、今日は一人さびしく(笑)」

安「いやいや(笑)」


はて、自分はこんなことをするような性質だったのだろうか。今となってはよくわからない。一ついえることは、「頭で考えたことじゃなくて、感じたことをやっていたらこうなった」という感じだ。


人はこういうだろう。「お前は何も考えずに生きてて楽そうだな」と。

ええ、楽ですとも。生きて行動してりゃしてるなりの苦はありますが、「頭で考えた」結果、今を未来に売り飛ばす、要するに、「今を奴隷として生きれば将来王族になれる」という騙し文句に唆されることはもうないのでね、と。年金支給開始年齢引き上げでしたっけ?では、また。

生存報告

2011-11-23 | 雑記
題名の通り、生きております。

何が?うちのPCが。


というのも、昨日、仕事場に行く前に動かなくなったので、「壊れたみたいだから、習字載せられないよ」と言ったものの、対処方を夜中調べてみたら、思い当たるところがあったので試してみたところ、正常に動き始めた。


ここのところ掃除をサボっていたので、埃による帯電で、メモリの周りが誤動作というか動かない状態だったようだ。


普段掃除しなかった、グラフィックボードやらサウンドカードを刺している部分も掃除しておいた。電池はまあいいかとそのままやってみたが、こちらは特に問題なかったようだ。


HDDの、マザーボードに刺さっている部分を抜き差しするというのもやってみるとよいとのことで、抜いてはここもエアダスターで軽く掃除しておいた。


メモリは意外に埃がくっついており、目に見えない埃で製品がダメになるというCPUの工場などからしたら有り得ない状況だったといえる。



何にせよ、無駄な出費がなくてよかった。最悪、マザーとCPUとメモリの総交換かと覚悟しかけていたが、なければないでゆったり過ごそうかと考えてもいた。

つまり、動けば動かないで諦めがつこうというものだったと。ちょっと前まででは思いもよらない潔い態度。あれだけバカみたいにやっていたゲームをやらなくなったのだ。未練も何もない。



動いたものは仕方ないので、もうしばらくお付き合いすることになる。まあ、今年一杯じゃなかろうか。こんな世の中ですから。

こんな、で何も想像がつかない、もしくは微視的にしか見えない人は、まあそのままお過ごしください。



数日前に書いておこうと思ったことがあった。そしてPCの起動不良が重なったわけで、そのせいでちょっと忘れ気味になっている。何とか掘り起こしながら書いていこうと考える。



そうそれは、食べ物についての話だった。

先日、「そこらの食い物はもう放射能まみれだぞ。何の対策もしないでいたら危ないぞ」という風に、人に指摘したことがあった。

ちゃんとした塩(岩塩やらせめて天日塩など)をしっかりとるとか、緑黄色野菜などの抗酸化食品をよく摂る、で、選ぶならそこらのうさんくさい野菜じゃなくて、しっかりしたところからなるべく仕入れると。

その当人は、本人が飯を作るわけではないので、後半は言わなかったもしれない。そのあたりはどうでもよい。


返ってきた言葉はこうだった。「僕はもう放射能とか気にしてませんから」というものだった。

それでこの上の指摘に繋がったのかもしれないが、まあ大体そんな感じだったと思う。


その彼は赤髪の道化師がマスコットのファーストフードが大好きで、一日、ピザやらハンバーガーを食べまくって幸福感に浸ったりしていたそうだ。

ピザ食って幸福感に浸れるのは科学的根拠がある。他にもあるが、チーズである。つまりは乳製品に含まれるカゼインだったか、動物性蛋白が体内でアヘンと似た働きをするというものである。

人間の母乳にも名前は違ったか同じか忘れたが、同じくアヘンと似た働きをするモノがある。これは自然の働きで、とはいうものの、人間なら人間の母親から授乳期に、牛なら母牛から同じく授乳期に飲ませるための働きである。

自然はその赤ん坊の母親から飲む母乳は飲むべきである、ということを示しているのだと。ただ、乳離れは中毒患者を更生させるかのごとく、苛烈にならざるを得ない。

牛は一人前になっても母牛から乳をもらうのか?というとそんな訳はない。人間も母親から乳をもらうだろうか?もらおうとしたら病院に連れて行かれかねないだろう。


話が逸れた。えーまあそのなんといいますか、そんな愚かしいにもほどがある食生活と中毒っぷりを示している彼の「気にしてませんから」は単なる能天気、楽天家というやつである。


ある程度の段取りや目測を立てて、それ以上どうしようもないという時に諦めにも似た心持で(続けていることは辞めない上で)楽観視するのとはまったく意味が違う。なんだかこれも否定的だが、気にするな。


そしてこうも言っていた。

「好きなものを食べてぽっくり逝ければそれでいいんじゃないか」と。


甘い。甘いというより愚かしい。


己自身のみが朽ちるなら別に問題はなかろう。ただ、そんなものを消費し続けること自体がふざけた商売を助長し、延いては地球の環境までも悪化させる。

某ハンバーガーだけでなく、畜産を今の規模でやり続けるのは、地球環境にとってすさまじい負荷になっている。わざわざ食糧難を自分たちで引き起こしているといえる。

何故増えこそすれ、減らないのか?答えは簡単で、皆食べるからだ。食べないと死ぬと思っているからで、これは意味が違うが、まさに食中毒である。思っている、というより思い込まされている、であるのだが、そんなことをいっても、誰も聞く耳もちゃあしない。


