ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

一文字

2011-12-21 | 雑記
その昔、すぐ辞めた総理大臣が今年を一文字で表すなら、と問われ、こう答えたそうだ。


「一文字で表すとするならば、それは・・・「責任」ですかね」と。


そうか、二文字並んでいるように見えるが、これで一文字なんだな、うんうん。


そんなわきゃない。





というわけで、今年の一文字を書いてみた。まあ、あんまりたいした意味はないけど、思うところを後述したりする。


我がブログにおける、今年の一文字は







に決定。別に選考などなく、なんとなく思い描いていたが、書く気がなかったところ、「今年の一文字は何にするの?」などと言われたので、急遽書いてみた。

筆に黴は生えてはおらず、むしろガサガサになりそうなほど乾いていた。部屋には加湿器もない上に、かなり寒い中、着物を干すため、という理由で暖房をまわしていたぐらいである。別になくてもいいのかもしれないな、とは思いつつある。よって、湿気についてはまったく問題がなかったようだ。前回仕舞う前に、しばらく出しっぱなしで干しておいたのかもしれない。


余談は措くとして、今年の一文字「脅」について。


脅かす、脅す、など、要するに物騒な言葉である。「自然の脅威」などとわざとらしく言えば、大抵はあのことを思い浮かべるだろう。


今年は「自然の脅威」が多ございましたネ。まったくもって自然でない、「人工の脅威」もたっぷりでございます。

つまるところは、どんな形にせよ、「脅かし」ばっかりだと。そもそも脅すってのはなんなのか。


押し込み強盗が包丁を家人に突きつけて、金品を出せとのたまうと。

例えば金庫があるのは知っているのだが、主人しか番号を知らないので、脅して開けさせると。

ここで大切なのは、本当に包丁を体の中に押し込んでしまうわけではないのだ、と。

そうすると、目的の金庫が開けられず、盗れたとして他の安物しか盗れなかった、などとなるわけだ。


脅迫が拷問になって、それで死んでしまう場合もあるわけで(地震の津波で大勢亡くなったり、妙な動きをする台風が本土に近づくとゆっくり動いて甚大な被害をもたらしたり)。


放射能の影響と思われるような死亡報告はあんまり表ざたにならず、そもそも基準値とやらが狂気の沙汰レベルなのに、被災地のためだから食えと「脅かす」政府にマスコミ。

今すぐにはまったく関係ないワクチンの補助にはすぐさま金を動かしておきながら(よほど病人を増やしたいらしい。勿論、ワクチン接種によって)、復興に金が足りないから増税すると「脅し」をしたり、挙句の果てには壊れてない原子炉という前提であるはずの「冷温停止」で終息しましたと、滑稽な「脅迫」をやっておりますな。


テレビはテレビで、地震も原発も何もなかったかのようにグルメとお笑いとスポーツばかり流して、笑え、金を使え、余計なことを考えるなと「脅かし」続けておりますな。



ああ、なんだ、別にこれは今年だけに限ったことじゃないな、と書き終えてから思ったのでした。


別に、放射能はつまらん「脅し」だから安心してよいだとか、TPPとかいう、アメリカにしか有利に働かないようなものも、つまらない「脅かし」だから、気にすんな、とはいわない。


地震にしろ、原発の放射能にしろ、無能(日本破壊にはやや有能)政府にしろ、「誰かさんたち」の筋書きでこうなってるという話にしろ、その一つ一つに右往左往しているのは、押し込み強盗の目的をこちらの体に包丁を押し込むことだと勘違いしているようなもの。

ホントに押し込まれそうならさっさと金庫の番号を教えてやるのがよいが、あんまりこちらも我慢していると、押し込み強盗も包丁が目的になりかねないですな。それが昨今の、特に今年の動きだったと感じるわけです。


その世の中の「脅かし」の目的は、あなたの金庫の番号を聞き出すのもさることながら、あなた自身を動かすこともこれまた重要な、多分、現代はそれがもっとも大きな目的なのだろうと。


