ある日のことであった。
駅前の大通りから細い路地の方へ入り歩いていると、向こうから女性が歩いてくる。
お互い道の両脇を歩いていたので、ぶつかるというようなことはなく、ただすれ違うはずであった・・・。
などと言うと大仰に過ぎるのだが、ただすれ違ったことには変わりはない。ただ、ひどく注目せざるを得ない状況を目の当たりにしたのである。
十メートルほど先から女性が歩いてくるのを確認し、その女性もこちらが視界に入ったと思しき瞬間、女性は長い髪を何か必死に梳きはじめるのである。
その路地はビルに挟まれており、特にビル風もなかった。そう。向こうから歩いてくるのを見た時に風で髪がぐしゃぐしゃになったというのも見えはしなかった。
余りにも梳き続けるので、「それでは余計に髪が乱れるのでは?」と心配になるほどであった。
などという話は、度々していたものである。
自慢か?そりゃ勘違いだろう?と言われても仕方ない話ではある。
とはいえ、勘違いのつまらない話で終らせても、面白い話にはならないであろう。
とはいうものの、勘違いのつまならい話としか言えない続きをやっていくことにする。
「雲消し」というのをご存知だろうか。この話も以前やったものである。
大きすぎる雲では出来ないので、ある程度小さなちぎれ雲を対象にするとよいのだが、それをじっと見ながら、「雲は消えました」と念じていると、消えたり消えなかったりする。
コツは過去形にすることであり、雲は消える、ではならないそうな。
たまに思い出したときにやってみると、雲全体ではなく、見定めた端っこが千切れて消えていくというのがあったり、歩きながらしていると建物などで隠れたりするので、その後見ていたと思しき場所を確認すると、見ていたはずの雲が見当たらなくなったりする。
不思議だなぁと思うのと、やはり勘違いなのか?と両方思わなくもない。
それである日、応用してみた。
某駅前の喫煙所で一服していると、そこからはバスロータリーが見渡せ、視線の先には建物の間にそこそこ空が広がっている。
少々風のある日で、雲は向かって右から左に流れていく。
ぼんやりと眺めながら、ふとこう思った。「止まれ!」と。
そうすると、本当に止まっているのである。そして意識するのをやめると、思い出したように動いていく。
雲の形は変わらないので、建物による隠れ具合で移動は確認できている。本当に勘違いでないのならば。
また、これはもう少し前のこととなるが、夜勤明けで最寄り駅までまっすぐ帰り、よく立ち寄るネパール料理店で飲んで食べていた。
事前に天気の具合を見て、これは帰りに降られるかと思いつつも立ち寄ったのである。雨雲の動きが丁度な具合であった。
そして、店に入る前だったか出た後だったか。「雲消し」の要領でこうやった。
「雨は止みました」と。
その後、途中にあるケーキ屋で買い物しつつ、しばし雑談した後に帰途についたが、雨に降られることはなかった。
ついでにいうと、店の人が心配して傘を借してくれたのだが、結局、使う事はなかったのである。
上記までのと趣が違うが、これまた不思議なことがあった。
仕事場には、モーニングコールを受けた場合に使用するデジタル時計が何個か置いてある場所がある。
手前に三つ並んでいて、その後に一つ隠れているのがあった。
たまたまその一つが目に入った。尋常に動いているなら気にならなかったのだが、その時計は表示がおかしくなっていた。
電波時計という奴で、時折受信して調整する機能付きとはいえ、仕事場では実は機能していないし、仮にその機能が働いていたからとしても、特殊な表示がされるわけでもない。受信のアイコンが表示される程度である。
「ああ、壊れたのか」と右手を伸ばし、左手と共に支える形で眼前に持った瞬間、まともな表示をしていなかったその時計が、思い出したように動き始めたのである。
流石に、少し時間がずれていたが、時刻合わせしている間にまた壊れる、ということもなく、平然と時を刻み始めた。
元の場所に戻し、それから数日して出勤してから確認すると、その時は問題なく動いていた。今は判らない。これを書いたせいで元に戻ったりしているかもしれないが。
勘違い?たまたま?それも結構。
だが、本当に勘違いやたまたまで済ませられるほど、我々はこの世の仕組みを知らないのもまた、事実である。
そう思えば、世の中というのはひどく面白いものとなろう。
後輩がたまにこう聞いてくる。「何か面白いことはないのか」と。
拙はこう返すのである。「ないなら作ればいい」と。
物事を勘違いや偶然でだけで済ますのならば、面白いことなどどこにもないのである。
ないなら作る。それが出来るのは、人だけなのだから。