そういう、粗製乱造の食い物の中にはこれまた化学物質がてんこ盛りである。野菜には農薬、肉には抗生物質やらホルモン剤がたんまり。

仮に本人に影響があまりなかったとしても、そういう化学物質はなかなか分解されない。水に流れ、海を汚染し、魚介類に濃縮されたり、土壌や水源を汚染する。


アメリカでは、やたらうつ病の薬を飲みまくるので、尿やらで排出された分解されなかった薬の成分が水源を汚染し、生態系をおかしくしているそうだ。また、飲み水からも検出されているともいう。浄水施設も素通りに近いようだ。

あんまり効果がないと評判のうつ病の薬は、うつ病の人が飲むとよく自殺するという特効薬だったりする。そんなものをまだ健康な人が(飲んだつもりがなくても)飲めばこれまた飛び降りたくなるのかもしれない。


似たような、というかほぼ同じような話で、名前は忘れたが、「農薬を開発中に偶然見つかった」然る人工甘味料。こいつも代謝されずに、尿などから体外に排出される。

もちろん、飲み水から見つかった。日本のどこかで出たニュースである。人工甘味料自体の害もさることながら、こうやってわざわざ自分たちで首を絞めているのである。


さて、また肉の話に戻ろう。

「牛や豚や鳥は食べてもよい。食べてもよいものだからそれはもうむごたらしく扱ってもよい」と思って食べている人は皆無だろう。なんせ、加工された食肉しか目の前にないのだから。あんまりいいたかぁないが、肉をおいしく食べている人はそういう心持に共感している、などといわれても仕方ないのかもしれない。

牛は殺されると判ると涙を流すそうだ。人間と大差ない血の通った動物をモノとしてしか認識しないわけだ。およそ生き物とは思えない扱いを受け、挙句の果てに殺される動物たちの心は如何ばかりか。


わしは別に自分が動物が好きだから、という理由だけでこんな話を持ち出すのではない。


これは現代人そのものなのである。いや、もしかしたら人ではないのかもしれないが。


つまり、「自分たち以外の人間は人間じゃないから、家畜として扱ってよいのだ」という認識に繋がり得る。

感じていることや考えていることが違うから、それが合わないからお互いすれ違って生きるのは別に問題なかろう。それでよい。苦痛でしかないのに無理矢理合わせて生きるほうがおかしくなる。

そうではなく、「違うから攻撃してよい」になっている。「立場が下だから」殺しても構わない、となってもおかしくはないのである。というかそうなってる。


そうやって散々ぶち壊しておいて(そんなの売るほうが悪い、ではなく、買うほうも悪い)自分自身が好き勝手に死ねたら別にいいや、というのは無責任にもほどがある。

この先結婚して子供が出来たときに、そんな環境で確実に体か頭(頭も「体」だな)がおかしくなるような状態に子供を放り出すといっているようなものである。


昔ならわしも同じことを言ったであろう。しかし、「自分自身」を追求していったら結局、大きすぎて訳がわからなく思われるだろうが、この世、延いては地球にぶち当たる。


だから、こういうことにする。『もっと「あなた自身」のために生きてみませんか?』と。では、また。

予報

2011-11-20 | 雑記
昨日の夜だったか、仕事場のテレビに、若いアントニオ猪木が映っていた。

失礼。ブータン国王である。若くて威風も堂々とした、好青年であった。確か、自分より若かったはず。


その話は、テレビに映っていたからというより、別のことで気に掛かることがあったのだが(猪木に似てるとかは関係ない)、一先ず措く。



今朝、夜勤と日勤の交代時間が済んで、仕事場でぶらぶらしていた。最近は、茶を飲んだりタバコを喫んだりして、しばらく時間を潰している。そのせいでついつい帰りがけにカレー食べたり、ワイン飲んでたりする。一体何をやっているのやら。


喫んで(昔はタバコは「喫む(のむ)」もので、「吸う」のは邪道だったようだ)ゆったりしていたところ、事務所も騒がしさのなかった合間だったのもあってか、かすかな異音が聞こえる。

ぶら下がっている紐も揺れている。他に意識があると気づけない程度の揺れもあった。


「これは揺れてないか?」というと、日勤のKさんも揺れていることを認識したようだ。


地震つながりでKさんはこういう。「近々大きな地震があるんじゃないかって話が出ている」と。


それはこちらも気になっていたので、最近あった話をした。


その最近あった話というのは、「耳鳴り」のことである。


というのも、あの地震以来、食生活を変えたり、暮らし方も多少変えたりしていたある日、時折、耳鳴りがある。

十秒程度の短いものがほとんどだったのだが、単なる耳鳴りでは別になんとも思っていない。あることに繋がっている可能性があって、恐れているのはそれ。


大体、はっきりした耳鳴りが聞こえてから三日くらい経つと、どこかで地震が起こっている。トルコのももしかしたら、来る前に大なり小なり耳鳴りがあったかもしれないが、覚えていない。

これは別に、自分の憶測だけでモノを言っているのではなく、そういう症状、といってもいいのか、そういう感知の仕方をしている人が他にもいるようなのである。実際に会った人たちではないが。