金庫の中身はまた詰めればよいのだが、あなた自身が「脅迫」に屈してしまったこと、それ自体が途轍もなく大きな被害となる。

十年に一度だけ、金庫の中身がほとんど盗られたというのと、この十年、毎年なんらかの詐欺にかかっているとういのとどっちがマシか、というようなものである。


「脅し」、つまりはあなた自身ではないものからの外部からの圧力。強い圧力は時として、あなた自身を物理的に破壊することがあるかもしれない。


単なる金庫の番号なら、さっさと教えてやってもかまわない(それはそれで困るには違いないが)だろうが、あなた自身を「金庫」と見立てた「番号」は決して教えてやるべきものではないのである。


そもそもが振りだけの「脅し」。そんなものに惑わされないで、「自分自身の金庫」を大事にしていこうではないかと。


自分自身を大事にするために、オレはテレビ見てゲラゲラ笑っているぜ!というのなら、もうここ読まなくていいですよ。せめて単なる金庫のほうの扉ぐらい閉めておきましょうね、というに留めます。では、さようなら。

コスプレ

2011-12-17 | 雑記
ちょっと前、おしゃべりのついでにサッカーの試合で賭けをする。

見事負けてしまったので、おごる約束をした豆大福が一つから二つになってしまった。

で、先ほど届けに行ってきた。


飲むだけ飲んで帰り道、いつもの「和」でデザートにしようと立ち寄ったら、「和」の兄さんから

「例のバーの店長さんがいってたんだが、「ブ○ーチのコスプレしてる人がいる」などと、意外とツイートされている」のだとか。


いかんねぇ、こりゃ自粛せにゃあならんなと。


そういえば、新しい羽織も届いた。マント姿の写真といい、いつ撮るのか不明だが、ツイートされたらかなわんのでしばらく自粛である。


あまり周りを騒がせて歩くと、他人の寿命を縮めかねないのだが、それもまたブ○ーチらしくてよかろうか。では、また。


2011-12-12 | 雑記
夕方、久しぶりに近所のお店で飲んできた。

普段TVは見ない(見たくない)のだが、まあ、戯れに映っていたニュースを見ていた。


今年の漢字は~という話をやっていて、今年は今回の記事のタイトル通りの文字だったと。


数年前に、これまた気まぐれに書の真似事を始めたので、先日から仕事場でも「おい、今年の文字はなんだ」といわれていた。


いや、まあまだ書いてないし、最近書いてないので、筆に黴が生えてるんじゃないかと思っている。


そんなことを書いていると、本当に書こうかと思い出すので、人間というのは不思議である。そんな言い方すると妖怪か何かかお前は、と言われそうだが、あれだ、仙人らしい。


その今年の一字候補はなんとなく思い浮かんでいるのだが、さてさて、どうしようか。



というわけで、絆つながりでといいながらあんまり関係ない話でもしようかと。実はもうやったのかもしれないのだが、書いてなくて考えただけだったか、ちょっと忘れた。



九月の末だったろうか。我が故郷の和歌山方面へ途轍もない威力の台風がやってきて、土砂ダムがどうたらという話がでたりと、騒ぎになったことを覚えておられるだろうか。


台風一過で土砂ダムがどうこうの話くらいになった日、メールがやってきた。


「よう元気かい?実家大丈夫だった?」とかいう風に。


実家も大丈夫だし、わしも元気だよ。まだここでブラブラしてる、などと書いて、ついでだからとこの写真を送った。


返事が来て

「ああ、元気そうだねぇ。まだ茶道部に出入りしてるの?」という。


すかさず「茶道部は関係ない。これはわしの普段着だ」と送った。



別に夜中でもなかったようなのだが、一向に反応がなかった。そもそも、写真を見たのかどうかもよくわからんが、茶道部云々という反応が、着物の写真を見てのことだと思ったのだが。


「着物なんて高級品を普段着にするとは、気でもおかしくなったのか」という反応じゃないかと思うことにした。まあ、メールしようとしたら用事が入った、事故に巻き込まれたなんてのもあろうが、無事なら返事くらいできそうなもの。消息不明ですな。


