前回、「羊は毛を刈らないと暑苦しくて大変だから」などと書いたが、実に馬鹿馬鹿しい話だった。
あれは、品種改良されてきたもので、羊の都合なんぞ考えていないものだった。
その羊は、ひどい環境で飼育され、輸送される。
このブログの記事をご覧いただければよい。
ミュールジングという、羊の体の一部(尻のあたりを・・・)を切除して、感染症やらを防ぐ。まあ、人間の都合で痛めつけているわけだ。殺してないから虐待ではない、なんていうのはおかしいよなと、なんとなく考えていたが、甘すぎた。
記事上には、ミュールジングの動画と文章による解説の二つのリンクがある。こういうとふざけているようだが、お好きなほうをお選びいただこう。
というわけで、せっかく誂えたマントだが、今年の冬を越えたら永眠することになりそうだ。少なくとも、次からはそういう素材は選ばない、と決意した。
分割で買ったので、その分が終了するまでは放棄することあたわず(別に捨ててもいいが)。支払いと越冬が両方終わったら考える。
ついでに、写真は被った状態でしか見せていないが、ハンチング。あれも一部毛が入っている。電車内での蛍光灯の光避け、という身も蓋もない理由で被っていたのだが、そういう訳ならまた別のを探そうと考えている。
とりあえず、今ある分についてはもう仕方ない、と考えよう。そもそも買うときに気づくべき話だったが、まだまだ「普通」の人らしさが抜けてないようだ。だがしかし、さらに今日買ってきた雪駄についてはどうだろうか。
雪駄とは:茶道で露地を歩く際の履物として、草履の裏に皮革を貼り付けたもの。千利休が作らせたらしい。
というわけだ。踵が削れてきたらうちで取り替えますよ、というのと、鼻緒がこれまた正絹というので買ってしまった。何を考えていたのやら。もちろん、裏地は牛革。
絹については気にしないことにする。蚕の蛹から糸をつむぐので、虫を殺すことには違いないが、下手糞な屠蓄者が電気ショックで気絶もさせてない牛を何十回と刺して殺す、などという話とは比較にならないほど穏やかな状態である。
ただ、もう毛皮と肉食については、久々に頭がぐらぐらするほど衝撃を受けた。甘ちゃん過ぎて自分が情けなく思うほどだった。食べる、装う、だけの話ではないので、先ほどのブログを気になる方はよく読んでみるとよい。反毛皮の運動をやっていたり、そういう話(動物虐待の話)を紹介している。
「抵抗できない動物のかわりにできること」
ただ、仙人などと呼ばれる(本物には叶わないが)わしとしては、敢えて悪魔の所業(毛皮を纏う)をやり続けて、人と悪魔の間に立つ振りをしてみよう、などといわゆる中二病染みた妄想をしてみたりするのであった。まあ、負け惜しみというやつですか。何に勝つも負けるもないがな。
しかし、日本は肉といい毛皮といい、何でもそうだといえそうだが、他に選択肢があるはずなのに何故かないものと思い込んだり、もしくは思い込まされた、閉ざされた世界ともいうべき状況を、色々知れば知るほど、見れば見るほど、その空気を強く感じる。
以前「和」でダイエットには炭水化物食わないで肉を食えばいい、という話を聞いた。丁度そのことについての話が、紹介したブログでも載っていたし、読んで思い出したが、この報告についての話はどこかで目にした覚えがある。つまり、すっかり忘れていたと。
その記事はこちら。「神戸コレクションNO毛皮 低炭水化物ダイエットの嘘」
道理で、玄米ばっかり食べてたら、動いてないのに痩せて、ナンとか白いパンを食べる機会を増やしてしまったり、肉やら肉に近いものを食べてしまったら、いつもどおり動いていても少し体に肉がつくなと思った。実際には一食の間隔が長いのもあって(夜食べたら大抵次の昼まで食事なし。寝てる時間も長かったりするが、夕方から仕事なら仕事場に到着するまで食事らしいものなしが普通になっている)、影響は少なかったが、すぐにあったと感じられた。
ともかく、不真面目な感じがするだろうが、わしはわしの感覚でなんとなくやっていこうかと思う。しかし、日本はいろんな意味で過ごしにくい国だ。歴史と風土は「素晴らしかった」ことは訪れた外国人が褒めていたなどという話を引き合いに出すまでもなく思うことだが、もう過去だ。では、また。