で、数日前、かなり強烈な耳鳴りがあった。耳元で音叉でも鳴らされたかのような、今までになかったほどの長さ。

耳鳴り自体は別に、体調の良し悪しに関わらずあるわけで、病気ではないのはわかっていたが、度々地震に被っていて、しかも大きさが地震の規模に比例しているらしい。

つまり、近くて大きいのが来るのではないかと。その当時は、今度の土日に何かあるのではないか、と予測していた。


怖いことを言わないで欲しいなと、Kさん。


耳鳴りについては、Kさん曰く、「近くを幽霊が通っているなんて話がある」という。

耳鳴りが起こって、それが地震の予報だとするなら、地球の磁場やらが変動したせいで、それを感じ取ったからだと。幽霊がいるかいないかというより、なにやら物理的な現象だとすると、何でもプラズマと言っていた教授じゃないが、そういうのも磁場やらなんやらの変動だといえそうだ。

磁場やら電磁波やらが地球のマントルに影響を与えて、それがしばらくしてから地震になる、などという研究報告も出てきているようだ。詳しくは忘れた。

専門家じゃないから詳しくはわからんが、(何がわからんて、グラフ見せられてもさっぱりなのである)某HAARPも、地震があるとき(あったとき)はなにやら蠢動しているようだ。HAARPの稼働をウォッチングしている人が結構いる。例えばこの人

改めて読み返してみたら、この色の線はあーでこーでと、平易な文章で書いている。まあ、『「人工的な電磁波が」とか言われても』という人には向かない話ではある。ちなみに、記事の日付は三日前の十七日。


つまり、地球は大きな卵で、宇宙や大気が電子レンジだとすると、太陽やHAARPの電磁波か何かでじわじわ温まって、時間が来たらバンッ!と行くわけだ。

地震の予報かもしれない耳鳴りは、電子レンジのドアが閉められ、温めのスイッチが入ってすぐの状態、表面にいる菌が電磁波を浴びて焼き殺され、初めて気づくようなもの、といえる。



Kさんは事務所を出て、客室の確認に向かった。


ふと気になり、ネットの地震速報を調べてみた。というより、すぐだったから某ポータルのトップに出ているだろうと開いてみる。


「茨城で地震 震度5強」



さらに大きな耳鳴りが来たら、今度はどこがどれだけ揺れるか。とりあず、都内の人間ではあるので、今回のより大きいのが来たら、「ああやっぱりここか」と思うことにする。

普通の人がいうならこうだろう。「心中なんぞ真っ平だから、俺は逃げる。死にたい奴は勝手にしろ」と。最初そう書き掛けたが、辞めた。見栄というやつである。


Kさんには今の揺れがそれほど遠くないところで、かなりの大きさだったことは伝える間もなく、帰途につくことにした。そしてまたカレーを頬張っていたらしい。食べすぎだ。ダールカレーは日本人には人気がないことが判ったらしいぞ。


それにしても、昼は暑かった。電子レンジというより実はオーブントースターの中なのかもしれないな、と思うのであった。では、また。

眼差し

2011-11-14 | 雑記
度々ここで、菜食主義についてやら世の中の異常なことについて見聞きしてきたことや、後は自身の実践とその結果や感想を書き綴ってきた。


といっても、実践については不完全なところだらけである。最近はカレー作りもサボっている上に、久しぶりにチャパティを焼こうと思って全粒粉を、これまた久しぶりに立ち寄った自然食品店を訪ねると、売り切れだった。

ただ、今度の木曜日に仕入れてもらえることになったので、次はパン用の方も頼んでみようか、などとは考えている。カレーを食べに行くのも悪くない(上策か下策かというと、下策である)が、やはり作るに限る。


話は代わって、乳製品について、面白い話を聞いた。


あれは体内でアヘンに変わる。だから摂取すると幸福感が得られ、次から次へと欲しくなると。正確には、アヘンと同じような薬理効果をもたらす物質がある。

その上、精製された砂糖もドラッグ(麻薬という言葉は意味のない言葉である)と同じ、つまりは牛乳と同じ状態になるわけだ。砂糖も常習性がある上に、摂れば摂るほど耐性が着く。


それらが混ざった一般の甘いものは下手なドラッグよりトリップできてしまうという寸法だ。ただ、純粋なドラッグと比べると、一度の害は低くはある。


しかし、害が、あくまで一度の害が比較的少ないから大丈夫、などといえるのか。


そこで某内閣の大臣のセリフが思い浮かべば合格だ。「直ちに影響はない」と。


そういう貴様はタバコなんぞ吸って、「直ちに影響はない」とほざくのか?と返す声はとりあえず、この辺りでは聞こえてこないのが残念だが、改めて書いておく。


タバコと一般に思い浮かべるであろうタバコ、否、シガレットは別物である。添加物の塊と、純粋なタバコ葉を区別できないような思考の乱れこそを正すべきである。

喫煙は害である、という立場を執る人ですら、タバコとシガレット(添加物まみれの奴だけだろうが)の健康への悪影響の差は雲泥の差であると説く。そのあたりはここをお読みいただきたい。