「」内の想像通りだとしたら、人の絆なんて存外そんなもの、と思うのであった。きずなきずな、といいながら、結局、目に見えるものにすがっているだけには違いないのだから。では、また。

忘れていたこと

2011-12-11 | 雑記
地震から凡そ一ヶ月近く経ってから、禅僧の生活とその食生活(精進料理)を知ることになり、肉を食べないでさらに少食で暮らすという方針にして、もう半年を軽く過ぎてしまった。


別に戒律でもないし、誰かにチェックされているわけでもなく、かといって逐一コレ食ったアレ食ったダメだよくないと自己評価するわけでもないが、まるっきり以前とは食べるものが変わった。

時折、肉を食べたらどんな感じになるのか、とか、甘いものを食べてたりするので、実際は完全にやっているわけではない。

悪影響と思しきものがあまり感じられない(ないわけではないが)ようになったのは、堕落(いわゆる普通の状態に)したのか、嘘か真か仙人になったからか。


普段何を食べているのか質問されたので、簡単に振り返りつつ、忘れていた肝心なことを後で述べることにする。


日本語で菜食主義というのは、外来語のベジタリアンから来ている、というのは言うまでもなく知られていることである。

ほとんどの日本人が大抵返してくるであろう言葉はこうである。「肉を食べなくて体力はもつのか?」と。


実際に前より元気になった、といっても、肉で元気になるというのを端から信じているコチコチの現代栄養学信者には通じない。日本人は盲目の羊だから、などと毒舌をかます必要もない。


そもそもベジタリアンの語源は、古代ギリシャに端を発していて、つづりは忘れたが、「ベジタス」という言葉から来ていて、内容は肉を食べないことだとか。

肉を食べない方が元気になるから、ということが当たり前だった時代のことだったようだ。


細かい内容は忘れたが、つまりは「肉を食べないこと」だというわけである。


食べない食べない、といいつつ実は食べていたりするのだが、少なくとも家で料理するときや、外で食べるにしてもインド料理屋でベジカレーしか食べなかったりする。現代日本の飲食業界で、動物性のものが皆無というのはあまりなさそうではあるが。

食べるにしても、最近ちょくちょく行ってるイタリアンでちょっと食べてたりするのだが、今が旬のジビエを食べ損なったついでに食べてきた、という感じであったりする。

まあ、デザートまで食っていたので、正に「看板に偽りあり」というわけだが。


というわけで、食べてもいいんじゃないかな「ちゃんとしたのなら」、という妙な但し書きをつけて、食べたり食べなかったりする。

近所の沖縄そばの兄さんやら、仕事場の誰かさんらには「健康のために食え」といわれたりするのだが、こちらは健康のために食わないと言っているので、平行状態であると。


ちなみに「ちゃんとしたのなら」というのが曲者で、厳密には存在しないことになる。後は好奇心である。ジビエの料理ってどんな味だろう?と。魚もたまにはいいかなというくらいである。なるべく小魚みたいに、丸ごと食えるのがいいだろう、というような話はあるので、それにならって、近所の沖縄そば屋では、スクガラスという小魚の塩漬けをよく肴にしている。


それまくったが、家では玄米か、全粒粉のパンを自分で焼いて(よく写真を載せてたチャパティ)を食べていると。ベジカレーを作るか、ご飯と味噌汁という風である。カレーの時には米もパンも同時に食べていることが多い。

ベジタリアンの貴重なタンパク源として大豆を上げられるのだが、実はこれが曲者で、味噌や納豆ならよいが、醗酵していない大豆は害の方が大きいという。味噌や納豆も大量には食べないほうがよい。

それと、大豆の元からの状態とは別として、現代の狂った科学技術による、自然には存在しない大豆が日本には大量に輸入されているので、迂闊に手を出さないほうがよいのである。

そうなると、カレーばっかりになる。後はたまにスパゲッティを、これまた全粒粉で作ったものを(今日は久しぶりに買ってきた)茹でて食べるといった按配である。


野菜は、日持ちするような奴を少しずつ食べている。大根やらジャガイモやらタマネギをちょっとずつ。カレーにしたり、味噌汁に入れたりと。

大根は煮てよしおろして生で食べてよしと、万能選手である。熱を加えないほうがいいといえばいいので、先日はカレーの付け合せようにアチャールにしたと。オリーブオイルが残念なのだが、次に作るときに考える。