では、よき終末を。
駅前の大通りから細い路地の方へ入り歩いていると、向こうから女性が歩いてくる。
お互い道の両脇を歩いていたので、ぶつかるというようなことはなく、ただすれ違うはずであった・・・。
などと言うと大仰に過ぎるのだが、ただすれ違ったことには変わりはない。ただ、ひどく注目せざるを得ない状況を目の当たりにしたのである。
十メートルほど先から女性が歩いてくるのを確認し、その女性もこちらが視界に入ったと思しき瞬間、女性は長い髪を何か必死に梳きはじめるのである。
その路地はビルに挟まれており、特にビル風もなかった。そう。向こうから歩いてくるのを見た時に風で髪がぐしゃぐしゃになったというのも見えはしなかった。
余りにも梳き続けるので、「それでは余計に髪が乱れるのでは?」と心配になるほどであった。
などという話は、度々していたものである。
自慢か?そりゃ勘違いだろう?と言われても仕方ない話ではある。
とはいえ、勘違いのつまらない話で終らせても、面白い話にはならないであろう。
とはいうものの、勘違いのつまならい話としか言えない続きをやっていくことにする。
「雲消し」というのをご存知だろうか。この話も以前やったものである。
大きすぎる雲では出来ないので、ある程度小さなちぎれ雲を対象にするとよいのだが、それをじっと見ながら、「雲は消えました」と念じていると、消えたり消えなかったりする。
コツは過去形にすることであり、雲は消える、ではならないそうな。
たまに思い出したときにやってみると、雲全体ではなく、見定めた端っこが千切れて消えていくというのがあったり、歩きながらしていると建物などで隠れたりするので、その後見ていたと思しき場所を確認すると、見ていたはずの雲が見当たらなくなったりする。
不思議だなぁと思うのと、やはり勘違いなのか?と両方思わなくもない。
それである日、応用してみた。
某駅前の喫煙所で一服していると、そこからはバスロータリーが見渡せ、視線の先には建物の間にそこそこ空が広がっている。
少々風のある日で、雲は向かって右から左に流れていく。
ぼんやりと眺めながら、ふとこう思った。「止まれ!」と。
そうすると、本当に止まっているのである。そして意識するのをやめると、思い出したように動いていく。
雲の形は変わらないので、建物による隠れ具合で移動は確認できている。本当に勘違いでないのならば。
また、これはもう少し前のこととなるが、夜勤明けで最寄り駅までまっすぐ帰り、よく立ち寄るネパール料理店で飲んで食べていた。
事前に天気の具合を見て、これは帰りに降られるかと思いつつも立ち寄ったのである。雨雲の動きが丁度な具合であった。
そして、店に入る前だったか出た後だったか。「雲消し」の要領でこうやった。
「雨は止みました」と。
その後、途中にあるケーキ屋で買い物しつつ、しばし雑談した後に帰途についたが、雨に降られることはなかった。
ついでにいうと、店の人が心配して傘を借してくれたのだが、結局、使う事はなかったのである。
上記までのと趣が違うが、これまた不思議なことがあった。
仕事場には、モーニングコールを受けた場合に使用するデジタル時計が何個か置いてある場所がある。
手前に三つ並んでいて、その後に一つ隠れているのがあった。
たまたまその一つが目に入った。尋常に動いているなら気にならなかったのだが、その時計は表示がおかしくなっていた。
電波時計という奴で、時折受信して調整する機能付きとはいえ、仕事場では実は機能していないし、仮にその機能が働いていたからとしても、特殊な表示がされるわけでもない。受信のアイコンが表示される程度である。
「ああ、壊れたのか」と右手を伸ばし、左手と共に支える形で眼前に持った瞬間、まともな表示をしていなかったその時計が、思い出したように動き始めたのである。
流石に、少し時間がずれていたが、時刻合わせしている間にまた壊れる、ということもなく、平然と時を刻み始めた。
元の場所に戻し、それから数日して出勤してから確認すると、その時は問題なく動いていた。今は判らない。これを書いたせいで元に戻ったりしているかもしれないが。
勘違い?たまたま?それも結構。
だが、本当に勘違いやたまたまで済ませられるほど、我々はこの世の仕組みを知らないのもまた、事実である。
そう思えば、世の中というのはひどく面白いものとなろう。
後輩がたまにこう聞いてくる。「何か面白いことはないのか」と。
拙はこう返すのである。「ないなら作ればいい」と。
物事を勘違いや偶然でだけで済ますのならば、面白いことなどどこにもないのである。
ないなら作る。それが出来るのは、人だけなのだから。
では、よき終末を。