さて、砂糖やら牛乳やらの害についてはここのページが、実体験を含めて色々書いてあった。 『糖尿病を放置し慢性期に脳梗塞になった母の介護食記録


タイトル通り、その病気になった母御殿の介護についての話である。居丈高で中身のない医者の言うことを無視して、自然療法や食事療法で元に戻った、という状態ではないようだが、悪化どころか動き回れるようになったという。


その母御殿が倒れるまでに、どのような食事をしていたか、食べていたものを転載する。


※ここから

毎日 卵2つ

毎日缶ジュースなど2~3本

毎日 カフェオレ、いちごオレ ココア ヤクルトなど乳製品系 が多い

あとは炭酸飲料 柑橘系の果糖ブドウ糖液糖たっぷりのジュース

毎日 市販の甘味のついたヨーグルト ゼリー プリン

毎日 ネスカフェやUCCのインスタントコーヒーにクリープ、マリーム、砂糖たっぷりのカフェオレ 1日1~2杯

ヤマザキの食パンなどにべったり塗るバター・マーガリン

部屋じゅうがかなりバター臭くなるほどた~っぷり塗る

トップバリューのピーナッツバター チョコクリーム 果物系のジャムも。

マヨネーズ、キューピーのタルタルソース、ツナ缶、シーチキン毎週

マヨネーズは御飯にもかける。

コンビニのおにぎり、お寿司、惣菜、菓子パン

スーパーのおにぎり、お惣菜、揚げ物(肉コロッケ、メンチカツを特に好む)、パックのお寿司

加工肉など ハンバーグ ウインナー ハム

練り物の加工品ちくわなど

スーパーのお肉 惣菜 揚げ物 毎週天ぷら と、マヨネーズサラダ

市販の牛脂たっぷりのカレルーやシチュールー毎週

インスタントラーメン 焼きそば UFO や 一平ちゃんなど

カップラーメン インスタントのそば 冷凍うどん

永谷園のチャーハンの素やお茶漬けの素 おでんの素 ○○の素などが多い、

マグカップケーキミックス ホットケーキミックス 

お好み焼きの素で豚肉のお好み焼き毎週

市販の偽しょうゆ や 偽みりん 「調味料風」のもの。味の素もドバドバかける。

塩は精製された塩、あじしお

市販のせんべい クッキー おかき チョコ菓子

かっぱえびせん ポテトチップス スナック菓子全般



主に、果糖ブドウ糖液糖が多量に使われた商品が多い

肉類などの動物性たんぱく質 過多


野菜はカレーやシチューに入れるじゃがいも人参玉ねぎくらい

たまに、ほうれんそうを2週間に1回1束のうち半分くらい。



肉類・乳製品・砂糖と 油と 添加物まみれ

※以上、ここまで。「母が脳梗塞発覚するまで食べ続けていたもの」より


正直、読んだだけで気分が悪くなるような内容である。どこが?と思う人は何も言わない。どうぞご自由に。


これほどではないが、自分自身もそういう食べ物を摂っている事が結構あった。夜勤の夜食にカップラーメンを食べていることが多かった。

それでも太ってないな、などと言われたが、腰の周りに肉がよくついていた。デブというほどではないが、こういうものを食べ続ければすぐに体へ影響が現れることは自覚していた。


ちょくちょく外食するので、自分自身もこういうものは排除しきれていない。それでもなんだか小洒落たイタリアンに行ったりしていたのは、肉を食べるにしてもそういう店ならましか(その店ではディナーだけだろうが、今はジビエもあるようだ)というのと、イタリアンは肉なくても美味い料理が得意なようである。

実際、先日、前菜つきのランチを食べてきたのだが、生ハム一切れと、お菓子の盛り合わせがプリンやらアイスを少々だったくらいだ。余談だが、今が旬の柿を何に浸けて渋を取ったのか、夜勤明けでワインを飲んだせいでよく覚えていない。

魚もあったのだが(パスタもイカとトマトソース)、魚はまあいいか。たまに食べるご馳走ということにしておく。


それでもってインド料理である。少々クリームかかっていたりするが、ベジタブルカレーは一切肉の類はない。自分で作ってもよくわかるのだが、なくて最高に美味いカレーが出来る。

ナンはお勧めしないが、まあ、たまにしか食べない人はどうぞ。よくいく自分はチャパティとかロティとか、全粒粉の無醗酵パンでしか食べない。米も精米されているので、ナンとどっちにするか、というとき以外は選ばないだろう。


と、話が逸れた。

砂糖と牛乳についてだった。

というわけで、その記事のリンクを貼る。


牛乳については記事が多く、記事一覧をカテゴリとして作ってくれている。眺めてみて、気になった記事からお読みいただければ幸いである。「牛乳の害に関する情報一覧

前述した、アヘンと同じ効果だという記事はそのままのタイトルである。「アヘン中毒


砂糖については、個別記事のままになっているので、とりあえず、この記事をどうぞ。「白砂糖は白い麻薬

畸形が生まれてくる可能性がひどく高まったり(ちょっとこの記述についてはうろ覚え。紹介しているリンク先だったかもしれない)、後は端的に言ってしまえば、後年「頭がおかしくなったまま」になるということもある。