面倒になったらご飯だけ炊いて食べたり、おやつにチャパティを焼いて食べることが多い。無理して野菜を食わねばならぬとは思えなくなってきたのだ。



というわけで、「菜食主義者」というよりは「穀物食主義者」と言った状態になったわけだ。長ったらしく書いた意味はないが、つまりはそういうこと。肉が0ではないので、ベジタリアン失格ではある。合格しようと必死になっているわけでもないのだが。


さて、肉を食べないほうが健康になるというわけで、色々読んできて、そんな話をしていたりするのだが、最近、ちょっとだけ何か引っ掛かりがあった。


肉が人間の体に向いてないから食べないほうがよい、とばっかり言っているのに、「ちゃんとしたのなら」食べてもいい(かもね)というのに矛盾を感じていた。


その矛盾を感じる空白部分は、実際は以前にもよく言っていたのだが、最近はすっかり忘れていた。某ハンバーガーとか焼肉屋とか牛丼屋がダメで、ジビエならいい(かもね)という理由が。


大きな問題なのにすっかり忘れるとは、やっぱり普通じゃなかったのかもしれない。肉と肉にまつわるものを食べ過ぎたからだろうか。



はい、また前置きが長くなったが、これを思い出したら(と言っても理解できない奴が多いのでどうでもいいが)辞める気になるんじゃないかな。


その答えは「狂牛病」。狂牛病だから牛以外ならいいのか?というわけではない。一般の食肉全部が、早く育てるために細切れになった動物を食わされて(狂牛病の原因は共食い)飼育されているので、実際どの肉もアウト。

とある研究所で、豚に原因の病原体を摂取して、普段なら肉にする以上の年月を飼育したと。すると、八年くらい経ったら皆スクレイピー(狂牛病のこった)になってしまった。肉にするときは大体二、三年で処理する。


ああ、この間牛食べたから、わしもそのうち狂牛病になってしまうんだなぁ、と思ったのだった。

「今、ビッグ○ック二百円だよ」とか言っていた誰かさん。まだ元気なうちに言っておきましょう。さようなら、お元気で。

ああ、ついでに。新ヤコブ病というのがあって、イギリスだかの五歳の女児が発症した、というデータがある。ハムやらソーセージが好きな子だったんだとさ。さて、わたしゃ後何年まともに生きられるやら。


放射能にやられるかスポンジ脳になって死ぬか。遅かれ早かれ死ぬと。ああ、なんということでしょう。酒の飲みすぎで肝臓が云々よりこれは確実にやってくることでしょうな。やはり、肉は食べなくてよいようだ。とりあえず、ジビエ食べるまでな!では、十年、もしくは二十年後、お互い意識がまともだったら幸いですね、ということでさようなら。

マフラー

2011-12-08 | 雑記
というわけで、マフラーが届いた。

麻では寒くないのか、網網な感じなので、持ってみた感じも寒いのかと思ったが、幅も長さも結構あるので、巻いてみるとあら不思議。寒くない。

巻き方を調べてみて、こういう巻き方をやってみた。簡単でしかもしっかり首を巻ける。


トラウマだったマフラーはフリース素材。あれは捨てて正解だったと感じるしだいである。


しかし、先ほど古着屋さんに行ってきたのだが、マフラーには突っ込まれなかった。忘れられたようである。


いずれ、マントと一緒に着た姿を写真に収めようかと思っているので、あまり期待しないでお待ちいただこう。



マフラーの感想をそのお店に送ったところ、返事がやってきた。

「暖かいエネルギーに満ち溢れている」なんていわれてしまった。「暖かい」を何故か「暗い」と読んでしまい、「予想通りだ!」といいそうになったネガティブマインド!と冗談を考えたり。


次は、着物とマントを仕立ててもらったお店に感想を伝えようかと考えている。まだ、武将羽織を仕立ててもらっている最中だが、今までの感じなら、恐らく満足できるものが届くと思う。


