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桜を見ない会

2020-01-13 | 雑記
挨拶をするにはいささか遅いので、特には書かないが、新年が明けた。

馬鹿げた話だが、年末年始に金を使い過ぎたため、支払いを遅らせていたところ、その件で先ほど弟に怒られたところである。

支払いの件についてもだが、拙の言い草が悪くて腹を立てたのもある。内容は以下に。

つい先日までが支払期限だった水道代の払込用紙を玄関に置き去りにしてあった。

普段は気が付いた弟がその半額を拙に渡し、それで払うという流れである。

それで年末に貰ってはいた。が、使い過ぎたので次の給料日まで待つことにしようと放置していた。新たな払込用紙が来るのを待とうと。

放置していた用紙の期限はこれを書いている日から一週間前。経験上、数日程度なら過ぎた用紙でも支払いが出来るのを覚えているが、一週間も経てば使えない。細かい日数は思い出せないし、話には関係ないので割愛する。

そして昼に起きてきた時に、「まだ水道代の用紙が残っている」と言われ、「年末年始に使い過ぎてしまったから、次の給料日に金が入ったら払う。」と答えた。

「前に渡したよな?」と弟。「貰ったよ。今払えなくもないが、ちと厳しいから」と拙。

そして余計とも言えるが、こちらも気になっていたのだろう、こう続けた。「なら、電気ガス代払ってくれよ」と。普段なら引き落としが末日なのにさっさと渡しに来ることがほとんどだったからである。

弟は「払えなくもないけど、今手持ちがないから」と。「ならそれと一緒よ」というと、「ならネット代くれよ」というので、「そりゃまだ早いだろ」と答え、拙は洗濯に向かった。


部屋で洗濯が終了するのを茶を飲みつつ待っていたら、弟の部屋から机を叩くような音が一度した。

出てきた弟にそのことを聞くと、あからさまに機嫌の悪い顔をしつつ、その件ではないことを答えだした。

「一緒に暮らしてるのにすまないの一言もないのは失礼だ」と。悪かったと答えると、水道代は自分が払いに行くと言い出した。子供のころから、後は成人した時もたまに癇癪を起してまともにやりとりが出来ないことがあったのと、それを目の当たりにしたのが久しくあったので、気圧されて今ある払込用紙が使えないことを言うのを忘れ、それはこっちがやるからとのみ伝えると、弟は出掛けて行った。

少しすると戻ってきて、「電気代とガス代置いとくから」と、これまた玄関に置いてあった明細と折半分を拙の部屋の前に置いて行った。

電気ガス代については口座引き落としにしてある。何故水道代は?と思われるが、昔からそうしてただけで、理由はない。

なら、さっきのやり取りからすると、ネット代を差し引きで戻せばよかろうと部屋に持っていったら、「水道代は払えるのか?」という。

「給料入って新しい通知が来たら払うから」と部屋を出たが、結局、今の用紙が使えないことは言うのを忘れてしまった。


しばらく、というかついさきほどの話なので、「己は間抜けな奴だな」としばし自己嫌悪に陥っていたものである。陥ろうと思えばいつだって陥れるだろうというのは措く。


さて、何が言いたいかというと、説明しづらい。というより他人を納得させることは出来ない内容になっていくからである。


今回は支払いを滞らせていたので証拠が残っていたため、弟に見咎められたわけだが、そもそも電気ガス代は口座引き落としで、貰った金は拙の財布に入るだけ。

水道代も財布に入るだけ。もちろん、拙の財布にもともとある金と共にコンビニなどで支払いをすることには違いないが、貰ったそのまま水道局に飛んで行ってはいないのである。