と、なにやら見つけてくるとこうやって今まで書いてきたわけだ。


自分が肉を食べなく(自ら進んでは食べない程度だが)なったのは、勿論、自身の健康のためである。

お前の頭はおかしくなったのか?という謗りは直接は受けたことがないが、延いては地球のためである。地球じゃあ大きく聞こえるだろうが、環境のためである。

その環境は回りまわって自身に戻ってくる。だから、結局は自分のためなのである。

よい環境とは即ち、自然がやたらと壊されない状態だといえばよかろう。どんな農法もある種の自然破壊である、というのは逃れられない。


肉として、牛については乳を取るために、動物たちはひどい環境で飼育されている。そして、頭のおかしな人が考えた訳のわからない餌を食べさせられて、病気にさせられる。「早く大きくなる」というわけだ。

そんな酷い動物たち、否、「食料品」を工業的に作り上げている。不自然な数を飼育し、そして大量虐殺する。飼育時に出る汚物や時に出る血は、水源や土壌を汚染する。

大量の飼料を栽培するのもこれまたとてつもない負荷を与え続けている。農薬を大量に撒き、水も膨大な量を消費する。「食料品」たちに与える水分も凄まじいだろう。



わたしはそんな動物たちが不憫でならない、といいつつなぜかウールのマントを仕立ててしまったり、牛革の雪駄を買ったりしてしまったが、ともかく、今ある分は使うが、これからは避ける。などと以前も書いた。

何より、そんなものを食べたり、そして食べることを辞めたとしても、そんな状況が変わらない限りは、延々地球が汚される。問題は肉食だけではないが、その話は措く。

そんな汚された地球を歩き回りたいだろうか。何も知らないし知ろうとも思わないから気にしないと耳と目を塞ぎ、気がつけば何も知ることが出来なくなる状況が来て、ようやく後悔するのであろう。


飼育されている動物たちは、自分たちでどうすることも出来なかった。また、これからも出来ないだろう。それを解放するのは人である。


彼らはなりたくて家畜になったわけではない。我々が家畜にした。家畜が自然ならばそれも理だろうが、そんなわけはない。

自然ならば自然に帰すべきであろう。家畜化した動物を野に放つことは出来ないとしても。


なりたくてなったものではないものは解放したい。それをわたしは望んでいた。


ただ、この世は進んで家畜になりたがるものが多い。無論、自然ではないのだが、飽くまで自然だと、家畜になりたがるものは嘯く。


望んでそこにいるのだ。こちらに出来ることは介錯、いや、「精肉工場」へ運ばれるのをただ黙って見送るだけだろう。こう思いながら。「あなたの望みどおりですよ」と。「精肉工場」へ向かうトラックを破壊するほどわたしは慈善事業家ではないのである。では、さようなら。

ツイッター

2011-11-10 | 雑記
じゃあ今日は一言だけ。


「奴隷は自分たちを縛り付けている鎖を自慢しあう」んだそうな。


はてさて、一体なんのことやら。わしには皆目見当がつきません。では、また。

いももち

2011-11-05 | 雑記
先日購入した全粒粉のスパゲッティ。

こいつで偽カルボナーラを作って食べてみようと思い、何を思ったのかサツマイモも薄く輪切りにして一緒に茹で、その茹で汁で味付けをしたりして、ごちゃ混ぜにして食べた。

イモ類はよく、シチューなどにいれらるので、別に間違いはなかった。ただ、麺が多すぎた。いつも多くなりすぎるので、おそらく二人前くらい茹でてしまうのだろう。

聞いていた通り、食べた感じは蕎麦だが、味と香りは小麦のそれ。これからも贔屓にしたいところだが、さてあそこのお店はこれからどうなるのか。


で、サツマイモが余ったので、蒸しパンみたいにしてみた。醗酵させてないから、ケーキか。



よくいく自然食品のお店のサツマイモである。


例のスパゲッティ、有機栽培の、と書かれている。国内の有機栽培の農産物については、とても恐ろしい話がある。勇気のある方はこちらこちらをお読みになっていただこうか。

海外についてはわからないが、アホニッポンの腐れ基準と比べるのがおこがましいと思うね。


よく立ち寄る自然食品の農産物は、ポップに「農薬、化学肥料無使用」と書いてあるが、土についてはどうなのだろうか。また後日に訪ねて、有機農法なのか自然農法なのか調べてみたいと思う。


どちらにしても、「いい野菜」だからといって、野菜を山盛り食うのは控えたほうがよろしい。勿論肉を食えといっているわけではない。肉を食うならジビエで、とは思うが、機会がない。


そもそも、日本人は穀物と野菜で生活してきた。対して欧米は肉食の文化。


ここでも度々書いたが、欧米人は大腸癌になることが多い。そして、現代日本もそれに倣って、同じようになってきている。

癌だけでなく、いわゆる生活習慣病といったものも、大昔なら(平安時代は藤原道長が糖尿病だったという記録がある)富裕層しかならなかったのが、今は誰でもなる。


では、野菜食べてて完全に病気しらずだったのか?富裕層だけが病気だったのか?