ただ、役人に嫌がらせで保険料やらを滞納していたのを、一気に払ってやったので、ちと金欠である。まあ、実家に帰れない言い訳が出来たのでよしとしよう。


惜しむらくは、気になっていた着物が、今日の日中に来たという、百歳じいさんが買っていったそうな。口惜しや。またお店による機会が出来たということで、結果オーライである。


にしても、来年で九十九歳とかいうそのじいさん。一度会ってみたいものだ。


ついでに、古着屋のおばさんが、「木曜は娘くるから!」という娘さんも、立ち寄ってからしばらくしてやってきた。

奥のあまり見えない位置に座り込んでしまったが、おばさんが「かっこいいよね?」なんて話しかけてちょっとだけ顔を合わせてみたり。


近くの学校というから、案外、この格好の変な人を見たことあったりして。しかし、高校生というのだから、十以上離れてしまうぞ。向こうからしたらこっちはいいおっさんだ。


しかし、寒かった。マフラーとマントがなければ凍えるところだった。


ちなみに、その娘さんがどうこういってたおばさんは、そこの店長じゃなかったそうな。先週の金曜にあった人がどうやら店長らしい。


近々地震が来るかもしれない。ただ、今やれることをやって生きたいと強く感じている。

フランスの思想家、ジョルジュ・ヴァタイユが、「今を生きるなら、人間ではなくなるでしょう、人間とは未来に生きることだから」という風なことを言っていた。


今を精一杯生きよう、などと思ってしまったら、仙人になってしまうのかもしれない。人に言われるまで思ったことがなかったのだが、本当に仙人になってしまったのかもしれないね。


多分仕事場の人は思っちゃあいないだろうが、ここのところ言われたのが「てっきり、大学でてちょっとくらいだと思った」だった。

これでももう三十なんだよ、というと、「歳の割りに落ち着いている」なんていわれる。


ところで、メッセンジャーに招待くれた謎の人。もしここを見ている人ならお返事をいただきたい。違うのならこちらから招待してやろうではないか。まあ、向こうも面食らうだろう。


というわけで、仙人は仙人らしく、ぶらぶら過ごそうと思う。では、またどうぞ。

ムラのある

2011-12-05 | 雑記
面白くもおかしくもない話を、面白くもおかしくもなく批評するような話は掃いて捨てるほどある。

言っても詮無きことなので、久しぶりに料理の話やそのほかの話でも。


都内でもプルトニウムだかストロンチウムが出たとか言う割には、自分も含めて誰も騒いでいない。まあ、TVと新聞しか見ないなら、考えるはずもない。


被爆は恐ろしいぞ?チェルノブイリからかなり離れたキエフでは、なんだか皆頭が悪くなっていったそうな。

内部被曝で中枢神経が侵されて、文字通りの意味で頭が悪くなっていったのだとか。

患者も診察している医者もアッパラパーになっていったので、カルテの意味がなくなったのだ、という。


まあ、もうみんな中枢神経やられてきているから読まないだろうけど(症状の一つに「複雑な文の回避」がある。)、ここでも読んでみるのもよろしかろう。



というわけで、放射能には乳酸菌だ。


乳酸菌といえば・・・ヨーグルト!違いはないが、動物性のものは放射能と相乗効果になるので、摂ってはいけない。砂糖もダメだ。

前にも書いたか、喋ったりはしているのだが、長崎の原爆投下のあと、爆心地からそれほど離れていない病院では、院長さんの直感で徹底的な食事指導を行い、被曝による被害を出さなかったという話がある。


その食事は、塩辛い玄米握り飯と味噌汁、砂糖は厳禁。というもの。


これも爆心地に近い人の話だが、原爆を食らった後、こちらも何かを感じたらしく、梅干を毎日食べて過ごしていたら、周りの人は皆被曝症状で死んだらしいが、その人だけ生きて、現在もピンピンしているのだとか。