また、弟に渡したネット代の方もしかりである。弟がどのように金を管理しているかは知らないが、上記の水道代についてと変わらないだろう。

常識なら、貰った金を…と言われるだろうし、そういうことも判る。それで弟が怒ったことも判る。後は、「えらそうに電気代ガス代払えとかいうな」とも言っていた。

とはいえ、借金を別の借金で返すことを、失礼だという声は寡聞にして知らない。首が回らなくなるぞ、とは言われるだろうとはいえ。

日本の企業で自社資金で回っている所は少ないらしく、それが出来ているのは有名企業ではたとえばNTTだとか。携帯電話のdocomoではない。

他は銀行の融資を当てにして何やら儲けたり設けたり運転しているというわけである。どれほどの数の企業がそうであって、またはそうでないかまでは知らない。

去年は上記のとは別の某携帯電話の会社が融資を断られたというような話もあった。

銀行の金はどこから出てきたか?というのは言うまでもなかろう。

銀行の融資、つまり、他人の金で動いている会社は実に失礼な存在だ、などと常に憤っている人は見たことがない。銀行が一般人の預金だけではないとしても。

自社資金で動いているところもまた、経済活動が回りまわってたどり着いたが故なので、失礼だ!と難癖を付けられないこともない。


金を無下にしろ、というわけではないが、金というものは、そもそも誰のものでもないのだと言える。

現代の金融システムはロスなんたらが云々でという陰謀の話はあるが、そこは関係ない。

見えなかったら気にしてなくて、見えたら気にして場合によっては怒り出す。

それは見えている数字は、ものは、自分のものだと思っているからである。

丁度、去年の話題の一つの「桜を見る会」の如くに。


現総理や内閣などを褒める気も貶す気もないが、政府が長続きすればするほど、関係者も増えていくのは必然であり、年々招待客が増えていき、その会の費用は上がっていってしまうだろう。

去年と同じ規模で質だけ上げました、というのもあり得ることはあり得る。年に一度の行事でお得意様にいい顔をしておきたいというのは、政治家だけの話でもない。同じことを同じようにやっても、民間に費用を支払うからには、「消費税」が違うのだから、値段も上がっていくだろう。

例の会を行っていることがよかったかどうかというのは、こちらとしては判らないし、ただの例えであって、その件を判断するためではない。

所謂ヤクザを呼んだ云々も、そもそも政治家はヤクザがいないと…というのは語るまでもないことである。


金は天下の回り物という。何故回っているのかは本来は理解できない。

何せ、先ほども言ったが、誰のものでもないからである。

ある時はそこ、また別の時はここ、というのが「わたし」だったりするというだけのものである。

ならば政府の税金(「桜を見る会」などの)や冒頭の水道代についてはどうなるのだ?と問われるかと思う。

税金については釈迦の時代ぐらいの仏教の態度を述べておく。以前、ちょくちょく書いたことだが。

「盗賊は力ずくで金を奪っていく。王侯貴族は合法的に金を奪っていく。だから王侯貴族を積極的に応援はしない」と。

人の金を奪うのが、それらの性だと思えばいい。蚊が血を吸うのと変わらない。蚊に血を吸うなと怒っても仕方がないし、蚊に対して吸った血を真っ当なことに使えよと説教する人も見たことはない。


さて。冒頭の話は拙の怠惰な使い込みが原因である。ならば、不慮の事故や病気で同じように使い込んだ場合、弟はどういう反応をするのか?

これまた常識なら、「仕方ないな」であるが、本来はそれらもまた個人が悪いことなので、怒るべきなのであろう。

怒ろうと思えばいくらでもできる。何故そんな時間にそんなところを歩いていた?と怒れるだろう。それが普段の帰り道の時間であっても言える。

何かの病気を発症したとしても言える。若い頃に肺炎で入院したからだ、とかなんでも理屈付けられるだろう。ちなみに、若い頃に肺炎で入院したのは弟ではある。

というのもまた、「見えないなら気にしない、見えてたら気にする」という奴である。


見えていても見えなくても、気にしないのがよいと思えなくもない。

ただし。誰かが意図的に隠している場合は別として。

それは、蚊が血を吸うのは仕方がないとはいえ、吸われるままにはしない、という程度のことである。



余談染みているが、桜を見るといえば、昭和の落語の速記本から起こした本に花見の話があり、枕の話で軽く触れていたものである。

「人が多くて賑やかでねぇ」というんで、花はどうだったかと聞いたら、「ん?ああ、綺麗だったんじゃないかな?」といった具合で…などと。


我々は桜を見ているようで、実は何も見ていない。見えている気がしていただけなのである。


では、よき終末を。