ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

記録更新

2017-08-23 | 雑記
恐らく記録更新は中断されたと思うのだが、八月に入ってから曇りだか雨の日が続いていた。二十日ほど続いていたと記憶しているが、実際は何日続いていたかはお調べいただく。

そんなこんなで、今日こそは洗濯しておこうと思い、徹夜でゲームしてから寝ていた少々重い体を持ち上げると、少々日が出ていた。

それで、上記の話を思い出したというわけである。今月はまともに晴れたことはなかったなと。とはいえ、本日の部屋から見える太陽は、雲の裏から存在をほのめかしているような具合で、晴天とはいかない。

今週に入ってまた暑くなったので、記録更新は恐らく先週末か今週の初めにストップしたのだと思われる。

とはいえ、本日の以下省略。


起き上がる前に、ふと思い出した話を書こうと思う。いつもの内容ではあるので、以前に書いたものと下手をすると重複しかねないが、悪霊を調伏するためゆえ致し方なしと心得ていただく。どこに悪霊がいるのかしらんが、どこにでもいるらしいので。


昔、といっても五、六年前ほどから同じことを書き連ねている。

人類を目の敵にしている人達のことである。しばらく前に書いた、人には三種類ある、という話を覚えている御仁がいたら、とりあえずは忘れてもらう。直接にはそのことではないからである。


具体的にどのような方々かというと、食事は菜食。正しくはフルータリアン+αといったところ。

生活様式は森に入って、その中での生活こそが、人類にも地球にも素晴らしいものであるとのたまう。

日本史で準えるなら、縄文のような生活というところ。囲炉裏がどうこうといっていた。服も自前で作るのだとか。

好みの問題だと思うので、憧れる憧れないは個人によるだろう。


話が急に変わるが、温暖化というものの話をする。まったく関連がないわけではない。

テレビにもよく出ている学者の、武田教授なんかもいっているが、環境に纏わる報道やらキャンペーンというのは、嘘に塗れているという。

国連が推進する二酸化炭素削減キャンペーンなんぞ、実際は科学的根拠がないでっち上げであるとすら言われている。もっといえば、それで儲かるから推進しているのであって、地球やら環境やら、ひいては一般庶民のためではないのである。

温暖化二酸化炭素説の嘘については、デーヴィッド・アイクも色々と指摘している。ここを見ている人は、読まれたり何かで聞いたりしたであろうという前提で記しておく。

そこはさておき。二酸化炭素が多いと、温室効果が進んで、地球が暑くなるというのが、一般に流布されている地球温暖化というものの教義である。

言い方を変えて気候変動としているようだが、温暖化のせいでなっている、という理屈自体は変わらないと思われる。

二酸化炭素を減らすために、現代の文明的生活を抑制しようというのが、この宗教のドグマだと相成る。


「今の生活をこのまま続けたら地獄に行くぞ」と、こういっているのが、温暖化教徒の言い草となる。

つまりは、人の罪悪感を煽っているのである。言っている彼らが自身の文明的生活を抑制しているのかというと、まったくそうではないのも、昔からある流れといえる。

アイクも書いていたが、かつて記録的な大雪の中で、温暖化キャンペーンのセレモニーがあったそうだ。

「二酸化炭素が原因だといっているのに、馬鹿みたいに二酸化炭素を使って何を言うのか」といった具合に突っ込んでいた。


さて、話を戻す。


温暖化の話の前に示した方々。彼らも教義は違えど、やり口は同じ。

「現代文明は環境を汚すので、このまま続けると地獄に行くぞ」と言っているのである。

人に罪悪感を催させ、自身はそれから解放されているとうぬぼれるのである。

実際は設定した罪悪感の裏返しで紅葉、じゃなくて高揚しているだけなのである。


現在に到るまで木々が繁茂した理由に思い至らないのだろうが、指摘しておく。


それは人間が増え、二酸化炭素が増大したからこそである。木々の生長には、二酸化炭素が最大の栄養とも言われている。

つまり、憎んでいる文明が続いてきた現代だからこそ、好みでそういう生活を選ぶことが出来ているに過ぎない。


人類を憎んでいるからこそ、騙してその力を奪わんとする。それらの一環が罪悪感を煽る地球環境詐欺であり、それらの反対側で片棒を担いでいるのが、地球だとか自然という言葉に己を高く見せる理想を抱くという、歪な心理構造に気付きもしない存在である。

ならお前は、地球の環境が汚れきっても構わないというのか?と聞く向きもあろう。大体の人はそう聞いてると思われる。

少し持って回ったような言い方で答える。

現代の生活で、例えば空気が汚れたら、気管支やら循環器系の病気が増えたり、自身がなったりして困るかもしれないが、それは飽くまで人の姿を纏っている間の社会生活の問題というより手違い程度のもの。

アイクが書いていたが、「あなたはバスの運転手になるために生まれてきたのですか?」というのと同じで、「あなたは病気を治したりならないようにするために生まれてきたのですか?」と指摘するだけである。


あなたは森で暮らすために生まれてきたのですか?

