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2011-07-10 | 雑記
今更な話だろうが、日本が捕鯨をやるというと、欧米で「知能の高い哺乳類たる、鯨を食べるなんてとんでもない!」といって反対を食らう。

そして、日本側からも時折聞こえる言葉にこういうのがある。

「欧米は聖書に書いてあるからといって、牛や豚を食べることについては何も問題ないとおかしなことを言っている」


これはある意味正しい。だが間違いだと思われる。


問題の聖書の原文の日本語訳について、つい先日読む機会を得た。

以下、そのサイトから原文を持ってくる。

神はこのように人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
  神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。
  「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」
   ついで神は仰せられた。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与えた。
  それがあなたがたの食物となる。また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。」
  すると、そのようになった。
                           ―― 『聖書 新改訳』 日本聖書刊行会

紹介していたところでは、その誤解釈の部分が赤字で強調されていた。


抜き出して書くと

種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与えた。それがあなたがたの食物となる。

となっている。

あなたがたとは即ち、人類のことである。


その後続けざまにこうなっている。

また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。

となっている。


上記の引用文で、地を従えよ、すべての生き物を支配せよ、と神はいっているのだが、食べ物としてあんたらに与えたのは「種を持って実を結ぶすべての木」であって、「いのちの息のあるもの」ではない、というわけだ。


この前提によって立つなら、捕鯨反対はまさに正しいといえるし、日本側の反論のつもりの言葉もおかしいことになる。


つまり、捕鯨を反対するなら、いくら影響力はなくなったとはいえ、欧米人は、聖書どおりに「いのちの息のあるもの」を食べるのを辞めなくてはならないし、日本も捕鯨自体やめるべきである。


食糧自給が、といわれるが、あれを示してくる農水省は、日本でだけでしか行っていない、妙な統計の仕方をして、「日本の食糧自給率は40%」と謳っているようだ。


それもあるが、日本全体は食べすぎなのである。半分に減らせば実質80になるだろう。米と野菜、あとは味噌などの醗酵大豆食品と海草、果物にしてしまえ。


疑ってもみないのだろうか。普段から三食どかどか食っておいて、いざ病気になったら「これが病気に効く」とさらに食べるものを追加するような状況を。


現代栄養学の一日の栄養バランス云々は、日に三十品目を食べる事を目指している。乳製品や肉も含まれている。

三十品目も食べられるわけがないのだが、推進している栄養学者どもは普段何をどのように食べているのか見てみたいものである。実際にそれだけ食べ続けて、太りもせず、また健康を損なう事もないのか。


その栄養学とやらだが、今から四十年ほど前のアメリカあたりがそういう感じだったようだ。肉は食うわ牛乳は飲みまくるわで、たくましい体を作り上げているのだな、と思ったらそうでもない。

生活習慣病で死ぬやつが多すぎて、社会問題になっていたそうだ。このまま奴隷がいなくなったら困るというわけで、栄養指針を変更した。

穀物と野菜を中心とした内容で、しかも、肉も乳製品も含まれていない。どこかの論壇誌では、日本食を参考にした、といっていた。

そいつを推進していくと、いわゆる生活習慣病で死ぬ人間が三割ほど減ったのだそうな。それがさっきも言ったおよそ四十年前。丁度日本は反対の立場を推進し始めたころである。


肉うまいのに、と思うかもしれないが、味付けをしていない肉はおそらく、なんの味もしない。

昔、某TV局で、偽りの企画を芸能人に持ちかけて、いたずらを仕掛ける番組があった。たまに番組の企画でやる、というのはあるが、番組自体がいたずらを仕掛ける番組である。


某アイドル歌手グループのリーダーがターゲットだった回だと思われる。もしかしたら別の番組だったのかもしれないが、その辺はさておき、N氏はおいしいという話のステーキか何かを食べたのだが、一口食べて変な表情をする。