実は、胃癌になることが多いらしい。


そもそも野菜は消化しづらいので、胃に負担がかかるという。大量に食べればそれだけ胃が傷ついたりして、おかしくなるリスクが上がる。

胃癌だか胃潰瘍だかの原因のピロリ菌が、そういった状態の胃に取り付いて、異常を引き起こしているのだと考えられる。菌だけが原因なら、子供全員がかかってもおかしくないのだから。

ピロリ菌が原因だ、と喧伝されるのは恐らく、スケープゴートという奴だろう。原因の目くらましだといえる。もしくは木を見て森を見ない論法。


タバコ云々の話で、ちらっと読んだ話だが、タバコばっかり吸ってるのにジジイになってもピンピンしている人がいる一方で、若いころからタバコも酒もやらず、菜食主義でストイックともいえるような感じで過ごしていた人が、五十半ばで「胃癌」で死んだ、などという。


当時は、タバコ吸っているほうが癌になるんじゃないのか?と思っていたものだが、菜食主義と胃癌の関連性を思えば、今では納得できる。


三食が野菜と果物になっただけで、たらふく食べていたのでは、年中体に負担をかけているだけになる。自分も思い当たるのだが「ああ、体にいいもの食べてるなぁ」という信仰心みたいなもので、体がどうなってるか感じようとしないで、知識(「体によい」ものを食べることが体によいという)だけで食事をしていたからだと。


しかし、体がどう反応しているか、というのは知識偏重の世の中ではいまいち感じられないというのもある。考えるな、感じろ、とはブルース・リーのある映画のセリフ。

それは措くとして、最近、自分自身では丈夫になったのかおかしくなったのか、何も感じなくなりつつあることがある。恐らく後者。


大抵の加工食品にある、某調味料。「調味料(アミノ酸等)」と書かれているアレ。アジテーションじゃなくてAJINOMOTO。


こいつはなんと、酒に強い人は反応が鈍いという。男性より女性のほうが反応しやすい、という話もあるそうだ。


最近、いくら行くところを選んだとはいえ、何も感じないのもおかしいなと思っていたのだが、ちと腑に落ちた。落ちている場合ではないが。

こういう話が昔から出ているので、何か食べてきて頭痛がするとか言う人は読んでもっと怖がって、通り越して怒りを持ってくれたら幸いである。感じない人のほうが多いのが現状ではある。


ただ、やっぱり反応していることはあるようだ。


仕事場の晩時。たまには近所で食べてみようと思って、近くのインド料理屋に何度か行ってみた。

別に辛くしていないのだが、妙に暑く感じたりする。少し体内からこみ上げるようなちょっとした不快感。そして、口の中がちょっと変な感じがでる。粘つくというか、水や茶、タバコやっても感じないような状態。


話はちと変わり、仕事場に、時折差し入れをくれる人がいる。この時期はたくさんリンゴをくれたりする。


夜食に食べていたりするのだが、先日、仕事場の人が「このリンゴ、おいしいかい?」と尋ねてきた。

正直、モノの味なんてよくわからんと思っていたし、果物はあんまり食べない。「あんまり果物を食べないのでこのリンゴがおいしいか、といわれてもよくわかりませんね」と正直に答えたところ、その人は最近、うちのブログをたまに見ているせいなのか「舌肥えてるのに、冗談でしょう」という風に言われる。

ブログの内容なのか、タバコの味の違いが多少わかるからということ(何かの味の違い判るのに、と言っていた気がするので、恐らく)だったのか。


こちらとしては、美食というより、体に変なものを入れるリスクを下げようとしていただけで(ならば外食をやめねばならぬ!)そういう方向の神経の使い方をしているつもりなだけで。そして、なんだか最近は体の反応が薄い。そう思っているところもあった。


後で食べながら思い出したのだが、例の自然食品のお店で、秋になって売り出していたリンゴの味に似ていた。その時は思い出さなかったのでごまかす感じになったが、恐らくあのリンゴは美味い。読んでたらどうぞ、あのリンゴはお勧めします。


しかし、慣れてしまったのだろうか。あの調味料に。最近外食が増えてたとはいえ、仕事場近所のカレー屋のような反応は皆無だったのだが。と、いうわけで、家の近所のインド料理屋で試してきます。生きてたらまたお目にかかりましょう。では、また。

水曜日に

2011-11-04 | 雑記
イタリアでよく食べられている料理に「ニョッキ」というものがある。

最近、本当は食べないで歩いて帰ろうなどと思いながら、夜勤明けでついフラフラと駅前で食べる場所の一つに、イタリアンのお店がある。


ずっと前にディナーで二回ほど行ったことのある場所だが、勿論、夜勤明けなので一人。


男の人が一人で、しかも普段着でやってくるのはほとんど見ないので、ちょっと驚いたとは、顔なじみになったホールのお兄さんの言。


余談は措くとして、そこのホームページ(独立したものではなく、ぐるなびの間借りみたいなページ)に、季節の料理の話があって、地産のニンジンでニョッキなんか考えてます、などとある。


で、ニョッキってなんだ?と思って調べたら、小麦粉を練ってちぎった塊を茹でてソースと絡めて食べる、パスタの一種だという。


元々は小麦粉の塊だったのだが、昔、アメリカからジャガイモが入ってきて栽培されだしてから、茹でて潰したジャガイモを混ぜて作るようになったのだという。
他にもカボチャを混ぜるといった風に、バリエーションがあるそうだ。