あなたは何かを食って生きながらえるためだけに生まれてきたのですか?

あなたは地球上で起きている問題が実際は地球上だけではない問題だと気付かずに誑かされるために生まれてきたのですか?
※地球温暖化の最大の原因は、太陽活動である。

どれでもない。どれでもないなら、どれなんだ?と人は聞こうとするが、それは温暖化が地上だけの理由だと決め付けられて、隘路にはまり込んでいるのと同じく、外からの物が一体、自身の内側の何を攻撃しているのかを理解しないからである。


地球温暖化やら環境の悪化が理由ではない。政治がふざけて戦争したり、経済が悪くなっていくのが問題ではない。


それらを手段とし、人を柔弱ならしめるのが目的である。その手綱として、罪悪感があるというわけである。


森で自給生活をするなというわけでもないが、根本的な解決ではないことだけは言える。


環境云々で何がしかの行動を取るという事はつまり、罪悪感に駆られているからに過ぎないからである。


あなたは地球環境をよくするために生まれてきたのですか?

よくするのは何のためですか?悪くしろとは言ってないですが、よい地球環境とは何ですか?

今より自然に溢れてはいたであろう昔の日本は、土地と水を争って殺し合いをしていたものである。ある程度の秩序が作り上げられた後代では、隣同士で監視しあう世の中だったものである。

それと比べれば、随分いい環境になりましたね?なら、あなたの役目はすでに果たされています。


太陽活動による温暖化は、地球上での行動で抑制することが出来ないのと同様に、何かにつけて悪足掻きをする。

理由は後付のこじ付け(当人は思わない)で動くのは、繰言になるが、罪悪感のなせる業だというわけである。

それに気付くか気付けないかで、世の中は天国にも地獄にもなる。そして、天国にも地獄にもしようとも思わなくなるのである。


では、よき終末を。



目と目が合うとき

2017-08-20 | 雑記
数ヶ月ぶりであろうか。

いつぞや、「更新が途絶えたら、気を込めたフィギュアが拙の寝首を掻いたに違いないと思うべし」などと、血迷ったことを書いたものである。

気の訓練といったものは最近は疲れたのでやっていないので、フィギュアも動かずじまいである。

これだけ読まなくても、一般的に言えば拙は頭のおかしな人であろうが、別にどうということはない。

というのも、自分は正常だ、真理を見出し、それにのっとって生きていこうとしているがゆえに、他のとち狂った凡百の人類なんぞと比するものではない、という風なことを言っているが、実際はその凡百となんら変わりないという、面白くもない人を見てきたものであるからだ。

この理屈から言えば、凡百と同様に自分(上記の内容を語った人物)もとち狂っているのだと言っていることになる。

凡百と違うと思い込んで主張する以外に根拠がないのである。

そういうお前はどうなんだ?と訪ねる向きもあろうが、愚問である。

この世に生を受け、この世のしがらみのうちに有る限り、またその範疇での優劣を語る限りに於いて、誰しもが凡百である。

だから、上記の「面白くもない人」は凡百以外の何者でもなかったし、拙も同列でしかないのである。


などと、久方ぶりに更新したと思ったら、いきなりこんな話である。



更新をサボってはいたが、時々、思い出したかのようにブログの編集画面を開くことはあった。書くためではなく、「どれだけ閲覧者と閲覧数が減ったか」を確認しようとしたのである。


ところがどっこい。閲覧者数は近年の落ち着きどころだったのだが、閲覧数がおかしかった。

八月に入って一度見た時に、何故か数日続けて閲覧数が二百を超えていた。

記録は一週間分残される。全部をパッと見て記憶したわけではないが、ニ、三日そうなっていたことがあったように思う。

記事を更新して、何かの検索だかで見つけてしまった人が読んだ、なら判るが、更新は数ヶ月なかった。

何人いるかしらんが、ちょくちょく読んでいる人がまとめ読みしたのかもしれないし、たまたま来た人がまとめ読みしたのかもしれないが、ここで何を探ろうと思ったのか。これが判らない。