実は、その肉にはなんの味付けもしていなかったのだという。単に焼いただけの肉、というわけだ。


ライオンは肉を食べて力強いじゃないか、という。

実際は一日の大半をごろごろしているのだとか。動くのはせいぜい、二時間ていど。腸が短いため、肉の消化にはむいているのだが、それでもこの状態だという。消化にかかる体の負担が大きいらしい。


西洋人は、肉を食べてきた歴史が長いため、日本人と比べて遺伝的に腸が短いそうだ。日本人より2メートル短い。

日本人の腸が長いのは、穀物や野菜が肉より消化にかかる時間が長いための適応なのだそうだが、そんな体で肉を食べればなお更おかしくなりやすいというわけだ。


生活習慣病が宿痾なのではなく、肉を食べるのを辞めないのが宿痾で、また宿悪なのだろうと感じるしだいである。


というわけで、わたしは肉を食べるのを辞めてしまった。他にも理由はあるが、相手にされないし、こちらもしないので言わない。


この面白くもなんともないブログの隅から隅まで読み続けている、奇特な方は皆無だと思われるので、改めて言うと、件の地震のしばらく後から、禅僧の精進料理に興味を持って、完全にではないが肉を食べない形を執り始めた。いつだったかと振り返ってみたら、四月下旬くらいだった。

まだ、近所の沖縄そば屋で肉の入った炒め物やらを当時は食べていた。が、それ以外はほぼ食べずに過ごしていた。

それすらも先月辺りからなくそうとしていて、数日前についうっかり頼んだ「ソーメンチャンプルー」に小さい豚肉が入っていて後悔した、というのも書いた。


あんまり気にしなかったのだが、最近ふと振り返ると、体調に変化が訪れている。

一時期、歯が痛かったり、首が痛かったり、妙に疲れたり、口の中に変な味を感じたり、休みになると寝てばかりだったのだが、なくなってしまった。(休みでごろごろするのは元気でもしてるが)

口の変な味は、テフロン加工のフライパンを捨ててからだったが、フッ素とやらは実に有害である。大抵の歯医者はフッ素が歯にいいというが、歴史を振り返ると、良くて見間違い、悪くてでっちあげで取りざたされたもののようだ。(これでも控え目に言っている)

参考にこのページを読むといい。こちら


前からヨーグルトを飲んでいたのだが、これも辞めた。それで骨が弱くなったかというと、まったくそんな風はなく、毎回夜勤明けで一時間程度歩いて帰宅するが、足の骨が痛くなることもない。前なら痛くならなくてもひどくくたびれたことだろう。

イライラはカルシウム不足、などというのだが、ヨーグルトでカルシウムが摂れていたわけではないようだ。怒るときはあるのだが、おかしな程イライラし続けることは皆無になっている。

部屋はフローリングで、その上に茣蓙を敷いている。酔っ払ってパンツ一丁で寝たりするのが今月になって何回かあるのだが(今日も寝てた)、前なら、体中痛くて仕方がないところだったが、なんともなくなった。


ちょっと前に、夜勤明けで歩いて帰ると、腕が赤くなってひどくかゆくなったのだが、単に黒くなるだけで、かゆくなくなった。これは皮膚が慣れただけかもしれないが、先日は三時間弱歩き続けて(日差しに晒され続けて)それでも軽い水ぶくれのような症状は、晒している顔にも腕にもほぼなかった。

体重はちと落ちたが、脂肪と筋肉併せて4キロほど落ちた程度。これでトレーニングをするともしかしたら筋肉が着きだすかもしれないが、暑いので勘弁願う。


他にもあれがよくないこれがよくないと言ってやっているので、最近はキチガイの謗りを受け始めた。誰とはいわないが、以前から「変わった人」と考えてたんじゃないのかな、と思うが、どうなんでしょう?


次に何か体調について書くことがあったら、その時はおかしくなった時だろうとでも期待しておいてください。ほんとに悪かったらここに何か書ける状態ではないだろうけど。では、また。


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