トマトソースなんかが合うという。他にも合うソースがあるが、そのあたりは気になる人がお調べいただきたい。


と、いうわけで、ニンジンで作ってみたのがコレ。





トマト買うのが面倒になったので、精進出汁とぺペロンチーノベースでやってみた。ちょいと塩辛くなったし、やっぱりトマトソースがよさそうだということがよくわかったが、なかなか美味い。

ニンジン丸ごと一本放り込んだので、結構小麦粉を使うことになってしまった。ウィキなんとかの一例では、ジャガイモ二個に対して小麦粉が一カップ半だというのだが、遥かに多く入ることになった。


そのウィキなんとかによると、イタリアでは木曜に重たいものや滋養のあるものを食べる習慣があり、ニョッキは結構腹にたまる料理なので、木曜に食べることが多く、「木曜のニョッキ」などと呼び習わされているそうだ。

だがしかし、我が家で作って食べたのは水曜だったのである。まあ、タイトルはそれだけの話である。サツマイモを買ってきたので、足りなくなってそうな小麦粉を後日追加して、次はトマトソースでやってみようと考えている。



ちょいと飲みすぎ食べすぎがたたって、金が意外と吹っ飛んでいる。支払いも次はちと多くなりそうで、今月はカレー作ったりニョッキ茹でたり、通販しなくても買えるのが最近わかった全粒パスタを食べたり、玄米を齧る生活をすることになりそうである。すまんねぇ、「和」の兄さん。カレーはまたいづれ。

ちなみに、全粒パスタなんだが、そのお店が入っているのは市内の某駅ビル。その駅ビルの経営母体だろうか(でっかくS○GOとあるそれが)今年で撤退するとかなんとか。テナントはどうなるのかちと不安だが、そうなったら通販するだけである。

聞いた話では全粒パスタというものは、「蕎麦みたいな感じがする」という。興味がある人は以下略というわけだ。普通のより高いので、たわむれに。
あと補足として。全粒粉とか玄米といった未精製食品というのは、普通の(精製された)食品よりも食べ応えや腹にたまる具合が強い。食べ慣れてない人がいつもの量でやると、かなり腹いっぱいになると思われるので、実は値段は大差ないのかもしれないぞ。


では、元気が出たのか出てないのに騙し騙しやってるのかわからないが、立て続けに動画を出していたので、掲載して終了とする。


二十着目

中で話そうと思った内容の一部をすっかり忘れたので、説明文に書いた。


二十一着目

今度は説明文に書くつもりだったことを忘れたので、マイリストコメントに書いた。


しかし、勘違いならいいのだが、ゲームのプレイ、動画編集とやった次の日、要するに昨日なんだが、どうも言葉のど忘れが多くなったような気がする。

しばらくやってなかったここ最近はそういう感じはあまりなかったのだが(暇だった昨日は平均的な日より喋っている時間が長かったせいもあるとしても)なんだかおかしい。

アメリカで、TVなどの映像に触れるのは二歳以下だと脳に悪影響出る、という研究発表がなされているという

記事の内容は細かく見ていないが、人体にも微弱な電流が流れているわけで、音や光、電磁波といったもので何がしか影響がないとは言い切れない。子供だけの影響ではないと感じている。

ついでに、向こうで論争になっているのが、幼児向けの教育ビデオなのである。教育のつもりが子供の発達障害を作り上げてしまうなどとは本末転倒も甚だしい。

テレビは捨てたほうがよろしいでしょうな。捨てるのがめんどくさくて線だけ抜いてる我が家だが、今年中には捨てることにしよう。色々とスペース確保もしたいところだし。

その延長線でゲームもやめてしまおうと、こういうわけだ。続けるとしてもこうである。

「ゲームは一日一時間」by高橋名人

一週間で一時間でもいいかもしれないなと、少し前からしたらまるで別人のような発言をする、仙人なのであった。では、また。

切羽詰る

2011-11-02 | 雑記
そろそろタバコが切れてきたので、買いに行かねばならないと考える。そこで先日、休みの日に出かけようと、何故か着物を引っ張り出す。

これまたちょっと前に買って来て紹介した、長襦袢の着心地を確認するためなのと、おしゃれ着なのだから、昼間から着物で練り歩くのも(が)良かろうと思ったから。


しかし、何故かあまりうまく着付けられない。肌触りのよい長襦袢は、腰紐がよくずり上がるのもある。自慢じゃないが、腹も出ていない。鍛えた感じの体ではないが、引き締まってはいる。


と、そんな話ではなく、何か着付けをしていてもなんだか気が進まない。今日は外に出ないほうがよいのだろうか?という嫌な気分が大きくなりつつあった。


起きたのも遅かったので、暗くなってきた。まあ、これくらいでいいやと、羽織を羽織って外に出た。


いつもの、というかまだ三回目くらいだが、マニトウを買いに行くお店に行くにはちと時間が遅いと思ったので(今日の帰りに立ち寄った際、近所までどのくらいか調べたら、そんなに時間は掛からないようだったが)市内にある、品揃えはよくないが、キセル用のタバコと、いくつかの手巻きタバコは置いてあるお店に、その格好で行ってきた。