鍵は「塩」「乳酸醗酵食品」。米も玄米であることがポイントである。白い米と白い砂糖は、実際は似たようなものである。そこが明暗を分けるであろう。


というわけで、梅干を漬けて味噌も作ろう!というのは我が家の環境では難しいので、こんなものを作った。




なんだこれはキムチか?と思った人は残念。もっと西の国のものである。


以前もタマネギやニンジン、あとは初めて食べたセンナリウリなんかで作ったこともある、インドの漬物「アチャール」である。

なんでこんなものを?と思うかしらんが、こいつもどうやら醗酵してしまうらしく、ニンジンでやった時は、蓋を開けたら、コーラをグラスに注いだかのように泡が鳴った。

大根を「ムリ」というのだが、アチャールとくっついて発音すると、「ムラアチャール」になる。近所のインドネパール料理屋で酒を頼むと、おつまみとして豆のせんべいとこれが出てくる。


放射性物質はとても強烈な酸化物質と定義づけられているそうだ。そこに酸化食品である白い食べ物(精白米、精白小麦、白砂糖、精製塩などの加工食品)や肉類を摂ると、ある日ぽっくり逝けばまだしも、癌やら白血病やらになってもおかしくない。

あなた自身が健全に見えても、遺伝子がやられるので、将来の子供は?今生きている子供たちは?などなど、子供のころについた習慣が末代までの遺恨になりえないと。なってもならなくてもいいが、末代まで続くのかどうかもう怪しいので、気にしなくてよい。


というわけで、乳酸醗酵食品を、なるべくなら作って食べましょう。白い米も小麦も食べないようにしましょう。といいつつ、天然酵母のパン屋で買ったりはしているので、あまり偉そうなことは言うけど言わない。

食べるなら、非精製食品を多めに摂る。こういう方向で。


さて、このアチャール。大根でやってみたのだが、およそ二日経って水気が出てきた。最近はめっきり冷えてきたので、「室温で三日」じゃ足りないのかもしれない。風呂場にでも置いておこうか。


そして、今年からマフラーを使用することにした。


若いころの嫌な思い出で、ずっと使いたくなかったのだが、マフラー自体には罪はないので、こういうマフラーを購入。これを書いている次の日の昼に届く予定である。というか、今日は当初の予定では休みだったのだが、日勤になってしまい、受け取れなかった。

注文と発送について、色々ごたごたがあったのだが、煩雑になるのでこれが手に入った、というに留める。


首を温めておくと、白血球がよく働くだとか増えるという話がある。被曝の自覚症状がないレベルでは、体の免疫機能の低下がある。寒いから、というのはまず疑っておいたほうがよろしい。

普通なら流行らない、マイコプラズマなんかが出てくること自体がおかしいのだから。備えあれば憂いはないらしいぞ。やれることはなるべくやっておいたほうがよろしい。

被曝といえばTVも被曝するから、この際捨てておいたほうがよろしい。PCもだが、これがないと困るので、これまたゲームするのを辞めたり、くだらない動画を見るのを辞めればよろしいと。


こちらをキチガイと思ってくれれば結構。上には上がいるし、こちらは仙人などと呼ばれて好き勝手にやっているだけなので、参考にするならもっと他をあたるべし。では、心臓麻痺と白血病と癌とマイコプラズマその他にお気をつけて。では、また。

人を探しています

2011-12-01 | 雑記
お報せします。


昔取ったhotmailのアカウントがあって、一時期はMessengerを使ってチャットをしていました。

今もアカウントは生きていて、Xbox360のアカウントとも共通しているので、時折メールを確認したりはします。


今から十日近く前に、Messengerの友人招待が一つありました。気づいたのはその人が申請してから六日後のこと。


プロフィールなど、何も個人を特定(別に「中の人」がわかる必要はないですが)出来ないのと、事前に知らされたことでもないため、辞退しました。


露出のほとんどないアカウントだということと、今まで誘われたこともないのに今さら来たということで、恐らく、ここを見ている人間の可能性があります。


もしくは、というか被っているのですが、某オンラインRPGの人間であろうと。


メールをこちらから差し上げました。恐らく迷惑メールに入っているかと思われますので、一度ご確認ください。



長いと誰も読まないので、今回はこれだけです。では、また。