ここには、金持ちになる方法も、異性にもてる方法も、明晰夢を見る方法もない。オーラの見方については、他サイトの引用はしたが、見えたからどうというのはない。
かつては陰謀論の話を書いていたが、陰謀の有無は本質的な問題ではなく、そもそもが己自身の問題であることを自覚せよ、などと言い出す始末。

だから、ここに答えはない。そもそも、人間の理性で答えを出すことなど、根本的には出来ないのである。

その理屈を細かく書くことは、拙には少々無理なので、割愛する。

というわけで、当たり障りのない日常の話を書いて、茶を濁すことにする。


近所に、秋田犬を飼っているところがある。たまに、車の出入り口の門扉裏で寝そべっている。

こうも暑いと、犬にも人にも拷問なので、その犬(名前はさくらちゃんという)は家の中にいることが多いが、その日はたまたま外にいた。

夕方からの出勤で通りかかると、寝そべっている位置ではないところから吠え掛かってくる。そして、車の出入り口の門扉まで走ってきた。

足音で拙が通りかかったとわかったらしく、捲くし立てるように吠えるのである。何ゆえか?

この暑いのに、撫でてほしくてたまらないらしい。これ以前にも暑い日に撫でてやると、息を荒くしながら撫でられていたものである。

その時は仕事の帰りか何かで、帰宅途中だったのでゆっくり撫でていたが、今回は仕事の行きがけ。

余り撫でてくれない気配を感じたのであろう。撫でても黙らなかった。

吠えるさくらちゃんをたしなめに、飼い主さんが勝手口から顔を出したのを確認し、挨拶をして離れた。

ちなみに、飼い主さんとは顔なじみではある。

しばらく、さくらちゃんは吠えていたが、悲しげな鳴き声を最後に上げたかと思うと、それっきり鳴き声は聞こえなくなった。

今度また外にいたら、暑さでまいるまで撫でてやろうかと思うが、それでは動物虐待か。


さて、もう一つ。

先日、朝までゲームをしていた。

財布の中身が乏しいゆえ、外で飲み食いをしないようにするための大義名分として、オンラインゲームを再開したのである。

再開は数ヶ月前となる。掛かりっきりだったから、ブログの更新もなかったというわけである。

ゲームといっても、その時はキャラクターの外見変更をしていた。ゲーム内では「エステ」である。

エステというより、性別以外を全部変えられる(※一部有料)ので、整形である。

それはさておき、少しその整形をしようと(ゲーム内で時折配られる、有料部分を無料で出来るチケットもある)設定画面を開いていた。

専用のBGMが流れるのだが、聞き慣れない音がする。リズムに合っているような合ってないような?

無料でいじれる部分も多いので、毎日のように入ることもあるのだが、今まで聞き漏らしていたのかな?と最初は思った。

だが、明らかに音楽としては流れていない。そして、イヤホンを外すと、窓から聞こえる。

窓のすぐ向こうから聞こえてくるのである。咄嗟に窓の方を見やると、ベランダの物干しを掛ける部分に、黒い影があった。

なんと、鳥が雨宿りして、雨宿りのクセに、ピッピーと鳴いていたのである。鳩くらいの大きさだったが、鳩ではなかったように思う。

距離にして三メートルも離れてなかったろう。なおかつ、窓は網戸だけの状態で室内側にスダレという、気配がダダもれな状態である。

こちらが鳥の姿を確認したすぐまで、鳴き声を出していたが、スダレの横から顔を覗かせると、目と目が合った。

意外だったのだろう。鳩が豆鉄砲を食らったような顔、というが、そもそも、鳥の表情はいつも同じな気がする、というのは措くとして、ぴたりと鳴くのを止め、こちらも元の位置に座すと、小雨の中を一声あげて、飛び去っていったものである。

どうも、餌を撒いているわけでもないのに、我が家のベランダやその前は鳥が迷い込むらしい。

春には、変な鳴き声を上げながらじゃれる二羽の鳩を見たものである。鳴き声を上げていたのは、一羽のみである。

じゃれついてた鳩と目が合ったら、じゃれつかれてた方が先に逃げたものであった。

すまない。驚かせるつもりはなかったんだ、ではなく、上述の鳥もその時の鳩も「ここで何をしているんだ・・・」と、こちらが驚いたと言いたい所だが、鳥語は大学でも習ったことがないので、伝えようがないのが悲しいところである。


というわけで、このブログに書いてあることが理解できない場合は、鳥に語っているのだと思っていただければ幸いである。


人の言葉を駆使して人に語りかけているつもりだったのだが、通じないことがあったもので、きっと拙は鳥に感化されてしまったのだろうと考えるのである。もしくは鳥インフルエンザ。


では、よき終末を。