まさかタバコを買うためだけに行くというわけではなく、半月くらい出向いてないバーに行ってくるかと考えていたのもある。

当初の予定では、市外のお店へタバコを買いに行って、その帰りに寄る、というつもりだったのだが、川原の散歩がメインになってしまった。

「川原歩いてきた」というと、「時代にもっと逆らいましょうよ!」と突っ込まれた。川原から街中に入ると暑く感じたので、むしろ逆らわなくてよかった。


家を出て歩きだすと、「どうしてあんなに家を出たくない気分が強かったのか」と不思議に思うほどすっきりしたので、飲みに行くのも抵抗がなくなったという。


客が自分が入店した時点ではいなかったのと、その日は野球で、バーテンの兄さん方はそっちに釘付けだった。巨人は一点取られたので、こりゃ負けかなと思っていたら、翌日のニュースでもやっぱりその通りだった。


というか、もうあだ名が「若旦那」になっている。「若旦那はいつも何を飲むんで?」などと聞かれる。「昔は家でウヰスキー飲んでたねぇ。今は近所の沖縄そば屋で泡盛ばっかりだ」などと。

「というわけで、レモンハート(ラム酒)ショットで!」と、意表を突いてみたり。


なんやかんやで飲んでたら、驚くような値段になったが(予算どおりではあったが)、誤算だったのは、試合が終わるまで粘れなかったというところ。

まあ、お互い女っ気のないおっさん同士でイタリアン行くよりはよかったろう。あいつぁ必ずたかる。「先輩!カードカード!」などと。


次に向こうの予定が空いたといっても「もうお金ないからお前が出せ」という予定だが、しかし、そいつ自身は飄々としてはいるものの、あいつの家では立て続けに不幸があった。

親父が脳梗塞で倒れた、と聞いて「ああ、そうか。そうなってもおかしくないわなぁ」というような反応だったわしと、どことなく似たようなところがあるのかもしれないが、そこはご想像にお任せする。

あっちは逝去で、こっちは存命(軽症だと聞いたのもあるし今も元気である)という大きな違いがあるので、同じだとはいえないがな。

そういうわけで、せめて割り勘で、とは思ってしまうのであった。まあ、こっちがやたら飲んでしまって、八:二から七:三くらいにさせられるだろう。


そんな出費をしたその二日後の今日。夜勤明けにタバコを買ってきた。

一度買い込めば、一月以上は軽くもってしまう。しかも三パックあるので、吸い放題である。しんどくなるまで吸ったらしばらく休憩。買い込むも何も、一パックで一ヶ月持たせられないこともないのだが。


そんなコストパフォーマンスはよいのだが、まとめ買いをするほど余裕があるのかお前は!とちょっと自問しながら店で買い物をする。カウンターのお試しシガーが気になったが(バー行くなら葉巻!といわれたのを思い出した)ぐっとこらえて、欲しいタバコだけ買って退散した。


中継ぎでいきなりホームラン打たれてすぐ引っ込められたようになりそうなつなぎのタバコは、持ち運んで仕事場で吸ったりして、さっさとなくすつもりである。いや、味わってはいるがね。


さて、金がないから外食だけはやめよう、と思っていたのに、結局インド料理屋へ。


ランチでも全粒粉のパン(ロティ)を出すお店があって、ちょくちょく立ち寄っていた。


しばらく食べてなかったので、ロティを食べたい、とどうしても思ってしまったのだった。ああ、情けない。


悩んでも仕方ないので、注文して、ふと斜め後を見ると、インドの民族舞踊だとか芸術の写真集があったので、パラパラめくっていると、店員のうち、たぶん今日は初めて見た店員(おそらくインド人)がなんでか呼んでいる。

店が混んできたから席移れってか?と思ったら違う。全然混んでない。そして、レジに連れて行かれる。なにやら不具合が出たらしいのだが、画面の指示通りやっても直らないという。

こっちは最初、日本語が判らないせいなのかと思ったがそうでもなく、前述したとおりである。いやー、触ったことないのでわからんのですわ、と言って席に戻った。


なんだかひどく面白かったので、ロティもスモールサイズを追加で食べてしまったとさ。しかし、キッチンメインのおっちゃんには何度か顔を合わせたことがあったが、おそらくお互い初めてだろう相手に、しかも店員対客という状態。

「インド人もびっくり」ではなく「インド人がびっくり」していたわけだ。いやまあ、こっちも「びっくり」だが。


というわけで、ちょっとお金ないくらいなんでもないか、と思ってしまったわけだ。人の不幸見て笑っている感じでもあるが、出来事自体が面白かったもので。


ちなみに、会計の際もそのお兄さんがやっていたのだが、「レジ直った?」と聞いても反応がなかった。お釣りを返す手も心なしか震えていた。また様子見に行ってみようかね。来年くらいに。



というわけで、久しぶりに動画を作ったので、掲載して終了とする。今回も二本。


十八着目


さすがアル!ビルから飛び降りたくらいじゃビクともしないぜ!撃たれて死んだけど。


十九着目


あーこりゃもう死んだかって「歩く死体」って言われてたような?


これからは毎日玄米ご飯だけです。えー大丈夫?と思われそうだが、正直、どこかで食べたり飲むのは趣味であって、玄米ご飯やらチャパティだけで平気なようである。

趣味は生活に余裕があってやるもの。ならば玄米ご飯を趣味にすればいいわけだな。よし決まりだ。では、また。