あれは、品種改良されてきたもので、羊の都合なんぞ考えていないものだった。
その羊は、ひどい環境で飼育され、輸送される。
このブログの記事をご覧いただければよい。
ミュールジングという、羊の体の一部(尻のあたりを・・・)を切除して、感染症やらを防ぐ。まあ、人間の都合で痛めつけているわけだ。殺してないから虐待ではない、なんていうのはおかしいよなと、なんとなく考えていたが、甘すぎた。
記事上には、ミュールジングの動画と文章による解説の二つのリンクがある。こういうとふざけているようだが、お好きなほうをお選びいただこう。
というわけで、せっかく誂えたマントだが、今年の冬を越えたら永眠することになりそうだ。少なくとも、次からはそういう素材は選ばない、と決意した。
分割で買ったので、その分が終了するまでは放棄することあたわず(別に捨ててもいいが)。支払いと越冬が両方終わったら考える。
ついでに、写真は被った状態でしか見せていないが、ハンチング。あれも一部毛が入っている。電車内での蛍光灯の光避け、という身も蓋もない理由で被っていたのだが、そういう訳ならまた別のを探そうと考えている。
とりあえず、今ある分についてはもう仕方ない、と考えよう。そもそも買うときに気づくべき話だったが、まだまだ「普通」の人らしさが抜けてないようだ。だがしかし、さらに今日買ってきた雪駄についてはどうだろうか。
雪駄とは:茶道で露地を歩く際の履物として、草履の裏に皮革を貼り付けたもの。千利休が作らせたらしい。
というわけだ。踵が削れてきたらうちで取り替えますよ、というのと、鼻緒がこれまた正絹というので買ってしまった。何を考えていたのやら。もちろん、裏地は牛革。
絹については気にしないことにする。蚕の蛹から糸をつむぐので、虫を殺すことには違いないが、下手糞な屠蓄者が電気ショックで気絶もさせてない牛を何十回と刺して殺す、などという話とは比較にならないほど穏やかな状態である。
ただ、もう毛皮と肉食については、久々に頭がぐらぐらするほど衝撃を受けた。甘ちゃん過ぎて自分が情けなく思うほどだった。食べる、装う、だけの話ではないので、先ほどのブログを気になる方はよく読んでみるとよい。反毛皮の運動をやっていたり、そういう話(動物虐待の話)を紹介している。
「抵抗できない動物のかわりにできること」
ただ、仙人などと呼ばれる(本物には叶わないが)わしとしては、敢えて悪魔の所業(毛皮を纏う)をやり続けて、人と悪魔の間に立つ振りをしてみよう、などといわゆる中二病染みた妄想をしてみたりするのであった。まあ、負け惜しみというやつですか。何に勝つも負けるもないがな。
しかし、日本は肉といい毛皮といい、何でもそうだといえそうだが、他に選択肢があるはずなのに何故かないものと思い込んだり、もしくは思い込まされた、閉ざされた世界ともいうべき状況を、色々知れば知るほど、見れば見るほど、その空気を強く感じる。
以前「和」でダイエットには炭水化物食わないで肉を食えばいい、という話を聞いた。丁度そのことについての話が、紹介したブログでも載っていたし、読んで思い出したが、この報告についての話はどこかで目にした覚えがある。つまり、すっかり忘れていたと。
その記事はこちら。「神戸コレクションNO毛皮 低炭水化物ダイエットの嘘」
道理で、玄米ばっかり食べてたら、動いてないのに痩せて、ナンとか白いパンを食べる機会を増やしてしまったり、肉やら肉に近いものを食べてしまったら、いつもどおり動いていても少し体に肉がつくなと思った。実際には一食の間隔が長いのもあって(夜食べたら大抵次の昼まで食事なし。寝てる時間も長かったりするが、夕方から仕事なら仕事場に到着するまで食事らしいものなしが普通になっている)、影響は少なかったが、すぐにあったと感じられた。
ともかく、不真面目な感じがするだろうが、わしはわしの感覚でなんとなくやっていこうかと思う。しかし、日本はいろんな意味で過ごしにくい国だ。歴史と風土は「素晴らしかった」ことは訪れた外国人が褒めていたなどという話を引き合いに出すまでもなく思うことだが、もう過去だ。では、また。